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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2022年08月29日 イイね!

房総駱駝 飲め飲め地元祭 イチジクのかき氷

房総駱駝 飲め飲め地元祭 イチジクのかき氷【房総駱駝なるもの】
房総駱駝と漢字四文字で書くと、古えの西域地方に生息していた駱駝を彷彿させてくれ、非常に歴史的浪漫をそそるのだけれども、千葉県外房にある御宿で、駱駝がなんちゃらの詩を謡った等で御宿の名をたからしめている駱駝のことを述べているに過ぎない。しかも、駱駝はたしか常駐はしておらず、駱駝の像があるだけ。という程度の認識しかないのだけれど、御宿自体は好きだ。

【サザエが蓋をしたごとく】
御宿は太平洋に面しあらあらしい波を堪能することができる。
幼少期は湘南や伊豆、内房でなければ、外房や福島いわきなどの外洋で海水浴をすることがもっぱらで、海といえば、あらあらしく波しぶきをあげるイメージが浮かんでくる。波の引きも強力でいわき辺りでは盆を過ぎると、海岸沿いの施設自体がサザエが蓋をしたごとく、おとなしくなっていたことを覚えている。
江の島辺りの密密密とおよそ好対照であった。
香川出身で愛媛在のとある執筆者は、私を松山郊外の海際に誘い、島が無数に浮かぶ瀬戸内海こそが、海であるといっていたが、そのように環境が人間の価値観を規定するのだろう。




















【初の機械洗車】
目指したわけではないけれど、結果的に、というか、ともかく夕方に御宿に着いたのだが、水着の持ち合わせが無かったので、サンダルに履き替えて海岸線と多少の浅瀬を歩いた。
そこは太平洋の波らしく、きまぐれに腰のあたりまでうねりを挙げてきたりする。最終的には昔ながらの銭湯を改修しきれていない(それゆえにグーグルマップで低評価を得ていた)木更津のお風呂で潮っ気を落とし、そして、インプレッサも初の機械洗車で省力化。
もはや、手洗いにこだわるわけではないけれども、あの巨大なエアインテークとリアスポがあるので、なんとなく自分では機械洗車をしにくかった。ついでにいえば、サイドバイザーの割れているし、云々云々、まあ、旧いクルマなのである。
アクアラインをゆっくり走行しても木更津市街から一時間ほどで帰宅できる。木更津はウチから思いのほか近いのだ。外環道ができたとはいえ、関宿や銚子の人が木更津に行くとすればかなり大変だもんね。




【実は薔薇十字団の】
実はこの日は太宰治が逗留時に通っていた甲府の銭湯に行こうかなとか、あれこれ思案していたのだけれど、天気予報をチェックした結果、房総が良いという結論に達した。道が渋滞していたりして、結局は房総半島をアクアライン経由でないルートで向かうことにした。
23区でも城南地区住まいの私にはかなりの迂回路なのだけれど、
考えてみれば、昔は東京湾フェリーを使用するか、ぐるりと東京湾を一周して、ようやく館山や鴨川、九十九里などに行っていたものだった。
なお、フリーメーソンにも影響を与えたとされる薔薇十字団は姿を変え、ここ房総の地にも逗留していたそうで、そのことも久方ぶりの房総行きを私に決意させたのであった。ま、薔薇十字団の痕跡が日本にあるはずもないけれどね。すなわち、うそぴょん。






















【ずっとバック いや~ん】
房総の内陸部は離合は可能だけれども、やや狭めの道路が縦横無尽に走っていて私好みであるが、そういう営みをすっかり忘れてしまっていた。久しぶりに挿入しようとしたけれど、どっちがどっちの穴だっけみたいな一瞬の戸惑いを見せる程度には久方ぶりであった。
昔はガンガンと狭い道を突っ込んでいったものだけれど、特にインプレッサでは保守的な運転をするようになってしまい、これではアカンと思い、房総半島内陸部に無数にある狭い道(西日本の酷道に比べればかわいいもの)をチャレンジすることにした。久しぶりにUターンもできない道路に出くわし、数キロバック。
しかし、諦めずに外房の某ダムにも立ち寄ったりした。
















【かなり】
翌日は夕方くらいまで家に籠っていた。が、散策だけでもしておこうと外へ出ると、久し振りに祭が開催されていた。
先週に土浦の居酒屋で飲んだばかりであったが、飲酒解禁。勢いで同じく近所の居酒屋で飲み直し。随分飲んだかも。
祭に関しては、若年層が中心になって企画したものだと思う。基本的に若い街なのである。いわゆるおしゃれな雰囲気が漂っているのだけれど、東京音頭をみんなで踊るような盆踊り大会のようなものを個人的には好んでいる。が、場所がないか、我が街は。























【イチジクのかき氷】
月曜日は少し前から千葉にある布施弁天の東屋に行こうという話になっていたので、またもやインプを始動。桃の季節は終わったようだが、イチジクが本日から入荷したようで、値段は千円を優に超えるけれども、食べてきたぜ。イチジクのかき氷を。
そのうちに、どんどん涼しくなってきて、おそらく九月下旬くらいの涼風が吹くようになったが、そんなときに熱いお茶を持ってきていただくお心遣いがありがたい。ここは赤いロードスターで初来訪して以来、ちょくちょく訪れており、顔を覚えられるくらいにはなった。当初は高台から筑波の山々を眺めたりする心地の良い風致が特徴であったが、さらにテラスを新築し、植生物をセンスよく配置することで、すっかり人気店になったようだ。




















































【ああ、また】
筑波山は利根川の後ろに鎮座している。もう隣は茨城県で、柏市でも外れの地域にあるがゆえに、柏市街よりも、茨城(守谷等)との結びつきが強い。
「ああ、また茨城か」
と心中思いつつも、利根川越え。
で、勢いで筑波山を目指すも、長居をする暇が無かったので、つくばエクスプレスの万博記念公園駅(秋葉原まで直通)駅前の駐車場入口のポストにお金を入れて、ホテル隣の喫茶店でしばし寛ぐ。
が、例の方は現れなかった(笑)
To my regret,the man never showed up..
なお、岡本太郎の作品についてはよくわからないけれど、彼の考え方にはとても共鳴していることをお伝えしておこう。


















【85年の思い出】
つくばといえば、1985年のつくば科学万博のことは今でも思い出すなあ。閑散としたチュニジア館のことを(笑)
神奈川(87年にバブル前夜の東京に越してきたのであった)から遥々つくばまで来たものの、人気パビリオンは人があふれかえっていて、空いているところに入ろうということで、チュニジア館に入ったわけだけれど、私とアラブとの接点は或いはこのときが原点なのかもしれない。
トルコからエジプトまで中東の人たちとは随分と仲良くなったし、アフガニスタンやパキスタンといった人たちのアパートで民族料理を振舞ってもらったりもした。その後はイラン大使館やトルコのジャーミーに行く機会もできたのだから、
チュニジアという地中海沿いのイスラム国の一つのことを印象深く刻んだことは私の人格形成に何ほどかを与えたに違いない。






【メシ】
つくば市のはずれにある「笹」でカツを食す。ここも、試乗会から宿泊先に向かうときに見つけた場所で、散策ツアーのコースでも向かったお店である。
閉店間際で入れないかなと思ったけれども、セーフ。
水海道(みつかいどう)駅の看板を見て電話をしてみたが、別のところに繋がってしまった。
水海道かあ。いかにも豊穣、過分に豊穣であるがゆえに、龍のような荒々しさで、水流が陸地を浸食していく様が想像される地名である。竜ヶ崎という地名も布施弁天で龍の伝説があるのも、関東がいかに水浸しだったかということを傍証としているような気がする。関東が沃野となったのは江戸になってからと云われているが、今でも水海道の辺りは洪水に見舞われることがある。























【佐竹は美人を】
てことで、またもや、茨城である。
鎌倉時代には既に常陸の国に盤踞していた佐竹氏は関ヶ原の戦いののち、秋田に移封されてしまう。秋田に行くとクオリティの高さにびっくりする。
、関ヶ原の戦いで西軍の実質的中枢であった石田三成と懇意であった佐竹氏が秋田にいざ移るときの伝説が私にはおもしろおかしいのだ。
佐竹は秋田移封の腹いせとして、領内の女性のうち、美人だけを秋田に引き連れたというもので、こういう面白い言い伝えをポリティカルなんとか等で、滅却されていくのは本意ではない。
仙台・水戸・名古屋の日本三大ブスという虚構的なからかいも近頃は聞かれなくなったし、イケメンという言葉が許容されるのであれば、ブスなんて言葉はなんともないと思っている。当人の前で言うのは憚られるけれども。

【擬制】
ちなみに、「美人=よい」とは思っていないけれども、逆に悪いとも思っていない。
そんなものはどっちでもいい。
ともあれ、秋田美人が輩出される理由としては、一年の日照時間の短さや大陸との関係性を指摘する声もあるが、これは興味があって、個々人の好みはあるとは思うけれども、秋田のレベルは断トツで、何が言いたいかというと、地域性と美人(多分に主観や歴史的・地域的な美人の概念により規定はされる)に興味があるのだ。
人間の属性などどうでもいい。
どこからどこまでがその人間の境界線なんだ?
属性は言葉と同様、便宜的に対象を区分けするために構築された擬制に過ぎない。


















Posted at 2022/08/30 00:51:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年08月23日 イイね!

スイスポ ミッション載せ替えます

スイスポ ミッション載せ替えます昨晩、日産の方が自宅まで来てくださり、スイスポを引き取りに来てくださいました。

保証(無料だけど)に入っているとはいえ、ここまでやってくださるのかと思うと、現行ノートのマニュアル(設定があるかどうか不明だけど)が中古になったら買おうと思っちゃったりして(笑)
でも、ホントはZ34ニスモがいいかな、なんて(笑)

さて、金曜日辺りから、ミッションをスズキが主体となり、リビルト品に載せ替える作業をします。
そう、リビルト品交換だったらしいです。全バラはさすがにないだろうと思いましたが。

標準スイスポでもお世話になったメカニックさんからのメールの引用です。

「今回の修理の内容は、
トランスミッションをリビルト(再生)品への交換対応となります。
リビルト品は専門のメーカーさんが分解・点検・部品交換を行い、
組みあがった物を弊店工場にて車両に取り付けます。」

なお、このようなご指摘もありました。以前、診ていただいたときにも同じことを言われたのですが。

「ギヤ抜けに関しては、基本的にシフト操作のしかたによるものが大きいと思われます。
しっかりペダルを踏み切った(クラッチがしっかり切れた)状態でのシフト操作、
しっかりシフトできていない半勘合状態等が無い様に気を付ける等が大切かと思います。
シフトしたつもりで、ギヤがちゃんと入っておらず、
クラッチをつなげた時にガシャーと鳴るケースです。
また、シフトダウン時にあまりにも速度差があると、しっかりクラッチを切っていても
シンクロで吸収できずギヤ摩耗を起こす原因となります。
これは、高速ギヤから間を飛ばして一気に低いギヤにシフトすると起こります。
シフト時にシャーとか、ギャギャっと鳴ってしまう様な状況は、
多少なら問題ありませんが、その度に少しずつギヤが消耗していくので、
長いスパンで見ると、いずれギヤ抜けを起こす原因となります。

クラッチレリーズシリンダのオイル漏れの件は
○○様からも伺っており、今回一緒に交換予定です。」

「運転のしかたは、ワルめーら様がどうではなく、
以前のオーナーがどうであったかで
当然乗り方で機械各部の消耗度合いは異なるので
その辺りは中古車ではしかたの無い部分かと思います。」

確かにその通りなのですが、乱雑に扱われていた形跡もなく、購入当初にわりとぶん回していたので、ある程度摩耗していたものに追い討ちをかけてしまったのかもしれません(笑)
ただ、32.5万キロのインプレッサのミッションをシコシコシフト操作しているのにも関わらず、相変わらず元気ですし、基本的に私が乗るクルマは長持ちする傾向にあるんですね。ミッションもOHしてませんが、時折、レッド付近まで回ります(回します×)。
とはいえ、真相は闇の中ですね(笑)









なお、ワゴンRの球切れについて、みにいかさんから、以前、ご教示くださったスズキ特有の球切れ現象についても、それとなく質問してみました。

「ストップランプは、ソケットの接触不良の可能性があります。
現在は部品が変更され、球切れし難くなっていると思います。
ワゴンRはソケットの部品を交換できますが、
ZC31Sは対象外なので、おそらく切れ易い事は無いと思われます。
よろしくお願いします。」

やはりソケットの接触不良なんだ(笑)
義父が所有していたワゴンRも、リコールがあれば対策品に交換されていたでしょうが、そういう話も聞かないので、ソケットの接触に難があるんですね。
そしてたしかに、ワゴンRと年式の近い、同時代のスイフト(半年ほど保有)や今のスイスポには球切れが起きなかった(起きていない)ので、スズキの普通車はセーフなのかな(笑)









【おまけ】
多摩地区だけど東京03地域の狛江市。隣接する世田谷とは異なり、かなり郊外の印象を受けます。
昔ながらの住民同士の繋がりも深く、のどかな街です。












小田急和泉多摩川駅付近の和泉という地名の語源になった泉



Posted at 2022/08/23 23:09:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | スイスポ
2022年08月22日 イイね!

千葉も茨城も 千葉編 三里塚とかつての成田空港駅

千葉も茨城も 千葉編 三里塚とかつての成田空港駅千葉に対して最大限尊敬している私は、千葉に対してエピソードを交えて最大限の賛辞を記したつもりでした。偉大なる異界であります。

千葉も茨城も 茨城編 朝まで土浦・仮釈放・夜も土浦

『「東京」「ドイツ」「村」なんていうネーミングを些かの衒いもなく使用する千葉は私にとって異界でした。
当時の足車であったホンダのNS-1で江戸川を越えて市川に入るとマックスコーヒーという甘ったるい飲料がほぼすべての自販機に設置されており、東京東部(なかなかなハードボイルワンダーランドでした)以上にやる気のあるヤンキーさん達が闊歩しており、バブル期に親父が佐倉の新築物件の抽選申し込みに行ったときに、私は「あんだてめぇ、どっからきたんだぁぁ」という勇ましい掛け声をお声がけしてくださりました。異界の人にもコミュニケーションを取ろうとする千葉の人たちの温かみを知ることができたというわけです。
さすがは鎌倉以前からの豪族千葉氏が盤踞していた土地柄だなと感心しました。
ちなみに、抽選には当たりませんでした。億ションと化していた実家からフロンティアスピリッツで歩みだすという人生経験をすることはありませんでした。』

臆面も無く、というよりも、ネズミ島はともかく、その他の地域の折々で、「東京」という符牒をごくごく自然に使用している点に、素直さや純朴さを看取しています。千葉県は北から下総・上総・安房という三つの国に分かれていましたが、古来、武蔵国(東京・埼玉・川崎市・横浜市)よりも先進的な地域であった可能性が高いとされています。昔は舟運が主流であり、また家康の江戸入部までは関東平野はどろどろべちゃべちゃな大湿地帯だったので、たとえば、江戸や品川の湊よりも、木更津等にいったん辿り着いてから、下野(栃木)や常陸(茨城の大部分)、上野(群馬)と交通することの方がどうも主流だったらしいです。
東京なんて、明治になってからできた人工的な地名なんですから、チバリーヒルズや千葉フォルニアのように、どうか自信をもって「千葉」という名称を使っていただきたい。
鎌倉期以前から盤踞している豪族千葉氏は板橋辺りも勢力下に収めており、力関係は今とは真逆。

昔、ペリーが浦賀ではなく木更津に上陸していたらと嘆息していた千葉県民の方がいましたが、ここは面白いところで、その後は陸路も発達するので、いずれにしても神奈川が発展していたでしょうし、仮に発展していても、今のような格安な土地の値段は生じえなかったことでしょう。
アクアラインができる前は半島経済という言葉もあったくらいでしたし、半島は陸が交通のメインになるとどうしても不利になってしまいます。

昔、千葉の我孫子に母方の祖父母が住んでおり、クルマ(KP61か赤いファミリアだったと思います)で我孫子に向かう途上、成田近辺を通過するときに、とても厳しい検問が行なわれていたのが印象的でそれ以来、三里塚というのは気になっていました。
実際に20年くらい前までは三里塚の空港建設反対派のニュースが割合と頻繁に流れてきましたし、とても気になっていました。

数年前に三里塚公園という小さな公園を見つけて、立ち寄ったところ、闘争とは別にして、かなりの枢要な地であることがわかりました。また、みん友さんのお住まいがあることもわかりました(笑)
三里塚には和洋折衷型の皇族の迎賓館があり、昭和40年代まで使用されていたようです。外観だけなら見学することができますし、見学する気がなくとも、ボランティアの方にナンパされます(笑)



















また、今の上皇が皇太子だった戦時中、皇太子用に防空壕が建てられたことも事実のようです。実際に上皇が立ち寄ったという記録は残されていないのですが、
ともあれ、残されていて、こちらも見学可能です。
どうも、東条英機の反対で上皇が三里塚に避難することは取りやめになったという話もあるようなのですが。九十九里浜から米軍が上陸するという憶測も当時あったみたいですしね。










































空港が隣接している今となってはこじんまりとしたのんびりした公園ですけれど、歴史の一断面が濃縮に詰まっているんですね。資料館もあります。











続いて、私がずっと行きたくて行けなかった芝山鉄道線で東成田駅に行くという夢がかないました(前回は芝山千代田駅の駐車場付近のタイヤトラブルで、紆余曲折があり、結果的に中2さんにお会いすることになりました)。東成田駅というのは以前は成田空港駅と呼ばれ、殷賑をきわめていたようで、私も利用したことがあるかもしれません。覚えていませんが。
今は閑散としており、成田空港駅時代のままの状態(手入れはしているものと思います)で、ホーム一面が時代からぽつんと取り残されている様子を見ることができます。
ちなみに、東成田駅は今でも運行されていますが、列車の到着を知らせるアナウンスは一切ないので、くれぐれも白線の内側に下がったままにしてくださいね(笑)
今でも駅として残されているのは、需要がゼロというわけではないからですが、まあ、空港に向かう駅だった頃に比べれば、非常に寂しく、朽ちかけ始めているエスカレーター等もあります。もともと芝山鉄道線自体が空港建設用地提供の代償として鉄道建設された路線なので(ただ、現在でも芝山千代田駅までしか伸びておらず、今後伸びる可能性はゼロに近いかと思います)、その辺りにも成田空港建設にまつわる政治性や歴史性を感じられます。
近頃では乗車記念証の配布(無料)や記念乗車券も販売しており、京成とつながっているので、都心へのアクセスも(結局、東京か)良好なので、変わっていく可能性もあります。
廃墟的なものを期待する方には物足りないかなと思いました。が、空港建設にまつわる政治性や歴史性も堪能したい向きにはお勧めできます。
なお、東成田駅ではICカードが使えますが、芝山千代田駅では一切使えず、
次回、私がどこかのICカード対応の鉄道に乗るときはそのことを申告しなければなりません(笑)



















































































もう一点、今の私は反体制の闘争が好きなんです。昔はそういう騒ぎ(?)があまり好きではありませんでした。だいたいにおいて中核やら革マル系やらが絡んでいましたし。ただ、今は政府の失態に関してもせいぜい茶の間で批判する程度で、どうにもこうにもなすがままにされているとしか思えません。それで国民国家が崩壊するのであれば、私としてはよろこばしきことですが(国民国家の歴史もせいぜいナポレオンが活躍して以後のことで、そこに歴史的普遍性はないと思います。国民というのは作られた存在に過ぎません)。

三里塚闘争

というわけで、茨城とは異なり、千葉では、成田空港というものをテーマに散策していたわけです。今では新東京国際空港って言わないんでしたっけ?
東京という符牒が無くなったことは千葉らしくないかもしれませんが、千葉のオリジナリティを高める意味ではよいことかもしれません。
しかしながら、逆にいえば、羽田空港に国際空港としても役割をどんどん奪われるわけで、そうなるとあの辺を喜び勇んでいくのは、適度なワインディングが続く道を走りながら、三里塚闘争時代を偲ぶ私のような人間だけということになるような気もします。

富里のでっかい施設の傍を通りました。もしも、成田空港の地盤沈下が進んだら、アカスリも予約無しで簡単に入れちゃう(今でもそう?)ということになるかもしれません。
いずれにしても、三里塚を含めた成田空港というのは業の深い地域だなと思います。
Posted at 2022/08/22 14:27:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年08月22日 イイね!

千葉も茨城も 茨城編 朝まで土浦・仮釈放・夜も土浦

千葉も茨城も 茨城編 朝まで土浦・仮釈放・夜も土浦「東京」「ドイツ」「村」なんていうネーミングを些かの衒いもなく使用する千葉は私にとって異界でした。
当時の足車であったホンダのNS-1で江戸川を越えて市川に入るとマックスコーヒーという甘ったるい飲料がほぼすべての自販機に設置されており、東京東部(なかなかなハードボイルワンダーランドでした)以上にやる気のあるヤンキーさん達が闊歩しており、バブル期に親父が佐倉の新築物件の抽選申し込みに行ったときに、私は「あんだてめぇ、どっからきたんだぁぁ」という勇ましい掛け声をお声がけしてくださりました。異界の人にもコミュニケーションを取ろうとする千葉の人たちの温かみを知ることができたというわけです。
さすがは鎌倉以前からの豪族千葉氏が盤踞していた土地柄だなと感心しました。
ちなみに、抽選には当たりませんでした。億ションと化していた実家からフロンティアスピリッツで歩みだすという人生経験をすることはありませんでした。

三里塚公園の元皇室の迎賓館や今の上皇が避難する可能性もあった防空壕、資料館と芝山千代田鉄道の東成田駅(元成田空港駅)を見学してきたのですが、時間軸を逆転させて茨城編から。
そう、結局、月に数度は茨城に行っていることになります。例の関ヶ原の戦いののちの佐竹疑惑もありますが、きれいな人も多いですし、夕方の都心は密密密なので、県南地区の主邑である土浦に向かうことにしました。

刺繍は陳寿の「三国志」の中にある「魏志倭人伝」を参照するまでもなく、日本(縄文系)の伝統でもあります。海洋民族であれば鯨身をするわけです。
そうした文化や伝統様式を護っている人たちが外風呂にも入れない昨今のマスによる抑圧はいかがなものかと思います。
近代社会は大衆が力を持ち過ぎた時代であると私は思っています。
超音波を堪能できる温泉に長野の温泉街にあった超音波温泉で買ったタオルを握りしめ、浴室ですれ違うときに「スミマセン」と極めて日本的な礼儀を保ってお声がけくださった若い文身の方は、例えば、反〇などという具合にカテゴライズされて排除されるべきなのでしょうか。思えば、中世の頃から体制外のものとしてやくざものは排斥されてきたのが日本の歴史でした。常に外部的存在であったのです。このことは考えた方がよくよく思案したほうがいいですね。外部的存在だったがゆえに怖いという認識が先だってしまう。たしかに、そういう面も見たことがありますが、同じ血の通った人たちであり、外風呂での排除の構造という
のは差別だと思います。平たいおっぱいを平たいというだけで、そしてまた、でかパイというだけで賛美するような短絡的な思考がまかり通っています。憂国の士として、この点を憂慮するものであります。




※イレズミお断りの文言は止むに止まれぬオーナーの決断であると思います

さて、そんな憂国の念に対するあっ靴晴らしのために、急遽ホテルを予約して、以前、来訪したことのある居酒屋さんに行くことにしました。場所柄、ご近所さん率90パーセント
というお店ですが、覚えていてくださったようで、閉店時間前に辞去する予定だったのですが、閉店時間後はお酒や食事もご馳走になり、常連さんも交えて別のお店で楽しんできました。カラオケも久しぶりに歌ったなあ。
ビールオンリーとはいえ、20杯は飲み干したかと思います。お酒はほとんど飲まなくなったのですが、もともとお酒には強い人間だったこともあり、影響はほとんどありませんでした。朝方近くまで飲んで、自家発電をしてから就寝。


































霞ヶ浦を周遊しつつ山に行こうと思ったところ、高級車や旧車の一群を発見しました。チバラギオフの人たちの一部で、某さんのおつとめまえのお別れをされていたようです。昼食や食後のスイーツを食べるために、プチツーリング状態になり、のどかな県南地区を走りました。
途中でミニバンにホーンを鳴らされたのですが、お店に急いでおり、ご尊顔を拝見する余裕がありませんでした。伏してお詫び申し上げます。今度、つくばからカレーを仕入れて参りますので。


































小高い頂き(別名ヤマシ山)に登り、筑波山を眺めたりして、かれこれ小一時間。
例のスカイラインの方とは暗くなるまで有識者会議を開催しておりました(わりとまじめな話)。

※中2さんのブログ
えっ……😨

久し振りにたくさんお話ができてうれしかったです。

















このときに私の中に「このまま帰宅するのは、私自身が大衆の一人に身をゆだねることになるのではないか」と思いが沸き立ち、またもや土浦へ(笑)

お風呂とお風呂を堪能しました。つまりはお風呂二連投です。すっぽんぽん大好き人間ですので。原初の人間が裸体であったということにはそれなりに意味があるとは思うので、私はそれを追体験しようとしているわけで、他意はありません。人間は服飾を発明しましたが、防寒という合理的な目的だけで、服飾が生じたのかどうか。このことを直感的にでも検証するために、私は裸になるのです。
心も裸も満タンに。


















さて、土浦にはつくばから流れてくる桜川という心地のいい川があり、桜町という市内随一の繁華街沿いを流れているのですが、そこで夜風を浴びるのが好きなんですね。
そして12時を過ぎると桜町の灯りも一気に暗くなります(居酒屋等の灯りはありますが)。その明暗を堪能するのも好きだったりします。
トルコのことを思い出し、思考も飛んでイスタンブールにまで思いを馳せました。



なお、今回は常磐道を使わず、恐れ入り谷の鬼子母神の入谷から首都高に乗りましたが、そういえば、カラオケの替え歌で、葛飾方面の地名をちりばめてみました。
居酒屋のママが昔住んでいたようです。




Posted at 2022/08/22 13:15:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出 | クルマ
2022年08月17日 イイね!

窓枠の高さって大切だと思うんだ 高過ぎず低過ぎず

窓枠の高さって大切だと思うんだ 高過ぎず低過ぎず雷雨予想もあったけれど、予想に反してピーカンな東京。
首都圏の民族大移動に巻き込まれることなく、都心に帰宅。
盆の大移動に加わったのって何十年ぶりかのことかもしれない。

今日見たいに蝉が87匹鳴いているのを聴くと、家にいてもこっちは暑いなと感じてしまう。もうそこら一帯に椰子の実を植えて、みんなでアロハシャツでも着ればいいと思うのだけれど。

ワゴンRに貧乏補修(^_^;)
のワゴンRについて。

義父母宅の駐車場に入庫する際に、右側のブレーキランプが点かないことを発見。叩いても復活はしなかった。
だが、その後、復活したので、バルブの寿命が近いってことだろう。
ところで、ハロゲンバルブは生と死をはっきりと意識させてくれるような気がして人間臭さを感じる。
実際のところは省電力で長寿命なLEDの方が私は好きだけれど。
若しくはHID。もはや「あの人は今」的な存在になりつつあるHIDである。ディスチャージである。キセノンである。ちなみに、インプもスイスポもHIDで、当時の最先端だったんだよな(遠い目)

ところで、ワゴンRはコラムシフトである。
私は他のドライバーよりも、停車時にニュートラルにしたがる人間なのだけれど、DレンジからNに入れるときにRにいったん入れてしまうことがある。
が、ほかのコラムシフト車ではあまりなったことがないので、要は慣れであろう。
それはともあれ、コラムシフトの足踏みパーキングって、あまり好きではない。フロア式がいい。そしてできるならば、センター部は高く盛り上がっていたほうがいい。なぜなのだろう。

また、窓枠も今のクルマのように高い位置に置くのではなく、窓を開けて腕を添えられるくらいの高さがちょうどいい。そうするとステアリング操作で疲れた腕を少しでも休められると思う(両手を絶対に添えなければならないとは私は思わない)。ワゴンRはそれが絶妙だった。
インプが疲れないのは、腕を添えられる程度の高さに窓枠があることも一因としてある。スイフトもまあまあ楽かな。
あとはパワーがあるので、さして踏み込まなくとも、走行するのが容易なことも一因であろう。だから、インプってサルーンだと考えている面もある。スバルのクラウンだ。スバル版メルセデスだ。

仔細は述べないけれど、アドラーのいうところの「課題の分離」が自分の心ではどうしてもできずに疲労困憊していた。
役場での手続きの後に併設の図書館の主に郷土資料等が豊富な階で司馬遼太郎の「二人の軍師」を読んだ。司馬は偉大だ。こういうときにでも取り敢えずは頭に入るのだから。





弩ストライクを頂戴できるであろう、ローカルなレストランで遅めの昼食(早めの夕食)。昭和54年から続いている老舗である。
ここは本当にうまい。うまいというよりも敢えて言葉で表現するならば、非常においしい。その他に語彙が浮かばないくらいである。
















※欧州のクルマの販売店やらチューナーの店と関係があるのかしら

そして、店内の調度や雰囲気を通じて、昭和50年代の日本を思い出した。
過去の郷愁に惑溺することは差し控えたいが、ユーミンの歌を思い出した。
涙が出た。ウソ。どうしても涙が出ない体質になってしまった。
思えば、泣き虫だったことはないし、私はどこかで自分の感情を抑制する習慣を身に付けてしまったのかもしれない。










※四速マニュアルで手巻きウィンドウ
錆が心配ではある

Posted at 2022/08/17 13:23:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | とりとめもないこと | 日記

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何シテル?   04/22 13:54
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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