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2019年05月26日 イイね!

☆彡令和の休日Ⅲ 多摩の百名城〈滝山城、八王子城〉トレッキング

  ☆彡令和の休日Ⅲ 多摩の百名城〈滝山城、八王子城〉トレッキングalt
つい先日、自宅に届いた公式スタンプ帳つきBOOKです。AMAZONで昼休みに注文したら、翌日ポストに届いていました。今まで日本百名城は北海道から九州まで80城廻ってきましたが、スタンプラリーはやっていなくて、チャンスがあったらスタンプ押しもこれからはやってみようという、ちょっとした気持ちの変化です・・・(笑

ただ、今更スタンプだけが目的で、遠方にお金使って行こうという気はさらさらなく、ほんのちょっとした発想の転換。





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5月某日晴れ、東京都の西の端、八王子市にある滝山城に行ってみました。
滝山城跡は、日本百名城ではなく、続・日本百名城の城跡です。





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滝山城は、5月3日オンエア NHKあなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル「第3弾」で紹介されました。ちなみに、グランプリは大分の岡城でした。





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滝山観光駐車場から徒歩で丘上の本丸跡をめざします。別名 都立滝山公園、足場がコンクリートで固められていて、トレッキングシューズでなくても充分登れました。





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三の丸の空堀です。この辺りまで武田信玄軍に攻め込まれたそうですが、この程度の空堀でよく防御できたな、と思いました。
滝山城は山城というよりは、丘陵地帯の城。水堀や石垣が一切なく、とても登りやすい。言い換えれば、攻め込まれやすい城だったといえます。





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千畳敷、往時は建物があったと思われます。





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本丸、中の丸へ向かいます。




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中の丸に到着しました。ちょっとした休憩スペース、トイレがありました。




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展望台からは、真下の多摩川が見えました。西武ドームも見えるそうですが、どこ???




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引橋を渡ると、城の中心本丸に到着します。





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本丸です。神社がありました。都立公園に神社? 面白い組合せだと感じました。





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国の史跡。滝山城跡の石碑がありました。





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これは驚きました Σ(・□・;)
本丸に井戸! ここで生活していたということがよくわかりました。





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とても気温が高い日でしたが、湿気がなく、いい汗をかけました!(^^)!
急な山坂道がなく、道路も整備されていて、トレッキングにはちょうどいい感じ。都立 滝山公園こと、滝山城跡でした(#^^#)






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ところ変わって、日本百名城八王子城です。 滝山城城主・北条氏照は丘陵上にあった滝山城を廃城にして、新たに創設したのが八王子城でした。敵であった武田軍に攻められ、軍事防衛上の拠点として移転。完成は天正15年(1587)頃といわれています。
こちらは本格的な山城、規模は滝山城の比ではありません。





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大手道を進んで、御主殿跡に向かいました。




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曳橋を渡ると、石垣群が見えてきます。




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石垣は復元と往時のものが混在しているようです。





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ここらへんの石垣は見た目が新しい。復元したものと思われます。




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虎口から冠木門をくぐると、御主殿跡です。




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北条氏照の屋敷があったといわれる御主殿跡です。 今も八王子市による発掘調査が進められており、珍しいものではベルギー産の陶器が出てきたそうです。





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ボランティアガイドの話では、北条氏照が安土城の織田信長に使者を遣わせたところ、帰りに手土産として持ち帰ったものだそうです。





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御主殿の滝といいます。天正18年(1590)、豊臣秀吉の大軍によって攻められた八王子城は、女子供も皆殺し。この滝が血で真っ赤に染まったと伝えられています。
小田原城を本拠とした北条氏はこの年に滅亡。変わって関八州に治まったのは徳川家康でした。




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日本百名城スタンプを早速GETしました (*^^)v





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こんな感じ (#^.^#)





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八王子市内にある、皇室のお墓 武蔵陵墓地(むさしりょうぼち) に寄ってきました。
大正天皇・貞明皇后をはじめ、昭和生まれにはおなじみの、昭和天皇・香淳皇后の陵墓があります。




※クリックで拡大可
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昭和天皇 武蔵野陵
今月から元号は令和。崩御から早31年も経ったんですね。



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香淳皇后 武蔵野東陵





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大正天皇 多摩陵
即位時から病気が指摘されていた大正天皇。崩御前の数年間は皇太子だった昭和天皇が摂政をお勤めされていました。




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貞明皇后 多摩東陵
Posted at 2019/05/26 18:00:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2019年05月11日 イイね!

☆彡令和の休日Ⅱ 岐阜 天空の城 ”苗木城”へ

☆彡令和の休日Ⅱ 岐阜 天空の城 ”苗木城”へ

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※全画像クリックで拡大可


中津川観光情報サイトから、苗木城跡 (なえぎじょうあと)全景です。
(飛ばせればドローンで空撮したかったのですが、面倒なので拝借しました((´∀`*))
東海地方のお城FAN定番のスポットでしょうか。岐阜県東部の中津川市にそびえる苗木城は、市内を東西に貫流する木曽川の右岸にそびえる城山(432m)に築かれていた城で、その最大の特徴は巨岩を取り込んだ石垣です。

この地方は戦国時代後半、織田vs武田の激しい争奪戦が繰り広げられた土地で、城主遠山家(苗木遠山氏)からは、その娘(形式的には織田信長の養女)が武田勝頼の正室として甲斐の国に送られています。




江戸時代の苗木城想像画と縄張り

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江戸時代は、苗木藩1万石の大名として、明治初年まで苗木遠山氏がここを治めました。




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GWの真っただ中、お天気がよく、朝から大勢の人が山頂本丸を目指していました。




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本丸近くの門跡です。




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観光用に道が整備されおり、普段着で充分登頂できます。




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本丸展望台すぐ下にあった巨大な自然石、馬洗石といいます。
まさかこんな高所に人力でもってきた!?・・・と疑いましたが、下から運んできた石ではなく、本丸を掘削したときに出てきた石、即ち自然石というのだそうです。
築城から数百年もの間、よくもまあ、下に落下せずに残ったものだと思います。
でも、もし巨大地震が起こったら・・・ぞっとしますね。




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海抜432mの天守展望台に到着しました。 最初この苗木城をTVの特番で見たとき、観光用の展望台があって、なにか後付け(偽もの)臭いと感じていましたが、それは全くの誤解だとわかりました。




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江戸時代に、ここに天守があったかのかどうか定かではありませんが、苗木城の最も絶景ポイントに登ってみました。




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 天守展望台(本丸跡)からの眺めです。すぐ下は、木曽川です。まさに天然の要害、戦国期に建てられた典型的山城です。




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海抜2,191mの恵那山、山麓は中津川市内が見えます。JR中央線、中央自動車道も通っています。




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木曽川の下流方面です。愛知県と三重県の県境から伊勢湾に流れ込みます。




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自然石に組まれた展望台からの眺めは、サイコーでした((´∀`))




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三の丸、大矢倉跡です。




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城跡らしい石垣も随所に残っています。




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今度は大矢倉跡から見た天守展望台方面です。




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苗木城は、竹田城(兵庫県)、岡城(大分県)を凌ぐ?今注目の山城跡です。




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まさに絵に書いた餅、天然の要害でした。




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城跡入口付近には、苗木城に関わる貴重な資料を展示している「苗木遠山史料館」があり、パンフレットや土産物の他、ガイドさんもいるそうです。




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去るのが惜しい・・・( ノД`)、岐阜県中津川市の苗木城跡でした。


Posted at 2019/05/11 22:00:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2019年05月03日 イイね!

☆彡令和の休日  日本“最強の城”SP 2018 で見たあの城へ 

☆彡令和の休日  日本“最強の城”SP 2018 で見たあの城へ 









5月2日10連休の中日、朝8時に名阪国道を奈良方面に向かってG’sを走らせました。
今回の行く先は、2018年6月30日オンエア、NHK日本“最強の城”SPでグランプリに選ばれたあの山城でした。
東名阪自動車道でいつもの渋滞に巻き込まれましたが、鈴鹿ICを過ぎるとスムーズに。針ICで降り、着いたのは、日本100名城 『高取城』 です。

高取城は、奈良県南部にあった高取藩の政庁で、その特徴は天守が標高583mの山頂にあった山城です。
山麓との比高差は、446m! 中年太りで、経年劣化。ダンパー(足腰のこと)がへたった私には少し試練でしたが、前日の雨でぬかるんだ山道を約20分耐え、着きました\(^_^)/

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緑色の苔が150年前廃城になったさまを現しています。



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高取城は、日本三大山城といわれています。岩村城(岐阜県)と七尾城(石川県)を思い出しました。
建物はなにひとつ残っていませんが、石垣が壊されずに綺麗に残っています。
やはり城跡もひとと一緒で、〝ボン・キュッ・ボン〟があるほうが見栄えがしますね(笑




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天守台下の櫓があった石垣です。戦乱のなかった江戸時代はまさに倉庫しか使いみちがなかったと思います。藩主は山麓の屋敷に常駐していましたから。




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150年前まで天守があった石垣です。




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昨年、NHKでオンエアされて以来、本丸付近でピクニックをするギャラリーが増加したとか。まだ午前10時台でしたが、若い女性がひとりで景色に見入っていました。




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ちょっと霞んでいますが、こんな感じで平地が見えます。 関ケ原の合戦のとき、徳川家康に味方をした高取城に対して、石田三成が攻撃を断念したということがよく理解できます。




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ちなみに、2018年12月オンエアで、グランプリに輝いたのは、松江城(島根県)でした。




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経年劣化でダンパーがやや怪しくなってきた筆者でしたが、無事駐車場まで降りてこられました。ただこの格好は、トレッキングにふさわしくないですね、正直カッコ悪い(笑
朝方寒かったので、ジャケットをもってきたのですが。。。





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奈良県から大阪府千早赤阪村の上赤坂城へ。この辺りに来るとお天気はカンカン照り。予定にはなかったのですが、楠木正成で有名な城跡。
登山用のステッキをトランクから出して、約20分をかけて登ってみました。




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登りのけもの道をひたすら歩くと、ようやく頂上。綺麗な風景が見えてきました。 楠木正成はここ千早赤阪村で生まれた武将らしく、ここ上赤坂城が本城だったようです。
PLの塔(富田林市)や、遠くにあべのハルカス(大阪市)が見えます。




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たまたま先に居合わせた大阪府のMさんに、ドローンで空撮してもらうことになりました(#^.^#)





                             
   上空から見るとこんな感じです。筆者もMさんも小さくて見えません(笑
    (PCで見れます!)



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上赤坂城があるなら、下赤坂城も・・・と思い、道に迷ったあげく着きました。




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楠木正成の城はこの辺りだけで、計7城あったようです。嬉しいことに、この目の前に有名な棚田がありました。



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日本の棚田百選に選ばれた ”下赤阪の棚田” です。 10連休のためか、この棚田見たさに、家族連れで来たギャラリーも多くいました。




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当日、4か所目の城は、日本100名城金剛山地に位置した楠木正成『千早城』です。




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千早城跡は、千早神社の所有地らしく、本丸跡には本殿がありました。
駐車場は満車でしたが、ほとんどの人は金剛山のトレッキング目的らしく、こちらはほとんどひとけがありませんでした。




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100名城スタンプ設置場所の麓にあるこの店で、しばし休憩。 千早城も坂道ばかりで、筆者のダンパーは限界寸前でした(哀




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午後5時の閉館寸前に間に合った『和歌山城』です。 まさに、帰省中、一日限定の強行スケジュールでした。


☆彡記録 近畿地方の日本100名城訪問結果 (○:済み、ー:未)

○ 49.小谷城    日本五大山城
○ 50.彦根城    国宝 現存天守
○ 51.安土城
○ 52.観音寺城   日本五大山城
○ 53.二条城    世界遺産 国宝
○ 54.大坂城    日本三名城
○ 55.千早城
○ 56.竹田城
○ 57.篠山城
○ 58.明石城
○ 59.姫路城    世界遺産 国宝 現存天守
○ 60.赤穂城
○ 61.高取城    日本三大山城
○ 62.和歌山城


!(^^)! 参考記録 (2010~ 訪問結果)

【北海道・東北地方】 9/13達成 もう少し
- 1.根室半島チャシ跡群
○ 2.五稜郭
○ 3.松前城
- 4.弘前城
- 5.根城
○ 6.盛岡城
○ 7.多賀城   
○ 8.仙台城
- 9.久保田城  
○ 10.山形城
○ 11.二本松城 
○ 12.若松城  
○ 13.白河小峰城

【関東・甲信越地方】 19/19達成 👑
○ 14.水戸城
○ 15.足利氏館
○ 16.箕輪城
○ 17.金山城
○ 18.鉢形城
○ 19.川越城
○ 20.佐倉城
○ 21.江戸城
○ 22.八王子城
○ 23.小田原城
○ 24.武田氏館
○ 25.甲府城
○ 26.松代城
○ 27.上田城
○ 28.小諸城  
○ 29.松本城  
○ 30.高遠城  
○ 31.新発田城
○ 32.春日山城 

【北陸・東海地方】 16/16達成 👑
○ 33.高岡城 
○ 34.七尾城 
○ 35.金沢城
○ 36.丸岡城 
○ 37.一乗谷城
○ 38.岩村城
○ 39.岐阜城
○ 40.山中城
○ 41.駿府城
○ 42.掛川城
○ 43.犬山城
○ 44.名古屋城
○ 45.岡崎城
○ 46.長篠城
○ 47.伊賀上野城
○ 48.松坂城

【中国・四国地方】 20/22達成 もう少し
○ 63.鳥取城
○ 64.松江城     
○ 65.月山富田城  
- 66.津和野城
○ 67.津山城     
○ 68.備中松山城  
○ 69.鬼ノ城
○ 70.岡山城
○ 71.福山城
○ 72.吉田郡山城
○ 73.広島城
- 74.岩国城
○ 75.萩城
○ 76.徳島城
○ 77.高松城  
○ 78.丸亀城  
○ 79.今治城  
○ 80.湯築城
○ 81.松山城  
○ 82.大洲城
○ 83.宇和島城  
○ 84.高知城  

【九州・沖縄地方】 2/16未達
- 85.福岡城
- 86.大野城
- 87.名護屋城
- 88.吉野ヶ里遺跡
- 89.佐賀城
- 90.平戸城
- 91.島原城
○ 92.熊本城
- 93.人吉城
- 94.大分府内城
- 95.岡城
- 96.飫肥城
○ 97.鹿児島城
- 98.今帰仁城
- 99.中城城
- 100.首里城

トータル 80/100 まだまだ先は遠~い(#^^#)


Posted at 2019/05/03 21:00:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2019年01月03日 イイね!

2019 初詣 そうだ、京都行こう!

2019 初詣 そうだ、京都行こう!

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2019年の初詣は京都の上賀茂神社です。京都は学生時代の住み家でした。ただ、上賀茂神社は初。有名な伏見稲荷はマイカー規制があって多分大渋滞。
ここは参拝客は相当数いましたが、渋滞はなし。早速、本殿に向かいました。





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本殿の手前、拝殿(細殿)と立砂(たてずな)。神体である神山(こうやま)を模したもので、鬼門にまく清めの砂の起源とされるそうです。





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本殿へ向かいます。この先は撮影禁止区間。




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参拝終了後、おみくじを買い。




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上賀茂神社というのは通称で、正式な名称は『加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ) 』というそうです。祭神は、加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)、なんやら覚えにくい名前です。




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おみくじは、『吉』をゲット\(^_^)/ 一緒に来た母は『大吉』で満足顔。
家内安全を祈願してきました。




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350円のぜんざいで休憩。
向かいに腰かけていた母娘ふたり。新幹線でわざわざ掛川から京都に日帰りで来たとのこと(〃艸〃) 




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まだお昼まで時間があったので、次は下鴨神社へ向かいました。ここら辺の住所は『下加茂』ではなく、『下鴨』。賀茂川と鴨川があって、京都人には当たり前でしょうが、なんやらややこしい。






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上賀茂神社の祭神の父と母にあたる神様が下鴨神社の祭神。『賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) 』というのが正式な名称。 やはり上賀茂神社と下鴨神社は親子神でした。







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たき火で暖をとりました。





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ランチタイムは、餃子の王将宝が池店。学生時代2年間下宿していた岩倉にある王将。ちなみに岩倉という地名は、幕末の岩倉具視からついた地名です。





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鳥の唐揚げと餃子1人前がこの日のランチ。





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食後は伏見のコメダで一服。寒かったけどいいお天気に恵まれた正月2日の初詣でした。





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Posted at 2019/01/03 17:00:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域
2018年12月01日 イイね!

西郷どん 最期の闘い ~鹿児島・熊本 西郷隆盛ゆかりの地巡り~

西郷どん 最期の闘い ~鹿児島・熊本 西郷隆盛ゆかりの地巡り~

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ホテルの夕食で、鹿児島産の黒豚を食べ、温泉でまったり。この後、指宿温泉の砂むし風呂を体験してきました。ちょうど真夏の盛り、気温は30度前後はあったと思います。

ただ効能は・・・? これも旅ならではのひとコマです(*`艸´)






黒豚です。 こんな柔らかい豚肉、他にありません。 ジューシーでまるで、高級ブランド牛に引けを取らない味。初黒豚でした \(^_^)/
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桜島フェリーに乗船しました。桜島港から鹿児島港までの片道で、大人160円は安い! 
桜島からは噴煙がモクモクと上がっており、いつ噴火するんだろうといった感じでした。









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ここは鹿児島市加治屋町の西郷隆盛誕生地です。今は公園化されています。NHK大河ドラマ館もすぐ近くにあって、皆が写真を撮っていました。
大久保利通や、明治になって海の東郷、陸の大山といわれた、東郷平八郎や大山巌の生家跡もありました。

加治屋町は、ここで生まれ育った明治の英雄(ヒーロー)たちを生んだ町だったということがいえると思います。





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西郷隆盛と大久保利通、真ん中は肥前佐賀出身の江藤新平です。明治新政府の今でいう閣僚たちです。江藤は明治政府に不満を抱き、佐賀の乱を起こしてしまった中心人物でした。






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大河ドラマのロケ地に使われた 仙巌園 (せんがんえん)にも行ってきました。別名 磯庭園は、島津家の別邸でした。島津斉彬がお城から少し離れたこの土地で、いろんな〝実験〟に取り組んでいたことで知られています。






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その実験のひとつがこれ〝反射炉跡〟です。設計図なしでつくらせた、鉄を溶かす溶鉱炉跡です。近年、世界文化遺産に登録されました。





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この日はお天気がよく快晴 ☀  めちゃくちゃ暑かった日でしたが、鹿児島市内からはこんな感じで桜島が綺麗に撮れました。





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鹿児島市中心部にある城山(しろやま)は、西郷隆盛ゆかりの土地です。またここが薩摩藩島津家の本居城、鶴丸城跡 (鹿児島城)です。





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関ケ原の戦いで、西軍に着いた薩摩軍。ほぼ壊滅寸前であったにもかかわらず、あの岐阜関ケ原から帰還しました。家康から唯一、取り潰しや領地削減を回避した島津家は、その後しばらくして許しを得て、江戸時代には外様の雄藩として君臨できた、まさに運が強いというか、時世が味方をしたのが、島津家でした。 
この鶴丸城は関ケ原の後にできた城で、天守閣がない、堀が浅く狭い、いたってシンプルな城でした。





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大手門をくぐるとすぐに本丸。こんな簡単な大名家の城は他に類がなかったかもしれません。今は当時の建物はなく文化センターが建っています。





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明治10年(1877)2月に西郷の私学校を起点に起こった日本史上最後の内乱が〝西南戦争(西南の役)〟でした。 鶴丸城の石垣に残った弾痕跡です。 薩軍(西郷軍)は、鹿児島から人吉経由で熊本入り。 熊本城では明治政府軍(官軍)と激しい戦いがありました。 

圧倒的武力で劣った薩軍が熊本の田原坂で敗戦。延岡経由で再びこの城山に押し戻されました。
この時の戦いでついた弾痕でしょうか。





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岩倉具視 西郷の朝鮮使節派遣案否決
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明治6年(1873)、西郷らを中心とする明治政府は、岩倉具視、大久保利通が海外視察で留守中の間、関係がこじれかけた朝鮮に外交手段として、西郷を派遣することに決定しました。
ところが、帰国後この決定に対して大久保が反対にまわりました。理由は不平等条約の改正や、西欧諸国に劣る国力の増強、すなわち近代化に重点を置くべきであると主張したのです。
明治政府は中心的存在だった岩倉具視に判断を委ねましたが、明治天皇への上奏は、自ら反対決議を提出。朝鮮への西郷の派遣は無期延期と決定されました。
この決定に不服をもった西郷をはじめ、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣は辞表を提出、桐野利秋ら多くの西郷派の軍人たちも辞職、政府を去りました。

翌明治7年(1874)、鹿児島に戻った西郷は鶴丸城に隣接した場所に私学校を創設。若者の教育と、不平士族たちの統率に力を注ぎました。

一方で明治政府は大久保が内務卿に就任、事実上のトップに座った大久保は明治9年(1876)に廃刀令、続いて旧士族への俸禄停止を決定、実行に移しました。






川路利良による私学校内偵、西郷暗殺計画
旧士族階級への締め出しは、熊本で神風連の乱、福岡で秋月の乱、そして山口で萩の乱が勃発。
これらの反乱に応じて、明治政府が最も警戒していたのは西郷が下野した鹿児島不平士族たちの動向でした。
旧薩摩藩士で警視庁トップ川路利良は、明治10年(1877)1月、私学校内偵調査と離間工作のため警視庁帰藩組24名の警察官を鹿児島に派遣しました。
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西郷暗殺計画から西南戦争へ
西郷の右腕、篠原国幹はやがて警察官24名の派遣が、西郷暗殺計画であることを突き止めました。
また、弾薬が大量に海路大阪に運び出されたことを知り、私学校は暴発、明治政府の火薬庫、集成館から大量の火薬・弾薬を強奪しました。
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私学校の弾薬強奪を知った西郷は、

「ちょしもたー」(しまった)

と言葉を発し、急遽鹿児島に戻りました。




2月15日薩軍(西郷軍)1万3千は、西郷隆盛を総司令官として鹿児島を出発、陸路東京に向け挙兵しました。
薩軍の幹部、主力メンバーは、篠原国幹、桐野利秋別府晋介、池上四郎、西郷小兵衛(弟)、村田新八、辺見十郎太、永山弥一郎、桂久武です。
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西南戦争の最中、熊本城にろう城する熊本鎮台兵(くまもとちんだいへい)です。薩軍は明治政府が置く、熊本城に攻撃開始!
加藤清正以来の本丸天守はこのとき、薩軍の大砲の標的になるという理由で焼き払われました。

しかし流石、天下の名城熊本城は薩軍の攻撃にも落ちませんでした。






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わずかひと月で両軍、3500名もの戦死者をだした熊本市北部の田原坂(たばるざか)にも行ってみました。






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熊本を北上しようとする薩軍と、熊本城救出、薩軍の北上を阻止しようとした明治政府軍(官軍)がこの細長い坂道を挟んで激突。激しい戦いとなりました。






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明治政府軍は、東京、大阪からも海路派遣されましたが、徴兵制で募集した、平民中心のしょせんは寄せ集め軍隊。西郷を中心とした薩軍の迫力に圧倒され続けました。抜刀して向かってくる薩軍に対し、恐怖のあまり逃げ出す者も続出。
この田原坂が通じる台地上に本陣を置いた薩軍と、それを平地から攻撃する明治政府軍との激戦は、後世何十万発もの弾薬が発見されたことで裏付けられました。







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途中にあった明治政府軍 谷村計介の慰霊碑です。薩軍は激しい銃撃戦のなか篠原国幹が戦死しました。





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七本官軍墓地にも行ってみました。







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七本官軍墓地です。田原坂の戦闘で死亡した徴兵軍たちの墓です。薩軍の後方には戊辰戦争で勝ち組となった西郷がいる、薩軍の猛攻に倒れていった人々の墓です。







山県有朋 抜刀隊
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苦戦する寄せ集め集団に苦慮した旧長州藩士、参謀 山県有朋は、旧士族から編成した抜刀隊を組織。抜刀隊には銃を持たせず、刀一本で薩軍に立ち向かわせました。政府をあげて旧士族の特権を廃止したものの、いざ戦いとなれば旧士族に頼ることになった、山県の苦渋の選択でした。

抜刀隊は薩摩出身の警察官で、100名全員旧士族で編成されました。
この西南戦争の失敗が、のちの徴兵隊を精神面から鍛えあげるきっかけともなりました。





田原坂古戦場、前から一度行ってみたいと考えていました。
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明治10年(1877)9月、田原坂から押し戻された薩軍350名は、ここ城山で最期の闘いを強いられました。
桐野らは戦争を始めた正当性を伝えるために、明治政府軍に使者を送り出しました。ところが、使者は人質とされ、西郷自らが使者として来るべきであると返答されました。
西郷はこの伝言を無視、城山での闘いをこの西郷隆盛洞窟にこもり、桐野ら生き残り組との最後の軍議を開きました。






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風化がすすんで今は小さな洞穴になっていますが、戦争当時は1m78cm巨漢の西郷がゆうに入れた大きさだったようです。





9月23日城山総攻撃の前日、山県有朋から西郷宛に1通の手書が届きました。

自らの命を絶って、(自決して)この戦争の責任を取るべきである・・・・と。






翌24日未明、洞窟を出た西郷に弾丸が命中。洞窟から数百メートル下ったここで自決を決意しました。

「晋どん、もうここらでよか」

西郷、最後の言葉でした。

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別府晋介の介錯(桐野利秋の介錯説もあり)で西郷は死去。享年49でした。明治維新の功労者西郷はここで終焉をむかえました。

西郷隆盛終焉の地です。
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西郷の戦死を東京で知らされた弟 従道(信吾)は号泣。兄の帰京をひたすら待ち続けていましたが、その願いはかないませんでした。
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西郷隆盛以下、別府晋介、桐野利秋らが眠る南洲墓地にも行ってみました。南洲神社にあるこの墓地には、鹿児島県令 大山綱吉ら2千余名の墓があります。今は鹿児島県の観光スポットになっています。
丁重にお参りしてきました。
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別府晋介の墓。




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桐野利秋の墓。




桜島近く、錦江湾沿いの道の駅で食べた〝西郷丼〟です。錦江湾で養殖したぶりなどの海鮮丼です。美味しかった~((´∀`))
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私学校が暴発したとき、西郷は「ちょしもたー」(しまった)と発したのは有名です。

果たして、西郷の真意は挙兵であったのか否か?

今となってはだれもわかりません。

賊軍となった西郷の罪が解かれたのは、西南戦争から21年後の明治31年(1898)のことでした。
 
上野の西郷像の除幕式に出席した未亡人 西郷いとはその西郷像を見てこう言い放ちました。

「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ 」(うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)


西郷どん 鹿児島・熊本 ~西郷ゆかりの地巡り~でした。


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Posted at 2018/12/01 00:00:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域

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