争点は認知症高齢者を介護する家族の監督義務。民法714条では、認知症などが原因で責任能力がない人が損害を与えた場合、被害者救済として「監督義務者」が原則として賠償責任を負うと規定している。1審名古屋地裁は、「目を離さず見守ることを怠った」と男性の妻の責任を認定。長男も「事実上の監督者で適切な措置を取らなかった」として2人に請求通り720万円の賠償を命令した。2審名古屋高裁は「20年以上男性と別居しており、監督者に該当しない」として長男への請求を棄却。妻の責任は1審に続き認定し、359万円の支払いを命じた。
ただ、同居していた妻は高齢の上、「要介護1」の認定を受けていたなど「監督義務を負わせるのは酷だ」と、1、2審判決に批判も多い。また、介護の方針を決定していたとされる長男の責任についても、認知症を抱える家族らから「同居していない家族に責任を負わせれば、家族による積極関与が失われ、介護の現場は崩壊する」と反発が出ていた。
平成19年12月7日、愛知県大府市で徘徊症状のある男性が電車にはねられ死亡。男性は当時「要介護4」の認定を受けていたが、同居していた当時85歳の妻らが目を離したすきに男性は外出していた。事故後、JR東海と遺族は賠償について協議したが合意に至らず、22年、JR側が「運行に支障が出た」として遺族に720万円の支払いを求めて提訴した。
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仮に高齢者の4人に1人が認知症予備軍であるとするなら、マツコ・デラックス氏どころの騒ぎではなく、これはもう誰が何といっても立派なマジョリティだ。
つまり、私の問題あなたの問題である。
民法は、子どもや精神障害者が他人に損害を与えても賠償責任を負わないとした上で、被害救済のため親や家族らが監督義務者として原則的に責任を負うと定めている。
だから今回の訴訟では、認知症の人を介護する家族の監督義務の有無が争点となった。
同時に、最高裁の判断は今後の介護のあり方にも大きな影響を与える可能性があるので、メディアも注目していたのである。
で、肝心の家族が監督義務者にあたるかどうかだが、監督が可能で容易な立場だったかなどを総合的に考慮すべきだとする初判断を示し、その結果、本事例では妻及び長男は監督義務者にあたらないとした。
ただし5人の裁判官のうち2人が、「長男は監督義務者にあたるが、自分の妻を男性の近くに住まわせるなど義務を尽くしており、免責される」という意見を付けたのは注目すべきだ。
85歳の妻は自らが要介護1にもかかわらず、我が亭主のことゆえ何とか面倒見ようとしていた。
また東京在住の長男も、自分の代わりに妻を両親のもとにやり介護させていた・・・要するに、家族としてできる範囲のことはやり遂げた上での悲劇・・・というのが今回の判決のポイントであり、とても腑に落ちる。
したがって、監督義務があるのに認知症の人を故意に放置していた家族に対しては、賠償責任を負う余地を残したわけであり、この判決をもって被害者は全て泣き寝入りというのはあたらないと考える。
高齢者ドライバーの高速道路逆走事故については保険が適用されるのだろうが、今回の事例を通して思うのは、近い将来、そういった種類の保険加入を社会全体で考慮せざるを得なくなるのでは・・・ということだ。
現状老々介護は当たり前。早晩、認知症の人が認知症の家族を介護する認々介護が差し迫った問題となるに違いない。
政治家も官僚も学識者も誠に心もとない限りだが、あるべき制度設計も含め、現場が諦めず声をあげていくしかないのだろう。
さて、お話し変わって一昨日、東京都美術館のボッティチェリ展に行ってみた。
元々月曜は休館日なのだが、障害者を対象とした特別鑑賞会に当選したのである。
恒例により、ボッティチェリのプロフィールをひとくさり・・・。
15世紀後半の初期ルネッサンスで最も業績を残したフィレンツェ派を代表する画家。
明確な輪郭線と、繊細でありながら古典を感じさせる優美で洗練された線描手法を用いて、牧歌的で大らかな人文主義的傾向の強い作品を手がけ、当時、フィレンツェの絶対的な権力者であったメディチ家から高い信用を得る。
その特徴的な表現は、初期ルネサンスとフィレンツェ派の典型として広く認知されている。皮なめし職人の子供として1445年に生を受け、生涯独身をとおす。
画僧フィリッポ・リッピの元で修行を行い、当時の花形工房であったヴェロッキオの工房とも関係を持つ。1470年に制作された商業裁判所のための寓意画『剛殺』が初作品。
以降約20年間にわたり時の権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として活躍。
1481年ローマに呼ばれシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わる。
同年代には春(ラ・プリマベーラ)やビーナスの誕生など異教的な神話を題材にした傑作を残すが、晩年はサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変。
サヴォナローラの失策もあり人気が急落、ついには画業を止めるに至った。
最晩年は孤独のうちに死去。享年65歳。
9時10分、輸送機にて自宅を出発。
飯田橋で首都高を下り、10時15分トウチャコである。
身障者用スペースに止めさせて頂く。
地下1階で受付を済ませる。
シャアとメーテルでお馴染み、豪華両声優がナレーションしてくれる520円也の音声ガイド機をお借りし、会場に入る。
左奥にいきなりの東方三博士の礼拝。
救世主イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の王(メルヒオール・カスパル・バルタザールとされる)が、エルサレムでヘロデ王にその出生地を聞いた後、星に導かれベツレヘムの地でイエスを礼拝する場面だ。
ボッティチェリの最も著名な作品として広く世に知られている。
大きな特徴は、権力者でありメディチ家の主人だった人物や、当時の知識人などが描き込まれている点。
そして何より、右下にボッティチェリ本人がとてもハンサムに描かれている。
この時点で小生は確信した。ボッティチェリはかなりのナルシストであると。
まぁ、芸術家にはよくあること・・・。
次に、師匠であるフィリッポ・リッピ(←この方、僧でありながら教会から修道女を奪い、駆け落ちしたそうですゾ・・・素敵!)の工房の作品が続く。
バラ園の聖母が美しい。
1階に上がり、すぐの中央に書斎の聖アウグスティヌス。
007のショーン・コネリーがモデルかと思うほどよく似ている。
ラテン教会四大博士のひとりで、キリスト教で最も著名な聖人だそうである。
我が家に持ち帰りたかった作品NO1は、やはり美しきシモネッタの肖像。
15世紀のフィレンツェは、古代ローマ時代に花の女神フローラの町といわれた。
交易や毛織物業で栄えたフィレンツェに、金融業で財を成したメディチ家の当主ロレンツォ・デ・メディチにより、ルネッサンスの華が咲きはじめる。
当時ロレンツォはカレッジと呼ばれる別荘を建て、絶対支配のキリスト教に対し古代ギリシャやローマの神々、新プラトン主義を志向した。そして幾多の画家、詩人、哲学者を集めた。
時代は、歴史的文化革命=ルネッサンスの黄金時代を迎える。
その中心的な女性像として、フィレンツェ市民に愛された絶世の美女シモネッタは、ボッティチェリはもとより、レオナルド・ダ・ヴィンチらの絵画にもルネサンスの総てをまとい「時代の女神」として登場するのである。
しかし、美人薄命は世の習い。肺結核のため23歳でこの世を去ったシモネッタ。彼女の死を悲しんで、フィレンツェ中の鐘が一斉に鳴り響いたという。
ボッティチェリが描く女性には、ある種のパターン(面長の顔だち、広い額、ウエーブのかかったブロンドの髪など)が見られる。
その女性像の原型がシモネッタではないかとの説が有力らしいが、いずれにしても、美しきシモネッタの肖像に描かれた彼女は、まるでサイレント映画のスターそのものである。
今でもこの絵が丸紅本社にあるのか、学芸員の方に聞きそびれてしまった。
次に進むと、これまた有名なアペレスの誹謗。
ボッティチェリは当時、フィレンツェを支配していたメディチ家を批判し、メディチ家当主ロレンツォの死後、失墜したメディチ家に替わり、政治顧問として神政政治を執り行ったドミニコ会の修道士ジロラモ・サヴォナローラに強い思想的影響を受けた。
同時に、その表現様式も大きく変化させていった。
誹謗は、その頃に制作された作品で、1480年代のボッティチェリ独特のルネサンス的な表現は消え失せている。
即ち、暗く神秘的な瞑想と緊張感に溢れていて、ボッティチェリ自身の衰運を暗示しているような印象を受ける。
本作の主題「誹謗」の解釈は諸説唱えられているものの、現在では
①サヴォナローラに傾倒した画家本人へ対する誹謗への抗議
②サヴォナローラの厳格な政治的態度に対する誹謗への抗議
③画家に対してかけられた同性愛疑惑に対する抗議
と、3つの説が有力視されているらしい。
次は師匠の息子であり、ボッティチェリの弟子でもあり、またライバルでもあるフィリピーノ・リッピの絵画が並ぶ。
円形画と三連画の美しさが目を引く。
気がつけば14時近くなっていた。どおりで腹が減るわけである。
2階のレストランに行くと、6人ほど並んでいた。
1階にも喫茶室があったのだが、面倒くさかったのでそのまま待つことにした。
小生の後ろに、同年代と思われるお姉様が二人並んだ。うち一人は松葉杖だ。
見るともなしに横目でチラっと拝見すると、松葉杖の女性に確かに見覚えがある。
たぶん初恋の人だ・・・。少し心臓の鼓動が早くなる。
お姉様がたは、ぺちゃくちゃと喋り出したが、ここでひるんではいられない。
松葉杖のお姉様のほうに思い切って声をお掛けした。
「あの~、失礼ですが間違ったらゴメンナサイ。小学生の時、YMCAの山中湖キャンプにいらっしゃいませんでしたか・・・?」
「はい。行きましたけど・・・。あなたもいらしたの?」
やはり小生の記憶は正しかった。
48年ぶりに初恋の人と遭遇したのだ。
山中湖キャンプとは、東京YMCA・日本肢体不自由児協会・毎日新聞東京社会事業団が主催する、手足が不自由な子どもを対象にした夏休みの体験型キャンプのことである。
まず、年齢別に5~6人の障害児と複数の大学生ボランティアが生活の単位としてのグループをつくり、バンガローに寝泊まりする。食堂とトイレと風呂場は共用である。
全体会以外のプログラムは子どもたち自身で話し合い、自由時間をどのように過ごすか責任をもって決めていく。
小学3年から高校3年まで、男女合わせて50名が対象なので、当然バンガローは男女別だし、ボランティアの大学生も同性である。
ちなみに小生は、小5と小6の時に参加したのだが、初恋の人は1歳年上だった。
小学生はジュニア、中学生はミドラー、高校生はシニアと呼ばれ、別々に行動するので、彼女とお話しできるチャンスは小5の時だけだったと記憶している。
唐突だが、今の藤蔵の骨格をつくってくれたのは紛れもなくこの山中湖キャンプである。
親から離れて初めて生活したのもこのキャンプだし、他者との関係性、個と組織との関係性、自立とは何か、責任とはどういうものか・・・そういう大切なことを体験を通して教えてくれた貴重な6日間だった。
で、お友達の女性の方には割り込む形で申し訳なかったのだが、昔話に花が咲き、3人でランチの時間を過ごすことになった。
初恋の人はIさんと苗字が変わったが、ヘアスタイルも話し方も48年前と同じく、ちょっと宝塚の男役ぽくって嬉しかった。
ルネッサンス黄金期の絵画を堪能させて頂いた上、憧れの人に48年ぶりに遭遇するとはまさに僥倖である。
こういう貴重な機会を設けて下さったすべての方に感謝。
16時15分、帰宅。
下宿のオバサンに一部始終を包み隠さず報告する。
音を鳴らすことが大好きだったから、音が出るおもちゃを持たせ、キーボードの鍵盤に触れさせて遊ばせた。
成人すると介護の負担は増した。家の中でも車いすで移動させており、体重50キロ前後の次男を車いすに乗せたり、降ろしたりするのは重労働で、母親は腰痛に苦しんだ。次男は夜に布団からはい出すことも多く、母親は寝不足になった。
07年に夫が亡くなってからは母親が全てを一人でこなした。11年に別居していた長男が同居してくれた。母親と長男は大阪市此花区の障害者向け施設「アミティ舞洲」に次男を連れて行き、入浴や食事を楽しませた。
ただ、母親は12年には医師にうつ状態と診断され、抗うつ剤を飲んだ。ストレスをためた長男から暴言をはかれることも増えた。
事件前日。母親はケアマネジャーに自分自身が施設に入りたいと訴えた。翌朝、押し入れにしまっていた腰ひもを取り出し、布団で寝ていた次男の首に巻きつけて絞めた。1、2分たつと、次男は「うーうー」と声をあげて絶命したという。
裁判の被告人質問で母親はこう弁解した。「介護に明け暮れる生活に疲れた。でも、私が施設に入って長男だけになったら次男の介護はできないと思った」
母親と次男は11年までの約15年間、奈良県大和郡山市に住んでいた。当時の自宅の向かいでたばこ屋を営む女性(72)は取材に「母親と車いすの次男が玄関先で日光浴するのをよく見かけた」と話した。次男は体を揺すりながらうれしそうに声をあげ、母親は目を細めていたという。
事件当日、息をしない次男を見て涙を流した長男は法廷でこう証言した。「私は約4年前に弟の介護を始めて人を愛することを知ったが、介護自体はつらかった。それを44年続けた母親のつらさは想像を絶するものだと思う。弟にも人権はあるが、弟は立派に生きた。私は母を許している」
地裁は2月4日、母親に懲役2年6月(求刑・懲役5年)の実刑を言い渡した。半世紀近い介護生活の苦労に同情しつつ、身勝手な犯行だと母親を批判した。弁護側は執行猶予を求めて控訴した。
川崎医療福祉大(岡山県倉敷市)の岡田喜篤前学長によると、重度の知的障害と肢体不自由を併せもつ重症心身障害児・者は2012年4月時点で全国に約4万3000人と推計される。うち約7割の約2万9000人は自宅で家族らの介護を受けて暮らしている。介護する親の高齢化が進んでおり、「自分が死んだら子供はどうなるのか」と悩む人が増えているという。
岡田前学長は「長年介護を頑張ってきた親ほど、『まだできる』と無理する傾向がある。しかし、高齢者に重度障害者の介護は相当な負担だ。家族の状況次第では、専門家が助言して施設などが介護を担う仕組み作りを急がないと、悲劇は繰り返されるだろう」と指摘する。
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障害を持って生まれてきた小生には、この母親の哀しさが十分過ぎるほどわかる気がする。
先天性障害者の母は程度の差こそあれ、常に子どもと一心同体だ。
彼女たちは、多かれ少なかれ罪の意識にさいなまれている。
決して彼女たちのせいではないのに、我が子に十字架を背負わしてしまったという言いようのない心の負担・・・。
この母親の場合、そういったプレッシャーが44年間続いたのである。
何かのきっかけで心身のバランスが崩れても、それはむしろ当たり前なのかもしれない。
しかし、殺された次男の無念さはもっとわかる。
どんなに重い障害を持って生まれてこようが、子どもは親の所有物ではない。
この世に生を受けたその時から、独立した人格であることが保障されなければならないのだ。
たとえ石原慎太郎から、「この人たちは存在する意味があるのかね?」と言われても・・・。
さて、今週も輸送機で出掛けてみた。
珍しく月曜に開いている近くのVWへ
火曜は、宇都宮インターの近くの店に餃子を求めに行ったが、更地になっていたため大谷PAへ
3箱購入
水曜は1か月点検。エンジンオイルを交換してもらっているうちにパチリ
木曜は検診&歯垢除去のため歯科診療所へ行く
金曜はリフトにトラブルがあり、加須の秘密工場へ
左側の脚の部分が内側に曲がってしまったため、ストッパーが正常に作動しなくなった
真っ直ぐになるよう溶接し、補強してもらう。
帰宅したらちょうど1000キロになっていた
来週は東京都美術館に出向く予定である
クックCEOは公開書簡で「FBIはセキュリティーを回避する新しいソフトウエアを作ってほしいのだ」と批判し「悪用された場合、全てのロックが解除される可能性がある」と危険性を訴えた。解除の技術は数千万の鍵を開けられるマスターキーに相当し、政府のプライバシー侵害が拡大する恐れがあると指摘した。同社は近く異議を申し立てる方針。
アーネスト大統領報道官は17日、「単に一つの端末に影響を与えるものを頼んでいるだけだ」と強調した。大統領選に向けた共和党の候補者指名争いで首位を走る不動産王ドナルド・トランプ氏(69)は同日、テレビ番組で「裁判所に100%同意する。解除すべきだ」と同社を批判、「14人が殺された。警戒が必要だ」と語り、安全保障を優先すべきだという考えを示した。
国家安全保障局(NSA)による個人情報収集活動を中央情報局(CIA)元職員が暴露して以降、米国では当局への不信感が高まっており、IT企業は当局への協力に消極的な姿勢を見せている。
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それは小生の偏見と先入観だろうというお叱りを承知で申し上げるなら、キリスト教教育は、絶対神に従うことにより、この世の一切の権力に服従しない自由と自律した人格形成を目的にしている。
つまり、国家への奉仕を超えた人間の育成を目指しているわけだから、国家規範と対立するのは至極当然だ。
クック氏がキリスト教徒かどうかは知らないが、そのことはこの際あまり重要ではない。
言いたいのは、キリスト教圏に生活する人たちの根底に流れている精神的背景のことである。
さて今回、FBIはアップルに対し、持ち主以外の第三者によるアクセスをブロックできる機能を外すよう求めている。
小生が愛用しているのは未だにガラケーだが、それでも契約時に4桁の暗証番号を登録させられた。これはまぎれもなく、第三者ブロック用。
それならFBIが、当該機種に設定されている4桁の暗証番号を0000から9999まで順番に入力すればことは済むのではと思うが、そうはいかない。
なぜかというと、0000と入力した途端エラーと表示され、5分間入力できず、次に0001と入力しエラーになった場合には、今度は10分間入力できない・・・という仕掛けになっているらしいのだ。
ところで、アメリカのIT企業はいつもFBIに非協力的なのかといえば、そうでもないようだ。これまでにも、個別の要請により暗証番号を教えたことは70件あまりを数えるとのこと。
それでは、今回なぜ裁判所の命令を拒むのか・・・。
FBIはあくまでも、ロック解除を求めているのは容疑者のアイフォーン1台だけだと主張しているが、クック氏は恐ろしい前例をつくるものだとして、解除拒否を公開書簡で表明している。
ロサンゼルス連邦地方裁判所は16日、FBIによるアップルへのロック解除要求を認め、同社に対し「妥当な技術支援」を行うよう命じたのだが、まさに同氏が問題にしているのが技術援助の内容だ。
同氏はその内容を次のように明かしている。即ち、
➀政府が、同社に対しセキュリティー機能を外し、アイフォーンの基本ソフトにパスコードを電子的にインストールできる新たな性能を持たせるよう求めていること
②当局がメッセージを傍受したり、医療記録にアクセスしたりすることを可能にする監視ソフトウェアを作成するよう求めていること
同氏の言い分を鵜呑みにするなら、ロック解除が容疑者のアイフォーン1台だけだとの主張はあたらないということになる。
この事例を通して考えさせられることはいくつかあるが、主題はやはり自由と規制のバランスだろう。
自由の観念とは、本来、規制のない状態を選好することを意味する。
しかし、自由放任は必ず優勝劣敗・弱肉強食を招来する。
だから、弱者の自由を保障するために弱者の保護が必要となる。
保護イコール規制の体系のこと。つまり、強者に対しては抑圧の制限という規制、一方弱者に対する開放の促進という規制・・・。
これらの規制があってはじめて、弱者保護が現実のものとなるのである。
こうして自由の観念は、おおよその場合、規制の観念へと逆転する。
自由を金科玉条とする民主主義もまた同様。
多数参加の多数決制としての民主主義とは、少数者をあらまほしき規制への反対者と位置づけて排除する集団的意思決定方式のこと。言い換えれば、多数者の保護を狙った制度にほかならない。
しかし人間とは滑稽なもので、一般に多数者は、自分たちは抑圧される側に所属していると信じて疑わないため、これもまた、弱者の自由のための弱者保護という図式になるのだ。
このようにわざわざ皮肉な見方をしなくとも、自由と規制はまさに表裏一体。
長年にわたり佳き家庭を築いてきた夫婦のようなものである。
夫がワンマン過ぎても、また妻が出しゃばり過ぎてもうまくいかない。
アメリカのこの事例は、自由の過剰・規制の過剰がいかに国家と国民にとって有害であるかを示してくれるような気がする。
そこで自称エセ競馬評論家の小生が、本事例の行方を占ってみる。
結果はずばり、クックCEOの勝ちと予想する。
その根拠は、いわゆる高度な政治的判断を優先させるだろうと考えたからである。
判断にあたり重要なのは、スマートフォンの「バックドア」を必死に見つけようとしている中国の存在だ。つまり、今回のアップルに対する命令により、中国はあらゆる端末にアクセスする企みを加速させるに違いない。
それでなくとも中国は、暗号化された情報を解除するための電子キーをつくるべきだと主張してきた。そして昨年12月、暗号解読の支援を企業に義務付ける反テロリズム法を成立させた国家なのである。
いずれにせよ、世界の警察官をめでたく退職したアメリカが、どのようにして自由と規制の均衡を保持していくのか・・・大いに注目していきたいものだ。
さて、発狂文はこのくらいにし、18日に毒蝮三太夫氏が講演するというので行ってみた。
もっともこの会場でも、自由と規制について考えさせられるある事例が発生したのだが・・・。
1.日時 2016年2月18日 15時~
2.場所 おらが町の市民会館
3.主催 隣町の商工会議所
4.内容 毒蝮三太夫氏講演 「マムシ流 元気で長生きするコツさせるコツ」
13時15分、トウチャコである。
中国のバックドアはさておき、我が輸送機のバックドアは作業の甲斐あり改善された模様。
身障者用スペースに止めさせて頂く。
講演会の開始は15時だが、13時20分の時点ですでにかなりの行列である。
主催者より消防法の関係があるため、座席数188名+立ち見席20名の計208名が受付先着順により入場できるとの説明がある。
13時50分、満員となり受付が締切られる。
この公民館は車いす用の席がないため、小生は立ち見席で拝見することになった。
ホールに入る。
キャパシティが188名の小さな部屋なので、後ろの方の立見席からでも壇上がよく見える。
第一、桑田真澄氏の講演会とは違い無料なのだから、文句を言ったら罰が当たるというものだ。
小生、人見知りせず話好きなものだから、案内して下さった年配の男性スタッフの方と世間話をしていたところ、1メートル横で事件は起こった。
歳の頃は70くらいだろうか、やせ形で黒いカーディガンを羽織った小柄な夫人が、目尻をつり上げ大声を張り上げている。概ねこんなやり取りである。
夫人
「こんなに立ち見席に空きがあるのに、入場させないなんて人権蹂躙だ」
男性スタッフ
「申し訳ございませんが、消防署から指導がありましてこれ以上は無理なんです」
夫人
「TBSラジオに電話してやる。こんな酷いこと毒蝮は許さないぞ」
男性スタッフ
「お気持ちはわかりますが、先着順と立て看板にも表示してございますので」
夫人
「じゃあ、1番目の客は何時に来た」
男性スタッフ
「確か11時50分頃かと記憶しております」
夫人
「ウソつくんじゃない。アタシは見に来たんだ。その時間なら誰もいなかった」
男性スタッフ
「万一火事や地震が起きた場合、重大な事態にもなりかねません」
夫人
「その時はちゃんと誘導すればいいだろ。それがあんたたちの仕事だよ」
男性スタッフ
「私どももボランティアでやっているので、どうぞご理解下さい」
夫人
「ホントに毒蝮に言いつけるよ。TBSラジオでも問題になるよ」
男性スタッフ
「どうかご理解頂きますようお願いいたします」
夫人
「毒蝮が来たらアタシもまた来るからね。よく覚えといてよ」
そう捨て台詞を残し、夫人はフロアの方に去っていった。
臨教審に大きな影響を持ったといわれている、1984年「世界を考える京都座会」における議論では、躾けと規範の重要性が指摘されている。
呼びかけ人であった松下幸之助は、規範教育の大切さを次のように主張した。
「小学生くらいまでに、人間としての基本的なことをしっかりと教え躾ける必要がある。にもかかわらず、我が国において不十分な状況にある。その要因としてまず考えられることは、太平洋戦争後、子どもを躾けるべき人間として大切なことがあいまいになっている。かつて我が国は、子どもに教えるべき規範をかなりはっきりした形で持っていた。そこに盛り込まれた徳目も、かなりの部分は今日にも十分生かして用いることができるものだと思う。今私たちはあらためて子どもたちに人間としての規範を教え、躾けることを見直し、その内容を人間としてのあるべき姿、理想像に基いて明確なものにしていかなければならないと思うのであります。」
これに対して寺崎昌男は、
「中空に浮いたものとしての規範が予定され、教え込まれるとき、その規範は政治的意向によっては、もっと異質な価値に置き換えられる危険性を絶えず持っている。」
と指摘している。
14時55分、毒蝮三太夫氏登壇。
と同時に、恐らく毒蝮氏が直接手渡したであろうマムシのマークが入った千社札を握りしめたオバサマの一団が、20人ほどホールの中にドカドカと侵入してくる。
どうやら入場券のつもりでいるらしい。
中には、小生の車いすの操作盤部分にものすごい勢いでぶつかってきたオバサマもいた。
件の、70歳位の、やせ形で黒いカーディガンを羽織った小柄な夫人は、最前列中央の後ろの階段部分に腰を掛け、何やらご満悦の様子である。
誰がどのような理由でホールに入場させたのか、スタッフでない小生には知る由もない。
ただし、公平・公正といった観点からいえば、彼女たちより先に来たのにもかかわらず、帰された方たちも相当数いたということは指摘されるべきだろう。
で、肝心の講演内容だが、思った通り講演ではなく漫談であった。
やはり野に置けレンゲ草・・・。毒蝮氏は、爺さん婆さんをいじってナンボの人だ。
結局、TBSラジオのミュージックプレゼントの方が数段面白かったのである。
来年4月の消費税10%への引き上げ時、酒類と外食を除く食品全般は軽減税8%となる。
民主党の古川元久元国家戦略担当相が
「飼い主も食べられるペットフードも軽減税率の対象か」
と質問したのに対し、財務省の見解は「ペット用は10%だが、食品表示法の基準を満たし、人が食べられるものは8%」。
首相は「中身は(人間用と)全く同じだった。人が食べるものであれば食品表示法の基準を上回らないといけない」と強調した。
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あまりに馬鹿げた質問・・・と感じる方もおられるだろうが、小生は致し方ないと思っている。
馬鹿げた制度を始めるための議論なのだから、こういう内容の質問になるのは至極当然だ。
そんなことより、小生はある仮説を立ててみたのである。
安倍総理は、わざと昭恵夫人にペット用健康食品を飲ませたのではないか・・・と。
実は以前、タロウの缶詰をひと口ふた口頂戴したことがある。
寝酒のお供の6Pチーズが空になってしまい、電動車いすでセブンイレブンに行くには酔っぱらってるし、鼻から提灯の下宿のオバサンを起こすのも恐ろしいしというわけで、酩酊状態も手伝っての小さな冒険。
で、その味は・・・うん、案外いける。
薄味のコンビーフである。
したがって、味にしまりはない。しかしコンビーフなどというものは、ハムやソーセージと違って元々が薄味なので、十分許容範囲だ。
今考えれば、いつかは犬の餌を喰ってみたいという深層心理を実現しただけの話なのかもしれないが。
だから総理も、夜遊びを重ねている昭恵夫人をちょっとだけ懲らしめてやろうという心理が働き、ペット用健康食品を渡したとしても何ら不思議はない。
しかし、その気持ちが心を占める割合は50%だろう。
残りの50%は、真実健康に気を付けてほしいという気持ち。長年連れ添った夫婦とはそういうものである。
まぁ昭恵夫人の場合は健康食品だから、タロウの缶詰と違って、しまらない味もへったくれもありませんがね・・・。
しまらないといえば、今朝K税務署に申告しに行こうと思い、8時前にエスクァイア号に乗り込んだところ、バックドアが閉まらなくなってしまった。
閉まらない
閉まらない
税務署には戦闘機で突っ込むべきだったか
ひょっとしてバッテリーの関係かと思い、エアコンを切り、室内灯を消し、ご近所に迷惑が掛からぬ程度にエンジンを吹かしながらリモコンのCLOSEボタンを押す。
「カシャッ」と電気信号音のようなものがかすかに聞こえるが、バックドアはピクリともしない。
電池切れなどでリモコンが作動しなくなった時のために、リフトの近くに本スイッチがあるのだが、これを操作してもダメ。
リフトが正確に格納されていないとセンサーが働き、バックドアが閉まらないことを知っていたので、再度格納するがドアは動かない。
ハーネスかコネクターかドアヒンジかバッテリーか、それとも別の個所に問題があるのか・・・。絶望的機械音痴の小生にわかるはずもない。
10回ほどリモコンと本スイッチのCLOSEボタンを押したが、徒労に終わる。
9時になったので、改造をお願いした加須の秘密工場に電話する。
結果、車いすの小生では無理なため、ディーラーの担当者Nさんに手動(これには数々の作法があるとのこと)でバックドアを閉めてもらい、加須の工場に出向くことになった。
10時20分、ディーラーのNさんが自宅にトウチャコ。
試しにドアヒンジ部分を何度か強く揺すってもらい、本スイッチを押すとバックドアはギーッといいようやく閉まった。
以後、リモコンの開閉も可能となる。
11時5分、加須の工場にトウチャコである。
バックドアが閉まった際の状況を説明し、怪しい箇所をみてもらうことにした
小生が応接間で昼食をご馳走になっている時も、熱心に作業をして頂いた
結局、100%ここだという原因の特定はできなかったが、可能性の高い場所の部品交換やグラインダーで削るなどの作業を実施してもらう。
なお、再度同様の症状が現れた場合には、出張により対応して下さることになった。
元来実験的車両の性格が強いクルマなので、この程度のトラブルは織り込み済みである。
返す刀で、K税務署に突撃。
14時20分、トウチャコ。
今年の入力用PCは44番。これで我が巨人軍の大田泰示の活躍は約束されたようなものである。
赤いジャンバーを着た堀北真希似の美女のサポートを受けながら、申告書を作成する。
45分ほどで完了。真希様、お世話になりました。
みんカラの会員の皆様に比べれば、雀の涙程度の納税額だが、今年もまた税務署を訪れることができ幸せである。
しかし、所詮ケチな小博打を生業としている浮き草稼業の身。
来年も税務署に来られるかどうかは、神仏のみがご存じなのである。
15時55分、帰宅。
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