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2012年09月17日 イイね!

信濃 真田三代記 <上田城、砥石城、真田本城、松代城、犬伏の別れ、真田山 長谷寺>

信濃 真田三代記 <上田城、砥石城、真田本城、松代城、犬伏の別れ、真田山 長谷寺>この連休を利用して、長野県上田市、長野市、そして栃木県佐野市に行ってきました。まだまだ残暑が残るとても暑い一日でしたが、その中から真田氏関連の史跡をブログにしてみました。







上田城
上田城は天正11年(1583)、旧武田家臣の真田昌幸によって築城されました。現在の上田城は江戸時代になって再建された遺構が一部残っているだけですが、衰えない真田人気というか、駐車場は順番待ちでした。
上田城本丸南櫓、東虎口櫓門をバックに真田十勇士のおふたりです。


砥石城跡
砥石城(といしじょう)は上田市郊外にある山城で、真田昌幸の父・幸隆の外城でしたが、このあたり小県(ちいさがた)の豪族・村上義清がこれを奪い、自らの支城としていました。 天文19年(1550)、甲斐から小県進出を狙った武田信玄が攻撃をかけましたが、城はよく持ちこたえ、武田軍は敗退しました。
ところが、翌年信玄が家臣・真田幸隆に城の奪回を命じると、幸隆は調略によって砥石城を落城させることに成功しました。
信玄は幸隆を大いに評価し、砥石城番として配置すると、川中島(長野市)への進出基盤としました。


砥石(戸石)城は、本城、枡形城、砥石城、米山城の4城の総称です。その内の砥石城へ登ってみました。
山頂までは徒歩20分、山頂からは、上田盆地や、そのお隣の真田本城が眺望できます。


靄っていますが、手前が上信越自動車道上田菅平ICで、その向う側が上田市街地です。


手前の山が真田本城です。真田幸隆はこの辺りを本城としていました。


真田本城
天文20年(1551)に、武田信玄の命により砥石城を奪回した真田幸隆の戦時用に使われたのが、真田本城でした。
真田幸隆はこの麓に居館を構えていました。
息子・昌幸の上田城築城まで使用されていました。


真田昌幸
真田幸隆の三男・昌幸は父親譲りの才能を武田信玄に認められると、沼田領と上田領を安堵されましたが、天正10年(1582)主家であった武田家が滅亡すると、滝川一益、北条氏直、そして徳川家康と目まぐるしく主君を変えていきました。
ところが、徳川家康から沼田領の割譲を命じられると、今度は徳川を見限り、越後の上杉景勝と無断で同盟を結びました。
天正13年(1585)、これに激怒した家康は、「真田を皆殺しにせよ」と上田城を包囲しましたが、昌幸は必死のゲリラ戦法で徳川軍を撃ち破り、撤退させることに成功しました。

やがて中央に豊臣政権が誕生すると、これに臣従し、徳川家康と和解、家康は長男・信幸に注目し、重臣・本多忠勝の娘である小松姫を娶らせました。
一方で昌幸は次男・幸村を大坂城へ人質として送ると、幸村は秀吉の仲介で石田三成の盟友・大谷吉継の娘・竹姫を娶りました。

昌幸は豊臣家臣団の一角を担い、北条征伐にも従軍しました。


犬伏の別れ
関ヶ原の戦いの2ヶ月前、慶長5年(1600)7月、昌幸は徳川家康に付き従い、会津・上杉征伐に信幸、幸村とともに従軍しました。
ところが、従軍先の7月21日下野・犬伏(栃木県佐野市)に、豊臣家をないがしろにしようと画策する家康を弾劾する石田三成からの密書が届きました。
この書状を受けて、昌幸の心は大きく揺れ、ここ犬伏で、信幸、幸村を呼び寄せ、父子3人で密談を行ったとされる場所です。


この時の3人の会話が真田家の記録には、こう記されてあります。

昌幸
「われは上方(豊臣方)に味方しようと思う。家康はわが領土を削り、わが家を滅ぼそうとした。日ごろの鬱積を晴らすべきではないか」

信幸
「内府(家康)とは親類であり、今更敵となることは出来ませぬ」

昌幸
「信幸は徳川に忠義を尽くせ。我らは豊臣秀頼様に味方する。父子・兄弟が敵味方になることを決して恨みに思うまいぞ」

信幸
「西軍は必ず負けます」

幸村
「豊臣家の御恩は浅からぬものがあります。家の滅ぶべき時、死すべき時が来たら、潔く身を捨てることこそ武士の本意」

真田父子は、最初の主家であった武田家、織田家、北条家が滅んだことを念頭に置いた発言で、いかに主家を存続させていくことが難しかったかを、物語る一級の資料です。


芳泉寺
上田市にある芳泉寺には、真田信幸(関ヶ原の戦い後、信之に改名)の正室・小松姫のお墓があります。
上田城の目と鼻の先にある由緒ある寺院です。


小松姫の墓
小松姫は徳川四天王のひとり本多忠勝の長女でした。
第一次上田合戦で真田昌幸の軍略を警戒した徳川家康が、自らの養女とし、かねてより目を付けていた長男・信幸に娶らせました。

慶長5年(1600)、犬伏での密談の帰り、「孫の顔が見たい」と所望した昌幸と幸村は信幸の居城・沼田城に立ち寄りました。
これに対し小松姫は戦装束で昌幸の前に現れて「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいきません」と申し出を断りました。
程なく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、昌幸の願いを叶えたと伝えられています。
昌幸の入城を拒否したのは、小松姫なりのパフォーマンスであったといわれています。

関ヶ原の戦い後、紀州九度山へ流刑となった昌幸、幸村らに惜しげもなく食料や日常品を仕送りするなど、その後の配慮も怠らなかった小松姫は、元和6年(1620)、天寿を全うしますが、この時信之は「我が家から光が消えた」と大いに落胆したと伝えられています。


真田山 長谷寺
上田市郊外の長谷寺(ちょうこくじ)にある幸隆と昌幸の墓です。
本多忠勝の助命嘆願が実った昌幸でしたが、遂に慶長16年(1611)に紀州九度山で亡くなりました。
故郷上田への復帰を願った昌幸でしたが、その願いは叶えられず、真田家の菩提寺に父・幸隆とひっそりと眠っています。
長谷寺はその後、信之が松代藩(長野市)に国替えをされると、長谷寺の住職も共に移り、字を変えて「長国寺」を建立しました。


長野市の真田山 長国寺(ちょうこくじ)です。
松代藩初代・信之から4代までの藩主の墓が見られるそうですが、拝観時間16時をまわっており、見れずじまいでした。


松代城
元和8年(1622)に上田から松代10万石に移封された信之は、ここ松代城で93歳まで現役藩主として忠勤しました。
信之は幸村についての回想をこのように語ったといわれています。

いわば佐衛門佐(さえもんのすけ)は“本当の侍”であり、それに比べ我らは、作り髭をして肩を怒らせている“道具持ち”とういうほどの差がある。
誠に物腰柔らかな男であり、口数は少なく、日ごろいきり立つこともなかった。



大坂夏の陣の後、庶民の間ではこんなわらべ唄が流行したといわれています。

花のようなる秀頼様を 鬼のような真田が連れて 退きものいたよ鹿児島へ



川中島古戦場を見学し、次なる目的地越後へとクルマを走らせました。
Posted at 2012/09/17 13:00:03 | コメント(7) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域

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