• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

dora1958のブログ一覧

2020年11月30日 イイね!

ルマンカーコレクション 童夢 RL-80

ルマンカーコレクション 童夢 RL-80ルマンカーコレクション 童夢 RL-80









童夢とは
1978年のジュネーブショーで「童夢-零」という
試作車(スーパーカー)を発表し、斬新なデザインで一躍脚光を浴びた



創業者は 林みのる
林氏は浮谷東次郎のS800 改造車マクランサを製作したことでも
知られています





林みのる氏のHPはこちら


童夢-零RLを製作して1979年のル・マン24時間レースに参加




零RLはF1用に販売されていたフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載
1台がエンジントラブルで、もう1台もガス欠でリタイア

1980年、零RLをクローズドボディ化したRL80を1台エントリーし、
最下位の25位で完走



















童夢のルマン挑戦その後

1981年は、前年と同じRL80で出場したが、エンジントラブルでリタイア

1982年、イギリスのマーチとジョイントして、フォード・コスワース・DFLエンジンを搭載した童夢RC82を製作したが、サスペンショントラブルでリタイア

1983年、マーチとの提携は1年で解消
前年のマシンを改良したRC82改で出場
マシントラブルでリタイアした。
1984年、RC-83で出場するものの、予選でコースアウトしてマシンを大破し
決勝出場を辞退した。
現地チームに貸与したRC82は予選を通過するも決勝はリタイヤ。

1985年、童夢・トヨタ・トムスによる提携が実現し
、童夢製の車体に当時市販されていたグループB車両の
トヨタ・セリカGT-TSの2,090ccエンジンをレース用に修正した
4T-GT改を搭載する85C-Lで出場。
決勝はトランスミッショントラブルでリタイア

童夢が製作しトムスがエントリーしたマシンは
トムス・85C-Lと呼ばれるがほぼ同一のマシン
トムスは5年ぶりにル・マンに参戦し12位完走。
これが事実上トヨタのル・マン初参戦

1986年、前年と同様の体制で86C-Lで出場したが、
冷却系統のトラブルでリタイアした。
この年限りで童夢の第1期ル・マン参戦は終わった。



Posted at 2020/12/01 14:55:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカー&おまけ | 趣味
2020年11月28日 イイね!

ルマンカーコレクション TOYOTA TS-10

ルマンカーコレクション 
TOYOTA TS-10







トヨタが開発したプロトタイプレーシングカー。
スポーツカー世界選手権 (SWC) やル・マン24時間レースでの総合優勝を狙い、グループCの新規定(カテゴリ1)にあわせて設計









開発プロジェクトは、TRDが主導となって行い、
コンサルタントとしてジャガーXJR-9を設計しルマン優勝した
トニー・サウスゲートが参画

トヨタ製グループCカーとしては初めて自然吸気 (NA) エンジンを搭載

車名にはターボエンジン搭載車に用いていた"C-V"に代わり、
「トヨタ・スポーツ」を意味する"TS"が付けられた

開発プロジェクトは1989年にスタート
車体の設計および風洞実験、シャシの製作はTRDと童夢、
エンジン開発はトヨタ東富士研究所が担当した。


レースプロジェクトはトムスGBがトヨタからTS010を借り受ける形で
1991年よりスポーツカー世界選手権(SWC)への実戦投入
TS010は1991年、SWC最終戦のオートポリスに特例として参戦し、
予選5位・決勝はトップから3周遅れの6位という結果を残した



1992年よりSWCに全戦参戦し、
第1戦モンツァで小河等、ジェフ・リース組のドライブにより初優勝



第3戦ル・マン24時間レースでは、
レース前半がウェットコンディションによる戦いとなり
終盤にカシオカラーの33号車は2位までポジションアップしたが、
エンジンのシリンダーヘッドにクラックが入り、
一気筒から冷却水が漏れてオーバーヒートを起こしてしまった
ペースをおとし、総合2位でチエッカーを受けた
なお、3位のプジョーとはわずか1周差




その後のSWCではプジョーの後塵を拝す結果ばかりとなり、
結局モンツァ戦の勝利のみで1992年シーズンを終えた

1993年のル・マン24時間レースにトヨタは3台のTS010を出場させた。
予選では前年に敗れたプジョー・905を上回る速さを見せたものの、
本選では3台全てがレース中にトランスミッションを交換する事態に陥り、
最終的には予選2位だった36号車が総合4位に入ったものの、
1位から3位を独占したプジョーの前に完敗を喫した

TS-010で忘れてはいけないドライバーがいます

小河等選手



1992年 SWCに参戦するトヨタ・TS010のドライバーに起用され、
モンツァ・サーキットで行われた開幕戦で優勝した。
この優勝は、日本人として、初めてのSWCでの優勝だった。
しかし同シリーズの第2戦が中止になった事で、
急遽帰国し全日本F3000選手権第4戦鈴鹿GPにスポット参戦
結果的にこれが小河の人生最後のレースとなった

27周目、4番手争いをしていた
アンドリュー・ギルバート=スコットと小河は
1コーナーで小河はスコットを追い抜きにかかったが2台は接触。
小河のマシンはスコットのギアボックスに乗り上げ、
絡み合ったままコントロールを失って1コーナーでコースアウト
小河のマシンは波状に設置されたサンドトラップを
ジャンプ台のようにして飛び上がり、コースサイドのタイヤバリアを
飛び越えてディブリーフェンスの支柱に真正面から激突した。

小河は脳幹損傷により死亡した。享年36歳。

この事故でビデオカメラマンの桜井一英がカメラマン台より外へ飛ばされ
全身打撲の重体、病院へ収容され治療を行ったがその後死亡している。

「小河が出場するはずだった」1992年ル・マン24時間レース決勝で、
トヨタ・TS010はプジョー・905との死闘の末2位を獲得、
関谷正徳は亡き盟友である小河の遺影を表彰台で高く掲げた
Posted at 2020/11/28 07:00:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカー&おまけ | 趣味
2020年11月25日 イイね!

ルマンカーコレクション  シグマMC73

ルマンカーコレクション  シグマMC73ルマンカーコレクション  
シグマMC73










1973年日本のチームとして初めてル・マン24時間に挑戦した
シグマ・MC73




なぜかリアウイングにTOYOTAの文字が?





MC73は、富士グランチャンピオンレース(通称富士GC、グラチャン)用に
開発された二座席レーシングカーのシグマ・GC73を基に、
メイクス世界選手権の参加規定のプロトタイプ・スポーツカーとして製作



シグマオートモーティブから
生沢徹/鮒子田寛/パトリック・ダル・ボ(Patrick Dal Bo )のドライブで参戦



当初TOYOTA 2T-G 搭載予定でしたが参戦直前供給がキャンセル

搭載されたエンジンはマツダ・12A
エンジン供給はマツダオート東京(後のマツダスピード)


シャーシ、ボディカウルは
ツインチューブアルミモノコックを採用。
エンジンマウントはスペースフレームによる方式
ボディカウル全体でダウンフォースを確保し、
不足するダウンフォースをハイマウントされたリアウイングで
確保する空力対応




ル・マン(サルト・サーキット)の6kmストレート(ユノディエール)対策
として、前面投影面積削減のため富士GC用に取り付けられていた
リアウイングへのガイドフィンを廃止





予選14位を獲得 
決勝では、約10時間30分後クラッチトラブルでリタイヤ

映画「栄光のル・マン」にも一瞬ではあるが登場しています

その後のMC73

1970年 7月
全日本富士1,000kmレース にル・マン24時間レース仕様での参戦
シグマオートモーティブからパトリック・ダル・ボ/森のドライブで参戦。
エンジンはマツダ・12A。予選5位/決勝39位。

11月 富士GC・第5戦(富士ビクトリ200キロスピードレース)
マツダオート東京から岡本安弘のドライブで参戦。
決勝では、スタート直後のバンクでの事故に巻き込まれ、
車体が炎上し焼失

シグマはその後サードとして1980年代ルマンに帰り咲きました
1994年トヨタ・94C-Vを総合2位に導きました
Posted at 2020/11/25 11:18:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカー&おまけ | 趣味
2020年11月23日 イイね!

GO TO 島根 ちょいぶら

GO TO 島根 ちょいぶらGO TO 島根 ちょいぶら











ダム芸人 たまひなさんのブログから情報頂いて
島根県 御部ダム30周年カード
木都賀ダム、大長見ダムVer UP
浜田ダム 配布再開
日帰り~


まずは島根県浜田市御部ダム



木都賀ダム







大長見ダム





WCにはこんな気つかいが。。。




JR浜田駅 からくり時計
ちょうど時間で時計の屋根があがり
神楽囃子が流れてきました






浜田城にて御城印GET





城好きにお会いしました


雨が強くなり始めたので
江津マンホールカード頂きながら
滑り込みセーフ
尾原ダム 地質カード





辺りはすっかり暗くなってきました




ハイタッチ!drive
2020年11月22日 04:03 - 23:57、
849.45 Km 17 時間 58 分、
1ハイタッチ、バッジ101個を獲得、テリトリーポイント990pt.を獲得

ハイタッチは DCCCのこまぴいさんのみ
こまぴいさんありがとうございました

一月ぶりの800km超え
最近 歳なのか疲れが取れないんです
 (((((((・・;)

本日の戦利品

Posted at 2020/11/23 10:03:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | DCCC | 趣味
2020年11月21日 イイね!

ルマンカーコレクション シェブロン B16 マツダ

ルマンカーコレクション シェブロン B16 マツダルマンカーコレクション 
シェブロン B16 マツダ














1970年ベルギーのチームがシェヴロンに10Aロータリーを載せて参戦。
マツダのエンジンが、そしてロータリーエンジンがルマン初参戦




エンジンは
ロータリーでミッドシップで搭載





レース用10A国際自動車連盟規定により排気量換算係数2
排気量2,000ccのエンジンとして、
1968年よりファミリアに搭載し
ヨーロッパの耐久レースに参戦して開発が進められたもの


シャーシは シェブロンB16

デレク・ベネット率いるシェブロンが1969年に作成したマシン
この時代は
グループ6プロトタイプやグループ7レーシングスポーツカーにおいては、
従来からのマルチチューブラースペースフレームから
モノコックへの移行が進んでいた時代でした




傑作B8をベースに
B8のスペースフレームをベースにセミモノコック化

シェブロンB16は1969年9月7日のニュルブルクリンク500kmにおいて、
ブライアン・レッドマンの手に託されたワークスマシンが
見事にデビュー戦において優勝
その時のエンジンは
コスワースFVA(1.6リッター)とFVC(1.8リッター)をメインに据える
シェブロンB16は翌1970年にかけて23台が生産








この時代のライバルは
ローラの軽量マシンだったT210/T212

実績のあるマシンにロータリーエンジンを搭載して
ルマン初挑戦でしたが

1970年ルマン24時間では 予選40位 決勝 リタイア



Posted at 2020/11/21 19:20:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミニカー&おまけ | 趣味

プロフィール

「月1度の通院
肝機能低下しました!Σ( ̄□ ̄;)
飲み会の連続で
食べ過ぎ飲み過ぎ~
ダイエットできるかな?」
何シテル?   04/27 09:29
dora1958です。 最近はダム巡り ダムカード、マンホールカード、消防カード 収集にはまっています 所有する車は高齢車ばかりなので ぼちぼ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/11 >>

123 4567
89 10 11 121314
151617181920 21
22 2324 252627 28
29 30     

リンク・クリップ

釣具屋 ドリンクホルダー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/01/07 03:02:11
SUMICO / 住鉱潤滑剤 PGF100 FMラバーグリス 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/11/26 20:46:25
タコメーター取付 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/10/18 03:48:57

愛車一覧

ヤマハ SRV250 サイクロン号 (ヤマハ SRV250)
久しぶりのバイクです 怪我しないようぼちぼち乗ります
マツダ ロードスター KenG号 (マツダ ロードスター)
2018年 縁あって我が家にやってきました 走行距離220000km超えですが 快調です ...
スズキ ツイン おまめさんⅡ (スズキ ツイン)
壱号機がAT故障でお別れ 縁あって弐号機 興しいれ かなり遣れています・・・
マツダ ユーノスロードスター ゆーのす君 (マツダ ユーノスロードスター)
ひょんなことから購入しました 車の楽しさを教えてくれました しばらく冬眠
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation