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2014年05月17日 イイね!

HISTORIA 2014 ~マークⅡ・チェイサー・クレスタの軌跡~

HISTORIA 2014 ~マークⅡ・チェイサー・クレスタの軌跡~









マークⅡ初代 T60/70型(1968年 - 1973年)
トヨペット・コロナ・マークⅡは、クラウンとコロナの間に誕生したコロナの上級車志向の要望に応えた車でした。
当時からトヨタと日産は激しいライバル意識で車を生産しており、グロリア・セドリックに対するクラウン、ブルーバードに対するコロナ、サニーにはカローラ・スプリンター等、クラスごとに対抗車がラインアップされていました。
エンジンは1600ccの「7R」と1900ccの「8R」で共に水冷直列4気筒SOHC。それぞれにシングルキャブレター仕様とSUツインキャブレター仕様が用意されていました。

1969年9月には待望のDOHCモデル、ハードトップGSSを追加。エンジンは8R・1900ccをベースにDOHC化した「10R」(後に8R-Gに呼称変更)で最高出力140ps(グロス値) 最高速度は200km/h(メーカー公表値)の性能でした。日産のC10型スカイライン(通称ハコスカ)の対抗車種として派生したのが、コロナ・マークⅡでした。



2代目 X10/20型(1972年 - 1976年)
2代目はX10型(セダン・ワゴン・バン)・X20型(2ドアハードトップ)で、車両コードが"X"となる(マークXにも踏襲)。ボディは大型化され、スカイラインGTへ対抗すべく、クラウンから移植のM型6気筒エンジンを搭載したモデル「Lシリーズ」が登場。エンジンは4気筒1700(6R)/4気筒2000(18R)/6気筒2000(M)。ハードトップには18R-G型DOHCのGSSが設定されました。

1975、76年の排ガス規制で4気筒エンジン車は全車18R型・2000ccに統一。同時にDOHC・ツインキャブエンジン搭載のGSSは廃止され、6気筒ツインキャブのLX(Lから改称)はEFI化されました。



3代目 X30/40型(1976年 - 1980年)
デビュー時点でのエンジンのバリエーションは6気筒が2600(4M-U)2000(M-U)2000・EFI(M-EU) 4気筒が2000(18R-U)で、この3代目から最上級グレード「グランデ」(grande)が登場。マークIIとしては初めての3ナンバーとなる2600ccの4Mを搭載した2600グランデも誕生しました。
サスペンションはグランデに前輪ストラット、後輪にセミトレーリングアームの4輪独立懸架を採用し、FR車としてのスポーツ性と乗り心地を両立した足回りに変更されました。

1978年2月、2600の4M-UをEFI化して53年排ガス規制適合(4M-EU)。同時に、2000・2600ともATを従来の3速からオーバードライブ付き4速に変更しました。
1978年8月のマイナーチェンジで、車検証の名称が「トヨペット」から「トヨタ」へと変更されました。

1977年6月には、マークIIのトヨタオート店向けの姉妹車として初代チェイサーが誕生しました。マークIIのトヨタオート店向けの姉妹車として、また、同クラスの人気車種だった日産・スカイラインの対抗馬として開発されたのが初代チェイサーでした。

マークⅡ2ドア ハードトップ



チェイサー初代(X30/40系 1977年-1980年)
チェイサーは、マークIIよりも若いユーザーを狙ったものでした。歴代唯一の2ドアハードトップも存在し、TVコマーシャルは当時の人気若手俳優、草刈正雄さんを起用しました。
ライバル車は日産スカイライン、それ故、マークⅡにラインアップされていた2600ccモデルやディーゼルエンジン、ワゴン、バンは設定されませんでした。
エンジンは、トップグレード2000SGツーリングにM-EU型 2.0L 直6 125psが載せられ、足回りはマークⅡグランデと同じ前輪ストラット、後輪セミトレーリングアームの4輪独立懸架でした。
全長はマークⅡよりも85mm短く(4615mm)、全幅も1mm短い(1680mm)、全高は同じ(1415mm)ボディサイズでした(2000SGツーリング)。
変速機はマークⅡと同じく、上級グレードには5速MT/4速ATが用意されていました。

初代チェイサー 4ドアセダン



X60型(1980年 - 1984年
マークⅡ4代目、チェイサー2代目にあたるこのモデルから、マークⅡ3兄弟といわれたクレスタが加わりました。発売時期は、マークⅡ、チェイサーが1980年10月、クレスタが同年4月でクレスタの登場が半年早く、クレスタとの共用部分はドアパネルのみでした。
また、このモデルから2ドアハードトップに代わり、センターピラーを持つサッシュレスの「4ドアハードトップ」が登場しました。この明るく開放的なピラード・ハードトップボディがマークⅡ、チェイサー、クレスタを月産3万台の大ヒット商品へと仕向けていくことになりました。

マークⅡ 4ドアハードトップ グランデ
前期モデルの中心となったのが、2000cc1G-UEエンジンを搭載したグランデでした。LASRE(レーザーエンジン Light-Weight Advanced Super Response Engineの略)と命名されたトヨタ2000ccSOHCエンジンが、先行のクレスタ スーパールーセントに続き、マークⅡグランデ、チェイサーアバンテに搭載されました。
このモデルまで、2000ccDOHC18R-GEU搭載のGTが存在しましたが、GTは廃止されました。
また、2000ccSOHCターボM-TEU搭載車種がありました。



LASRE 1G-EUエンジン


チェイサー 4ドアセダン アバンテ
この代から最高級グレードとして、ハーダーサスペンション・ミシュランタイヤなどが奢られた「アバンテ」を設定、先代からのスポーティー路線を昇華させました。


クレスタ スーパールーセント ツインカム24
1982年マイナーチェンジ、トヨタ初1気筒あたり4バルブ(吸気2バルブ、排気2バルブ)合計24バルブDOHCの1G-GEUエンジンが搭載されました。ひとあし早く、日産がやはり4バルブDOHC、FJ20EをスカイラインRSで発表、発売しました。遅れること1年日産の4気筒に対し、トヨタは6気筒のセリカXX(ダブルエックス)で発売、マークⅡ3兄弟にも1G-GUEが搭載されることになりました。
呼称は日産の「DOHC」に対し、トヨタは「ツインカム24」。当初は5速MTのみでしたが、1983年2月に電子制御オートマチックECTが設定されると、これが大ヒット、次モデルには「ハイソカー」と呼ばれ、今でいう中型高級セダンの仲間入りを果たしました。


1G-GEUエンジン
既存の1G-EUをベースに、トヨタが提携会社ヤマハ発動機に開発委託をした直列6気筒ツインカム24バルブエンジンでした。トヨタは一部のマニア向け車種に限定せず、2000ccクラスのセリカXX、ソアラ、クラウン、そしてマークⅡ3兄弟へと幅広く搭載することにより、トヨタブランドとして確立した名機でした。




X70型(1984年 - 1988年)
この代からマークⅡは、ハードトップ、セダン、ワゴン/バンとなり、チェイサーはハードトップのみ、クレスタはセダンボディのみの設定となりました(マークⅡワゴン/バンのみ1997年まで生産)。
1989年にかけ日本経済は好景気で右肩上がり、上級車志向が一般大衆化し、月産3万台という今では考えられない販売台数を記録したのがこのモデルでした。

さらには、国産メーカーが相次ぎ競った自動車のパワー競争、その流れがマークⅡ3兄弟にも訪れることになりました。それまでなかった4バルブDOHCにターボをドッキングさせるという手法でした。
1985年10月、「GTツインターボ」の登場でした。
日本初のツインカム・ツインターボエンジン1G-GTEUの追加によりM-TEU搭載の「グランデ・ターボ」は廃止。トランスミッションには電子制御4速AT(ECT-S)と5速マニュアルが用意されました。

マークⅡ2.0GTツインターボ
GTツインターボの登場で、2000ccSOHCターボ(M-TEU)が廃止となりました。


チェイサー2.0GTツインターボ
チェイサーの前期モデルのみ価格を抑えたGTツインターボSがありました。


クレスタ 2.0 スーパールーセント
クレスタのハードトップモデルは初代のみ、このモデルからセダンとなりました。また、3兄弟とも販売の中心車種は1G-EU搭載の2000ccモデルでした。


1G-GTEU 2000ccツインターボエンジン
A70初代スープラに初めて積まれた1G-GTEU、3500rpmからのロケットのような加速感を覚えています。低速トルクは元々低かったベースモデルの1Gにツインターボ、今から思えばパワーウオーズのほんの序章にすぎませんでした。
発売当初の最高出力は185ps/6200rpm、最大トルクは24.0㎏・m/3200rpmでした。



X80型(1988年 - 1992年)
日本経済はバブル景気の真っただ中、日経平均株価が3万円超えをしたこの時期、自動車税制の変更、物品税廃止に代わり消費税の導入、規制緩和、そしてついにバブルの崩壊、国内自動車の環境が激変していく時代でした。
この代からガソリンエンジンはすべてツインカム化され、トップグレードに3000ccツインカム、2500ccツインターボとノンターボ・ツインカム(後期)、2000ccスーパーチャージャー・ツインカム(前期のみ)、2000ccハイメカ・ツインカムが新たに追加されたモデルでした。

マークⅡ3.0 グランデG(後期)
1984年自動車税が改正され、2000cc超のいわゆる3ナンバー車が買いやすくなりました。従前、2000cc超3000ccまでの自家用車が年間81,500円と、庶民にはなかなか手が出せない税額でしたが、今と同じ3000cc51,000円、2500cc45,000円と割安になり、さらにボディサイズにかかわらず排気量で税額が決まるようになっていました。2000ccではトルク不足を感じるユーザーにとっては追い風となりました。
また、15インチタイヤ、4輪ESC(ABSのこと)、横滑り防止TRCが標準装備されていました。


インテリア
先代あたりからトヨタが導入を始めたエレクトロニック・ディスプレイメーター(通称デジタルメーター)です。2000ccツインカム24でも取り付け可能でした。
また、カーオーディオの高級化に特化したのもトヨタでした。カセット式でも、低音・高音とも素晴らしい音質で、走る応接室、リスニングルームといった印象でした。


エレクトロニック・ディスプレイメーター
スピード表示がデジタルで昼間も視認性はよかったものでしたが、このモデルから後は、従来の針表示に戻りました。スポーツ性ということでは、やはり迫力不足を否定できないということだったかもしれません。


80年代後半にかけ作られたものは非常にこっていた、コストをかけていたといわれています。グランデGはバックスキンを多用した材質でした。後にも先にもこんな贅沢なインテリアはこのモデルだけでした。


チェイサー2.5 アバンテ
後期モデルからラインナップされた2.5アバンテです。2000ccにはアバンテツインカム24とアバンテ(アバンテGスーパーチャージャーは廃止)がありましたが、3.0アバンテGとの中間に設定されたモデルでした。アバンテツインカム24の150ps(ネット値)に対し、馬力で30馬力のアドバンテージをもっていました。
X90型ツアラーSにも搭載された1JZ-GEエンジンがこれでした。


クレスタ2.5 GTツインターボ
前期モデル2.0GTツインターボに代わって、後期モデルからラインナップされたのが、1JZ-GTEエンジンを積んだ2.5GTツインターボでした。最初の1JZ-GTEは、その名の通り、ツインターボでした。
2000cc1G-GTEが最終モデルが210馬力だったのに対し、上限馬力といわれた280馬力搭載のエンジンでした。
歴代クレスタの中で最も暴走族に好まれたのが、このJZX81クレスタだったともいわれています。
5速MTは設定はなく、4速ATのみの設定だったようです。



X90型(1992年 - 1996年)
この90系から日本国内専用車になり、全車3ナンバーボディとなりました。開発時期がバブル経済まっただ中だったため、2代続けてプラットフォームを一新したそうですが、販売直前にバブルが崩壊したため、財政事情の悪化によりコストダウンを余儀なくされたモデルだったそうです。
3000cc7M-GEに代わって、新たに加わったのが2JZ-GEでした。また、セリカXX以来の名機1G-GEU、ツインカム24がこのモデルから廃止となりました。
このモデルから2.5GTツインターボは改称され、ツアラーVが誕生しました。今思っても、ありふれたGTとかより、インパクトのある革新的ないいネーミングだったと思います。
ネーミングひとつとっても、ここらへんのセンスというのは、国産自動車メーカーの中でもトヨタが抜きんでていると思いました。

マークⅡ ツアラーV
歴代マークⅡでエクステリアが最も好きなのがこの90系です。この時期から大幅な規制緩和で、タイヤのインチアップやエアロ、社外マフラーへの交換が比較的自由にできるようになりました。
今でも印象に残っているのは、土屋圭市氏がこのマークⅡをサーキットで走らせたところ、とても気に入ってしまい、その後自分のマイカーにしてしまったということです。
中高回転域ガンガンの初代1JZ-GTE搭載のツアラーV、走り屋さんにはまたとない、もってこいのこのうえない車でした。


インテリア
先代80系とは打って変わてシンプルなインパネ周りです。グランデGならまだしも、ツアラーVならこちらが断然いいと思います。


チェイサー ツアラーS
2500ccNAエンジンのツアラーSは、もしツアラーVがなかったなら、最上級グレードであったらもっと売れていたかもしれません。一般道なら燃費がよく、低速トルクがあるツアラーSのほうが、はるかに使い勝手がよかったと思います。


クレスタ ツアラーV
3兄弟の違いは販売チャンネルの違いでした。マークⅡがトヨペット店、チェイサーがオート店(現ネッツ店)、クレスタはビスタ店(現ネッツ店)でした。
あとは値引き(下取り)とか、エクステリアの好み次第でした。


初代1JZ-GTE
同じエンジン型式ですが、乗った印象は二代目の1JZ-GTEとは随分違っていました。チューニングの幅は圧倒的にこちらのほうにアドバンテージがあったようです。
いずれにしても、1JZはトヨタの作った名機だったと思います。



X100型(1996年 - 2001年)
バブル崩壊による厳しい経済情勢が依然続いていた時期でのモデルチェンジのため、フロアパネルはX90系のフロアパネルを流用し、コストダウンが図られました。その一方で安全性向上に力を入れ、衝突安全対策の施されたトヨタ独自規格の「GOA」や、運転席・助手席SRSエアバッグシステム・ABSが全車標準装備されていました。
また、メルセデスが世界で初めて採用したゲート式ATシフトレバーや、上級車にディスチャージヘッドランプ(HID)が標準装備されたのもこのモデルの特徴でした。

マークⅡ 2.0グランデ(後期)
最後の4ドアハードトップモデルとなった100系マークⅡです。このモデルのみ2000年まで生産され、その後、マークⅡ9代目となる110系は2004年で生産中止、マークXに引き継がれました。


クレスタ ルラーンG(S)前期
チェイサーと同じく2001年まで生産された1JZ搭載のクレスタ最終モデルは、何故かツアラーV(S)ではなく、ルラーンG(S)というネーミングでした。また、クレスタ ルラーンGのみ5速MTの設定がないという不思議な設定でした。
この時代、4ドアセダン(ハードトップ)に代わって、小型車は空前のミニバンブーム、庶民の車に対する価値観が変わってきた時期だったかもしれません。


チェイサー ツアラーV
歴代チェイサーの中で、最もスポーティなエクステリアで登場したのが、100系チェイサーでした。ツアラーというネーミングは、マークⅡとチェイサーに継承され、エンジンは新世代2500ccシングルターボ、二世代目の1JZ-GTEが搭載されました。
初めて見たとき、今度のチェイサーは売れる!と確信したのがこの私でした。


1997年に創刊した「スーパーセダン」という雑誌です。創刊号からほぼ3号目まではほとんど全部がチェイサーツアラーVの記事でした。懐かしいページです。多分、実家に眠っていると思いますが、もう捨てられてないかもしれません。




1997年ごろには全日本ツーリングカー選手権(JTCC)への参戦、少し後にはなりましたが、お台場D1グランプリでもその雄姿を見ることができました。


1JZ-GTEエンジン
初めてツアラーVを運転した印象は、全然パワーない・・・??というのが第一印象でした。
ただ、そのカラクリはこういった本ですぐ解決しました。パーツ代に出費はありましたが、そこは愛しい息子のため、惜しげもなく出資しました。



1JZ-GTEの良さは、こんな回転域からでも、30㎏・m以上の図太いトルクで、決して軽くはないボディをスイスイ引っ張っていってくれることでしょうか。
高速道路への侵入、追い越しは本当に楽です。


あと何年乗れるかはわかりませんが、名車チェイサー ツアラーV、トヨタ最後のストレート6ターボ、大切に乗っていこうと思っています。
Posted at 2014/05/17 20:00:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ
2014年04月06日 イイね!

東京の桜 2014 <上野恩賜公園、アークヒルズ、六本木ヒルズ毛利庭園、東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン>

東京の桜 2014 <上野恩賜公園、アークヒルズ、六本木ヒルズ毛利庭園、東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン>4月1日満開した東京の桜、今回は東京花見のスポットをブログにしてみました。







上野恩賜公園
上野の桜は江戸時代、徳川家康のブレーン僧のひとり天海による奈良吉野のソメイヨシノを植樹したところが始まりといわれています。桜の本数はおよそ800本あり、その大半をソメイヨシノが占めるそうです。



江戸時代は徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の寺領でしたが、慶応4年(1868)の上野戦争でそのほとんどが焼失し、その跡地に明治初年、日本初の公園として開園したのが始まりでした。パンダがいる上野動物園は公園内にあります。



東京は前日の強風と雨の影響もありましたが、まだこんな感じで綺麗な花びらを見ることができました。












中国系や東南アジア系の観光客が多いのも上野の特徴です。あと、上野といえば、明治維新の英雄、西郷隆盛です。近くで見るとめちゃくちゃデカい像です。
余談ですが、この西郷像が落成したとき、未亡人がこの姿を見て鹿児島弁で「うちの夫は浴衣を着て犬を連れて散歩に出かけたりはしなかった」とクレームをつけたとか。ところが、周囲のひとたちは何を言っているのか全く理解できなかった、という逸話が残っています。



アークヒルズ
赤坂の高級住宅街にあるアークヒルズ(複合商業施設)周辺の桜並木です。この辺りは都心でありながら、ソメイヨシノが咲く、やはり花見の名所でもあります。






赤坂、六本木あたりは、ポルシェ、ベンツ・クーペ、アストンマーティン、フェラーリなど、地元千葉ではなかなか見られない高級外車を多く見ることができます。岐阜ナンバーのポルシェ4ドアです。この辺りは外国大使館が多い土地柄ですが、どんな職業のひとたちが乗っているんでしょうか。羨ましいかぎりです。



東京都心のファミレスは専用駐車場がないお店がほとんどです。でもつい最近、たまたま見つけたのが、デニーズ南青山店でした。ここでランチタイムをとることにしました。


朝方は少しひんやりしていましたが、昼には気温が上がり、快適な一日でした。




六本木ヒルズ毛利庭園
平日夜の報道ステーションの天気予報でお馴染みの毛利庭園です。今回は夜桜見物と相成りました。









東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
六本木ヒルズの近く、東京ミッドタウン(商業施設)前のミッドタウン・ガーデンです。ピンク色にライトアップされた桜です。






2年ぶりに東京の桜のスポットを見てきました。昼間の桜もいいですが、夜桜もまた違った風情を感じることができました。お天気にも恵まれた東京ドライブの一日でした。
Posted at 2014/04/06 02:00:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自然 | 趣味
2014年03月29日 イイね!

読売巨人軍創設80周年 2014開幕戦セレモニー 巨人vs阪神 <東京ドーム>

読売巨人軍創設80周年 2014開幕戦セレモニー 巨人vs阪神 <東京ドーム>プロ野球が開幕しました。東京ドームでの巨人vs阪神開幕戦をブログにしてみました。









読売巨人軍創設80周年 2014開幕戦セレモニー 
プレイボール前に行われた昭和9年(1934)創立以来の80周年の記念セレモニーです。


巨人軍OBが続々と入場です。長嶋茂雄、柴田勲、金田正一、張本勲、堀内恒夫、杉下茂、そして比較的新しい世代では、松井秀樹、二岡智宏、仁志敏久の各氏でした。



巨人軍終身名誉監督、長嶋さんです。遠くからですが長嶋さんが見えました。



バックスクリーンのVTRで紹介されたON現役時代の勇姿です。
今の若い世代のひとは王さんというと、福岡ソフトバンクの会長とか監督という姿しかイメージがわかないと思いますが、私は王さんの現役時代の勇姿をTVで毎日見ていました。今でもCS放送でかつてのVTRはしばしば放送されていますが、これが師匠荒川コーチと見出した一本足打法です。
今のホームランバッターと何が違うのか、ひとことで言えば、スイングが速くて、大きい、これが世界のホームラン王の特徴です。後楽園球場での756号、はっきり記憶に残っています。



現役時代の全盛期には王さんと、打撃タイトルを独占した長嶋さんの勇姿です。首位打者、打点王、MVPをほとんど二人で獲り合っていました。私は最晩年の長嶋さんしか見たことはありませんが、場内アナウンスで「4番サード長嶋」とアナウンスされたときの後楽園球場の大観衆の拍手が今でも記憶に残っています。長嶋さん以来、あれだけの大歓声で迎えられた選手は今だ聞いたことがありません。ここぞというチャンスにはめっぽう強かった長嶋茂雄氏でした。

戦後の荒廃した日本国民に長嶋さんが夢と希望を与えた、この功績は日本プロ野球史上、永久に語り継がれていくこと相違ありません。昭和40年から48年にかけての9年連続日本一V9、もう破られることはないでしょう。



次期、読売巨人軍監督と噂される松井秀樹氏もいました。松井さんは、王さんとはまた違ったタイプのホームランバッターでした。設立当時広いといわれた東京ドームにホームランが量産されるようになったのはこの松井さんの登場からだと思います。

2002年ライトの天井に当てて打ったホームランはここ東京ドームで目の当たりにしました。
先のONともども、野球が上手いだけではなく、この3人の共通点は人格者であるということです。松井さんは巨人ファンだけでなく、ニューヨーカーの間でも人気があるのがその証です。








セレモニーが終了すると、SMAPによる君が代斉唱です。



今日は開幕戦、野球の本場アメリカからの招待客で、駐日米国大使キャロライン・ケネディさんです。JFケネディ元大統領の娘さんです。親日家としても知られているケネディさんによる始球式です。





午後6時巨人vs阪神1回戦プレイボールです。先発は菅野と能見の両エースでした。


阪神に4点を先制された巨人でしたが、ロペスの走者一掃二塁打、坂本の通算100号ソロ、伏兵橋本の逆転二塁打などで12-4で圧勝、開幕戦は巨人の勝利でした。




Posted at 2014/03/29 15:59:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 野球 | スポーツ
2014年03月23日 イイね!

東京 明治の元勲の足跡 ~ 川路利良、西郷従道、有栖川宮熾仁親王、大久保利通 ~ 

東京 明治の元勲の足跡 ~ 川路利良、西郷従道、有栖川宮熾仁親王、大久保利通 ~ 関東は春一番が吹き、徐々に暖かさが増してきました。三連休の中日、東京京橋にある警察博物館に行ってきました。










警察博物館
警視庁創立140年を記念して、特別展「警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件」が3月19日~5月6日まで開催されています。警視庁全職員のアンケートで選んだ、創立以来の重大事件100件をパネルや写真、映像、実物の展示で紹介するものです。


入口に展示中の先代クラウンとRX-8のパトカー、そしてヤマハFZ750Pの白バイです。



展示コーナーは各階にありますが、写真撮影ができるのは1階フロアのみです。
飛ぶと、ちょっと危なそうなヘリコプターです。


今の皇太子殿下と雅子妃の婚礼の儀のパレードで使用した白バイです。



警視庁のアンケート調査で選ばれた十大事件です。
1. オウム真理教事件(1995年~)
2. 東日本大震災(2011年)
3. あさま山荘事件(1972年)
4. 三億円事件(1968年)
5. 大喪の礼/即位の礼・大嘗祭(1990年)
6. オウム真理教事件特別手配3人の逮捕(2012年~)
7. 世田谷一家殺害事件(2000年)
8. 秋葉原無差別殺傷事件(2008年)
9. 西南の役(1877年)
10. 八王子スーパー強盗殺人事件(1995年)

このランキングを見て、「あれ?西南の役!」と思うと思います。西南の役(西南戦争)は、明治10年に九州南部で起きた日本史上最後の内戦です。
この内戦に果敢に挑んだのが、初代大警視・川路利良(かわじ としよし)でした。


川路利良
初代大警視(警視庁のトップ)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した「日本警察の父」といわれる川路利良は薩摩藩の下級武士の家に生まれました。西郷隆盛の下、戊辰戦争に参戦し、維新後その功績が認められ渡欧し、フランスの警察制度を導入して明治7年(1874)警視庁創設とともに初代大警視に就任した人物です。

明治6年(1873)、征韓論争に敗れた西郷は故郷鹿児島に下野しましたが、鹿児島では旧武士階級の特権を大久保利通ら明治新政府に剥奪された不平士族の不満が高ぶっていました。
川路は鹿児島に探索のため警視庁から密偵を送り込みましたが、桐野利秋らに捕縛され、挙句の果てには西郷暗殺計画の噂を流されてしまいました。

鹿児島私学校と不平士族らは西郷を担ぎ上げ、同郷の大久保、川路らへの遺恨を晴らすため、明治10年(1877)2月15日一斉に蜂起しました。
大警視・川路は元上司である西郷討伐のため、九州熊本へ向かうことになります。



田原坂の戦い
3月鹿児島から人吉、熊本へと北上した西郷軍と、熊本市の北部、田原坂で衝突した官軍との戦いは17日間にも及ぶ死闘となりましたが、武器弾薬に勝る官軍が徐々に西郷軍を押し戻し、西郷軍敗走の契機となったのが田原坂の戦いでした。



熊本鎮台兵

西郷軍は熊本城に籠城する鎮台兵に総攻撃をかけましたが、城内で死守したのが熊本鎮台の兵隊たちでした。前列中央に写っているのが司令長官・谷干城(たに たてき・かんじょう)です。谷は旧土佐藩士で、坂本龍馬を慕っていた人物です。
慶応3年(1867)11月、近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が刺客に襲われた際、知らせを聞き真っ先に近江屋に駆けつけたのが谷でした。

坂本龍馬、中岡慎太郎暗殺の黒幕を新選組の仕業と断定した谷は、翌慶応4年(1868)4月、偽名を使って投降した近藤勇に板橋での斬首刑を決行しました。
また、後列中央は日露戦争203高地の戦いで、乃木希典を補佐し、ロシア軍を下した児玉源太郎です。



西郷従道
西郷隆盛の弟・従道(じゅうどう・つぐみち)は、征韓論争で兄・隆盛が下野した後も東京の明治政府に留まりました。従道は兄の復帰をひたすら待ち続けていましたが、西南戦争が勃発し、その希望は叶いませんでした。



東京目黒区に従道が兄と暮らすため購入した邸宅跡が今でも残っています。「西郷山公園」といい、都民の憩いの場となっています。


当時の敷地面積は6万㎡もの広大なものでした。高台からは目黒の町並みが一望でき、お天気がいい日は富士山もよく見えます。


河津桜が満開でした。




有栖川宮熾仁親王

有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)は、京都の皇族出で、後に徳川家茂に降嫁した孝明天皇の妹・和宮の婚約者でした。慶応4年(1868)3月の江戸総攻撃には、東征大督府となり、西郷隆盛らと東海道を江戸へ向け進軍しました。

西南戦争が勃発すると、鹿児島県逆徒征討総督に就任し、東征に際してともに新政府軍を指揮した西郷と、敵将として対峙する皮肉な結果となりました。また、川路利良の九州参戦の辞令書は、熾仁親王より下されました(警察博物館に現存展示中)。

近年、有栖川宮の末裔を名乗る男女の事件がありましたが、有栖川宮は世継ぎがいなく断絶しています。



南麻布にある有栖川宮邸跡、「有栖川宮記念公園」です。この像は西郷従道らによって建立されたものです。



大久保利通
西郷とともに「維新の三傑」といわれる大久保利通は、征韓論争で対立した西郷が新政府を退くと、内務卿に就任し、明治新政府の実権を握りました。西郷とともに下野した佐賀出身の江藤新平と激しく対立し、佐賀の乱の首謀者江藤を捕縛すると、自らの判断で即日斬首刑を処しました。
西南戦争では各地方の鎮台兵に九州派遣命令をくだしましたが、その翌年東京紀尾井町で、石川県の不平士族らに襲われ絶命しました。



紀尾井坂の変
紀尾井町の由来は、江戸時代ここに紀州藩、尾張藩、彦根藩(井伊家)の江戸屋敷があったことに由来しています。現在は、ホテルニューオータニが目印となっている場所です。

明治11年(1878)5月14日、普段通り馬車で出勤する大久保が紀尾井坂にさしかかったとき、石川県から上京してきた不平士族・島田一郎らに惨殺された現場です。大警視・川路利良は、大久保暗殺計画の情報を密かに得ていましたが、ボディガードを付けず、「石川県人になにができるか!」とタカをくくっていました。
大久保は頭部を中心に斬られ、首から地面に刀を突き刺され絶命しました。この知らせを聞いて真っ先に駆けつけたのが、西郷従道でした。




警察博物館の特別展「警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件」のひとつ、西南戦争を題材にしてみました。
大事件や事故は起こらないに越したことはありませんが、関東近郊の方で興味があるひとにはおススメです。
駐車場がありませんので、車で行かれる場合は駐禁にご注意ください。
Posted at 2014/03/23 15:00:31 | コメント(3) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2013年12月31日 イイね!

小江戸川越紀行 ~蔵造りの町並み~

小江戸川越紀行 ~蔵造りの町並み~








蔵造りの町並み
大江戸に対し小江戸と呼ばれた武州川越、その市街地に今でも「蔵造り」の建物が並ぶ一角があります。「蔵造りの町並み」といわれる仲町から札の辻までの通り沿いには、それぞれ個性のある30数棟の蔵造りの商家が軒を連ねています。他の都市では見られない江戸情緒あふれる景観で、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。


日曜の午前中、ひとも車もまだまばらでしたが、午後になるとこれが倍以上になります。うっかりすると、目の前に大型バスが出現!なんて危ない場面に遭遇することもあります。ここは川越駅につながる幹線道路なのだそうです。せめて土日くらい歩行者天国にしたほうがよいのでは・・・?とも感じました。


時の鐘
「蔵造りの町並み」のランドマーク、「時の鐘」です。江戸時代初期、寛永年間からおよそ390年間にわたって「時」を告げてきた川越のシンボルです。現在のものは4代目で、1日に4回(6時・正午・15時・18時)鐘の音を響かせているそうです。
まだ時計のなかった明治初期まで、この鐘の音を聞いてひとびとは暮らしていました。




川越名産「芋菓子」の銘店です。人気のお菓子屋さんです。


大正7年(1918)に第八十五銀行本店として建てられた今の埼玉りそな銀行川越支店です。


大沢家住宅といわれ、国の重要文化財に指定されています。呉服を商っていた豪商・近江半右衛門が、寛政4年(1792)に建てた川越最古の建造物です。








開運亭というお店で昼食をとりました。余談ですが、10月に安値で買った株が高騰(5連続ストップ高)し、売却益を得ました^^v。これからも「運」がつくようにという願掛けで、この開運亭にしました。


すったて御膳です。茶碗蒸しとご飯がつきました。シンプルに1,050円です。


今年は2月に父が逝去するという家族の不幸がありましたが、来年はいい年にしたい、そんな思いで埼玉県川越市にドライブに行ってきました。
私のページを見てくださった皆さん、また、コメントをくださった皆さん、新年もよろしくお願いしたいと思います。
Posted at 2013/12/31 00:00:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域

プロフィール

「安福久美子69歳、99年の名古屋西区主婦殺人事件の主犯者。悟さんにフラれた腹いせに、自宅を突き止め、悟さんの愛妻を刺殺した。この安福の自宅、今日グーグルマップで見つけた!裁判やって判決確定まであと何年要するか? 悟さん、息子さん、被害者があまりにも気の毒。。。」
何シテル?   11/05 21:54
オートビレッジ時代の2001年11月に登録しました。みんカラもメジャーになり、国産車から外国車まで、いろんなオーナーカーを見て楽しませてもらっています。2025...
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2001年式最終型JZX100チェイサーツアラーV TRD Sportsで、2015年4 ...

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