毎年GW恒例の
奇跡の一本松への旅。
今年も行ってきた。
去年はコロナで行けなかった。
今年もまだまだコロナだが、
会社の許可は出た。
岩手県なら行っても良い
とのことだ。
マスク・手洗い・消毒など
対策をきちんとしてね。
ならば奇跡の一本松へ行きたい。
というわけで行こう!。
出発 5月1日金曜日 20:50
仕事が夕方に終わり、家で食事と風呂を済ませ、準備をして出発できたのが20時50分だった。今日は岩手県の一関で車内泊の予定だ。一関までは310km。到着は夜中の2時と予想する。
天気はあいにくの雨。雨の夜というのは視界が悪くて運転しずらくて神経つかうね。新潟県から山形県へは国道113号線。新潟市から67km、22時10分に山形県入り。そのまま国道113号で山形県を横断、宮城県に入ったのは、新潟市から134km、23時19分。そして23時40分、宮城県七ヶ宿町のファミリーマートに到着。新潟市から149km休みなしで初めての休憩だ。
ファミリーマートが出来たのは2019年。七ヶ宿町は人口1300人の小さな山間の町、そこによくぞコンビニを造ったな、と感心。ここのファミマはスーパーCOOPとの共同店舗でコンビニとスーパーの中間くらいの大きさ。普通はコンビニにはない野菜や生活雑貨なども売っている。夜中だから客は私のみ。ファミマのトラックが荷下しをしていた。私は夜食の弁当「肉の旨み感じるハンバーグ弁当」を購入。一関に着いたら食べよう。
七ヶ宿町から30分走ると白石市。ここから東北自動車道に乗る。レーダークルーズコントロールを95kmhに設定。えんえんとこの速度で走行。仙台を過ぎるとだんだん疲れが出てきて、めまいというか、気が少し遠くなるというか・・・。夜の高速を走ると私はこうなる。
雨の降り続く東北自動車道を走ること約160km、1時間45分、岩手県に入ってすぐの一関インターで降りる。ここから約4kmのところにある一関市の道の駅「厳美渓」に到着。
一関道の駅で車内泊 午前2:00
道の駅厳美渓はトイレ以外は真っ暗だった。車内泊しているクルマは10台ほど。私は駐車場の隅っこに停車。さっそく夜食の弁当を食べたあと、車内泊スペースをセット。後席を前倒しして、ラゲッジルームに横になる。もちろん寝袋にin。助手席の後ろにクッションを2個置き、頭を乗せると、ちゃんと足を伸ばせて寝れる空間はある。ただしラゲッジスペースに斜めに寝てはじめて足を伸ばせるので、ここで大人二人が快適に寝るのは難しそうだ。まあこれは前のアクセラも同じだったから、MAZDA3はアクセラと同等の広さということ。
約4時間後寝て、朝6時半に目が覚める。疲れていたから熟睡できたようだ。4時間の睡眠でも頭はスッキリ。トイレに行ったり、のんびりしたり、道の駅を出発したのは午前8時。
いざ陸前高田の一本松へ行くぞ。一関から陸前高田までは県道19号線と国道343号線で約65km。陸前高田へは10時に到着。新潟市からは373km、7時間の道のりであった。
道の駅高田松原はすごすぎる
奇跡の一本松がある道の駅高田松原は、2019年に開業。とにかく大きくて素晴らしく立派な道の駅だ。私が今まで見てきた全国の道の駅の中でも、建物の豪華さ、駐車場の広さ、敷地の広さはトップクラスである。
道の駅高田松原は、とても広大な国営の高田松原津波復興祈念公園内にあり、国営の追悼・祈念施設、東日本大震災津波伝承館(津波震災資料館)と一緒に開業した。
横にとても長くて豪華な建物は、向かって右側が道の駅、左側が東日本大震災津波伝承館となっている。まあ、道の駅と津波資料館は後でじっくり見るとして、まずは奇跡の一本松へ行こう。
奇跡の一本松
奇跡の一本松は今年でなんと9回目になった。2012年から毎年GWに来ている。去年はコロナで来れなかったが、今年はついに来ることが出来てうれしい。コロナはおさまっていないけど。
ここで奇跡の一本松の道のりを振り返ってみよう。
2012年は、奇跡の一本松へはまだ正式には行けなかった。立ち入り禁止の看板を無視して、砂利道を進んで、ようやく奇跡の一本松へ到達した。2013年は、国道わきに奇跡の一本松専用駐車場が出来て、そこから一本松まで簡易舗装された歩道が出来ていた。さらに、枯れた一本松がレプリカに変わった。2014年は駐車場で簡易店舗がおみやげを売っていた。
2015年は、大きな変化として、みやげ物ショップ「一本松茶屋」やカフェ・トイレが出来ていた。駐車場も大きくなった。2016年は今までの店にプラスしてラーメン屋もオープンしていた。まるで道の駅のような感じに。2017年、2018年と一本松周辺は変化はなかった。
大きく変化したのが、2019年。広大な敷地の高田松原津波復興祈念公園内に正式な道の駅としてオープンしたのだ。奇跡の一本松をずーっと見てきた者としては、これだけ素晴らしい施設になったのは驚きである。奇跡の一本松を陸前高田の観光の中心にしていくのだね。
ただし、2014年から2019年まで営業していた一本松茶屋はなくなり、更地になっていた。少し寂しいが、あれは仮設の店舗だったもんね。
道の駅から奇跡の一本松へは遊歩道を600m歩く。途中、巨大な防波堤に登ることもできて、そこから太平洋を望める。今日は不安定な天気で青空が見えたり、急に土砂降りになったりしているので、傘を持っていった。
9回目の奇跡の一本松。正式な観光地になり、たくさんの人で賑わっていた。
道の駅と大震災津波伝承館をじっくりと眺める
道の駅と大震災津波伝承館の建物はつながっていて、立派で豪華な、横にかなり長い建物。まずは道の駅でお土産を購入。陸前高田の乾燥わかめや、三陸銘菓「かもめの玉子」、一本松トートバッグなど6200円分を購入。レストランもあるがお腹は減っていなかったのでスルー。
そしていよいよ、立派で豪華な建物の、大震災津波伝承館へ。こんなに立派なのは国立なのだろうか?
ここは入場無料。ただし寄付箱があったので、わたしはささやかながら寄付した。
ゾーン1は「津波の歴史」ゾーン2は「事実を知る」ゾーン3は「教訓を学ぶ」ゾーン4は「復興をともに進める」。かなり見応えのある資料館である。
シアターも2つあった。その一つは、津波の衝撃的な破壊の実際の映像が流される。もう一つのシアターは、津波の実際と教訓の映像が流れる・ガイダンスシアター。この2つとも見るために行列が出来ていて、私も、行列に並び、両方のシアターを見た。
1時間以上、じっくりと大震災津波伝承館を眺めて思ったのは、この資料館は、広島の原爆資料館にも匹敵しそうな、いろいろ考えさせられ、学ぶことが出来る津波の資料館だということ。心揺さぶらされた。大自然というのはなんとも恐ろしいもの。
陸前高田市、いや三陸、東北の観光中心施設なのではないか?日本中の、いや世界中の人がここに来るべきなんじゃないか、と思ったことである。
私は、この道の駅・津波伝承館・広大な祈念公園、奇跡の一本松を含めて、なんと5時間も滞在してしまった。ここに来たのは午前10時だったのに、いつのまにか午後3時までいたのであった。ほんとは今日はもっといろいろな観光地に行きたかったのだが、行けなくなっちゃった。
大船渡・五葉温泉 15:45
さて、今日の締めくくりは温泉。大船渡の街中から12kmほど山間部へ行ったところにある五葉温泉。2014年(だったかな)以来の2回目。中規模の日帰り温泉施設である。内湯と露天があり、無色透明無臭のお湯で満ちている。露天風呂は熱かったので、内湯の広い浴槽でじっくり。眺めはなかなか良くて、ダムとダム湖が見える。
運転の疲れも取れて、まったり満足。
さて、ホテルへ行こうか。
大船渡インター・ホテル椿 18:30
まずは大船渡のスーパー「MAIYA」(マイヤ)で夕食の弁当を購入。スーパーは他にもいろいろあるのだが、このマイヤは三陸に展開するご当地スーパーなので、ついつい寄りたくなってしまうのだ。
大船渡インターの近く、国道45号沿いの山あいの住宅地の中にあるホテル椿。2階建て、34部屋の中規模の家庭的なビジネスホテル。18時半に到着。
食事もつけられるが私は素泊まり。お値段は税込み6050円と良心的。
部屋はやや広め、まあ設備は普通。清潔感は良い。バスルームもあるし、ホテル一階に大浴場(というか2~3人用の狭さ)もあるが、私は温泉に入ってきたのでお風呂には入らない。
部屋で、スーパーマイヤで買ったカップ麺と弁当の夕食。するとすぐに眠気が。昨日4時間しか寝てないからだろう。夜中に一回起きて、しばらく読書してまた寝る。
翌朝は7時起床。8時半出発。
今日は高速は使わず、全部下道で新潟市まで帰る。もちろん観光しながらね。
焼石岳温泉ひめかゆ 11:00
大船渡市から国道107号線、397号線で峠越えをして、奥州市水沢を経由。東北新幹線をくぐり、北上川を渡る。そして同じ397号線で山間部へ向かい、胆沢ダムの近くにあるのが焼石岳温泉ひめかゆ。大船渡から88km、2時間半の道のり。
ここはホテルだが、日帰り棟、宿泊棟ともに別にお風呂がある。今回私が行ったのは日帰り棟。
入湯料は600円。内湯しかないが、お風呂はかなり大きめ。そしてなんといっても素晴らしいのが泉質。温泉の香りが素晴らしい。灯油のにおいがする。なんだがすごいにおいなので、お湯を味見してみると、しょっぱい。そして肌触りはヌルヌルする。
なんとも個性的で素晴らしい温泉だ。びっくり。
まあ、循環使用されている温泉でかけ流しではないけども、この泉質なら大満足だ。日帰り温泉の中でもトップクラスの泉質だと思った。
そんな泉質なのでついつい長湯してしまった。お腹が空いたので、食堂へ行き、味噌ラーメンを食べる。少し甘めの味噌スープとツルツルの細麺で、おいしい。温泉の食堂のラーメンとしてみれば満足のうまさだった。
おそろしく巨大な胆沢ダム 12:30
温泉の近くに胆沢ダム(いさわダム)があるのでちょいと行ってみよう。するとだんだん見えてきたのが、すばらしく巨大なロックフィルダム。調べてみると、高さはなんと132m、長さは723m。132mという高さも日本有数なら、723mという長さもなんと日本一。日本でも最大級のロックフィルダムなのであった。今まで知らなかったダムなのにびっくり。
そして湖水はほぼ満水で、豪快に放流していた。堤体わきから「ザーッ」という音とともに、白い優美な滝のような放流であった。
堤体を歩いてみたり、堤体の下に行って見上げてみたり、堤体の下から奥州湖展望台へ行ってみたりした。なんとなく「→奥州湖展望台」という看板があったので、行ってみたら狭くて急坂な道を走るものの、たどり着いた先は絶景の展望台なのだった!!ダム湖を見下ろし、雪で真っ白な標高1540mの焼石岳を見上げることもできる。
あまり期待しないで行った胆沢ダムであったが、とんでもない期待以上のダムだった。そしていつのまにか14時になっていた。あらら、新潟へ帰らなくては!!
鳴子温泉経由 17:00
帰りは鳴子温泉経由で山形県の新庄、鶴岡市を経由して帰ろうと思う。新潟市までは、まだまだ334kmもある。
胆沢ダムから鳴子温泉までは、国道4号線と47号線を使えば簡単なのだが、遠い。なので、山間部で複雑なルートながら近道を通ることにした。ナビではなく地図を駆使し、2時間半かけてなんとか鳴子までたどり着いた。その経路は複雑で、具体的に言うと、胆沢ダム→県道37号線→胆沢西部広域農道→国道457号線→国道47号線となる。この間は80kmにもなった。
途中、栗原市では、何年か前に廃線となった「くりはら田園鉄道」の細倉マインパーク前駅を発見。まだ線路が残されていた。近くには細倉マインパークという、炭鉱の観光地があり、寄りたかったが、もう夕方なのであきらめる。今度機会があったら寄ってみよう。
そして国道47号線に出た。この道路は宮城県から山形県の庄内地方を結ぶ国道で、ここに出てしまえば安心。あとは地図なしでOK。
鳴子温泉の手前には、道の駅「あ・ら・伊達な道の駅」があり、ちょっとトイレ休憩。売店をのぞいてみると、鳴子こけしが売っていた。鳴子こけしは全国的にも有名なこけし。首を回すと「キュッキュッ」と音がなるのが特徴。家へのおみやげとして、鳴子温泉のどこかで「鳴子こけし」を買うつもりでいたが、たまたま寄った道の駅に鳴子こけしが売っていたので、買ってしまったのだった。
境田分水嶺公園 17:30
国道47号線で宮城県から山形県に入ってすぐのところに、JR陸羽東線の境田駅がある。この駅前に「境田分水嶺公園」というのがあるので寄ってみた。ここは太平洋と日本海を分ける大分水嶺なのにもかかわらず、平地にあるとても珍しい地。大分水嶺なのに、国道47号線とJR陸羽東線にトンネルはない。標高も338mしかない。
普通は、大分水嶺というと大山脈であることが多いのである。たとえば新潟県と群馬県の境の大分水嶺は標高2000m以上の山の上にあり、その下は、道路・鉄道ともに日本屈指の長大トンネルが通っている。だから平たんな土地のこの大分水嶺はとても珍しいのである。
ここは小川が左右に分かれている。左へ流れると太平洋に、右に流れると日本海に到達する。私はそれぞれに葉っぱを流した。片方は太平洋に、片方は日本海に、いずれ流れ着くであろう。なんとも不思議で雄大な気分になれる境田分水嶺公園であった。
新潟市帰宅 22:00
山形県に入ってしまえば、あとは新潟市まで240kmほど。国道47号線で鶴岡市、そこから国道7号線で新潟市。4時間半の道のりであった。
今日のまとめとしては、大船渡のホテルから新潟市までは432kmの道のり、高速を使わず、観光しながらで、11時間といったところだった。
新潟市到着は22時。
なんとも思い出深い楽しい旅であった。
まとめ
走行距離・・・・・858km
使用ガソリン量・・・・・44.9リッター
平均燃費・・・・・19.09kml
ガソリン代・・・・・6515円
ホテル代・おみやげ代・温泉など・・・・・21728円
ドライブ総費用は、2万8243円なり。
素晴らしいMAZDA3の快適性
さて、2日半、858kmも運転して、身体の疲れはほとんどなかった。素晴らしいのが腰の痛み・お尻の痛みがまったくないこと。これはシートの良さを証明している。そのほかにも、背の低さから来る直進安定性の良さ、ハンドリングの安定感などなど、長距離ドライブも疲れの少ない快適なクルマなんだとわかった。
素晴らしいぞ、MAZDA3!!