2014年07月15日
続・遠い記憶の中の道
私の遠い記憶にある道…
前回は保育園へ歩いて通った田舎道をご紹介しましたが、
私にはもうひとつ古い記憶の道があります。
それは思い過ごしか妄想か…
まぁ思いつきの独り言ですので取るに足りない戯言です。
幼少時、一番最初に気になった国産車はRS41クラウンでしたが、
幼少の頃から頭の片隅にいつもあった風景とクルマ。
それは欧州の山岳地域の緑の高原の曲がりくねった道を、
アイボリーイエローのW111メルセデスで行くものです。
時には街のカフェーで歩道越しにそれを眺めたり。
※W111は日本での俗称ハネベンと呼ばれるモデル。
私の記憶に度々あらわれる前世の愛車は、
アイボリーイエローのような車体色で上屋がライトグレーのツートン、
内装はオフホワイトのレザーでホワイトのステアリング。
1960年型?
前世の記憶なのだろうか?
私は1963年生まれなのでノイエ・メルツェーデスを楽しんだのは
ほんの2~3年だったのかな?
メルセデス好きの現世で培われた妄想なのだろうか?
何故私は旧いメルセデスが好きなのか?
現世でメルセデスを手に触れた時の手応えの印象は懐かしさ。
W114メルセデスを見た時の感想は「お、モダンな新型ですな」
W116を見た時は「行き着くべき方向に行ったな」
W126が出た時は本気で購入策を練り…
手にした時は我が家に戻ったような実家のベッドに寝転んだような安堵感を覚えた。
現代最新のメルセデスには懐かしい手応えが希薄になってしまった。
でもC以上のモデルに脈々と受け継がれるフラットな水平移動感覚が
健在なのは嬉しく思う。
時は流れ、自動車を取り巻く環境も変わり、
クルマに求められるんのは変化してしまった。
「宝物のような愛すべきかけがえのないもの」から、
公共交通に乗るような「そのもの」を意識せずに利用できる
時の巡りで乗り合わせる簡便な消耗品。
所有し、走らせ、感じる喜びは過去のもので、
移動の便利さがなによりな現代のクルマたち。
低燃費と、簡易な機構による初期およびメンテナンスコストの低減は、
自動車本来の「いつでも思い立ったら自由に移動できること」を
最も叶えているものなのかも知れない。
「過剰な高品質と高性能」で存在を正当化する」ことよりも、
「アクセサリー満艦飾」で購買者に媚びることよりも、
低廉な日本の安クルマは自動車に求められる原点に回帰しているのかな?
私はW111の記憶の呪縛からメルセデスこそ自動車のあるべき姿と長年
信じていたのだけれども、日本でメルセデスに乗ると意外になにかと不便、
不自由だったりする。
日本車での遠出で疲れると嘗て馴染んだメルセデスに戻ろうかと思う反面、
経済最優先の社会においては経済的にモビリティーの自由度が高くなる
低廉な今風の日本車にしようか大いに悩むところです。
W111や数代後継のW126は想い出の名車。
現代は「走ルンです」が身軽でいいのかな?
そういえば写真を撮るにもNew F1やEOS 1の出番は少なくなり
もっぱらiphoneを使っているこの頃です。
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Mercedes | クルマ
Posted at
2014/07/15 01:50:49
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