70年代の匂い。直線基調。でも面に張りがあって同時代の日本車のように貧相に見えない。サイズと性能が合っているのも良し。ホンダのバラードスポーツはこのクルマから上手くリスペクトしているよ。事情通は知っているけどね。
しつこくジュリアザガート推し。
クルマ好きが買えた理想のスポーツカー。
小さい
軽い
安い
カッコいい骨格のFR
ロードスターを別にすれば
クルマなんてこれで良いよ。
トヨタが自動車趣味を理解してそれに貢献したいというなら
このコンセプトで一台やるべき。まぁトヨタの文脈でスポーツカーを作ると自動車趣味なんていうのは吹き飛んでしまうけれど。
やはりマツダか。絶対やるべき。走りのスポーツカーはやはりクローズドクーペだから。
300万も出さないと良い(クルマ好きにとってあって当然)なクルマが買えないというのはメーカーの事情。我々のニーズは変わらない。
人の能力は高性能にならないのでクルマは速くならなくていい。
環境や安全には常に配慮が要される。クルマは社会性から逃れられないので。
でも一番大事なのは
人間の本能と感覚、能力そして気分に合うことなのだ。
経済原則から溢れ落ちたそういう要素を
メーカーは現代に再構築する責任が少しはある気がする。
絶対に必要な条件だけでクルマを作っても面白いクルマは出来ない。
クルマは玩具であり娯楽なのだ。
だとすると一定程度の加減でそういうクルマを作り続ける義務がメーカーにはあるかもしれない。
責任や義務でスポーツカーは作るもんじゃないけどね。
欲しい人が開発して乗りたい人が売る。
それがスポーツカー。
イタリアのクルマに理屈はないのは殆どの場合、作り手が未熟ということなんだけれどそうであるが故に最後は情熱だけが浮かび上がってくるのさ。
作りそのものは実際のところいい加減だと思うけれど。
陽気なバカっぽさ。愛しむべき未完成さ。されど沸き立つ情熱。
狙って出来ることでもないし真似て未熟なモノをこさえてはいけないけれど。見ただけで心を奪われる。それが愛されるクルマの資格。
翻って今は市場調査や効率だけでクルマを作らざるを得ない現代。
芝居やライブみたいに伸び伸びクルマを開発することは出来ないことはわかっている。
わかっているが膨大な資料をこさえて会議、検討を繰り返し日々積み上がる退屈な仕事で
クルマ作りを終わらせたくはない。つまらない気乗りが全くしないミニバンの企画検討会議で居眠りしながら(企画の人間の貧相な提案にまともに付き合う必要はない。)頭の中はこういうクルマでいっぱい。クルマ好きの会社員ならみんなそうさ。
Posted at 2018/07/15 11:26:46 | |
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