”洗車馬鹿”という表現では表現しきれない位に洗車が好きな僕は、
”洗車変態”という表現を多用させてもらってますが、いつから僕はこんなになってしまったのか・・・
これまでの半生を振り返ってみました。
【幼少期】
クルマ好きだが、洗車好きでは無い父に育てられ、ごく一般的なクルマ好きなお子様としてスクスクと成長。
(この時期に年が離れた兄が当時流行っていた
赤いファミリアを購入し洗車に目覚めるが、まだ影響を受けず)
幼い頃の愛車(ペダルカー)は変な色のランチア ストラトス。
父親の趣味なのかは謎?
近所をブイブイ言わせて爆走していたとの事。(母親 談)
【小学生~中学生】
コレといってクルマに関わる事無く、健全(?)に生活。
この頃から赤いファミリアに乗る兄のクルマへの愛情が強くなりすぎて、ヤンチャ盛りのonimasa少年は乗せてもらえなくなり、これを境に
むしろクルマが嫌いになり始める。
【高校生】
運命のゲーム
『グランツーリスモ』に出会い、
眠っていたクルマ好きの血が騒ぎ始める。
【大学生】
ついに免許取得。
実家のクルマを乗り回してる時はそうでもなかった
洗車頻度が、
自分専用のクルマを入手してから大加速。
この頃、自分の中で以下の通りの意識を改めました。
『洗車って時間が掛かって面倒』 ⇒
『洗車って長時間楽しめる!』
この意識改革が運面の分かれ道になったんでしょうね(^^;)
僕にとっての洗車の師匠は洗車好きの兄・・・になるのかな?
この時点で まだ
赤いファミリアは健在で、怪しくヌラヌラと輝くボディに憧れを抱きつつ洗車変態として覚醒。
雨さえ降らなければ通学前に洗車・洗車・洗車。
週末となれば3~4時間洗車。
・・・とはいえ、情熱はあっても技術と知識が伴わず、
自己流の酷い洗車を繰り返してたと思います。
今ほどインターネットの情報が発達してなかった時代、頼りになるのは兄のみ。
なのに変なところで職人気質な兄は、洗車の技術を教えてくれず・・・。
技術を見て盗むという状態で、
昭和の丁稚奉公気分を充分に楽しませてもらう事に(^^;)
長くなったので、明日に続きます。
次回、
『運命の出会い。全ての道はワックスに通ず!』をお楽しみに(笑)
Posted at 2011/01/05 22:26:41 | |
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