マークⅡ初代 T60/70型(1968年 - 1973年)
トヨペット・コロナ・マークⅡは、クラウンとコロナの間に誕生したコロナの上級車志向の要望に応えた車でした。
当時からトヨタと日産は激しいライバル意識で車を生産しており、グロリア・セドリックに対するクラウン、ブルーバードに対するコロナ、サニーにはカローラ・スプリンター等、クラスごとに対抗車がラインアップされていました。
エンジンは1600ccの「7R」と1900ccの「8R」で共に水冷直列4気筒SOHC。それぞれにシングルキャブレター仕様とSUツインキャブレター仕様が用意されていました。
1969年9月には待望のDOHCモデル、ハードトップGSSを追加。エンジンは8R・1900ccをベースにDOHC化した「10R」(後に8R-Gに呼称変更)で最高出力140ps(グロス値) 最高速度は200km/h(メーカー公表値)の性能でした。日産のC10型スカイライン(通称ハコスカ)の対抗車種として派生したのが、コロナ・マークⅡでした。
2代目 X10/20型(1972年 - 1976年)
2代目はX10型(セダン・ワゴン・バン)・X20型(2ドアハードトップ)で、車両コードが"X"となる(マークXにも踏襲)。ボディは大型化され、スカイラインGTへ対抗すべく、クラウンから移植のM型6気筒エンジンを搭載したモデル「Lシリーズ」が登場。エンジンは4気筒1700(6R)/4気筒2000(18R)/6気筒2000(M)。ハードトップには18R-G型DOHCのGSSが設定されました。
1975、76年の排ガス規制で4気筒エンジン車は全車18R型・2000ccに統一。同時にDOHC・ツインキャブエンジン搭載のGSSは廃止され、6気筒ツインキャブのLX(Lから改称)はEFI化されました。
3代目 X30/40型(1976年 - 1980年)
デビュー時点でのエンジンのバリエーションは6気筒が2600(4M-U)2000(M-U)2000・EFI(M-EU) 4気筒が2000(18R-U)で、この3代目から最上級グレード「グランデ」(grande)が登場。マークIIとしては初めての3ナンバーとなる2600ccの4Mを搭載した2600グランデも誕生しました。
サスペンションはグランデに前輪ストラット、後輪にセミトレーリングアームの4輪独立懸架を採用し、FR車としてのスポーツ性と乗り心地を両立した足回りに変更されました。
1978年2月、2600の4M-UをEFI化して53年排ガス規制適合(4M-EU)。同時に、2000・2600ともATを従来の3速からオーバードライブ付き4速に変更しました。
1978年8月のマイナーチェンジで、車検証の名称が「トヨペット」から「トヨタ」へと変更されました。
1977年6月には、マークIIのトヨタオート店向けの姉妹車として初代チェイサーが誕生しました。マークIIのトヨタオート店向けの姉妹車として、また、同クラスの人気車種だった日産・スカイラインの対抗馬として開発されたのが初代チェイサーでした。
マークⅡ2ドア ハードトップ
チェイサー初代(X30/40系 1977年-1980年)
チェイサーは、マークIIよりも若いユーザーを狙ったものでした。歴代唯一の2ドアハードトップも存在し、TVコマーシャルは当時の人気若手俳優、草刈正雄さんを起用しました。
ライバル車は日産スカイライン、それ故、マークⅡにラインアップされていた2600ccモデルやディーゼルエンジン、ワゴン、バンは設定されませんでした。
エンジンは、トップグレード2000SGツーリングにM-EU型 2.0L 直6 125psが載せられ、足回りはマークⅡグランデと同じ前輪ストラット、後輪セミトレーリングアームの4輪独立懸架でした。
全長はマークⅡよりも85mm短く(4615mm)、全幅も1mm短い(1680mm)、全高は同じ(1415mm)ボディサイズでした(2000SGツーリング)。
変速機はマークⅡと同じく、上級グレードには5速MT/4速ATが用意されていました。
初代チェイサー 4ドアセダン
X60型(1980年 - 1984年)
マークⅡ4代目、チェイサー2代目にあたるこのモデルから、マークⅡ3兄弟といわれたクレスタが加わりました。発売時期は、マークⅡ、チェイサーが1980年10月、クレスタが同年4月でクレスタの登場が半年早く、クレスタとの共用部分はドアパネルのみでした。
また、このモデルから2ドアハードトップに代わり、センターピラーを持つサッシュレスの「4ドアハードトップ」が登場しました。この明るく開放的なピラード・ハードトップボディがマークⅡ、チェイサー、クレスタを月産3万台の大ヒット商品へと仕向けていくことになりました。
マークⅡ 4ドアハードトップ グランデ
前期モデルの中心となったのが、2000cc1G-UEエンジンを搭載したグランデでした。LASRE(レーザーエンジン Light-Weight Advanced Super Response Engineの略)と命名されたトヨタ2000ccSOHCエンジンが、先行のクレスタ スーパールーセントに続き、マークⅡグランデ、チェイサーアバンテに搭載されました。
このモデルまで、2000ccDOHC18R-GEU搭載のGTが存在しましたが、GTは廃止されました。
また、2000ccSOHCターボM-TEU搭載車種がありました。
LASRE 1G-EUエンジン
チェイサー 4ドアセダン アバンテ
この代から最高級グレードとして、ハーダーサスペンション・ミシュランタイヤなどが奢られた「アバンテ」を設定、先代からのスポーティー路線を昇華させました。
クレスタ スーパールーセント ツインカム24
1982年マイナーチェンジ、トヨタ初1気筒あたり4バルブ(吸気2バルブ、排気2バルブ)合計24バルブDOHCの1G-GEUエンジンが搭載されました。ひとあし早く、日産がやはり4バルブDOHC、FJ20EをスカイラインRSで発表、発売しました。遅れること1年日産の4気筒に対し、トヨタは6気筒のセリカXX(ダブルエックス)で発売、マークⅡ3兄弟にも1G-GUEが搭載されることになりました。
呼称は日産の「DOHC」に対し、トヨタは「ツインカム24」。当初は5速MTのみでしたが、1983年2月に電子制御オートマチックECTが設定されると、これが大ヒット、次モデルには「ハイソカー」と呼ばれ、今でいう中型高級セダンの仲間入りを果たしました。
1G-GEUエンジン
既存の1G-EUをベースに、トヨタが提携会社ヤマハ発動機に開発委託をした直列6気筒ツインカム24バルブエンジンでした。トヨタは一部のマニア向け車種に限定せず、2000ccクラスのセリカXX、ソアラ、クラウン、そしてマークⅡ3兄弟へと幅広く搭載することにより、トヨタブランドとして確立した名機でした。
X70型(1984年 - 1988年)
この代からマークⅡは、ハードトップ、セダン、ワゴン/バンとなり、チェイサーはハードトップのみ、クレスタはセダンボディのみの設定となりました(マークⅡワゴン/バンのみ1997年まで生産)。
1989年にかけ日本経済は好景気で右肩上がり、上級車志向が一般大衆化し、月産3万台という今では考えられない販売台数を記録したのがこのモデルでした。
さらには、国産メーカーが相次ぎ競った自動車のパワー競争、その流れがマークⅡ3兄弟にも訪れることになりました。それまでなかった4バルブDOHCにターボをドッキングさせるという手法でした。
1985年10月、「GTツインターボ」の登場でした。
日本初のツインカム・ツインターボエンジン1G-GTEUの追加によりM-TEU搭載の「グランデ・ターボ」は廃止。トランスミッションには電子制御4速AT(ECT-S)と5速マニュアルが用意されました。
マークⅡ2.0GTツインターボ
GTツインターボの登場で、2000ccSOHCターボ(M-TEU)が廃止となりました。
チェイサー2.0GTツインターボ
チェイサーの前期モデルのみ価格を抑えたGTツインターボSがありました。
クレスタ 2.0 スーパールーセント
クレスタのハードトップモデルは初代のみ、このモデルからセダンとなりました。また、3兄弟とも販売の中心車種は1G-EU搭載の2000ccモデルでした。
1G-GTEU 2000ccツインターボエンジン
A70初代スープラに初めて積まれた1G-GTEU、3500rpmからのロケットのような加速感を覚えています。低速トルクは元々低かったベースモデルの1Gにツインターボ、今から思えばパワーウオーズのほんの序章にすぎませんでした。
発売当初の最高出力は185ps/6200rpm、最大トルクは24.0㎏・m/3200rpmでした。
X80型(1988年 - 1992年)
日本経済はバブル景気の真っただ中、日経平均株価が3万円超えをしたこの時期、自動車税制の変更、物品税廃止に代わり消費税の導入、規制緩和、そしてついにバブルの崩壊、国内自動車の環境が激変していく時代でした。
この代からガソリンエンジンはすべてツインカム化され、トップグレードに3000ccツインカム、2500ccツインターボとノンターボ・ツインカム(後期)、2000ccスーパーチャージャー・ツインカム(前期のみ)、2000ccハイメカ・ツインカムが新たに追加されたモデルでした。
マークⅡ3.0 グランデG(後期)
1984年自動車税が改正され、2000cc超のいわゆる3ナンバー車が買いやすくなりました。従前、2000cc超3000ccまでの自家用車が年間81,500円と、庶民にはなかなか手が出せない税額でしたが、今と同じ3000cc51,000円、2500cc45,000円と割安になり、さらにボディサイズにかかわらず排気量で税額が決まるようになっていました。2000ccではトルク不足を感じるユーザーにとっては追い風となりました。
また、15インチタイヤ、4輪ESC(ABSのこと)、横滑り防止TRCが標準装備されていました。
インテリア
先代あたりからトヨタが導入を始めたエレクトロニック・ディスプレイメーター(通称デジタルメーター)です。2000ccツインカム24でも取り付け可能でした。
また、カーオーディオの高級化に特化したのもトヨタでした。カセット式でも、低音・高音とも素晴らしい音質で、走る応接室、リスニングルームといった印象でした。
エレクトロニック・ディスプレイメーター
スピード表示がデジタルで昼間も視認性はよかったものでしたが、このモデルから後は、従来の針表示に戻りました。スポーツ性ということでは、やはり迫力不足を否定できないということだったかもしれません。
80年代後半にかけ作られたものは非常にこっていた、コストをかけていたといわれています。グランデGはバックスキンを多用した材質でした。後にも先にもこんな贅沢なインテリアはこのモデルだけでした。
チェイサー2.5 アバンテ
後期モデルからラインナップされた2.5アバンテです。2000ccにはアバンテツインカム24とアバンテ(アバンテGスーパーチャージャーは廃止)がありましたが、3.0アバンテGとの中間に設定されたモデルでした。アバンテツインカム24の150ps(ネット値)に対し、馬力で30馬力のアドバンテージをもっていました。
X90型ツアラーSにも搭載された1JZ-GEエンジンがこれでした。
クレスタ2.5 GTツインターボ
前期モデル2.0GTツインターボに代わって、後期モデルからラインナップされたのが、1JZ-GTEエンジンを積んだ2.5GTツインターボでした。最初の1JZ-GTEは、その名の通り、ツインターボでした。
2000cc1G-GTEが最終モデルが210馬力だったのに対し、上限馬力といわれた280馬力搭載のエンジンでした。
歴代クレスタの中で最も暴走族に好まれたのが、このJZX81クレスタだったともいわれています。
5速MTは設定はなく、4速ATのみの設定だったようです。
X90型(1992年 - 1996年)
この90系から日本国内専用車になり、全車3ナンバーボディとなりました。開発時期がバブル経済まっただ中だったため、2代続けてプラットフォームを一新したそうですが、販売直前にバブルが崩壊したため、財政事情の悪化によりコストダウンを余儀なくされたモデルだったそうです。
3000cc7M-GEに代わって、新たに加わったのが2JZ-GEでした。また、セリカXX以来の名機1G-GEU、ツインカム24がこのモデルから廃止となりました。
このモデルから2.5GTツインターボは改称され、ツアラーVが誕生しました。今思っても、ありふれたGTとかより、インパクトのある革新的ないいネーミングだったと思います。
ネーミングひとつとっても、ここらへんのセンスというのは、国産自動車メーカーの中でもトヨタが抜きんでていると思いました。
マークⅡ ツアラーV
歴代マークⅡでエクステリアが最も好きなのがこの90系です。この時期から大幅な規制緩和で、タイヤのインチアップやエアロ、社外マフラーへの交換が比較的自由にできるようになりました。
今でも印象に残っているのは、土屋圭市氏がこのマークⅡをサーキットで走らせたところ、とても気に入ってしまい、その後自分のマイカーにしてしまったということです。
中高回転域ガンガンの初代1JZ-GTE搭載のツアラーV、走り屋さんにはまたとない、もってこいのこのうえない車でした。
インテリア
先代80系とは打って変わてシンプルなインパネ周りです。グランデGならまだしも、ツアラーVならこちらが断然いいと思います。
チェイサー ツアラーS
2500ccNAエンジンのツアラーSは、もしツアラーVがなかったなら、最上級グレードであったらもっと売れていたかもしれません。一般道なら燃費がよく、低速トルクがあるツアラーSのほうが、はるかに使い勝手がよかったと思います。
クレスタ ツアラーV
3兄弟の違いは販売チャンネルの違いでした。マークⅡがトヨペット店、チェイサーがオート店(現ネッツ店)、クレスタはビスタ店(現ネッツ店)でした。
あとは値引き(下取り)とか、エクステリアの好み次第でした。
初代1JZ-GTE
同じエンジン型式ですが、乗った印象は二代目の1JZ-GTEとは随分違っていました。チューニングの幅は圧倒的にこちらのほうにアドバンテージがあったようです。
いずれにしても、1JZはトヨタの作った名機だったと思います。
X100型(1996年 - 2001年)
バブル崩壊による厳しい経済情勢が依然続いていた時期でのモデルチェンジのため、フロアパネルはX90系のフロアパネルを流用し、コストダウンが図られました。その一方で安全性向上に力を入れ、衝突安全対策の施されたトヨタ独自規格の「GOA」や、運転席・助手席SRSエアバッグシステム・ABSが全車標準装備されていました。
また、メルセデスが世界で初めて採用したゲート式ATシフトレバーや、上級車にディスチャージヘッドランプ(HID)が標準装備されたのもこのモデルの特徴でした。
マークⅡ 2.0グランデ(後期)
最後の4ドアハードトップモデルとなった100系マークⅡです。このモデルのみ2000年まで生産され、その後、マークⅡ9代目となる110系は2004年で生産中止、マークXに引き継がれました。
クレスタ ルラーンG(S)前期
チェイサーと同じく2001年まで生産された1JZ搭載のクレスタ最終モデルは、何故かツアラーV(S)ではなく、ルラーンG(S)というネーミングでした。また、クレスタ ルラーンGのみ5速MTの設定がないという不思議な設定でした。
この時代、4ドアセダン(ハードトップ)に代わって、小型車は空前のミニバンブーム、庶民の車に対する価値観が変わってきた時期だったかもしれません。
チェイサー ツアラーV
歴代チェイサーの中で、最もスポーティなエクステリアで登場したのが、100系チェイサーでした。ツアラーというネーミングは、マークⅡとチェイサーに継承され、エンジンは新世代2500ccシングルターボ、二世代目の1JZ-GTEが搭載されました。
初めて見たとき、今度のチェイサーは売れる!と確信したのがこの私でした。
1997年に創刊した「スーパーセダン」という雑誌です。創刊号からほぼ3号目まではほとんど全部がチェイサーツアラーVの記事でした。懐かしいページです。多分、実家に眠っていると思いますが、もう捨てられてないかもしれません。
1997年ごろには全日本ツーリングカー選手権(JTCC)への参戦、少し後にはなりましたが、お台場D1グランプリでもその雄姿を見ることができました。
1JZ-GTEエンジン
初めてツアラーVを運転した印象は、全然パワーない・・・??というのが第一印象でした。
ただ、そのカラクリはこういった本ですぐ解決しました。パーツ代に出費はありましたが、そこは愛しい息子のため、惜しげもなく出資しました。
1JZ-GTEの良さは、こんな回転域からでも、30㎏・m以上の図太いトルクで、決して軽くはないボディをスイスイ引っ張っていってくれることでしょうか。
高速道路への侵入、追い越しは本当に楽です。
あと何年乗れるかはわかりませんが、名車チェイサー ツアラーV、トヨタ最後のストレート6ターボ、大切に乗っていこうと思っています。
