• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ノイマイヤーのブログ一覧

2025年05月24日 イイね!

2017年式BMW M240iクーペ ミニ感想文

2017年式BMW M240iクーペ ミニ感想文●隠しメニュー的な逸品
みん友のKoheiさんのニューカーに乗せていただいた。私にとってちょっとだけ運転したX1 18d以来の久々のBMWだが、今回はマニアックな2017年式のM240iである。

私がぼーっとしている間にBMWの命名則が変わり、基本シリーズが奇数で応用車型が+1の数字になった。すなわち2シリーズは1シリーズの応用車型であり、2ドアクーペやカブリオレ、ミニバンや4ドアクーペが存在する。

今回の試乗車はBMWの中ではコンパクトなボディに対して貴重な6気筒3.0LターボE/Gを後輪駆動で楽しむという古典的な楽しみを現代に残すべく作られたM240iだ。



2シリーズクーペの基となる1シリーズクーペは2007年に登場し、1シリーズと同じ顔にAピラー以降は専用のボディが載せられた。エンジンバリエーションは直列4気筒2.0Lと直列6気筒3.0LターボでMTが設定されていた。後継モデルの初代2シリーズクーペは2013年にデビューした。2011年にデビューした2代目の1シリーズがベースとなったが、意匠はよりBMWらしい精悍なものに改められ、5ドアハッチのM140iでは選べないMTが選べることも特徴だった。エンジンラインナップは幅広く、直列3気筒1.5Lターボの218iから直列4気筒2Lターボの230iまでが選択可能だが、試乗車はMパフォーマンスモデルであるM240iである。

BMWは通常モデル(甘口)をベースにスポーティな内外装を取り入れたMスポーツ(中辛)、E/G性能を向上させるなどM社による味付けが施されたMパフォーマンスモデル(辛口)、M社製のE/Gを積んだMハイパフォーマンスモデル(激辛)という4種類のレベルが存在するという。



通常モデルでも充分スポーティなBMWなので内外装をスポーティにしたMスポでも充分楽しめる。しかし、試乗車のM240iはMパフォーマンスモデルであり日常使いと高い趣味性の両立を目指したモデルであり、M2に代表されるMハイパフォーマンスモデルはサーキット走行を念頭に置いてM社が開発した車両という棲み分けがある。

若干、レクサスの「F」の考え方に似ているがBMWが凄いのはMパフォーマンスモデルのために専用の直6ターボE/Gを用意し、それを多くのモデルに設定しているところだ。

ダウンサイジングやらレスシリンダーで低炭素社会への適合を図るという欧州自動車ブランド達の戦略の中でかつてのように大排気量マルチシリンダーE/Gを残せなくなりつつあるところ、M社はスペシャルなMパフォーマンス用に伝統の3.0L直6を残しているのは素晴らしい。今はMパフォーマンスモデルでも直4があるようで、今後レスシリンダー化が避けられないのか気になるところだ。

実際に試乗してみると、私のような低いスキルでは馬脚を現すことのない上品なスポーツクーペだった。BMWの後輪駆動3Lの2ドアクーペとくれば、スポーツ一直線のハードな味付けを志向してしまいそうになるが、M240iは肩透かしを食らうほど普段使い可能なサイズ感で実用性とスポーティネスを高い次元で両立していた。



車を普段使いにも使うが、趣味性も我慢したくないという方にフォーカスした味付けは、サーキットスペックに特化したM2や、更なるムード派のためのMスポがあるからこそ存在可能なキャラ設定である。しかも、BMWらしい駆け抜ける歓びという意味で上位のM2へ意識が行きがちだし、収入が充分ある方は「一番ええヤツもってこい」とM2を選んでも不思議は無い。そこを敢えてM240iを選ぶという人が世界にどれ位居るのか分からないが、そこに向けた商品を抜け目なく準備しているBMWは懐が深いなと感じる。

ビジネス的にはこの様な狭いニーズを満たさず、快適なMスポと本格派のM2があれば、エントリーとフラッグシップの点と点は結べる。しかし、ここにM240iがある事が重要なのだ。

これも、平素から1-3-5-7という絶対的な基幹シリーズでブランドイメージを堅持し、X系で粗利を稼ぎ、共通使用できる直6E/Gを準備しているからこそ、手持ちコンポーネントの組み合わせでユーザーのワガママに応えることができる。

高級車とは実用性や性能を超えてオーナーのワガママに応える存在であると私は考えている。M240iは、まさにボディサイズを含んだ実用性・ラグジュアリー性と過剰とも言えるスペックのE/Gを搭載した本格スポーツカーの世界を両立するという容易に叶えられないワガママを叶えた貴重な高級車の一つであると結論づけたい。



これは★4だ。最新モデル群のエグ味が無く相当良かった。いつかMTにも乗ってみたい。この素晴らしい性能を隠しながらジェントルに走れる「能ある鷹」タイプの方ならっ★5が付いてもおかしくないが、能なしノイマイヤーはこの高性能を発揮したくてウズウズして青い免許すら維持するのが困難になりそうな恐れゆえ★4である。使い切れる高性能という範囲を超えた超高性能車である。

大切な車を運転させてくださったオーナー様に感謝。
Posted at 2025/05/24 00:38:27 | コメント(3) | クルマレビュー
2025年04月25日 イイね!

2008年式ヴィッツ1.0Fリミテッド感想文

2008年式ヴィッツ1.0Fリミテッド感想文●終わりの始まり

代車で距離浅の2008年式ヴィッツを借りたので記録に残したい。

「21世紀My car」のヴィッツは1999年にNBC-I(ニューベーシックカー)として世に出た新世代Bセグメントハッチバックである。



それまで陳腐化してしまっていたスターレット・ターセル・コルサ・カローラIIを一気に統合して二回り新しい思想を取り入れた渾身の傑作だとティーンエイジャーだった私は心酔した。

ディーラーで展示車を見たり乗ったりしているうちに気に入ってしまい、「いつか2ndカーとしてUユーロスポーツエディション・ペールローズバージョン(長い)に乗りたい!」とまで思うようになっていた。

実際に2010年~2011年まで色違いながらUユーロスポーツエディションを所有した。既に旧型のヴィッツだったが、私は大いに気に入って過走行ペースで共に暮らした。

当時は1992年デビューで既に旧くなりつつあったものの完成度の高いマーチと、質実剛健過ぎて華がないとされたロゴが競合であり、デミオは少しステーションワゴン寄りのキャラクターで廉売を続けていた。

欧州人スタイリストの手による凝縮感のあるフォルムやアップライトな新世代パッケージとVVT-iやイータビームサスに見られる新技術の大衆化によって当時は頭一つ抜けた新しい車に感じられた。

1Lでスタートしたヴィッツは1.3Lを追加し、バリエーションを拡大した。ファンカーゴやプラッツのようなボディバリエーション違いも追加して
世界的にもトヨタのプレゼンス向上に寄与した。

一方で国内では2000年に「思い立ったが吉日生活」のホンダフィットが登場。低価格なBセグハッチバックでありながらツインスパークによって燃焼を改善し、CVTのワイドレンジで23km/Lという低燃費と助手席に燃料タンクを配置することでRrにフラットな低床フロアを実現したことで空前のヒットを記録した。

当初トヨタは「フィットの競合はファンカーゴであり、荷室容積で勝る」などと意味の分からないことを言っていた。ヴィッツは正統な欧風リッターカーだったが、フィットの持つ高性能とユーティリティという飛び道具の面白さに負けてしまった。

結局、高級車からのダウンサイザー向けのイストの最廉価仕様の価格をフィットと揃えるという奇策にでたりして複数の派生車で包囲したが、ヴィッツも2002年のマイナーチェンジで新開発E/Gに変更し、更にCVTを採用するなどして10・15モードで23.5km/Lを達成、のちに追加されたアイドルストップ仕様は25.5km/Lとして対抗した。

今回試乗したヴィッツは2005年にデビューした2世代目のマイナーチェンジ版である。「水と、空気と、ヴィッツ。」の広告コピーからはヴィッツが人々の生活に無くてはならないものだ!という自負が感じられる。



ボディサイズはBセグサイズながら全面的に拡大され車幅は小型車枠いっぱいになった。革新的だった初代のP/Fを流用するかと思いきや、新開発のP/Fを採用してきたことには驚いた。それだけ当時のBセグメントは各社がしのぎを削っていたことが想像される。

ホイールベースが90mm延長されつつ前席ヒップポイントを590mm(先代比+15mm)としてアップライトに座らせて後席との感覚を880mm(先代比+45mm)とカローラ並を確保。

少し齧歯類を思わせる丸っこいスタイリングは恐らく歩行者保護性能やチッピング性能、或いは欧州で厳格化されたダメージャー(修理費用低減)など初代ヴィッツでは未対応だった性能への配慮から産まれたものだった。



メカニズム面の大きなニュースはベーシックな1.0L仕様が新開発の3気筒になったことである。シリンダー数を削減するメリットは大きい。例えば摩擦損失が小さく、冷却損失が減って熱効率も有利だ。さらに部品点数を減らしてコスト的に有利なだけでなく、E/G幅が狭くなることでタイヤ切れ角を確保できて小回り性能が上がり市街地での取り回しにも有利となる。開発陣も「燃費とトルクで3気筒に決めた」と発言していた。

他にも先代で追加された直4 1.3Lと直4 1.5Lも含め、3つのE/Gと2つの駆動方式、3種類の変速機というワイドバリエーションとなった。(更に海外向けにはディーゼル車もあった)

商品としての立ち位置は基本的に初代を引き継いだ。先代では6~7割が女性ユーザーだったため、ターゲットした女性ウケは良かったものの男性ユーザー、特にダウンサイザーにとっては少々丸過ぎると受け止められたようで、トヨタが期待したほど人気が得られなかったとみてマイナーチェンジでは少々シャープさを取り戻し、改良の度に燃費性能を磨いていった。

運転してみると、1.0Lとは思えない力強い出足や常用域のトルクフルな走りに満足出来た一方で、直3E/G由来の強烈な振動は、明らかに精彩を欠いていた。フロアもステアリングも揺れて揺れて今心が何も信じられないまま・・・という状況だった。

基本的には先代よりクオリティアップし、先代のネガに対する声に応えた点も多数見受けられ、どちらかというと攻めのFMCだったようにも思う。特に途中でカーテンエアバッグ標準化という英断を下した事は特にコンパクトカーにとっては正しい選択だったと信じている。きっとこの判断で何人かの命が救われただろう。

一方、モデルライフ後半になると分かり易いカタログ燃費争いが始まり、地味なコストダウンが始まった。LEDストップランプをバルブに戻し、カーテンシールドエアバッグを再びOPT化して見せた。

2010年には最後のヴィッツとなる3代目がデビューし、2代目はモデルライフを終えた。



こうしてヴィッツの3世代を見ていると、ベースの無い初代が一番跳んでいて、2代目以降は段々と大きくなり、競合に対するアドバンテージが無くなり、凡庸な車になっていく歴史だった。この感覚は、「面白4WD」だったスプリンターカリブが3世代で牙が抜かれていった歴史を追体験したかのようだ。現行型のネガをどんどん洗練させていき、共通化を進めて、お客さんが買換えを渋らない程度に原価を下げて本来の濃い魅力を水で薄め続けた・・・。

ヴィッツは初代の志を持ち続けて、帰国子女であり続けるべきだったのではないか!なんて正論は簡単に言えるが、激戦Bセグメントの主役とも言える存在であり、時代に翻弄された向きもあろう。実際に国内のネッツ店の最量販車種であり、パッソとの厳しい社内競合もあった。



初代に感銘を受けて所有していた私が2代目ヴィッツと共に暮らすと、その確実な進化と、致命的とも言える欠点、そしてその後の歴史を暗示するような「終わりの始まり」を感じざるを得なかった。

1.0L車は新車時から振動が酷く★2つとせざるを得ない。直4なら★3つ。
Posted at 2025/04/25 23:38:34 | コメント(3) | クルマレビュー
2025年04月13日 イイね!

2023年式 LBX ミニ感想文

2023年式 LBX ミニ感想文●「スニーカーのようなクルマをつくってほしい」

2023年11月にデビューしたLBXはレクサス初のBセグメントクロスオーバーSUVである。レクサス初の3文字の車名で「Lexus Breakthrough X(cross)-over」を意味するとプレスリリースにあるが、本来なら「BX180h」と名付けられていてもおかしくない。

TNGA-Bプラットフォームをベースにした1.5L THSのクロスオーバーSUVなのだから、「レクサス版ヤリスクロス」というゲスの勘ぐりをしない方が不自然だろう。

ボディサイズは下記の通り、ヤリスクロスとホイールベースまできっちり変えてきたあたり、意地でもヤリクロと言わせねぇ!という強い意志を感じた。こういう熱量は「強いトーションビーム」と揶揄されたあの高級ミニバンのRrサスを独立式に変えたときを思い出した。



レクサスのエントリーモデルは長年に亘りCT200hが担ってきた。HS250hの兄弟車でありながら、Aクラスや1シリーズを意識したコンパクトハッチバックで2010年代の国民車とも言える3代目プリウスをベースにキビキビした走りとレクサスの世界を結びつけて若年ユーザー・女性ユーザーから好評を博してブランドの裾野を拡げてきた。

2018年にはCT後継を狙ってUX200/UX250hが発売されたが、CTを継承せずに中途半端なナンチャッテSUVというキャラクターがどっちつかずに見えたのか、ラゲージ容量が小さすぎて忌避感が出てしまった。結果、CTをやめるにやめられず2022年11月末まで併売を続けざるを得なくなってしまった。

どんなブランドも高齢化が進むとブランドそのものの活力が無くなるので、廉価で元気なエントリーモデルが本当は必要だったのにレクサスはCTを育てずに放置し、安易にSUVブームにあやかったのがどうにも軽薄な印象を与えてしまったことも私は残念に感じている。(仮想的のAクラスも1シリーズもちゃんと進化を続けている)

そんな中、現われたLBXはそんなレクサスのエントリーモデルとは何かを考え尽くした戦略モデr・・・・・、いや・・・・実は豊田章男社長(当時)から「上質で毎日履き倒せるスニーカーみたいなクルマができないか」と言われて開発が始まったコンパクトカーだった。

Premium CasualをコンセプトにしたLBXは極めて私的なニーズによって産まれたというのが何とも「今の」トヨタらしいエピソードである。

スニーカーは気軽に履きやすく、歩きやすく、時には走れる。ファッション性もあり機能も重視される。だから毎日履いている人も居る。そう言われれば確かにLBXはそんな風にも感じられてくる。全長が短いから都市部でも扱いやすく、それでいて上質感のある内外装はレクサスが視野に入る層にとっては手頃なクルマと受け止められるだろうし、ラージセダンやミニバンを卒業した高齢者層にも魅力的な選択肢になる。

実際に運転して、なるほど基礎体力がしっかりしており例えば静粛性が高く、信号待ちで周辺の音を入れないという点で私のプログレを超えている。(25年も新しいんだから当たり前であって欲しいが)

一方で、高速域の余力の無さと市街地で残る突き上げ感はオールマイティさに欠けると感じた。思えばCTもちょっと脚が堅かったので、これがレクサスがやりたいことだったのかも知れないが、真の都市型を銘打って高速性能を重視しないというなら、もう少し乗り心地の角を丸くした方が我が国のオーナー達には嬉しさがあったんじゃないかと感じられた。或いはモアパワーのために例えばMORIZO RRのNA版の1.6Lを搭載して余力を産んでくれても良いのになと思った。ターボは強力すぎて一般の人には過剰だ。

LBXはそんなレクサスにとってとても重要なエントリーモデルとなった。クロスオーバーと言いつつ、世が世なら初代ISTの様にプレミアム2BOXと呼ばれてもおかしくないスタイルで、実質的にはプレミアムハッチバック車である。最近になって街でも見かけるようになってきた。

価格の面では、最廉価のカジュアル(420万円)が最近のトヨタ・レクサス車の水準よりも比較的お買い得な仕様設定なのが目新しい。CTを放置してエントリーモデルを蔑ろにした作り手の中にも後ろめたいものがあったのだろうか。

確かにヤリスクロスと較べるとグッと良くなっている、或いはノンプレミアムだがノート・オーラ辺りと比べても完成度が高い事は認める。しかし、価格に見合っているかと言われると「本当はまだやれるだろう?」と言いたくなってしまう。25年前の小さな高級車を所有しているからこそ、これが最新の小さな高級車だと認めたくない気持ちが私の中にある。高級車は大衆車では受け入れねばならない限界をカネを使って拡張して「我儘を聞いてくれる」からこそ高級車なのでは無いだろうか。その意味でLBXは装備水準もさることながら、都市型の域を出ないあたりもう少し自動車としての底力を発揮してくれないだろうか。



個人的にはモアパワーだ。M15A-FXE型は回すとE/G音が目立つので、もっと低回転で出力が出せるようなE/Gを組み合わせて高速巡航中の静粛性を維持したい。例えばG16E-GSE的な自然吸気E/Gを準備してでも余力が欲しい。

一方であくまでも都市型高級コンパクトとして動力性能を割切るのなら、せめて市街地での硬めの乗り心地をソフトに改めて欲しい。そして、他の方も指摘されているがせめて助手席パワーシートと電動チルテレは必要だろう。LBXで初めてレクサスの世界に足を踏み込む人も居るだろうが、そんな大切なゲストをガッカリさせてはいけない。

「シルバニアファミリー」でも「プラレール」でも新規参入者に対して一通りのパーツが揃う入門セットがおもちゃ業界にはある。子供達が楽しめる内容を厳選し、親が買いやすい価格で引き込んで沼に誘うわけだ。

LBXが特定の人(モリゾウさん)を喜ばせるためだけに産まれたとしても、量産されて販売されているのだから多くの人たちの笑顔につながる仕様設定も蔑ろにしてはいけないと私は思う。
Posted at 2025/04/13 23:00:57 | コメント(2) | クルマレビュー
2025年04月01日 イイね!

愛車と出会って19年!

愛車と出会って19年!4月1日で愛車と出会って19年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!

■この1年でこんなパーツを付けました!
カローラのミニカー発売されたんで買いました。
純正アルミ履かせたい!

■この1年でこんな整備をしました!
車検整備
車高調整
スロットルスプリング交換
助手席サンバイザー修理
ブロワモーター交換
アイドルストップ点検調整


■愛車のイイね!数(2025年04月01日時点)
1229イイね!

■これからいじりたいところは・・・
リアコンビのアース不良はなんとかしたいと思っています。
あと、賞味期限切れが見えてきたタイヤかな。
いつの間にか185/60R14がレアサイズになっています。

■愛車に一言
たまにナイトドライブに連れ出すとき、最高に楽しいです。これからも大切にしつつ、性能を発揮させて楽しく走らせていきたいです。

>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2025/04/01 23:22:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | カローラ
2025年02月08日 イイね!

トヨタ博物館企画展「日本のクルマとわたしの100年」

トヨタ博物館企画展「日本のクルマとわたしの100年」例によって開催は終わっているが見学してきたので記録に残したい。

~公式紹介文~
今回の企画展では、「日本におけるクルマと女性のかかわり」という観点から自動車史を5つのゾーン、車両9台で紹介します。1910年代には日本で最初に免許を取得した女性、1950年代からはモータースポーツに参戦していた女性がいました。また時代の流れとともに女性ドライバーの増加を見越して、特別仕様車が登場しました。現在では、クルマづくりの現場において性別にかかわらず多様な人材が活躍しています。これらに関連した車両は当館収蔵車のほかに、国内自動車メーカー・自動車博物館様のご協力により展示いたします。

モビリティのあり方が大きく変化しようとしている今、愛される“クルマ”をつくり続けるためには、多様な人々の深く広い知恵を集め、熱意をもって取り組まなければなりません。本企画展では多様性のひとつとして、これまで見過ごされがちだったクルマと女性のかかわりを取り上げることで、新たな発見の機会をご提供します。来場者の皆さまにダイバーシティを尊重したすべての人とクルマのより豊かな関係を考えていただけることを願っています。


人類の半分は女性であり、クルマと女性の関わりにスポットライトを当てたのが本企画展です。そう言えば私の亡き母は20歳に教習車(クラウンのコラムシフト車)で免許を取り、会社員時代は社用車の初代シビックに乗って名古屋市内を走っていたそうです。私が産まれ、妹が産まれてからは自家用車のハンドルを握り、2015年に亡くなるまで現役ドライバーでした。

私が子供時代を過ごしていた1980年代後半から1990年代、女性ドライバーといっても特に珍しくなく、母の友人も皆自分の車を運転していました。(カルタスやパジェロに乗っていました)

伯母も皆免許を持っていてギャランΣやマークII、セリカXXもありましたね。

そして大正生まれの祖母も昭和45年頃免許を取り、RT40型コロナの中古車に乗っていたそうです。女性ドライバーだとトラックの運転手に幅寄せされるなど嫌がらせを受けたので、信号待ちで並んだときは窓を開けて「馬鹿野郎」って叫んだって言っていましたね(笑)

祖母は70代から80代初めにかけては埼玉から実家がある新潟にSV10(のちにSV40に代替)カムリで帰省していて私もよく祖母が運転する車に乗せて貰っていました。

こんな風に女性ドライバーという存在が決して珍しくなかった私ですが、この企画展では初の女性ドライバーについて調査したようです。ちょっと調べてみましたが、日本で一番最初に運転免許を取った方は1913年(大正2年)、当時横浜在住だったアメリカ人歯科医のウルフさん。そして日本人では1917年9月27日に23歳の若さで試験に合格した「渡邊はま」さんだそうです。単に運転技術だけではなく自動車の構造も理解し、路上故障した際には自力で応急処置をして生きて帰ってこなければなりませんから私見も難しかったのだろうと想像します。

●ダットサン 16型 セダン (1937年)





1936年には日産自動車が今後女性ドライバーが増えると見込んでダットサンで街を走り回ってアピールする「ダットサン・デモンストレーター」というキャンペーンを行ったそうです。展示車のダットサンはオースチンセブンを大いに参考にしたと思われるコンパクトな外寸と722ccという小排気量、シンプルなメカニズムは扱いやすく、今後普及が見込まれるセグメントだと思われ、デモンストレーターも
この16型か前のモデル15型で走り回ったことでしょう。



脱兎に由来して目が赤いウサギのエンブレムが着いており、同じくウサギモチーフが散りばめられたスズキラパンの大先輩でもあります。

●いすゞ ヒルマンミンクス (1960年)




いすゞは戦後、自動車技術習得のため英国ルーツグループと提携しヒルマンミンクスを生産していました。展示車は1956年にFMCされた2代目で例えば同時期のトヨペットクラウンやダットサンと比べるとスマートで垢抜けた印象があります。このためオーナードライバーに人気があり、「女性によるヒルマンエコノミーラン」という女性だけのラリーを開始しました。女性2名のペアで東京大阪間を一泊二日で走りきり燃料消費の少なさを競うレースを行っていたそうです。女性ドライバー層に対する長距離ドライブの普及と交通道徳の再認識、協議を通じた相互親睦を諮っていたと言いますが、交通状況の悪化などで1965年を最後に終了となったそうです。それにしても、どうしても脳内で自動車ショー歌が流れます。「ベレッとするなよヒルマンから」



●ダットサン フェアレデー 1200 (1961年)




モータースポーツ関連でもう一台展示されているのは第一回日本グランプリに女性が参戦した際のマシンと同型車だ。フェアレデーはダットサンベースでFRP製だったボディを鋼板製に改め、1000cc「ストーンエンジン」を1200ccにスープアップして強化された改良型。展示車は、一層低重心に見える塗り分けの2トーンカラーですが、モールは欠品して塗装(カッティングシート?)で再現されていました。
決して息を飲む美しさ、とまでは言いませんがこういったお洒落な車をあの時代の日本で世に出していたという点で銀座に本社を構えていたお洒落な日産自動車を偲ぶことができます。

●ダットサン ブルーバード 1200 ファンシーデラックス(1963年)




日産車の展示が続きますが、このクルマは本企画展の目玉と私が考える「ファンシーDX」です。もう、これを見に来たと言っても過言ではありません。小型乗用車の本流であるブルーバードに女性オーナー向けに設定された恐らく最初のグレードであるファンシーDXはお洒落なカラーコーディネートだけでなく、多くの小柄な女性のためにシートスライド量が拡大されています。



更に車内で着替えられるような目隠しカーテンやUVカット機能を持たせたフロントガラス、後席で寛げるようなシートバックテーブルなどの便利装備や、手荷物が多い女性のためのコートハンガーや傘立て、ハイヒール立てに加え、助手席サンバイザーには化粧ポーチまで内蔵されている親切っぷりには驚かされます。極め付けは方向指示器作動時にオルゴールが鳴るというメルヘン仕様。



女性ドライバーのために何ができるか、を恐らく男性ばかりだった当時のエンジニア達が知恵を絞った成果なのでしょう。今、女性が選びがちな軽自動車に近い方向性のグレードと思います。

●ダイハツ ミラ (1982年)




女性ドライバーが増加したことで若年層のファーストカー、或いは低価格なセカンドカーとして軽ボンバン市場が急速に活性化した時の中心的な車種の一つがここに展示されているダイハツミラです。

乗用車(軽セダン)のクオーレをベースに後席を折りたたみ式の簡素なものにして最大積載量200kgの貨物車扱いとすることで、排ガス規制の緩和や節税が可能となり実質的に維持費の安いパーソナルカーとしてヒットしました。余談ですが、私の実家で初めて購入した新車も軽ボンバンの「ミニカ・エコノ」でした。

元祖は1979年発売の「アルト47万円」でお馴染みのアルトが発明したジャンルで
思い切って装備も簡素化しつつ、敢えて悩ませない様にモノグレードとしてとにかく安く買える新車であろうとした点は令和の現代でも見習って欲しいくらい鮮度のあるコンセプトです。

●スズキ アルト 麻美スペシャル (1985年)



展示車はスズキ歴史館からやって来た麻美スペシャルです。2代目のアルトは初代同様に低廉なベーシックカーという性格を受け継ぎ、バイアスタイヤで4輪ドラム、Rrリーフリジッドという簡素な構造ですが、それでも女性オーナーを意識してお洒落さを忘れ無いようにしていました。



麻美スペシャルはエアコンやAMラジオ、熱線入りバックドアガラスなど快適装備が追加された特別仕様車です。麻美というのはアルトの広告に出ていた小林麻美さんにちなんでいるとか。



今は軽ボンバンで節税すると言うより、普通車から軽を選ぶことで節税されているような印象です。女性を意識したアルトの立ち位置はアルトラパンなどのフェミニンな軽に引き継がれています。



●トヨタ WiLL Vi (2000年)





バブル崩壊を経て従来の価値観にとらわれない若年層のために新しい商品を異業種コラボで実現するというWillプロジェクトに参加していたトヨタの商品がWill Viです。かぼちゃの馬車をデザインテーマにし、傑作コンパクトカー初代ヴィッツのコンポーネントを活用して大胆なCピラーのクリフカットやキャンバストップ、フランスパンをイメージした内装などデザイン命のスペシャルティコンパクトカーでしたが2年足らずで生産を終了しています。

デザインのために当時のトヨタでほぼ標準採用していた社内規格であるGOAを取らなかったという拘りっぷりには驚きました。決してヒットした車ではありませんでしたが、優等生的な車ばっかりでは面白くない、という当時のトヨタの意気込みが感じられます。


ここまでは我が国の自動車と女性ドライバーの関わりに沿った展示が行われていました。以降は、自動車メーカーにおける女性エンジニアによるクルマ作りに焦点を当ててマツダとレクサスという2つのブランドで女性が開発総責任者になったモデルが展示されていました。

1986年に施行された男女雇用機会均等法によって、いわゆる大企業だった自動車メーカーにも女性総合職を採用する動きが加速し、当時珍しかった女性エンジニアが入社するようになりました。それまでの女性社員は一般職で昔で言う「お茶くみのお姉さん」というアシスタント的な役割から、男性と肩を並べて業務に取り組む総合職に活躍の場が拡がったということです。


●マツダ デミオ (2014年)



嬉しいことに妻が毎日乗っているデミオが展示されていました。マツダ系の展示施設以外だと初めてではないでしょうか。初代からのミニワゴンスタイルから、先代でキャラ変し、スタイリッシュな欧風コンパクトカーに舵を切りました。スカイアクティブ技術がふんだんに織り込まれてクラスレスな実力を持ったコンパクトカーとしてマツダ2と名称変更された今も販売されているロングセラーモデルになりました。

デミオの実験分野の責任者はマツダで女性唯一の特Aテストドライバー資格を持った竹内都美子さん。運転席座面は小柄な女性のために短めにしつつも、男性が困らないように硬度を調整し、ディーゼルターボの力強い走りも「合流路でモタモタしない」ことで女性ドライバーに寄り添ったクルマとしたといいます。

●レクサス UX250h (2021年)


この展示車のチーフエンジニアは材料技術出身でトヨタ自動車の技術総合職一期生である加古慈さんが務めました。CT200hのマイナーチェンジから開発責任者の職に就き、恐らくCTのモデルチェンジ版であるUXの開発も指揮しています。

高級車ながら扱いやすいサイズ感なので女性オーナーが多いことが特徴で、ユーザーに近い視点が求められたのでしょう。

そう言えばマツダの竹内さんもMX-30の開発責任者を務められていますが、女性エンジニアが仕上げた2台は共通して大きすぎず、可愛すぎない。そしてちょっと電動化やエコロジーを意識している、というところも不思議な共通点なのかなと私は思います。

~まとめ~

「日本におけるクルマと女性のかかわり」とテーマにした企画展は新鮮なテーマだし、ダイバーシティという現代的な切り口で自動車の歴史を俯瞰したことに価値があると思いました。ただ、最後のコーナーの女性エンジニアの活躍に関しては、現在活躍する2人にスポットを当て、延々とインタビュー記事を載せるのでは無く、もう少し学芸員の視点を織り交ぜた上で短縮し、もう少しクルマ開発に携わってきた女性について掘り下げてみるという動きがあるともっとよかったと思います。

断片的にしか知りませんが、1991年の5A-FE型のヘッドカバーは女性デザイナーが手がけたと言われているし自分が知り限りでもカラーデザインの分野でも女性は活躍しているし、精密な組立て技術が必要なインパネのラインには女性が向いていると聞いたことがあります。更に言えば学生時代に私は大型バイクの複雑なフレームを溶接する女性作業員の神技巧に感銘を受けてましたし、私の伯母は長年大型トラックドライバーの職について乳酸菌飲料を向上から運んでいました。

女性エンジニアの活躍以外にも自動車、そしてさらなる多様性の時代に目を向けてくれると更にいいものになったと私は思います。そして、クルマと女性の関わりというテーマなら、ゲストとして助手席に乗せて貰う視点でソアラやシルビアのようなデートカーの展示や、ライフステージが変わって自らハンドルを握るファミリーカーとしての90年代のミニバンが一台くらいあってもよかったし、皇后雅子様が外務省職員だった時代から愛用してきたカローラIIの同型車なんかも展示して貰えると更に見応えがあってよかったのでは無いでしょうか。



また、ブルーバードファンシーDXではたくさんの特別装備が追加されていたのですが、「スリッパータイプのアクセル」など単にカタログを転記するのでは無く
それが何を意味するのか深堀してくれると私達に新しい気づきを与えて貰えたかなと思います。或いは、そこで取上げられた装備の中で今も残っているものがあるかどうか、など何かトヨタ博物館らしい掘り下げがあってもよかったのでは無いでしょうか。

個人的にファンシーDXに装備されたアイテムの中で少し気になってササッと調べてみたのがバニティミラーです。1966年発売の初代カローラの時代は女性が化粧直しに使うバニティミラーは助手席に着いていました。記録に残る1969~1975年の運転免許保有者のうち女性は17%~21%。



時代が進み1976年~1985年でに22%~34.5%まで向上しています。この頃、女性をターゲットにしたグレードでは運転席にバニティミラーが装備されるようになりました。面白いのは女性が助手席に乗ると思われるクルマでは助手席にバニティミラーが設定され、女性自らステアリングを握るためのクルマには運転席にバニティミラーが備わるようになりました。1981年発売のセリカには助手席バニティミラーが初めて装備され、1982年発売のコルサの女性向けグレードには運転席バニティミラーが装備されていました。



1986年~1995年になると35%~39%とほぼ男性に並び始めましたが、この頃の男性ユーザーが多かった1992年式マークIIは上級グレードこそ両席サンバイザーでしたが、下位グレードは助手席のみの装備に留まり、コロナになると上級グレードには助手席バニティミラーが備わるものの、カローラでは1991年、LIMEグレードが無くなったことでバニティミラーそのものが廃止されています。今までは車種の中で女性向けグレードを仕立て、そうでない男性ターゲットのグレードでは助手席にバニティミラーが装備されているのが当たり前でした。一方で、カローラIIをはじめとする女性をターゲットにしたコンパクトカーには当たり前のようにバニティミラーがつき始め、1994年の最終型では各種装備がグレードダウンされる中で主要グレードに両席にバニティミラーが備わるほど市民権を得ています。



更に女性達がミニバンで子育てをするようになった1990年代のミニバンも例えば1992年のエスティマルシーダでは上級グレードのみ助手席バニティミラーが備わるのみでしたが、1996年のタウンエースノアでは最廉価グレード以外は両席バニティミラーが装備されるなど、運転席と助手席の性差?がほとんど無くなりました。

ちょっと横道に逸れましたがこの企画展は女性ドライバーの起こりからマーケットの創出へ展示が流れてきたものの、最後は流れが変わって、会社の大先輩へのヨイショとまでは言いませんが急に楽屋ネタになってしまったのが少し残念に感じました。




更に言えば、それだけ大事なデミオもUX250hも、黄砂でかなりクルマが汚れていて、UXのグリルは砂が詰まっていましたしモールは白化していました。博物館に展示するのだから、しかもつい最近まで現行型として販売していたクルマなのだからお金をかけずに綺麗にしようと思えばできたと思うのです。ちょっとフクピカで拭き上げた程度の実車は仮にインタビューに協力した女性エンジニアが見学に訪れたときどう思うでしょうか。サラリーマン的にも不味いんじゃないでしょうか。さらに読むのにかなり時間がかかるインタビューのボードは完全に蛇足でした。もしかすると学芸員の栄達や内部の組織的な何かのためには重要なのかも知れませんが、いつものトヨタ博物館の様にフラットな立場で自動車の歴史を取上げていただきたいです。

Posted at 2025/02/08 23:55:36 | コメント(5) | トラックバック(0) | イベント | クルマ

プロフィール

「積雪地域にて。現代のクルマとはいえ10年経つとサビが発生しますね。反対側はドア表面も赤錆出てました。」
何シテル?   08/18 16:02
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
1011 1213141516
1718 1920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

また、対策しなくては 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/08/20 09:15:07
苦境の日産ですがいい車を作ってました 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/20 23:29:20
ロータリーエンジン じゃましないでね 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/03/02 08:18:40

愛車一覧

トヨタ カローラ トヨタ カローラ
1989年式(マイナーチェンジ直前) カローラGT。 ヤフオクで発見し、 不人気車ゆえに ...
トヨタ RAV4 L トヨタ RAV4 L
1996年式 標準グレード。 私が小学生だった1994年、RAV4が颯爽と登場した。私 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
2000年式 NC250。 長年、趣味の先輩達と車談義を重ねる中で定期的に「プログレは ...
シトロエン DS3 シトロエン DS3
2011年式 スポーツシック・エディションノアールII。 ラテン系ホットハッチ(プレミア ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation