
~公式紹介文~
「クラウン」に対してどのようなイメージがあるでしょうか?クラウンの原点には豊田喜一郎の「大衆乗用車をつくり、日本の暮らしを豊かにしたい」という想いがありました。 誕生から今年で70年。 国産最長寿の乗用車として16代にわたり続いています。
今回の企画展では1955年の販売開始から現在までを創業期・成熟期・変革期に分け、全16代の車両でご紹介いたします。
これまで決して平坦な道のりではありませんでした。なぜ70年生き続けているのか・・・時代によって変わっていく「日本の暮らし」に合わせて「クラウンらしさ」を追い求め、「継承」と「革新」を繰り返したクラウンの開発の歴史を知っていただければと思います。
クラウンという車名を聞いて「日本を代表するトヨタの高級車」と答える人は少なくないと思います。
同級生のご実家でクラウンを歴代愛用している家もありました。父が独立するまで働いていた写植屋の社長もクラウンに乗っていました。或いは、私の母の実家でも一時期クラウンに乗っていたらしいです。
輸入車が今より遙かに高級品だったころ、クラウン(やセドリック・グロリア)が実質的なハイエンドでした。あくまで日本人のために作られた純和風の高級乗用車として揺るぎない信頼を勝ち取り、ユーザーとの間の絆を深めてきたわけです。
この企画展ではクラウンの70年の歴史を実車を通じて振り返るというものです。
企画展で定義されたゾーニングに従いつつ、企画展で撮影した写真を紹介します。車両に対する詳しい紹介は他に譲り、見学メモ程度に軽くメモを残すつもりが時々たくさん書いてしまいましたので前編後編で二分割しました。
時々みん友さんのブログへのリンクも貼っておきます。
創業期(初代~4代目)
初 代 トヨペット クラウン RS-L型(1958年)
展示車は非常にレアな対米輸出仕様RS-L型です。トヨペットクラウンRS型は1955年に発売され、当初は販売が伸び悩んだものの、月産1000台のラインに乗り順調に実績を津に積み重ねていた1957年、2台のクラウンがサンプル輸出され、販売店へのデモンストレーションと試験走行を行いました。
現地のフリーウェイではE/G音が騒がしくなり、出力が低下するなど市場適合性が乏しかったにも関わらず、朝日新聞社によるロンドン-東京5万kmドライブの成功も後押ししてクラウンに対する過信と勢いでアメリカ進出を果たしています。
米国トヨタ自販が設立され、アメリカのヘッドライトの照度に適合するために
GE製シールドビームを現地で組み付けるため、ヘッドライト無しの状態で生産し、アメリカへ輸出していました。
国内での評判はさておき、アメリカ市場では惨敗を喫して撤退しました。情報網が限られていた当時ゆえ。日本市場のお客さんのニーズが掴めていたトヨタも海外市場のニーズや必要な要件に関しての知見は無かったようです。仕向地の要件を無視してエイヤで世に問うてしまう向こう見ずな姿勢はちょっと現代に通じていますね。展示車は開館当初には3Fで飾られていた個体であると朧気ながら記憶しています。
初代クラウンは、エポックメイキングなクルマですから映画に出たり、
販売会社が保存していたり大切に残されています。
2代目 トヨペット クラウン RS41型(1963年)
初代に続き中村主査が開発を指揮した2代目クラウンは初代の7年後の1962年に発売されました。フラットデッキスタイルやX型フレーム、Rrコイル式サスペンション(デラックス)など意欲的な機構が採用され、モデルライフ途中で6気筒E/Gも選べるようになりました。
ラジエーターグリルは車幅一杯に拡がり、半円形状を追加してT字っぽく見せたラジエーターグリルは初代ヴィッツやファンカーゴを連想させますが、繊細な表情を持ったグリルパターンは高級車らしい風格を感じさせ、流石クラウンだと感心します。サイドビューのナイフでそぎ落としたようなフェンダーのキャラクターラインも実に魅力的です。
機構面でははしご形フレームはX字型フレームに改められ、低いスマートなエクステリアと居住性を実現しています。タイヤサイズが先代の15インチから13インチにダウン(!)しスマートなプロポーション作りに一役買っています。
さらにクラッチの押しつけには現代の標準となった皿ばね(ダイヤフラム)を使って、クラッチの切れを良くしただけで無く、断続時のペダル踏力を減らした点もMTが多かった当時なりのイージードライブヘの配慮が見られます。
「エレガントな高級車クラウン」のキャラクターは2代目で完成したような印象があります。
3代目 トヨペット クラウン ハードトップ MS51型(1968年)
1967年にデビューした3代目クラウンは高速道路網の発達に合わせて道路網が発達した北米の安全法規を先取り採用し、ボールナット式ステアリングやペリメーターフレームを採用してシャシー性能を向上させました。ペリメーターとは「外周」という意味の英語で、文字通り車体の周囲を枠で囲ったようなフレームワークになっています。X字型フレームよりもフロアを下げることができるというメリットがありました。
更に静粛性に対しては当時、ロールスロイスより静かだと豪語したフォードギャラクシーをベンチマークし、匹敵する性能を確保したとプレスリリースに書くほど、目に見えない快適性にも配慮するようになっています。
国情を考えつつ現実的かつ本格的な乗用車クラウンでありながら、社用車・公用車・タクシーなどのフォーマルなニーズだけでなく、オーナードライバーに向けて拡販を進めました。
デラックスより上位のスーパーデラックスが登場した一方で、装備を厳選したオーナーデラックス(6気筒)とを新設。6気筒E/Gや時計、ホワイトリボンタイヤなどの装備は残され、88万円という価格設定でした。当時、大卒初任給が2万円程度だった時代、同時期のカローラが47万円程度だったので2倍近い価格設定なのでデラックスの100万円より12万円安い価格というのは背伸びしたくなる魅力があったのでしょう。
2025年の大卒国家公務員の初任給は24万円なので現在の価値で言えば12倍と言うことになります。カローラデラックスが税抜きで564万円、クラウンデラックスが1200万円、オーナーデラックスなら1056万円!。メルセデスの上級車種を買う様なイメージでしょうか。
広告でも「白いクラウン」と銘打って大規模なキャンペーンを実施し、黒が多かったフォーマルユースに対してオーナードライバーによるパーソナルユース主体のハイライフセダンとして顧客層の拡大に成功しました。
展示車は「白いクラウン」オーナーデラックスかと思いきや、白いクラウンハードトップSL。ユーザー層の拡大を図って別ボディのスポーティな2ドアハードトップを設定しました。セダンの丸目に対して異形ヘッドライトを採用し、マイカー元年を迎えた本格普及期に早くも若年富裕層を意識した企画を開始していたのはさすが最先端の高級車だなと思わせます。センターピラーレスとサッシュレスドアを備えたハードトップは1965年にコロナハードトップで実用化され、3年後にはクラウンにも横展された形です。
後年、マークIIの2ドアハードトップと統合される形でソアラに発展していますが、高級セダンとしてある程度安定した地位でありながら攻めの姿勢を持っていた点は特徴的です。
4代目 トヨタ クラウン MS60型(1972年)
クラウンの攻めの姿勢が更に加速した結果が1971年にデビューした4代目の「クジラ・クラウン」です。機構面を先代から踏襲した分、70年代の最先端トレンドを取り入れて曲面的なスピンドルシェイプと自称する前衛的なデザインを採用しました。
余談ですが、私が小学校に入る前だった1986~1989年頃、自宅近くの月極駐車場にて廃車体となったハードトップが止まっていました。ファストバックで2ドアなので最初はセリカかなと思ったのですが、どうにも私が知るセリカとは違う。後にクジラ・クラウンだと判明するのですが、当時は全く信じられませんでした。あと、昔のクルマはあっという間に朽ちてしまうんですね。そのクラウンHTだって当時15年~18年落ちな訳ですから。
それくらいセンセーショナルな変身を遂げたクラウンは換気性能を向上させた上でAピラーを寝かせ、Rrドアフレームを立てて短めにすることで前後ドアの三角窓を廃止し、前後端を曲面的に絞り、ヘッドライトを囲むような面一の前後バンパーはカラード仕様で塊感と車重を大きく見せる錯視効果を持たせつつ、コーナーを大胆に抉ったクリアランスランプ造形と2段フードで軽快感を出していました。
更にカーエレクトロニクスへの対応として電子制御ATや後輪ESC(ABS)などの新装備も設定されて前衛的デザインに見合った機能面の先進性も付与されています。さらにスーパーデラックスを超える「スーパーサルーン」が登場。デラックスが充分デラックスだった?時代が終わりを告げ、以後、10年くらいかけて上級グレードのインフレが始まります。
ある意味、フォーマルユースの法人系ユーザーを見限った商品企画でありながら、肝心のオーナードライバー層からも支持を得られず、更に真夏の冷却性能不足や、2段グリルのせいで車両前端の死角が増えて取り回しの悪さが不評を買いました。バンパーがビルトインのため被害大だったことでしょう。肝心な内装も意外とフィニッシュが雑でクラウンが積み重ねてきた「しつらえの世界」から遠ざかった点は現代の目で見ても不可解です。ついに1955年の登場以来、守り続けてきたクラストップの栄誉を競合車に明け渡すという手痛い失敗を喫した初めてのクラウンとなりました。また、
小型車枠が引き上げられて2600ccが上限になるという噂に対応してクラウンにも2600ccが追加され、3ナンバー車がでた初めてのクラウンにもなりました。
結果、少しずつ手直しされたものの、わずか3年半ほどで次期型が登場(担当者は大変だったでしょうね)し、さっさとモデルライフを終えることになりました。
公式の紹介文でも「お客様の先を行きすぎてはいけない」という教訓を残したと書かれていました。
当時の流行を強く意識したスタイル、特にファストバックに影響を受けたスタイルは時代が立つとより一層アクが強いものに見えてきます。オイルショック直前までのイケイケな時代の空気によって自動車業界でも、エグイ意匠が増えていましたがクラウンのような、和風の格式高い高級セダンらしさとは何かを見つめ直す必要があったのでしょう。
独善的にならずに、お客様が望むものを愚直に追求することがクラウンの成功に必要な方向性であり、そんなことはもう1971年に分かっていたのです。
クジラクラウンSLの話
成熟期(5代目~8代目)
5代目 トヨタ クラウン セダン MS85型(1975年)
1974年、恐らく1年前倒しでデビューした5代目クラウンは先代の反省がぎっしり詰まったフルモデルチェンジになりました。個人的には先代が受け入れられなかった原因を分析して求められていた方向性にしっかり軌道修正できたという素晴らしい経験をしたと思います。
スタイリングは格調高い「超」保守的なものになりました。ボディ断面も丸かったスピンドルシェイプから一転、角や長さが強調されるエクステリアデザインですが、意外とフェンダーからドア、ドアからラゲージまでの2本のキャラクターラインが尻下がりに見えていたり70年代的なアクを感じますが、ドア最大幅部から下は正しく水平基調で端正に感じますし、アーチモールやロッカーモールがキラキラ光って豪華さも感じます。さらにセミコンシールドワイパーが採用され、先代と比べてウインドシールドの見栄えがスッキリしたことも、クラウンの格調高さを示していました。
この保守的なエクステリアはセダンの主要顧客が求めるフォーマル性を最大限尊重していますが、元々拡大したかったオーナードライバー層の拡大を諦めてしまったのかというとそうではありません。
それが5代目でデビューしたピラードハードトップというボディ形式です。簡単に言えば、あたかも脱着式ルーフ(ハードトップ)を被っているような軽快なスタイリングでありながら、実際はセンターピラーがルーフまで結合している4ドアセダンという新しいスタイルです。センターピラーレスの2ドアハードトップと同じようなファッション性と4ドアセダンとしての実用性を兼ね備えた形式で、ハードトップかと言われると4ドアセダンにサッシュレスドアを設定しただけの亜種であるにもかかわらず、狙っていたオーナードライバー層の拡大に寄与しました。まさにネーミングの勝利です。
以後、クラウンはセダンがフォーマル寄り、ハードトップがオーナーカー寄りの性格付けが強まり、特にピラードハードトップ(4ドアハードトップ)が高級車の中心的なスタイルになりました。
またエンジンコンパートメントもより大きなスペースが確保されたのですが、実際には来るべき排ガス規制でどのような補機が付いても対応できるように大きめに場所取りされた結果でもあるといいます。この様な流れはマークIIやカローラでも見受けられましたし、熱気抜きのエアダクトが設けられていたのも、この時代の特徴です。
手元にあった古雑誌情報だと2.6ロイヤルサルーンの試乗時の燃費が5.3km/L、0-100KPH加速が13.3秒とのことでした。1470kgの車体を140ps/21kgmのE/G×3ATで引っ張るわけですからね。
修正すべきところは修正し、新しい挑戦を確実に行い成功を収めたこの5代目は個人的な好みというよりも市場が求めるものを正しく判断すれば失敗は取り返せるという一つの実例になったという意味で偉大な一台だと思います。
クラウン デラックス・カスタム・エディションの話
思い出のクルマをカタログで振り返る3(クラウン2600ロイヤルサルーン)
6代目 トヨタ クラウン セダン MS112型 (1980年)
1979年に登場したクラウンは、自動車業界にとって暗黒時代とも言えた70年代の集大成、かつ明るい80年代への期待を感じさせるモデルチェンジになりました。
オイルショックから、排ガス規制という右肩上がりの時代の終わりを突きつけられた自動車業界ですが、各社とも排ガス規制の対応によってE/Gのノウハウを身に付け、排ガス規制に対応できた時代でした。
ユニットやフレームはほぼキャリーオーバーでしたが、その分だけ装備品が充実し、カタログには「マイコン」の文字が並びました。マイコンと聞くと「ハイテクだ」と思うのは私の年代までで以降の方は「マイコンってなに???」でしょうね。当時はハイテクっぽいもんは何でもかんでもマイコンでした。
セダンは直線基調を更に強め、ピラードハードトップは更に洗練されてセンターピラーはドアガラスによって隠されるようになりました。
例によって古雑誌情報では2.8Lの燃費は6.99km/Lで0-100KPH加速12.7秒とのこと。当時の記者は「よくできたアメリカ車」と評していましたが、当時の輸入高級車(280E)と較べるとクラウンは半額であり、棲み分けもよくできていたんですね。
マイナーチェンジで新世代レーザーE/Gに置き換わります。初代ソアラに積まれた2.8Lの5M-GEUがクラウンにも積まれました。SOHC時代の145ps/23.5kgmから170ps/24kgmにパワーアップし、0-100KPH加速は8.5秒まで早まった上に
燃費は7.2km/Lに向上したのはロックアップ付4速ATの威力なのかも知れません。
110クラウン エクレールのカタログ
1980年のクラウンターボのリーフレット
7代目 トヨタ クラウン ハードトップ MS125型(1986年)
1983年、クラウンは7代目に切り替わりました。ソアラが好調なことから2ドアHTを廃止し、フォーマルユースのセダンとパーソナルユースのハードトップという、以後長く続く体制が完成したのです。
トピックは24バルブツインカムを採用した1G-GEUやスーパーチャージャー付の1G-GZEが出たことと、Rrサスがセミトレになって4輪独立懸架を実現したことです。そのほか、滑らかに回る10気筒可変容量コンプレッサや4輪ESC(今でいうABS)、パワーシートやマッサージ機能付のRrリフレッシングシートなど魅力的な高級アクセサリーも備えられました。
このモデルから最上級グレードとしてロイヤルサルーンGが登場、好景気という時代背景もあり上級グレードの更に上を求める声に応えました。
また、欧州仕向けの為の少し締まったシャシ仕様をSタイプパッケージとしてハードトップの一部仕様にOPT設定するなどラグジュアリー一辺倒ではないニーズも模索していました。
クラウンといういわゆる「ゆったりした高級車」でありながら、最上級のラグジュアリーグレードでも高回転型ツインカム+4独というスポーツカーのようなメカニズムを得て「ギラギラ・オラオラした感じ」を内包しているのは、ひょっとすると日本の高級車の特徴なのかも知れません。個人的にはCMが大好きで、特に進化した動的性能の結果、横Gで手袋が横に動くシーンが好きです。
思い出のクルマをカタログで振り返る25(120クラウン アスリート)
8代目 トヨタ クラウン ハードトップ MS137型(1988年)
クラウン史上最高傑作とも言われる8代目が登場したのは1987年のこと。先代のキープコンセプトながら、世界が認めるトップレベルの高級乗用車という狙いで開発されました。
ハードトップに初のワイドボデーを設定することでクラウンの世界観を保ったまま時代に合わせてアップデートされたエクステリアデザインは高級車ならではのアピールになります。さらに先進装備や入念な作り込みによって、顧客の要望を先取りするだけでなく「見えないところこそ大切に」することも忘れていません。
ワイドボデーと言っても車幅は1745mmで現行型カローラ/カローラツーリングと同じで、大ヒットした3代目プリウスとも同値なので2025年の目線だと普通の車幅?ということになります。日本の道路環境でストレスなく走らせうるサイズです。小型車枠の基本ボデーに対してフード・フェンダー・ドア・クオーターを専用設計していますが、これによりグラスエリア下が豊かになった一方で、セダンや小型車のハードトップ、カスタムはちょっと寸詰まりというか顔が大きく見えるのも、印象的でした。
クラウンにターボがあったり、スーパーチャージャーがあったのは排気量が2Lを超えると小型車枠を超えて贅沢品とされる普通乗用車になり自動車税の負担が大きくなりました。例えば2Lの小型車なら39500円だった自動車税が3ナンバーの3L以下はになっただけで81500円、当時のセンチュリーのように3L超6L以下なら88500円でした。年間4.2万円の税負担を許容しなければ3ナンバーのクラウンには乗れません。ところが1989年4月からは3Lのロイヤルサルーンでも51000円で良くなりました。さらにマイナーチェンジで2.5Lが追加され、こちらは45000円とほとんど2Lと変わらなくなったため、3ナンバー車がちょっとしたブームになりました。小型車枠が頭打ちだった高級車業界において大きな出来事でした。豪華になって重くなった高級車に再び大排気量によるパワーがもたらされたのでした。
この時代、大衆車カローラも販売記録を打ち立てるほどの好評を得ていたのに、それよりも遙かに高価なマークIIやクラウンも販売ランキング上位を争うようなヒットを飛ばしていたのは、バブル景気まっただ中で好景気に恵まれ、メインターゲットの富裕層の堅調な需要に加えて、今までなら上級小型車を買っていた層が背伸びをして高級車を買い求め、ハイソカーブームで若者も無理をして高級車を買うという環境の良さもありました。
もちろん、公用車・社用車などの業務用途に対しても取りこぼしなくガッチリニーズを掴んだ上で愚直にお客さんの求めるクラウン像に寄り添った商品性あってのものです。
130クラウン アスリートのカタログ他
古の設計者の想いとは(クラウン ステーションワゴン編)
ロイヤルサルーンE仕様から話を広げてみる
変革期(9代目~)
9代目 トヨタ クラウン ハードトップ JZS143型(1992年)
1991年10月のクラウンの全面改良はちょっとした事件でした。当初は実車を見ずに予約する固い絆で結ばれた顧客が買い求めたものの、その後は勢いがストップ・・・。久々にクラウンとしては失敗作になってしまいました。
開発中の景気は好調で小型車枠を残す必要も無く、背後に競合するシーマの好調や世界を見据えた高級車セルシオが社会に与えた影響もありました。先代ではワイドボデーが好評だった事から、ナローボデーとの共用による制約を取り払い、先代のワイドボデー→マジェスタ、先代のナローボデー→ロイヤルというセグメンテーションを行った上で、フォーマルユースのためのセダンはフレームから上のアッパーボデー改良(内装はキャリーオーバー)でお茶を濁してしまいました。トヨタとしては時流の追い風を受けた上級移行でより大きなビジネスをと考えたのでしょう。
当時の人々が思った印象は、トヨタが期待したものではなく
「ハードトップが全車ワイドボデーになっちゃって2Lがなくなっちゃったな」
「マジェスタはモノコックだし、V8メインのクラウン上位派生車だな」
というものだったのかも知れません。
そう考えると、ロイヤルを見る顧客の目は厳しくなり、クラウンらしさの象徴的な水平基調のキャビンやツートンカラー、クォーターピラーエンブレム、ラゲージドア付ライセンスプレートなどクラウンらしく見える要素をことごとく辞めてしまった事も長年のファンの期待を下回る結果になっています。
90年代のセダンとしてみれば空力的にも有利なハイデッキや丸みを帯びたエクステリアは時代のトレンドそのものには合致していたかも知れませんが、クラウンにそれが求められていたかどうかは別問題でした。また、デビュー当時はバブルも崩壊して景気がどんどん悪化していく様な世相に対して9代目クラウンの上級シフトの目論見は楽観的すぎたのでしょう。
トヨタが凄いのはこれからです。9代目クラウンの過ちを直ちに分析し、発売から1年10ヶ月後の93年8月にマイナーチェンジで大規模な修正を加えたのです。
格子状のラジエーターグリルに加え、好評だった8代目そっくりなリアコンビネーションランプに改め、ツートンカラー、クォーターピラーエンブレム、ラゲージドア付ライセンスプレートを復活させました。
Rrクオーターを新造するレベルの変更は相当な開発工数と型投資が必要になるはずですが、それをこの短期間で思い切って行ったことは英断と言えます。先代に似せると言ってもスタイリングの調整作業もあるでしょう。設計にも数ヶ月かかるでしょう。金型は少なくとも4ヶ月はかかるでしょう。初期モデルの原価償却もできていなかったのではないでしょうか。加えて拡販のために一旦は廃止した2Lを復活させ糊口を凌いだのです。
この判断をするためには、「モデルチェンジは失敗だった(顧客の期待に応えられなかった)」という事実を正しく受け止め、全社的な協力を受けて推進しないとあのタイミングでマイナーチェンジは不可能だったと思います。私は大企業トヨタの上層部が現実を直視し、失敗を認め、改めて顧客の求めるものを提供しようという真摯さが強く心に残りました。
どうしてもこの型のクラウンを振り返るとき、ロイヤルサルーンの不振・大改修に目が行きがちですがマジェスタは4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションや防振サブフレームを用いたモノコック構造という後のクラウンに活かされる技術が先行導入されていました。特に後者はクラウンにとっては重要な問題でした。長らくペリメーターフレームを採用してきた結果、世界的にも珍しいフルフレーム構造の乗用車というのがクラウンの特徴の一つになっていたからです。
かつてのようにフレーム全てがあらゆる荷重に耐えるよう設計され、その上に載せられるボデーは自らの質量に耐えれば良いという思想ではなく、この時代のクラウンはペリメーターフレームとボデーが合わさることで必要な強度を持つというモノコック構造に近い考えで作られていました。
販売上、「フレーム+直6のクラウン」と「モノコック+V6のセログロ」という対比は大切でしたし、長年の中心的ユーザーもクラウンのアイデンティティの一つだと考えていた部分があります。
マジェスタはその神髄にメスを入れ、モノコックで有りながら、サスペンションメンバー(サブフレーム)を液封ボデーマウントでボデーと締結するという配慮を加えました。サスペンションは強固なサブフレームで指示されることで操縦安定性を確保できますし、ボデーとの接続部が液封防振構造になっているのでサス入力によるノイズに効果があります。一般的にロードノイズの高周波側は防振構造によってよく取り除くことができると期待できますが、低周波側は振動を増幅させてしまう領域があり緻密な設定が必要です。操安を考えればサブフレームは剛付けの方が有利ですが、マジェスタはそこに目を瞑ってでもフレーム構造に負けないNV性能の確保に心を砕いたのでしょう。
モノコック構造を採用した結果、マジェスタAタイプとロイヤルサルーンGを比較すれば車重はマジェスタの方が40kg軽く、V8を積んだマジェスタCタイプと比較しても30kgも軽かったのです。この経験は次世代で活かされることになります。
フレーム仕様を残しながらモノコックも設定して少しずつ浸透を図るやり方はラックアンドピニオン式ステアリングやFF車導入と同じく実にトヨタらしい石橋を叩いて渡るやり方だと言われそうですが、ユーザーにとっても、変化を許容出来ない場合、それでも選択肢が残される優しさであるとも言えます。
クラウン350万台記念限定車のカタログ
思い出のクルマをカタログで振り返る14(130クラウンセダン・ワゴン)
思い出のクルマをカタログで振り返る14(130クラウン営業車)
クラウン(スタンダード)の軌跡
10代目 トヨタ クラウン ハードトップ JZS155型(1995年)
1995年8月、クラウンは初代から40年を経て記念すべき10世代目となりました。クラウンというブランドにとってこの世代の大きな特徴はモノコック構造の全面採用です。
先行してフルモデルチェンジしたロイヤル系とマジェスタ、そして遅れてセダンもモノコック構造でフルモデルチェンジされました。初代クラウンから続いてきたフレーム構造を捨てるという大きな変革を成し遂げたわけです。いままではフレーム構造のフラッグシップ高級車=クラウン、モノコック構造のフラッグシップ高級車=セルシオという区別がありました。或いはモノコック構造のカジュアルなマークII、フレーム構造のフォーマル寄りなクラウンというセグメンテーションもあったわけです。
構造的な差異があるのでキャラクターとして多少近づいても、それなりのアイデンティティーを保てていたところを、クラウンがモノコックになってP/Fが共通化されてしまうと「クラウンは大きなマークII」だと否定的になるファンが居ても不思議ではありません。
トヨタはクラウンのモノコックボディに「VIPSキャビン」なる愛称をつけました。「VIPのためのキャビン」を連想させる語感であり、「Various Impact Protection Safety:様々な衝撃から保護する安全性」「Vibration Isolated Progressively Silent:振動が遮断され革新的に静か」という2つの意味を持たせていますが、これこそがクラウンが持っていた「フレーム神話」であり、なんとしてでもフレーム構造と遜色ないNV性能や安全性能を確保するぞという気概を感じるネーミングでした。
また、環境問題への対応が求められていた時世を反映して省資源・低燃費を意識して軽量化のためにフレームを廃止しました、というエクスキューズも成立させやすいタイミングでした。素晴らしいロードノイズに寄与するフレームと言えども130kgという質量はクラウンと言えども看過できないオーダーでした。
そんな大きな変化があったクラウンゆえ、スタイリングや佇まいはできるだけ従来のイメージを崩さないように最大限配慮されました。すなわち格子グリルのFr、水平基調のキャビン、横基調のRr、クオーターのエンブレム、或いはスイングレジスターやシートバックグリップのようなクラウン要素はしっかりと織り込んであります。
バブル崩壊によるコスト削減のあおりを受けてぱっと見で少し質素に見えるのは
車両感覚に配慮して少し角が見易い硬質な面構成を特徴としていた当時のトヨタのトレンドも反映していました。豊かなボリューム感からシャープでフラットなイメージになるとややもすると、貧相で寂しいものになりがちですが、クラウンの持つ高級感は凜とした和風のテイストであり、以外と直線基調のスタイルともマッチしていると私は思います。銀は貼れなかったけど、シックな京都の銀閣寺のような印象です。
時世への対応という意味では、シートベルトの効果を高めるプリテンショナや衝撃感知ドアロック解除システムの採用や、3Lには連続可変バルブタイミング機構VVT-iを初めて採用した点が大きな進化です。VVT-iは今では当たり前装備かも知れませんが、当時としては画期的な連続可変制御をしており、アイドリングから中低速、高速域まで最適なバルブタイミングで運転することでスペック的には10psダウンしたものの、「4リッターの加速性能と2リッターの燃費性能」を両立すると豪語していました。実際に0-100KPH加速は先代の9.5秒から8.2秒にまで短縮し、燃費は2.0の9.6km/Lを凌ぐ9.8km/Lを達成しました。VVT-iのために油圧駆動でカムシャフトを最大60度回転させるヘリカルスプライン機構を開発しカムシャフト先端に組み込んでいます。これにより、高速域も低速域も犠牲にせず連続的に思い切りトルクを太らせることが可能になりました。二段可変式の「切り替わる感じ」を楽しむスポーツカーのそれも楽しいものですが、切り替わりが分からないほど自然な連続可変によりあくまでも黒子に徹しているという点もクラウンらしいではありませんか。後にVVT-iは2.5Lや他のE/Gにも採用拡大され、世界初のベーン式可変機構によるコストダウンを武器に4気筒以下の大衆E/Gにも採用されました。
V8が搭載されるマジェスタは、縦型テールランプやロングテールのリアビューが特徴的だが一番のトピックは4輪駆動車に横滑り防止装置VSCを目玉として採用したことです。いずれ世界標準化される技術ですが新しいものはいつもクラウンから、という不文律はここでも活かされていました。
しつこいようですがフレームを捨てるという決断をした10代目は、クラウンのヘリテージを失うという商品としての危機を、クラウンらしさを技術によって維持し、省資源・低燃費という社会の要請に応えるという大義名分を使って乗り越えました。大きな決断をしながらも、先代の不評からお客さんの指示を取り返さねばなりませんでした。その甲斐あって販売状況は回復し、先代の37万台と比べて50万台と一息つく事ができて9代目から続いて担当したチーフエンジニアもホッとされたことでしょう。負けられない戦いをしながら、挑戦も行った10代目はもっと評価されても良いのになと私は思いました。
ハードトップの話題
最後の純クラウンセダン営業車
11代目トヨタ クラウンJZS175型 (1999年)
21世紀が目前に迫る1999年、クラウンは予定通り全面改良されました。直6を積んでいたり後輪駆動の高級セダンとV8を積んだ上級派生があって、という枠組みは変化しなかったものの、その裏で様々なチャレンジを盛り込んでいました。先代がクラウンらしさをしっかり表現できたことで、変革ができたという成功体験から11代目でもまずクラウンらしいことは非常に大切にされました。この時代のトヨタテクニカルレビューでは、デザイン部門でクラウンらしい内外装とは何かを歴代に亘って研究した結果が遺憾なく発揮されています。だからこそ、中心的なロイヤルサルーンを見ると相当にクラウンらしいと感じます。硬質なデザインは少し角が丸められながらも、ベルトラインから流れる様なロングテールの水平基調やクオーターのエンブレムなど間違いなくクラウンらしい安定した高級感がありました。
一方で大きく攻めたのはパッケージングでした。1998年にデビューした実験的高級車プログレの研究成果が惜しみなく活かされました。プログレと同じホイールベースを持ち、E/G搭載位置を40mm後退させ、燃料タンクをシートバック後ろから後席下に移して運動性能を改善し、ラゲージスペース拡大(530L)や全を先代より30mm高めており居住性の改善を実施。また、サッシュレスドアを採用したピラードハードトップを改めて細幅ドアフレームを採用してフレームドアを採用したセダンに戻しました。これによりNV性能は相当向上しているはずです。
よく見るとクラウンらしからぬビッグキャビンや短いFrオーバーハングなど随所にプログレのエッセンスが盛り込まれています。先代クラウン級の室内空間を持ちながら小型車枠を厳守したプログレと違い、既にワイドボデーを持っていたクラウンはその分だけ、居住性を維持したままデザインのために寸法を使うことができました。ディテールやフェンダーから奥まったタイヤ位置などによって一見、少しクラシックに見せているのに中身は最新の技術が織り込まれているその手腕は相当なものだと私は思います。
乗ってみても水平基調のインパネやラゲージオープナーがドアトリムに配置されるなどの不文律はしっかり守ってあり、トヨタの高級セダンではなく「1999年のクラウン」であろうとする努力だと感じました。
E/Gはついに3Lが直噴リーンバーンE/Gになりました。直噴リーンバーンは煤の問題やトルクが細いリーン燃焼と通常のストイキ燃焼の繋ぎが難しいなど課題も多かったものの省資源の要請には抗えなかったのでしょう。(
マジェスタにも同種のE/Gが乗せられましたが、直噴を経年する人が意外と居たそうでV8を選ぶ方が多かったと聞きます。)9代目からコツコツ育てられてきた5速ATが3L全車に拡大採用され、燃費が11.4km/Lにまで進化しました。
先進技術へのアプローチとしては2001年のクラウン・マイルドハイブリッドはクラウン初の電動化モデルとなりました。プリウスのTHSではなく、42V電源を設定して快適なアイドルストップを実現し、発進時の一瞬だけ電動走行を行うというギリギリハイブリッドと名乗れるものながら、リッター13.0km/Lを達成しました。
THS-Mを名乗るマイルドハイブリッドシステムはベースの15万円高とクラウンを買える層なら手が出しやすい価格設定だったものの、あまり街中で見かけることが無かったのは「ハイブリッドとしての有り難みがほとんど無い」事を見抜いていたのでしょうか。この技術の本丸は恐らく官公庁向けのクラウンセダンであり、こちらは1G-FEとの組み合わせがありました。
このロイヤル系の革新を内包した正常進化に加え、280psを誇る2.5LターボE/Gの設定もあるアスリート系という新たなグレード体系が追加されました。少し下品で悪そうにモディファイされた内外装を纏ってスポーティに走るアスリートは、単にセド/グロのグランツーリスモ系やスカイラインへの刺客と言うわけではありませんでした。これはクラウンユーザーの固定化や高齢化に対して手を打つ必要があると判断され、ヤングエグゼクティブの支持が集められそうな企画としてスポーティな走りを持ったアスリートが企画されたのです。
更に、90年代のRVブームに対して、8代目のワゴンの継続販売で凌いできたが新たなワゴンボディを開発し新しく「エステート」を名乗りました。当時ワゴンブームもピークを過ぎていたが、2.5Lターボをイメージリーダーにして若さをアピールすると共に、クラウンらしくデッキには分厚いカーペットが敷き詰められて高級ワゴンとしての品位を保ちました。さらに往年のステーションワゴンを彷彿とさせるロイヤルサルーンも残されてヘリテージも感じさせてくれました。
11代目は「21世紀へ。このクラウンで行く。」を広告コピーに据えてアイデンティティを大切にしながら新しい技術が数多く盛り込まれ、時代の要請にも応え、ユーザー層拡大の布石も打ったのです。しかし、結果的に国内の販売台数は先代どころか失敗と言われた9代目より2万台少ない35万台に留まりました。50代以上の高齢ユーザーの比率は74%。つまりこのまま行けば人口ピラミッドの頂点までクラウンが上り詰めた途端に命脈が尽きてもおかしくは無いという事実が突きつけられました。黄金レシピを以てしても販売が下降してしまい、トヨタの焦りと迷いが顕在化し始めます。
後編へ続く