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ばつ丸21のブログ一覧

2022年09月20日 イイね!

追悼 水口利行さん ラリーチーム ダッカスト大阪


60歳代後半になると、悲しいですが、お別れする事が増えてきます。

私に車の動かし方を教えて下さった水口利行さんが、7月25日に亡くなられました。


水口さんは、1970年代に私の属していた、「ラリーチーム ダッカスト大阪」のトップドライバーでした。

当時、近畿地方でラリーの実戦経験のある方は、絶対に知っている名前だと思います。

加入した頃、初めてサービス隊として参加した1978年(と思う)の「紀伊山岳ラリー」には、私のクラブからは4台参加しました。

当時は、ラリーの参加車両は60台に制限されていたため、紳士協定のようなものがあり、原則として1クラブ2台の参加とされていました。

そのラリーで私のクラブから4台参加して、いろいろ言われましたが、ゴール後の成績は1位、2位、4位、6位(1、2、6、8位だったかも)の全車入賞という快挙で、他チームから文句を言わせない強烈なものでした。

そして、この時1位だったのが、水口さんでした。

すごいクラブに入ったものだと思った事を、今でも明快に覚えています。



水口さんとは、同い年でしたが、クラブに入ったときは、水口さんは既に関西では有名なトップドライバーで、私は大学を出たばかりの新米社会人。

そのため、私は車の動かし方を水口さんに教えてもらいました。

でも、覚えているのは三つだけです。

1.基本は、離して、切って、踏む。

2.シフトアップの時には、アクセルは踏みっぱなし。

3.ヘアピンではサイドブレーキでなく、ダブルを踏まずに1速に叩き込んでコーナーリングのきっかけを作る。

の3点でした。

1.については、基本的な荷重移動の事で、普通の運転に絶対必要な事ですが、2.3.は完全に競技用です。

今ではネットの色々な動画でテクニックを勉強できますが、昔は横に乗せてもらって技術を教えてもらうのが普通でした。

特にダブルを踏まずに1速に叩き込んでスピン状態を作り、コーナーリングさせるテクニックは、リアブレーキがディスクになったTE71では、(サイドブレーキが効かないので)重宝しました。

というか、タイトコーナーでは必ず使っていました。

ラリーを辞められる直前には、ギリシャでの世界ラリー選手権のアクロポリスラリーに遠征されました。

個人で海外ラリーに参戦するのは今でも大変ですが、当時はもっと大変でした。

よくやったと思いました。


また、水口さんの関係で、チームエンケイの鈴木巌さんのサザンクロスラリー(オーストラリアの国際ラリー)で走って、帰って来たばかりの27レビンを、短時間町中で運転する事が出来ました。
(もう、時効なので書きました。)


この27レビンを走らせた経験が、その後の自分の車作りの基準になりました。

この車のスペックは、304°×288°のカムを組んだラリ-チューンの2TGエンジンとTRDのタイプAのクロスミッションを組んだ、オーソドックスなラリーカーだったと記憶しています。


軽量なボディに、レスポンスの良いトルクフルなエンジン。

3速でのアクセルのオンオフが、普通の車の1速の様なレスポンス!

ステアリングのレスポンスも、超クイック。

とどめは、このエンジンはこの時、4番のピストンリングが折れていた事。

本調子ならどんなパワーだったんだろう???

本物の競技車の迫力は、最近のストリートチューンの人がよく言う「フルチューン」とは一線を画すものでした。

そのカミソリの様なシャープな動きは、一生忘れられません。

そして、これこそが私の理想の車です。

私のMR2も、この様なシャープな動きが出来る車を目指して改良をしてきました。



数年前にお会いした時に、故郷に帰って民宿をするつもりだと、にこやかに言ってらっしゃった事が、最後の思い出です。

色々な事を教えて下さった水口さん、ありがとうございました。

穏やかな性格で、車の動きも大胆でしたが滑らか。

いつもにこやかに話されていたことが、今も思い出されます。

思い出がどんどん湧き出してきますが、この辺りで終わりにします。


今ほど簡単に写真が取れなかった時代ですから、余り写真がありません。


1979年頃、アキレス・ダートトライアルにて。



1979年、全日本選手権のツール・ド・四国にて。



ツール・ド・四国に出た27レビン・水口号



ツール・ド・四国に出た時の写真 みんな若い!
左のNガレージさんは既に故人、右のK板金のお二人は、その後の付き合いがありません。



ダッカストカラー(クラブカラー)に塗られたTE37レビン
(水口さんではありません)

因みに、我がクラブはクラブカラーがある数少ないチームでした。

白地にエンジ赤と紺色

79年頃の水口号は既にクラブカラーではありませんでしたが、多い時には4台のクラブカラーの車がありました。

但し、早いチーム員だけの特権だったように思います、と言うか遅い人では恥ずかしい。


----------------------------
In memory of my friend
    水口利行
   1954-2022
Rally Team daxst Osaka
----------------------------

水口さん、安らかに。
合掌


最後まで読んで頂き感謝します。

Posted at 2022/09/20 22:30:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | 追悼 | 日記
2022年07月08日 イイね!

安倍元首相が亡くなられました。


心よりご冥福をお祈りいたします。

世の中って、不条理なものですね。

言葉がありません。



Posted at 2022/07/08 17:59:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 追悼 | 日記
2020年07月31日 イイね!

アジアの巨星、堕つ


台湾民主化の父、李登輝元総統が亡くなられました。

大変残念です。

何も述べる気持ちがおきません。




写真はロイターから転載させて頂きました。

享年97才


李登輝元台湾総統のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
Posted at 2020/07/31 11:26:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 追悼 | 日記
2020年06月06日 イイね!

横田めぐみさんの父上・滋さんが逝去されました。


謹んで心から御冥福をお祈りします。


私が北朝鮮情報をこまめに集めているのは、拉致被害者奪還に対する関心以外の何物でもありません。

金正恩が亡くなった(私の想像)事で何かしらの動きがあるのでは?と思っていたのですが、武漢ウイルスの関係か、今は余り情勢が見えてきません。

その時に、横田めぐみさんの父上・滋さんが亡くなられたとの知らせが届き、残念で仕方ありません。

体調がよろしくない事は仄聞していましたが、ついにめぐみさんとの再会を果たせず、旅立たれてしまいました。

私は、国会議員の地元の関係者に、拉致問題の事を聞いてもらったり、家族会に寄付をしたりはしましたが、それ以上の事は出来ませんでした。

憲法改正と拉致問題の解決を前面に押し出していた安倍首相に大いに期待していたのですが、国内外の反日勢力の強力さに押さえこまれている様で残念です。


しかし、考えてみれば、北朝鮮の拉致問題に、どれほどの国民が関心を持っているのでしょうか?

拉致被害者救出のサインである「ブルーリボン」バッチも、つけている人は議員ぐらいで、一般の人では今まで一人も会った事がありません。

その程度なのでしょうか、日本人って。

やはり、憲法を改正し、国として力をつけて、北朝鮮に強力な圧力をかける以外に奪還する手段は無いのでしょう。



有本恵子さんの母上の嘉代子さんが亡くられたのが2月でした。

横田滋さんと有本嘉代子さんに、子供さんに会って頂く事が出来ずに、日本人の一人として残念でなりません。

また、何もできずに申し訳ない気持ちでいっぱいです。


横田滋さんに心よりご冥福をお祈りいたします。


横田滋さん
2020年6月5日没
享年87才

写真はNHKの物を使わせて頂きました。


最後まで読んで頂き感謝します。

Posted at 2020/06/06 09:13:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 追悼 | 日記
2020年05月22日 イイね!

ターボセンター・メカニカルの岩佐憲一さんが亡くなられました。




私が岩佐さんを知ったのは、MoTeCの取付をしてくれる人を探していた頃、弟に紹介された時でした。

ですから、この15年ほどの付き合いです。

その為、ゼロヨンなどで活躍されていた頃の事は、全く知りません。

それに、私はゼロヨンにそれ程興味を持っていませんでしたので、なおさら知りませんでした。


私がメカニカルさんのショップに出入りを始めた頃には、もうゼロヨンはやっておられず、もっぱら変わったスポーツカー(フェラーリ、ランボ、ルノーのミッドシップターボ車、等々)が入庫している、変わったショップだと思っていました。

昔堅気の職人さんですから、自分で何でもされました。

チタンの溶接、ショックのセッティング変更、キャブもフルコンもOK,無い物は作ってしまう昔気質の人でした。

どんな変わった問題にも、応えて頂ける頼りになる方でした。

また、250馬力のコペンに搭載されているクランクは、ダイハツの開発部門から頂いてきたスペシャル品だとか、コンロッドをニコイチで溶接して作った!などと言う事もあったようです。


ターボセンター・メカニカル(最後の頃は、R・メカニカルと社名を変えていました。)をたたまれる時に、最後の一台として無理に私のエンジン(現在使用中の物)を組んで頂きました。

その後、岩佐さんが深く尊敬されている林将一さんのハヤシレーシングに、メカニックとして働いていらっしゃいましたが、昨年末頃より体調を崩され、昨日(5月21日)先に逝かれていらっしゃる奥様のもとに旅立たれました。

享年72才

ここに長い間お世話になった感謝を込めて、ご冥福をお祈りいたします。

本当にありがとうございました。

もう少し、昔のレースやチューニングの話をお聞きしたかったです。


合掌



84年頃の岩佐さんが製作された、トリプルターボの話。
トラストの車を製作されています。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw3100946
https://www.excite.co.jp/news/article/Clicccar_534888/?p=4


83年頃、ゼロヨン日本一決定戦の頃の雑誌記事。
http://car.boy.jp/06evrent/01_zeroyon/CB1983-04_nihonichi/CB1983-04_nihonichi.html

未確認ですが、日本で初めてツインターボを作ったのは自分だとおっしゃっていました。

また、トリプルターボの話は聞いた事がありませんでした。



最後まで読んで頂き感謝します。

Posted at 2020/05/22 17:40:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 追悼 | 日記

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