※前半部は借り物写真成分多数なので、それらは“🄫”で示します。
マチュ・ピチュ。
そう、我が人生において
一度は訪れたい Historic Sanctuary(歴史サンクチュアリ)、
Machu Picchu。
そうだ (京都ならぬ)
マチュ・ピチュ、行こう。 (by 小生。 JR東海じゃナクて)
といっても、
“World Heritage(世界遺産)”で、
“Cultural(文化)”かつ
“Natural(自然)” 二面のカオを併せ持つ、
“World Mixed Cultural and Natural Heritage(世界複合遺産)”に
登録の、
南米大陸はペルー国にあって、
そう、今を去るコト、600年はムカシの
15世紀に始まり、その百年後の 1532年には、
西班牙人、Francisco Pizarro(ピサロ)🄫
率いる Conquistadores(コンキスタドレス = 征服者ども)に
滅ぼされたインカ帝国、
その遺跡、
「空中都市」、「インカの失われた都市」の異名を持ち、
ココ
当地より遥かに遠く、
アンデスの断崖絶壁に40段のダンダン畑を有す石積みで建設された要塞都市。🄫
そんなトコ、そうそう
簡単にホイホイ行けるワケがないわな。
ならば、である。
コッカらでも
行けるとこ行ったろ!
で、早速調査開始。
※その前に、いつもの余談、おべんきょタイムである。
このブログをご覧くださっている皆さんにあっても、知ってるようで実はそれほど詳しくはワカってナイ、と思料する(京にはイッパイある)世界遺産。
正式名は、「世界遺産(World Heritage Site)」で、
その登録をしてるのは、現在(つまり、今に至るまでイロイロあって紆余曲折してる)、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization(連合国(国連とは言うが、実はWWⅡ枢軸国に対する戦勝国連合)教育科学文化機関、
要は、“UNESCO”、つまりユネスコ)🄫
本部内の、
「世界遺産センター(有形担当)」と
「文化遺産部(無形担当)」。
登録の根拠、依拠となるのは多数の国家が調印・批准した条約、
“the Convention for the Protection of the World Cultural and Natural Heritage”(「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」)である。🄫
そして、この World Heritage、その内の有形遺産登録は
大別して4種にカテゴラズされる。
・“World Cultural Heritage”(世界文化遺産)- 世界遺産条約第1条に規定。対象は人工の建造物(群)や物。
・“World Natural Heritage”(世界自然遺産)- 世界遺産条約第2条に規定。対象は自然の風景地及び区域が明確に定められている自然の地域。
・“World Mixed Cultural and Natural Heritage”(世界複合遺産)- 世界遺産条約では規定なく、2005年の「作業指針」改定にてようやくその第46段に規定。対象は文化と自然の両方につき普遍的価値を兼備する、合わせ技一本。
・“World Heritage in Danger”(世界危機遺産)- 世界遺産条約第11条4項/「作業指針」第177段~第191段に規定。
“List of World Heritage in Danger”(「危機にさらされている世界遺産リスト」 = 「危機遺産リスト」)にも加えられる、後世に残すことが困難、もしくは強い懸念がある物件が登録対象。
因みに、それら登録は取消し、末梢もあり得るし、もちろんその実績もある。
以上、余談終わりであるが、
さらに余談の屋上屋を重ねておくと(別にダジャレじゃないかんね)、
なんか聞いたハナシでは、他国の登録対象に対してムリ筋のウソ吐いて、ためにする自己都合の詭弁かまして、登録基準たる「顕著な普遍的価値」の“Authenticity”(真正性)を毀損してまでケチつける情けなくもみっともないマネする国があるようだが、恥を知り厳に慎むべきであろう。
(閑話休題)
もちろん、ネットが発達した現代社会。おそらく「まちゅぴちゅ・日本」なんかでググりでもしたら、
『こたーえー、いっぱぁーつ、カシおーみに』🄫
懐かCM
なのは、判り切ったこと。
On-site(現地)攻略前の調査から作戦立案は始まっている。
そんなことでは、作戦参謀の小生(いつの間にか昇進)にとって、その名も廃る、ってなもんである。
マチュ・ピチュを考えるにあたって考慮すべき
鍵は五つ。
「山奥」・「断崖絶壁」・「段々畑」・「石造建造物」・「秘境」
である。
そしてさらに本作戦において、
最も重要なことは、「宿泊を伴う長征はあかん。日帰りに限る!」
ということである。
これらを、Key assumptions(前提)に調査を進めた結果、
以下、
5拠点を発見した。
第1候補:【岐阜県・上ヶ流茶園・天空の遊歩道】
第2候補:【兵庫県・竹田城・天空の城】
選外1 :【岐阜県・岩村城(別名、霧ケ城)】
選外2 :【愛媛県・マイントピア別子(旧・別子銅山跡)東平地区(ゾーン)】
選外3 :【大分県・宇佐院内町西椎屋集落】
(その他、岡山(備中松山城)や福井(越前大野城)、いやいや他にも! との異論もあるかもしんないが、そういう人はまたコッソリ教えてくだされ。小生が誇る索敵網に今回引っ掛かったのは、上記だけだったんであしからずお赦しあれ)
選外1:【美濃のクニ・岩村城】🄫
まぁ、近いちゃー近い。でも決定打とはならんな、小生的まちゅぴちゅスコアでは。
だって、城址の石段だけだし、ダンダン畑ナイし。
ということで、早々に戦力外通告を下す。
選外2:【伊予のクニ・別子銅山(1691開坑 - 1973閉山、実に283年)跡】🄫
確かに一度は訪れて観てみたい。
なんせ今日の住友財閥(今はグループ)発展の礎であり明治新政府の日本近代化をBackupした(しかも自ら煙害対策として、1905年には巨額投資でその精錬所、瀬戸内の無人島移転も断行)鉱山都市跡は必見の価値あろう。
しかし如何せん遠い。四国西部への日帰りはウルトラ強行軍。次の機会に譲ろう。
選外3:【豊前のクニ(ひょっとしたら豊後カモ)・宇佐の集落】🄫
もうどー引っ繰り返っても日帰りはミリ。標高300mにあって棚田を持ち山峰に囲まれているというココは、小生的まちゅぴちゅスコアも高得点ではあるが、如何せん遠い、
どころか遠すぎる。
COVID-19 禍が小康化し出張規制が解除されたら、旧天領・日田市への出張機会は無きにしも非ずなので、その際に時間の都合がつけば行くことにしよう。
で、いよいよ最終候補二つ。
結局、今次決戦の目標外とした、
第2候補:【但馬のクニ・竹田城】🄫
ココ、行っきたい。うん、
是非行きたいゾ、まだ行ったことナイし。
小生的まちゅぴちゅハイスコアをマークしてるし、既に「天空の城」として、世間では一躍脚光を浴びてるトコだしな。
ただ一方、だからこそ、キラーワードである
「秘境」とはもはや言い難く、小生的まちゅぴちゅスコアは若干減点である。
そして、少しばかり遠い。ウルトラまではいかずともスーパー強行軍になってしまう。
しかも COVID-19 が猖獗する現下の関西地域にあっては、ココへ出撃することは現時点未だ時期尚早との判断を下さざるを得ない。
で、
ヤッパ、ココだよ、ココ、ここ!!
第1候補:【美濃のクニ・揖斐郡揖斐町の段々茶畑集落】
(撮影、本日、小生本官による)
標高:300mのこの地、モトから営まれてたのは、本家インカはマチュ・ピチュのトーモロコシやおイモさんじゃなく、もちろんイリーガルなコカ栽培でもない
茶畑、「上ヶ流茶園」。
5年だったか4年だったかホド前に、地元有志により絶景スポットとして「天空の遊歩道」を整備(案内板やトイレ・駐車場も)、その存在を
「天空の茶畑」、あるいは、
「天空の棚田」として、
全国に発信され、小生近辺では密かに(でもないか)世間の耳目を集めている。
※しっかし、ドッコもカシコも、アレもコレも、ラピュタじゃあるまいに『天空の』って。も少し、ヒネリ、差別化が欲しいもんである。
小生でも、
「絶巓の」とか
「峻嶺の」とか
「天頂の」とか、スグに思いついたゾ。
ま、それはイイとして、
「天空の茶畑」、
場所は、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合。(当地基地から、約80km。
うん近いゾ)
決まりだ! 作戦は決した!!
今次作戦骨子は以下とする。
第1次攻略目標:上ヶ流茶園・天空の遊歩道にて散策と絶景堪能
第2次攻略目標:関ケ原鍾乳洞にて洞窟内探索
第3次攻略目標:BOULANGER PATISSIER “y' KUNIEDA”(岐阜大垣のパン屋)でパン購入
今次決戦最終攻略目標:“A due passi” (岐阜大垣のイタリアン・クッチーナ(キッチン))でランチ
ふぅ、やっとここまで辿り着いた。
今回は、前段、小生、少々熱くなって、かなり前置きが長過ぎのきらいもあることになっちまった。
で、本日いよいよ、
作戦決行。
2021年4月24日、早朝、いつものように上官殿を伴い、
15分前、O-Line システム・オールグリ-ン、進路クリア、
マルロクマルマル(06:00)を持って、出撃!
(※以降のフォトショットも、同日当時刻、小生本官によるものである)
同、マルハチマルマル(08:00)
第1次攻略目的地まで、アト残り10分の地点アルファに到着
で、案内看板を確認。
さらに、
え、ええ!
えええぇぇぇ!
イキナリ、手鼻を挫じかれてしまった。
COVID-19 影響、ココにまで至る!
なんと、
現在閉鎖中!!!
しかし、ま、行けるトコまで行ったロ。
同、マルハチイチマル(08:10)
第1次攻略目的地ブラボー駐車場到着・O-Line駐機完了。
この、
🄿 の地点から先に続く集落への舗装道路には、
「一般観光客の方は進入できません」
である。
このオキテを破り、コッソリやってたとしても、
もし村人に見たかったりなんかすると、
進入ならぬ、『侵入』として咎められることは間違いなかろう。
そして、もちろん事前通告されてた通り、
最大の絶景ポイントがある、
徒歩散策のための
遊歩道は閉鎖されている。
ただ、たまたま土産物やソフト売ってる
テラスハウスを開けに来たおっちゃん、
O-Lineヨコに乗って来た軽バン駐車されたので
聞いてみた。
小生:「ヤッパ、ダメなんですよねー?」
おっちゃん:「遊歩道はダメだけど、一般観光客の自動車乗り入れを禁止しているこの、🄿 より先の、山の中腹、さらに上へ続く道路は歩いてくんなら、おけ。
是非、行ってみてください。
この地点よりもハルかに迫力ありますよー」
と、ご親切にもアドヴァイスを賜った。
ありがとう、おっちゃん!
一番の絶景ポイント攻略はならなかったが、それでも、
うぅーん! ま、それでも絶景! それなりにマチュ・ピチュ気分、
堪能できたゾ。
そうして、第1次攻略目的地ブラボー駐車場を後にし、
第2次攻略目標:関ケ原鍾乳洞へ向かい、
ヒトマルマルマル(10:00)現着、
即時、洞窟探索開始。
洞窟内総行程:約500m・所要:約20分。
下は、全行程に亘りコンクリで舗装されており、蛍光灯もイッパイで結構明るい。なので、コワくはないと思うゾ。
ただ、天井が低く屈まなければアタマ、岩にぶっつける場所もあるし、蝙蝠もフライイングしてたよん。
【鍾乳石(上から垂れ下がり担当)と石筍(下から生える担当)】
小規模で、ダイナミックさには今一歩ではあるが、
それでも
自然が造りたもうた神秘、奇跡の光景を目の当たりにすると、感動があるもんだ。
【ウミユリ(海百合 ー ウニ/ヒトデの仲間)の化石】
なんかも見られる。
で、この洞窟のスグ近くには、
【旧・大日本帝国陸軍の火薬庫跡】
入口(の一つ)があるので、視察しておいた。
この火薬庫は、大正初期から昭和20年まで運用されていた、とのことで、
当区域一帯、周囲:6km、面積:270ha に火薬庫が設けらており(いくつかの火薬庫が分散点在、入口複数アリ)、
当時、
火薬庫としては、東洋一の規模だった、そうである。
さて、次に向かおう。
第3次攻略目標:BOULANGER PATISSIER “y' KUNIEDA”(岐阜大垣のパン屋)着は、
ヒトヒトマルマル(11:00)。
(なお、
本ブログをご覧いただいている仏蘭西者に告ぐ!
どうか、この上記、暗号文解読してご教示くだされ。お願い申しアグる)
店内で、
購入するパンどもを物色
ココの
オーナー・パン職人は、店名の通りの、“y' KUNIEDA”、つまり“國枝幸春”氏である。
そして彼、同店HPの自己紹介には、
「フランスパンの神様と呼ばれるフィリップ・ビゴ氏より技術指導を通じて、フランスパンにおける伝統に感銘を受けた」
とある。
そう! そうである!!
小生、2020年8月22日付け過去ブログ、
Attack on sido boulangerie ~~ でご登場いただいた、
当地パン屋の、
“sido boulangerie”のオーナー・パン職人、
sidoさんが師事した、
偉大なる
フランパンの巨匠、Phillippe Camille Alphonse Bigot(フィリップ・C・A・ビゴ)氏🄫
(2018年9月、享年76歳にて巨星落つ。逝去翌日、twitterにて駐日フランス大使、
追悼の辞を送り明かす。合掌)
から同じように薫陶を受けたちゅーんである。
本日買ったパンども
(ハード系 “ブリオッシュ トレッヒ”・“プロヴィンチア”・“クルミのロデヴ”、
ソフト系 “ブリオッシュ フロマージュ”、焼き菓子の “ピエモンテ(伊らしくピスタチオ入り)")
には、嫌がおうにも期待値は高まる。
明朝、食すのがスッゴく楽しみである。
さ、明日の朝食、並びに昼食の仕込みも終わった。
そして、いよいよ、E fai due passi da lì!(そこから二歩前進!)
墨俣にある、
今次決戦最終攻略目標:“A due passi” で、
Pranzo(イタリアンのランチの意)
だ!
このクッチーナ、これまた
小生、2021年02月06日付け過去ブログ、
2021 WK6 の歴史を巡るツーリング ~~ でご登場いただいた店で、
今回、本日で2度目の再訪である。
我が
上官殿、このお店の雰囲気と料理、いたくお気に召されたようで、
本作戦行動における
ランチの場所として指定なされた。
本日は、セコンディ・ピアット(メインの肉か魚の料理)は省略した、
パスタの Pranzo にした。
【ホタテとオレンジのインサラータ(サラダ)】
小生本官チョイスのアンティパスト二皿目。ウマい!
(一皿目にはハム等の盛り合わせが供されたが写真撮り忘れた、残念!
上官殿は小生本官とは別の、
そらマメのクロケット(写真ナシ)をチョイス。モッツァレラ成分多く、これまたウマい!)
【イワシとウイキョウのBucatini(ブカティーニ)】
※まぁ、イワシはいいとして、コレは少し説明が要るだろう。
〇ウイキョウ:欧州原産、セリ科で、アニスにも似た甘い香りと苦みが特徴のハーブ。伊語で "finocchio"(フィノッキオ)、仏語は "fenouil"(フヌイユ)、英語では "fennel"(フェンネル)。漢方の生薬では “茴香(ういきょう)”。
〇Bucatini(ブカティーニ):シチリア発祥の太麺パスタでスパゲッティーニよりちょい太めの、φ3~6mmの中空麺。ローマっ子が好き。その名は伊語の “buco(ブーコ = 穴)”から。
【ドルチェ3種】
いやー、ホンマ旨かった!
molto buono である。
(小生、実際に言った)
で、何を隠そう、
小生も、ココの大ファンになってしまった。
それに、ココの "Caopocuoco Padrone" (= カポクォーコ・パドローネ。料理長・支配人、すなわち、オーナーシェフ)の "Signore"(スィニューレ)
と
その "Moglie"(モーリエ = 奥方)の "Gentile signora"(ジェンティーレ・シニューラ)
なんとも仲良さげなお二人。 可愛らしくも素敵な奥方と、とってもイイ人感溢ふるるご主人、である。
そして、
彼らお二人は小生本官と同時期、、
つまり、なんと同じトリノ冬季オリンピック開催当時!
伊国ピエモンテ州は、アスティ県だったか、クオーネ県だったかの村にご夫婦で暮らし、
(聞いたケド忘れちまった。
また今度行ったときシッカリ聞いてこ。
そして、
ナゼ、店名を、”A due passi” のしたのかも教えてもらヲ。)
料理修行を積んでおられた!
(
因みに小生が暮らしたのは、州都Torino)、
(Città di Torino、Google street viewより)
ココでは懐かしの味に再会できるからである。
小生本官、前回はお店の方とお話していない。(
なのに、なんと上官殿は少し話してた!)
ので、
今回は小生も!!、ってなもんである。
なので、お勘定の時、
"Il conto per favore"
( イル・コント・ペルファヴォーレ = お勘定プリーズ)
と、お声がけする(またもや小生、実際にこー言った)と、
その "Caopocuoco Padrone " の "Signore"と、 "Moglie" の "Gentile signora" が、
ワザワザ、レジまで出てきてくださったのである。
そこであったのが、
上記のちょいとした会話と、撮影を快諾いただいた写真である。
(その会話の中で、お互いオリンピックゲームを、生で、つまりライブ観戦したことが判明。
ご夫人は真央たんを。小生本官は団長・朋ちゃんを、である)
で、またなんでも、
曰く「ぜひディナータイムにお越しください」とのこと。
夜の部は、
より多彩なピエモンテの郷土色豊かな料理を供している、とのこと。
くぅー、きたいなー、また夜にきたくなったちゃったじゃないか。
ピエモンテの料理に、エクストリーム旨いBarolo( = バローロ。Vinoの最強王者で、赤ワインでは仏のブルゴーニュなんかじゃとても相手にもならん、遥かに勝る。 小生独自基準による)
高速道使やぁ、ま、墨俣でのディナーもイイが、やっぱりユックリ食事を愉しむには泊りじゃないと、おもしろないしなぁ。
(それにバローロ飲んだら運転できんし)
※通常、伊国でのディナーは、夜7時か8時スタートで、最後の〆のグラッパ(スーパーハードな食後酒。ブドウ搾りカスの蒸留酒で、キレイなボトルのものが多く、🄫
インテリアにするはイイが、飲むとマジィ)やリモンチェッロなんかのワンショットで Cincin!は、日を跨ぐなんてこたぁ、ザラだった。
ということで、
ディナーでの再々訪問は今後の課題としよう。
ランチが
終われば、本日作戦行動域での任務完了。
アトは、無事に基地帰還するのみである。
長良川堤防沿いのR258をその流域下流に向けてO-Lineを走らせ、
桑名でR23へと流入。
本日作戦行動の最後の〆として、
当本拠の霞が浦コンテナ埠頭へとフォトハンティングに立ち寄り、
基地への帰還は、ヒトゴーマルマル(15:00)であった。
以上、報告ヲワル、オーバー。