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Cyber Xのブログ一覧

2019年08月14日 イイね!

☆彡令和の夏 道東旅行Ⅲ 釧路湿原・根室半島

☆彡令和の夏 道東旅行Ⅲ 釧路湿原・根室半島

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道東旅行3日目の7月31日、阿寒摩周国立公園の硫黄山アトサヌプリ)でちょうど正午。朝のバイキングであまりお腹がすいていなかったので、レストハウスで、とうもうろしを一本パクリ。 アトサヌプリの熱い火山ガスと、炎天下でかいた汗をしばらく拭いました。摩周湖もそうだったんですが、韓国人旅行者がとても多く、最近の日韓関係の影響で旅行客のキャンセルが相次いでいたそうですが、これは少々驚きでした。






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次の訪問先、“釧路市湿原展望台”です。当日の宿泊先はアトサヌプリから130㎞東の根室市。直接行ったほうが断然近道だったのですが、せっかくの道東。少し遠回りして太平洋側の釧路湿原展望台に行ってみました。





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偶然ですが、旅行前の7月20日、ブラタモリ#140釧路湿原が、今回の旅行のガイドブックになりました (^_-)-☆ 





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釧路湿原の誕生は約4000年前。普通なら樹木が生えて土地ができるのですが、古い草が積み重なってできた湿原は、川の蛇行が変わると、樹木を枯らせてしまうんだとか。その繰り返しが4000年も続いているそうです。






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いぼる=ぬかるむ 博多弁みたいです(●´ω`●)





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日本最大の釧路湿原は、ただの“ぬかるみ”ではありませんでした(*''▽'')





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霧の摩周湖釧路湿原から80㎞も離れた摩周湖の霧は、釧路沖の寒流(親潮)と、暖流(黒潮)で温められた大気から霧が発生。 釧路湿原を伝ってはるか北にある摩周湖に流れていくんだとか。まさに大自然がもたらす不思議のひとつです。






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ブラタモリ、このブログを書くにあたって、大いに参考になりました(●^o^●)






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アトサヌプリから釧路湿原まで75㎞。信号がほとんどなく、まるで地方の高速道路を走っているくらいストレスなく走れます。反面、デメリットももちろんあります。ガソリンスタンドが一軒もなかったことです。釧路湿原でタンクは、温度計標識のメモリであと1段 (*''▽'') ガス欠起こしたら一大事! およそ20㎞離れた釧路市街地のGSに駆け込みました (●´ω`●) 

レンタカー(パッソ1Lガソリン車4WD)は満タン31Lで燃費がだいたい20㎞/Lの計算でしたが、やはりなれない車。ガス欠ギリギリまで走らせるのは、リスキーだと痛感しました (≧▽≦)






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釧路市から130㎞、根室市内のこの回転寿司店で夕食タイム。阿寒湖から当日1日で一般道だけで250㎞を走りました。首都圏なら絶対ムリですが、ここは北海道。それが可能なんですねヽ(^。^)ノ






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この回転寿司店は食べログで見つけたのですが、少々お値段は高め。例えば、あさり汁一杯320円、中トロにいたっては2貫430円でした(;'∀') 私が好きなスシローの大トロは1貫300(セール期間はナント100円)円ですが、この店は大トロはメニューになし。

ただネタは新鮮で、たまたま当日のホテルが夕食なしのホテルだったので、これはこれで良しでした。むしろ、普段行きつけの大手回転寿司チェーンの価格の安さが、本当はサプライズなのかもしれない、と感じました。






根室半島の位置

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道東旅行4日目は、根室半島ノツカマフチャシ跡です。「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされます。





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ノツカマップといわれた1789年には、この地域を治めていた和人が、アイヌ民族に対し過酷な労働や暴力的な支配を行っていたことが原因で、クナシリやメナシ(羅臼、標津)地方のアイヌ民族が和人71人を殺害する「クナシリ・メナシの戦い」が起きます。

その後、松前藩は鎮圧隊を派遣し、戦いに関わったアイヌ民族37人をこの地に集め処刑しました。それまで、ノツカマップはこの地方の中心地でしたが、この事件をきかっけに現在の根室港周辺に中心が移りました。






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オホーツク海の先50㎞には、国後島(ロシア領)があります。長崎原爆の8月9日直後、ソ連軍により侵攻略奪された北方領土。普段、北方領土問題って考えたことはありませんが、地図を見てこんなに近かったのかと実感すると、元島民の想いが不思議と理解できるようになりました。







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北海道の最東端、根室半島の先っぽ、納沙布岬に到着。地名の由来はアイヌ語の「ノッ・サム」(岬の傍ら)。





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6月の日の出はナント、午前3時30分だとか!(^^)! 日本一朝日を早く見れるのが納沙布岬なのだそうです。 ということは、日没は午後3時??




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前日訪れたアトサヌプリがサウナ風呂なら、納沙布岬は日差しはきつかったですが、2000m級の夏山並み。オホーツクの海風はとても涼しく快適でした。




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午前10時で気温は25°C。 景色もいいし、まさしく海辺の楽園でした(^O^)/




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漁から帰港してきた船には、真っ黒い昆布が。大漁だったようです。





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ちょうど、宮城県から来た大型バイクのご夫婦が灯台をバックに写真撮影。私たちもここで1枚お願いしました。今回の旅行の最終目的地、根室半島をあとにしました。




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バックナンバー  クリック で見れます (^^♪


☆彡令和の夏 道東旅行Ⅰ 網走・世界自然遺産知床

☆彡令和の夏 道東旅行Ⅱ 阿寒湖・摩周湖・硫黄山






Posted at 2019/08/14 01:00:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自然 | 旅行/地域
2019年08月11日 イイね!

☆彡令和の夏 道東旅行Ⅱ 阿寒湖・摩周湖・硫黄山

☆彡令和の夏 道東旅行Ⅱ 阿寒湖・摩周湖・硫黄山

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知床ウトロを出発したのが、午後6時すぎ。7月30日当日の宿泊先は200㎞先の阿寒湖温泉 ナビを見ると到着まで2時間30分の計算。 チェックインが遅れることを電話で伝え、ナビを頼りにアクセル全開。 道東は直線の道路が多く、人が歩道を歩いていることは、まずほとんどなし。 ホテルの夕食は午後9時まで、というので信号がない道路を時速80㎞くらいで飛ばしに飛ばしました。



午後8時前、あとホテルまで5㎞の林道。ハイビームで前を照らしていると、前方車道に一頭のエゾシカを発見 (*_*; 慌てて急ブレーキ!



前日たまたまホテルで見ていたニュースで、今年は車とエゾシカの衝突事故が急増しているという放送を見て、万一に備えハンドルを握っていたが、まさか翌日に遭遇するとは、正直驚いた (゚д゚)



幸い衝突事故はなく、チェックインを済ませ、ホテルの夕食にありつけました ヽ(^。^)ノ

(※画像はイメージです)






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翌31日、朝7時に起床。ホテルの部屋から阿寒湖が一望。「こんな風景だったんだぁ~」という感じ。昨夜の疲労感は残っておらず、朝食後に遊覧船に乗ってみることに。





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乗り場は、ホテルの真正面。便利でしたヽ(^。^)ノ







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阿寒湖マリモで有名な道東のカルデラ湖。実は旅行の2日前、7月27日放送のブラタモリを見て、 日本でマリモが見れるのはこの阿寒湖だけということを知って、早速そのマリモが見れる遊覧船に乗船した、というわけです。






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ホテル前からチュウルイ島にある“マリモ展示センター”に向かいました。最後方の山は活火山、雌阿寒岳(めあかんだけ)。






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30分でチュウルイ島に到着。






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今、日韓関係がいろいろ物議を醸していますが、前日、知床観光船で隣席だった韓国人の男女と偶然同船していました。次に行った目的地も韓国人旅行者が数多くいました (●´ω`●)






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水槽のマリモ。ここ阿寒湖のチュウルイ湾が唯一の生息場所です。漢字で書くと、“毬藻”。養殖マリモもあり、個人で飼育することができます。






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直径25センチのマリモ。国の特別天然記念物に指定されており、採取することはできません。なぜか大型球状に成長するマリモは、このチュウルイ湾でしか生育していないそうです。






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チュウルイ湾には、6億ものマリモがいるそうです。








阿寒湖から摩周湖

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摩周湖

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第三展望台から見る “摩周ブルー”です。阿寒湖は湖岸まで行けましたが、ここは上から眺めるだけの、やはりカルデラ湖です。流入する河川が一本もないことから、有機物が皆無。生物が育たないため水質が透明で、幻想的なブルーに見える人気の湖です。年間50万人もの観光客が訪れるそうです。









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旅行2日前のブラタモリ。録画しておいてよかった(^_-)-☆






ところで、自身初の道東旅行(阿寒・摩周)で感じたことを書くことにしました。


ちなみに昨年、道南(函館、松前、昭和新山)をまわったので、北海道旅行は2度目になります。


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1.直線の信号がない道路がとても多かったこと

2.道路の左側の赤白の矢印、いたる所にあったこと

3.この矢印、夜間は反射光になり、とても運転しやすかったこと

4.大農園(全部畑)が多くあったこと

5.民家が少ない、コンビニ、ガソリンスタンドは数十キロ間隔。
6.内陸の気候は首都圏と変わらず、とてもむし暑かったこと







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こんな景色も数多く見ました。大型トラックに積んで運び出し、家畜の飼料にしているようです。








硫黄山

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摩周湖と屈斜路湖の間にある活火山、硫黄山(いおうざん)です。アイヌ語で「アトサヌプリ」、和訳で「裸の山」という意味になります。海抜512mの小山ですが、ここで採取された硫黄を運搬するため鉄道網が発達し、今の釧路港が誕生しました。






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硫黄のニオイがプンプンします。 黄色い噴気孔からかなりの量の火山ガスを出しています。箱根の大涌谷を思い出しました。








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ブラタモリでタモリさんは、“イイニオイのおなら”と言っていましたが、私も硫黄のニオイは好きです。いい温泉を思い浮かべます。この近くには、川湯温泉があります。







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最後に、ブラタモリは、


阿寒湖のマリモ ➡ グリーン

摩周湖 ➡ ブルー

硫黄山 ➡ イエロー


阿寒・摩周  色とりどりの宝 と解説していました。

火山活動が生んだ宝 という意味です。









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シューという大きな音を出しています。 炎天下と、火山ガスで、ものすごく熱かった(*''▽'')









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続く
Posted at 2019/08/11 18:00:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 自然 | 旅行/地域
2019年08月09日 イイね!

☆彡令和の夏 道東旅行Ⅰ 網走・世界自然遺産知床

 ☆彡令和の夏 道東旅行Ⅰ 網走・世界自然遺産知床

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長かった梅雨が明けた7月29日、中部空港セントレアから、北海道女満別空港(めまんべつくうこう)へANAで向かう直前です。中部国際空港から女満別空港は行きも帰りも1日1便。とにかくお天気がいいこと、が旅行の最低条件。スカイレストランで昼食を済ませ、さぁ北海道へ~ (^_-)-☆






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機種によって違うのか? ボーイング737は機内で音楽が聴けません。Wi-Fiもなし。窓側の席だったので、外と頭上のモニターを見ながら2時間の旅。





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初めて見るオホーツク海 (^O^)/ 女満別空港まであと10分。





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1日目は女満別空港から直行、網走湖畔のホテルで一泊。夕食は、毛ガニ、同じく北海道産のとうもろこし、ジャガイモ、牛肉をはじめ、定番メニュー+食べ放題+飲み放題の充実メニュー。お値段も決して高くなく、リーズナブルなホテルでした!(^^)! あまりにも蒸し暑い日だったので、定番メニューを全部平らげ、食後にメロンを10キレほど食べてしまいました。





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広い室内、50インチ大型画面のTV、ベッドルームと和室、洋室が共存している、まるで高級マンション?と思われるほどデラックスな一室でした。
私が敬愛する歴史小説家 司馬遼太郎氏が、平成3年(1991)に“街道をゆく“の執筆途中に宿泊したことがあるそうです。





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7月30日、朝方の網走湖。




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2日目最初は網走観光定番の “博物館 網走監獄”





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昭和40年代にヒットした高倉健さん主演の映画、網走番外地シリーズから一躍有名になった網走刑務所。9億円をかけて当時の新聞社の社長が保証人となり、移築・復原したのが〝博物館 網走監獄”です。そもそもは明治時代に始まった“島流し”の獄だったところですね。







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旅行中はレンタカーで移動。ウトロ港に到着しました。写真は名所オロンコ岩
ウトロという地名はアイヌ語が語源。「ウトロチクシ」で「奇岩の多いところ」という意味だそうです。知床八景に選ばれているオロンコ岩をはじめとして、帽子岩・げんこつ岩・亀(ガメラ)岩など、その名の通りたくさんの奇岩が点在しています。






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似てますよね ~ 通称ゴジラ岩(^_-)-☆





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ウトロでちょうど正午、観光地なのに意外とレストランが少なかったですね。この海鮮食堂でランチタイム休憩。





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ボリュームタップリの海鮮丼。毛ガニの味噌汁が美味だった(●^o^●)





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2日目の目玉は、知床観光船オーロラで、“秘境“といわれる知床半島のオホーツク海側を、ウトロ港から知床岬まで往復する“秘境知床岬航路”です。






世界自然遺産知床
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昭和の時代、加藤登紀子さんの“知床旅情”という歌謡曲がヒットしました。ところが、知床半島の先っぽ半分は、民家が一軒もない、道路が一本もない、居るのはヒグマ、エゾシカ、キタキツネなど、まさしく野生の王国、だったんですヽ(^。^)ノ 
知床半島は、2005年ユネスコ世界自然遺産に登録されました。






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こんなシーンが生で見れるかもしれない、そんな期待を込めたのが、“秘境知床岬航路”に申し込んだ理由です。





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ウトロ港から、知床八景といわれるプユニ岬、乙女の涙(フレペの滝)を通過、カムイワッカの滝、そして知床岬でUターン。往復3時間45分の船上からの見学です。





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大型船おーろら2号に乗船。例年6月から9月までの運行。冬が長い知床半島、1年の内、8か月間は運休です。




プユニ岬
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ウトロ港が一望できる絶景スポット。この辺りは車でも行けます。





象岩
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岩の名前からそのまま、象にそっくり、象岩です。





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クンネポール
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アイヌ語で、黒い(暗い)洞窟。いたる所にありました。





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オホーツク海の海風はちょうど心地よかったですね。ちなみに例年1月から4月にかけてここら辺の海は流氷のため、航行は不可能になります。






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小型船はより浅瀬、岸壁沿いを航行します。ヒグマを間近で見るチャンスは、断然小型船だそうです。





カムイワッカの滝
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カムイワッカとはアイヌ語で、神の水。ただ、山頂にある硫黄山(海抜1562m)から注がれる強い毒性の硫黄成分が含まれており、魔の水ともいわれるそうです。





タコ岩
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知床岬
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ウトロ港から約2時間、秘境といわれる知床岬が見えてきました。 夏から秋にかけ、船がないと上陸不可能、まさしく秘境です。
お天気がいいと、国後島(ロシア領)が後方に見えるそうです。




さらば、秘境 知床岬 (≧▽≦)
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知床岬でUターン、船内で配布されたPOST CARDです。





ひとつ物足りなさを感じていました。それは、かなりの確率で見られるヒグマが見れなかったことでした。

ところが、ウトロ港まであと数分のところで、船内放送が・・・!


『左の崖にヒグマがいます!』



 (●´ω`●) クリックで拡大してください → 黒いのがヒグマ、かなり見ずらいですが・・・
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写っていた!たまたま後で判明した写真です。ちっちゃいですが、ヒグマが写っていました(#^.^#)
肉眼で見えていたら、ズームしていたんですが。。。(笑





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道東旅行2日目はウトロを出、次の宿泊地、阿寒湖へ向かいました。

続く

Posted at 2019/08/09 23:00:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自然 | 旅行/地域
2019年08月02日 イイね!

☆彡日本100名城 《北海道・東北編》ファイナルラウンド ★根室半島チャシ跡群・弘前城・根城・久保田城★

☆彡日本100名城 《北海道・東北編》ファイナルラウンド ★根室半島チャシ跡群・弘前城・根城・久保田城★









※クリックで拡大します。
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日本100名城登録番号No.1根室半島チャシ跡群 ヲンネモトチャシ跡に“到達”です。
根室市街地から車で約30分、納沙布岬近くにあります。





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「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、アイヌの砦という意味になります。根室半島にあるチャシ跡は、海を臨む崖上に、半円形や方形を巡らした「面崖式」のチャシ跡が多く、濠を組み合わせた大規模なものが多いことで知られています。





根室市内チャシ跡分布図
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根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残り、うち24ヶ所が「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されています。根室市内のチャシ跡が築かれた正確な年代は不明ですが、16~18世紀頃とされています。
見学先として整備されているチャシは、ここヲンネモトチャシ跡とノツカマフチャシ跡の2ヶ所です。





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昆布の水揚げを行う温根元漁港に突出した岬の上に、盛土をしてその上に平坦面を2ヶ所作りだしています。





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冬から春先には、オホーツク海の先に国後島(ロシア領北方領土)が見えます。





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この辺りは山がなく、海抜10m前後の陸地続きの牧草地帯ですが、クマが出現したという看板です!? 
実はここへ来る前に観光地、知床半島でヒグマ、阿寒湖で夜、車の運転中にエゾシカに遭遇、危うく衝突しそうになったため、なにか現実味がすごくありました。!!!((≧▽≦)





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日本100名城登録番号No.1「根室半島チャシ跡群」ヲンネモトチャシ跡でした。





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真夏の根室半島、直射日光は厳しかったけど、オホーツク海の海風はとても心地よかったです(^O^)/
オホーツク海に突き出した半島の低地なのに、牧場が多いのもとても印象に残りました。





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根室駅前の観光インフォメーションセンターで押印したスタンプラリー。北海道まで行った記念になります(#^^#)





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日本100名城登録番号No.5 根城 (ねじょう)の本丸跡です。7月の3連休は宮城県から九州まで梅雨前線が大荒れのお天気でしたが、ここ青森県八戸市は晴天。
過去、旅行を含めた遠出は(タマタマ偶然でしょうが)一度も雨に見舞われたことはない、という晴れ男のジンクスは生きていた(笑 !






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主殿といい、当主が来客と接見したり、儀式をとり行うための建物です。





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右の建物は鍛冶工房、左は板蔵といい、鍛冶工房は鎧や刀を作っていた建物、板蔵は当主やその家族が使う道具や衣類が収納されていた建物です。





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根城は、建武元年(1334)に甲斐国(山梨県)から移った南部師行によって築城された中世の城でした。南部師行の後も根城は子孫たちに引き継がれましたが、中央に豊臣政権が誕生すると、根城南部氏は同族の盛岡南部氏に組み入れられました。寛永4年(1627)には遠野へ国替えとなり、根城の城としての役割は終えました。





南部氏の支配圏
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弥生時代の集落のようにも見えますが、昭和53年からの11年間に及ぶ発掘調査とその成果に基づいて復原された、安土桃山時代の根城をイメージしたものです。





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史跡根城の広場は有料だけあって、とても綺麗に整備されていました。





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本丸跡の外側、堀の跡です。ここらあたりは、安土桃山時代の城跡っぽい。




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日本100名城登録番号No.5 根城 でした。





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日本100名城登録番号No.9 久保田城です。復原された御隅櫓(おすみやぐら)は秋田市市制百周年を記念して建てられました。





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久保田城は、関ケ原の戦い後、水戸から秋田に減移封された 佐竹義宣 によって築城されました。
佐竹義宣は、豊臣政権時代は徳川家康前田利家島津義弘毛利輝元上杉景勝と並んで豊臣政権の六大将といわれていましたが、秀吉が亡くなり関ケ原の合戦が起こると、反家康の上杉景勝と密約を結び、家康の挙兵命令に従いませんでした。
戦後、この行為が家康の逆鱗に触れ、水戸54万石は没収、石高も知れない秋田へ国替えを命じられました。

幕末の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟をいち早く脱退し、西郷隆盛の明治新政府軍に味方をした秋田藩。お見事、270年前の関ケ原の恨みを晴らしたのが、秋田藩でした(≧▽≦)?




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久保田城は、現在は千秋公園として整備されています。ちなみに、現職の秋田県知事、佐竹敬久(のりひさ)氏は、佐竹義宣の分家、佐竹北家の末裔にあたります。鎌倉時代から続く名家の家系ですね。





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日本100名城No.9 久保田城スタンプ設置場所は、佐竹史料館です(*'▽')
無茶苦茶蒸し暑い日でしたが、史料館の中は快適でした。





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日本100名城登録番号No.4 弘前城 天守です。遂に来たっ!という感激ものでした(^O^)/
冬季は積雪、なんといっても千葉からは遠い。
日本100名城は、2010年の会津若松城(鶴ヶ城)からスタートし、足掛け10年、まだ山口以南の西日本を残していますが、お天気にも恵まれ歓びもひとしお。
岩木山もちょっと写りました(*^^)v





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弘前城天守は、弘前藩二代・津軽信枚(のぶひら)によって慶長16年(1611)に築城。しかし、寛永4年(1627)の落雷により焼失。
現在の天守は、約200年前の文化7年(1810)に蝦夷地警備の功績が江戸幕府に認められ、九代藩主・津軽寧親(やすちか)が隅櫓の改築を理由に天守再建に着手し、翌8年に完成したものです。
当初は天守ではなく、櫓の再建として幕府に上申していたものだそうです。弘前藩主もいろいろ知恵を働かせたものです。






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現在の天守は曳家により、本来の位置から少しずれています。これは天守後方からの画像ですが、前後で天守の意匠が少し異なっているのがわかるでしょうか。
江戸幕府から櫓の再建を認めさせた弘前藩でしたが、後方に回す金が不足したため、前後の意匠が相違しているそうです。
なにはともあれ 現存天守 立派の一言に尽きます。





津軽の名峰・岩木山
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 日本100名城 登城記録 2010年10月~

【北海道・東北地方】 13/13達成 👑 
○ 1.根室半島チャシ跡群
○ 2.五稜郭     
○ 3.松前城
○ 4.弘前城            現存天守
○ 5.根城
○ 6.盛岡城
○ 7.多賀城      日本三大史跡
○ 8.仙台城
○ 9.久保田城  
○ 10.山形城
○ 11.二本松城 
○ 12.若松城  
○ 13.白河小峰城

【関東・甲信越地方】 19/19達成 👑 
○ 14.水戸城
○ 15.足利氏館
○ 16.箕輪城
○ 17.金山城
○ 18.鉢形城
○ 19.川越城
○ 20.佐倉城
○ 21.江戸城
○ 22.八王子城   日本五大山岳城
○ 23.小田原城
○ 24.武田氏館
○ 25.甲府城
○ 26.松代城
○ 27.上田城
○ 28.小諸城  
○ 29.松本城    国宝 現存天守
○ 30.高遠城  
○ 31.新発田城
○ 32.春日山城     日本本五大山岳城

【北陸・東海地方】 16/16達成 👑
○ 33.高岡城 
○ 34.七尾城    日本五大山岳城
○ 35.金沢城
○ 36.丸岡城         現存天守
○ 37.一乗谷城
○ 38.岩村城    日本三大山城
○ 39.岐阜城
○ 40.山中城
○ 41.駿府城
○ 42.掛川城
○ 43.犬山城     国宝 現存天守
○ 44.名古屋城      日本三名城 
○ 45.岡崎城
○ 46.長篠城
○ 47.伊賀上野城
○ 48.松阪城

【近畿地方】 14/14達成 👑
○ 49.小谷城    日本五大山岳城
○ 50.彦根城    国宝 現存天守
○ 51.安土城
○ 52.観音寺城    日本五大山岳城
○ 53.二条城     世界遺産 国宝
○ 54.大阪城     日本三名城
○ 55.千早城
○ 56.竹田城
○ 57.篠山城
○ 58.明石城
○ 59.姫路城     世界遺産 国宝 現存天守 日本三大平山城
○ 60.赤穂城
○ 61.高取城     日本三大山城
○ 62.和歌山城

【中国・四国地方】 20/22達成 もう少し
○ 63.鳥取城
○ 64.松江城           国宝 現存天守
○ 65.月山富田城  日本五大山岳城
- 66.津和野城    
○ 67.津山城           日本三大平山城
○ 68.備中松山城     現存天守 日本三大山城
○ 69.鬼ノ城
○ 70.岡山城
○ 71.福山城
○ 72.吉田郡山城
○ 73.広島城
- 74.岩国城
○ 75.萩城
○ 76.徳島城
○ 77.高松城          日本三大水城
○ 78.丸亀城      現存天守 
○ 79.今治城            日本三大水城
○ 80.湯築城
○ 81.松山城      現存天守  日本三大平山城
○ 82.大洲城
○ 83.宇和島城    現存天守  
○ 84.高知城            現存天守

【九州・沖縄地方】 2/16未達
- 85.福岡城
- 86.大野城
- 87.名護屋城
- 88.吉野ヶ里遺跡
- 89.佐賀城
- 90.平戸城
- 91.島原城
○ 92.熊本城             日本三名城
- 93.人吉城
- 94.大分府内城
- 95.岡城
- 96.飫肥城
○ 97.鹿児島城
- 98.今帰仁城
- 99.中城城
- 100.首里城


トータル 84/100 (#^^#)

Posted at 2019/08/02 22:00:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2019年07月20日 イイね!

太閤仕置の大乱に散った城 <続日本100名城 九戸城>

太閤仕置の大乱に散った城 <続日本100名城 九戸城>alt
九戸城跡(くのへじょうあと)に到着です。海の日の3連休、全国的に雨模様のお天気でしたが、ここはカンカン照り。今年の関東は梅雨寒で、7月と思えない天候が続いていましたが、やはり夏は夏らしく相応の季節感を感じたい、私の私感ですが((´∀`))




※クリックで拡大します
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九戸城は、南部氏が支配する奥州の拠点でした。天正18年(1590)、関東を制圧した豊臣秀吉は次に東北支配に着手しました。奥州仕置の結果、翌天正19年それに不満をもった九戸政実(くのへ まさざね)が反旗を翻し挙兵、豊臣軍6万を相手に、わずか5千で籠城戦を戦った城でした。





九戸政実の乱
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奥州南部氏は、26代信直が盛岡藩20万石の初代ですが、それより以前の天正10年(1582)24代当主晴政が死去すると、娘婿の信直派と遺子・晴継を推す九戸派が対立、晴継が13歳で謎の死を遂げると、後継者争いは混迷の度合いを深めていきました。

26代当主についた信直は、豊臣秀吉の奥州仕置の結果、南部宗家の正当な後継者と認められ領地を安堵されましたが、この仕置に猛反発をしたのが、九戸政実でした。




6万対5千
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天正19年(1591)3月、九戸政実は挙兵し九戸城に籠城。豊臣軍は九戸城を包囲しました。
井伊直政、蒲生氏郷、浅野長政、堀尾吉晴をはじめ、南部信直、松前慶広、津軽為信、秋田実季ら6万の豊臣軍がわずか5千の籠城軍を包囲しました。





偽りの和睦
9月4日、難攻不落の城に苦戦を強いられた豊臣軍は謀略を巡らせ、九戸氏の菩提寺の和尚を和睦の使者にたてました。持たせた手紙のなかで政実の武勇を讃え、女子供の助命を条件に降伏を説得させました。
謀略とは知らぬ和尚と、一人でも多くの一族郎党を救おうと和睦に応じた政実でしたが、開城した城内には火が放たれ、城内の者は撫斬りにされました。
九戸城は落城し、九戸政実は豊臣秀次によって処刑されました。
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平成7年(1995)、二ノ丸跡大手門近くで九戸城落城後に掘られた粗末な墓穴から、首のない十数体の遺体が発見されました。これらは無数の殺傷傷があり、調査の結果、女性が含まれていることが判明しました。落城時の撫斬りの犠牲者ということが判明したのです。





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本丸跡の堀跡です。九戸城は落城後、福岡城と改名され蒲生氏郷によって築き直されましたが、発掘調査によって、堀跡や溝跡など九戸城時代の多くの遺構が発見されました。





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二ノ丸跡では、現在も発掘調査が進んでいます。





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福岡城と名を改められたましたが、領民は九戸城と呼び続け、南部信直の本居城として改築されましたが、信直は慶長2年(1597)不来方(こずかた)に盛岡城を新たに築城。明治初年まで盛岡城が盛岡藩の本居城としての機能を果たしました。
一方、九戸城は寛永13年(1636)まで存続しました。





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本丸跡に見られる石垣は、福岡城時代の遺構です。





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本丸跡と二ノ丸跡を仕切る土塁です。綺麗に崩れることなく残っていました。





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本丸跡です。夏芝が映えます。





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今も残る石垣は、穴太衆(あのうしゅう)による室町時代後半の専門集団の野面積で、上方で流行していた手法です。






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出発地点の九戸城エントランス広場のガイドハウスでは、九戸城跡のパンフレットや九戸政実の乱紹介VTRを見ることができます。




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続日本100名城スタンプ設置場所でもあります。
日本中世史終焉の場「九戸城」でした。

Posted at 2019/07/20 15:00:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域

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