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亡霊師ーのブログ一覧

2019年11月18日 イイね!

本田宗一郎さんは やっぱ凄い人だった

免許を取らせない・買わせない・運転させないという、若者の権利を無視した押し付け教育の象徴が『三ない運動』だ。自己保身に走った教育者と思考停止した大人たちが繰り広げた昭和の暗黒面は、今や消滅しようとしている。
事なかれ主義の極致
事の始まりは、1980年前後のバイクブームによる事故や暴走族の増加だ。これによって「バイクは危険かつ反社会的な乗り物」という、バイクに対する否定的なイメージが社会で醸成された。
これを理由として82年に、社団法人全国高等学校PTA連合会という団体が、『高校生の生命を尊重する』観点から、『バイクの免許を取らせない・バイクに乗せない・バイクを買わせない』という、いわゆる『三ない運動』の推進を決議したのだ。

バイクメーカーはもちろん、物事を正しく考えられる大人たちは当初から『三ない運動』に反対してきた。
本田宗一郎さんは「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と当初から異を唱えたし、何しろこれは自主的な規制であり法律や条例ではない。だからこそ91年の東京地裁で「三ない運動は違憲」という判決さえ出ているのだ(当たり前だ。免許取得は法律で保証されている国民の権利だろう)。
バイクに乗りたいのならば学校に来るな!?
ところが、それで『三ない運動』がなくなったのかと言えば、そうではなかった。『校則』という学校独自の規定で、二輪免許の取得を禁じたのである。
要は「文句があるなら当校に来なくて結構」というロジックだ。希望する進路や家庭の事情などで、好きに学校を選べない子供たちの弱い立場を利用したのである。

こうして、綺麗事を並べ、事なかれ主義による自己保身に走った教育者の支配体制は確立された。
地域によっては「クルマに乗せてもらわない」を加えた「四ない運動」や、さらに「親は子供の要求に負けない」などの項目も加えるという、非常に頭脳明晰なスローガンを掲げたのである。
これで「我が校のバイク事故はゼロ。素晴らしい成果だ」と宣ったのだから涙が出てくる。何もしなければ何も起きないのは当たり前ではないか。

その正反対に、バイク通学を認める代わりに早くから学校や警察が連携して交通ルールについての授業を徹底すると決めた、神奈川県のような事例もあるにはあったのだが……。
「82年には328万台だった日本の二輪車市場が、2018年には8分の1にまで減少した大きな要因として『三ない運動』が大きく影響している」というホンダの八郷隆弘社長のコメントが『三ない運動』の弊害を象徴している。

 バイクが売れなくなっただけではない。最近の運転マナーの低下を超えたレベルの運転モラル崩壊も、学校での交通教育を怠ったことが遠因という見方もできるのではないだろうか(交通事件を起こし報道される40代は、まさに『三ない運動』全盛の80年代後半~90年代前半に高校生だ)。
Posted at 2019/11/18 22:53:59 | トラックバック(0) | 日記
2019年11月08日 イイね!

昔は・・ 赤色の車は禁止だった! って知ってる?

昔は・・ 赤色の車は禁止だった! って知ってる?



昔、日本では「赤いクルマ」が禁止だった
 実は日本でも昔、クルマに塗ってはいけない色がありました。その色とは、スポーツカーなら定番中の定番、好きな人も多いであろう「赤」です。情熱の赤、レーシングレッド、イタリアンレッド、などの言葉とともにスポーティーなイメージがあると思います。魔除けの赤なんてのもありますが。

 日本で赤色のクルマが禁止されていたのは1960年頃まで。60年近く前のことなので現在はもちろん大丈夫ですが、赤が禁止されていた理由は一体何だったのでしょうか。
禁止の理由は「紛らわしいから」
 その理由は「緊急車両(消防車)とまぎらわしいから」。運輸省(当時)が民間車両のボディーカラーとしては認可せず、事実上市販車には使えない色になっていたのでした。

 「いくらなんでも消防車と見間違えること、あるかなあ……」と現代の感覚では思ってしまいますが、国土交通省の統計データによれば1960年の自動車保有台数は全国で約290万台しかありませんでした。2010年代の保有台数はおよそ8000万台前後ですから、その数はウン10分の1。そんな時代のことですから見慣れない赤いクルマが走ってきたら「消防車だ!」と慌ててしまうかもしれないのも無理はなかったかもしれません。
「赤」のクルマが許可されたのは「本田宗一郎さんのおかげ」
 ではなぜ、運輸省が重い腰を上げて「赤いクルマを売ってもOK」になったのでしょうか。その影には、本田技研工業(ホンダ)の創業者、本田宗一郎氏の奮闘がありました。

 二輪車メーカーだったホンダは、1962年に同社初の四輪車「SPORTS 360」を発表しました。市販化には至りませんでしたが、翌年の「S500」につながったこのクルマは、当時最先端のメカニズムを詰め込んだオープンスポーツカーでした。

 この鮮烈なデビューを果たすために「イメージカラーは赤にする」と決め、そのために運輸省を説得したと伝えられています。そして建設途中の鈴鹿サーキットを「真っ赤なSPORTS 360」が駆け抜けて、同時にホンダ四輪時代の幕も開いたのです。

 この活動がなければ、スポーツカーは赤というイメージは定着しなかったかもしれません。真っ赤なポルシェも日本の道路を駆け抜けてはいなかったかもしれません。もしかしてタイプRの赤いロゴ、VTECエンジンヘッドカバーの赤色結晶塗装などもなかったかもしれませんね。

 ……「本田のおやっさん、ありがとう」。


車の色まで・・ 日本の運輸省の認可を変えてしまった 本田宗一郎さんは! やっぱり凄い人ですね👍
Posted at 2019/11/08 22:56:07 | トラックバック(0) | クルマ

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