【CIAO ITALIA 2007】
2005年は転機の年
タイトル画像、有名なカットだ。 2005年のCIAO ITALIAのランチア・チャンピオンレースのスタートシーンだ。 当時デルタのワンメイクレースとしては最大の18台のエントリーだった。 これだけ同じ車、しかもこの時製造から15年程経った同一車種が18台もグリッドに並ぶ迫力は凄まじいものがあった。 僕もこの中程にいるのだが、今は無き赤い16V。
この時に関東遠征組に惨敗した我々関西チーム、火が付いたね! あれから2年、僕は訳あってエボ、2007年は上の写真を上回る22台以上のエントリーがあった。
下馬評はベスト10
エントリー台数22台。 この頃、毎年ヒートアップするこの大会でこの年(2007年)も数々のドラマがあった。 レース前、エントラントのメンバーを見ながら正直狙うはベスト10、あわよくば6位表彰争いに食い込めれば御の字だと思った。 2月に買ったエボで出来る限りのことはやったとは言え、8ヶ月、周りは何年もかけて熟成されたマシンばかり。
予選でセカンドロー
だがこの8ヶ月、コツコツと作り上げたマシンの性能は僕の予想を遥かに越えるポテンシャルを秘めていた。 その片鱗は予選で早速現れる。 大イベントならではの超過密スケジュールで予選時間はわずか10分! インラップとアウトラップを含めると、、、 真剣にアタックできるのは2周程。 みんながクリアラップを取れないように自分も満足な走りはできなかったが、結果は1'35.167の当時としてはまずまずの自己ベストで4番グリッドを奪取した。
これだけの台数のレースでセカンドローとは・・・・ こんなこと、それまで16Vで何度も参戦してたけど、初の快挙! 決勝まで数時間、凄く緊張した。 僕の後ろには自分より実力が上の人ばかり。 正直抑えられるとは思えなかった。 セカンドローにはいたものの、誰も僕のことをマークしているドライバーはいなかった。
いざ決勝!
ここで、僕は普通ならさらに上を目指して行くのだろうが、今回ばかりはどう走ったらいいのかまったく分からないまま、決勝を迎えた。 決勝のグリッドに付いた時に、自分がタイヤの空気圧を落とし忘れていたことを思い出した。 予選で思っていたよりタイヤが熱を持ったので、決勝はもうちょっと圧を下げようと思ってたのに・・・・
まったく、なにやってるんだ、自分、、、って思った。 こりゃ〜ダメだなあ・・・ なんて思いながら、バックミラーを見るといつもは前を走っている車がズラリと並んでいる。 この状態で、いったいどういう走りをすれば良いのだろうか・・・ そんな中、無情にもスタート時刻は迫る。 3分前の表示から5秒前までは記憶が無いくらい。
波乱のレース、2度に渡るスタート
5秒前になって慌ててギアを入れシグナルレッドからブラックアウト! 無我夢中でクラッチミート、一瞬遅れたが前の車をかわし1コーナーへ。 アウトから1台にかわされたが4位キープのまま2から3コーナーへ。 激しい団子状態のまま立ち上がったそのとき、1台がリアのグリップを失った。 その瞬間、先頭3台が多重クラッシュ。 1周目から赤旗中断で、再スタートとなった。 1歩間違えば自分も巻き込まれたはず。 本当に奇跡的に無傷だった。
コース整備の間、再スタートまでしばらく時間があった。 その間に大分気分が落ち着いた。 熱くなり過ぎると危ないぞ!! と自分に言い聞かせて2度目のスタート。 前には2番グリッドのマシンが1台だけ。 予選トップのマシンと、3番グリッドのマシンは2度目のレースには進めなかった。
そして2度目のスタート。 タイミングバッチリ、1コーナーを抜けてバックストレートを立ち上がった時、前に車がいなかった。 え? なんで? なんで? うそやろ? と言いながら必死に走った。 何この車? なんでこんなに曲がるの? なにこの安定感? この時レースを始めて10年くらいだったけど、トップを快走するなんてほんとに初めての経験だったから・・・・
まさかこのまま?
気がつくと残り3ラップ、バックミラーに映る第2集団との差は縮まらない。 もしかして、このままオレ、勝っちゃうのか?? エエのか? オレなんかがチャオイタのウィナーになって・・・・
そしてチェッカー
最終ラップ、最終コーナーを立ち上がってコントロールタワーで自分の為に振られるチェッカーフラッグを見た瞬間、ジーンと来た。 レース前、ベスト10に入れるかどうか真剣に悩んだ。 即席で作り上げたマシン、しかもまだ発展途上の韋駄天号、それがまさか表彰台、まさか優勝なんて。 2007年はチャオイタリア史上最も波乱のレースだった。
チームメイトが車を壊したり、手放しでは喜べない状況だったけど、僕と一緒に車選びから始めてここまで作り上げてくれたショップの社長には本当にお礼を言いたい。 正直、ここまで素晴らしい車に仕上がっているとは思わなかった。
パワーよりもセッティング
16Vで戦っていた頃はパワーを追求することばかり考えていた。 でもエボになって車高を考え、ロールセンターを修正、スタビ等でロール剛性を高めた。 キャンバー、そしてアライメントを徹底的に煮詰めた。 今回は本当にエンジン、駆動系はノーマルで、足周りを徹底的に改良した。 その辺のノウハウを持つショップの社長のアドバイスは的確だった。 決勝では1'33秒台を刻んでいた。
レース後、みんなからの祝福、本当に嬉しかった。 いい年したオヤジがこれほどまでに熱くなれる仲間がいることを本当にありがたく思った。 2007年のレースは、本当にいろんな事があったけど、そのレースに勝てたと言う事は素直に喜びたいと思います。 この年は、僕にとって本当にいろんな事があっただけに、感慨深いものがありました。
上の写真はチェッカー直後のもの。 白が僕、2位の赤は現在デルタ界の最速16Vと称されているコルソマルケ社長のマシン。 彼を抑えてのチェッカーは後にも先にもこの2007年のチャオイタリアだけ。 この写真、僕にとってはとても想い出深い写真なんだよね、、、 真ん中に写る女性は僕の嫁さん(笑) 抱きかかえるのはこの年に生まれた次男だ。 右に佇む白いレーシングスーツを着る男性は、僕の親友で当時最大のライバルだったデルタ乗り、彼は1度目のスタートで僕の前に出てクラッシュに巻き込まれデルタを壊した。 本当に明暗を分けた。 その後、彼も2台目のデルタで復活している。
この年の僕の優勝が、後の関西のデルタのレースシーンにおいて革命となり、増々チューニングが激化していくのであった。
チャオイタリアでの優勝はこれが最初で最後、現在はレース活動を休止している。 この時僕の前に立って縦を持っているのは長男5歳、今は中学生ですよ(^^; 彼が僕のデルタに乗ってサーキットを走れる歳になるまであと5年、、 もう言うてる間ですね。 いやいや、絶対に渡しませんよ(笑)
次回は、さらなるパワーアップ計画です。
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Posted at
2015/09/12 02:05:31