• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ワルめーら@Terryのブログ一覧

2010年04月30日 イイね!

書を捨て農地に出よう!

書を捨て農地に出よう!
さて、今回は農作業のおはなしでもしましょうか。
実家が借りている農地に関するあれこれを書いてみようと思います。

私の実家は私が社会人になってしばらくの頃、東京都区内から小田原に引越ししました。
父親は東京の典型的なビジネスパーソンでしたが、小田原に引越ししてからは、
彼本来が有している新たないい面が出てきているように思えます。
たとえば、冒頭にも記しましたが、実家では箱根の近くの丘陵で農地を借りています。
工作作業が得意な人なので、手を使いながら作業を進めていく農作業などは、よほど気質に合っているのかもしれません。
そこで大いに汗を流している模様です。

この間、土ならしをするということで、私の愛車でも登坂が厳しいような場所まで行ってきました(今回は父親のカルディナGT-T一台にて現地到達)。周囲は見晴らしが実によく、遥かかなたに箱根ターンパイクが見えます。農地の周りは渓流や森に囲まれ、ホトトギスがとめどなく鳴いている実にのどかな場所です。
そこにいつ造られたのかわからない、昔話のおじいさんとおばあさんのおウチみたいな小屋があり、そこに農作業具等が置いてあります。鋤と鍬を持って、いざ農地に出陣!

父親はもともと器用な人間ですが、土ならしが上手でした。
ならすにもいろいろとコツがあるようで私もだんだんと慣れてきたのですが、いい汗をかくことができます。
私はもともと身体が頑強なので、より腰や腕が鍛えられていい経験ができたと思います。そのうちにマッチョコンテストに出てみようかなと思ってます(笑)
土を反すということがよくよく実感できましたし、タメになりました。

思えば最初に農地を借りたと聞いて、その農地に初めて行ったときは蔦が一面覆っていて、開墾するのが先という按配でした。あれから一年くらいたちますが、母親ともども仲良く農作業をしているようで、何よりだと思います。

農耕の歴史はとても古いようです。
東南アジアで一万年以上前から開始されたといわれています。茎や根から作物を増やす農法で熱帯地域に適しているといわれています。
本格的な種を植え付けて育てるおなじみの農法はというと、紀元前八千年から七千年頃に野生の麦が自生していたシリア、トルコやイランの山岳地帯で始められたそうです。
収穫した麦粒は臼でひいて粉にし、クレープのごとく焼いて食べていたようです。
ちなみに、発酵させてふくらませるパンがあらわれるのは、紀元前二千年頃のエジプトといわれています。
また、私たちにおなじみの稲作は紀元前七千年ごろに中国南部で栽培化されたといわれています。
いずれにしても想像のつかないほどの古さですね。

遥かなる紀元前から時は流れ、私たちは実に快適に簡便に農業ができるようになりました。
昔は鉄製農具ではなく、石や木や青銅器を使用していたので、今とは違った土ならしのコツがあったのでしょうね。そんなことも現在と昔を対比したときに想起されます。

さて、ここで、劇作家寺山修司の有名な言葉をパロディ化してみましょう。
もともとは「書を捨て街に出よう!」で全共闘学生運動に励む若者たちを諌めるために述べたものだとか。本当のところはよくわかりませんが、それはともかくとして。

「書を捨て農地に出よう!」

農作業のように身体を動かす作業は実際にやってみたほうが悠久の昔に思いを馳せることができてお勧めです。
私は鉄の威力というのをまじまじと感じました。鉄製だからこそ、深い部分まで土を掘って、反すことができるのだなということを強く意識しました。
自動車のある部分では、アルミやカーボンなどが素材としていいのかもしれませんが、やはり基本は鉄なんだなということを認識いたしました(笑)
このような具合に、いろいろと考えを深めることができますし、健康にもいいです。
作業後の一服は最高です。
皆様も是非とも農地開墾してみてくださいね!

Posted at 2010/04/30 12:11:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出 | 日記
2010年04月29日 イイね!

新聞・テレビと縁のない人間です

新聞・テレビと縁のない人間です
今日は旗日なんですね。そして、もうゴールデンウィークなんですね。
私はテレビや新聞を見たり、読んだりする習慣がないので、なんとなく、世間に充満している独特の空気のようなものを読み取って、はじめてゴールデンウィークなんだなといったことが了解できるんです。

私自身はゴールデンウィーク中は、普段と変わらず、仕事に励み、遊びに励みます。今日は仕事です。楽しんできます。
長期休暇をとられた方は思う存分楽しんでください。めいいっぱい遊んでください。
通常どおりお仕事がある方も、新緑が香るとてもよい季節ですし、楽しんで仕事をしてくださいませ。
いずれにしても、皆様すべてにとっていいゴールデンウィークでありますように。


さて、私は新聞やテレビは読みませんし、見ないのですが、もともとそうだったわけではないんです。新聞は高校くらいまではよく読んでいた気がしますし、テレビも中学まではよく見ていました。だんだんと興味がなくなってきたんです。
理由はよくわかりませんが、読む気もないし、見る気もないんです。

書籍はよく読むのですが、新聞の文字情報というのがどうも波長が合わないようです。映像自体も興味はあるのですが、テレビのように一方的に情報が流れるような状態だと、どうも見る気がしません。
まあ、個々人の勝手なので、私が新聞やテレビを利用しないところで大した問題でもありませんが。マスメディア批判なんてする気は毛頭ございませんのでご心配なく(笑)

私はマイペース人間なので、受動的な情報というのを好まないのかもしれません。新聞ならば、自分なりに見解を考える暇もありますが、テレビ情報でがんがんと情報の大波を受けると、ちょっと嫌な気分になります。
幸い、妻がテレビ好きなので、なんだかんだいって、テレビを通じた情報というのもそれなりに把握していたりはするんですけれど(笑)

てなわけで、新聞は購読しなければ済みますが、我が家にはテレビが鎮座しております。妻がワンセグ対応の携帯電話を購入するかもしれないということなので、とっとと購入してくれないかなとひそかに思っております(笑)
いずれにせよ、現在の受像機の場合、来年度以降の受信はできなくなりますけれど。

私はどちらかといえば、アナログな人間だと思いますが、新聞やテレビを欲しないということは相当なアナログ人間なのかなとも思います。自分がまるで19世紀初頭くらいの人間のような気もしてくるのです。
Posted at 2010/04/29 01:11:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | エッセイ | その他
2010年04月29日 イイね!

KP61が身近にあったころ

KP61が身近にあったころ
この明るい蛍光色のようなグリーンでまとわれたKP61スターレットを見ていると、
幼き頃に我が家にあった、KP61を思い出す。

色合いはもうちょっと暗めだったように記憶しているけれども、まさしくライムグリーンだったことをよく覚えている。こういう原色をフルに活かした色というのは、80年代のハイソカーブームのときにいったん消滅したかに思えたが、最近はまた多様な色がラインアップされていて非常に嬉しく思う。

我が家のスターレットはハコスカ(GTだった)の後継機だった。
なぜ、KP61にしたのかは知らない。親に聞いたこともないし、別に興味はない。
ただ、KP61でいろいろなところに連れて行ってもらったという記憶だけは濃厚に残っている。ただ、それだけで嬉しい。
まるで蛙みたいな色だなと思っていたけれど、今の時点で改めてKP61を見ると、すごく懐かしく愛おしい。

親父は都内に転居したのち、長らく自動車を所有しなかった。
そして、落ち着いて温暖な土地に引越ししてから、再び自動車に乗るようになった。
軽自動車だったり、フランス車やドイツ車だったりと実に一貫性のない自動車選択だが、とりあえず今のところは210系のトヨタカルディナで落ち着いているようだ。
20年以上隔てて、ようやくトヨタ車に復帰したということになる。

親父自体はハコスカが忘れられないようだ。またR34のリアテールのようなデザインも好きなようだ。
彼の考えていることはよくわからないが、おかげさまでいろいろな車種を味わえた。
そのことに深く感謝したいと思う。
殊にKP61は私の幼少期の環境には常にあった自動車なので殊更に懐かしみや愛着を覚えるのだ。










Posted at 2010/04/29 00:41:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2010年04月29日 イイね!

産湯の記憶

産湯の記憶
「このお湯は熱いのでやめてくれたまえ」

生後まもなくの私は、両親や祖父母に対して、そのように訴えた。
しかし、彼らは、私が泣きじゃくって、この子はお湯が熱いんだなと、非常に優しい愛らしいまなざしでもって、私を見つめるだけで、私の言葉はついぞ届かなかった。私自身、言葉を発しても、泣き声という形でしか彼らに伝わらないということを了解した。

産湯での経験で、私は今でも非常によく覚えている。
私はその時に、別の世界に来たんだなあと思ったことを今でもかなり明瞭に思い起こすことができる。
三島由紀夫みたいなエピソードだが、私には産後の産湯の記憶が非常に明瞭に残っていて、今に至るまでその記憶は非常にしっかりしている。
私が発した言葉が伝わらなかった瞬間に、私はそういうものなのだなという感想を得たことをよく覚えている。

これが真実であろうと幻想であろうとどっちでも良いのだが、私は以後、ごくごく普通に幼年時代を過ごし、思春期を過ごし、今に至っている。
ただ、産湯の記憶だけが濃厚に残っているだけに過ぎない。その他、幼少期の記憶のいくつかは明瞭に覚えているのだが、ここでは紙幅の都合もあり記さない。

私は別に三島のような神童だったわけでもなく、ごくごく平凡に両親に愛されて成長してきたと思う。学業は優秀なほうで、運動も得意だったが、それは神童という領域といえるほどではないように思える。
こうした記憶を秘めながらも、私はどんどん成長していった。

高校時代から徐々に異性にもてはじめ、私の青春時代は順風であった。
私は特段にこの世界の根源だとか小難しいことは普段は考えずに、悠々自適の青春を過ごしていた。ただ、産湯の記憶の件を含め、ごくごく小さな頃の記憶が私に濃厚に残されているため、この世の中の仕組みというか、自分という存在はなんだろうという悩みにも同時に忙殺されていたことは事実である。
ただ、それらの悩みは学校生活での日常に差し障りがあるわけでもなく、私は一方で青春時代特有の異性への深い関心を有しつつ、時折、自分自身の存在について思いはせることが大だった。だから、私にはかなり明瞭な二面性があったと思う。

私は大卒だが、もともと大学空間に行く気などなかった。ただ、働いているうちに、大学という空間で様々な人々と出会い、自分なりに成長できるのではないかという予感があったため、大学受験をすることに決めた。その中には、大学に行けば、異性との出会いがもっと増えるんじゃないかなという下世話な期待もあった。
結局、私は受験する大学を絞って(受験料が高かったから)、幸いにも合格した。
そこで、勉学の面でも人間関係の面でも異性との付き合いの面においても、実に素晴らしい経験をすることができた。その頃は産湯の記憶について改めて思い馳せるということは少なくなっていた。「今が楽しければいいじゃない」と私は割り切っていたのだ。
私は学業の成績も幸いなことによく、大学院もパスできたが、結局のところ働くことにした。何がやりたいというわけでもなく、大学を卒業してから、することはとりあえず就職かなという意識だけで、私は社会人となった。
初めて入社した会社では海外研修があり、私はそこで大いに自分を評価していただいた。それはすごくありがたかったのだけれど、私には何か欠けているという意識がぬぐえなかった。
以後、いろいろな職種を転々とするようになったのだが、このように転々とする自分は何なんだろうと思い始めたときに、産湯のときの記憶が蘇ってきた。

私は生まれる前から何らかの意図を持って、この物質世界でワルめーらという人間として生まれたのだろうと推測した。そして、この物質世界で生きる意味はなんだかわからないけれども、ひとまず自分自身ができることを精一杯やるのが一番ではないかなと思うようになった。根拠はないのだけれど、私はそうすることがもっとも自分にとって良いだろうと推測するようになったわけだ。
ただ、時にはこの生存の意味がわからず、私は死という場面を強く意識するようになったこともある。しかし、結局のところ肉体的な滅亡が永遠の存在の抹消にはならないと確信していたから、私は意味づけはともかく、とりあえず生きようと考えた。

近頃になって、私は素直に、生きることは素晴らしいことであって、死というものは原理的に存在しないという確信を抱くようになった。つまり、肉体としての終焉があったとしても、存在としてのワルめーらは永遠に生きつづけるのだろうという確信が強まったのだ。そして、その確信を深めたのは、生後まもなくの産湯のときの記憶ではないだろうかと思う。あの時、私は確かに自分自身で明瞭な思想を持っていたし、それを言語化することもできた。

てなことを書いてみたけれど、実際はどうであれ、私は今現在を楽しく生きようと思っている。焼酎もボトルを開けるほど飲んだけれども(三日に一度くらいはそうしているのだ)、私の信頼する知人の見解によれば、私は酔うと客観的に自分の立場を持っていく素質を持っているらしいから、だったら、飲んだ時に思ったことを書き連ねるのも一興かなと考えた次第。
というか自分はつくづく酒が強いんだなと改めて感じている今日この頃。
遺伝ではないと思うんだよな。祖父母はほとんど飲めないし。









Posted at 2010/04/29 00:09:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出 | 日記
2010年04月27日 イイね!

富士にこころときめくヤマトのわたしたち

富士にこころときめくヤマトのわたしたち
少なくとも、関東や東海の人々にとって富士山といえば、その名前を聞いただけで、雪をかぶった裾野の広い山がありありと頭の中に瞬間的にイメージされる。それだけ脳内にがっちりと根を張っている対象ともいえる。

そもそもなぜ私たちは富士山に格別な感慨を持つのだろう。
富士山は霊峰として信仰の対象とされてきたし、富士講というものが江戸時代にはやった。神様である富士山を拝みに組織を作って諸国から富士山まで旅するというものである。
だが、山を霊峰とみなす傾向はわが国ではごくごく一般的で、富士山だけに限ったことではない。奈良の三輪山なんて、山自体が神そのもので、その信仰は今に至るまで続いている。おそらくその歴史は神武天皇を祀る橿原神宮より古いと思う。

話を三輪山についての話に移そう。
ヤマトをはじめとする外部から来た勢力や大和内部の各勢力の分布が明確になる前から、三輪山への信仰はあったと思う。それは、日本的なアニミズムの信仰のもっとも古い形かと思う。いまでは、大神(おおみわ)神社という立派な社格の社殿があり、大いに信仰を集めているが、昔は鳥居もなかったし、社殿というものも存在しなかったであろう。山そのものに人々は神性を見出してきたのだ。日本人の宗教性を規定するとすれば、この素朴な自然に対する信仰がベースとなっているといえる。そして、アニミズムゆえに実に多種多様な要素を進んで受け入れる柔軟性を持っている。仏教しかりキリスト教しかり。
ただし、大もとは変化していないのではないか。
ちなみに三輪山自体は緑に覆われた丸っこい山で標高の高い峻厳な土地というわけではなく、この点で富士山とは対称をなす。奈良では知らない人はいないであろうが、関東の人間には馴染みがあまりないように思える。

さて、富士山である。
富士山は独立した山系のため、その裾野が非常に広い。裾野付近は広大な森林に覆われ、日本によく見られる里山的な風景とは一線を画する。
稜線が明確なことと、非日本的な風景であることが、上古の昔から日本人に富士山に対する格別な意識を生じさせたのではないかと思っている。

富士山麓の道路で、みんなが楽しげに富士山が見えるといって、シャッターを盛んにきっている。微笑んだ表情が実に素敵である。
彼らを惹きつける要素というのは、自然としての風景の美しさだけではなく、彼らの奥底にある魂が深く富士山と共鳴するのかなと私は思っている。
富士山と魂との共鳴といえば、私もそうなのだが。

余談だが、昔、栗本慎一郎が、富士山は古代ピラミッドだったみたいなことを述べていた。
どうかなとも思うけれど、富士山にはそう思わせるだけの独自性や神秘性があるのかなとも思う。

まあ、富士山が見えるだけで心が高揚してしまうだけでも私たちの僥倖であって、深くは考えないことにしようか。眺めて楽し。これで十分であろう。
Posted at 2010/04/27 10:22:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 旅行/地域

プロフィール

「検討 http://cvw.jp/b/730895/47671995/
何シテル?   04/22 13:54
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2010/4 >>

    123
456 78910
11 12 1314 15 1617
1819 2021 22 23 24
2526 2728 29 30 

リンク・クリップ

子連れ向きの海水浴場 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/23 09:42:28
最近のクルマ系YouTube 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/07/26 10:45:43
長野TRG 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/07/26 23:09:42

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI 涙目だけれど笑顔号 (スバル インプレッサ WRX STI)
34万キロエンジンオーバーホール歴無しの全国周遊マシン👍 黄色くラッピングされた給油口 ...
スズキ スイフトスポーツ 鈴木の運動車 (スズキ スイフトスポーツ)
ノーマルのスイフトに加えて、二代目のスイフトスポーツを購入。 5速マニュアルのチャンピオ ...
スズキ スイフト 佐藤ではなく鈴木号 (スズキ スイフト)
怒涛の加速を見せながらも包み込まれたような一体感を持つインプレッサの魅力に加え、 軽量で ...
トヨタ スプリンタートレノ TOYOTA TRUENO AE92 (トヨタ スプリンタートレノ)
リトラのライトに愛嬌があった。 個人的に好きな2ドアクーペでもあったのもよい。 特性とし ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation