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2011年08月17日 イイね!

家康が最も恐れた男 真田幸村 <真田庵、三光神社、志紀長吉神社、安居神社>

家康が最も恐れた男 真田幸村 <真田庵、三光神社、志紀長吉神社、安居神社>大坂冬の陣、夏の陣で豊臣方として大活躍し、寡兵を持って徳川家康本陣まで攻め込み、徳川家康をあと一歩のところまで追いつめた真田幸村(本名:信繁1567-1615)は、永禄10年(1567)真田昌幸の次男として生まれました。
甲斐国武田信玄に帰属していた信濃国小県郡の国衆昌幸は、天正3年(1575)織田・徳川連合軍との長篠の戦いで兄2人を失ったため、上野国岩櫃城代だった兄を継ぐため、幸村を連れて岩櫃城に入りました 。






真田昌幸

天正10年(1582)3月甲斐国武田氏が織田・徳川連合軍によって滅亡し、さらに6月本能寺の変で織田信長が亡くなると、越後国の上杉氏、相模の北条氏、三河の徳川家康の三者で武田遺領を巡る争いが起りました。10月には徳川・北条の間で和睦が成立し、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上野沼田領と北条氏が制圧した信濃佐久郡を交換することが決まりました。
天正13年(1585)には家康が甲斐へ着陣して昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めましたが、昌幸は徳川氏から与えられた領地ではないことを理由に拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏と同盟関係を結びました。浜松に帰還した家康は昌幸の造反を知ると8月に真田討伐を起こし、約7000の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣しました(第一次上田合戦)。しかし、上田城に籠る真田方は地の利を利用し、わずか1200人で徳川方の攻撃をかわし、撤退させることに成功しました。
この戦いで昌幸は優れた智謀であると評され、また、この合戦によって徳川家康の真田氏に対する評価は高まり、結果として徳川四天王・本多忠勝の娘である小松姫を長男・真田信幸(のち信之に改名)へ嫁がせて懐柔するきっかけともなりました。
一方で、幸村は越後国上杉氏へ人質として送られていましたが、豊臣秀吉が台頭すると昌幸は豊臣政権に帰属し、幸村は人質として大坂城へ移されました。のちに豊臣家臣で敦賀城主・大谷吉継の娘・竹姫を正室に娶りました。


真田幸村


秀吉死後の慶長5年(1600)、徳川家康が会津の上杉景勝討伐の兵を起こすと、今度は大坂城で石田三成らが挙兵しました。関ヶ原の戦い前、昌幸と幸村は反家康の西軍に加勢し、居城上田城に籠り、中山道を進んできた東軍の徳川秀忠の大軍勢を城に立て籠って迎え撃ちました(第二次上田合戦)。少数精鋭である真田隊にてこずった徳川秀忠軍は落城攻略を諦めて去りましたが、結果として主戦場となった美濃関ヶ原での決戦に間に合いませんでした。
しかし、西軍は敗れる結果となり、昌幸と幸村は処分されることになりました。本来なら、死罪に相当しましたが、長男・信之の助命嘆願が実り、高野山へ配流となりました。


真田庵・善名称院
 

真田庵、または善名称院といい、寛保元年(1741)に紀州国九度山出身の大安上人が、真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を創建しました。昌幸と幸村一行はここ九度山真田庵で蟄居生活を送りました。
妻を伴っていたため、女人禁制の高野山へは入山できず、結局麓の九度山に配流となりました。
幸村はここで正室竹姫が考案した真田紐を織り、家来に全国各地に売り歩かせ、情報収集と生活の支えとしていました。
蟄居中の慶長16年(1611)に父・昌幸は死去しました。

慶長19年(1614)、「方広寺事件」をきっかけに徳川氏と豊臣氏の関係が悪化すると、大名の加勢が期待できない豊臣家は浪人を集める策を採り、九度山の幸村の元にも使者を派遣し、黄金200枚、銀30貫を贈りました。幸村は国元にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、徳川方の警備網をすり抜け九度山を脱出して子の大助らとともに大坂城に入城しました。
大坂冬の陣が起ると、幸村は近江国・瀬田の唐橋まで積極的に討ってでて、徳川方の大軍を迎え撃つことを強行に主張しましたが、秀頼側近大野治長らに反対され籠城戦を決意しました。
難攻不落といわれた大坂城でしたが、唯一の弱点は城の南側でした。そこに真田丸という出城を造り、鉄砲隊を駆使し徳川方に大打撃を与えました。


史跡 真田の抜け穴跡

三光神社(大阪市天王寺区)です。当時の真田丸近くには幸村が掘らせたと伝わる抜け穴跡があります。今は塞がれており穴の中へ入ることはできなくなっています。


志紀長吉神社

慶長20年(1615)、夏の陣が始まると、冬の陣の講和によって濠を埋められた大坂方は城外に討ってでるしか道は残されていませんでした。激戦となった道明寺・誉田の戦いにおいて、幸村は伊達政宗隊の先鋒を銃撃戦の末に一時的に大打撃を与えて後退させました。その撤収の際には、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」(「関東武者は百万あっても、男子は一人も居ないものだな」)と徳川軍を嘲笑しながら馬に乗り、悠然と撤収したといわれています。
道明寺・誉田の戦いの後、戦勝祈願のため幸村が立ち寄った志紀長吉神社(大阪市平野区)です。ここには幸村がこの時奉納した六文銭軍旗が現在も保存されています。
また、この参道には幸村がしばし休憩した場所があります。



真田幸村休憩所跡
の石碑です。


豊臣方は後藤基次や木村重成などの主だった武将が相次いで討死し、疲弊していきました。幸村は兵士の士気を高めるためには、豊臣秀頼本人の直接出陣有るのみと直訴するため大助を城内に送りましたが、母の淀殿らに阻まれ秀頼の出陣はなりませんでした。
幸村隊は毛利隊らに手一杯であった徳川勢の隙を突き家康本陣まで攻め込んだ挙句、屈強で鳴らす家康旗本勢を蹴散らしました。この凄まじさにさすがの家康も自害を覚悟したといわれています。
しかし、最終的には軍勢で勝る徳川軍に追い詰められ、ついに四天王寺近くの安居神社(大阪市天王寺区)の境内で、味方の傷ついた兵士を看病していたところを襲われ、越前松平勢鉄砲組の西尾宗次にその首を授けました。享年49でした。


安居神社


翌5月8日、豊臣秀頼・淀殿母子は大坂城内で毛利勝永の介錯により自害し、太閤秀吉の誇った大坂城も落城し炎上しました。勝永自身も自害し、ここに大坂夏の陣は徳川方の勝利に終わりました。
Posted at 2011/08/17 00:40:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 史跡 | 趣味
2011年08月14日 イイね!

太閤さんのお城 <大阪城公園>

太閤さんのお城 <大阪城公園>お盆前、ひと足早く夏休みを取って大阪城公園に行ってきました。
大阪方面の行楽地は、もうここ10年来訪れていなかったので楽しみにしていました。
猛暑の中、だだっ広い公園を歩くのは結構しんどかったのですが、なかなか来られない大阪城、カメラ片手に散策してきました。
大阪城公園の南側乗用車駐車場にクルマを停め、城の西南にあたる大手門を目指しました。
まず、最初に目に入るのがここ南外濠に面する六番櫓です。
江戸時代には一番櫓から七番櫓まであったそうですが、現在はこの六番櫓と一番櫓のみ現存しています。 櫓とは武器庫や物見に使用した蔵のことです。


重要文化財大手門と多聞櫓を通り抜けると西の丸庭園が見えてきます。天守閣へ行くには少々道草になるためかあまりひとが寄りません。入園料が別途かかってしまうということもありますが、ここは花見の名所でもあります。豊臣時代は北政所や徳川家康の屋敷があった場所です。 今は中は広場になっています。


二の丸には豊国神社もあります。彫刻家中村晋也氏により復元された高さ5.2m(像3.2m・台座2m)の豊臣秀吉像が建てられています。
豊国神社には豊臣秀吉と秀頼、弟で大和郡山城主だった秀長が祀られています。 ちょうど一組のカップルが婚礼をあげていました。


もうひとつ二の丸には、石山本願寺推定地の碑があります。石山本願寺とは豊臣秀吉が大坂城を建てる前、この地に要塞化した浄土真宗の教団本部がありました。武田や毛利など有力戦国大名と手を結んでいました。元亀元年(1570)から11年間、織田信長と戦った石山合戦の末、この地を去りました。天正19年(1591)、秀吉の寄進で京都に移り、今では西本願寺(のち東本願寺と分離)と呼ばれています。


桜門をくぐると、本丸です。正面に大阪城天守閣がそびえています。大阪城天守閣は日本初の復興天守で、昭和6年(1931)大阪市民の募金により竣工しました。当時のお金で47万円(募金総額は150万円)の費用がかかったそうです。入館料は大人600円、中学生以下は無料です。1階から8階まであり、最上階は展望台です。
入館して思ったのですが、やはり圧倒的に豊臣戦国時代のものが多く、徳川時代の展示物はほとんど目にしませんでした。大坂冬の陣、夏の陣関連が多く展示してあります。
また、大坂の陣で徳川方と戦った六文銭軍旗、真田幸村のものも目立ちました。
敗軍の将がこれほどクローズアップされているのは大阪城の特色かもしれません。天下を治めた徳川家康よりも、圧倒的に真田幸村という感じです。さすが大阪です。


天守閣を出て、北側へ向いました。天守台のすぐ下に山里丸という平地があります。途中、東北側から見える天守閣です。


山里丸にある秀頼・淀殿ら自刃の地碑です。慶長20年5月8日、当時の大坂城山里丸にあった蔵の中で親子は自刃、蔵は爆破されたといわれています。秀頼の子、国松は潜伏している所を捕らえられて処刑、また娘の奈阿姫は僧籍に入ることで助命されましたが、ここで豊臣家は完全に滅亡しました。生き残った大坂城内の者たちもことごとく処刑されました。また、大坂方についた者の残党狩りは三代将軍家光の時代までしがみつぶしに行われました。


歴史に“if”はありませんが、もし秀吉と正室北政所に嫡男が生まれていたなら、今の日本もまた違った国になっていたかもしれません。
酷暑の中、大阪城公園を何年かぶりに歩きましたが、やはり来た甲斐はありました。
もし来られれば、次は花見の季節に来たいですね。
Posted at 2011/08/14 15:08:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 旅行/地域

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