タイトルはある楽曲のフレーズから借用
ちなみにそのナンバーとは↓
♪Boys & Girls / Sadistic Mica Band
オリジナリル第2期メンバー加藤和彦/小原礼/高中正義/高橋幸宏と
女性ボーカルに桐島かれんを加入させた1989年再結成SMB
この際にミカの綴りをMi
kaからMi
caに変更してたという話は
トリビア中のトリビアだったりもしますが…
※Mikaは加藤和彦氏の前妻だった福井ミカに由来することから離婚後の加藤氏が配慮したという説がある
13年振りとなったオリジナルアルバム『天晴』からの先行シングルが↑
ドラムセットではなくキーボードを前にする幸宏サンも
事情をしらない人には新鮮に見えるかもしれないが…
映像はCX系夜のヒットスタジオに出演した時のモノ
まあテレビということでリードギターの高中社長も少し抑えてますが
これがライブステージだと無茶苦茶暴走するのもお約束です(笑)
あれっ!このままだと…
ミュージックレビューになっちゃう
それじゃ当社の昔仕事だ(笑)
今回は
昔車レビューだぞ
なので無理矢理にも戻します
ご存知の方はご存知ですが このナンバーはクルマCMのタイアップが付きました
☆MAZDA BG系ファミリア 1989年30sec CMx3連発☆
うわ~~っ!センスの塊みたいなCM
BGをイントロから使っちゃうし
白バックで起伏を付けたところを走らせるなんてよく考えたよな
撮影&編集テクも結構な手間暇かかっているのは一目瞭然
CGなしのアナログ撮影は32年前のバブル期だからこそのもの
だから金がかかってるというのもよ~~くわかりますよ
ちなみにナレーターはコント赤信号の渡辺"リーダー"正行
これもチョットしたミスマッチなんだけど違和感はまったくない
いや~完成度が高杉晋作(笑)
ハイ!↑でもうおわかりですね
今回の俎板の鯉はBG系ファミリアのトップモデルとして設定された
BG8Z ファミリア フルタイム4WD GT-Xです
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/115/053/85be735854.jpg?ct=8764538ad0d8)
まあトヨタ車4連発でしたのでここで別メーカーに振ってもいいかなと…
尤もフルタイム4WD3連発になりますがね(笑)
まず7代目となったBG系ファミリアについてですがデビューは1989年2月
MAZDAとしては平成になって最初のフルモデルチェンジ車で
先代BF系からは3ドアHBと4ドアセダンはファミリアとして
5ドアHBはリトラクタブルライトと独自ボディとした上で
ASTINAのペットネームを附帯してリリースされました
またトップモデルのGT系フルタイム4WDは先代から排気量を
1.6L→1.8Lへアップさせ最大出力も180PSへスペックアップ
当社的には
スプリンターカリブのアンダーパワーに辟易していたこと
パイセンから預かったST165セリカGT-FOURを返却して心がポッカリ…(笑)
↑の2つが引っかかっていたところに友人が新車買換時期で付添して
立寄ったMAZDAディラーでなんちゃらフェアをやっていたわけで
近々ファミリアのマイナーチェンジがあります
MC前モデルになりますが在庫車のGT-X
赤と黒が1台ずつございまして
これでしたら●0万円引でご案内できるのですが…
しかもカリブの下取をプラス査定となったことから
ホンのわずかな出費でゲットできるとわかってサインしちゃったわけで
つまりミイラ取りがミイラになったというアレです(笑)
まあMAZDA車って免許を取得した教習所がカペラでFRのCB型とFFのGC型を
共用していたこともあって抵抗はまったくありませんでしたね
※友人はこの甘い言葉に乗らずS13シルビアを購入しましたよ
ボディカラーは『
ファミリアといえば赤』
このイメージだから当然の如く赤をセレクト
さらに在庫車がオーディオレスだったことから
カリブに装着していたカロの1DINサイズヘッドユニットをサービスで移植
後はブースト計を装着したくらいでしたが満足度はカナリ高かったですね
最高出力180PS/6,000rpm 最大トルク24.2㎏-m/3,000rpmのスペック
ブーストが掛かる前でも低速トルクがそこそこあって扱いやすいエンジンで
43:57の前後不均等トルク配分はベースがFFであることを忘れさせるほど
※路面状況ではセンターとリヤのビスカスLSDにより前60:後40まで可変します
そして人生初のABS装着車でして初めて作動させたときのキックバックに
驚きと感動を覚えたのは今でもハッキリ覚えています
尤もグループN用マシンと考えたらこれでも排熱問題も含めてパワー不足
インタークーラーを水冷から前置きにした上で210PSへパワーアップしたGT-Rを
WRCグループA用ウエポンとしてリリースするのですが
バブル崩壊による資金不足からMAZDAワークスは撤退で実戦投入は幻に…
しかしランエボやインプレッサSTI以前にラリーエボリューションモデルを
設定していた点は先見の明というヤツではないかと?
チョット時代に早過ぎたということですけど
世の中の動きや技術の適応がズレていたら今頃は…と思います
ただCセグメントHBボディだと実戦は厳しかったという評価もありますがね
※同様にCセグメントベースHBのRNN14パルサーGTI-Rが熱問題で本領発揮できなかった歴史があります
リアル頑張れ日産パルサーだったけど頑張ればなかった悲劇の1台ですなあ
タイヤは札幌登録だったこともあり以下の3種を使い分け
夏:標準装着OEMのBS RE71M
スタッドレス:ミシュラン マキシグラス
スパイク:ピレリ WINTER 160 STUDDABLE PLUS
まだスタッドレス創世記だった頃の話ですが
ミシュランスタッドレス最強伝説というのがありました
現代の氷上性能に比較すると足元にも及びませんが
当時レベルでは東北・北海道で装着率№1と謳うあのスタッドレスをはるかに凌駕
冬に乗るならミシュランと知ってる人は指名買いするほどで
当社もその口車に乗せられて買った踊らされ組(笑)
でもこのタイヤでスタッグは一度もなかったですよ
一方ピレリの方はスタッドレスタイヤにスパイクピンを打ち込んだもので
まだまだ性能面で問題があった頃だからこそのタイヤで
2003年頃まで普通に販売されていました
シーズン問わず楽しませてくれたのですが
入手してから2年程で信号でストップ→ギアをニュートラルにすると
エンストしてしまう原因不明なトラブルが多発
当初はクラッチセンサーの不良だということで交換して一旦は治まるものの
数週間でまた再発となり今度はECUも交換するなどやってみると…
頻度は落ちましたがそれでも完治には至らず
嫌気がさして手離してしまいました
バブル期のMAZDAはモデル&グレードの拡大
販売網の多チャンネル化をイケイケでやりまくったわけでして
↓な店頭用販売促進PVも制作していました
☆MAZDA 323GT-X ファミリアGT-X 店頭販促用PV☆
しかし結果的にはユーザーから見ればどれを買っていのかと悩ましたこと
バブル崩壊によるクルマそのものの買い控えをあり経営不振に陥ることに…
それにリンクと言ってしまうと若干語弊がありますが
クルマそのものも細かいところまで行き届かなかった
当社的にはそんな感じもしましたね
これが理由で30年近くMAZDA車から離れてしまったわけです
ところで…
5代目BDから9代目BJまではフォードとの提携からプラットフォームを共用した
レーザーをMAZDAで委託製造を行っていました
BD・BF型では同一ボディで一部デザインを変更するバッジエンジニアリングでしたが
BG型では全く異なるボディを架装するという大胆不敵なまでの変貌ぶり
3ドアHBはノッチ付き3ドアHBクーペとなるのですが
正直ベースのプラットフォームは同じでもここまで変わるかという感じですよ
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/115/548/46cebca54b.jpg?ct=f451eb41d752)
海外生産の日本車を逆輸入車と呼びますが
日本国内生産の外車は何と呼んだらいいんでしょうか?(笑)