
父が他界しました。84歳でした。
夏休みで久しぶりに家族で帰阪し、皆でお見舞いに行った夜の事でした。
待っていてくれたんだな~と思いました。
昨年の1月末に倒れてから1年半、頑張ってくれたと思います。
母は丁度10年前だったのでこれで両親とも他界してしまいました。
ずっと長い間離れて暮らしていたので・・・悲しさはあまりなく、僕は冷たい人間なのか?寂しさが少し。
まあ、実感がないというのが正直なところ。
父は昭和5年に12人兄弟の末っ子として生まれ、母は10年に5人兄弟の長女として生まれ、ともに戦争も経験してきた世代。
父は京都の芸術大学を出て40年間美術の教師をしその後も仕事を探してきては昨年倒れるまでは働いていた。
体に恵まれ円盤投げ、砲丸投げで国体に出たと自慢してしたが確かに僕が腕相撲で勝てるようになったのは・・・父が大分歳とってからでした。
お金がなかったわけじゃないがやっぱり贅沢は出来なかったようで、お医者さんが手放す車を貰ってきては車検が切れるまで乗り、切れたらまた次のポンコツという風に20~30台くらいポンコツばかりを乗りついできたろうか?まあ、当時まだ車に乗ってる人も少なかったから。
むかしの車の故障話はどれもこれも面白く、ステアリングのラックが壊れて?前輪が観音開きになったとか・・・ドライブシャフトが走行中に折れてとんでもない音で恥ずかしかったとか?
僕みたいに新品部品を買うわけじゃなく、解体屋に行って中古部品をあさってくる本当の車好き。
母がフロアに敷いてある段ボール紙をめくると地面が見えたとか?
冬の朝のエンジン始動はバッテリーにお湯をかけてから一発勝負なんだと・・・・笑
(失敗すると職場に遅刻だからね)
1100ccエンジンを自分で1300ccに乗せ換えたあと、スピード違反で捕まり『意外とお歳を召してますね?』と言われたり。こないだまで○80キロ出して喫茶店仲間に『飛ばし屋爺さん』と言われてた話。
自分の部屋に大事そうに飾っていたロータリーエンジン。
よせと再三言ったのに80歳にもなって・・・大阪から東京まで兄のバイクにタンデムして来るし。
兄と二人で車を全塗装したり。ガソリンがもったいないからと長い下りはニュートラル走行。汗
オイルと水だけはいつも確認しとけと・・・口癖だった。^^ まあ、これで助かったこともありましたけどね。汗
ジャガーMKⅡとボルボアマゾンが好きだと言っていた父だったが、それらには乗れなかった。
代わりに光岡のビュートやバンデンプラ・プリンセス、ダイムラーDD6が乗れたんだから満足はしていたみたい。
費用がかかるからとダイムラーも自分で持ち込み車検。僕もやったことないのに。
もう、一緒に好きな車をドライブできなくなったのかと思うと寂しいですね。
ただ・・・ただ・・・楽しい、楽しい思い出ばかりです。
Posted at 2014/08/22 23:09:09 | |
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