• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ノイマイヤーのブログ一覧

2026年04月17日 イイね!

2025年式ムーブRS感想文

2025年式ムーブRS感想文「♪んむーぼぉぅん」のCMでお馴染みの新型ムーヴはダイハツが約3年ぶりに発売する新型車だ。
認証不正が発覚し、品質確保のための総点検や認証再受験で社内がぐちゃぐちゃになる中、発表直前だった開発が最終段階にあり発売を待つだけだったムーヴはコールドスリープさせられてしまう。

2025年6月についに発売となった新型ムーヴは
「今の私にジャストフィット 毎日頼れる堅実スライドドアワゴン」をコンセプトに設定した。



1995年の誕生以来、スズキワゴンRと共にハイトワゴン(全高1600mm前後)市場を牽引し「普通車顔負けの軽」というキャラクターの中心的役割を担ってきた。特に1998年にデビューした新規格の2代目は新規格によるサイズアップをユーティリティアップに最大限活用し、軽規格のワゴンとしての立ち位置を明確化していく。

進化の過程で4気筒を積んだり、「裏ムーヴ」を謳った過激なローダウンカスタムや、癒やし系ムーヴ・ラテ、前席優先のムーヴ・コンテなどの派生車を産みながら発展してきた。



この流れを変えたのはダイハツ自らが生み出したタントである。スーパーハイトと呼ばれる1700mmを超える全高により子供が車内で立ったまま着替えが出来るほどの室内空間を得た。2代目タント以降はセンターピラーレスの大開口スライドドアを特徴とする現代のフォーマットが完成した。

ホンダがN-BOXで殴り込みをかけ、スズキと三つ巴の戦いを繰り広げる中で、ムーヴやN-WGNやワゴンRなどのハイトワゴン群はスーパーハイトの影に隠れた存在として浮上できない状況が続いていた。

「背が高けりゃ高いほど好きなんだろ?」と言わんばかりにスーパーハイトより背の高いウェイクを出したところ、CMはめちゃくちゃ面白かったのに思いのほかヒットせず販売を終了しており、
スーパーハイトというサイズ感が絶妙なバランスの上に成り立った現代の黄金律である事を物語っている。

スーパーハイトには子供を載せ、室内で立たせたり、後席を畳んで自転車を積んだりと生活の道具としての機能を磨いた機能重視の立ち位置があるが、現代のハイトワゴンは後席よりもむしろ前席を優先したベーシックなパーソナルカー的な立ち位置が相応しくなった。



ハイトワゴンは例えば燃費を磨いたり、内外装を磨いたりして新規需要を開拓してきたが縮退傾向は変わらなかった。この流れに一石を投じたのはダイハツが2016年に発売した「ムーヴ・キャンバス」である。キャンバスはムーヴをベースに可愛さ全開のキャラで新境地を開拓した。ツートーンカラーの塗り分け位置や丸いエンブレムはどうしても西ドイツのあのバスを想起してしまうのだが、両側スライドドアである事も大きな特徴だった。全高は1655mmとスーパーハイトよりも低めてあり、後席には人を乗せると言うよりも引き出し式のラク置きボックスを使えばスライドドアを開けて荷物をサッと簡単に置くことができた。キャンバス自体は女性のカワイイものが欲しいというニーズと、自動車を共有する親世代の便利な車が欲しいというニーズを合体させたもので従来ならミラココアのようなファッション性重視のモデルとムーヴのような実用性のあるハイトワゴンを掛け合わせた車だ。

アルトスライドスリムを除くとekワゴンが片側スライドドアで貨客兼用モデル以外として初めてスライドドアを軽乗用車に持ち込んだ。以後、スライドドアはスーパーハイトワゴンと組み合わされて急速に市場を席巻するのだがいつしか「スライドドアでなければ車では無い」という程のスライドドアへの支持が決定的になっていく。

人々がスライドドアの便利さを知ってしまった以上、従来型ヒンジドアであるがゆえに選ばれない状況が散見されるとメーカーとしてはいつまでも見て見ぬ振りをする事ができなくなっている。ダイハツの調査によれば2024年時点でスライドドア車のシェアは6割である。





話を新型ムーヴに戻そう。新型ムーヴもヒンジ式ではなくスライド式に改めた。先行するキャンバスがシェアが傾向のムーヴと同等の車高でありながらも、ハイトワゴンの世界にもスライドドア(時代のトレンド)を持ち込むことで再び選ばれるようになった。コストが、とかサイドレールが露出して美しくないなどのネガティブな面を一旦脇に置いた甲斐があったというものだ。個人的には驚いたがダイハツにとっては横開きバックドアを立て開きに改めた時のようなものでサラリと変えてしまった。



さて、ムーヴのメインターゲットは中高年である。先代ムーヴで人生経験を積み、過剰さのない丁度いい車にまとめようとしている。軽自動車全体の中で5割がスーパーハイトであるが、残る3~4割は未だにハイトが占めているので決して軽視できない。

元々セダン系と比較して広さを売りにしていたが、現代におけるハイトワゴンが提供する広さは「当たり前の広さ」となった。ローダウンカスタムがあるわけでもなく、特別豪華な内外装でもないので少々つまらないと感じる人もいるかも知れないが、それはキリッとした端正な佇まいとも言える。そこにダイハツが持つ新世代DNGAプラットフォームを適用し、走りがグッとアップデートされている。燃費性能と確保したまま走行性能を底上げした。

広い意味でムーヴの中で女性を中心とした需要にキャンバスを、シニアを中心とした実用重視の需要にムーヴを据えた役割分担になった。ムーヴはあくまでも実用の道具という観点で使い道のない目新しい飛び道具よりも、使い方がイメージしやすい装備に限られている。例えばスライドドアの予約ロックやウェルカムオープン機能などスライドドアを活かした装備やスーパーUVカットガラスや先進安全機能である。

3代目ムーヴではレーダークルーズコントロールを採用するなど時代の最先端を行っていた時代もあるのだが、軽自動車は高速道路のロングツーリングより生活道路を走るケースが多いことをよくわかっていて車線変更時の後続車の存在を知らせるBSMのライン装着は省かれてディーラーオプション扱いになっている。ムーヴはあくまでも過剰にはならず、程々を選ぶ。その狙いは車両価格を安く抑えるためである。ターゲット層は男女ともにムーヴを乗り継ぐようなロイヤルユーザが多いので、軽自動車が安かった時代をよく知っている。だからこその堅実な仕様設定なのだ。



個人的にはRSグレードがおすすめ。自然吸気で選ぶなら割高なGではなく、Xで十分。ただしナビが非常に高価なのでディスプレイオーディオで割安に済ませるのがいいだろう。久々のFMCという事手伝って出だしは好調で、徐々に街で見かけるようになってきた。課題は「軽のナンバーワンを目指すためにベストを尽くし、いいものを世に出そうという姿勢」が退化したようにも思える事だ。
しかし、意外に良い走りを見せるのは程よく肩の力が抜けているからなのかも知れない。
Posted at 2026/04/17 22:51:06 | コメント(2) | クルマレビュー
2026年03月31日 イイね!

トヨタ博物館企画展「What’s JDM?-世界が熱中する’80-’90年代の日本車-」

トヨタ博物館企画展「What’s JDM?-世界が熱中する’80-’90年代の日本車-」トヨタ博物館企画展「What’s JDM?-世界が熱中する’80-’90年代の日本車-」

~公式紹介文~
JDMとは「Japan Domestic Market」の略で日本国内市場のことですが、
現在ではアメリカやイギリスを中心に日本車をカスタマイズしたり、日本国内専用車を輸入して楽しむ日本車文化のことをJDMと呼んでいます。

1980〜90年代、日本の自動車メーカーは世界トップの技術を載せることに挑戦し、電子制御、高性能エンジンなど、革新的な技術を次々と実用化していきました。これらの技術は、現在の自動車開発にも大きな影響を与えています。また、デザインの面でも、空力性能や視認性、安全性を考慮した機能美を追求したデザイン、シンプルでありながら個性を持つスタイリングは、今なお多くのファンを魅了しています。しかし、当時は海外で欧州車ほどの評価を得られず、技術者たちは悔しい思いをしてきました。

それから数十年が経ち、当時の日本車が持つ高い技術力、洗練されたデザイン、そして信頼性が再評価され、世界中の自動車ファンから注目を集めています。今回の企画展では、多くのファンを魅了し続けている1980〜90年代の日本車約10台を「当時の最新技術」「独自のデザイン」「小さな高性能」の3つのテーマに分けてご紹介します。展示車両は日本車の魅力をより伝えるべく、当館所蔵のものに加え、国内自動車メーカー7社と日本自動車博物館のご協力を得て、特別にご提供いただきます。この展示を通して、日本のクルマが持つ独自の価値、またクルマは日本が世界に誇れる文化になるという想いを、ぜひ感じていただければと思います。


・・・てなわけで、さっそく展示車を見ていきたいと思います。

第一部「当時の最新技術」



入り口にドーンと飾られているのはスカイラインGT-R。説明の必要も無いほどの名車ながら、敢えて技術的ポイントを挙げるならば「勝つための高出力を受け止めるFRベース4WDを市販化」という点に尽きる。速く走らせるためにE/Gを高出力化していくと、行き着く先はトラクション不足だ。このクルマより1ヶ月程度先に発売されたフェアレディZは日本車で初めて280psを達成したが更なるハイパワーを考えると後2輪だけに頼っていては早々に限界が訪れてしまう。そこで4輪駆動にスポットライトが当たった。

ラリー競技における4WDの有効性はアウディクアトロで証明され、ラリーカーを開発する各車で採用が進んだが、スカイラインGT-Rの場合、路面状況が良いサーキットが主戦場のモデルで4WDを採用したところに凄みがある。元は昭和62年に東京モーターショーに参考出品されていた日産MID4のために開発が進んでいた技術だ。本格的スーパーカーを目指して開発されたMID4の確信とも言えるテクノロジーはMID4が暗礁に乗り上げたあと、スカイラインGT-Rの為に磨かれていった。FRライクな操縦性を残したまま驚異的なパフォーマンスを発揮し、当時の試乗記でも911カレラ4が古臭く感じると言わしめた。



ケンメリ以来、16年ぶりのGT-Rの復活を飾るに相応しい内容だったこともあり、市場では歓迎ムードだった。ハコスカやケンメリのGT-Rをそのまま再現した車では無かったが、走るために高度な技術を織り込んだサーキットスペックのスカイライン、という枠組みに収まることでファン層からも「正真正銘、紛れもないスカイラインGT-Rである」と認めさせている。この車が発売された1989年は日本車におけるヴィンテージイヤーと呼ばれるがその中心にいるのはスカイラインGT-Rで間違いないだろう。

実はR32はGTS-tだけでなくGT-Rにも乗ったことがあるが、ほんの僅かな時間であり、ホンモノだけが持つ迫力に圧倒されただけで終わってしまったので実際はほぼ未経験である。GTS-tだけでも相当な実力を持っていたので、凄いんだろなという想像の域を出ない。



JDMというトレンドの中でもマンガやアニメという日本初のカルチャーの影響も無視できない。車×マンガといえば私は父に買い与えられた「サーキットの狼」を連想してしまうし、アニメも子供の頃には「よろしくメカドック」の記憶がおぼろげにある。子供の頃、たまに連れて行ってもらったジャスコの二階のレストランでオムライスを食べながらよろしくメカドックの単行本を読んだなぁ・・・・という幸せな記憶もある。

ティーンエイジャーになり、「頭文字D」や「オーバーレブ!」なんかは同級生でも読んでる人が多く、私も後年「SS」を読んでいた。自動車をモチーフにしたマンガ作品が多かったのは、漫画を読んでいた若年層はまだ車が好きだと考えられていたから。そして作者の世代は読者層よりも上だったので間違いなく自動車に恋をしていた時代の人たちだのではないかなと思う。これよりあとの時代はインターネットと携帯電話が急速に普及し、若者の関心は“移動の自由”から“つながる自由”へと移っていった。これ以上無いというタイミングで80-90年代のスポーツモデルをモチーフにした漫画がヒットし、アニメ化もされた。



そしてマンガやアニメが海外に輸出される中に日本車が活躍する作品も海を渡って新しいファンを獲得した。1983年に発売されたこの世代のスプリンタートレノ「ハチロク」は開発当初はFFで企画されるも、膨大すぎた投資額を減らす為にクーペとバン・ワゴン系をFRのまま残して先代のコンポーネントや設備を利用するという後ろ向きとも取れる経営判断によって生まれた若者達への贈り物のようなモデルであった。

先代で4輪コイルサスとなったシャシーを使い、先代では採用できなかったラックアンドピニオン式ステアリングを採用した。さらに飛び道具として新開発の1.6Lツインカム16バルブE/Gを積んだ。ほぼ先代流用でありながら新しいE/Gを用意したのはファインプレーである。セリカXXやソアラなどに搭載された1G-GEの要素技術を下方展開したかのような4A-GE型E/Gの人気は高く、2T-G以降、ほぼ継続的にツインカムE/Gを量産したというトヨタの功績を引き継いだ。

展示車は貴重なAT車だ。スポーティモデルにAT!という驚きがあるが、スポーティな性格でありながら電子制御を取り入れることでスポーティな味わいとイージードライブも両立させようとしている。この一見、相容れない要素を両立させようとする愚直さが実にトヨタらしいと私は思う。本当に速さだけを追求しているわけではなく、この時代の新しい「スポーティネス」は「ファッション」でもあったのだ。



旧態依然のシャシーを持つために車幅が狭く、腰高でかっこ悪い。限界が低いなどと言われることはあったとしても身近なFRスポーツとしてハチロクはよく売れた。FFとなったセダンが販売で苦戦したため、FRのクーペがシリーズ全体の採算を救った。あの時代においては全てをFFにしない事が経営的に正しかったようだ。

現役だった40年前は経営的な側面で貢献したAE86だが、まさかそれが若者の自動車文化を守り、それが世界的日本車ブームの中心的な一台になるとは当時の誰しもが想像すらできなかったのではないか。



このクルマ「アンフィニRX-7」もマンガでよく描かれている。世界唯一のロータリーE/Gを積んだスポーツカーとして熱狂的なファンがいる。先代は「プアマンズポルシェ」という評が出ていたが、1991年にデビューした3世代目のRX-7は小型車枠を超えたことも手伝ってオリジナリティー溢れるマツダデザインのエキゾチックなスポーツカーになった。先代と同じ排気量の13B型REは255psにパワーアップを果たしてパワーウェイトレシオ5kg/psを達成することで自主規制値に届かなくとも軽さで闘うスポーツカーという実に玄人好みなコンセプトを採っている。

円熟期には280psまで出力を上げながら12年間生産されたこともあり、現役時代は目にする機会もそれなりにあった。簡単にFMCできないだろうなとは子供ながらも思っていたが東京モーターショーでは様々なロータリースポーツの提案が行われており後継を模索しているというのは伝わってきていた。

RX-7が排ガス規制がクリアできず生産終了となったあと、新世代の自然吸気REを積んだRX-8がデビュー。自然吸気ながら250psを絞り出すという4ドアセダンだ。RX-7とは名乗れなかっただろうが、これはこれで素晴らしい形でREを継承したなと私は思う。助手席に乗せてもらったことがあるが、何処までも回っていくような軽快なREは十分魅力的だったし、210ps仕様ながらレギュラーガソリンが使えるようにしたのも良心的だったと思う。RX-8は後席も広かった事から今後間違いなくクラシックカー的な価値も生まれてくるはずだが、スポーツカーとしての純度では2ドアのRX-7には敵わない。



現代でもMX-30用に発電専用のREが開発され、再びREスポーツらしきコンセプトカーが発表されるようになるとどうしても復活の期待が高まってしまう。それが実現するかどうかは別としても、REの火を消さずに守り続けていく姿勢もRX-7の価値を高めていると私は考える。「あの時代だからできた」というだけの名車ではなく、圧縮比が上げられずにどうしても燃費が悪いというREの宿命を抱えながらもマツダはREの研究を行い、少しでも改良を続けて技術を残そうとしている努力はブランド価値の喪失に歯止めをかけている。

ところで私はグランツーリスモ(プレイステーションソフト)の中でしかアンフィニRX-7を運転した事がない。現在は1000万円以上する物件が存在するほど中古車価格が高騰し、恐らく生涯の内で乗る機会は無いと思われるのがとても残念だ。



先日、感想文でたっぷり取上げた事もあり、詳細はそちらを読んでいただきたい。



インプレッサを取上げるならランサーエボリューションもセットで語られるべきだろう。この時代、インプレッサとランサーのWRC対決、そしてそのベースモデルの弛まぬ進化は自動車ファンをワクワクさせ続けた。インプレッサが比較的人間くさい機械仕掛けのデバイスを好んだ一方でランサーはAYC(横滑り防止装置)電子制御デバイスを積極的に活用するなど三菱らしいハイテク戦法で立ち向かっていた。

展示車はエボ6.5とも言われるトミ・マキネン エディション。走りに関わるところは簡素な作りでグリルのメッシュは焼肉用の網のよう。今はグリルとは名ばかりで燃費のためにデザイン的な開口を埋めて本当に空気を取り入れる面積は極小という車が多い中、たくさん吸って中を冷やすという目的に沿った処理が懐かしい。



ただ、グリルから除く奥で黒色カチオン塗装が剥がれ(元々塗装皮膜が熱に弱い)、錆が出ている点は今すぐにでも直してあげたくなる。



これまでターボ4WDの圧倒的な速さやFRが持つ重量配分の良さからくる高い操縦性を活かしたスポーツモデルが並んできたが、軽量である事を活かしたFFのスポーツモデルも展示されている。FFスポーツといえば個人的にはホンダのイメージがあるが、このインテグラタイプRは、市場での評価がイマイチだったインテグラの地位を一気に引き上げることとなった。

シビックより上級のお洒落なモデルという立ち位置のインテグラはシビックのコンポーネントを上手く活用しながら上手に差別化する事で着実にホンダに利益をもたらしてきたが、3代目でプロジェクター式独立丸型ヘッドライトを採用した未来的なフロントマスクとしたところ、進みすぎと判断されたのか日本での販売が振るわなくなってしまった。今見ると、魅力的なのだが先代からの変化が大きすぎたと判断してフェイスリフトで先代ライクな切れ長ヘッドライトに改められた。



それだけに留まらず、SiRを超える高性能版としてタイプRが追加されたのが1995年秋のことだ。ブラピが「インテグラノッテグラHonda!」と言わされる(?)CMも話題になったが、好事家はNSX以来のタイプRの設定に胸が高鳴った。1.8Lでありながら200ps(リッター111ps)を達成した専用E/Gは量産を前提とした効率をホンダにしか作れないような高回転型だ。軽量化を追求したボディはチャンピオンシップホワイトに塗られて専用の赤いホンダマークが貼られた。この専用マーク当時、他の普通のホンダ車に貼る人が居たほどプレミアムなエンブレムとなった。私のような、大衆車好きな田舎の中学生もこの車には魅了され、当時手に入れたカタログは今でも大切に持っている。近所のベルノ店がなかったので大和郡山市の販売店に手紙を書いて送ってもらった当時の自分にとっての宝物だった。(カタログはいまもちゃんと実家に置いてある)



展示車の98スペックのインテグラを前にしたとき、あのカタログを中学に持っていき、授業中にチラチラと眺めていたという思い出が急に蘇った。日頃からあんなに大衆セダンが良いだとか、欧風ハッチバックだとか抜かしているが、少なくとも13歳の頃にインテRの様な心が熱くなるFFスポーツモデルにも心惹かれていたのだ。(ちなみにブラピが映った標準仕様のインテグラのカタログはクラスの女子にせがまれてあげてしまった。)



インテRは成功作となり、プリモ店扱いのシビックにもタイプRが設定された。
1.6Lでありながら185ps(リッター116ps)というB16Bのハイパワーは2.5Lクラスの出力を誇る。当時、トヨタの4A-GEは20バルブの黒ヘッド(165ps)では歯が立たず、日産のSR16VRの青ヘッド(175ps)であっても当時のシビックタイプRに積まれたE/Gの特別感は少しもスポイルされなかった。



柳の下のドジョウ的な追加設定だが、群雄割拠だったテンロク・ライトウェイとスポーツ市場の覇者となった。NSXやインテグラのようにストイックな軽量化を推し進めたタイプRであったことと較べるとシビックもまた同じだが、コンフォートPKG(A/C・電格ミラー・PW)を選べばそれなりに現実的であり文化的なスポーツカーだった。

まずホンダの象徴的な本格スポーツカーNSXでタイプR(サーキットに特化した軽量高回転型NAで実現するホンダにしか出来ない走り)を明確に規定したあとで、インテグラに続き、ホンダの看板車種シビックでタイプRを展開することは、ホンダの企業イメージアップには大きく貢献しただろう。尊敬すべきは、その思想にブレがなかったことだ。



タイプRとは名ばかりのSiRをベースにライトチューンに留めてコスメティックなエアロをつけたバッチだけのタイプRを作っていたらブランドそのものを毀損していただろうが、当時のホンダは真面目だったのか頑固一徹にタイプRをやり切ったと言える。以降、超高回転型スポーツエンジンの時代が続くが、シビックタイプRだけが何とか命脈を繋いで現在に至っている。



これはMATUDOKI・RUSEではない。

小型車を作るのが上手いダイハツは1970年代にリッターカー「シャレード」を発売し、ヒットさせた。初代と比べると、グッとボクシーになった2代目シャレード自体は1983年に発売された。1981年発売のホンダ・シティのヒットもあってかハイルーフ仕様を設定し、コンパクトでありながら広さも訴求していた。また3気筒1LのガソリンE/Gと、それをベースにしたディーゼルE/Gが存在している事も大きなニュースだった。(高専時代、実習用のE/Gがこのダイハツ製ディーゼルだった)

2代目はキープコンセプトで失敗する2代目のジレンマから離れて攻めの姿勢で
リッターカー市場で確固たる地位を築くことに成功していた。その中でワイドバリエーション化の一つとして若者向けスポーツモデルは当時からよく選択された選択肢だった。

1.0Lターボが設定されていたが、自ら猫科のターボと呼びとその中のスペシャルモデルとして用意されたのが「デ・トマソ」である。1970年代の「スーパーカーブーム」で有名になったデ・トマソの名を冠した「シャレード デ・トマソ」は
イタリアンスーパーカーのエッセンスをうまく使ってエキゾチックなホットハッチとして1984年にデビュー。カンパニョーロやらピレリやらMOMOステやら、後付けすると高価なパーツが最初から奢られた赤黒のツートンカラーは競合車にはない独自性があった。このモデルそのものの思い出は、幼稚園の頃、前期型のMT車に乗っていた同級生のお母さんがいた、あるいは、イカさんの後期型を運転させてもらった思い出があるが、2代目シャレードのデ・トマソの体験は残念ながらない。

続く3代目シャレードでは別コンセプトのスポーツモデルが存在したため、デ・トマソは無かったが、私が小学生の頃にはシャレードが4代目となりデ・トマソが復活し、1.6Lを積むマニアックなスポーツモデルになっていた。

このモデルは後年、大学の友人が愛車にしていた。当時の大学生っぽいドレスアップが図られた黒いデトマソで峠道の走り方の手ほどきを受けたことが懐かしい。全然聞かないから「カスビス」とオーナーが読んでいたビスカス式LSDの
立ち上がりの俊敏さに衝撃を受けたのも懐かしい。私がビビってブレーキを踏んでしまうコーナーでも、彼はアクセルを抜いて荷重を前に乗せて曲がるんだと言ってデトマソをキレイに曲がらせていた。深夜になっても全く眠くなることのない体力と意欲があった頃の話である。

そう言えば1993年頃に竜王工場に社会見学に行ったことがあるがそこで流されたオリジナルビデオの魔法の呪文が「でそまそ・しゃれーど・開けゴマ」だったことからも当時のダイハツにとって大切な車種だったことが窺える。



いや、現代になってもデ・トマソ風のコンセプトカーを発表している事からも、ダイハツは今も大切なヘリテージとして考えているらしい。段々と自動車ビジネスが「ヘリテージビジネス」と化して来た感があり、ダイハツもいずれ何らかの形でデ・トマソを復活させる日が来るかも知れない、と期待したいが親会社から小型車の開発を禁じられ、独自性を大いに削がれている今の現状ではそれも厳しいか。


第二部「独自のデザイン」



自動車が欧米で発明されて発展した機械である限り、日本をはじめとする欧米以外の自動車はどうしても欧米を追いかける形になる。デザインもそれと同じで欧米の流行を取り入れる、欧米の優れたアイデアを拝借するという流れは発展期においては仕方ないと言える。

日本の自動車産業が大成功し、一定の自信を得たこの時代になると安くて実用的な自動車を作ることが出来るようになった。日本第二位だった日産は「パイクカー」という実験的試みを続けていた。これは、90年代後半以降で欧米各社が追従して過去のモデルをモチーフにしてファッション性と実用性を兼ね備えたフォロワーが出たという意味で日本から産まれた商品コンセプトである。

日産は手持ちの信頼できるコンポーネントを使って、もっとファッショナブルな方向性にシフトした商品を、量産を狙わずに作ろうとした。第一弾は1985年のBe-1であるが、一連のパイクカー群はレトロなデザインを最大の特徴としていた。

1991年にデビューしたフィガロもその一つである。見る人が見ればプジョー403(刑事コロンボの愛車)を連想してしまうが、マーチをベースとして徹底的にお洒落性能を高めたエボリューションモデルである。

2ドアオープンという趣味性全開のボディタイプはマーチベースとは思えないほどプロポーションもいい。パイクカーは総じてレトロをテーマにしているが、今あるボディキットとは違い徹底的なクオリティでその世界観を追求している。繊細なメッキモールは植物の蔓をイメージしているというが、こういった車はいかに世界観を守るかが重要で、360度見回してもインテリアをのぞき込んでも妥協を感じない。



展示車にはフェンダーポールが着いていたが、汎用品流用でも良いところを専用品で頑なに世界観を守っているのはすごい、の一言だ。こう言った細部に亘る作り込みは当時の日本の美点であったが、「どうせ分からないところに工数をかけるな」という類いの正論によって作り込みを諦めてしまう車が多くなった現代から見ればついため息が出てしまう。



パイクカー群で最も販売台数が多いのはPAO(31000台以上)である。マーチベースという点はエスカルゴを除いたパイクカー共通の特徴だ。PAOもクラシカル全振りという感じだが、「都会リゾートの冒険」をテーマにし、アパレルブランドの「バナナ・リパブリック」の世界観を車に落とし込んだという。そう言えば会社のブランドの同期がここの服が好きだったが、旅と探検を服で表現するというアパレルのコンセプトは確かにPAOに通じている。

都市で便利なサイズ感でありながら、外板強度を意識した波板パネルや外ヒンジドア、三角窓、折りたたみ開閉式クオーターガラス、キャンバストップや外に持ち運べるオーディオというのもどこか外国の荒野を冒険するクラシカルな車を思わせる要素も併せ持つ。




当時通っていた幼稚園のN先生は「先生PAO買ったんだよ」と教えてくれた。既にカーマニアだった私は「すごいね!カッコイイ」といった感じで答えたと思う。ほどなくして幼稚園の裏の駐車場にはFFセルボ(担任)、REX VIKI(ピンク)なんかに混じってイメージカラーのPAOが止まっていた。

断トツでファッショナブルなPAOは、私が免許を取るような年齢になった2000年頃でも中古車として流通しており、高専時代の同級生が買うというので付き添ったのも良い思い出だ。MTでノーマルルーフという壊れにくそうな仕様を選び、購入を決めるのだが中古車屋が「ヘッドレストを外して専用合皮シートカバーでもっと可愛く出来ます」などと薦めてきた。・・・が、せっかくのお洒落な内装をスポイルすべきではないし、ヘッドレストは安全のためについている機能部品であり取り外すべきではない旨、しっかりオーナーに理解してもらいノーマルで納車された。その後、彼女は沖縄にPAOと共に渡り、結婚。その後追突被害事故で廃車になってしまったと聞いている。



決して速くもなく、60km/hも出すと風切り音も酷く洗練された車ではなかったが、力を抜いて全方位で高得点を目指さなくても、デザイン一点集中で売ってしまうようなプロダクトは日産のパイクカー群がはじめてだったのではないだろうか。

当時既にクラシックな部類に入っていた2CVやVWやスバル360などと言った車達と同じような温かみのある内外装と現代的な実用性・耐久性を兼ね備えるというのはありそうで無かったカテゴリーであり、後のPTクルーザーやBMWミニなどにも影響を与えた。

第三部「小さな高性能」



日本の軽自動車は、元々サイドカーの様な簡易的な自動車を想定して作られた規格であった。各社がオートバイ以上、小型自動車未満という簡素な軽自動車を提案していた中で富士重工がスバル360によって本格的な小さな乗用車を開発した事から「軽自動車」は立派なの小型版としての立ち位置を決定的なものとした。

庶民のゲタ代わりとしてのミニマムトランスポーターとしでだけでなく、若者の初めての自動車、地方家庭のセカンドカーなどの役割を果たしながら、常に登録車(≒小型車)の流行を横目に発展を遂げる。

ただし、当時の技術水準では排気量360cc、あるいは500、550ccという排気量では大衆車(1000cc~1300cc)との性能差はハッキリ分かるレベルであり、その分棲み分けがハッキリしていた。

1979年のボンバンの発明により、廉価でベーシックな移動手段として磨きがかかりもしたが1980年代のFF化やターボ技術の下位展開によって、従来よりもゆとりのある室内空間や大衆車ハイパワーを手に入れることになった。

軽自動車を若者向けエントリーカーとして見た場合、腕次第で下手な大衆車をカモれるホットハッチとして仕立てられたスポーティなモデルも出現した。そのうちの一台がこのミラTR-XXだ。アルト対抗として生まれたミラのスポーティ仕様としてターボを積んだTRが存在し、その上級仕様がTR-XX(ダブルエックス)である。



競合よりパワフルな52psを発揮する2気筒ターボE/Gやフルカラードエアロを身に纏い、大衆ハッチバック車を意識したモデルとなっていた。ターボが搭載されて以降、各社のパワーウォーズはスズキが3気筒ターボで64psを達成したアルトワークスが決定打となって64ps規制の発端となってパワー戦争は一息ついたが、軽量な車体に64psのパワーは確かに刺激的であろう。(なお、wiki情報では当初は78psで出そうとしていたが当時の運輸省に難色を示されたためデチューンされた結果64psになったとされる)

展示車仕様の白いミラTR-XXは、当時至るところで見かけるモデルだった。当時はスポーツモデルの人気が高く、ミラとはちょっと違うミラとしてTR-XXの様なモデルがラインナップされていた。現代ならそれがアウトドアを意識したSUV風グレードということになるのだろう。

かくして小さな極東の島国である日本らしい「小さな高性能」というカテゴリーで軽ターボは個性が際立っており、それが海外の好事家の目に留まり面白がられているのであろう。



軽自動車は昔から何でもアリの仁義なき戦いが繰り広げられる過酷な販売競争が現代でも続いている。バブル期においては人々の嗜好が高級化し、軽自動車は「簡易的な疑似自動車」ではなく、「小さい乗用車」という方向性が一層強まった。この時期の軽自動車にも登録車の新技術がどんどん降りてきてニュースに事欠かなかった。

マルチバルブE/Gが流行しだすと、1気筒5バルブDOHCが出たかと思えばマルチシリンダーとも言える4気筒、あるいは4WDに4WS、CVTにスーパーチャージャーなどが各社の新型車に目玉装備として搭載された。

質実剛健で地に足が付いていたはずのスズキですら高級志向のモデルを企画するに至っている。1990年、アルトの上級スペシャルティ的な立ち位置だったセルボをFMCして「セルボモード」いう名称に改めた。ノッチバックを意識した水平基調の落ち着いたスタイリング、上質なインテリア。



そして最も注目すべきはスズキ唯一の4気筒F6B型を積んだ4輪駆動のSR-FOURをラインナップしたことだ。初めて軽に4気筒を積んだスバルはレックスのFMCとしてヴィヴィオをデビューさせ、三菱はミニカをFMCして4気筒にDOHC5バルブヘッドを組み合わせた。さらにNAモデルも用意して1.6LにV6を用意した三菱らしいこだわりを見せた。そしてダイハツもミラに「森口エンジン」を搭載して各社に4気筒E/Gが出そろった。

登録車の世界でもL4が常識だった2LクラスにV6が増え始め、1.6LのV6が登場するなど一クラス上の豊かさを実現するマルチシリンダーE/Gの動きが出たことが軽自動車への4気筒E/G同時多発に繋がっている。

バブル経済を経験すると、人々の贅沢嗜好が右肩上がりになるとつい想像してしまいがちだったが、実際にはバブル崩壊によって日本市場は急速に楽観的嗜好が改められることになった。多くの会社は新規格による買い替え需要が一段落付いたあとの目玉として4気筒を考えていたのかも知れないが、実際に蓋を開けてみると、時流に対して過剰なスペックが与えられていたに過ぎなかった。

そして日本の消費者達は、安易にメーカーの思惑に流されずに「軽は3気筒で充分である」と判断した。

マルチシリンダのメリットは主に高回転での伸びと1気筒あたりの強制力が小さくなることと回転バランスの良さからNV性能の良さがあるが、一方で部品点数の多さ、摩擦損失の多さが欠点として残っていた。つまり、スポーツモデルであればまだしも、元々実用域での力強さが必要な軽自動車に合わない特徴を持っていた。事実、フルライン4気筒のスバルは低速トルクを補うために貨物仕様にまで5速ミッションを与えていた。

技術志向のスバルは全て4気筒に切り替えたが、それ以外のメーカーは上位機種向けのスペシャルE/G的な性格が強く本来は図れるはずの部品共通化も進まない事から、以後4気筒は廃れていく。スズキはセルボモード以外に4気筒を積まずに1997年に終了し、三菱はブラボーやパジェロミニへ展開を見せつつ、2002年に終了。前述の通り全モデルに4気筒を乗せたスバルは軽自動車の自社生産そのものを中止することになり2012年に終了。ダイハツはミラ以外にムーヴやオプティに特別なE/Gとして4気筒を積んできた。最後にコペンにも4気筒を積んだことは英断と言えたが、2012年には生産終了となり軽自動車の4気筒は全て廃止されてしまった。



あのスズキが、「小・少・軽・短・美」のスズキであっても、結果的にセルボモードのためだけに4気筒E/Gを開発してしまった、というバブル期の特異な空気を現代に伝えている。



同じバブルに踊らされたスズキの軽でも1991年発売のカプチーノは一目見ただけでスペシャルティな雰囲気に溢れている。平成ABCトリオと称される軽スポーツカー群の中では最もアダルトでオーセンティックな一台だ。



ロングノーズショートデッキという戦前からの文法通りのスポーツカーシルエットを身に纏ったクラシカルなクーペスタイルなのだが、3分割のハードトップをトランクに格納するとタルガトップになる。リアガラスもロックを解除することで倒すことができ、さらに分割することでフルオープンに変身する。こうなると古式ゆかしい純スポーツカーである。ルーフがない分剛性が不足しがちな車体をねじ伏せて直射日光や砂埃や潮風、時には夕立をを全身に感じながら乗馬の如く運転を楽しむ車に変身する。そして楽しんだあとは、手動ながら耐候性に優れたハードトップを採用して小粋なパーソナルクーペとして使える点も所有するハードルを下げている。

最大の特徴はエブリィのコンポーネントを上手く活用した後輪駆動を採用している点である。縦置きゆえに鼻先が重くなるセルボの4気筒は使わずに、コンパクトな3気筒を活用し、4輪ダブルウィッシュボーンでFRという本格的なスペックのスポーツカーを作り上げた。



ABCトリオの中ではカプチーノが最も長く販売されているが、それはカプチーノが最も奇を衒わない本流の良さが評価されたのではないかとも言えるし、4独、FR、DOHCといったスペックを気にする人にとっても本格スポーツカーとして遜色ない仕様の良さもあるのでは無いか。

いずれにしても、上に挙げたセルボモードとカプチーノはバブル期のノリの良さから産まれたプロダクトでありながらも、軽らしからぬ大人びた雰囲気が好ましいハイセンスな点が好ましいと私は考えている。

初代コペンはカプチーノの中古車市場における人気を根拠に企画されているとされており、さらに次期コペンがハイゼット系のコンポーネントを使ったFRで開発が進んでいる事を考えるとスズキの永遠のライバルたるダイハツはカプチーノの良き理解者なのかも知れない。



展示順に紹介してるのでお次はBということで1991年に発売されたホンダビート。2輪感覚で乗れる元気印のミッドシップオープンである。スクープされているときはS660という名前で呼ばれていたりもしたものの、発売時は2輪の名前をリバイバルさせてビートと命名された。3気筒NAながら各気筒独立スロットルを持ち、8100rpmで64psを発揮し、8500rpmまで許容するという超高回転型ユニットを積んでいるのも2輪のようだ。

ピニンファリーナ説もある魅力的なエクステリアデザインは例えばクラムシェル型フードを使ってフェンダー見切り線を減らし、ヘッドライトをホイールアーチまで回り込ませることで一体感のあるフロントマスクを作った。その見切り線を延長しドアのキャラ線とし、Rrインテークに繋げていく事で短い車体の中でも長さを演出している。RrエンドはS800を思わせる大形リアコンビランプによってボリューム感を緩和するなど細部にわたって配慮が行き届いた今見ても完成度の高いエクステリアデザインをしている。



インテリアも独立したメーターフードで2輪間隔を訴えつつ、ゼブラ柄のシートを採用する点も非常に面白いがオープンで走ると外から見られる機会が多く人の目を惹いたもの勝ちである。

軽初のミッドシップであり、記号性の高いオープンボディであることから、誰しもが平成に蘇ったS800の後継モデルであると思いがちだが実際は「ミッドシップアミューズメント」というコピーの通りスポーツ性よりもファンなコミューターを志して作られている。S660と名付けなかったのは敢えてそのイメージから脱却したいという思いもあったことだろう。

魅力的な車だったが1996年に販売を終えてしまったのは発売時点でバブル崩壊が起こり、景気が急速に冷え込む中でこの手の底抜けに明るい車に対する感度が落ちてしまっていたこともあるだろう。2015年にビートを思わせるミッドシップオープンのS660が出た時は遂にSシリーズを名乗るコンパクトオープンが出たと嬉しくなったものだ。



平成ABCトリオで最もエキセントリックな(常軌を逸した)一台が1992年にマツダがオートザムブランドで発売したAZ-1だ。アルトワークスのターボE/Gをミッドに搭載し、「究極のハンドリングマシン」をテーマに開発されたスポーツカーである。BとCが絶対的な性能を過度に追わないキャラクターだったのに対してAZ-1はテーマもさることながらクローズドボディを持ち、シャシに外板を取付けただけのスケルトン構造を採り、ガルウィングドアを外観上の最大の特徴としていた。サイズ感こそ違えどこれはまさに1970年代の少年達が熱狂したスーパーカーではないか。こういったモデルは普通車で作ると「もっと良い車に」「モアパワー」という負のスパイラルで立派に重くなる。そうなると扱いにくいものになる、原価が高くなり消費者の手に届きにくくなる。軽自動車でこれをやるというのは「軽だからこれ以上は無理」という現実的な制約によってむしろ現実的な手段なのではないかと思う。軽自動車という企画の中であればトラックもスポーツカーもオフローダーでもハードトップでも1人乗りコミューターでも自由自在に作ることが出来るのだ。



AZ-1は丸目の愛くるしいは見た目の割に乗り込む瞬間からサイドシルを大きく跨がないといけないハードさがある。タイトな居住空間は簡素を極めて助手席を固定式にしてしまったほどだ。A/Cは付いているがサイドドアガラスの開口は極めて小さく、高速道路の通行券や有料駐車場での所作はスキルが求められる。しかしこれを買った人がそれを不満に思うことは無いのでは無いだろうか。明らかに不便そうであり、乗る人に我慢を強いると最初から宣言しているからだ。それでは、どの車がとは言わないがカタログに楽しそうな使用シーンを散りばめて、カタログ上の無意味な諸元値を競い、いざ共に暮らそうとすると思いのほか使いにくく、気付かぬ間にストレスフルな動的性能を披露するフレンドリーなモデルとどちらが良心的なのだろうか?



・・・と誇らしげにガルウィングドアを跳ね上げているAZ-1を見ているとそんなことを考えてしまう。現役時代、1部だけカタログを貰ったので大切にとってあるがページをめくるだけでワクワクしてしまう。くそ真面目に規格の中でなんでも実現しようとしてしまう日本に軽規格があって良かった。AZ-1は、軽という枠の中でこそ羽ばたいた小さなスーパーカーだった。

●番外編



企画連動で新しい寄贈車としてマークIIツアラーVが展示された。92年にデビューしたマークIIは社会現象とも言える空前のヒット作となって先々代、先代を引き継いだ。バブル崩壊後に発売されたが、企画された時期がバブル期だったことで他社製品同様に大型化して贅沢志向だったこともあり先代ほどのヒットを飛ばせなかった。堂々の3ナンバーボディによる居住性、120kgもの軽量化、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションの採用などレベルアップを果たした部分も大きかったが、先代でこのクルマに憧れた層は離れてしまった。後期型では、コストダウンのための部品の剥ぎ取りが進み、商品としてはなかなか苦しい立ち位置だった。



ただ、901活動の成果が織り込まれたスカイラインの飛躍的な動的性能の進化を目の当たりにして競合たるマークII陣営は走りに対してのレベルアップには気を使っている。特に先代までGTツインターボと呼んでいたターボE/G搭載のスポーツモデルはツアラーVという新しいグレード名を得て、大型ブレーキや前後異サイズタイヤなど足腰を鍛えた。また、ムード派のための自然吸気のツアラーSも用意し、今後に繋がる新境地を開拓した。

私が子供の頃は、販売に苦戦したと言っても現代のセダン市場を思えば遙かに売れており飽きるほどパールホワイトのハイメカグランデを見てきた。中学の担任が2.5グランデGを大事に乗っていたのも懐かしい。

数年前、仕事で九州を訪れたついでにレンタカーでトヨタ自動車九州に立ち寄った。このマークIIは設立されたばかりのトヨタ自動車九州で生産されており、その1号車が保管されている。マークIIは当時は高級車のエントリーモデルであったが、現代のトヨタ自動車九州はレクサス専用工場となり、複数のレクサス車を生産している。



展示車は素晴らしいコンディションのツアラーVでしかも希少なマニュアル車だ。
ドリ車にならず、センスのない中古屋にいじり壊されることもなく33年もの長い時を生き抜いてきた貴重な個体である。

●感想

トヨタ博物館が開館してまだ数年だった頃、今回の企画展で主役となっている車たちは、当時はどこにでも走っている現役車で、希少価値などまったくありませんでした。

私は開館直後、母の友人のご主人(ほぼ他人ですが)に初代パジェロで連れてきてもらいました。この方は某社のカーデザイナーとして活躍されていた方で、幼い頃からとても可愛がっていただいた記憶があります。

当時の展示は、2階にレーシングカーを含む欧米車だけが並び、日本車は3階にまとめられていました。トヨペットSA型や希少な左ハンドルのRS-L、フライングフェザーやフジキャビンなど、戦後の乗用車が明るい展示スペースに整然と置かれていたのを覚えています。

現在では2000GTとヨタハチが鎮座するお立ち台には、当時はトヨタの功労車である初代カローラと3代目コロナが展示され、その正面にはダットサン・サニーとブルーバードが向かい合うように置かれていました。3階の最後、今はMIRAIが展示されている場所には70スープラがありましたが、当時はただの現行車だったので、正直まったく気にも留めていませんでした。

――あれから36年。
公式紹介文にもある通り、当時の想像とは違う形で1980~1990年代の日本車が世界中のファンに愛される存在になりました。あの頃は「時代が進めばもっとすごい車が出てくる」と無邪気に信じていましたが、現実は…(以下略)

今回の企画展に並んだ車たちは、私の世代ならどれも現役時代を知っている“懐かしい顔ぶれ”ばかりです。普段の企画展では、自分が生まれる前の車が数台あって「昔はこうだったのか」と学ぶことが多いのですが、今回はすべての展示車が「●●先生が乗ってたな」「グランツーリスモで遊んだなぁ」といった“再会”の連続でした。特にスポーツカーが多く、当時なぜこんなに各社がスポーツカーを揃えられたのか、改めて不思議に思います。

やはり若者が車に強い興味を持ち、尖った車を求めるニーズが旺盛だったこと。そしてバブル経済を背景に、各社が技術開発に十分なリソースを割けたことが大きかったのでしょう。

今は技術があっても、カーボンニュートラルや電動化といったテーマが優先され、技術をコストダウンに使わなければ会社の存続すら難しい時代です。この企画展で扱われた時代のように、未来へつながる可能性があるのは軽スポーツくらいかもしれません。JDMブームの中では軽自動車や軽トラを面白がる風潮もあり、もしかするとスポーツカーよりもN-BOXのような車が“推し”として扱われる時代が来るのかもしれません。

1982年生まれの私にとって、今回の企画展の車たちは「憧れつつも現実離れした存在」でした。あと10歳年上なら、実際に購入して楽しんだ方も多いでしょう。私は当時、学費のためにアルバイトをしており、趣味の車を所有するなんて夢のまた夢。普段は親のライトエースノアに乗り、ようやく手に入れたマイカーはヴィヴィオのバン。走らせる事で充分楽しくて、スポーツモデルとは縁遠い生活でした。(大学で頑張ってバイトしていた友人たちは、シャレード・デトマソやMR2に乗っていましたが)

ガソリンスタンドでアルバイトしていた頃、フリーターの同僚たちはシビックSiR、スターレットGT、インプレッサWRX、ミラ・アヴァンツァートなどに乗っていました。皆、私より5歳以上年上で、仕事終わりに夜の阪奈へ走りに行ったこともありました。

あの頃は若かった――こう書くと一気に“おじさん臭”が出ますが、そう書くしかありません。

思い出深い時代の車たちが海外からも注目され、愛されているのは嬉しい反面、10年以上前からじっくり育ててきたJDMブームが実った結果でもあります。だからこそ、この流れを絶やさず、現代の車も楽しんでもらえるような“種まき”を続けなければ、未来の人々に「やっぱり80〜90年代の車はすごかった」とだけ言われる時代が来てしまうかもしれません。

ところが、今回の企画展のラストには来館者が自由に書ける
「あなたのイチ推し ’80~’90年代日本車は?」
「あなたのイチ推し、将来名車になる現行車は?」
というコーナーがありました。

特に後者を見ると、驚くほど多様な“推し”が並んでいて、こんなにもファンがいて、こんなにも十人十色の愛があるのかと安心しました。同時に、各メーカーにはぜひ日本市場をもっと面白くするために頑張ってほしいと強く感じました。









思わず、仲間に入れて欲しくて絵心がないことを忘れて書いてしまいました。







Posted at 2026/04/01 00:34:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | イベント | 日記
2026年02月20日 イイね!

2025年式BYDシーライオン7感想文

2025年式BYDシーライオン7感想文BYDシーライオン7に乗った。結論を先に言えば2023年のATTO3で感じた驚きと焦りを上回るものは感じられなかった。

2026年2月時点のラインナップはボトムから、ドルフィン、ATTO3、シール、シーライオン7、そして日本市場向けとして初のPHEV仕様であるシーライオン6がある。



最も売れそうなSUVスタイルのATTO3が第一弾ということも、セカンドカー需要に対応できそうなBセグベーシックのドルフィンが続くこともよく理解できた。そして販売店網を地道に増やし、顧客とのFace to Faceのコミュニケーションから自社製品へのフィードバックを得ようとする真面目な姿勢にも好印象を持った。



シーライオン7は諸元を見て分かるとおり、全長4.8m、幅1.9m超という立派なサイズのSUVで驚異の加速性能やナッパレザーの立体的なシート、北欧の有名メーカーのオーディオなどプレミアムな要素を散りばめた高級SUVである。分かり易く言えばレクサスRZが近いサイズに位置している。

有機的なエクステリアやド派手な灯火類など欧米の高級BEVと肩を並べるような装備が揃っているにもかかわらず、RWDは495万円という価格が最大の特徴になっている。(レクサスRZは790万円から)

実際に目の当たりにし、乗ってみるとボディサイズが気になる。高解像度の周辺カメラがあってもデカイものはデカイ。またBEV的急加速は楽しめるが、シャシ性能がそれに追いついていない印象が強い。

サイズや性能などの諸元を元に考えればコスパの高さを充分に楽しめるとは思うが、シーライオン7のサイズ感を持った車は立派な高級車である。それらは500万円では到底買えないが、どれもプレミアムブランドであるという自負の元で高級な装備を備え、味付けにも相当な時間をかけており、それゆえ洗練された走りを見せるのだ。



BYDはリーズナブルな販売価格もさることながら圧倒的な開発スピードが特徴である。

元々中国には過酷なIT企業を中心に996文化(午前9時から午後9時まで週6日働く)があったらしい。さらにBYDには11万人の技術者が在籍しており3交代勤務で開発が行われている部署さえあるという。電池をはじめとしてほとんどのコンポーネントを内製するという「全方位主義」によって厄介な調達や開発における各部との摺り合わせのスピードを上げている。タイムリーに商品を市場に提供できれば販売競争において優位に立てる。そもそも開発は後追いの方が先行するライバルが悩んだ末の意志決定の結果を自社製品に活かせるからだ。そこにBYDが持つ強みが重なればコンセプト決定から量産開始まで23ヶ月以下で完了できるというが、これは現代の日本メーカーの約半分のリードタイムなのである。この様にBYDは急速に自動車業界の中で存在感が増していき、2025年には460万台を生産して世界第5位の自動車メーカーとなった。日産やホンダどころかGMをも抜き去って4位の現代・起亜に迫る勢いだ。

そんな中、私は2025年にデビューしたばかりのシーライオン7に試乗する機会を得たということは既に書いた通りだ。偶然、2台の同一グレードに乗ることができて市街地からワインディング、高速道路までを総合的に確認することができた。



その開発力を以てすれば、世界のプレミアムブランドと戦える車になっていると期待しない方が失礼だと思うのだが、私の感想は「大きくて色々付いてるATTO3」という感想に留まった。詳細は別の項に譲るが、自動車としての作り込みがまだ不足しているとハッキリ感じられた。

495万円という価格を考えれば、それでいいじゃないかという意見も多数ある。私も一定の理解ができるが、シーライオン7はラージクラスのSUVである。一般的に自動車のヒエラルキーはボディサイズに比例する傾向があり、シーライオン7はサイズ的に競合する車種と比べると不満が残ってしまう。それでは495万円の乗用車としてみてはどうか?と言えばそれも物足りない。BEVだからという時代でもなくなってきている。補助金が約35万円あるとして460万円の乗用車だとしてもハリアーやエクストレイル、フォレスターあたりも視野に入ってくるがそれらの車と較べれば、装備品目や定量的な諸元値はBYDシーライオン7が秀でている。しかしながら、これくらいの費用を投じるならある程度の作り込みが欲しい。

言うなれば、ちょっと高めでメニュー数が多い食べ放題レストランの様である。品数は多いけどどれも美味しさは・・・・おなかいっぱい食べられるが、心から満足出来るだろうか?

シーライオン7の高水準の装備や加速性能はあくまでもファッションやアクセサリーであって、必ずしも便利な道具としての機能までもが優れているわけではないのである。写真のように128色から選べるインテリア照明は分かり易いギミックだが、中には「後席置き去り警報機能」の様に非常に日本市場向けの真面目なアクセサリーも含まれており、市場をよく見ていると感じられて侮れない。



BYDはサービス精神旺盛で、いささか過剰な部分がプレミアムとして解釈されるブランドではない上に、プレミアムの基礎となる作り込みが不足しているとなれば、その価格が同セグメントの競合より安かろうと割高で不便な実用車という域を出ていない。もしかすると、チューニングや品質の作り込みに費やす時間まで削減して早く世に出すことを選んでいないだろうか。

私はBYDは家電業界で独自のバリューブランドとなりつつあるアイリスオーヤマの様な立ち位置を目指すべきだと思う。高付加価値を生むハイエンド的な機能よりも、ほどほどの機能でお買い得感のある価格で販売するという方針である。安かろう悪かろうではいけないが、過剰な部分を取り去って機能を追求するべきだ。

その意味で2026年発売予定のラッコはドンピシャで日本でも(だけで)売れそうなBYDの新商品だ。日本は国土が狭く、道路も狭い。だから駐車場だって狭苦しい。だからこそ、道具としての機能性が特に求められるセグメントは軽自動車であり、その中でもスーパーハイト軽ワゴンは日本で最も売れている分類である。ラッコは一部のマニアではなく、市井の日本国民のためのBYDである。一方でシーライオン7はどちらかというと中国国内の内需を満たすための製品のように感じた。

BYDジャパンは2022年に設立され、2023年から販売を開始して3年が経った。BYDの販売台数は着実に年々右肩上がりである。これには店舗数の拡大と、商品ラインナップの拡充がある。シーライオン7は2025年に1501台を販売し、全体の4割を占めた。(ただし、2025年の実績を比較するとbZ4Xは2ヶ月で3448台を売った)



販売台数は2023年1月から累計5000台を超えているが、実店舗を持ちながらこの程度の販売台数では正直なところ赤字経営かも知れない。それでも、2026年現在でまだ20店舗が開店準備を進めているというから本国からの支援は相当なものなのだろう。その中で利益率が高いとみられるシーライオン7の存在は販売店にとっては間違いなく貴重な存在だ。

個人的にはBYDが日本で着実に地盤を築いていくことに対して、危機感を持っている。しかしながら、過酷な競争こそが日本ブランドの自動車を進化させる近道でもある。間違ってもBYDの作り込みレベルで良いんだ、と下方修正しないことが肝要だ。そうなるとますますBYDの土俵で真正面から闘うことになるからだ。日本市場で顧客に「BYDありかも」と思われるとまずいことになる。



総合評価として★は意外と真面目なところにオマケして3つ。高額商品としては不満が残り、特に乗り心地は改善が必要。
Posted at 2026/02/20 23:03:45 | コメント(1) | クルマレビュー
2026年02月14日 イイね!

愛車と出会って5年!

愛車と出会って5年!2月15日で愛車と出会って5年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!

■この1年でこんなパーツを付けました!
つけてません!

■この1年でこんな整備をしました!
ワイパーゴム交換とか共同所有者によるE/Gオイル交換とか日常の消耗品メイン。ヘッドライト磨きは、コーティングしなきゃダメだと思い始めて挑戦してみましたが、バンパーに沢山傷つけたし、コーティングはまだら模様。やってしまった・・・・立ち直れるか。

■愛車のイイね!数(2026年02月14日時点)
198イイね!

■これからいじりたいところは・・・
いじるより維持。内外装の劣化は気になるけどやり出したらキリが無い。昨日、バンパーとヘッドライトをダメにした気がするのでそれも直さないとな。ラジオの異常に感度悪い時問題とか。

近々タイヤがモームリ。もう少しだけ使い切って新調します。

■愛車に一言
最近、私が乗る機会が多い。仕事が忙しくクタクタなので駐車場で健気に待っててくれるプログレに癒されてます。自宅付近や実家の近くにあったプログレがひっそり姿を消した・・・。徐々に減りつつあるプログレをいつまで調子よく大切に乗れるのだろうか・・・。

>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2026/02/14 18:03:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2026年02月01日 イイね!

1994年式インプレッサWRX感想文

1994年式インプレッサWRX感想文スバルらしさとは何だろうか。最近の人にとっては「アイサイト」かもしれないが、40代以上の世代や車好きにとっては水平対向E/G、シンメトリカルAWDを連想する人が多いはずだ。

終戦後、中島飛行機から富士重工に社名が代わり平和産業に転換した際、彼らはラビットスクーターやモノコック構造のバスボディを作りつつも、当時の厳しい規格の中でも持ち前の技術力で大人が四人乗れて、箱根も超えられる本格的な軽乗用車をヒットさせて普及させるなどして日本の自動車業界に独自の地位を築いた。



国民の所得が右肩上がりで増え続け、大衆クラスの自動車の価格が、自動車普及の目安となる年収の1.4倍に達した昭和41年ごろ、「マイカー」が一気に普及し始めた時代、ダットサン・サニーやカローラ1100に並んで軽自動車のベストセラーであるスバルブランドから「スバル1000」が発売された。

競合が手慣れた直列E/GのFR方式を採用していたのに対してスバル1000は室内が広く採れ、悪路走破性に優れる前輪駆動を採用し、低重心でコンパクトな水平対向E/Gを採用した。

「マイカー」という夢を叶える商品らしく豪華絢爛なクロームメッキで使われた競合を尻目にスバル1000はクリーンなスタイルでまとめた。一方、独自性ある機構を採用することで一クラス上のロングホイールべースや広大なトランクを備え、技術が暮らしを豊かにするポリシーを表現した実用的なセダンを目指した。スバル1000は独特の機構を持ったマニアックな車だったが、一定の支持を集めスバルff-1など名前を変えながら生産が続けられた。



1971年にデビューしたレオーネは大衆車クラスの中核セダンとしての役割を引き継いだ。整備性の改善や流行を取り入れ、1970年代的なエグ味が色濃いのが特徴だ。クリーンと言うよりデコラティブであり富士重工なりに売れる商品を目指した結果だった。1979年のニューレオーネや1984年のオールニューレオーネになると、カローラやサニーではなく、ブルーバードやコロナやカペラなどをターゲットにした位置づけに変化した。このとき、サッシュレスドアやAWD、ツーリングワゴン、水平対向ターボなどスバルらしさに繋がるキーテクノロジーを身に付けていった。



富士重工にとって転機になったのは1989年発売のレガシィである。大いなる伝承物を意味するレガシィはRVブームの中で全くの新商品としてデビューしたこともあって旧来のヒエラルキーに縛られない豊かさを持った車であると認知された。レジャーブームの中にあっては荷物が積めるワゴンボディやキャンプ場やスキー場に気軽に行ける走破性を持った車として日本国民(主語がデカイ)にツーリングワゴン=スバル・レガシィという意識を植え付けることに成功した。元々生真面目なスバルは技術偏重で高コスト体質だった上、北米での失敗もあり経営が苦しかったが、国内市場がレガシィにプレミアムを感じたことによって富士重工は再び息を吹き返した。

レガシィの成功の結果、富士重工は少しだけ困ったことになる。レオーネの置き換えとしてレガシィを企画するも既にレガシィはちょっとしたプレミアムカー的な立ち位置が手に入りそうでジャスティとレガシィの間が空いてしまったが、レオーネをいつまでも併売するわけにもいかない。

1989年、富士重工は「新しい時代性と高品位を感じさせるアーバンセダン」をテーマにレオーネ後継となる企画を開始した。レガシィがヒットしたがゆえに、ミニ・レガシィを作っても需要を食い合うだけだ。企画初期では直4を横置きする案も検討されたというが、最終的には水平対向E/Gを縦に置いた富士重工らしい伝統的な4ドアセダンと、積載性よりもカジュアルさを重視した5ドアスポーツワゴンという姿に落ち着いた。

セダンの想定ユーザー(ペルソナ)は32歳の夫婦で子供2人。小田急沿線のマンションに住む。平日は妻が運転しており、自尊心と良い意味の見栄を心に秘めている―のだそうだ。当時はバブル崩壊で都心のマンションの値崩れが起きたため、価格重視層が一時的に都心回帰する流れがあった一方で小田急沿線のマンションには周辺環境の良さを重視する中堅以上のサラリーマン層が多く住んだとされる。

新型車は富士重工の車であるがゆえに高性能へのこだわりや独自性を持たざるを得ない宿命にあるので、大衆車クラスでありながら普通の車に飽き足らない層をこのペルソナに投影したのだろう。このペルソナでは平日の主たる運転者は妻とされているが、女性ドライバーも重視しているのがインプレッサの特徴だった。走行性能も低速トルクを鍛え、実用領域(具体的に40km/hから80km/hへの加速)を大切にした。

販売店の声として「レオーネは乗ってもらうまでが大変。いくら性能が良くても乗って走らなきゃ分からない。それは結婚してから良さが分かる人みたいなものだ。結婚したくなるような魅力が必要」というものがあった。ターゲットに販売店に来てもらえるスタイリッシュさも求められていたのだ。



こうして1992年に発売されたインプレッサは1.5L/1.6LのFFと1.6L/1.8LのAWDが搭載され、副変速機やエアサスまで選べるという90年代らしいワイドバリエーションの頂点に君臨するのは今回試乗したWRXだ。

WRXはWRCに勝つために2.0L水平対向ターボを4輪で駆動する最強のセダンである。私がそもそもWRXとは・・・・などと講釈を垂れずとも、世界中の人がこの車の素晴らしさを知っているのではないか。

そんな偉大なAWDスポーツモデルなので身構えて乗り込んだ。実際に走ってみると、とにかく安全に速い。扱いやすい小型車枠でありながらスポーツカー顔負けの走りをする4ドアセダンの凄みを感じさせる。上手に言えないがそれはサーキットより峠が似合う。いいおじさんになった今、無邪気にコーナリングとターボの加速を楽しむよりも、速く走れれば走れるほど自制心との戦いになった。



高性能な車は安全である、という方便は分別のある大人にのみ適用されるのであり、20年前の私が乗ればきっと引き際が分からず、何処かに刺さっていただろう。走行性能に関して私が文句をつける余地はほぼ無い。もう少しラフなシフトも受け入れて欲しいと思うこともあるが、高性能車には高度な運転技術が必要なのは当たり前なのだと思い直した。思い出補正というか価値観形成期のモデルだったという面を差し引いても、1994年にこれほどまでの走りを見せる車は稀有だ。

11月に行われたインプレッサWRXの運転体験はトヨタ博物館のJDM展というタイミングにぴったりの試乗となった。WRCで戦えるほどの戦闘力の車を限定生産するならまだしもカタログモデルとして量産し、街中でそれなりに見かけるほど普及していたという事実は日本らしい現象である。高機能・高性能なものを小型化して量産するのは当時の日本のお家芸であったからだ。



260psという現代のスポーツモデルでは物足りない出力でもシートに背中が押しつけられるような加速を見せ、ステアリングさえ切れば安全に曲がってしまう。しまいに自分は運転が上手いと勘違いしてしまいそうになる。WRXの性能は普段使い切れない。90年代の峠マンガのような世界で夜に目を三角にして走らせるような場面でようやくという感じだろう。速い車だからこそミスをしてクラッシュに至れば大怪我で済むんだろうかという疑問が湧く。そういうヒリヒリした恐れをスパイスに次のコーナーに挑むという感じになる。多少のラフな操作やミスは車側がカバーしてくれ、速く走れるが徐々にエスカレートすれば何処かで限界を超えてしまうだろう。だからこそ、この車には自制心が必要なのだ。

現代のスバルらしさは先進安全かも知れないが、20年前のスバルらしさはWRCの結果に裏付けされた高出力AWDによるハイレベルな走りだった。この車はその意味でとてもスバルらしい車だった。オーナーには深く感謝したい。

Posted at 2026/02/01 01:30:04 | コメント(4) | クルマレビュー

プロフィール

「@凌志 さん これを捨てるのは無理じゃないですか・・・・読みふけってしまいます(笑)」
何シテル?   04/20 23:08
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2026/4 >>

   1234
567891011
1213141516 1718
19202122232425
2627282930  

リンク・クリップ

世紀末の街角より②匿名の多様体カローラ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2026/03/16 18:51:29
マニアック博物館。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2026/01/09 00:42:35
GRファクトリー見学。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2026/01/09 00:40:43

愛車一覧

トヨタ カローラ トヨタ カローラ
1989年式(マイナーチェンジ直前) カローラGT。 ヤフオクで発見し、 不人気車ゆえに ...
トヨタ RAV4 L トヨタ RAV4 L
1996年式 標準グレード。 私が小学生だった1994年、RAV4が颯爽と登場した。私 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
2000年式 NC250。 長年、趣味の先輩達と車談義を重ねる中で定期的に「プログレは ...
シトロエン DS3 シトロエン DS3
2011年式 スポーツシック・エディションノアールII。 ラテン系ホットハッチ(プレミア ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation