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2011年11月26日 イイね!

都立庭園の紅葉  <殿ヶ谷戸庭園 >

都立庭園の紅葉  <殿ヶ谷戸庭園 >都立9庭園のひとつ殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)です。
土曜日の午前中でしたが、秋の行楽シーズンで多くのひとたちが、カメラ片手に紅葉見物に見入っていました。
暑くもなく、また寒くもなく、11月らしい陽気で、お天気も快晴でさわやかな一日でした。



大芝生


萩のトンネル
 



紅葉亭


次郎弁天池


鹿おどし


秋の七種


殿ヶ谷戸庭園

この庭園は、大正2年(1913)ごろに、後の満鉄副総裁江口定條(えぐち さだえ)が別邸として設け、赤坂の庭師「仙石」の手によって造られました。昭和4年(1929)に、三菱財閥の岩崎彦弥太が買い取ったのち、本館、茶室(紅葉亭)などを追加し、和洋折衷の回遊式林泉庭園として完成しました。
昭和49年(1974)に東京都が買収するまで、岩崎氏の別邸として利用されていました。
都立庭園は、六義園、小石川後楽園、旧古河庭園、旧岩崎邸庭園も昨年訪れましたが、殿ヶ谷戸庭園はその中でも規模は小さめです。

所在地/東京都国分寺市南町2丁目16番地
休園日/年末年始
開園時間/9:00~17:00(入園は16:30まで)
入園料/一般及び中学生150円、65歳以上70円
駐車場/なし
Posted at 2011/11/26 18:59:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自然 | 日記
2011年11月23日 イイね!

徳川将軍家霊廟特別公開 <浄土宗大本山 増上寺 >

徳川将軍家霊廟特別公開 <浄土宗大本山 増上寺 >増上寺は、東京・芝公園にある浄土宗の大本山であると同時に、初代将軍徳川家康関東入封以来の徳川将軍家の菩提寺として知られています。東京駅や皇居(江戸城)から車で10分程の場所にあり、大晦日や正月には多数の参拝客が訪れる東京都心の人気の寺院です。
今回はこの増上寺境内の奥にある「徳川家霊廟特別公開」を見てきました。徳川家霊廟は非公開で普段は見られませんが、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を記念に、一般公開(有料)を期間限定で開催しています。

 

徳川家霊廟
 

増上寺の「徳川将軍家霊廟」には、二代将軍秀忠をはじめ、6名の将軍、正室や子女が埋葬されています。増上寺山内の南北に広がっていた徳川将軍家霊廟は、戦前国宝に指定されるほどの大伽藍を有していましたが、昭和20年(1945)の2度に亘る東京大空襲によって多くの建造物を焼失し、その厳粛かつ壮麗な姿は失われてしまいました。
戦後、しばらくは荒廃にまかされていましたが、昭和33年(1958)東京大学学術調査団により、南北に配置されていた将軍らの墓地を、現在の安国殿裏手のこの場所に集約しなおしたものです。
現在の霊廟門は「鋳抜門」といわれ、北廟に埋葬されていた六代将軍家宣宝塔前の「中門」を移築したものです。




二代秀忠(台徳院)・江(崇源院)夫妻宝塔
特別公開で最もひとだかりができたのが、やはり二代将軍秀忠と江夫妻の宝塔(お墓)前でした。戦前、2人のお墓は南廟の別々の建物にありましたが、江の宝塔(石塔)を除く秀忠の宝塔や建物は木造製であったため、そのほとんどを焼失してしまい、昭和33年(1958)に現在の位置に建てかえられたものです。その際、石塔で焼かれずに残った江の宝塔に秀忠の遺骨を合葬しました。
元々、江の遺体は本人の遺言で火葬にされていましたが、秀忠をはじめとする6名の将軍らの遺体は火葬されず、棺の中に腰掛けた状態で土葬にされていました。
学術調査団によりこれらの遺体をすべて桐ヶ谷(世田谷区)斎場で火葬し、現在の霊廟に埋葬しなおしました。
また、詳細な調査の結果、江の身長は1m40cm程のとても小柄な体格であったそうです。秀忠の身長は1m58cmでした。家康が1m60cmほどだったということから、秀忠は当時の男性の平均身長くらいであったと思われます。


焼失前(旧国宝)二代将軍秀忠・江夫妻霊廟


江(崇源院 1573-1626)


徳川秀忠(台徳院 1579-1632)


芝公園
戦前、この辺りに南廟がありました。当時の増上寺の領地は、南はここ芝公園から現在のザ・プリンスパークタワー東京(ホテル)まで、北廟は東京プリンスホテルまでありました。


旧台徳院霊廟惣門
寛永9年(1632)に造営された旧国宝です。当時はこの位置ではなく、現在地より少し奥まった位置に建てられていました。 南廟の内、焼失を免れた木造建築は、この旧台徳院惣門と勅額門、御成門(天人門)、丁字門のみでした。
勅額門、御成門、丁字門は狭山不動寺(埼玉県)に移築、現存しています。
 

東京プリンスホテル
増上寺安国殿前から見える東京プリンスホテルです。北廟があったところです。


六代家宣(文昭院)夫妻宝塔


七代家継(有章院)宝塔


九代家重(惇信院)宝塔


十二代家慶(慎徳院)宝塔


十四代家茂(昭徳院)宝塔


十四代家茂正室・和宮(静寛院宮)宝塔


合祀塔
三代家光第三子で、六代家宣の父・徳川綱重をはじめ、家光側室で五代綱吉の母・桂昌院、十一代家斉正室・廣大院、家宣側室・月光院ら南北の廟に祀られていた歴代将軍の婦女子が多数埋葬されています。この宝塔は月光院輝子の宝塔でした。
 

 


 


安国殿


三門(三解脱門)





増上寺のHPによると、「徳川家霊廟特別公開」は平成24年1月末日まで開催されます(12月27日から31日は特別公開はお休み)。
拝観時間は10:00から16:00、拝観料は500円(パンフレット・記念品付き)、無料専用駐車場ありです。
歴史に興味がある方は、是非この機会に行ってみることをお勧めします。

Posted at 2011/11/23 18:00:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 史跡 | 日記
2011年11月19日 イイね!

奥武蔵の紅葉 <白雲山鳥居観音 なぐり紅葉まつり>

奥武蔵の紅葉 <白雲山鳥居観音 なぐり紅葉まつり>11月13日、奥武蔵紅葉のスポット、埼玉県飯能市上名栗にある「白雲山 鳥居観音」という名所に行ってきました。地元千葉にも紅葉の名所はありますが、まだまだ気温は暖かく、もう少し先のようです。
中央自動車道を走り八王子ICで下車、青梅市街を抜けると、埼玉県に入ります。
とても暖かい日で窓を開けて走っていたのですが、山に入ると急に5℃くらい気温が下るのが実感できました。
たまたまでしたが、この日は一日だけの鳥居観音「名栗紅葉まつり」。山間の土地ですが、結構なひとたちが集まってきました。
鳥居観音を管理する町の人々が主催する一日だけのお祭りです。地元の学生さんたちが、祭り太鼓やステージで踊りを披露するお祭りで、あまり広くない空き地でのショーでしたが、屋台もあってとても活気がありました。



白雲山の頂上に観音様があります。「白雲山鳥居観音」は埼玉百選に選ばれた名所です。
普段は車で登れる参道ですが、お祭当日ということで通行止めのため、麓に車を駐車し、乗用車・バス用道路から山頂を目指してみました。

玉華門
100mも歩くと、この玉華門が見えてきます。タイの古都チェンマイのお寺にある様式だそうです。
 

ここ鳥居観音はこの日初めて訪れましたが、山頂を目指すルートは徒歩道専用もあります。これがいわゆる荒れ道で、結果的にこの乗用車・バス用道路から登るルートのほうが遥かに楽でした。前線舗装がしてあり、途中急斜面がありますが、そこを越えると山頂まで緩やかな登りに変わり、疲労度が全然違います。ちなみに帰りは徒歩道でゆっくり下山しました。


大鐘楼


玄奘三蔵塔
「大鐘楼」を過ぎると、「玄奘三蔵塔」前に出ます。この辺りがモミジが多くある場所でした。
独特な紅色のモミジです。参道の所々に紅色の灯篭があるのですが、この色と全く同じでした。
 


救世大観音
「玄奘三蔵塔」から100mほど進むと、白雲山の終点「救世大観音」です。「白雲山大観音」は、明治25年(1892)にこの地に生まれた平沼彌太郎氏が創立したお寺で、観音信仰の厚い実母の「遺言」をきっかけに、出生地であるこの白雲山一帯にたった一人で寺を開き、昭和15年(1940)から30年の長きにわたり数々の仏像やお堂を本人がこつこつ建設してきたというのがこの鳥居観音という寺院です。
平沼氏は、大正・昭和初期にかけて政財界に名を残した人物で、旧埼玉銀行頭取、参議院議員まで務めたという経歴の持ち主でした。


仁王門
帰りのルートは往きと違った徒歩道を通りました。鳥居観音は本尊である聖観世音菩薩が安置されていたため、「仁王門」の仁王尊が観音の門番の意を表しているのだそうです。


さて、次は紅葉の聖地というべき京都へ行く予定です。
最後に、当日オドメーター44444kmを達成した愛車です。
GO!GO!
Posted at 2011/11/19 03:00:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 自然 | 日記
2011年11月06日 イイね!

日本100名城 <二条城、大阪城、小谷城、彦根城、安土城>

日本100名城 <二条城、大阪城、小谷城、彦根城、安土城>財団法人日本城郭協会によって「日本100名城」に指定された京都・大阪・滋賀のお城です。今回はそのうち今年訪れてみた幾つかのお城をブログにしてみました。 Noは財団法人日本城郭協会によって定められたお城の登録番号です。

No.53 二条城  No.54 大阪城  No.49 小谷城  No.50 彦根城  No.51 安土城

No.53 二条城
二条城の今の正式な名称は「元離宮二条城」といいます。古都京都の文化財として、平成6年(1994)ユネスコの世界遺産に登録されました。
二条城は慶長6年(1601)「天下普請」により、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が上洛時の宿所として、豊臣系西国大名に造営費用と労務の割り当てを命じ築城しました。
京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、はじめは小規模なものでした。家康の征夷大将軍の拝賀と二代秀忠の将軍宣下は、この二条城で行われました。

東大手門と外濠
二条城の表玄関です。世界文化遺産に登録されているためか、ここはいつ来ても多くの観光客で賑わっています。


唐門
順路に沿って進むと、次に唐門をくぐります。唐門の向う側に二の丸御殿があります。


二の丸御殿
二条城二の丸御殿です。
武家風書院造の代表的な御殿建築で、遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけて並んでいます。
慶長16年(1611)、徳川家康と豊臣秀頼の会見が「遠侍一の間と二の間(虎の間)」で行われました。このとき家康は秀頼の成長ぶりに驚き、徳川家の天下が覆されるかもしれないとの危機感を抱き、豊臣家を滅ぼすことを決意したといわれています。
また、豊臣系大名の肥後熊本城主、加藤清正がこの会見に同席したことも知られていますが、清正は万一のとき、家康と刺し違える覚悟で短刀を袖に隠し持っていたともいわれています。清正はこの会見後、発病し帰国直後亡くなりました。
幕末、慶応3年(1867)、十五代将軍徳川慶喜が「大広間一の間と二の間」で諸大名を集め、大政奉還を発表しました。まさに、徳川幕府の最初と最後の儀式が行われた御殿といえます。
中は明かりが少なめで、やや暗めの部屋です。写真撮影は禁止されています。


天守台跡
二条城本丸天守閣跡です。
本丸は寛永3年(1626)三代将軍徳川家光の命で増築され、五層の天守閣がそびえていましたが、寛延3年(1750)落雷により焼失、また、天明8年(1788)には、大火で本丸舎殿も焼失しました。


本丸御殿と西橋
 

No.54 大阪城
最初の大坂城は、石山本願寺の跡地に天正11年(1583)豊臣秀吉が築城を開始し、1年半をかけて完成させました。
江戸時代の大坂城は元和5年(1619)から二代将軍徳川秀忠によって再建が始められ、寛永6年(1629)に完成しました。ところが、寛文5年(1665)落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たないまま明治を迎えました。
現在の大阪城は秀吉在城時よりも遥かに小規模となっているそうですが、それでも城の専用駐車場から徒歩で大手門をくぐり、二ノ丸、本丸を見て駐車場に戻るとかなりの距離があるように感じました。

大手門と千貫櫓
濠を渡り大阪城内への入口の門です。すぐ左にある櫓を千貫櫓といい、大手門と千貫櫓は国の重要文化財に指定されています。どちらも徳川幕府により造られた遺構です。
頭の先が少し見えるのが、現在の本丸天守閣です。


大阪城天守閣
昭和3年(1928)、当時の大阪市長關一(せき はじめ)が天守の再建を提案し、集められた市民の募金150万円によって、昭和6年(1931)天守閣が完成しました。
現在の復興天守閣は、大阪大空襲の被災を奇跡的に免れ、豊臣時代と徳川時代を通して歴代最も長命な天守となりました。


秀頼・淀殿ら自刃の地
天守閣の下、山里丸にある碑です。家康が天下統一を不動のものとするため、大坂夏の陣で亡くなった秀頼と淀殿らの碑です。数多くのTV番組(ドラマ)がこの悲劇をとりあげています。
当時の大坂城は、徳川幕府により5mから10m下の地中に埋められています。烈火で真っ黒に焼け焦げた石垣が地中で見えるそうです。夏の陣で焼失した天守の炎でついたものです(非公開)。


No.49 小谷城
琵琶湖の北、現在の長浜市にある小谷城跡です。浅井氏は三代(亮政・久政・長政)で滅びました。
小谷城は落城後、羽柴秀吉に与えられましたが、当時の「今浜」の地に新城を築城し廃城となりました。「長浜」という地名は秀吉によって付けられた地名です。
長政には茶々・初・江の他、2人の男子がいました。嫡男を万福丸といい、お市の方の子ではなく、前妻の子であったそうです。当時10歳の万福丸は、信長の命により秀吉によって捕らえられ、関ヶ原で磔刑に処せられたといわれています(信長公記)。

大広間跡と本丸跡
大広間跡は別名「千畳敷」と呼ばれ、長さ85m、幅35mの広さがあります。また、本丸跡は「鐘の丸」とも呼ばれ、大広間から12mの高さに長さ30m、幅25mの広さがありました。浅井長政はこの本丸跡で居住していました。


小谷城跡の南端から見る奥琵琶湖です。大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の撮影が実際にこの場所で行われました。


小谷山の麓です。この辺りはどこへ行っても「江」一色でした。


No.50 彦根城
徳川四天王と呼ばれた井伊直政は、関ヶ原の戦いの論功行賞で、石田三成の旧領佐和山城18万石を家康から与えられ、佐和山の麓である金亀山に彦根城を新たに築城する計画をたてましたが、関ヶ原で薩摩島津隊より受けた鉄砲傷が元で2年後に亡くなりました。
その後、彦根城は元和8年(1622)に完成し、幕末まで井伊家彦根藩の居城となりました。

彦根城天守閣
天守閣は現存天守といい、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことを指します(現存12天守)。天守は国宝に指定され、当時の建築を今に伝える貴重な遺構となっています。


玄宮園
玄宮園は彦根城内にあり、延宝6年(1678)に彦根藩4代藩主井伊直興が整備したといわれています。
数少ない現存する大名庭園のひとつです。


内濠とソメイヨシノ
彦根城は花見のスポットとしても有名で、シーズンにはかなりの観光客が大阪や名古屋方面から来城します。


No.51 安土城
安土城は天正4年(1576)に築城され、織田信長が天正10年(1582)に本能寺で亡くなるまで本拠とした城でした。
のちの「天守(天主)」を持った城は、信長の安土城が日本初であったといわれています。また、高さ33mの木造高層建築は、当時わが国で初めてのものでした。
1989年から発掘調査が行われ、現在は摠見寺の寺領となっているようです。

大手道


大手道から見た現在の城下です。信長在城時は「楽市楽座」で、大いに賑わったとされる城下も、今は近江八幡市街地となっています。


黒金門跡
大手道から標高200mの安土山山頂の天主跡を目指すルートです。途中、本丸跡間近にある黒金門跡です。 「穴太衆」によるこの石垣工法は、この後、安土城を基に全国の城普請に広がっていきました。


安土城天主跡
イエズス会宣教師ルイス・フロイスはその著書「日本史」の中で、「気品があり壮大で、この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営されたものである。内部は全面に画が描かれており、外部は改装ごとに色が塗られている。ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。」と記しています。
天主は天正10年(1582)本能寺の変の後、焼失してしまい、天正13年(1585)八幡山城築城で廃城になったと伝えられています。


安土山は先の彦根城同様花見のスポットで、麓では綺麗な花を咲かせていました。

関西地区の「日本100名城」は他に、No.52 観音寺城 No.55 千早城 など多数あります。
Posted at 2011/11/06 03:01:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 史跡 | 日記

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