「ねぇパパ、スマホ欲しい」と突如言ってくる娘さん。家電番号を使いLINEだけだけインストールした嫁さんのお古のスマホを渡しているのですが、Wi-Fi環境下でしか使えないのがご不満の様です。
「クラスの子、半数以上が持ってるよ」と伝家の宝刀を抜く娘さんに「他所は他所、うちは高校卒業まで駄目です」と返すと「パパ知ってる?そういうのって毒親って言うんだよ」と更に返された姫鈴です。
どこで覚えて来たのかそんな言葉。そもそも姫鈴さんに決定権は有りませぬ。ちょろい方から攻め込むやり手の娘さん、年々要求がエスカレート。
出掛ける事が好きです。
車弄りも好きです。
でも家族が一番好きです(8割位父親の遺伝子を継いでいる娘さんが一番大好きです)。
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最近ツーリング等の走行動画の編集にハマってご無沙汰でしたが、やはり基本はみんカラという事で久々のブログになります。
ネタは大量にあるのでボチボチと。
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私事になりますが、今年初めに父が亡くなりました。実家にて闘病生活を送っていたのですが、最後は眠る様に。
婿養子に入っていた父は亡くなる前、納骨されるよりも実家近くの海で良いから散骨をして欲しいと言っていました。
また闘病中に、最後に一度だけ生まれ育った大分に行きたいと言っていましたが叶える事は出来ませんでした。
せめてもの孝行として、大分県の散骨業者さんに依頼して今回の運びとなりました。
四十九日を終えた後から業者さんと打ち合わせをして3月下旬の天気の良い日にという事で、年度末の忙しい中職場の上司や部下の皆に協力していただき、天気予報と業者さんからの海の予報から直前で日取を決めての出発になります。
今回は九州には行った事のない娘さんを連れてのコペン旅。姫鈴さんも祖父の葬儀以来なので10数年ぶりの九州!
どうしてもコペンで九州に行きたいとゴネる姫鈴さんのワガママを聞いて留守番してくれた嫁さんに感謝です。
流石に名古屋→大分は体力的に無理あるので、いつものコースで名古屋から実家の愛媛県へ夜中走り明け方着。そのまま母親に庭木の伐採頼まれる。娘さんも手伝い小遣い貰ってました。
翌朝早くに実家を出発して、愛媛県の佐田岬半島の最西端にある三崎港へと走ります。
道中は以前、実家近くに住むコペン友達とドライブした事があるため見知ったルートで安心でした。
佐田岬では桜が咲き始めておりましたが、娘さんは爆睡中。一人で景色を楽しむ姫鈴さん。
朝一番の便であるためネット予約していたフェリーですが、乗船は先着順。意外にもこの後続々と車やトラックがやって来て満車になりました。
乗船手続き後に車内で朝食を。
寝起きのテンションの低さは間違いなく父親譲り。
愛媛県の三崎港と大分県の佐賀関港を結ぶ国道九四フェリー。3隻のフェリーのうち2隻が行ったり来たりと一日16便運行されています。
まだ姫鈴さんが小学生の頃、両親に連れられ大分の祖父母の家に帰省する時以来になります。
そしてコペンは初フェリー。姫鈴さんも自分の運転では初フェリーです。他の車に埋もれてますけど。
「パパ一人で行って来て。私寝てるから」と連れない娘さんを船室に残してデッキに上がり一人はしゃいでいる父親。
出航から直ぐに大分県側の島々が見えている乗船時間は約一時間。コーヒー片手に潮風に当たっていると直ぐに到着。
下船後真っ先に佐賀関港近くにある「海へ続く線路」へ。
「海が凄く綺麗!」と、やっとテンション上がって来た娘さん。
さすが九州の海。透き通る様な海水が静かに波打っていました。
道中は一部道幅が狭く、対向車が来たらコペンでもギリギリな位ですが、景色は最高です。
ここからは予定が詰まっているために佐賀関→大分→別府へと。
道中凄い名前の交差点。
別府にある我が家の墓参りへ似合わない車で乗り付けを。
本当、墓参りには似合わない車です。
ご先祖様には申し訳ございませんが、姫鈴さんも10年以上ご無沙汰だったため墓の場所が分からず、管理事務所で問い合わせを。
最近は墓も個人情報扱いで、現地で身分証明書を出してやっと教えて貰えるという世知辛い世の中です。
巨大な霊園のため区分番号だけを教えて頂き、後は自分の足で探す事に。見当違いな所を探していると、娘さんが先に見つけてくれました。
しっかり管理されているため雑草一本生えていないお墓。管理事務所に感謝です。
姫鈴さんの従兄弟とも話していたのですが、この霊園は墓石が皆同じ規格のため毎回迷うとの事です。
我が家は忠臣蔵の事の発端、やらかした側の家系の流れの一族らしく、家紋が同じです。
本人ダメダメでも周りの人達に恵まれているという点で妙に納得。
今後の管理を考えて、こちらは墓終いして名古屋に移そうとも思っていたのですが、親から頼むからこのまま大分に残しておいてくれと言われるのも分かる素晴らしい景色。
娘さんも大分に来てからひたすら景色が綺麗と言っています。
霊園を後にして、大分に戻り散骨業者さんとの待ち合わせ場所へ。
業者さんは既に到着して待っていてくれていましたが、まさか愛知県から派手な屋根開けた車で来るとは思っていらっしゃらなかった様で&大分の懐かしい景色にテンション上がっていた姫鈴さんとで華麗にスルー。
更に一周回って合流出来ました。
今回、相談から実際の散骨までお世話になりました『まるっと終活大分』さんです。
https://shukatuoita.com ←ホームページアドレスになります。
ホームページから引用させて頂いた法人代表の木原さん。電話とLINEでこまめに連絡を下さりましたが、この日ご一緒に乗船してお付き合い下さいました。
木原さんと船長さん、姫鈴さん親子の4人での散骨になります。
海洋散骨に対して姫鈴さんのイメージがこちら。
実際がこちら。
ホームページにもありますが周囲への配慮もあり、平服で救命胴衣を着けての出航。
船長さんは港横の岸壁で釣りをしている中学生に声を掛けながら操船している、まるで船釣りに行くノリで別府湾の真ん中まで進みます。
途中から船長さんのご好意で娘さん、船の舵を握っていました。最近絶叫系アトラクションが大好きなため喜ぶ喜ぶ。
父も孫娘の操船で故郷の海に帰れるなら満足してくれる事でしょう。
潮風と時折飛沫を浴びながらの別府湾。
大分市、別府市、そして杵築市までが一望出来る絶景が広がります。
往復路は大分の話などをしていたのですが、船長さんの息子さんが名古屋で働いているとの事。
これもご縁ですね。
そして散骨。
あらかじめ細かく砕いて頂いた遺骨は海に溶ける様に消えていきます。
婿入りして自分の両親と義両親を見送り、愚息子が名古屋で自立するまで育て上げてくれた父でしたが、最後の最後に孫娘の手で自由になれたかなと思います。
今回どうしても娘さんの手で送って貰いたかったので、その願いが叶いました。
最後に用意して頂いていた花を流しました。
潮の流れに乗って次第に見えなくなっていく様を見て、ようやっと父の長い人生が終わった実感が持てました。
この日の朝、実家にいる母の夢枕に父が現れたと帰宅後に聞きました。海に帰る前の最後の挨拶だったのでしょう。
帰港も操船は娘さん。
コロナ禍で余り旅行に連れて行けませんでしたが、今回の船はかなり楽しかったそうです。小学生として滅多にない体験が出来て良い春休みの思い出に。
まあ、めちゃくちゃ日焼けしました、二人とも。
まるっと終活大分さんのホームページにも書かれていますが、実際に散骨される方々は皆さん笑顔で帰られるそうです。
こんな良い景色の中でお別れをする事が出来、しかも海は世界中で繋がっているため何処の海でも故人に気軽に会えるという。ヨーロッパからはるばる来られたお客さんもいるというのも納得です。
後は父がしてくれた様に、娘が幸せな人生を送れる様に僕と嫁さんで手助けを。
最後には立ち会えなかったけど、面と向かって言った事は無かったけど、良い人生を歩ませてくれてありがとう親父。
大分市を出発して、再び別府市へ。
別府湾に沿う国道10号線は埋め立て拡張されて走り易い道になっていました。
最後に来たのは姫鈴さんが小学6年生の頃。ちょうど今の娘さんと同じ年頃でした。母方の祖父母の家があった場所へ。
既に当時の家はありませんが、周辺にはまだ微かに覚えている家が幾つか残っています。最後に来た日から実に40年近い月日が経っています。
当時従兄弟達や近所の子供達と走り回っていた路地にも面影が残っていました。手を掛けてよじ登っていた段差も一跨ぎで超えられる今の自分。
娘さんからしたら退屈でしょうが、文句も言わず付き合ってくれています。
今となっては縁も全て無くなってしまった思い出の場所。恐らくもう訪れる事は無いでしょうが、最後に娘さんを連れて来る事が出来ました。
この日は別府湾に沿って行ったり来たりをしていましたが、次に向かうは父方の実家。
それがこちらです。
いや、本当に(数百年前の)実家です。
国東半島にある杵築市のシンボル、杵築城です。
父方はこの城主の直系の家で、戦国時代末期までここに居を構えていたそうです。
ですが今現在、姫鈴さん親子は入館料を払って見学する立場…。
めっちゃ真面目に見学している娘さん。
展示してある笠と同じ物が今の実家に一つあります。物置にぶち込んだままですけど。
天守閣から眺める杵築市内。当時ではタワマンクラスの眺望だった事でしょう。一軒家でタワマン。なんと贅沢な実家でしょうか。…エレベーターありませんけど。
広々とした玄関横の階段。大型家電の搬入も楽々です♪
桜を始めとした木々に溢れる素敵な庭。休日にはBBQをしたくなりますが火気厳禁なのがたまに傷。
お古のスマホを渡している娘さんは写活に勤しんでいます。
オフ会出来ちゃう位広い駐車場。母屋まで距離はありますが、夜中に自宅抜け出して遊びに行っても嫁さんにはバレませんね(←ポジティブに)。
正面出入り口。
愚かな末裔はかなり歌舞いた籠を愛用しております、ご先祖様。
そのまま城下町へ繰り出し、市役所の無料駐車場へ車を預けて散策を。
街並みが古風に統一されています。
平日とは言え春休み中なのに人出が殆ど無い静かな城下町。
歩道にも色々趣向を凝らしたものがありますが、静けさも重なりノスタルジックな雰囲気です。
再び別府に戻り、祖父母に連れられよく散歩していた上人ヶ浜へ。
当時はただの浜辺でしたが今は埋め立て整備され公園になっています。
親子連れやダンス動画を撮影している若者など、のんびりとした公園でした。
景色は撮るけどコペンは撮ってくれない娘さん。
ちょうど良い時間になったため駅前のホテルへチェックインを。
大分と言えば中津の唐揚げととり天!
子供の頃に来た店がまだ残っていました。
大繁盛していて一時間以上待ちましたが、待つ価値はある味の『東洋軒』さん。
とり天定食と天津飯を注文して二人でシェアしましたが、定食は殆ど食べられてしまうという…。
かぼす醤油がツボにハマり箸が止まらない娘さん。DNAの8割くらいは大分県産ですから水も食べ物も合うみたいです。
昔は夜も賑わっていたのですが、コロナ禍もあり寂しい駅前風景。夜8時前には飲食店もLOで以降開いている店はパチンコ居酒屋カラオケという場末の雰囲気漂う惨状。
一日の疲れを癒すために立ち寄り温泉へ行ったのですが、親子揃って即寝でした。