
もう1週間も前になりますが、支援物資を届けた際のお話を日記に書きます。
(とは言っても僕は留守番でしたので、福田と大賀からの伝え聞きです)
今回届けたのは、前回の日記にもありました、たくさんの皆様にご協力いただいた支援物資の数々。
こんだけのお米と美味しそうな食材があればしばらく食うのに困らないだろうなぁ、なんて事を貧乏レーサー大賀は思ったに違いありませんが、ネコババせず、どうやらちゃんとお届けできた様です。
お届け先は、石巻~女川の避難所。
現地の様子は、「悲惨」「大変」「想像以上」だったようですが、そこにいる人たちはすでに前向きになりつつあり、特に女性は「毎日の生活をちゃんと頑張らなきゃ!」と腕をまくって元気よく動いていたそうです。
逆に男は弱くって、1~2割程度の男が「はぁあ~」とため息ついて、生きるエネルギーが減衰している様子だったそうです。
まぁ、その気持ちもわからんでもないなぁ。
必死に働いて、35年ローンで買った家が、大事にしていた船が、車が、木の葉のごとく流されてしまっては、もう一度頑張る気持ちになるまで時間がかかるのも仕方ないでしょう。
頑張れ父ちゃん!
福田、大賀ともに一致していたのは、
「僕らは被災地の人たちは「可哀想な人たち」と腫れ物を触るように接しがちだけど、そんな必要はいらない。普通に会話して、冗談言い合って、笑えばいいんじゃないですか。あまり気を使いすぎると相手も居心地が悪そうだし。自然で良いと思います。」
との事。
あんな大変な目に遭った人たちに、いったいどんな言葉をかければいいのか?考えれば考えるほど答えが見つからなくなって、黙り込んでしまいそうですが、
普通にしてれば良いのか。
なんだかホッとしました。
ライフラインの復旧の状況は、場所によって電気ガス水道揃っている所もあれば、何もないところもあって、一概は言えないが、
いちば最初に戻ってきているのが、電気。
これは戻っているところが多いとか。
ガスは、被災地が田舎なのでプロパンガスの世帯が多く、流されたプロパンのボンベを探し出してきて、とりあえず火を使えるようにしたり、DIYで復旧しているところもあるとか。
水道は、沢の水や、古井戸の水でなんとかしたり、自衛隊の給水の世話になったり。
とりあえず、ギリギリの線で生活できているけど、不便だろうなぁ、という状況ですね。
牡鹿半島の漁村の奥地になると、自治体が壊滅的な被害を受けていて、避難している人、避難していない人の把握ができていないらしく、物資の配給が届いていないところも散見するようです。
そこで頑張っているのが自衛隊。
市役所や自治体が機能していないので、自衛隊自ら各集落を調べて回って、どこに誰が何人残っていて、どんな状態であるか?を把握し、物資の配給を毎日しているそうです。
彼らの頑張りには頭が下がります。
とはいっても、自衛隊の用意できる物資はお米とか水とか最低限の生活物資に限られるのが実情の様で、今回お邪魔したぼくらのような民間のボランティアが持ち込む、お菓子とかみかんとかマヨネーズとか、そういう物資が非常に重宝されました。
重宝してもらえるのはありがたいのですが、心配にもなります。
彼らは高齢者の人たちが多く、地震の前は、郵便配達の人やヤクルトのおばちゃん、新聞配達の人に、生活物資を届けてもらって生活していたような、移動範囲が極めて狭い人たちなので、現状で自衛隊や民間ボランティアの物資が止まった時にどうなってしまうのか?心配です。
ぼくらはできる限りの支援をしたいと考えていますが、三重~牡鹿半島をトラックで往復すると、燃料&高速料金で5万弱、物資その他を含めるとそれなりの金額になります。
さすがに毎週いくのは無理です。
これからも継続的に活動して行きたいと考えていますが、定期的に、とはいかないので、奥地の人たちへの支援システムが早急に出来る事を期待します。
(自治体の人たちも被災者で、厳しい状況下で最大限頑張っていると思います。ですから、全ての人たちに支援の手を行き渡らせるのはものすごく大変だと判っていますが)
で、実は「毎週行くのは無理だよ」と言いながらも、大賀が「やっぱり行きます!」と今週も被災地に向けて物資を積んで出発しました。
今回はレース仲間のレオ君と一緒に。
彼らの気合にも頭が下がります。
とりあえずご報告まで。
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Posted at
2011/04/18 15:24:05