1989年
北海道在住時にユーノスロードスター発売開始。この頃は小学生時代のスーパーカー熱もすっかり冷め、自動車にそれほど興味がなかった。
(旅や峠のコーナリングはバイクの方が楽しめると思っていた)
1990年
学科の2年先輩(すでに社会人)が購入したばかりの銀色のユーノスロードスターに乗って自慢するために大学に颯爽と登場。
さっそく運転させてもらい、タイトなコックピットに気持ち良いシフトフィールと加速力、オープンの気持ち良さと意外なほどの剛性感、そして何よりもニーグリップしたバイクに似たコーナリング感覚にものすごく衝撃を受けた。
将来の購入を密かに決意。
1994年
就職後、ひょんなことからユーノスロードスターの開発秘話を知り、ますます欲しくなる。
1996年
北海道から東京(住まいは川崎)へ転勤から2年後。
玉突き人事の棚ボタにより給料に役職手当がつくことが決定したので、「自分にご褒美」と称してついにユーノスロードスター購入を決意。
カーセンサーで調べた埼玉県の中古車屋(格安のを数台置いていた)に行くと、その日は赤と青しか在庫が無く、シルバーか白が欲しかったにもかかわらず、その場で7年落ち(89年車、7万キロ走行)の中古車を購入。
買った後で知ったのだが、役職手当は月3000円だった。
早速会社で同僚達に自慢するも
「おまえが赤のオープンカー!!」
と、涙目で笑われ、加えて当時ですら元気に走っている赤いユーノスロードスターが少ないことが「あまのじゃく気質」に火をつけ、赤に対する強いこだわりが生まれた。(大好きだったカウンタックも赤とか黄色だったし)
伊豆と群馬が当時の主な探検場所。(写真は神奈川の山奥)
川崎在住時に一度仙台へ2泊3日で大冒険。その後、名古屋に転勤となり紀伊半島(串本)、九州半周ドライブを経験。当時の自分にとってはとんでもない大旅行(しかも女性同伴)だった。
「赤いユーノスロードスターに乗りたい!」と言ってくれた女性と結婚。
ありがとう、ユーノスロードスター!
2001年
東京への転勤(住まいは横浜)から2年後、ついにエアコンが寿命を迎える。修理代がべらぼうに高かったこともあり、修理もせずに乗り続けていたら、夏のある日に元嫁から「私が新車のロードスターを買うから乗り換えろ」命令。
「赤」と「マニュアル」は両方とも却下され、「水色」で「オートマ」のNBが我が家にやって来た。NAに対する強いこだわりはあったが、元嫁が運転したいんならと納得。
しかし、オートマにだけはどうしても馴染めず・・・
元嫁とは休日がずれていたので、お盆に一人で中国地方ドライブ。(写真はたぶん丹後半島)
この頃の主な探検場所は福島県あたりへと距離が伸びていた。(西方面はあいかわらず伊豆半島メイン)
2002年
NBと元嫁が家から居なくなるの巻。
さようならオートマロードスター!
即ディーラーに行き、赤でマニュアルのNR-Aを発注したら1年で2台目を発注したことで営業マンにむちゃくちゃ驚かれ、店長のお辞儀の角度が70度近くになった。(気がした)
このとき、程度の良いNAの中古にするか新車のNBにするか真剣に悩んだのだが、AUTOCAR JAPANのとある記事に影響を受け、「NBも人馬一体の遺伝子を引き継いでいるロードスターなんだ」と思い直してNB購入を決意。
新車のヤレの無さ、剛性感を覚えてしまったことも大きかった。
実際に今でも思うのだが、大学生のときに乗った銀色のロードスターに一番近い感覚を与えてくれたのは、この赤のNR-Aだった。
車の安定感が上がった分、走行距離が伸び始める。(写真は伊豆ターンパイク)
しかし、まだこの頃北東北はGWやお盆など最低3泊以上の日程を使って行く場所だった。
2006年
野湯好きの趣味が高じて山登りを始める。
ロードスターと登山&温泉の相性が良いことに気が付く。(八幡平)
2007年
「ロードスターは1600ccで十分」が最後のこだわりだったのでNCを購入する気は無かったのだが、RHTのかっこ良い開閉デモンストレーションムービーと開発秘話に感動し、ついついディーラーへ・・・
ここまで乗り換えたのなら、新車の購入で開発チームを応援し続けるという付き合い方もあるのでは思った次第。(写真は西伊豆でNCを初めて走らせたときのもの)
店長のお辞儀の角度が80度に達っした。(気がした)
NCの購入にあわせて「みんカラ」に登録。
誰ともオフで会うつもりは無かったので、ハンドルネームを「ぎんがめ」と命名。これならダイバーの人ならすぐに同じ趣味だと気がついてくれるはず。
(しかし、実際には現時点でみんカラ友達の中でダイビングを精力的にされてる方は1名様だったりする)
GWに恒例となった北東北「大ツーリング」に出かけ、そのときに白神爺。さん達とすれ違い、みんカラのコメント欄で声をかけてもらう。
みんカラで存在を知った「軽井沢MTG」に初参加(当日参加で第三駐車場)。しかし、1000台近いロードスターに圧倒され、ただただ見て回るのみ・・・
いくらみんカラで数人の「お友達」登録された方が居るとは言っても、MTG会場では実際に会ったことがある人が居てくれないとかえって寂しいことを実感。
その1ヵ月後、みんカラ経由でsutakoさんからAlwaysのツーリングに明るい調子で誘われ、意を決して参加。
駐車場に到着するなりsutakoさんから「ぎんがめさ~ん!」と大声で呼ばれ、変なハンドルネームにしたことを激しく後悔。
8月某日、白神爺。さんから「青森に遊びに来ませんか?」と気軽にお誘いを受け、勢いで行くことを決意。
普通の週末を利用して十和田・八甲田・竜飛をドライブしてしまったことが、その後の行動や人生に大きな影響を与える。
車高が上がったこともあり、悪路にも躊躇せずに突っ込むようになる。(これはNAの時からそうだったが)
白神爺。さんからの紹介で11月に平井元主査の講演を聞く。
氏の「ニュージーランドは良い国だ!」発言に触発され、年末のエアチケットとレンタカーの予約を申し込む。人生初大ジャンプ、海外ロングドライブ&トレッキング。
ここまでNC購入から数ヶ月の出来事。いったい、どれだけたくさんの大切な仲間と出会い、人生が大きく変わったことか・・・
しかし、実家に帰ると姉から「あんたまだ赤いユーノスに乗ってるの?」と尋ねられ、面倒くさいので
「そうだよ」
と、答えていた。
私のロードスター人生は激変していたが、姉の中ではまだ「ユーノス」のままだった。
そして、つい先日、自分のこだわりを貫くべくディーラーにNDの予約を入れる。
人生に一回ぐらいは発売前から予約を入れて楽しみに待ち、いの一番に買ってみようかと・・・。
NA発売前夜ほどの盛り上がりは無いにせよ。
店長のお辞儀の角度がついに90度に達した。(気がした)
2011年
sutakoさんから連絡があり、sutakoさんのユーノスロードスターを急遽引き継がせてもらうことに。
前々から「手放すときは私に声かけてください!」と予約は入れていたのだが、冷静に考えれば二台維持できるわけではないので、NCを降りてsutakoさんのユーノスロードスターに乗り換えることを決意。
NCはNDに乗り換えるために手放す前提で乗っていたものの、実際に手放してみると予想以上に感情移入していたことに改めて気付かされる。。。
NAの中古車を1台買ったと思って、sutako号の外装(全塗装)、内装(椅子交換他)にあれこれ手を入れはじめる。
色はこの個体が生まれた時の元もとの色を生かしたかったこともあり、そして何よりも自分の元々の憧れもあって銀色のまま。
ただし、純正シルバーから少しだけ自分好みに変えて発注。これは自分にしかわからないこだわり。
エンジン、シャーシー、足回りは譲ってもらった状態でまったく問題無いどころか、ホレボレする乗り味。
下手したら7万キロ走った後のNR-Aよりも遥かに気持ち良いぐらい。
本当に大切にされていたことがよく伝わってくる。
引き継いだ初日はまだぎりぎり生きていたエアコン。その次に足柄ドライブに出かけたときについに死亡。
全塗装をお願いしていた中古車屋さんから車を引き取り、エアコンの効かないユーノスロードスターで真夏に首都高を走る自分。
視界には文字通り自分色に染まったsutako号のボンネット。
高速の合流ダッシュで6000回転に向かって官能的に吹け上がるエンジン。
ハンドルを切れば意のままに動くボディ。
まさに人馬一体。
この時に決意。
NDの予約はキャンセルしよう。
壊れてどうしようもなくなるまで、sutako号に乗り続けよう。
つい先日電装屋で見積もりを取ったら、昔NAのエアコンを直すのに必要だと言われた金額と同じぐらいの見積もりが出てきた。
東京の夏はとてつもなく暑い。
誰が文句を言うわけでも無いが、今回はちゃんと治す。
貴島元主査が去年の講演の質疑応答で仰られた
「今乗っているロードスターが気に入っているのなら、無理に買い換える必要は無いんですよ。でも、長く乗っていれば、いつかは乗れなくなる時が来るでしょう。我々はその時に皆さんが新車のロードスターに乗り代えられるという選択肢を残せるようロードスターを開発し、売り続けています。」
という下りが頭の中で再生される。
将来NDに乗り換えることになるのかどうかはわからないが、開発チームには引き続き頑張って欲しいし、変わらずに応援し続けたい。
店長のおじぎの角度、30度ぐらいにリセットされるかな?
sutako号、これからのロードスター人生をよろしく。