串本最終日。
我が家にとっては4泊5日、みんなとは2泊3日。
毎日毎日、海、海、海で、この年になって、こんなに海で遊ぶとは、、、、、、、、、、、、
初日に使ったBCやレギュレターはやっと乾いたものの、他のウエットスーツやタオルなどは半乾き。
車は物干し状態です。
家に帰ったらしっかり洗わないと、、、、、、、、
朝はホットドックを作って貰いました~。
普段のキャンプでは、ダッチで作った煮込みやシチューの残りを朝リゾットにするのが定番なので、
朝パンを食べるのが凄く新鮮でした。
いろんな家族とキャンプをすると、スタイルが違って、新しい発見が凄く有って楽しい。
ご飯も食べて片付けも終わって出発~
まず初めに向かったのは樫野埼灯台
エルトゥールル号事件
1887年に皇族がオスマン帝国(現トルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルトゥルル号は初の
トルコ使節団を乗せ、横浜港に入港。
三ヵ月後、両国の友好を深めたあと、エルトゥルル号は日本を離れたが、台風に遭い和歌山県の串本沖で沈没。
その際、ここ大島の村民は台風の中、精魂を尽くし、私財を投げ打って献身的に救助、乗組員600人近く死亡したが、70人を救出した。
当時日本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載されている。
と言うトルコとの友好関係のを語る上で非常に重要な場所なのです。
後の1985年、イラン・イラク戦争の際、イラン上空の民間機を含む航空機の一切の飛行が禁止され、各国のNPOや民間人が特別機で次々に帰国する中、外務省は救援機派遣を日本航空に依頼したが、 「帰る際の安全が保障されない」として日本航空側はイラン乗り入れを断念、自衛隊員215人は取り残された。
その際、トルコ航空機が危険を顧みずテへランに乗り入れ、邦人215人を救出してくれたのである。
これも一重に、エルトゥールル号事件を発端としたトルコの友好の証、そんな場所がここ大島なのです。
ここが遭難慰霊碑です。
今での5年おきに串本町とトルコ大使館共催で慰霊祭が行われているそうです。
この像はトルコから串本町に寄贈されたものでトルコの英雄ムスタファ・ケラル・アタテュルクです。
彼は第一次世界大戦後、分割占領されていた祖国開放に立ち上がった人物で、トルコの国民的英雄だそうです。
樫野埼灯台は大島の東端、樫野の断崖に建つ日本最古の石造り灯台です。
灯台の上は心地よい風が吹いていて気持ちよかった。
以前ここに来た時は、金柑ソフトクリームが売っていて、凄く美味しかったので食べたいと思っていたのですが、、、、
そのお店はもう無くなっていました。
変わりに駐車場横で売っていたおばちゃんのきんかんアイスを頂きました。
これも爽やかで美味しかった~。
次に向かったのは、串本来たらやっぱり本州最南端へ
ここ潮岬は本州最南端で、南西には潮岬灯台が有ります。でもワンコNGなので今回はスルー
ここには潮岬タワーと、「望楼の芝」として知られる芝生があり、昔は一面無料キャンプ場だったのですが、マナーが悪い人が増え、、、、、
半分になり、、、、、有料になり、、、、、、
現在はGWと夏は1日1人600円で、それ以外はエリアが小さくなって有料だそうです。
車の横付けは出来ない様なので、、、、キャンピングカーには辛い場所になってしまいました。
ここに来たら食べなきゃ始まらない物が有ります。
近大マグロ!!
以前は食べ比べ丼だった様なきがしたのですが、、、、、、
妻は近大本マグロ丼
僕はマグロ天丼
近大マグロは、以前食べた時より格段と美味しくなっており、生トロ独特の香りがほのかにするようになっていました。
まぐろ天丼は、、、、、、量が多い、、、、、、、
マグロ丼の刺身の2~3倍の量が有り、それが油で衣をまとっているから、腹に溜まります。
しかも、しっかりとしたうどん付き。
軟らかくてサクサクしてて旨かったんだけど、、、、、量はこの半分で良いかな????
ここで解散して、各々のんびり家路に着きました。
帰宅したのは午後6時過ぎ。
どうぐを全て塩抜きをして、九龍島で使ったタープも洗って干して。
今回の旅、無事終了となりました。
我々は翌日から仕事。
メープルさんは、一人静かな所で旅の疲れをゆっくり癒した週明けだった様です。
にほんブログ村
にほんブログ村
Posted at 2014/07/30 08:31:50 | |
トラックバック(0) |
ワンコと旅行 | 日記