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2012年09月06日

本能寺の変のときに信長が「是非もなし」とツイートした謎

本能寺の変のときに信長が「是非もなし」とツイートした謎 まだまだ未明の時分ながら、鳴り響くめざましの音に起こされたので、早起きは三文の得ということで、起きてこうして文章を認めています。

さて、皆さんは、信長が本能寺の変の勃発のときに明智光秀が謀反を起こしていたことを知り、「是非もなし」(仕方がない)と言いながら、火炎の中の帰らぬ人となったことは当然ご存知のことと思います。

しかし、信長の今までの数々の履歴を参照すると、いかに途方もない大軍に囲まれていたとはいえ、信長は是が非でも窮地を脱して、再起を図ると思うのです。
例えば、浅井の裏切りにより命からがら逃げ出した金ケ崎の場面などそうですね。
あっさりと家康を置いてけぼりにしてしまい、逃げてしまう。
まあ、こういう判断力の秀逸さが(信長が生き残り、陣頭に残れば斜陽の浅井や朝倉を倒すことは容易でしょうから)、英雄たる資質の一つなのでしょうから。
しかしながら、本能寺の変の際にはそうしたことは一切しなかった。
もう「仕方がない」といって観念してしまっているのですね。
私には信長の性格から勘案すると、ちょっと不思議なことのように思えます。
八方塞がりであったとしても、「光秀、この野郎、俺に不忠を働くか、貴様」と怒髪天を抜くごとく怒り(ちょっとは怒ったのかもしれませんが・笑)、そして自分が置かれている状況(多勢に無勢)を考えて冷静に行動したと思うんです。

明智光秀の1万3千の大軍が本能寺を囲むとなれば、観念するほかないとも言えるでしょうが、ここで明智光秀の軍勢というものに注目を払ってみたいと思います。

まず、1万3千の兵隊の規模が想像できるでしょうか。
私にはよくできません(爆)
しかし大軍勢であることは間違えありません。わが街(一丁目から合わせても明智勢には届かないかな・笑)
の人口よりも多いと考えればこれは凄まじい人数です。

ここで、わが街の人たちが、例えばまとまって行進している様を浮かべてみます。
片側三車線の大通りを塞いで行進したとしても、ものすごい長蛇の列になるのではないでしょうか。
まして、光秀の軍勢の場合、軍勢ですから徒歩の足軽などのほかに騎乗の兵隊もいるはず。

さらに、この時代の道路状況は現代とは異なり、道は狭く幹線道路でも整備状態は決してよくなかったそうです。
片側三車線程度の広さの道路というのはまずありえないと考えてよいでしょう。
また、雨により道がぬかるんだりするのは茶飯事。舗装がされていないのですから。

こんなことを考えると、京都の本能寺に襲撃を仕掛けるには京都の街を破壊しながらどんどん進撃するほかないと思うんです。
すると、当然信長はそれに気づきます。というか、これだけの大軍勢が長路行軍しているのですから、物見の一人や二人が信長に光秀軍のことを報告したはずなんです。
しかし、光秀軍は京都の街を破壊することなく、完璧なまでに本能寺を包囲し、信長を弑すことに成功しました。
この光秀の行軍に誰も気がつかなかったのでしょうか。誰もが見て見ぬふりをしていたのでしょうか。
ものすごく不思議です。

「本能寺の変」本当の謎(並木書房刊・円堂晃著)

上記書がそんな私の疑問に見事に答えてくれました。それは意外といえば意外な顛末なのですが、実に合理的な見解ですし、1万3千の大軍勢が本能寺だけを囲み(その後、信長の長男が守る二条城も襲撃します)、警戒心の強い信長を完璧に包囲したことに対する理由が、得心できます。
事件そのものを眺めるという著者の視座が見事に生かされています。

本能寺の変に関しては、私たちは共謀者の存在など、事件以外の要因を追求するあまり、光秀の大軍勢が見事に本能寺を囲み、信長を弑したという「困難な」事柄に対する説明ができなかった。いや、それすら意識していなかったのかもしれません。

私は少なくとも、本能寺の変が成功した理由については、著者の論に賛同します。
その他、なぜに信長がこういう状況に巻き込まれるに至ったかという状況については、今のところ判断然ねるのですが、著者の説明には説得力がありますね。

全国一万三千の本能寺の変考察ファンの皆さま(マテ)
の中には本著の見解を既にご存知の方もおられるでしょう。
しかし、本著の見解は本能寺の変を論ずる際の多数にはなっていませんよね。
といって、本著がトンデモ本であるとは思えないのです。
非常に合理的に導き出された論拠がある。
少なくとも私はモヤモヤしていたものが一挙に晴れた感じで、読了後は勇んでテニスとドライブに行ってきたくらいです(笑)

おっと、タイトルに関する回答をここで示すと、本著の内容のネタばらしにもなるので控えておきます。
ただ、「是非もなし」と思わず述べてしまうほどの状況で本能寺の変が遂行されたということが本著では記されています。ですので、これは本著に興味を抱いた方に対するある種のヒントです。
ネタばらしができないのは、「是非もなし」ですよね(笑)
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Posted at 2012/09/06 05:03:23

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この記事へのコメント

2012年9月6日 12:23
なるほど…

光秀の用兵に関して僕も今まで考えたことすらなかったです。

ただ、こと信長(本能寺)襲撃には光秀の計画は完璧だったと思います。

しかしご指摘にもあるように信忠(妙覚寺)への襲撃へはタイムラグがある…

現に前田玄以や嫡子三法子は京を脱出しています。

もし、信忠が逃げていたら…

織田政権が崩壊したのは信長だけでなく、嫡子信忠までもが殺されてしまったところにあると思います。

信雄、信孝以下の男子は皆他家を継いでいましたし…


話がずれて来ましたが、光秀も本能寺襲撃は完璧に計画したのでしょう。

あまりにも完璧が故に妙覚寺までは考えがあまり及ばなかった…

のではなかったでしょうか?(^_^;)
コメントへの返答
2012年9月6日 18:10
大軍に寡兵という前提を疑わなければ、用兵にまでは考え及びませんよね。
光秀の計画は変の日までの信長の予定変更さえ無ければ完璧な筋書きだったと私も思います。現に完璧に主殺しを果たしました。

思えば、今ですら丹波と山城の境は山がちで道路も良いとは言えないですし、どうやら梅雨の影響でぬかるんだ中で行軍した1万3千もの兵隊が京洛の本能寺に直行できるというのは実に不思議ですね。
京洛までには桂川があり、当時は氾濫することしばしばで、どうやらこの時期に氾濫していたらしいのです。
それを圧すのはなんとかできたとしても、かなり兵は損耗したことでしょう。さらには、本能寺の手前には堀川があり、小さな川ながら大軍が渡るには適していません。橋の絶対数が少ないのです。まごまごしていれば信長その他に気づかれます。
それでも光秀が謀反に成功した理由について私は納得しました。

著者も述べていますが、本能寺と妙覚寺への同時攻撃は作戦上の問題としてできなかったと思います。
少なくとも本能寺を片付けるまでは、信忠を攻撃できなかったのです。この点は著者と同意見です。

本能寺の変から二条城襲撃までのタイムラグに気付かない信忠ほかの連中の不審さに関しても説得力のある材料を提示してくれています(本能寺ですら全軍が勢ぞろいしてから攻撃したと言われています)。

ただ、それでも信忠は二条城に篭らずに逃走すべきだったと思うんです。そして、その点で私は著者と見解を異にします。
信忠はその性格が剛毅なのでしょうか。

仰るとおり、信忠が殺されたことが織田政権を崩壊させた一因でしょう。
信雄や信孝が羽柴に翻弄されていなければ、あるいはもう少し織田の天下は続いていたかもしれませんが。他家からの養子からまた旧に復せばいいことですしね。

というわけで、私の見解としては、光秀は明らかに狙っていました。信長を本能寺で殺すことを。
しかし悲しいことにその後のことに希望をもてなかった。
足利義昭や朝廷が光秀に味方するやもしれません。しかし、それでも版図は良くて畿内くらいでしょう。
光秀は安国寺恵瓊や上杉の魚津城に変の前に接触しようとしています。
しかし、これは羽柴・柴田を抑えるための策でしかないでしょう。
そして繰り返すようですが、私は妙覚寺と本能寺の両面作戦を光秀は取ることがどうしてもできなかったと思っています。

以上を考えると、本能寺の変は信長という主を弑すことには意味があったものの、光秀自身が甘い汁を吸う可能性はほとんどなかったように思えます。

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