2010年09月09日
先日、童夢のウェブサイトにて「Graduation from Lemans」と称して、ルマン24時間耐久レースからの撤退が発表されました。
ボクにとっては大きなこのニュース、今のところは一般メディアに取り上げられた形跡はありません。
レース関連サイトでは確認できましたが。
童夢社長の林氏はウェブサイト内で、
「童夢がルマン挑戦に終止符を打つという事が、誰にも何にも迷惑をかけないほど影響力の無い出来事で、私なんかは、これをわざわざ発表する必要があるのだろうかと迷うくらいどうでもいいことだと言うことです。」
と述べておられますが、それは林さん一流の皮肉を込めたユーモアで、実際にその影響力の大きさは計り知れません。このニュースは、GTやFポンで誰が勝ったかどうのこうのよりも重大だと思うのですが。
じゃあ何がどんだけ重大なんや?
って思いますよね。
結論を先に申しますと、
童夢がルマンへの挑戦を辞めると、事実上、「MADE IN JAPAN」のレース技術が世界基準でどの程度のレベルにあるのか、を計るモノサシを失うのです。
今まで、童夢が日本のレース産業の牽引役としての役割を、好むと好まざるに関わらず引き受けてきました。林さんは「好きなコトを好きなようにやってきたダケや」と仰るかもしれませんが、それはそれで結果オーライです。
童夢がルマンに参戦するコトによって、設計者やエンジニアが育ち、メカニックが鍛えられました。
それだけじゃありません、車両製作に関する、例えばカーボンコンポジットの製作技術や評価方法、そういったありとあらゆる技術基盤がボトムアップされてきたのです。
これらはもの凄い財産なのです。
ルマンを経験したメカニックが日本へ帰って、それぞれの地方のレースメンテナンスの仕事に戻ると、そこにルマンでのノウハウが持ち込まれて、地方のレースメンテナンスのレベルが上がる、そういう事があらゆる場面で繰り返されてきたのです。
以下はボクの考えですが、人間は日々努力して成長するものですが、同じ人間が10日間、
① たった独りで努力する
② ライバルがいる状況で努力する
のでは10日後の結果は大きく違うのです。もちろんライバルがいる状況で努力を重ねたほうが到達点は高い。
人間の本当の力は競争によってしか引き出されないのです。
「ルマンに行ってライバルに打ち勝って世界の頂点に!」という童夢の競争への情熱は、続けているうちに日本では競う相手の居ない唯一無二の存在になっていました。
だからこそ、世界に向かって唯一挑戦し続けてきた童夢が辞めてしまうというのは大きなニュースなんです。
これからの日本のレース界は、徐々に本格的にジワジワと「完全なる井の中の蛙レース」になってゆくでしょう。
「日本独自」が売りのF-NIPPONは既に、世界の中では「ガラパゴス化」して久しいし、
興隆を極めるスーパーGTだって、極端なレギュレーションの中で運営されているから、世界基準で日本のマシンが速いのか遅いのか見極め不能だし。
(だから、そんな中で日産がGT-RでFIA-GTに挑む姿勢は高く評価できる)
そのうちに、日本のレース産業は衰退して、輸入レーシングカーのメンテナンスするしか出来なくなったりして。
もともと地理的にも文化的にもヨーロッパから遠く離れた日本は、ヨーロッパのレース界への憧れを持ちつつ、「いつかあそこで勝つ」という情熱を持って、(時には金ヅルとして)資金を投入したり、日本の技術を投入するコトによって日本の存在感を示してきました。
しかし資金を投入する経済力を失い、さらに技術を投入する機会を失えば、極東の日本なんて、ヨーロッパ人にとっては、
いてもいなくても良い存在
に成り下がります。
人畜無害な空気みたいな存在。
コンパに行って、翌日には名前と顔が一致しなくなって、3日後には居たのかもすら忘れ去られてしまう存在。
(これからは中東のアラブ人や中国人がヨーロッパ人にモテるんだろね、キーーー!ってか)
そんなのヤダ。
やっぱり日本は技術力を持ってして世界の頂点に立ち続けているべきなのです。
いや、この表現は正しくない、今は世界の頂点にいないから「世界の頂点に挑戦し続けるべき」なのです。
だからと言って、その役目をずっと童夢に押し付けておくのは無理のある話なので、
誰か世界に挑戦する気概のある人達はおらんかね?
しばらくは誰もいないだろうなぁ。
でも、何年かのウチにボクは挑戦しますよ。
Posted at 2010/09/09 00:30:08 | |
トラックバック(0) | 日記