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2011年05月19日

岡林信康の時代 ~アンチ権力性の最後の華たる70年代~

岡林信康の時代 ~アンチ権力性の最後の華たる70年代~ 団塊世代の青春でありましょうか、フォークの神様の岡林信康のコンサートチケットをいただきました。
私は昭和の人間ではございますが、さすがに岡林信康のフォークを聴いて、青春を過ごしたという世代ではないので、とりあえず親父(団塊世代)に連絡して、行く気があるようなら渡してくることにしよう。

さて、私が岡林の存在を知ったのは、とある執筆家が不定期に配信しているニューズレターを通じてであった。だから、名前は知っているが、実際のところ、どのようなことをしたのかということを極めて明瞭に思い浮かべることはできない。
類型化はしたくないが、当時の時代風潮の象徴のような行動をしていたように私には思えてしまうのだが、どうなのだろう。

岡林が活躍しだしたと思われる70年代といえば、高度経済成長とその後のオイルショックの時代にあたる。学生運動は新左翼運動などが盛んだったが、やがて収縮していき、80年代のノンポリ礼賛の時代へと続く。私はこのノンポリ礼賛の光景を幼い目で冷ややかにみていた。
むろん、ニューアカブーム(浅田彰を覚えていますか?)もあった。
難解な思想書が大学生を中心に売れた時代。
が、それも一つのファッションとして記号化されてしまう。平和な時代といえばそのとおりだろう。ほとんどの学生はもてたいがために、浅田の『構造と力』などを手にぶら下げていたという。

岡林の活躍した70年代は、ちょうど新左翼運動が衰退しつつある頃に活躍したとみてよいだろう。全共闘運動が盛んなのはやはり60年代後半だろう。安田講堂事件は69年。学生運動の頂点は70年代に入る前にピークを迎えていた。
ただし、まだ権力への反抗の残滓は残されている時代だったとも思われる。
あさま山荘事件が起きたのは70年代初頭である。よど号ハイジャック事件もあった。
反権力の闘士たちの権力性が露呈されてきた時代だ。
そして、あの頃は毛沢東主義だとかさまざまなコミュニズムの形態が生まれ、コミュニストの間にも対立があった。たとえば、日本共産党の民青と全共闘ブントとの反目など。ちっぽけなセクトごとの争いごとで、主張にしても微細な差のようにも思えるが、私は批評はしない。人が保持する信条や信念を尊重するのが私のポリシーだから。

もっとも、市井の大衆はブントだの革命だの反動的だのといった言辞など、どうでもよかったのだろうが。
というわけで、岡林信康というと、こうした時代性と共に考えてしまうのだが、その音楽性とはいかばかりなものか。フォークの腕というか、聴き手を魅了してしまうような弾きを醸し出していたのだろうか(そして、現在も!)。
聴いてみたい気もするが、フォークギターといえば、親父の十八番だったベンチャーズを生で聴いたくらいだし、私にはやはり70年代の日本の思想状況が覆いかぶさってしまう。それが岡林にとって幸いなのかどうかはしらない。
私が勝手に岡林に70年代のフォークという連想を巡らせて、ノンポリ世代に至るまでの最後の熱烈さのようなものを感じ取ってしまうだけだ。
それは岡林が人当たりのいい明るい人間であっても、名前くらいしか知らない私にとって、「岡林信康」という名前は70年代の最後のアンチ権力性のヒーローという記号として解釈してしまうのだ。







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Posted at 2011/05/19 01:31:18

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この記事へのコメント

2011年5月19日 5:42
私も岡林信康はリアルタイムできていたわけではありません。学生運動とも無縁でした。
岡林の歌はメッセージソングとして聞いていました。「手紙」「チューリップのアップリケ」「山谷ブルース」などです。しかしそこに左翼思想を感じていたわけではありません。
たしかに岡林の歌は私に社会の中ある理不尽さを教えてくれました。でも、私にとって彼は、あくまでもフォークシンガーの一人なのです。
コメントへの返答
2011年5月19日 10:06
もしも、彼のフォークから、左派的な思想性を敏感に感じられるとすれば、彼がフォークの神様と呼ばれることは無かったと思うのです。単なるアジテーターに対して、人々は支持しないでしょう。なぜなら、日本は右肩上がりで豊かになっていった時代ですし、一部を除けば、実はイデオロギーなどどうでもいいという意識が強かったようにも思えます。
いわゆる、マルキシズム(それらすべてがイコールマルクス・エンゲルスの思想とは思いませんが)への傾倒は、インテリと一部学生だけのカーニバルだったのではとも思います。大衆はもっと平和で健全でありました。安保も成立し、核の傘の下で希望ある未来を過ごしていたと私は思います。

こうした経済成長による物質的豊かさの肯定に対するカウンターカルチャー・アンチテーゼとして、生まれたのが教会である実家での出来事に違和感を感じ、活躍中も失踪を数度試みた岡林を、カーニバルのヒーローにしたてあげたのかなとも思うんです。物語(人生)が劇的ですし、またフォークでとりあげる題材も、カウンターカルチャー・アンチテーゼとして賛美されやすかった。

以上は私が勝手に考えたことに過ぎません。時代の空気をかぎとっていませんから、どうも等身大ななまの岡林を思うより、社会背景とともに、彼を考えてしまうのです。仮にいま岡林のフォークを聴いても、音楽やメッセージに対する評価や共感をするやもしれませんが、それと縷々述べた70年代的雰囲気と岡林信康という存在が共存していたことについての興味は、まったく別個のものとして並立しているままだと思います。

現在50代の母も高校時代に運動ごっこ(学生運動)とは無縁に岡林を聴いていましたし、究極的には岡林のフォークの魅力そのものが支持されたのだと思います。

尾崎豊も同じような語られ方をされるかもしれません。大人への違和感を拭えない若者の心情の代弁者として解釈されるでしょうし、彼の曲や歌そのものの魅力が語られることもあるでしょう。彼ら二人は音楽そのものだけでは語り尽くされない。だから、偉大なのでしょうね。
2011年5月19日 7:04
岡崎信康かと思いました(爆)
コメントへの返答
2011年5月19日 10:20
私と同じ臭いがしてまっせ(笑)
岡崎信康を思い出してしまうのは歴史(特に戦国)好きの宿命ですね(笑)
彼が長生きしていたら、将軍になれたのか。或いは結城秀康のようになっていたのか。
家康の慎重さから言えば、やはり秀忠を後継としてしまうんでしょうか。

えー、岡崎信康とは徳川家康の長男で、謀叛の嫌疑を信長にかけられ、若くして亡くなりました。
結城秀康は次男で、結城家に養子にいってました。「秀」の字は豊臣秀吉から賜ったもので、同じく若くして亡くなりました。
三男秀忠は恐妻家(あのお江です)で、一度だけ他の女性に手を出してしまい、産まれた息子が、白河藩の始祖となりました。大変優秀な人物でした。
以上、試験に出るので、受験生は要チェック(笑)
2011年5月19日 11:24
先日 この年代あたりの話を職場でしていました

私は日本赤軍に興味を持ち そのやからと同じ年代になった時 彼らは何故こんなに熱かったんだろうか?と本を読んだりしていました

犯人をでっちあげる冤罪も多かった
コメントへの返答
2011年5月20日 4:15
元最高指導者で逮捕された重信房子はこんなことを語ったようです。
「世界を変えるといい気になっていた」「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」
といった事柄です。ウィキからの引用。
この発言を見る限りでは、若さゆえの自己肥大化した精神しか見えませんが、
連合赤軍は、国際根拠地論という理論を背景に活動していました。
簡単にいえば、資本主義諸国だけではなく、
形ばかりで官僚主義化している社会主義国に対しても、革命で倒し、世界革命を成し遂げようという壮大な理論です。
世界を変えられるんだという使命感や達成への情熱が少なくとも重信の行動のモチベーションでしょうね。
学生運動はその超縮小版みたいなものだと思います。さんざん運動をして大学を機能不全にしておいて、いざ卒業となれば、資本主義の悪の象徴の企業勤めするような人間に比べたら、少なくとも理論上での一貫性はありますよね。行動もより具体的ですし。
エネルギーのある純粋な若者だったのでしょう。擁護する気は毛頭ありませんが、広邁なイデオロギーに恋してしまった。それが、たまたま国際根拠地論に基づく、世界革命だったんでしょうね。
それも一つの生きざまなのだなと思います。
背負った罪とは別として。


日本赤軍に関してはテロ指定は解除されていたと思いますが、まだ逃走中の三名の手配は解除されていません。生きているとすれば、いまどのような心境なのでしょうね。
私は直接聞いていたいです。

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何シテル?   06/26 17:44
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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