逢坂山を越えると、スグ先は名神高速道の京都東ICである。
このポイントで、そのままR1を進む(片側2車線のまま左にホボ90°直角カーブしてる)と、そのウチ道は五条通りと名を変え(五条バイパス)、五条大橋に至る。
一方、1車線分岐して直進風に進行(交通上は破線右折扱い。四ノ宮四ツ塚線と呼ばれる旧東海道。ハルカ遠い昔はコッチがR1だったが、降格)すると、三条通りとなり三条大橋に至る。
ドッチへ進もうが、普段は両方ともガッツリ渋滞にハマるトコである。
今回は右に逸れ(まっすぐ方向に進み)、三条大橋方面に向かう。
三条大橋の手前、東大路通りとの交差点に到達したら、岡崎方面へ右折。東大路通りを北上すると、百万遍はスグ。
この辺りに、数多、今も日本の頭脳を輩出し続ける、本邦2番目の帝国大学、旧制・第三高等学校(通称、三高)がある。

しっかし、小生の目的地はココではナイ。
小生はそんなアタマ、ゼンゼン持ち合わせてなかった。(因みに当時の当地受験生、つまり小生の同級生他は、この三高コソが真の日本の最高学府で、
一高へ行くことは "都落ち" と言って憚らなかった。 今は知らん)
東大路通り左右に三高を横目に百万遍を過ぎると、スグ今出川通りと交差するので、左折で今出川通りを西に進み、加茂大橋で鴨川を渡り(この橋は、その上流の加茂川と高野川が出会う合流ポイント)、
河原町通りを越えると、やはりまたスグである。
左手(南側)は天皇陛下のおわす京都御苑(
注※参照)、右手(北側)が我が母校で、
ようやく第1目標地点到着である。
注※
明治期の江戸奠都の折り、
遷都の宣下(天皇陛下おん自らの宣言)は行われていない。
ややこしいが、一般的な通説では、奠都(てんと、と読む)は、都を定めること、
遷都は、都(みやこ)を移すこと、である。
奠都の宣言はあった(すなわち江戸を東京に改称)が、
遷都の宣下は未だ行われた(都、つまりは、我が日の本の "みやこ" が移転した)事実解釈はない。 キッパリ!
なので、京都人はなべてこう思っている。
「天皇さんは、東京への長~い旅行に行ってはって、まだ帰ってきたはらへんだけや」
コレ、京都人の本音の心理を理解する上で、
大変重要でセンシティブなことなので
(京都人と首都云々のハナシになり、
無神経な発言すると、カオには出さんが大いなる不興を買うので)、
ゼヒ覚えておいて欲しい、できればコノ話題は避けた方が無難、と思うゾ、小生。
【母校 "正門"】

今出川通りに面した、コッチが正門である。
烏丸通りに面した、烏丸今出川にある門の方が広くて華やかで、キャンパスメインストリートへのダイレクトアクセス口なので、ソッチを正門と思っているヒトが多いようだが、チガう。
コッチの慎ましくも歴史を感じさせる重厚な方が、正門である。
この正門の、今出川通り対面は、
【京都御苑・今出川御門】
北側を振り返ると、
【相国寺】

である。
※さて豆知識
相国寺は、鹿苑寺(金閣)建てた室町3代将軍、足利義満の発願("ほつがん"、と読む)により建立され、
あのチューの逸話で有名な雪舟もココ出身である。

因みに、このおしょさん(禅僧)の水墨風景画、ひょっとして、19~20世紀始め活躍の仏(ホトケではない。フランス)印象派画家、モネ,クロードに影響与えた?、と言うヒト達もいるよーだ。
印象派の名前の由来にもなってる、モネ代表作、"Impression, soleil levant(印象・日の出)" に、雪舟おしょう作、国宝「秋冬山水図」との類似が見みられる、なんて言われたりしてるが、小生的には、そーかナー??である。
(ココでは、彼らの作品は載せないんで、興味持ったアナタは各位ググってくだされ)
母校正門と、相国寺通りを挟んだ東側には、
【同校アーモスト館(登録文化財)】があり、
ようやくココで、
本作戦の目的である、出身校でのO-Lineのショット撮影に成功!!

※アーモスト館は、
【建学の祖】

の米国での母校、Amherst College(米バージニアの私学)卒業生から友情のあかしとして贈られた寄付により、昭和7年竣工したモト学生寮。
現在は海外からの研究者のための長期滞在施設として利用してるようだ。
またココのホールは、卒業生の結婚披露宴会場なんかに貸し出してくれたりしてた(ずいぶんムカシ、小生も友人のパーティ出席で入館したことアルが、今は知らん)
またコレでおワカリいただけたであろう。
ブログ、本シリーズ:我が青春の足跡を巡る "ことりっぷ"
の各章のトップ写真は、このアーモスト館を背景にした、O-lineで統一である。
余談ついでに、そー言えば、ラグビーの平尾・大八木は小生の同級生だった。
(なので呼び捨てしとく)
さぁ、本題に戻ろう。
ガッコは夏季休暇のため、その門を固く閉ざしている。当たり前である。
しかも学生の居ないこの時期をチャンスと大幅な改装工事も入ってる。
でもそこは突撃である。守衛さんに卒業生である旨伝え、ナカ見るため、チョッとだけ入場させてちょーだい、とお願いし、(ナイショで)許可を得た。ありがとう、守衛のヒト!
我が卒業せし、学部の学び舎、
【弘風館】
【メインストリート】
【クラーク記念館(重文。旧の神学館、チャペル装備)」

建学の祖、逝去の翌1891年、米国紐育州はブルックリンのB.W. Clark夫妻からの、
当時額 1万ドル(現在価値で 2億円くらい、タブン)の寄付で建てられた。
【建学の祖の教え】
ひとしきり、懐かしさ、感傷に浸ったら、正門に戻り守衛のヒトに礼を述べO-Lineに乗り込み、今出川キャンパスをアトにする。
次に向かうは、やはりまたスグ近く。
学生時代、授業エスケープして(間違えた、授業と授業の空いた時間に)入り浸ってたサ店(喫茶店)、
【トレド(TOLEDO)】
驚いた!! まだ生き残ってるじゃん!!!
すごいゾ!! 恐っそるべきSurviver!!!
しかし当然のコト、ガッコ休み、なんでココも閉まってた、CLOSEDである。

残念無念である!
次は、機会を見つけて平日に来るゾ!、I shall return. と心の中で叫び、
固い決意も新たにこの場をアトにした。
(まだ、元気にしておられるのダローカ、学生だった小生からしたら、当時すでに、おばちゃんだったママさん? もし、ご存命でいまだ現役なら....。 うーん、ゼヒ会ってムカシバナシに華咲かせたいゾ!)
以上、 "ことりっぷ" その2(大学訪問編)のオワリである。
次回は "祇園散策編" として、現在構想中。 小生のアタマの中である程度組み上がったら、
いよいよ執筆に取り掛かり上梓(ウソ。ブログにまとめアップロード)するんで、シバシ待たれよ。
Stay tuned, and don't miss it!
(この最後のパラグラフ、使いまわしのスーパーエコ仕様の使用ですんまへんなー。かんにんしておくれやす。)
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Posted at
2020/08/10 10:49:11