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2014年07月06日 イイね!

世界最速V6ツインターボ <NISSAN GT-R>

世界最速V6ツインターボ <NISSAN GT-R>









R35型 日産GT-R
GT-Rは、従来のスカイラインGT-Rの伝統であったRB26DETT型直列6気筒ツインターボを廃止し、VR38DETT型 3.8L V6 ツインターボエンジンを搭載したR34型スカイラインGT-Rの後継車です。
登場から間もなく7年が経過、決して新しい車ではありませんが、このGT-R(前期型)で高速道路を走ってみました。



エンジンをスタートしてまず排気音の大きさに驚きました。エンジンが冷えていたせいではなく、元々のエグゾーストノートがこの音です。
まあ、それもそのはず・・・こんな大口径なマフラーですから、小さな音ならかえって不自然というものでしょうか。



千葉北ICから東関道(とうかんどう)に合流し、成田経由で終点の茨城県潮来ICへGT-Rを走らせました。
時速100km/hで2000rpmちょい、いたって退屈な速度域です。



6速ギアで流しています。満タン75Lでスタート、このペースだとあと377kmまで、いや、あと377kmしか走れないという表示です。燃費で約5km/Lという計算になります。
うるさいというほど大きくありませんが、エグゾーストノートが耳につきます。ラグジュアリーカーではないので、GT-Rのオーナーは、気にしないレベルかもしれません。



東関道は成田ICを過ぎるまでは片側3車線です。普段は交通量が多いのですが、この日はすいていました。



成田を過ぎると、2車線に変わります。もうそろそろ・・・と思いきや、案の定取り締まりです。オービスがない代わりに覆面パトカーが多く走る箇所のようです。



あっという間の“大台”到達でした。回転数にして6速4300回転くらい、全然余裕です。
1JZも余裕で届きますが、到達タイムが全然違いました。ちなみにスペックは、この前期VR38DETTで480PS /6400rpm、60.0kgf·m/3200-5200rpmです。



低速域で少し大きいかなと思った排気音は、高速域では不思議と気になりませんでした。



あらためて、エクステリアから見てみます。



フロントのブリヂストン・ポテンザRE070R 255/40ZRF20と、定番のブレンボです。
リアは285/35ZRF20という異形サイズです。



スカイラインではなくなりましたが、スカイラインの流れを汲む伝統の丸目二灯ランプです。ひと目でGT-Rとわかるカッコいいランプです。



インテリアに変わります。ブースト計、油圧計などないスッキリしたインパネです。



6速DCT(デュアルクラッチトランスミッション)、6速のオートマチックトランスミッションです。
この試乗車で唯一不満だったのがこのトランスミッションでした。発進時(L→2)と減速時(2→L)で段付き感が強く、スムーズさに欠いたものでした。
GT-Rのライバル、ポルシェやフェラーリは運転したことはないですが、少し残念な感じがしました。



ガッチリサポートしてくれる電動シートです。ただ、私にはちょっと座面が硬すぎました。



潮来ICから鹿島神宮経由で、鹿島サッカースタジアム前でUターンしました。往路、復路とも東関道を走りました。
初めて運転して感じたことは、やはり何処を走っても視線を感じる車であるということです。



千葉のスタート地点に到着です。滅多に機会のないGT-Rドライブ、貴重な2時間でした。



車検をこの系列店で通したおまけで、このお店のGT-Rを一部有料で借り受けることができました。


Posted at 2014/07/06 22:00:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ
2014年06月21日 イイね!

リアルスポーツツアラー <スバル・レヴォーグ2.0GT-S EyeSight、1.6GT>

リアルスポーツツアラー <スバル・レヴォーグ2.0GT-S EyeSight、1.6GT>









レヴォーグ2.0GT-S EyeSight
6月20日発売されたスバル・レヴォーグです。レヴォーグは、ワゴン車型のみが用意される新車種で、インプレッサとレガシィの中間に位置するモデルであり、また、日本市場専用車種です。
グレードは計5つ、2.0L車は「2.0GT EyeSight」・「2.0GT-S EyeSight」の2グレード、1.6L車は「1.6GT」・「1.6GT EyeSight」・「1.6GT-S EyeSight」の3グレード構成です。

まず、試乗車は最高級グレードの「2.0GT-S EyeSight」です。ボディサイズは、全長4,690mm 、全幅1,780mm 、全高1,490mm 、ホイールベース2,650mm、車両重量1,560㎏と日本的サイズです。これなら大抵の有料駐車場には収まると思います。
車両本体価格が一番安い1.6GTを除いて、スバルのお家芸「EyeSight」が標準装備されます。

 

クリスタルブラック・シリカのボディカラーです。225/40Rサイズの18インチホイールが標準装備です。先代車種であるレガシィツーリングワゴンより全長を100mm短縮し、全高を70mm低くすると同時に、ホイールベースを100mm短縮したそうです。
ラゲッジスペースにこだわらなければ、ちょうどいいサイズだと思います。



2.OGT-S EyeSightと、1.6GT-S EyeSight はビルシュタイン製ダンパーが標準装備されます。走り出して感じたことは、それほど硬くはありません。従来のレガシィと変わらない味付けでした。
ちょうど一週間前、スカイライン200GT-tに試乗していますが、レヴォーグとは対照的でガチガチのダンパーでした。
硬いのが好きか、ややソフトな足がいいかは、それぞれの好みによりますね。

エンジンは2.0LDOHC直噴ターボ“DIT”と、スポーツリニアトロニックという変速機で、10.6の圧縮比から最高出力300PS、最大トルク40.8㎏f・mの性能です。




太くて手触りのいい本革巻ステアリングホイールでした。ドライバーが常に正対するステアリングは、やはり見た目にもこだわりたいですね。



ATレバーの後ろ、電動パーキングブレーキのスイッチです。軽く上げるとパーキングブレーキがかかり、下げると解除されます。指一本で簡単操作が可能です。



マルチインフォメーションディスプレイ付ルミネセントメーター



マルチファンクションディスプレイ
簡単なレバー操作で、インパネ上中央部にあるディスプレイ表示がいく通りかのインフォメーションをドライバーに伝達してくれます。2.0L限定のブースト・メーターです。



高速巡航ECOチャレンジ



平均燃費です。4.4km/Lというのは、このあたりの道路状況によるものです。JC08モードでは13.2km/Lなので、空いた道路を走ればもっと向上すると思います。



ステアリングスイッチで操作可能なSI-DRIVEという装置で、いわゆるパワーモードとエコノミーモード的な切り替えです。エンジンコンピューター(ECU)のプログラムを瞬時に切り替えることができる優れものです。
マルチインフォメーションディスプレイ付ルミネセントメーター中央の表示が変わるようです。
2.0Lで3モード、1.6Lで2モードの切り替えが可能です。



レヴォーグ1.6GT
1.6GTという5グレードの内、最も兼価なレヴォーグも試乗車は用意してありました。主な違いは排気量をはじめ、ビルシュタイン・ダンパーなし、EyeSightなし、タイヤサイズ、ヘッドランプ、変速機など多数です。 
ちなみに2.0Lも1.6Lもナビゲーション・システムは標準装備されていません。
メーカー希望価格は、1.6GTが2,667,600円、2.0GT-S EyeSightが3,564,000円です。




2.0GT-S EyeSightの走りは、市街地走行のみのため残念ながら300PS、40.8㎏f・mの性能を体感することはできませんでした。
ただ、帰りに自分のチェイサーを運転したら、40㎞/hくらいの速度ならほぼ互角のトルク感だったので、高速になれば、カタログスペック通りのパフォーマンスを発揮してくれるような気がしました。

余談ですが、ちょうど一週間前試乗したスカイライン200GT-t、あの強烈な低速トルクがより印象に残った今回のレヴォーグ2.0GT-S EyeSightの試乗でした。
しつこい若手セールスマンに、8月また試乗に来るから、と言ってディーラーを後にしました。



8月発売される新型インプレッサ WRX STI、こちらも楽しみです。
Posted at 2014/06/21 15:00:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ
2014年06月15日 イイね!

ダウンサイジングターボ <スカイライン200GT-t TypeP>

ダウンサイジングターボ <スカイライン200GT-t TypeP>










スカイライン200GT-t Type P
今月発売のスカイライン200GT-t Type Pです。このスカイラインの特徴は、2.0L直列4気筒ターボエンジンを積むFRのスカイラインだということです。
スカイラインというと古くは、マークⅡ三兄弟と激しい販売競争を繰り広げた日産自動車のフラッグシップカーのひとつ。
V6でもなく、直6でもなく、直4で登場した新型スカイライン、短い距離でしたが簡単に試乗車インプレッションを書いてみることにしました。



追加発売されたターボ付きスカイラインは、上から200GT-t TypeSP、200GT-t TypeP、200GT-tの3グレードで、AWDではなく2WDの後輪駆動車です。
試乗車は、中間グレードの200GT-t TypePでした。






200GT-t TypePの全長は4800mm、全幅1820mm、全高1450mmというサイズです。立体駐車場は横幅が大きい分、入らないところもあるかもしれません。
前席はパワーシートが標準装備、後席膝元はとくに広くはない感じです。




200GT-t TypePは225/55RF17というタイヤサイズです。最上級グレードのTypeSPは、245/40で19インチが標準装備されます。
TypeP、TypeSPともJC08モードは13.0km/Lですが、多分17インチのほうが燃費がいいと思います。



ファインビジョンメーターといいます。昼間の視認性はよかったです。



標準装備のナビゲーションシステムで、8インチワイド画面です。
Rギアに入れると、バックモニターに切り替わります。
トランスミッションは電子制御7速ATです。





トランクは、80Lも入るガソリンタンクがあるためか、チェイサーと比較すると深さが少しないような気がしました。
ハイブリッド車(350GT HYBRID)も別途ありますが、大型バッテリーが後席うしろに設置されるため、もう少し横幅が狭くなるようです。



いざエンジンスタート、試乗です。



まず発進して感じたことですが、さすがスカイライン、ハンドリング・マシーンという走りです。
過去、R33型とV35型も運転したことがありますが、スカイラインの伝統というのを感じました。
また、ダンパーが硬いこと、硬いこと。まるで硬めの車高調を入れている感じです。
チェイサーにはやはり硬めのHKSの車高調を入れていますが、それと乗った印象は変わりませんでした。
ただ、硬さの中にも、メーカー標準の微妙なしなやかさもあって突き上げ感がなく、こりゃ負けたなといった印象でした。

エンジンは、メルセデスとの共同開発の直列4気筒ターボ。
低速トルクが充分で、これ本当にターボエンジン!?と疑うほどタウンユースに十二分に対応したエンジンでした。
2.0Lで燃費もよさそうです。ダウンサイジングターボの真骨頂を垣間見ることができました。
いざ、踏み込めばターボ独特の加速ももちろん体感できました。
ちなみに車両重量は、私のチェイサーよりも150㎏も多い1670㎏もある重いボディです。

エンジン型式は、「274930」、最高出力は211PS/5500rpmと控えめですが、最大トルクが35.7㎏f・m/1250-3500rpmもあって、ロングストロークの特性を活かしたトルクフルなエンジンでした。
運転するのが楽しくなる、そんな印象のスカイライン200GT-t TypeP ダウンサイジングターボでした。



Posted at 2014/06/15 16:59:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ
2014年06月02日 イイね!

慶長出羽合戦 直江vs最上 山形紀行 <長谷堂城、最上義光歴史館、蔵王お釜>

慶長出羽合戦 直江vs最上 山形紀行 <長谷堂城、最上義光歴史館、蔵王お釜>









北の関ヶ原/長谷堂城の戦い
上杉景勝と最上義光は現在の山形県(村山、最上、庄内、置賜)を二分する領土を有していましたが、慶長5年(1600)9月、上杉景勝に庄内を奪われた東軍・最上義光と、庄内と置賜を最上領により分断された西軍・上杉景勝が交戦しました。
豊臣秀吉によって、庄内、置賜を承認された上杉景勝に対し、徳川家康の上杉討伐の挙兵を契機に旧領回復を狙った最上義光の戦いでした(慶長出羽合戦/長谷堂合戦)。

9月8日、上杉軍総大将・直江兼続は2万5千の大軍で最上領への侵攻を開始、数で圧倒する直江軍は12日最上領最前線の畑谷城を攻略、続いて現在の山形盆地(村山)に侵攻、菅沢山に本陣を置き、最上義光の本拠・山形城手前の山城・長谷堂城を囲みました。



長谷堂城

9月15日、直江軍は義光重臣・志村光安が少数で籠城する長谷堂城攻略を開始しました。
上杉(直江)軍vs最上軍、今の高校野球に例えるなら、甲子園の常連校上杉軍に対し、地方予選しかでたことがない最上軍との戦いでした。



標高229mの山頂です。志村光安は約2週間籠城戦を戦いぬきました。前方に広がるのは山形盆地です。




北方方面に見えるのが山形城(霞城公園)です。慶長出羽合戦当時、最上義光の本拠城でした。



北西方面に見えるのが、直江兼続が本陣を置いた菅沢山です。



激戦地・主水塚
長谷堂城の真正面にある主水塚といい、直江軍の猛将・上泉主水泰綱(かみいずみ もんど やすつな)が討死を遂げたと伝えられる塚です。



掃部の碑
最上(伊達)軍猛将・保春院の警備役として仕えた加藤掃部左衛門清次(かとうかもん さえもんきよつぐ)の碑です。清次は親友であった江口光清が畑谷城で上杉軍に討たれたことに憤激し、長谷堂合戦に参戦しましたが、長谷堂城の北方で戦死しました。
保春院とは、義光の妹で伊達政宗の母です。義光は甥にあたる伊達政宗にも援軍を要請していました。



長谷堂合戦図屏風・左隻(最上義光歴史館所蔵)
9月15日美濃関ヶ原で西軍が敗れた知らせが直江軍に入ったのが29日でした。石田三成がわずか一日で家康に負けたことを知った直江兼続は撤退を決意、米沢城(置賜)へ引き返す場面を描いた屏風絵です。左上が直江兼続、それを知った最上義光が激しく追撃するという内容の屏風絵です。



拡大するとこんな感じです。逃げる直江兼続と、最上義光に向け発砲する取り巻きです。



執拗に追撃する総大将・最上義光です。右手に刀をもった中央の武将です。



直江軍軍旗(最上義光歴史館所蔵)
戦場に捨てられていた直江軍の軍旗です。最上家で代々保管・保存されていたもので、雁の絵は必ず勝って祖国(米沢城)に帰還するという意味があるそうです。



三十八間金覆輪筋兜(最上義光歴史館所蔵)
この追撃の際、狙撃され被弾した義光の兜です。兜のちょうど正面中央あたりに弾が命中しました。
義光は危機一髪、織田信長から拝領したといわれる今に伝わる兜です。



最上義光歴史館
山形城(霞城公園)に隣接する最上義光歴史館です。ちょうど日曜日の開館9時と同時に入館しました。長谷堂合戦や、その後の最上家の家督争いなど、ガイドさん付でいろいろな逸話を聞くことができました。



最上義光と愛娘・駒姫
長谷堂合戦では、伊達政宗と組み徳川家康に味方をした最上義光ですが、その原因のひとつとなったのが三女・駒姫でした。
文禄4年(1595)8月、かねてよりの豊臣秀吉の申し出で、15歳になった駒姫は関白・秀次の側室にと、京都へ上洛をしましたが、駒姫を待ち受けていたのは三条河原での処刑でした。
「秀次事件」で連座の罪を負わされた駒姫は斬首され、その美貌の少女は三条河原に露と消えました。
駒姫の上洛を知った秀吉は、駒姫の処刑中止を命令しましたが、伝令が着く150m前で刑が執行されたと伝わります。
この「秀次事件」は秀吉政権に対する諸大名の求心力を失う大きな原因といわれていますが、最上義光はこの事件以降、急速に徳川家康に接近し、秀吉への遺恨が決定的になりました。



義光が山形市内に建てた専称寺、駒姫の墓です。
義光は専称寺を駒姫の菩提寺と定め供養をしました。




清和天皇の直系として出羽山形を本拠とした最上家11代最上義光は、長谷堂合戦の論功行賞で上杉領である念願の庄内と、秋田由利領を手に入れ、山形藩初代57万石の大大名になりました。
秀吉政権時代、京都在住が多かった義光は連歌も数多くのこしており、細川忠興や黒田如水(官兵衛)ら名だたる文化人とも親交がありました。

ところが慶長19年(1614)義光死後、最上を継いだ次男・家親がわずか3年後に36歳で死去、山形城主は12歳の少年義俊がなりました。
家親の死も側近に鷹狩に誘われた翌日に死亡するという疑惑が残り、重臣たちの間には義光の四男・山野辺義忠を推す動きがでてきました。
家臣が真っ二つに分かれた家督争いがやがて幕府の知るところとなり、幕府も仲介に入りましたが、その争いに決着がつかず、ついに元和8年(1622)最上家は改易を言い渡されました。

義光が築いた57万石は没収され、その後、近江1万石、最終的に5千石の旗本に成り下がりましたが、江戸城の上級役人として勤務し、幕末の版籍奉還を迎えました。
今年4月、最上家47代当主・最上公義さんが亡くなられました。

最上義光公像




蔵王ハイライン
5月31日は全国的に猛暑日でしたが、お天気がよく蔵王連峰(お釜)を目指しました。蔵王エコーラインから、「お釜」近くの有料道路蔵王ハイラインを走りました。
左右にある白い塊は残雪です。



蔵王ハイラインの終点です。ここから「お釜」まで徒歩で歩きます。


お釜名物 釜カツ丼です。普通のかつ丼でした^^
美味かったですよ。



「お釜」の手前、標高1759m蔵王連峰のひとつ刈田岳です。気温は20℃以上ありましたが、風が少しありました。





蔵王「お釜」
ちょうど4年前も来たのですが、そのときはガスで真っ白、何も見られずじまいでしたが、今回は絶好の晴天、「お釜」が綺麗に見えました。

Posted at 2014/06/02 23:00:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2014年05月17日 イイね!

HISTORIA 2014 ~マークⅡ・チェイサー・クレスタの軌跡~

HISTORIA 2014 ~マークⅡ・チェイサー・クレスタの軌跡~









マークⅡ初代 T60/70型(1968年 - 1973年)
トヨペット・コロナ・マークⅡは、クラウンとコロナの間に誕生したコロナの上級車志向の要望に応えた車でした。
当時からトヨタと日産は激しいライバル意識で車を生産しており、グロリア・セドリックに対するクラウン、ブルーバードに対するコロナ、サニーにはカローラ・スプリンター等、クラスごとに対抗車がラインアップされていました。
エンジンは1600ccの「7R」と1900ccの「8R」で共に水冷直列4気筒SOHC。それぞれにシングルキャブレター仕様とSUツインキャブレター仕様が用意されていました。

1969年9月には待望のDOHCモデル、ハードトップGSSを追加。エンジンは8R・1900ccをベースにDOHC化した「10R」(後に8R-Gに呼称変更)で最高出力140ps(グロス値) 最高速度は200km/h(メーカー公表値)の性能でした。日産のC10型スカイライン(通称ハコスカ)の対抗車種として派生したのが、コロナ・マークⅡでした。



2代目 X10/20型(1972年 - 1976年)
2代目はX10型(セダン・ワゴン・バン)・X20型(2ドアハードトップ)で、車両コードが"X"となる(マークXにも踏襲)。ボディは大型化され、スカイラインGTへ対抗すべく、クラウンから移植のM型6気筒エンジンを搭載したモデル「Lシリーズ」が登場。エンジンは4気筒1700(6R)/4気筒2000(18R)/6気筒2000(M)。ハードトップには18R-G型DOHCのGSSが設定されました。

1975、76年の排ガス規制で4気筒エンジン車は全車18R型・2000ccに統一。同時にDOHC・ツインキャブエンジン搭載のGSSは廃止され、6気筒ツインキャブのLX(Lから改称)はEFI化されました。



3代目 X30/40型(1976年 - 1980年)
デビュー時点でのエンジンのバリエーションは6気筒が2600(4M-U)2000(M-U)2000・EFI(M-EU) 4気筒が2000(18R-U)で、この3代目から最上級グレード「グランデ」(grande)が登場。マークIIとしては初めての3ナンバーとなる2600ccの4Mを搭載した2600グランデも誕生しました。
サスペンションはグランデに前輪ストラット、後輪にセミトレーリングアームの4輪独立懸架を採用し、FR車としてのスポーツ性と乗り心地を両立した足回りに変更されました。

1978年2月、2600の4M-UをEFI化して53年排ガス規制適合(4M-EU)。同時に、2000・2600ともATを従来の3速からオーバードライブ付き4速に変更しました。
1978年8月のマイナーチェンジで、車検証の名称が「トヨペット」から「トヨタ」へと変更されました。

1977年6月には、マークIIのトヨタオート店向けの姉妹車として初代チェイサーが誕生しました。マークIIのトヨタオート店向けの姉妹車として、また、同クラスの人気車種だった日産・スカイラインの対抗馬として開発されたのが初代チェイサーでした。

マークⅡ2ドア ハードトップ



チェイサー初代(X30/40系 1977年-1980年)
チェイサーは、マークIIよりも若いユーザーを狙ったものでした。歴代唯一の2ドアハードトップも存在し、TVコマーシャルは当時の人気若手俳優、草刈正雄さんを起用しました。
ライバル車は日産スカイライン、それ故、マークⅡにラインアップされていた2600ccモデルやディーゼルエンジン、ワゴン、バンは設定されませんでした。
エンジンは、トップグレード2000SGツーリングにM-EU型 2.0L 直6 125psが載せられ、足回りはマークⅡグランデと同じ前輪ストラット、後輪セミトレーリングアームの4輪独立懸架でした。
全長はマークⅡよりも85mm短く(4615mm)、全幅も1mm短い(1680mm)、全高は同じ(1415mm)ボディサイズでした(2000SGツーリング)。
変速機はマークⅡと同じく、上級グレードには5速MT/4速ATが用意されていました。

初代チェイサー 4ドアセダン



X60型(1980年 - 1984年
マークⅡ4代目、チェイサー2代目にあたるこのモデルから、マークⅡ3兄弟といわれたクレスタが加わりました。発売時期は、マークⅡ、チェイサーが1980年10月、クレスタが同年4月でクレスタの登場が半年早く、クレスタとの共用部分はドアパネルのみでした。
また、このモデルから2ドアハードトップに代わり、センターピラーを持つサッシュレスの「4ドアハードトップ」が登場しました。この明るく開放的なピラード・ハードトップボディがマークⅡ、チェイサー、クレスタを月産3万台の大ヒット商品へと仕向けていくことになりました。

マークⅡ 4ドアハードトップ グランデ
前期モデルの中心となったのが、2000cc1G-UEエンジンを搭載したグランデでした。LASRE(レーザーエンジン Light-Weight Advanced Super Response Engineの略)と命名されたトヨタ2000ccSOHCエンジンが、先行のクレスタ スーパールーセントに続き、マークⅡグランデ、チェイサーアバンテに搭載されました。
このモデルまで、2000ccDOHC18R-GEU搭載のGTが存在しましたが、GTは廃止されました。
また、2000ccSOHCターボM-TEU搭載車種がありました。



LASRE 1G-EUエンジン


チェイサー 4ドアセダン アバンテ
この代から最高級グレードとして、ハーダーサスペンション・ミシュランタイヤなどが奢られた「アバンテ」を設定、先代からのスポーティー路線を昇華させました。


クレスタ スーパールーセント ツインカム24
1982年マイナーチェンジ、トヨタ初1気筒あたり4バルブ(吸気2バルブ、排気2バルブ)合計24バルブDOHCの1G-GEUエンジンが搭載されました。ひとあし早く、日産がやはり4バルブDOHC、FJ20EをスカイラインRSで発表、発売しました。遅れること1年日産の4気筒に対し、トヨタは6気筒のセリカXX(ダブルエックス)で発売、マークⅡ3兄弟にも1G-GUEが搭載されることになりました。
呼称は日産の「DOHC」に対し、トヨタは「ツインカム24」。当初は5速MTのみでしたが、1983年2月に電子制御オートマチックECTが設定されると、これが大ヒット、次モデルには「ハイソカー」と呼ばれ、今でいう中型高級セダンの仲間入りを果たしました。


1G-GEUエンジン
既存の1G-EUをベースに、トヨタが提携会社ヤマハ発動機に開発委託をした直列6気筒ツインカム24バルブエンジンでした。トヨタは一部のマニア向け車種に限定せず、2000ccクラスのセリカXX、ソアラ、クラウン、そしてマークⅡ3兄弟へと幅広く搭載することにより、トヨタブランドとして確立した名機でした。




X70型(1984年 - 1988年)
この代からマークⅡは、ハードトップ、セダン、ワゴン/バンとなり、チェイサーはハードトップのみ、クレスタはセダンボディのみの設定となりました(マークⅡワゴン/バンのみ1997年まで生産)。
1989年にかけ日本経済は好景気で右肩上がり、上級車志向が一般大衆化し、月産3万台という今では考えられない販売台数を記録したのがこのモデルでした。

さらには、国産メーカーが相次ぎ競った自動車のパワー競争、その流れがマークⅡ3兄弟にも訪れることになりました。それまでなかった4バルブDOHCにターボをドッキングさせるという手法でした。
1985年10月、「GTツインターボ」の登場でした。
日本初のツインカム・ツインターボエンジン1G-GTEUの追加によりM-TEU搭載の「グランデ・ターボ」は廃止。トランスミッションには電子制御4速AT(ECT-S)と5速マニュアルが用意されました。

マークⅡ2.0GTツインターボ
GTツインターボの登場で、2000ccSOHCターボ(M-TEU)が廃止となりました。


チェイサー2.0GTツインターボ
チェイサーの前期モデルのみ価格を抑えたGTツインターボSがありました。


クレスタ 2.0 スーパールーセント
クレスタのハードトップモデルは初代のみ、このモデルからセダンとなりました。また、3兄弟とも販売の中心車種は1G-EU搭載の2000ccモデルでした。


1G-GTEU 2000ccツインターボエンジン
A70初代スープラに初めて積まれた1G-GTEU、3500rpmからのロケットのような加速感を覚えています。低速トルクは元々低かったベースモデルの1Gにツインターボ、今から思えばパワーウオーズのほんの序章にすぎませんでした。
発売当初の最高出力は185ps/6200rpm、最大トルクは24.0㎏・m/3200rpmでした。



X80型(1988年 - 1992年)
日本経済はバブル景気の真っただ中、日経平均株価が3万円超えをしたこの時期、自動車税制の変更、物品税廃止に代わり消費税の導入、規制緩和、そしてついにバブルの崩壊、国内自動車の環境が激変していく時代でした。
この代からガソリンエンジンはすべてツインカム化され、トップグレードに3000ccツインカム、2500ccツインターボとノンターボ・ツインカム(後期)、2000ccスーパーチャージャー・ツインカム(前期のみ)、2000ccハイメカ・ツインカムが新たに追加されたモデルでした。

マークⅡ3.0 グランデG(後期)
1984年自動車税が改正され、2000cc超のいわゆる3ナンバー車が買いやすくなりました。従前、2000cc超3000ccまでの自家用車が年間81,500円と、庶民にはなかなか手が出せない税額でしたが、今と同じ3000cc51,000円、2500cc45,000円と割安になり、さらにボディサイズにかかわらず排気量で税額が決まるようになっていました。2000ccではトルク不足を感じるユーザーにとっては追い風となりました。
また、15インチタイヤ、4輪ESC(ABSのこと)、横滑り防止TRCが標準装備されていました。


インテリア
先代あたりからトヨタが導入を始めたエレクトロニック・ディスプレイメーター(通称デジタルメーター)です。2000ccツインカム24でも取り付け可能でした。
また、カーオーディオの高級化に特化したのもトヨタでした。カセット式でも、低音・高音とも素晴らしい音質で、走る応接室、リスニングルームといった印象でした。


エレクトロニック・ディスプレイメーター
スピード表示がデジタルで昼間も視認性はよかったものでしたが、このモデルから後は、従来の針表示に戻りました。スポーツ性ということでは、やはり迫力不足を否定できないということだったかもしれません。


80年代後半にかけ作られたものは非常にこっていた、コストをかけていたといわれています。グランデGはバックスキンを多用した材質でした。後にも先にもこんな贅沢なインテリアはこのモデルだけでした。


チェイサー2.5 アバンテ
後期モデルからラインナップされた2.5アバンテです。2000ccにはアバンテツインカム24とアバンテ(アバンテGスーパーチャージャーは廃止)がありましたが、3.0アバンテGとの中間に設定されたモデルでした。アバンテツインカム24の150ps(ネット値)に対し、馬力で30馬力のアドバンテージをもっていました。
X90型ツアラーSにも搭載された1JZ-GEエンジンがこれでした。


クレスタ2.5 GTツインターボ
前期モデル2.0GTツインターボに代わって、後期モデルからラインナップされたのが、1JZ-GTEエンジンを積んだ2.5GTツインターボでした。最初の1JZ-GTEは、その名の通り、ツインターボでした。
2000cc1G-GTEが最終モデルが210馬力だったのに対し、上限馬力といわれた280馬力搭載のエンジンでした。
歴代クレスタの中で最も暴走族に好まれたのが、このJZX81クレスタだったともいわれています。
5速MTは設定はなく、4速ATのみの設定だったようです。



X90型(1992年 - 1996年)
この90系から日本国内専用車になり、全車3ナンバーボディとなりました。開発時期がバブル経済まっただ中だったため、2代続けてプラットフォームを一新したそうですが、販売直前にバブルが崩壊したため、財政事情の悪化によりコストダウンを余儀なくされたモデルだったそうです。
3000cc7M-GEに代わって、新たに加わったのが2JZ-GEでした。また、セリカXX以来の名機1G-GEU、ツインカム24がこのモデルから廃止となりました。
このモデルから2.5GTツインターボは改称され、ツアラーVが誕生しました。今思っても、ありふれたGTとかより、インパクトのある革新的ないいネーミングだったと思います。
ネーミングひとつとっても、ここらへんのセンスというのは、国産自動車メーカーの中でもトヨタが抜きんでていると思いました。

マークⅡ ツアラーV
歴代マークⅡでエクステリアが最も好きなのがこの90系です。この時期から大幅な規制緩和で、タイヤのインチアップやエアロ、社外マフラーへの交換が比較的自由にできるようになりました。
今でも印象に残っているのは、土屋圭市氏がこのマークⅡをサーキットで走らせたところ、とても気に入ってしまい、その後自分のマイカーにしてしまったということです。
中高回転域ガンガンの初代1JZ-GTE搭載のツアラーV、走り屋さんにはまたとない、もってこいのこのうえない車でした。


インテリア
先代80系とは打って変わてシンプルなインパネ周りです。グランデGならまだしも、ツアラーVならこちらが断然いいと思います。


チェイサー ツアラーS
2500ccNAエンジンのツアラーSは、もしツアラーVがなかったなら、最上級グレードであったらもっと売れていたかもしれません。一般道なら燃費がよく、低速トルクがあるツアラーSのほうが、はるかに使い勝手がよかったと思います。


クレスタ ツアラーV
3兄弟の違いは販売チャンネルの違いでした。マークⅡがトヨペット店、チェイサーがオート店(現ネッツ店)、クレスタはビスタ店(現ネッツ店)でした。
あとは値引き(下取り)とか、エクステリアの好み次第でした。


初代1JZ-GTE
同じエンジン型式ですが、乗った印象は二代目の1JZ-GTEとは随分違っていました。チューニングの幅は圧倒的にこちらのほうにアドバンテージがあったようです。
いずれにしても、1JZはトヨタの作った名機だったと思います。



X100型(1996年 - 2001年)
バブル崩壊による厳しい経済情勢が依然続いていた時期でのモデルチェンジのため、フロアパネルはX90系のフロアパネルを流用し、コストダウンが図られました。その一方で安全性向上に力を入れ、衝突安全対策の施されたトヨタ独自規格の「GOA」や、運転席・助手席SRSエアバッグシステム・ABSが全車標準装備されていました。
また、メルセデスが世界で初めて採用したゲート式ATシフトレバーや、上級車にディスチャージヘッドランプ(HID)が標準装備されたのもこのモデルの特徴でした。

マークⅡ 2.0グランデ(後期)
最後の4ドアハードトップモデルとなった100系マークⅡです。このモデルのみ2000年まで生産され、その後、マークⅡ9代目となる110系は2004年で生産中止、マークXに引き継がれました。


クレスタ ルラーンG(S)前期
チェイサーと同じく2001年まで生産された1JZ搭載のクレスタ最終モデルは、何故かツアラーV(S)ではなく、ルラーンG(S)というネーミングでした。また、クレスタ ルラーンGのみ5速MTの設定がないという不思議な設定でした。
この時代、4ドアセダン(ハードトップ)に代わって、小型車は空前のミニバンブーム、庶民の車に対する価値観が変わってきた時期だったかもしれません。


チェイサー ツアラーV
歴代チェイサーの中で、最もスポーティなエクステリアで登場したのが、100系チェイサーでした。ツアラーというネーミングは、マークⅡとチェイサーに継承され、エンジンは新世代2500ccシングルターボ、二世代目の1JZ-GTEが搭載されました。
初めて見たとき、今度のチェイサーは売れる!と確信したのがこの私でした。


1997年に創刊した「スーパーセダン」という雑誌です。創刊号からほぼ3号目まではほとんど全部がチェイサーツアラーVの記事でした。懐かしいページです。多分、実家に眠っていると思いますが、もう捨てられてないかもしれません。




1997年ごろには全日本ツーリングカー選手権(JTCC)への参戦、少し後にはなりましたが、お台場D1グランプリでもその雄姿を見ることができました。


1JZ-GTEエンジン
初めてツアラーVを運転した印象は、全然パワーない・・・??というのが第一印象でした。
ただ、そのカラクリはこういった本ですぐ解決しました。パーツ代に出費はありましたが、そこは愛しい息子のため、惜しげもなく出資しました。



1JZ-GTEの良さは、こんな回転域からでも、30㎏・m以上の図太いトルクで、決して軽くはないボディをスイスイ引っ張っていってくれることでしょうか。
高速道路への侵入、追い越しは本当に楽です。


あと何年乗れるかはわかりませんが、名車チェイサー ツアラーV、トヨタ最後のストレート6ターボ、大切に乗っていこうと思っています。
Posted at 2014/05/17 20:00:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ

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