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めんまいとのブログ一覧

2019年09月12日 イイね!

日本国内ではなくヨーロッパに広まっているトヨタの乗用車・アイゴ

日本国内ではなくヨーロッパに広まっているトヨタの乗用車・アイゴ世界でもトップクラスの自動車メーカーを務めるトヨタが手掛けるアイゴは、欧州市場を視野に入れた
トヨタ自動車が欧州で製造・販売している乗用車であるアイゴは、PSA・プジョーシトロエンと提携を結んだことで誕生して、見た目は至ってシンプルだけど無駄が一切ない設計になっている。形状は精悍なフロントを持つ2/4ドア ファストバックで、欧州各地で求められるサスペンションやエンジンを果たし、トランスミッションは5速マニュアルを標準としているのが主な特徴である。ちなみに名前は英語の「I go」から来ている。

9年もの間続いた初代は、チェコの工場で生産を開始して求められるものをきちんと果たした

アイゴの歴史は2005年にさかのぼり、主な開発はトヨタが握っていたが生産はチェコの工場に任せられた。当初から徹底した軽量化と低コスト化が推し進められていて、リアサイドウィンドウが5ドアでも通常の上下巻き上げタイプではなく、ポップアップタイプになっている、リアハッチ自体がガラスハッチになっている、ドアの一部鉄板をむき出しにしていることで、姉妹車プジョー・107、シトロエン・C1と内装トリムを共有しているのだ。肝心のエンジンは直列3気筒DOHC VVT-iまたは直列4気筒SOHC ディーゼルターボが使われ、プラットフォームはトヨタ独自のAプラットフォームとなり、トランスミッションは原則としてマニュアルと定められている。

肩を並べた姉妹車は、フランスの自動車メーカーが手掛けた2種類が当てはまる
やっぱりヨーロッパで展開していたアイゴの姉妹車は、フランスの自動車メーカーが扱っていたシトロエン・C1またはプジョー・107が該当する。どちらもアイゴと同じ形状のファストバックを保っていて、コストダウンが進められ、現地で求められるような設計をしているが、それぞれで異なる個性があることを忘れてはならない。まずシトロエン・C1はトヨタの協力を得て開発され、エンジンはL3のみが使われており、続いてのプジョー・107はトヨタ・プジョー・シトロエン・オートモービルによって開発され、エンジンはガソリンまたはディーゼルが使われ、サイズは他と比べると一回り小さいのが特徴だ。

2代目になると前回にはなかった精悍さが採用され、改良すべき所を積極的に改良した

2014年に2代目へと突入した時は、'go fun yourself'のスローガンで売り出すことを決め、エクステリアは日本のカーデザイナーが考案することになって、前回にはない独自の個性が使われた。もちろんこの代でもチェコの工場に製造を任せたが、エンジンは前回と同じ直列3気筒DOHC VVT-iと新たに加わった直列3気筒DOHC ターボが使われた。ちなみにプラットフォーム、サスペンション、変速機、トランスミッションは前回と同じであるとCOBBY。

特別モデル「x-style」と「x-cite」のアイゴが登場してる!?

これだけ素晴らしいのに日本で一切導入されない理由は、これらの要因があった
日本国内だけではなく、世界各国にも名を轟かせているトヨタ自動車は、ヨーロッパで重宝されるようなコンパクトカー・アイゴも手掛けている。エクステリアを始め、エンジン性能やトランスミッションなどがこれだけ優れているのに、日本では一切発売されないのが非常に遺憾である。その理由を突き詰めていくと、普通乗用車であるアイゴの大きさは日本で定められた軽自動車規格と大して変わらない、出力もターボ付きの軽自動車とほぼ同じ数値を示すことが挙げられ、この様子なら日本で販売してもあまり売れる見込みがないと判断したことが当てはまる。

車を構成する上で欠かせないプラットフォームは、他の車でも使われているAプラットフォームだった
初代及び2代目アイゴで使われているプラットフォームは、何と言ってもトヨタ・Aプラットフォームとなっている。こちらはトヨタ自動車だけではなくダイハツ工業やPSA・プジョーシトロエン、プロドゥアが開発に携わっていて、主に軽自動車や普通小型乗用車に使われることが多く、日本国内だけではなく世界各国の乗用車にも行き届いている。

肝心のエンジンは、強い出力とトルクを発揮できるものを採用している
車を動かす上で欠かせないエンジンは、初代だと1KR-FE型 998cc 直列3気筒DOHC VVT-iまたは2WZ-TV型 1,453cc 直列4気筒SOHC ディーゼルターボが使われ、2代目だと前回と同じ1KR-FE型 998cc 直列3気筒DOHC VVT-iまたはEB2DT型 1,199cc 直列3気筒DOHC ターボが使われた。これらはどれも強い出力とトルクを発揮でき、快適な走りを実現できている。

オレンジと黒が見事に調和している特別モデル・x-styleとx-citeが堂々と登場した
2代目アイゴ独自の特徴と言えば、何と言っても精悍な顔つきのようなフロント部分が当てはまる。それはまさにXの文字が堂々と刻まれているような雰囲気で、こんな個性を持つ車は他にはない。さらにその姿はオレンジと黒のアクセントが効いている、x-sytleとx-citeに発展した。
Posted at 2019/09/12 13:54:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記
2019年09月11日 イイね!

日産が海外に向けて展開している小型乗用車・アルメーラは研鑽を惜しまなない

日産が海外に向けて展開している小型乗用車・アルメーラは研鑽を惜しまなないヨーロッパで広まった初代 N15型は、世界ラリー選手権にも出場した実績を持つ
主に海外で製造販売をしている小型乗用車・アルメーラは、ヨーロッパを中心に展開し、1.4リットルGA14DE型、1.6リットルGA16DE型ガソリンエンジン及び、2リットルCD20型ディーゼルエンジンが搭載されたセダン車だった。発売の起点はヨーロッパに当たり、国によってはハッチバックの形状も作られ、英国ラリー選手権・BRCや世界ラリー選手権・WRCのモータースポーツにも積極的に参加して、輝かしい成績を収めた。なお販売は日本国内にも行き届いたが、パルサーやラティオ、ブルーバードシルフィという名前で展開していた。ちなみに初代の活躍期間は、1995年から2000年までだった。

2代目 N16型になっても独自の麗しさは変わらず、強化したエンジンが加わった

2000年に2代目へと突入したアルメーラは、前回と同じ麗しさを保ちつつ、直列4気筒DOHCやディーゼルインタークーラーターボ、ディーゼル直噴ターボのエンジンが用意され、プラットフォームは日産・MSプラットフォームに変わり、形状、サスペンション、駆動方式、トランスミッションは前回と同じだった。さらには今回からパルサーという名前でオセアニアに、アルメーラクラシックという名前でロシアやウクライナにも進出した。なお展開はどんどん進み、中東諸国やラテンアメリカにも行き届いたのだ。

ハイブリッドの要素を加えてトールワゴンの形を留めた派生車・アルメーラティーノ
アルメーラは、MSプラットフォームを土台とした派生車種・アルメーラティーノも手掛けていた。こちらは普通乗用車のトールワゴンに分類され、最大で6人乗車が可能となる。日本ではティーノという名前で展開しており、モーターとエンジンとハイパーCVTを融合させたハイブリッドモデルもあるので、Design Zentrum Nordrhein Westfalen(ノルトライン=ヴェストファーレンデザインセンター)によるレッド・ドット・デザイン賞を受け取った。ちなみに製造はスペインのバルセロナにある日産モトール・イベリカ社ソナフランカ工場に任せられた。

ロシアやウクライナでは、アルメーラクラシックという名前で発売されていた

先ほど述べたように、ロシアやウクライナに進出したアルメーラは、アルメーラクラシックという名前で展開していた。こちらは従来よりも流麗さが加わっていて、QG15DEまたはQG16DE型の直列4気筒エンジンが使われ、フロントがマクファーソンストラット、リアがマルチリンクビームのサスペンションとなっている。

3代目 N17型になると、タイから始まってオーストラリア、中国、アメリカにも浸透した
とうとう2011年に3代目となったアルメーラは、タイで製造が開始され、翌年にはオーストラリアやマレーシアにも浸透した。今度からプラットフォームが日産・Vプラットフォームに変わり、形状がセダンのみに統一され、トランスミッションは5MT、4速AT、CVTが揃い、サスペンションはリア部分がトーションビームに変わった。最初は月に1,200台の販売目標を定めていたが、徐々に売れ行きが低迷していき、とうとうジリ貧に追いやられてしまった。しかしアメリカや中国に輸出して販売すると、月平均5,000台以上という安定した売り上げを実現して、V字回復を果たしたのだ。

日本国内での3代目アルメーラは、ラティオという名前で展開している
アルメーラそのものは日本では販売されていないが、名前を変えて進出した実績がある。そして3代目になった時はラティオという名前で販売され、直列3気筒のHR12DEエンジンと軽量化に優れたボディ、アイドリングストップ、副変速機構付CVTが融合したおかげで、平成27年度燃費基準+10%を達成したとCOBBY。残念ながら日本での展開は2012年から2016年までの間で終了してしまったが、他の国々では休むことなく活躍している。

日本ではティーダラティオとして販売されていたがシルフィも海外専売になる?

流麗な印象が強いB11型は、ロシアを中心としたヨーロッパで広まった
2012年にモスクワ国際モーターショーにて、ロシア向けアルメーラが紹介された。こちらはシルフィをベースにして構築されており、外観はヨーロッパ仕様のシルフィクラシックに似ているが、内装は専用のダッシュボードが与えられた極東地域向けとなっている。エンジンは最高出力102PSを発揮できる1.6リットル16バルブエンジンが使われ、トランスミッションは5速MTまたは4速ATとなり、欧州の安全基準に対応できるよう中央席ヘッドレスト及び3点式シートベルトが新設された。

今までをはるかに超える迫力を醸し出した、4代目 N18型は現在でも続いている

いくつもの研鑽を注いできたアルメーラは、2019年に4代目となり、プラットフォームが新開発のCMF-Cプラットフォームに、エンジンが直列4気筒1.6リットル HR16DEに進化して、大きさも一回り拡張した。その姿はまさに今までを凌駕していて、ものすごい迫力と感動を与える。


Posted at 2019/09/11 13:54:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2019年09月10日 イイね!

マツダ自慢の自動車ブランド・ユーノスがこれまで手掛けてきた車を大紹介!

マツダ自慢の自動車ブランド・ユーノスがこれまで手掛けてきた車を大紹介!トヨタや日産のものにも負けないブランド・ユーノスはマツダの誇りと言える
1989年から1996年の間で活躍したマツダの自動車ブランド・ユーノスは、トヨタのクラウンやレクサス、日産のインフィニティにも劣らない個性があって、プレミアムブランドに匹敵するような存在感を出していた。たった7年間の期間でも、きちんとした自動車ブランドを成し遂げたのが素晴らしい。なお、マツダが手掛けるブランドは国外に向けた「アマティ」もあったが、こちらは会社経営悪化の影響を受けて破綻してしまった。

ハッチバックとクーペの要素を融合したユーノス100は、手頃な価格に留まっていた

ユーノスのブランドが立ち上がった頃に誕生した車は、ハッチバッククーペのユーノス100だった。こちらは当時マツダが推し進めていた販売店舗網の多チャンネル化に伴い、ファミリアアスティナをベースにして、ユーノスのエントリーモデルとして販売されていた。エンジンは直列4気筒が搭載され、サスペンションは前後共にストラットとなっていて、姉妹車は海外でも展開していたマツダの名車・ファミリアアスティナだった。ちなみに販売価格は142万~181万円に留まっていて、高級オーディオを装備した特別仕様車「タイプX」も登場した。

ハードトップサルーンに仕立て上げたユーノス300は、販売面で苦戦を強いられた
当時マツダが推し進めていた販売店舗網の多チャンネル化に伴って誕生したユーノス300は、ブランドユーノスのミディアムモデルとして確立しており、同じくマツダが手掛けたペルソナがベースとなっている。ここでも直列4気筒エンジンや前後共にストラットであるサスペンションが使われて、快適性のあるスポーツシートや灰皿が装備されたが、販売の方で苦戦したので1992年に終了を迎えた。

少し膨らみを持たせた4ドアセダン・ユーノス500は、香港やオーストラリアでも展開した

今度のユーノス500は日本・香港・オーストラリアの3カ国で展開することとなり、立派な4ドアセダンの形を留めた。エンジンは今までのような直列4気筒ではなくV型6気筒も加わって、サスペンションは前がマクファーソンストラット、後ろがパラレルリンク式ストラットとなったとCOBBY。ボディ全体には耐久性が高く、鏡面のような滑らかな仕上がりになる「高機能ハイレフコート塗装」が使われたので、「小型クラスでは世界で最も美しいサルーン」と評価された。

ユーノスといえばリトラクタブルヘッドライトが思い浮かぶ

またの名をミレーニアとも言うユーノス800は、独自の流麗さを保ったセダン車だった
1993年に誕生したユーノス800は、ユーノスの堂々としたフラッグシップモデルを務め、V6エンジン搭載の前輪駆動中型セダンを果たした。ミラーサイクルエンジン(KJ-ZEM)を始め、リショルム・コンプレッサ式スーパーチャージャー、4WS、両席エアバッグ、ABS、TCS、アルミボンネット、ハイレフコート塗装、ソーラー・ベンチレーション・システムなどの装備が加わり、土台はマツダ・TAプラットフォームが使われ、マイナーチェンジによってエアバッグが搭載された。1997年には名前がマツダ・ミレーニアに変わり、ここから北米でも展開することになって2003年まで活躍した。終了した後はアテンザセダンに統合されたが、なだらかな流麗さが際立つ名車だった。

ユニークなエクステリアデザインを持っていたユーノス・コスモは、個性を貫いた

主にコスモスポーツやコスモAP、コスモLを手掛けているマツダ・コスモは、4代目になるとユーノス・コスモという名前になり、エンジンを格納するフロント部分が長い2ドアノッチバッククーペの形を留めた。こちらは「クーペ・ダイナミズム」というキャッチコピーで売られ、マツダ独自のロータリーエンジンが使われ、土台はマツダ・JCプラットフォームが用いられた。しかもこの車は「V型12気筒エンジン並の滑らかさを持つ」ことを目指していたが、一部では「リッター3キロの超高燃費車」と紹介されていたので、思うように売り上げが伸びなかった。

街を走っている姿がかっこいいスポーツカー・ロードスター

屋根の部分が開閉して、颯爽とした走行を味わえる2ドアオープンカー・ロードスターはアメリカと日本で展開して、最初はユーノス・ロードスターの名前で発売されていた。販売台数は80万台を突破して、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」として認められ、エンジンは直列4気筒DOHC、サスペンションは前後共にダブルウィッシュボーンが使われた。

3ドアハッチバッククーペの要素を生かした、ユーノス・プレッソ
クーペの形を留めたユーノス・プレッソは、ヨーロッパでも話題を集め、K8-ZE型1.8L V型6気筒またはB5-ZE型1.5L直列4気筒エンジンが使われていた。販売を手掛けた店はマツダ・ユーノスだったがしばらくするとマツダアンフィニ店に切り替わり、姉妹車はオートザム・AZ-3だった。

大きなワンボックスカーの形を留めた、ユーノスカーゴワゴン
これまで紹介してきたユーノスの乗用車は、ハードトップ、セダン、クーペが紹介されてきたが、実は最大8名まで乗車が可能なワンボックスカー・ユーノスカーゴワゴンもあった。こちらは商用車として使うこともでき、後にボンゴワゴンへ発展する。
Posted at 2019/09/10 14:04:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | マツダ | 日記
2019年09月09日 イイね!

インドで莫大な売り上げを誇るトヨタ自慢のコンパクトセダン・エティオス

インドで莫大な売り上げを誇るトヨタ自慢のコンパクトセダン・エティオス日本ではなく、インドで鍛え抜かれたエティオスは、世界戦略を狙っている
トヨタ自動車が製造、販売する乗用車・エティオスは製造がインドかブラジルに任せられ、『World First, India First』という合言葉を掲げている。展開は世界各国にも及んでいて、形状はセダンだけではなくハッチバックのエティオスリーバ/エティオスファルコも揃っていて、トヨタの世界戦略を堂々と果たした。なおエティオスは、残念ながら日本では販売されていない。

エティオスが誕生した理由は、こんなに深い物語が詰め込まれていた
大手自動車メーカー・トヨタは、これからの時代は世界市場で車がどんどん売れると見込んで、現地で求められる自動車の開発に力を注いだ。そして今一度世界各国の状況を見てみると、インドが中国を上回って世界一の人口になると予測されている。だから、対象をインドに定めて、現地の道路事情に合わせた車であるエティオスが誕生したのだ。ちなみにトヨタ独自の世界戦略車は、「ヴィッツ(ヤリス)」「カローラ」「カムリ」もある。

初代AK10/10H型から大きな期待が託され、現地の自動車市場で求められる要素を加えた
2011年に誕生したエティオスは、日本円に換算すると100万前後の価格に抑えられて、最初の頃はインド現地にある法人、トヨタ・キルロスカ・モーターのバンガロール第2工場で製造され、翌年になると、ブラジル・サンパウロ州に建設されたソロカーバ工場でも製造された。なおエンジンはセダンだと1.5Lの2NR-FBEが使われ、ハッチバックだと1.3Lの1NR-FBE、1.5Lの2NR-FBEが使われた。さらにエティオスは南アフリカ共和国にも浸透して、2013年にはインドネシアで展開するハッチバック・エティオスファルコも登場した。

モータースポーツ仕様も開発され、熱い戦いを見せつけた実績もある
これまで紹介してきたエティオスは、一般に向けた販売だけではなくモータースポーツにも積極的に参加して、熱い走りを見せつけた実績もある。インドで開幕したデリーモーターショー12で『エティオス』のレーシングカー仕様が初めて公開され、ワンメークレースやドライバートレーニングなどの活動に使われた。その姿を具体的に説明すると、フロントスポイラー、サイドスカート、オーバーフェンダー、ディフューザー、ルーフスポイラー、大型リアウィングなどのエアロパーツが豊富に使われ、サスペンションやブレーキなどの、足回りが強化されている。

ハッチバックの形に整えられたエティオス・リーバは、スポーティー性が際立っていた
セダンではなくハッチバックの形に整えられたエティオス・リーバは、所々にたくましさがあって、新たに開発された排気量1.2リットルのガソリンエンジンが搭載されていた。こちらはセダン車と合わせて部品の現地調達率を約70%から90%近くまで引き上げ、年産7万台を果たすことを目標としていて、全長は3,775mⅿ、ホイールベースは2,460mmにも及んだ。

新興国向け戦略車となるエティオス・ファルコは、インドネシアで展開することを見込んだ
先ほど述べたように、2013年になるとインドネシアのハッチバックモデルである、エティオスファルコの販売が開始された。こちらはインドネシアに構えたカラワン第2工場工場で生産され、需要が急速に高まるハッチバック車のラインアップを強化し、拡大する自動車市場でのシェア確保を図っている。販売価格は約135万〜161万円に匹敵し、内装は黒と灰色の二色で統一し高級感を演出して洪水などの対策として最低地上高を17センチに高めていることで、現地の要望にきちんと応えられている。

エティオスシリーズは、とうとうインドで累計販売10万台を突破した
インド、ブラジル、インドネシア、南アフリカで製造され、日本以外の国々に行き届いているトヨタ・エティオスは、売り上げがインド国内だと群を抜いていて、COBBYによると、最初の4万4675台からどんどん上昇して、とうとう10万台にも達したのだ。やはりここまで到達した理由は、多くのインド国民が「トヨタは高級車というイメージが強くて手が出せなかったが、エティオスは上級感タップリで、しかも、なんとか手が出せる価格だから」と述べていることが当てはまる。

全体的に評価してみると、日本よりもはるかに暑いインドで求められるものを採用したことがわかる
もう一度エティオスをじっくりと観察してみると、現地で求められる本当に必要なものだけが採用され、トップクラスの燃費を実現して視認性と安全性、さらにユニークさと先進性を狙い、インドは日本よりもはるかに気温が高いことを意識して、ダッシュボードの吹き出し口から後席へ、積極的に冷気が流れるよう設計したエアコンを取り入れた。さらには水のペットボトルを乗用するインド国民のために、500mリットルから1リットルのサイズに対応できる7箇所のホルダーも付けたので、いかにも配慮が行き届いていると感じられる。
Posted at 2019/09/09 12:26:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記
2019年09月06日 イイね!

カローラシリーズを大きく盛り上げたクーペモデル・カローラレビン

カローラシリーズを大きく盛り上げたクーペモデル・カローラレビン内外装部品のほとんどを共有していることが多い、カローラレビン
トヨタ自動車がかつて販売していた小型クーペ・カローラレビンは、ロングセラーを誇るカローラシリーズの一つで、同じ形状を留めたスプリンタートレノと肩を並べた。活躍した期間は1972年から2000年までの間で、7代に渡って生産販売された。もちろんこの功績は、カローラシリーズに貢献してトヨタの業績を上げた。

初代TE27型から多くの期待が寄せられ、高性能モデルとして設計された

1972年に誕生したカローラレビンの原点は、2ドアクーペの形を留めているが、漆黒の黒とレトロなフロントグリルが加わって、貴賓を乗せて運ぶのにふさわしい車だった。開発の経緯は「セリカの2T-Gエンジンをカローラに積みたい」という発言から始まり、本来のカローラにはないスポーティな「ホットモデル」を視野に入れた。エンジンは直列4気筒のDOHCまたはOHVで、駆動方式は後輪駆動・FRとなり、サスペンションはフロントが独立懸架ストラット式、リアが半楕円リーフスプリングだった。この時点でたくさんの期待が高まり、たった2年間の間でも高い性能を誇っていた。

2代目は、前期と後期にはっきりと分けられ、いくつもの困難を乗り越えた

1974年に初めてのモデルチェンジが行われて、2代目となったカローラレビンは、ボディーがハードトップに切り替わって前期と後期ではっきりと区別された。ハードトップの形状では強いスポーツ性が失われることになり、搭載されていたキャブレター仕様である2T-G / 2T-GR型エンジンが排出ガス規制に適応できなかったため、こちらはたった1年間の間で終了してしまった。

3代目になると初めてハッチバックが登場し、改善すべき所を積極的に改善した

とうとう1977年に3代目へと突入したカローラレビンは、クーペが復活して初めてハッチバックが採用され、排出ガス規制に適応するエンジンを搭載した。さらには脱着式サンルーフ、ミシュラン製タイヤを装備した「レビンAPEX」が追加され、トランスミッションは5速マニュアルのみで、タイヤは太いラジアルタイヤを履かせた。

4代目は、ハチロクの愛称で親しまれ、エンジンにさらなる磨きがかかった
カローラレビンの発展は留まることを知らず、1983年に4代目へと発展することになった。今度はトヨタ・AE86/AE85型として発売され、エンジンが2T-GEU型及び4A-GEU型に切り替わった。COBBYによると変更点はまだまだあり、リヤサスペンションがリーフリジッドからラテラルロッド付き4リンクに進化して、全車のフロントにサーボ付きディスクを標準装着することとなった。

日本では販売が終了しているが、中国ではレビンのPHVが登場予定!

5代目から前輪駆動・FFに切り替わり、今までにないくらいの販売台数を記録した

1987年に5代目へと進んだ時は、ここから駆動方式が前輪駆動・FFに変わり、ボディの形状も2ドアクーペに統一された。さらにデザインはトヨタ・ソアラのものを流用し、廉価な価格で発売することができたので若者の間で大ヒットを収め、さらにはバブル景気の影響を受けて販売台数が一気に伸びた。トランスミッションは3速AT、4速AT、5速MTの3種類が使われ、マイナーチェンジによって大幅に改良が加えられ、ハイオクガソリン車・AE92型及び1.5L ハイメカツインカムエンジンが搭載されたAE91型も加わった。

6代目はコンパクトスポーツモデルとなり、バブル経済を象徴するように設計された

2ドアクーペの形状を保ったまま、6代目になったカローラレビンは、前回とは全然異なる姿となり、コンパクトスポーツモデルとしての魅力を削ぐ結果となった。4A-GE型エンジンはVVTを吸気側カムシャフトに装備し、1気筒あたり5バルブとし20バルブ化され、当時では珍しかった純正で4連スロットルを装備して出力を160ps/7,400rpmに向上させた。ちなみにこの代が登場したのは、平成に切り替わって間もない1991年~1995年の間である。

7代目に進展すると、軽量化、エンジン性能、走行性能の向上を惜しまなかった
1995年に7代目となった時は、「ピンゾロ」「ゾロメ」「イチイチイチ」「ひゃくじゅういち」「ワンイレブン」の愛称で親しまれ、エンジン制御方式は4連スロットル径の拡大、燃焼室の形状の変更などの改良が加わって走りが向上した。エクステリアは相変わらず2ドアクーペのままだが、全体は丸みを帯びていてなだらかな印象に整っていて、大幅な軽量化や衝突安全ボディ・GOAも採用された。そしてカローラレビンは2000年に完全終了することになる。

世界ラリー選手権を含むモータースポーツにも積極的に参加して、素晴らしい成績を収めた

これまで紹介してきたトヨタ・カローラレビンは、28年間もの歴史を紡いできたが、実は販売だけではなくモータースポーツにも参加した実績もあるのだ。世界ラリー選手権(WRC)や1975年の1000湖ラリーで好成績や総合優勝を収め、その後もヨーロッパツーリングカー選手権やスパ・フランコルシャン24時間レースで熱い走りを見せつけた。
Posted at 2019/09/06 13:59:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記

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「タイヤサイズの見方~ロードインデックス・速度記号を読み解くコツ http://cvw.jp/b/3159047/46943034/
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車大好きめんまいとです。 好きなのにぜんぜん詳しくないので、自己満足の勉強を兼ねた日記になります。よろしくお願いします。
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