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タッちゃんのパパのブログ一覧

2011年03月18日 イイね!

記録(震災被災直後の行動記録)

震災発生から1週間ですが,毎日色んなことが次々と起こり,とても長く感じました。
今回のことを決して忘れないと思いますが,正しく覚えている今だからこそ,震災被災直後の状況を記録に残したいと思い,自分のために記します。
(長文です。被災した2日間の自分のための記録なので興味をもつような内容ではないです。)
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3月11日
その日は朝からとても寒く,下着+シャツ+薄手のフリース+厚手のフリースを着て出社。
普段と変わらない仕事をこなしつつ,あと定時まで2時間ちょっとと思いつつパソコンに向かっていたPM14時46分,事務所は大きい揺れに包まれました。前々日に大き目の地震があり,「また同じようなレベルか」と思っていてパソコンに向かってましたが,一気に大きい揺れとなり,パソコンのディスプレーを机に倒し机の下にもぐりこみました。
1分経っても揺れは収まらずさらに大きくなり,隣の同僚のパソコン本体(ディスクトップ)が自分の前に降ってきて,「尋常ではない」とその時感じました。自分も含め周りの机の上にあったものは全て床になだれ落ち,揺れはまったく収まらず,「2階の床が落ち,このまま1階に転落,もう駄目だ・・・」なんて考えがよぎりました。3分ほどでしょうかやっと揺れが収まったところで,机の下からでると,事務所は埃が充満し,天井が落ちている箇所が多数。ただちにヘルメットを被り,口にタオルを当てて外へ避難となりました。降りる階段も壁や床が剥がれ落ち,瓦礫に足を乗せないように注意して移動。

建屋から10m離れた敷地で全社員集合してましたが,何度も大きい揺れがあったため,安全のため建屋から離れたグラウンドに避難移動しました。
会社の避難訓練通り,保安が外のようす(県道や国道の道路状況確認)を確認できるまでは避難場所で待機状態。避難して10分ですが,既に携帯は繋がらない状態。ワンセグ携帯を持つ社員は直ちにTVで情報収集。「お台場で火災」などの情報が飛び込んでました。
いくら着込んでいてもとても寒く,時折雪が吹っかける状況。15時15分頃にとても大きい揺れを確認。
そして携帯でのネット情報から岩手・宮城沿岸津波との情報が。「これは尋常ではない」と思いました。
結局15時45分までグランドで避難待機状態でしたが外の状況が判り,「周囲が停電状態で信号も無点灯だが,道路の破損は無いようだ。電車は動いていない」との連絡により,全体避難は解除。
ただ,今の状況(事務所も現場も)ではその日の業務再開は無理のため,業務は終了。
希望者のみ事務所から自分の貴重品を持ち出しとの指示があり,財布の入ったカバンを取りに行きました。(本来なら2次災害となる危険な状況なので建物に立ち入ってはいけない。避難時に財布に入ったカバンも持って出ないといけないことを後で反省。)

会社をただちに退社し,信号の無い道を選びながらクルマ(タウンボックス)を走らせました。(運転中,一部落石や地崩れのある道にも遭遇。)
まずは「家の様子」と思いましたが,子供らのことが気になり,子供らの小学校へ。小学校への行く道,家の外壁や塀が破損,瓦のある家は瓦が落ち,倒壊している家も見かけました。学校に着くと校門の壁が壊れ,入り口のガラスが割れ,地面が割れと今まで見た中で一番被害が大きい建物のため,「児童に被害が・・・」と悪い考えが過ぎりました。体育館の方に行くと児童が避難しており,館内にいた先生に自分の子供の名前を告げ,子供らは無事でした。
特に怪我無く無事でしたが,急いで教室から避難したらしく,ランドセルや防寒用のコートは無く,薄着で上履き状態で2時間近く体育館で避難していたそうです。
小学校は昨年耐震補強の工事が終了したばっかりで,もし耐震補強工事が未実施だったらと思うとゾッとしました。子供らを引き取り,クルマ(タウンボックス)で近くの実父の眠る墓へ。
倒壊している墓が数多くありましたが,実父の眠る墓は,納骨の石板はズレていたり墓碑が他の石板に当たって傷ついたりしてましたが,墓石は倒れることなく全体としては無事でした。納骨の石板をなんとか(とても重く腰を痛めるかと思いましたが)動かし,周囲を整えて次週御彼岸の墓参りに問題ないようにしました。

そして自宅へ。自宅到着後,まず自宅周囲をチェック。プロパンガスボンベ脱落や,家の破損が無いことを確認。玄関を開けたところ,玄関口からモノが津波のように氾濫し,玄関口から進めない状態。
まずは玄関口の整理を子供らと行いました。そのうち妻も家に帰宅。
たまたま学校の児童を帰宅させた直後に地震発生,妻の学校が地域の避難場所のはなかったので,直ぐに帰宅できたとのこと。(私自身,妻の帰宅はもしかしたら無いのかと思ってました。)
家族4人で玄関口,リビングを片付け。地域は停電,水はまだ断水しておらず使える状態,ガスはプロパンガスなので緊急復帰はできましたが,台所はモノが氾濫して料理できる状態ではないため,ガスカートリッチタイプのガスコンロを家の中から探し出し,玄関先で妻と子供らは料理開始。
私はというとスーパーとコンビニが開いていないか確認(開いていれば食料と乾電池の購入)のため徒歩で町内偵察。

夕暮れと停電のため,信号の点灯無く薄暗い道路にクルマが渋滞している状況。結局スーパーもコンビニも閉店状態。停電のため周りの明かりがないので星が気味悪いぐらい良く見えました。
停電の中夕食作りに家族で悪戦苦闘し,夕食になったのは夜20時過ぎ。
乾電池ランタンでリビングを照らし,スープ,ウインナー,そして保存用に取っておいた餅で夕食。
情報といえばラジオ(手巻き充電式)からの近隣情報。そしてDSワンセグTVからの近隣情報。岩手,宮城が壊滅状態らしいとの情報が入るが,それよりも自分の地域の情報を得ることに必死でした。
深夜断水するとの情報を得て,家にある水筒やコップ,バケツ,お風呂の浴槽に水を貯めました。
寝床は特にモノを置かない場所でしたので地震の被害無く家族で就寝することができ,私もいつもよりも早い22時には就寝。何度も余震があったようですが気づかず眠っていたようです。

3月12日
朝5時10分起床。食料確保と周辺状況確認で,早朝クルマ(タウンボックス)で町内・市内巡回。
(走行中はクルマ用携帯充電器で携帯のバッテリーを充電)
1時間ほど巡回し,開いているコンビニを発見。停電のため暗い店内で電卓で計算対応。おにぎり・パン・水・お弁当が数多くあり,おにぎり,パン,水,新聞を購入。(失敗したのは,このコンビニで乾電池を買うことを忘れたこと)

自宅に戻り,妻から携帯のバッテリーが残り少ないというので,クルマ用の携帯充電器で妻の携帯のバッテリーを自分のクルマ(タウンボックス)で充電。7時には家族全員起床し,朝食としてさっき買ってきたおにぎりを食べつつ,新聞で昨日の状況(自分の地域が震度6強!)の大きさを初めて理解しました。
地域は断水状態のため,朝食終了後3Lの携行ポリタンクを持って避難所の小学校でまで徒歩で水を貰いに行きました。水に貰いに行った頃は給水が始まったばかりでしたので,列も短かったのであまり待つ事無く貰えました。ただ,でっかいポリバケツを持ってくるおばさんを見て,「自分が使う分だけ貰えば,他の人にもいきわたるのに」と思いました。

学校から家に戻り,燃料(ガソリン)の消費を抑えるため,2階の部屋の奥から何とか自転車(ピナレロ・パリ)とその他自転車用具(メット,ポンプ)を引き出し,乾電池やその他非常食料(SOYJOYやヴィターinゼリー)買いだしのため自転車で町内や隣の市までスーパー,コンビニ,大型電気店まわりをしました。
スーパーは店頭前でカップ麺や水の販売のみ,コンビニ3件まわりましたが乾電池&非常食は全て売り切れ。大型電気店(コジマ電機)で単2&3電池,単3→単1電池アダプタ,非常食料(SOYJOY,ヴィターinゼリー)を購入できました。

自宅に帰宅すると既に昼食。子供らが玄関先に置いてあるガスコンロで焼いた餅を食べました。
午後はCDラジカセに買ってきた単2電池を入れて,地元のFMラジオ局を聴いていると,少しづつ停電が解消されてガソリンスタンドが開きだした情報と自宅からクルマで20分程度の温泉で無料開放を行うとの情報が。昨日からお風呂も入ってなく,さっき自転車で走りまわっていたので,無性に温泉が恋しくなり,妻も温泉行きたいと言っていたので,家族で無料開放している温泉場までクルマ(妻のデミオ)で行きました。温泉場に行ってみると,あまり混んでなくゆっくり温泉につかりました。

温泉に出てから,広間に行くとNHKのニュースが。ここで初めて福島原発のニュースを知りました。
NHKのニュースで重い気持ちになりながら,FMラジオ局で聴いたガソリンが入れられる地域が近かったのでガソリンが給油できる場所へクルマを走らせました。開いていたガソリンスタンドはとても小さな地元の地域のスタンドで10L制限でしたが半分を切っていたのでとても助かりました。
ただこれでは妻の出勤状況では来週一杯もつのかと思いながら,クルマは自宅へ。
周囲の道路の信号も点灯し停電は解消されつつあり,自宅付近の道路でも信号は点灯。
すぐさま近くのガソリンスタンドへ行くと開店してました。タイミングが良く,給油の列も短く,20L制限でしたが,半分以上まで補給できました。

自宅に戻ると停電は解消され,台所の片付けもできたのでガスも使えるようになり,水はまだ断水でしたがとりあえずは「普通の生活」に。
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他の被災地に比べれば,たいしたことは無いですが,地震で机の下で避難していたときは建物の揺れの大きさや破損の状況で「もう駄目だ」と思ったことは事実。
あとで読み返して,「地震のために何を準備すべきか」を考えるきっかけとして記載しました。
Posted at 2011/03/18 17:44:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の出来事 | 日記

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