1979年、それまでチューニングマシンで争われていたラリーが「全日本選手権」のタイトルを掛けられる事となり、エンジンに関しては空気の入り口から出口まで、一切の改造は認められなくなり、エンジンの素性の良し悪しが注目される事に
その年、何の変哲も無いシングルキャブレターのSOHCエンジンに、副変速機を持つ三菱ミラージュが、チャンピオンマシンに輝く事になるのだが・・・
当時、トヨタには2T-Gエンジンを搭載したTE71 レビン・トレノが、いすゞは提携先のGMのグローバルカーの一環であるPF60 ジェミニにG180エンジンを搭載したZZ/Rが続々とラリーシーンに登場
三菱は、同79年にフルモデルチェンジさせたランサー(A70系→A170系)にターボモデルを設定(国内向けには1800、輸出仕様は2000)し、国内ラリーに
ランサー2000ターボは、Gr.Bマシンへ移行する過渡期にWRC世界ラリー選手権に参戦したが、1982年の第32回 1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)で、チーム・ラリアートから出場したペンティ・アイリッカラが3位表彰台を獲得したのが最高位かと
三菱はその後、Gr.Bマシンとしてスタリオン4WDラリーを開発するも時すでに遅く、時代はGr.Aへと移り、ギャランVR-4から時代の寵児となったランサーのEvoシリーズへと、主力マシンは移り変わって行く事のなりました
そんな三菱のWRC史に於ける、主力マシンが揃い踏み!
と言いたいのですが、これでスタリオン4WDラリーがあればねぇ・・・
Posted at 2023/07/29 20:04:13 | |
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