みんカラの皆さま、ご無沙汰しております。
フヂイ エンヂニアリングの藤井です。
最終投稿が2014年になっていましたから、約4年ぶりになります。
このたび、フヂイ エンヂニアリングは念願のロードゴーイングスポーツカーの製作に着手する事になりました!
フヂイ エンヂニアリングはクルマ造りたくて仕方なくて立ち上げた工場です。今までは、AE86のリヤセクションをパイプフレーム化したミッドシップハチロクを製作したり、オリジナルパイプフレームのM01を製作したり、意欲的に(やりたい放題)自動車製作をやってきました。
それはそれで楽しかったのですが、でもフヂエンのクルマ造りの最終目標は、ナンバー付きで街を走れるクルマだったのです。
自分で設計したクルマで街を走る・・・・、これってクルマ好きな人なら一度は考える事じゃありませんか?
という事で、今回、僕らがスポーツカー造りに取り組むことになったキッカケをご紹介させて頂きます。
さかのぼる事、1年ちょっと前。
僕は、M01の製作からしばらく経って、EVバイクの試作やら、何かとモノづくりには取り組んでいたものの、大きな予算を必要とする自動車造りには手が付けられないまま、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな時に、僕のクルマ造りの師匠である童夢の林みのるさんから電話が掛かってきました。
「マクランサって知ってるか?あれを復刻させようと思うんやけど、やってみるか?」
え?あ?う?僕が?あの、マクランサ?復刻?・・・マジですか??(歓喜)
嬉々として童夢本社のある米原まで飛んで行きました。
そして、7月の林さんの引退記念パーティに向けてマクランサとカラスの2台をウチで製作する事になり、それはもう楽しいクルマ造りの日々でしたよ。
FRPと鉄パイプフレームですから、特に新しい技術に挑戦する、というモノではありませんでしたが、1965年ごろ、林さんと浮谷さん、本田博俊さん、他の仲間たちが、どう考えてココを設計したのかな?どう工作したのかな?とか、想像しながら、ちょっと僕もその伝説的なメンバーの仲間に入れてもらって作業していたような錯覚を楽しみながら2台のクルマを完成させました。
完成した頃には、
「
やっぱりクルマを作り続けたい。」
と、一時期は抑え込んでいたハズの「クルマ造りの衝動」がふつふつと湧いてきて、自分のリソースの中で実現可能なパッケージを考える事を始めました。
で、考え出したのが、
「マクランサ2015 K4GPスペシャル」
でした。
マクランサを製作している間、
「このクルマ、ちっこいけどカッコいい。今は無駄にデカくてハイパワーなクルマが多いけど、こういう大きさのスポーツカーがあったら魅力的なのになぁ。」
とずっと感じていたのです。
そこで、オリジナルのCFRPツインチューブモノコックを新作して、マクランサのボディカウルを被せて、しかもナンバー取得して、ナンバー付きで富士のK4GPに参戦して優勝だ!!
と妄想が暴走。(笑)
とは言え、マクランサのカウル型は林さんのモノです。
残存するマクランサから3Dスキャンして3Dデータ化、3Dモデリングした後にCADで図面化、それからマスター製作してメス型製作、最後に製品を成形、、、というとんでもない手間と費用が掛かっているシロモノです。
僕にはとうてい「型使用料」を払える訳もないし、タダで使わせてほしいなんて超失礼だし(汗)、でも造りたい。
よおし、こうなったら直接お願いしてダメだったら仕方ない!
と、再び米原へ伺って林さんに「マクランサの型を使ってクルマ造らせてください!」とお願いしました。
すると、
「別にかまへんよ。でも、そんな事して何の意味があるの?」
あれ、良いんですか?
(汗)
え、でも、意味ですか?特に考えてなかった。(滝汗)
カッコいいクルマを作りたい、だけ?です。
それからは、林さんに当時造ろうとしたけど、時間と費用の障害で作れなかった「本来のマクランサ」の詳細をお聞きして、あ~して、こ~して、とクルマ造り談義に盛り上がりました。
普段は、それほど僕の前では楽しそうにクルマの話をされる方ではなかった印象でしたが、この時は、本当に楽しそうにクルマ造りのお話をされていたのが強く印象に残っています。
童夢とフヂエン、技術レベルにはすごい差がありますが(汗)、根っこにあるクルマ造りへのキモチはあまり変わらないのかなぁ、と嬉しかったです。
正式にマクランサの型使用の許可を頂いたので、さらにやる気を増した僕は初期の図面作製に着手しようと思ったその頃、再び林さんから電話が掛かってきました。
「マクランサ造るのもええけど、今さら古いクルマもなぁ。せっかくクルマ造るなら、キチンとした、そしてアイデアの詰まったクルマを作らんと。支援するからやってみなさい。」
え?あ?それは、どうゆう事ですか?(滝滝汗)
思考停止。(笑)
しばらくフリーズして、やっと脳CPUが再起動した僕は、やっと林さんの話が耳に入るようになってきました。
林さんの計画は、その時点で殆ど完成していました。(考え抜いた後は即断、実行。このあたりがやっぱり凄い人だなぁと思います)
プロジェクトの内容は、
・シングルシーターのカーボンモノコック、スーパースポーツカーを作る
・軽自動車の規格に則って造る。(世界初の軽四スーパーカー!)
・開発はフヂエンが行い、リソースの限界もあるので童夢に技術支援していただく
・もちろんナンバーを取得する
・ガソリン車とEVを1台ずつ製作する
この強烈な内容の電話の後、興奮さめやらぬまま「うお~すげ~!」と考えを巡らしていた時、ある事に気付きました。
でも、これって童夢で造れば、すぐに造れちゃう事だよね?LMP造れる童夢ですから、もちろん造れるはず。でもあえて僕らに、という事はつまり、これは林さんが僕らに与えた大きなチャンスであり課題なんだ。
そう気付くと責任の大きさに変な汗が出てきました。(笑)
こりゃああ大変な事になったぞ。
でもね、責任の大きさとか、チャレンジの大きさとか、考えたところで、「クルマを造りたい」衝動の前に、何のブレーキにもなりません。(笑)
あっという間に、
「やるぞ~~~!造るぞ~~~!」モード全開に。
という経緯で、
Super Sports K4 Project
はスタートする事になりました。
日本レース界の伝説的人物である林みのる氏の監督総指揮の元で、僕らがどう挑み、どう悩み、どこまで成長していくのか、これから1年間のプロジェクトをこのブログで詳しくご紹介させていただきますので、これからも宜しくお願いいたします。
フヂイ エンヂニアリング
藤井 充
http://fujii-engineering.com/