ちょっと前の事ですが・・・
コンビニで買い物中に見つけた雑誌。
デイトナ誌9月号。
「む?スーパーカーブーム再び?」
・・・こいつは見逃せない。
サクッと内容を確認のためページをパラパラ・・・
んん?
オカシイな。そんな記事載ってないじゃん。。。
!!あ。。。
早とちりでした・・・(-_-;)
スーパーカーではなく・・・スーパーカブ。。。
ふ~・・・紛らわしい。
いや、雑誌は悪く無いんですけど。
でもおかげで面白い記事を見つけた!
所さんが最近見つけて入手したというメタルモデル。
「おお~っ!スピットファイアじゃないですか!!」
これはカッコいい。MkⅠかMkⅡですね。
実機はこんなにキレイじゃない(風圧で表面が凸凹してる)のでプラモの上にアルミテープを貼って実機さながらに再現するという企画。
P47サンダーボルトを使うあたり分かってます。
そして、さらにページを捲ると!!
おおっと!!
何じゃ!?このスピットファイア!!
さっきの模型というか・・・まるでP51Dムスタングのようなジュラルミン素地のボディー!!
カ・・カッコ良すぎる。
何でもレストアしたこのスピットファイアが世界一周のフライトをする企画があるらしい。日本にも来るとか!
スピットファイアは個人的に第二次大戦機で最も美しい戦闘機とは思っていたが、ココでは「世界で最も美しい航空機」と形容されてる。
・・・確かに、納得。。。
何故ならスピット以上に美しい機を挙げろと言われても何も浮かんで来ないのだから。それにしても見慣れたRAF(イギリス空軍)の迷彩塗装からシンプルな仕上げになった事で本来の美しさが際立ってる事!
大英帝国の守護神、「スピットファイア」とは一体どんな戦闘機だったのか。
記事でも書かれてはいますが少し補足しときます。
設計者はレジナルド・ジョセフ・ミッチェル。
22歳でスーパーマリン航空機製作会社に入社、25歳で若くして主任設計技師となった。当時、同社は水上機の開発・生産が主でありヨーロッパ各国では航空機の速度記録のエアレースが盛んで、当然その技術は各国の空軍も活かそうと目論んでいた。ミッチェルが設計した機は1927~1931年のエアレースで3連覇を成し、イギリス空軍が1934年に出した時期戦闘機の要求仕様書の競作に挑みスピットファイアの試作機が見事採用された。
それは非常に洗練された機体であり、同じエンジンを搭載した他の機より最高速で60Km上回り570Kmに達していた。
この時、実はミッチェルは癌を患っており医師からもこのままのペースで働く事は余命をさらに縮めると宣告されていたのだ。
しかし休暇旅行で訪れたオーストリアでナチス・ドイツの増大した軍備を目にし、彼は自らの命を削る覚悟でスピットファイアを完成させたのだ。
エンジンはロールスロイス・マーリン液冷V12(1060hp)。
空軍はその高性能から300機あまりの発注をしたが1937年12月、ミッチェルは42歳の若さで生産1号機を見る事無くこの世を去ってしまった。
イギリス空軍にとって幸運だったのはスピット開発の跡を継いだジョセフ・スミス技師が有能だった事だ。
彼はミッチェルの元で働いていたがスピットを熟知していた。
スピットファイアの特徴である、流れるようなボディーと楕円形で幅の広い、薄い翼は高速と旋回性能を両立させた。
まるで蝶のように美しい戦闘機だ。
そして世界最大規模の航空機戦「バトルオブブリテン」でドイツ空軍と熾烈な戦いを演じた。とりわけメッサーシュミットとは性能が拮抗しており、上昇・急降下の縦の機動に優れるメッサーに対し旋回性能に勝っていた。
ルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)のパイロット達もスピットとその勇敢なパイロット達には敬意を持っていた。
ドイツ空軍の厳格な気風とは違いイギリス空軍には強大な敵に対する一致団結したチームワーク、風通しの良い家族的な雰囲気があったという。
決して、スピットファイアだけの勝利ではない。
ハリケーン戦闘機も爆撃機相手によく戦った。
そしてイギリス空軍にはダウディング空軍大将により確立された当時世界最高峰のレーダー網と戦闘機隊を一元管理する管制システムにより限られた兵力を効果的に運用できたのだ。
一方、ドイツ空軍はロッテ戦法という後に各国が参考にする戦闘機動を持って最強といえる空軍だったが総統ヒトラー及び空軍元帥ゲーリングの度重なる作戦変更や作戦そのもののミスによりこの戦いに敗れた。
多くの兵器マニア?はバトルオブブリテンにおけるドイツの敗北の原因をメッサーシュミットBf109Eの航続距離の短さにあったと言うがこれは正確ではない。ヒトラーの作戦変更がなければ実際、イギリスは結構ヤバかったのだ。
しかし何はともあれRAFはルフトヴァッフェの脅威からイギリス本土を守り切った!
空爆された施設の復興、官民一体のチームワーク。
スピットファイアは勝利の最大のシンボル。
メッサーシュミットも零戦も自国を守る事は出来なかった。。。
スピットファイアはその後も進化を続けエンジンも当然パワーアップ、翼端形状も高高度用の延長翼や低高度用に切り詰めたタイプと様々な派生型が生産され
た。MkⅤでは完全にフォッケウルフFw190Aにやられたが進化を休みなく続けた。
そして名機、ロールスロイス・マーリン系エンジンからよりハイパワーのグリフォン系エンジンへと進化。
機首は武骨になりパワーも1700~2000hp超に。
高速は得たが操縦性には難しさがあったらしい。
ドイツ空軍が守勢にまわり弱体化する中、連合国の主戦力はアメリカ陸軍
の高高度爆撃機とその護衛戦闘機になっていった。
スピットファイアでは航続距離が短すぎたのだ。
その任務は主に偵察や地上爆撃になったが戦闘力は最後まで一線級で主力戦闘機の座は明け渡すことはなかった。
さらに進化を続けスーパー・スピットファイア
と呼ばれたMk21,22ではレシプロ戦闘機としては究極の730Kmにまで達する。
ジェット戦闘機の台頭でその存在価値は急速に無くなってしまったが・・・
スーパーマリン・スピットファイア・・・
自国を守り切った、最も偉大な戦闘機でありジョンブルが誇りに思うのは当然なのだ。
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戦闘機 | 日記
Posted at
2019/09/16 21:40:34