
地震発生から10日間ほど経ちます。
まずは、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
幸いにして、我が家の家族、建物には被害はありませんでした。
最初の2~3日は家族と過ごした時間が多く、日常を取り戻すための第一段階。
その後に出勤できる状態になってからは、休日も関係なく仕事としての震災対応が続きました。
まだまだですが、初動対応としては、ひと段落したところでしょうか。
落ち着いたら後でまとめよう、と思って打ち綴っていたもの。
面倒になったので、あまり整理せずに、時系列そのままでアップします。
時間が経って自分で読み返せば、まとめてない方が生々しく思い出せるのかも。
1.台風21号
全国ニュースではあまり報じられませんでしたが、大阪に大きな被害をもたらした台風21号は、けっこうな勢力を保ったまま北海道を襲っていました。
相当な強風で、0時~4時頃は心配で眠れないほど。
朝になると、あちこちで街路樹や森の中の木が折れる被害が出ていました。
農地ではビニールハウスがかなりやられたそうです。
鉄道は終日運休していました。
台風ですっかり寝不足になり、「今夜はしっかり睡眠をとろう!」と思って熟睡していた午前3時過ぎ、今度は地震で起こされることになるのでした。
2.地震動
ゴォーっという地鳴りのような振動(地鳴りと感じただけで家が揺すられて発生した音だと思う)
家が砂利の坂道を走り出したかのような振動。
最初の揺れの段階でも「この地震は尋常じゃない!そして近い!」という威圧感満点でした。
寝起きの瞬間にもかかわらず、
〇初期微動でコレかよー
〇近いぞこの震源
〇この後いったいどんだけの揺れが来るんだ?
〇ついに自分の人生にもこのクラスの地震が襲ってきたかー
などといろんなことが頭の中を巡りました。
初期微動ですでに震度3くらい、その後予感どおりの大きな揺れが襲ってきました。それと同時くらいでスマホに緊急地震速報
「家が壊れるかもー、なんとかもってくれー」と祈りながら揺れが収まるのを待ちました。
どういう姿勢だったか記憶があいまいですが、たぶんベッドに腰かけた状態。
棚本体が倒れたりするようなことはなし。でも棚の上に置いてあるだけの不安定だったものは床に散らばりました。
アラフィフにして、幸いこれまで震度5の経験も無い自分にとっては、恐怖を感じる揺れ。
木造家屋の2階にいたこともあり、自分の感覚では震度5強~6弱ぐらいに感じました。
3.すぐに停電
地震発生と同時にウチの辺りは停電。でも札幌市中心部方向は空が明るく、停電していない様子。
でもやがて真っ暗な景色になってました。
運悪く、私、嫁ともに携帯を充電せずに寝ていたため、ふたりとも50%未満。バッテリーの温存が重要課題に。
ラジオや懐中電灯は、幸い、最近身内から仕入れたものがあり、すぐに電源オン。
乾電池の在庫はあり、当面は心配なし。
水道を捻ると水は出ます。断水したら困るので、すぐに風呂釜や鍋に水を溜めました。
ときどき余震。
職場からは自動の安否確認と、上司からのメールでの安否確認。
4.これから何すればいい?
うっすら明るくなってからも停電が解消せず。
嫁ハンと「冷蔵庫がヤバいね」という話になり、まずはふたりで棒アイスにしゃぶりつく(;^_^A
牛乳は、氷を入れたボトルに移して延命を図ります。
食べ物は、足の早そうなものから順に、腐る前に消費しよう、ということに。
おかげで、結果的に数日間はいつも以上に豊かな食卓、若干体重増(;^_^A
アイス食べながら、停電が長引いた場合に何が要るか、備蓄は大丈夫か、という話に。
飲み物はいつも箱買いしていて備蓄がある。
カップ麺は普段から食べる機会が少なく、備蓄ゼロ
IHコンロが使えないが、カセットコンロとボンベの在庫がなぜか大量にあり、煮炊きの心配は無さそう。
ずいぶん前に買った松居一代さんプロデュースの圧力鍋があり、カセットコンロでも最小のガス消費でご飯が炊けそう。コメの備蓄も充分。
500リットルの電気温水器なので、2~3日は溜まってるお湯を使ってシャワーは浴びられそう。
そして時間が経っても断水にはならなかったのが何よりの救い。
不便ではあるが、しばらくはなんとかなるな、といった感じで電気無し生活が始まりました。
唯一、ふたりともスマホのバッテリーだけが心配
5.買い出し
なにをすべきか考えているうちに外が明るくなってきました。
仕事のガラケーでワンセグが受信できるのを思い出し、テレビで情報収集。
LINEでつながっているみん友さん達との安否確認・情報交換もこの頃。
北海道内全ての発電所が停止しているという情報をいただいたのもこの時。
停電が長引いた場合、長期的には食料の調達が心配。
ということで、開いてるかわからないが近くにコンビニ(セコマ)へ買い出し。
一件目はクローズ。張り紙を見ると「停電のため18:00に閉店します」と。
18:00? 前日の台風による停電で閉まっていて、そのまま開いてないようでした。
2件目のコンビニ(セコマ)は、店内に大勢の人が群がっています。
電気が灯っていない店内は薄暗く、よくある酒類が落下して瓶の破片が散らかった状態でした。
買い物かごがもう無いので、とりあえず片手で持てる範囲でカップ麺と弁当などを手にしてレジの列に並びます。
食中毒を警戒してなのか、本部からの指示で冷蔵・冷蔵品は在庫があっても販売できないらしく、文句を言ってる人もいました。
停電でも使えるハンディ端末が準備されていて、店員さんがピッ、ピッと手際よく客捌きしています。
セコマ、なかなか防災対策がデキてますね~ 好印象です。
6.道路事情
北海道全体が停電していると知ったのは前出の買い出しのとき。
歩いている最中、すべての信号が消えていて、大きな道路同士の交差点はお巡りさんが交通整理。
スマホ同様に、車の残り残量が少なく、給油できるまでは無駄走りは避けねばなりません。
鉄道も動いておらず、職場に行ったって電気が無けりゃ何もできないので、まずは自宅待機。
午前中はラジオとスマホで情報収集をしながら、二日連続の睡眠不足なので軽く横になったりも。
スマホは、時々クルマのシガライターにつないで充電。でも1回に10~15%程度しか増えず、満タンが程遠い。
7.職務上、できることは?
同僚がどんな状況か、何してるか電話連絡。
こんな状況でも客先回りしてる偉いヤツも。
とりあえず家庭は深刻な状況ではないので、自分の担当でできることを相談。
今回の震源域は、仕事上、月に3~4回、通ったり寄ったりしてるエリア。

地震当日の夕方、何かできることがあるかどうかを探るため、被災地へ向かいます(野次馬ではないですヨ)。
朝は営業していたコンビニなども100%閉店。
途中の道路はほとんどの信号が消灯。

こんな状況でも渋滞しないのは、さすが密度の低い北海道。
いや、むしろ赤信号で止まらないので、いつもよりいいペース(笑)
最強震度の町に近づいても、道路は変な凹凸もなく、傷んた建物も見当たらず、意外なほど被災地感がありません。

テレビ報道で写し出されている倒壊家屋以外は傷んだ家屋は見当たりません。
地震当日の夕方は「水だ、食料だ、避難所だ」と。当然です。
その辺は自分はあまり力になれそうもありません。その辺は自衛隊さんがやってくれることでしょう。

暗くなるまでには電気が通ってくれればなぁ、という願いは通ず、停電のまま夜に突入。
いつも走り慣れた道の風景、車のライト以外の明かりが見えないというのは、異様でした。

原始の北海道ってこんな感じ?

「二度と見ることができないかも」という変な好奇心が芽生えたりも。
惜しむらくは手振れ補正のないコンデジしか持っていなかったこと。
8.キャンドルナイト(地震の夜)
煮炊き、お風呂(シャワー)は心配ないのですが、暗くなってからでは作業が大変なので、明るいうちに済ませるように。
神棚用のろうそくに火を灯して夕食。
外に出てみると、ゴーストタウンのような暗さ。そしてすごい星空。
札幌市中心部方向で電気が灯っている街区も。ウチも点かないかなぁ~
点かないし、寝不足もあるので、早めに寝ることにします。
9.給油・食料買い出し(地震の翌日)
翌朝、停電の中でも開いているコンビニが幾つかあり、モノが少なくなった棚から、お茶、カップ麺、缶詰、お菓子類など保存の効く食料を追加調達。
同じく停電で営業できていないガソリンスタンドが多く、営業しているところはどこも1km前後の列。
翌日になれば停電が回復してガソリンスタンドも落ち着くだろうし、どうしても今日給油しなければならないほど減ってはいませんでした。でももし大きな余震がきて停電が長引いたら・・・とか考えると心細さも。
ヒマはあるので、エネオスの列に並んで待つこと1時間。
エネオスじゃなくてその先にある出光の列だったとは エエ(;゚Д゚)ー
いまさら並びなおせないので、さらに20分並び続けて出光で満タン。
振り返ってみると、ガソリンの調達がいちばん大変でしたが、もう1日ガマンすればそれほど苦労することもありませんでした。
10.二日目のキャンドルナイト
停電二晩目はキャンドルではなく、LEDランタン
息子の友達宅は電気が来たとのことで、良いモノを貸してくれました。
安全だわな。
途中で9時前に我が家も停電解消
長かった気がするけど電気無しは2日弱。
震度6強~7のところもあったけど、その割に家屋の倒壊は少ない印象。きっとそれは夏だから。
冬ならば家屋の上にはズッシリと数トンの雪がのっかった状態。それでシェイクされると倒壊家屋は格段に増えるはず。
そして長時間停電は暖房が使えず、身動きできない人は凍死。身動きできる人は避難所に殺到
そんな日が猛吹雪だったりしたら・・・
この災害が冬に起こったと思うとぞっとします。
これを機に推進派の人たちは「泊原発を稼働させないとダメだ!」と主張する展開になるんでしょうね。
11.再度被災地へ(地震翌々日)
誰かに頼まれたわけではないけど、ある小さな任務。
ガソリン入ったので、安心して向かうことができます。
決して野次馬ではありません。
少し喜んでいただけたというか、役に立ちそうというか・・・そんな感じのリアクションをいただけたのでひと安心。
今回は最も揺れ・被害が大きな厚真町へも向かいます。

途中にある橋の前後の段差が大きくなっています。

自衛隊さんが重機を搬入したり

物資輸送や炊き出し、お風呂等の被災地支援

車で目抜き通りを何本か走りながら見ただけですが、倒壊家屋や傾いた建物はおろか、壁が剥がれたりガラスが割れた建物すら見当たらず、 本当に震度7も揺れたの?って思いました。

よく見ると、市街地に液状化で泥水が流れた跡や、農地や道路に地割れや陥没したところはありました。でもそれも一部分です。

震源近くで地震に見舞われた方々のお話を伺うと、「端にあったテレビがリビングの真ん中に移動していた」とか「棚の上にあったものがベッドの上に飛んできた」とか「枕元にあった鍵がどっかに飛んで行って探すのに苦労した」とか。
やはり自分の体験より遥かに強い揺れに見舞われたことが伺えました。
今回の地震は郊外の林縁部や山の土砂災害の酷さが特徴的です。
↓このような斜面の下に家を構えていた多くの方が亡くなられました。

場所によってはもとの地形が殆ど残っていない山も。
一瞬で大量の樹木が失われ、地肌が露出したよう。
今後、雨が降るたびに大量の土砂や倒木が流出すると考えると、2次災害のリスクも。
被災地から戻る頃、きれいな夕焼け

写真を撮ったりしてたらまた震度4の余震

この写真を撮った辺りは余震域の真上。
12.週明け月曜日
停電解消から2日目、日常が戻ったかのように思えますが、コンビニの商品はぜんぜん復活していません。
惣菜・弁当類、冷蔵食品がぜんぜんありません。
少しずつ改善に向かいましたが、商品が少ない状態は金曜日頃まで続きました。
揺れの大きかった地域の復興には時間がかかると思います。
下を向いたりするたびに常に揺れてるような気がするのは、自分では意識しなくても、地震の恐怖が多少トラウマになって刻み込まれたのかな?
周りの人もみな「揺れてる感じがする」と言います。
それにしても全国的に大きな災害の多い今夏。
これ以上の大きな災害が起きないこと、そして早く復興することを願うばかりです。