どうもぉ~。
梅雨の中休み的ないいお天気。
だが、しかし、明日から天気が悪くなりそう。
洗濯物も今日中に済ませて干しておきましょう。
貴重なお天気を楽しみましょうね。
相変らず高齢者の運転する車の事故が多いですね。
何人の犠牲が出たことでしょうか?やっと東京都では安全装置に対して。
補助をするとか、動き出しました。
この状況を自動車業界はどう考えているのでしょうかね。。。
何処のメーカーさんが最初に対応するか気になるところです。
こんにちは、マイペースな「ズボラなおじさん」です。
さて、「ズボラなおじさん」の旅は続きます。
気仙沼市内の幹線道路をチャーターしたタクシーで移動します。
タクシーって・・・観光バスのような大きなタクシーです。
気仙沼市観光センターを後にして、次に向かったのが。。。
津波の脅威を後世に伝えるため、辛い気持ちを堪えてあえて残した建物。
「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」へ向かいました。
まだまだ。復興事業は続いているようです。
海抜の低いところは、海岸より高くするため嵩上げ工事が続いています。
津波が到達した低い場所は、今後住居が建てられない「禁止区域」となり。
住宅を奪われた方々の中には、今なお仮設住宅で生活されているそうです。
場所は、気仙沼市の沿岸にとても近い区域にかつてあった海洋高校です。
そこが、遺構・伝承館として残されています。
入り口には、校門跡の塀と学校名の看板が残されているだけです。
中に入ると、広い校庭があります。
入り口から遺構・伝承館に入ります。
大震災は、平成の時でしたが。。。
受付には「令和」の文字が。
時代の流れを感じるのは「ズボラなおじさん」だけでしょうかねぇ。
遺構・伝承館の全体の見取り図になります。
被害が大きかったのは、南校舎です。
4階建ての立派な校舎ですが・・・。
津波は、4階の床上30cmぐらいの所まで押し寄せたそうです。
想像をはるかに超えた高さです。
津波の爪痕。
流れてきたがれきや建物や自動車が激突して。。。
校舎のコンクリートが破壊されてます。
※ご気分が悪く成った方は、スルーしてください。
校舎の1階、2階部分の有様です。
大木やら学校に合った教材などが、今なお津波の爪痕として残されています。
幸いにして、当時は大学受験や就職活動などで、生徒は居なかったそうです。
これは、校舎の3階の教室の中です。
津波で流されてきた自動車が、校舎のベランダを突き破り。
教室の中に入ってきて留まった状態が残されていました。
かつての学びの教室は、破壊されていました。
人間が出来る仕業ではないことは一目で分かります。
自然の破壊力の凄さに、鳥肌が立ちました。
かつての教科書、参考書が散乱したままです。
壊された、校舎のガラス窓(ガラスはないけど)流れ込むそよ風に。
教科書の表紙が揺らめいていました。
4階にあった、津波の到達位置を示す説明版。
校舎4階の破壊された外壁。
学校近くにあった冷凍工場(のコンテナー)が激突したそうです。
工場にあったコンテナーの保冷用のスポンジが散乱していました。
どうするとこうなるのでしょうか?
ただただ、あぜんとするばかりでしたね。。。
コンテナーが激突した校舎4階の外観です。
厚さ30cmはあろうかと思う、校舎の外壁が粉砕されてました。
屋上に上がりました。
今いる南校舎の後ろには、かつて体育館があったそうですが・・・。
今はその体育館の屋根は崩れ落ち、跡形もなくなっています。
左側の写真が、かつての体育館。
右の写真が、この屋上へ避難してきた職員が取った津波に飲まれる体育館。
屋根が崩れ落ち、ぽっかり穴が開いている体育館。
虚しいですね。。。
これは、南校舎の裏側にある北校舎だそうです。
南校舎が、防波堤となり被害はそれほど大きくはなかったそうですが・・・。
津波が押し寄せた時の画像が残っていました。
一面、津波が巻き上げてきた泥水であふれています。
恐ろしい光景ですね。
この屋上へ避難してきた方達は、教員や工事関係者だったそうです。
外部から、その時の避難していた方達を映した貴重な画像です。
屋上へ避難された方は、北校舎の被害の少ない教室で。
カーテンなどを体に巻き付け、一晩を過ごしたそうです。
今は、穏やかな太平洋の海。
かつての生徒やここで暮らしていた方達も見ていた海の状態ですかね。
まさか?このような惨事を想像しては居なかったでしょうね・・・。
とても複雑な気持ちになりました。
ふと、空を見上げると。。。、
大空を優雅に飛翔する1羽のトンビか?鷹の姿が目に入りました。
上空から我々に何かを伝えようとしているかのようです。
「人間どもよ、この自然の驚異を後世に伝えなさい」
「決して忘れてはいけないよ」って言ったかどうかは分かりませんが。。。
この遺構・伝承館として残された校舎とかつての光景が交錯します。
「鳥さんあなたはどんな、当時の光景を見ていたのでしょうか?」
この場所での探訪はもう少し続きますが。
続きは、次回に持ち越します。
この遺構・伝承館には当時を経験された「語り部」の方が居られます。
そのお話も交えて、お伝えしたいと思います。
どうも、最後までお付き合いありがとうございました。
災害は何時襲い掛かるかわかりません。
備えあれば憂いなし・・・普段からの備えが大切です。
ではでは。