• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ノイマイヤーのブログ一覧

2024年04月12日 イイね!

富士モータースポーツミュージアム見学

富士モータースポーツミュージアム見学かねてから行きたかった富士モータースポーツミュージアムへ行ってきた。


概要や設立の経緯はWikipediaをご参照いただくとして、トヨタ博物館で展示されてきたモータースポーツに関連する車両や国内外のメーカーの協力を得て富士スピードウェイそばのホテルの1-3Fが博物館になっているのが富士モータースポーツミュージアム(以下FMMとする)である。

前々から気になっていたものの、諸々の条件が整ってきたので、オープンからおよそ1年4ヶ月遅れでやっと見学にこぎ着けた。

朝、子供達を起こし着替えさせ、デミオに突っ込み出発。化粧は車内で行ってもらい、後席の子供達には朝食の菓子パンを渡して高速道路に流入した。

道路は意外と空いていたのでデミオのGT性能を遺憾なく発揮し、快調そのもので新東名を降りる前に早めの昼食をとり、新御殿場ICで降りると驚いた。路側には雪が降った後があったのだ。完全夏タイヤで来てしまったので失敗したなぁと思いながら慎重に現地へ向かった。

車を降りると気が引き締まる様な気温。駐車場にはロードスターやスイスポ、スープラなどそれっぽい車が並んでいた。

自動車部品のオブジェやトヨタ7を目の当たりにして感動に包まれたが、QRコードで入場すると、昔のトヨタ博物館を知る人には懐かしい車両達がお出迎えしてくれた。




全部を紹介することはできないので、私が撮ってきたスポーツカー・レーシングカーたちはフォトアルバムを見ていただくとして、軽く抜粋した車を紹介する。

まず目に入るのは「パナール・エ・ルバッソール」である。フロントエンジンリア駆動という自動車の基本的要素を備えレースで活躍したという偉大なモデルである。



そのあと、からはトヨタ博物館で昔飾られていた私にとっては懐かしい車たちと再会した。







カーグラTVのオープニングでおなじみの1926年式ブガッティはトヨタ博物館でも
お馴染みだったのだが、今回の展示でパワーアップしており、なんとブガッティ純正?万力が展示されていたのは笑った。どこから見つけてきたのか・・・・。



ちょっと面白いのは、量産車で有名な4人の自動車メーカー創業者が携わったレース車が取り上げられている事だ。

●ヘンリーフォード


ヘンリーフォードは資金集めのために「フォード999」を作り、自らもレースカーを駆って参戦し、出資者を集めたという。

その資金でフォードT型につながるフォードモーターカンパニーを設立したというから、レースへの参戦は人々への絶好のアピールの機会だったと言える。



FMMに展示されているのは1966年に作られたレプリカである。



速く走らせるために排気量を18000ccとし、デフさえも与えられない粗暴さは自動車を大衆化するという目的の為に、高度な材料を使って強度を持たせつつ軽量化し、流れ作業を導入し、黒一色に絞って種類を減らしてまで低廉な自動車を普及させようとしたヘンリーフォードの一途さにも通じていると思う。






●フェルディナントポルシェ
フォルクスワーゲンやポルシェを産んだポルシェ博士は高級スポーツカーやグランプリカーを手がけてきたが、ここで取上げられているのはローナーポルシェの模型である。



ローナーポルシェは1900年に作られた前輪ハブリダクションモーターのBEVで
世界初の変速機や差動装置を持たない自動車となった。更に後には航続距離を稼ぐためにガソリンE/Gで発電してモーターで走らせるシリーズハイブリッドを実用化してたというから、その先見性には畏敬の念を感じる。

ポルシェ博士は後にレーシングカーに改造して90km/hまで発揮できる様にしたという。

展示されているのは模型であるが、事実としてEVから発展し、自宅で充電出来るPHEV車を最初に作ったという事実は素晴らしい偉業である。

●豊田喜一郎
トヨタ自動車が運営する博物館ゆえに意外な人物が登場する。我が国で純国産自動車を生産し、自動車をみんなのものにしようと情熱を傾けた豊田喜一郎だが、公営ギャンブルの一つとして4輪オートレースに対し、販売店のサービス部門によって製作されたレースカーを送り出した。自動車技術の発展を願いつつ、会社の経営状態を考えたとき、莫大な開発費をかけられずレースの賞金を開発費に充てられるからだった。



展示されているのは愛知トヨタが手がけた2号車で当時タクシーとしてよく使われたSD型セダンをベースにしている。前後重量配分を最適化するためにE/Gが後に置かれ、変速機は4速仕様でありながら、悪路走行や過積載発進に配慮したローギアードな1速、2速は使用せず、3速と4速だけで走らせたとのこと。

実物は現存していないので展示されているのはトヨタ社内で復元されたレプリカであるが、当時モノのS型E/Gをレストア、ボデーは手たたき板金で製作した。決して素晴らしい戦績を残したり高度なメカニズムで見る人から羨望を集めたモデルでもない。

それでも、何とかして日本国内のモータースポーツを通じて国産自動車のために
なることをしようとした喜一郎氏が唯一関与したレースカーである。



●本田宗一郎
日本でモータースポーツに力を入れたメーカー創業者と言えば、真っ先に名前が挙がりそうなのが本田宗一郎である。

ホンダは2輪も4輪も世界一になった経験がある貴重なメーカーである。FMMに展示されているのは1961年に250ccクラスでライダーズ&マニュファクチャラーズタイトルを獲得したRC162と1967年F1グランプリ4位入賞のRA273である。



RA273は空力付加物がなく、すっきりしたアルミ合金製の車体はリベットで止められ、V型12気筒エンジンからは生き物の様に有機的なMg製エキパイが後方に伸びている。




ゴツいドライブシャフトやクロームメッキされたサスリンク(強度が上がると信じられていたらしい)、スタビライザーバーなど見ればうっとりする様な妖艶さがある。




実際はパワーはあれども。内製シャシーは車重が重く、レギュレーション変更で混乱した状況ゆえに優勝こそ実現しなかったが善戦した。

その経験は、ローラ製のシャシーを使った次期作RA300にて活かされた。


1Fの残りのフロアは戦後の日本メーカーによるモータースポーツへの挑戦が紹介されていく。日本グランプリ、鈴鹿サーキット、富士スピードウェイを走ったマシンが展示されている。







エレベーターで2Fへ上がる。

レースで鍛えられた技術が市販車に活かされる時代を紹介する。

地元連携モータースポーツのパイオニアであるタルガ・フローリオ、
ミッレミリアを走ったスポーツカー達。

アルファロメオは、トヨタ博物館に展示されていた時代に「ブランド」を強く感じさせられた思い出のあるモデルである。

若い頃、どんなクラシックカーを見ても同じように見えてのだが、このアルファロメオをみて、「速く走れる様に背が低い」「横から見たプロポーションが美しい」「この赤は、現行型アルファと同じ赤だ」1930年代でも2000年代でもアルファロメオなんだなと気づかされた思い出のある車だ。






世界最高峰レースであるラリーカーでは複数の日本メーカーの車が行き危機と展示されている。

速すぎて無くなったグループB車両、国産ラリー車の改造箇所やオリジナル箇所を確認しながら、痛車文化が強くなる前は、ラリー仕様風のスポーツモデルをよく見かけたなぁと懐かしかった。











そして24時間耐久レースが取上げられていくが、マツダ787BとトヨタTS020GT-oneは一等地に並んでいる。ルマン24時間レースは地上波で中継で放映されたいた子供時代はリビングで夜更かしできるワクワクイベントだった。











トヨタはその後欧州でのプレゼンス拡大を狙ってF1にも参戦していた。優勝は叶わず、ホンダの様な伝説的なニュースは無かったがこの時期はF1参戦以外にも欧州をメインに挑戦したアヴェンシスや初代ヤリス・ファンカーゴなど自動車発祥の地に対して真摯なアプローチを行っていた。



ここから先は富士スピードウェイの象徴的なマシンが並ぶ。





展示されているフットワーク・ムーンクラフトスペシャル・7はヤマハ製5バルブE/G(2LのV6で330ps)が560kgの車体を引っ張る。特筆したいのはこのE/Gには吸気量の確保、高回転化の追求のために5バルブが採用されていることだ。



ヤマハはこのレース用E/Gを1984年に発表し、1985年にモーターサイクル用に5バルブE/Gを実用化した。1989年には三菱がミニカのために5バルブE/Gを量産車で初めて搭載し、1991年にはトヨタが4A-GEにVVTと一緒に目玉技術として5バルブを盛り込んだ。その後もVW/AUDIがスポーツモデル用に5バルブを採用していたが、それっきり5バルブの採用は途切れてしまったが、レースの技術が量産車にも展開されていった実例の一つだと言えるだろう。

これ以降も、富士を彩ったマシンが続く。





後にフォーミュラニッポン、スーパーフォーミュラに続く、F1に次ぐカテゴリーF3000、そして市販車ベースで改造範囲の少ないグループAになると車種が一気に身近になる。

壁には富士スピードウェイのレースシーンの写真が飾られている。めざとい私はふと小さな車が気になった。





AE92やん!と嬉しくなった。

レビンなので私のセダンとは全然違う見た目なのだがそれでも嬉しく感じる。宿敵EFシビックとの死闘の末にクラス優勝を果たした事もあった。いつか実車が展示されるときには再び訪れたいと思う。

そして展示のクライマックスに近づくと、世界記録に挑戦した車として
トヨタ2000GTのタイムトライアル車(レプリカ)とNSXタイプRが展示されている。

どちらも世界記録を持っているスポーツカーでいわゆる羨望の的である。





NSXを考える上で最も素晴らしいのは、長く乗りたいオーナーのためのリフレッシュプログラムが存在したことだ。

調べてみると休止している様だが、地道な活動がNSXの価値を高いまま残し続けているはずで、今後クラシックカーとして残るためにもこのプログラムの再開は強く希望したい。



マツダが近年、NA型ロードスターのレストア事業を開始したが、その脳裏にはNSXの存在が必ずや存在したはずだ。

例えば隣に並ぶトヨタ2000GTは、内外装の美しさやクラフトマンシップ、世界記録に挑んだ高性能に加えて希少性も相まって長きに亘り国際級のプレミアを維持し続けてきたが、近年は補給部品の供給がほぼ途絶えたために、クラシックカーとしての市場価値が損なわれてきているという。投機目的のオーナーも存在するが、サービス体制が一定量維持されていることもクラシックカーの価値を左右している。
そんなこともあり、ドライブトレーン部品の再生産が2020年に始まった。こうした動きは今後の自動車文化の発展の為には必要であろう。

第二次世界大戦後に自動車産業が急速に発展した日本だが、その日本が生んだモータースポーツ文化を象徴するドリフト仕様のGRスープラが飾られていた。確かに速さよりもドリフト時の並びや芸術性を競う競技は今まであまりなかったのでは無いだろうか。遂に日本から一つの競技のカテゴリーが産まれたのかと思うと、自分はドリフトをしないが、喜ばしいものだ。



最後は自動車大国の北米のモータースポーツに対して挑戦したレースカー達が並ぶ。

一番最初に目を引くのはNASCAR仕様のカムリだ。古き良きアメリカのV8後輪駆動を、北米でFF直4でスタートしたカムリを名乗る面白いレースカーだ。V8、OHVであることがレギュレーションのため、カムリと言えども初代センチュリーの様にOHVなのである。カムリの長い歴史ではFRカリーナベースの初代は12T-Uや13T-Uを積んでいたが。







ここに展示されているものの全てを語ることは、
モータースポーツに殆ど親しんでこなかった私には難しく、
同じものを見てもモータースポーツファン程の気づきが得られたのかは自信がない。
とはいえ、実物は見る人に対して雄弁に語りかけてくるもので
モータースポーツに挑んだ車両達の繊細さ、逞しさ、楽しさが伝わってきた。

他メーカーからの借用車両だったりすることもあり、展示車両が入れ替わることは鮮度保持の面では有効だと思われるが、
各ゾーンのテーマ性を維持するための努力も相当なものがあるのだろうと推測している。

何だかんだで一般向け量産車を好む私でも楽しめる2時間だった。
展示を見すぎて子供達からブーブー怒られたのと雪が心配だったので
早々に退散。

その後は三島市立公園でケープハイラックス(かわいい)を見たり、
子供機関車に乗ったりしながら、富士宮やきそばに舌鼓を打った。








静岡市のスーパー銭湯で風呂に入り、子供を寝かせながら新東名をひた走り、
日付が変わった後に帰宅した。(子供達は布団にそのまま差し込んで終了)

燃費が良く、高速で力のあるデミオはありがたい。

そう言えばFMMにはバイオ燃料を使ってレースに参戦するマツダ2の勇姿が写真で紹介されていた。



少しだけ、妻の車に対して誇らしい気持ちになった。
まだ訪れていない方は是非尋ねてみてほしい。

Posted at 2024/04/12 22:23:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | イベント | クルマ
2024年04月01日 イイね!

愛車と出会って18年!

愛車と出会って18年!4月1日で愛車と出会って18年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!

本当に早いもので17年落ちで購入して18年。妻より付き合いが長いです。横須賀の関東自動車をラインオフしてからはちょうど35年になります。クラシックカー感出てきましたね。

調べてみましたが、2598km走った2023年度の年間経費は13万501円でした。(保険税金高速代など込み)
ガレージ代は入れてません。

2006年の購入からは10万6588km走りました。(かけたお金は計算してません)

ガレージ建てたので自宅にカローラが置けるようになり、持ち主としては幸せです。乗れなくても見に行ってみたりして。

ストック部品も少しずつ移動させて保管体制を構築中です。

■この1年でこんなパーツを付けました!
なんも付けてませんが、今の状態が気に入ってます。

オリジナルの味をどこまで維持できるか、が勝負どころ。企業レストアみたいに何でもかんでも金にモノを言わせてワンオフ製作!は難しいので市井の家庭持ちサラリーマンがやれる範囲でやっていきたいと思います。

■この1年でこんな整備をしました!
バッテリー上がりましたので交換しました。
あとはワイヤレスドアロックの金具交換と電池交換しました。たまたまストック品をスギレンさんからいただき助かりました。気持ちよく走ってくれるのはカローラ待ち前の信頼性と主治医のおかげです。下手したら10年前より調子いいかも。

■愛車のイイね!数(2024年03月27日時点)
1140イイね!

■これから維持りたいところは・・・
ヘッドライトのイエローバルブが既に生産中止で手に入らないけど、光量が落ちてきているような。どこまで維持できるか!この見た目が好きなんですよねぇ。

頑張ってくれてるけど、純正ラジエーターがそろそろやばいかも。オーバーヒートは怖い。

アイドル回転数は調整しても上手く決まらないですけど、直すの大変そうだし走れるので維持。燃費には影響してそう。

ルーフやフードの細かいデントリペアしてみたい。キズだらけのアルミホイールなんとかしたい。マフラー吊りゴム交換出来てない。

■愛車に一言
乗れば必ずT-VISは作動させるので、毎回お疲れ様です。買ってから18年経っても未だに走りが軽やかなので楽しいです。車から降りると外観が穏健なのも気に入ってます。

老人にかけるような言葉ですが、これからも末永く、細く長く楽しんでいきましょう。私のやれる範囲でやれる事をやります。もうすぐ車検なので無事通過できますように。

壮大な計画よりも、スモールステップでまずはあと2年頑張って20周年を目指しましょう。

>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2024/04/01 00:12:52 | コメント(2) | トラックバック(0)
2024年03月19日 イイね!

2023年式MX-30 Rotary-EV感想文

2023年式MX-30 Rotary-EV感想文●令和を走るマツダの精神的生命線
2023年11月、新型ロータリーE/G(以下RE)を搭載したMX-30 Rotary-EVの情報が自動車メディアを賑わし始めた。日常生活では家庭充電でBEVとして利用し、長距離の際にはコンパクトなREを発電機として利用しシリーズ式HEVとして走行する独自のPHEVシステムを開発した。

REを発電機に利用する技術は後述するが元々他社が先行し、マツダでも研究を続けていた。最終的には駆動用電池は107kmに留めつつ、新開発のREに50Lタンクと組み合わせることで航続距離を確保。普段の生活は電動走行が楽しめるよう家庭充電機能も付いた実用的なPHEVとなった。

●REを発電用エンジンとして再出発させる
2010年代に遡るとレンジエクステンダーEV(REEV)という概念が存在した。当時からEVは航続距離に課題があったが、下記条件を満たせばREEVと呼ばれてBEV同等のZEVと見なされた。

外部充電による走行距離が75mile(120.7km)以上であること。
補助動力装置(APU:Auxiliary Power Unit)による走行距離が外部充電による走行距離以下であること。
補助動力装置はバッテリーの電力が低下するまで作動してはならない。
極超低公害車(SULEV)とエバポ排出ゼロ基準に適合していること。


上記を満たさない場合はPHEVとして扱われる。BEVの航続距離が全く実用に値しないことを自白するかの様なREEVという概念だが、考えてみればZEVを名乗るためにわざわざPHEVよりも不便にするという妙なカテゴリーだ。補助動力に頼り過ぎるようだとZEVと呼べないということらしい。

REEVは2014年にはBMWがi3を発売し、中国でも国内向けに数モデルが世に出現した。i3は21.8kWhの電池を積みEVレンジは196km走行可能だ。BMW i3はレシプロE/G(647cc2気筒)を積み、9Lタンクで150km程度は走行できた。確かにBEVが持つ燃料切れの不安から解消されるメリットは大きかった。

ここにREの可能性を見い出したのが、かつてのNSUを吸収したAUDIだった。2011年にAUDIが試作車ながらレンジエクステンダーEVを発表しており、ジャーナリスト向け試乗会も実施されている。



A1 e-tronは254cc×1ローターで18KWを発揮し、5000rpm定常運転で発電機を回してバッテリに電力を供給することで、EVレンジ50kmをREによって250kmまで拡張するという。シングルローターというところもNSUチックで、AUDI自らNSUの技術を葬った割にイメージ戦略には利用する点がクレバーだ。

マツダはこれを見て「居ても立っても居られなくなった?」のか2013年にはデミオDEベースでRrフロアにREを置いた試作車を発表した。

幻のシャンテ用3A型を彷彿とさせる330cc×1ローターで22kWを発揮。元々JC08モードで200kmEV走行可能な実力を180km延長した。この時の燃料タンクは9Lとされていたので20km/Lという燃費性能だった事になる。

REEVの補助動力源としてRE新時代が来るのか・・・・と期待したがそこから10年待たされて
REEVではなく、PHEV「e-SKYAKTIV R-EV」としてようやく実用化の日を迎えた。

●REを残すために身を隠した11年間
マツダが決死の覚悟で1967年に実用化したREは、バブル崩壊による経営危機やフォード傘下時代を乗り越えた。REはマツダのDNAであり魂でありご神体でマツダの個性・技術開発の象徴の一つと言えた。2012年にRX-8が生産中止になってもレネシス以降の次世代REの研究は行われており「16X」なるREの存在が知られていたが、世に出ること無くお蔵入りになった。

NSUがAUDIに吸収され、トヨタや日産、スズキやヤンマーがREを諦め、REを進化させることが出来るのは世界でマツダだけだったのに、その進歩が止まってしまったのだ。



ここ10年ほどのマツダは皆が知るとおり、E/Gと車体を含めて一括企画することで存在感を示してきた。ロードスターを残し続けてスポーツカーへの愛も失わなかったが、REに対しては冷淡と言える程の態度を対外的に示し続けてきたのだ。2012年にRX-8を生産中止とした後、挙げ句の果てには2018年にはRE開発部隊を解散させたと報道されるに至った。これはRX-9?への過度な期待をかわして実質的なREの存続を図るために地下に潜っていた期間だったのだと私は思う。

仮に2015年頃にスカイアクティブR!800cc×2ローターターボで350psだ!燃費はRX-8同等の9.5km/L!的な「ぼくのかんがえた最強のREスポーツ」が仮に発売されたとしたら一体どうなっていただろうか。

台数を稼ぐには北米への輸出が必要だが企業間平均燃費の縛りや世界的な原油高など、厳しい環境の中で規制値は右肩上がりに厳しくなる。発売した瞬間だけギリギリ適合しているような「その場限りのREスポーツ」では些細な規制強化につまずいてしまい、再びそそくさと市場から退散することになりかねない。多少の環境変化に負けずにREが継続的に存続できる技術が得られるまで身を隠す方が得策だ。

●まとめ~上手にREを復活させてくれた~
MX-30 ROTARY-EVの魅力と人々の興味は新しいPHEVシステム、その中のREが大部分を占めていることはほぼ断定しても問題ないだろう。そしてそのREの中身は経営効率や業界内勢力の拡大などのそろばん勘定による合理的判断では無い。



この技術はオワコンと化した自動車業界の中で車に興味の無い層へのアピールよりも、自動車にロマンを抱いている希少なファン層に向けたアピールが強い。更に、マツダ社内の従業員の士気を上げる為のちょっとした投資でもある。いや、福利厚生とでも言うべきかも知れない。MX-30 ROTARY-EVに触れ、乗ってみてこの車の主成分は相変わらずロマンだと思った。ドラマチックかつエモーショナルなRE復活劇のアウトプットが意外なほどチルなMX-30の追加バリエーションに結実したのが面白い。

MX-30は2020年にマツダ初の電動車として発売されたが、主流とは敢えて外れた道を行く「分かりにくい」モデルだった。MX-30の全体的にチルなキャラクターに濃厚なエモーショナルE/GであるREを内包した「e-SKYAKTIV R-EV」が加わることで全体のバランスがとれ、MX-30という車種が完成したように私は感じた。

RE復活に対して負の影響を及ぼしかねない偏狭なマニア層を遠ざけるのには最適のアッパーボデーともいえる。強すぎるマニアの期待の声というのはブランド的メリットの反面、商品を殺してしまう劇薬でもあるからだ。

そんなMX-30を見ているとフロントマスクやルーフにルーチェロータリークーペの面影を感じた。考えてみればスペシャルティな横置きFFのREという部分でも共通している。



MX-30 ROTARY-EVは2024年現在は納得できるEVレンジ(107km)と決して燃費が優れているとは言えないREを使って800kmを超える航続距離を手に入れ、パーソナルカーとしては不満の出ない使い勝手も持っているから、買った人が実用上困らないようになっている点は評価できる。このモデルで徐々に経験を積んで今後の展開にも期待したい。

パーソナルカーとしては意外なほど脱エモーショナルで、BEVらしいお約束演出が無いものの違和感が無く、燃費が悪すぎて致命的な拒絶反応を受ける事は無いSUVライクスペシャルティとしてはそれなりの説得力がある。しかし、純粋な道具としての機能は粗削りに感じられる面もあり、3★である。

マツダにはREの炎を再び消さないように「安全運転」で育ててほしい。REスポーツ待望論者も、この変化球を毛嫌いせずに「マツダへのふるさと納税」の様な気持ちで選択肢に入れることは、ひいてはREスポーツ復活の応援をしていると言うことに繋がるだろう。



コアなRE愛好家以外は、BEVの航続距離に満足出来ないシングルorカップルのファーストカー、或いは非常時給電に便利な発電機能付きセカンドカー需要では選択肢に入ればいいのだが。
Posted at 2024/03/20 00:37:28 | コメント(1) | クルマレビュー
2024年02月07日 イイね!

2023年式N-BOX感想文

2023年式N-BOX感想文●もはや国産乗用車の一つのベンチマーク
「F1のホンダ」「クリエイティブムーバーのホンダ」・・・色んなホンダのイメージがあるが、ここ10年は「N-BOX頼みのホンダ」という印象が私にはある。

初代N-BOXは2011年、軽自動車事業立て直しの中心的車種として世に出た。スライドドアを持ったスーパーハイトワゴンというパッケージはタントやパレットの市場に真っ向から殴り込みをかけた形だが、独自のセンタータンクレイアウトや衝突時のEAストロークを効果的に産みだしたE/Gレイアウトを組み合わせて革命的な使い勝手を実現し、それを上手に宣伝したことがヒットに繋がった。

福祉仕様車のボディ構造をユーティリティに振ったN-BOX+はフィット相当の後席スペースとゆとりあるラゲージを持っていた。妹夫妻からN-BOXを検討していると相談されたので+のターボを強力にお勧めして購入に至った。(買わせた)

そして2017年、ホンダのジンクス「保守的な2世代目でコケる」を避けるために僅か6年でP/Fを一新した2代目N-BOXはNAモデルへのVTECエンジン搭載やレーザー溶接、助手席ロングスライド、後席スライド機構(先代途中で追加)など、キープコンセプトながら攻めた開発を行うことでホンダのジンクスを見事に乗り切った記念すべきモデルとなった。コロナ禍など、時代の波もあったものの販売トップの座を守り続けた。

例えば、いま最も新しい統計結果である2023年1月-12月累計を調べると、N-BOXは23万1385台売れていた。軽自動車全体の販売台数は174万4919台、登録車も含めると477万9086台であるから、軽自動車の13.2%・全国産車の4.8%がN-BOXと言うことだ。ちなみに2位のタント(15万9392台)、3位のスペーシア(12万2275台)、7位のルークス(7万536台)を含めると、スーパーハイト軽は58.3万台もの市場規模があり、日本で売られている乗用車の12.2%を占めている。

そんなスライドドア付き車両の中で最も選ばれているN-BOXは2代目のデビューから6年の歳月が経ち、競争力が衰えていないにもかかわらず、3代目がデビューした。



3代連続P/F維新は無理だったのだろう。今回はP/F流用のキープコンセプトである。モデル末期でも強力な販売競争の中で選ばれ続けてきたのだからキープコンセプトでも充分な勝算があるということだ。

HAPPY Rhythm BOXとテーマに、初代で子育てママ、2代目でその家族に焦点を当ててきたので新型では幸せの輪を拡げてみんなに愛される総合力の高いクルマにすることを目指したという。

デザインは誰が見てもシンプルかつN-BOXだと分かるもので、水平でベルトラインと繋がったフード、少し高めのベルトラインと切れ上がったQTRウィンドウは維持されている。新型は瞳の様なLEDヘッドランプ、面発光リアコンビランプなど新しい要素も加わった。コックピットは最近のホンダらしいノイズレスなスッキリデザイン。新型は一転して薄く、低くという傾向に変えてきた。

全体的なインパクトはビッグマイナーチェンジ的なレベルであり、例えば駆け込みで先代末期モデルを買った人が「やられた!」と地団駄を踏むレベルでは無い。

走らせた印象は目新しい機能の採用は無いが、先代と同じVTEC搭載のNA仕様でも何とか高速道路を走れるし、Hondaセンシングに任せておけば100km/h巡行もこなせるレベルだ。

下記の写真は2023年春に偶然出張先からの戻りの高速道路で遭遇したテスト車だ。見た瞬間「コレは次期N-BOX」と直ぐ分かった。



バリエーションは売れ筋に絞る形で標準仕様とカスタムそれぞれにそのドレスアップ版というシンプルな構成で先代にあった電動スライドドアなしのエントリーグレードや助手席ロングスライド仕様や標準系ターボの設定がカタログ落ちした。

ベストセラーの余裕を感じさせるワイドバリエーションは売れ筋に絞った仕様見直しがなされ、ドレスアップ版は実質的にはかなり投資を抑えて原価を見ながら販価を取りに行った格好だ。

今のホンダはN-BOXだけが強烈に売れていて、それ以外にヒットが見られないのがツライ。N-BOXに頼り切ったモデルミックスは収益悪化を引き起こしているのではないか。私が試乗した限りはFITもシビックもステップWGNも力作だ。しかし、販売に結びついていないのは仕様設定の詰めの甘さや継続的な需要喚起策(特別仕様車など)が置き去りになっている事も一つの理由では無いだろうか。供給難も落ち着きつつある昨今、N-BOXの絶大な支持を上位モデルの拡販に結びつけられないと苦しい。

こんな状況の中で企画された新型N-BOXはホンダ国内販売のリーダー的存在でありながら、先代P/Fを流用することで投資を削減し、不採算仕様を整理し、売れ筋の仕様に絞ることで収益性が改善された。

先代N-BOXは新P/FやVTEC搭載など敢えて攻めることで2代目のジレンマを断ち切ったが、3代目となる新型は心配になるほど地味で保守的・収益性改善を狙ったFMCだ。

まぁ、フツーの(売れ筋で満足できる)お客さん目線だと、N-BOXの良さはそのままに熟成されたメリットが享受できるはずだ。

実際に税込み価格はエントリーグレード比較で2代目デビュー直後と較べて33.4万円も上がっている。新型の最廉価は助手席パワースライドドアが装備された過去の最量販グレード相当であることを考慮しても先代の22万円アップである。モデルチェンジ時期が近いスズキスペーシア(133.4万円→153.1万円)が19.7万円アップだから、較べればホンダの値上げ幅はたかが3万円程度でもその差は大きい。

仮にエントリーモデルを買う人が5%だったとしても、年間23万台売れている車の規模では1.15万台×33.4万円販価アップだから38億4100万円も儲かるのだ。(価格アップについて来られない顧客の減少分は未考慮)



ホンダにとって新型N-BOXは守りと言うより耐えるFMCである様に感じる。競合するダイハツは自滅したとしても、スズキは軽自動車らしい価格帯と豊富なアクセサリーでN-BOXを追撃している。かねてからクラスレスな軽を目指すN-BOXだが、仕様の先進性・高級感よりも意地悪く言えばお金を使わず工夫した事が果たして消費者に響くだろうか。冷たく突き放すと、国内販売の収益性の苦しさを対策するための収益アップのための口実としてFMCされたに過ぎないのでは無いかとも思えてくる。室内灯が豆電球に戻ったり、ワイパーの間欠調整の設定縮小など、しれっと目立たない部分で仕様は落とされている。

細部をチェックしていくと軽自動車で充分以上の満足感が得られる少し高くても満足できるN-BOXという感じではなくなってしまった感がある。N-BOXが過去12年間で蓄積した信頼の実績(=貯金)を切り崩した感があるとさえ私には感じられた。

乗ってみても、一般家庭のセカンドカーのささやかな贅沢をNAが支え、普通車から乗り換えても耐えうるファーストカー需要をカスタムターボが担うのであれば必要充分な車だと思った。一方で独身の方が何も考えずにN-BOXと言うのはちょっと過剰というか合わないかなと思う。

ホンダはこのN-BOXで収益性を改善して国内市場で稼ぎたいのだと思うが、このままN-BOXを値上げして300万円で買って貰える日は恐らく来ない。収益を考えるなら日本市場でも普通車も選んで貰える様なテコ入れを図らないことにはホンダは大人気のN-BOXで自分の首を絞めることになるだろう。(W-RVなど一部でN-BOX一極集中に抗おうとする動きもある)

総合的なお薦め度を3★としたのは、P/F維新を含めて攻めた技術革新が織り込まれていた先代モデルと比べると、操縦安定性や細かい制御ロジックの見直しなど改良点はあるものの、トータルでは少々後ろ向き・縮小傾向、収益性改善のためのFMCであることと、その割に先代から指摘している部分の改善が未だに見られない点もあるため。

Posted at 2024/02/08 00:06:41 | コメント(1) | クルマレビュー
2024年01月20日 イイね!

2023年式C+pod感想文

2023年式C+pod感想文●超小型モビリティとは
豊田市で超小型モビリティの実証実験があり、C+pod(シーポッド)に試乗できる機会があった。

<豊田市プレスリリース抜粋>
豊田市は、脱炭素社会を目指し、豊田市つながる社会実証推進協議会の取組として、トヨタ自動車株式会社及びNTPグループ株式会社トヨタレンタリース名古屋とともに、超小型電気自動車「C+pod」を活用した、カーシェア実証を開始します。この実証では、トヨタ自動車が提供する会員制カーシェアサービス「TOYOTA SHARE」を活用し、同社の社用車のうちC+pod 20台をシェアリング車両として市民等にも貸出します。なおこの車両は、出発ステーションと違うステーションで返却できる「ワンウェイ利用」が可能です。実証を通して、カーシェアリングに関する利用実態やニーズを検証し、市民や来訪者の新たな移動手段として提案するとともに、電気自動車の普及促進につなげます。


C+podは「超小型モビリティ」である。超小型モビリティとは国土交通省の定義では「自動車よりコンパクトで小回りが利き、環境性能に優れ、地域の手軽な移動の足となる1人~2人乗り程度の車両」である。現代の自動車を取り巻く環境の中で、例えば高齢ドライバーの免許返納の一歩手前の受け皿、過疎地域のガソリンスタンドが閉店していく中での地域の足、物流のラストワンマイルの担い手、或いは観光地のゲタ代わりとしてこのような超小型モビリティが求められているという。

また国土交通省の調査によれば一般ドライバーの乗車人数は2名以下で10km以内が7割。更に5割が高速道路を走らないので、超小型モビリティの潜在的な需要があるとされ、超小型モビリティの普及によって運輸部門からのC02排出を削減できるのではないかという考えが背景にある。

その区分は下記の様になっており、今回取り上げるC+podは超小型モビリティ(型式指定)となる。



表を見ると分かる通り、C+podは原付扱いのミニカーと同じ寸法関係でありながら、ミニカーよりパワフルな原動機を搭載しても良い分、高速道路の走行はできず、最高速度は60km/h以下に絞られた軽自動車の一種である。最高速度を絞り、高速道路の走行を諦める代わりに衝突安全基準もフルラップ衝突が50km/h→40km/hに、オフセット衝突が56km/h→40km/hに緩和され、更にポール側突が免除される。

購入時にCEV補助金は貰えるが、免許は普通運転免許が必要で車検も軽自動車税も必要である。つまり、ユーザー目線では小型モビリティは不自由な軽自動車にしか映らない。上記を反映したのかC+podは個人で購入はできずリース契約のみの車種となっている。

現状でもコンビニエンスストアの配送車両や郵便配達車に超小型モビリティを使用している事例はあるが、これら車種はスクーターやスリーターより対候性が良く、コンパクトでちょっとした路上駐車は容易い点が営業車に向いているという。

●トヨタの超小型モビリティ
トヨタはかねてから、CO2削減のためにはHEV・PHEVが向いている。BEVは近距離コミューターに適しているという考えを発表してきた。

私が若い頃は、日産がハイパーミニ(2000年)、トヨタはe-com(1999年)を発表し限定的な用途で世の中に存在していた。特にハイパーミニは当時400万円という価格も普及には繋がらなかった。

2003年にはBEVでは無いもののスズキが軽自動車企画のツインを発売。かなり専用設計の部分が大きい車だったが、50万円を切るスタート価格で市販されるも、わずか2年で販売を終えている。

そんな中、C+podは新しい超小型モビリティの規格を活用し久々のコンパクトなBEVを世に出した。少量生産を前提とした小規模メーカーの製品とは一線を画したハイテンを活用したアンダーボディを奢っている。Frエンドは衝突安全のためのスペースとし、フロア下にインバータや薄型Liイオンバッテリーを搭載。モーターが後輪を駆動するレイアウトとした。昨今のBEVやPHEVはフロアが高いため手足を投げ出すような姿勢を強いられるがC+podでは自然なフロア位置と健全な着座レイアウトが心地よい。航続距離を150kmに焦点を当ててバッテリー容量を減らしたことと小径タイヤ(13インチ)が功を奏しているのだろうか。

P/Fは汎用性を考えて一般的なプレス成型品をスポット溶接して組み上がっているが、Aピラー~ルーフサイド、B-Cピラーなどの上屋はパイプフレームをリベット加工するなどして金型代をかけずに簡便に済ませているのが特徴的である。衝突エネルギの管理はプラットフォーム側に任せて衝突安全でトクした分を活用していると言うわけだ。美観に関わる外板は樹脂成形で作られておりカラーバリエーションやツートンカラーも容易に拡張しやすいことが特徴である。



諸元を見ていると第二次世界大戦後のバブルカーにも似たスペックを感じる。しかし、スバル360やミゼットIIよりも小さいサイズであり、相当に小さい。2名乗車だが、荷室はほぼ皆無でリュックサックくらいしか乗せられないだろう。衝突安全性能面で比較にならないがスバル360は実際に4人乗れるパッケージを実現しており、まだまだBEVはスペース効率が悪いと言うことを感じざるを得ない。

上にも書いたがC+Podは2024年夏を目処に生産中止となるという。これまでの生産台数は2000台程度と言われており、お世辞にも商業的に成功したとは言いがたい。クルマとしての粗さ、コンセプトの粗さなど実際に乗ってみても支持が得られる要素が何一つ無い点に寂寞感があった。

個人的には自動車を一台だけ持つとしたら、一切高速道路を走らない自信が無いので近距離専門だったとしても超小型モビリティには辿り着かない。フリートユースやカーシェアリングなど別にどうでも良い車の一つとしてこの手の超小型モビリティが求められるのかも知れないが、同じコストで衝突安全基準も高く、4人乗れて高速道路も走れる軽自動車があるのなら、わざわざこちらを選ばないといけない理由は何処にあるのだろうか。

唯一この手の超小型モビリティを選ぶ可能性があるとしたらとしたら、年老いて高速道路など存在しない公共交通機関の脆弱な地域に住んで、免許返納直前に仕方なく手を出す可能性があるが、それならもう少し自動運転のレベルを引き上げたい。

補助金無しで160万円を超える価格を考えれば、通勤の為だけに使いたいとも思えないし、通勤に使っても高速道路を使う社外出張にも転用できないのは不便である元々スクーターだったピザ屋さんの配達とか、レンタサイクルの代わりにC+Podだったらうれしいかもしれないが。

超小型モビリティ調査のために生まれてきたかの様なC+Podは結局2024年夏に生産を終えるという。町で殆ど見かけないまま役割を終えると言うことは、C+Podそのものの商品性の乏しさだけでは無く、まだ人々はBEVに夢を見たいと思っているし、本当に使っているシチュエーションの+αの機能が未だ必要であることを暗に物語っている。誕生の背景が違うと言えども、日産サクラと、C+Podを含んだBEV超小型モビリティ群の目撃頻度を比較すれば自明である。

何となくトヨタが作りたくて作った車という感じがしないし、だからなのか総合的な商品としての魅力にも乏しい。今後、超小型モビリティ自体も充分認知され、行政機関によって大量購入されるとか、特定の人たちに補助金を出して半額以下で供与するとか何か公的な目的のために存在するならば許容できるだろうが、そのためには価格競争力が必要だ。正直、この内容ならコムスの価格で売って欲しい。

下の写真は1970年の東京モーターショーに出品されたEVコミューター。結局、この時代からEVコミューターが提唱されているが、54年が経過しても、完全に実用化されることはない様だ。

Posted at 2024/01/20 23:42:23 | コメント(1) | クルマレビュー

プロフィール

「ついに渋滞に捕まった」
何シテル?   04/28 10:04
ノイマイヤーと申します。 車に乗せると機嫌が良いと言われる赤ちゃんでした。 親と買い物に行く度にゲーセンでSEGAのアウトランをやらせろと駄々をこねる幼...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/4 >>

  123456
7891011 1213
14151617181920
21222324252627
282930    

リンク・クリップ

わたしの好きな場所へ。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/23 09:07:50
シフトフィーリング改善 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/15 09:03:00
リアゲートダンパー交換 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/07 19:59:30

愛車一覧

トヨタ カローラ トヨタ カローラ
1989年式(マイナーチェンジ直前) カローラGT。 ヤフオクで発見し、 不人気車ゆえに ...
トヨタ RAV4 L トヨタ RAV4 L
1996年式 標準グレード。 私が小学生だった1994年、RAV4が颯爽と登場した。私 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
2000年式 NC250。 長年、趣味の先輩達と車談義を重ねる中で定期的に「プログレは ...
シトロエン DS3 シトロエン DS3
2011年式 スポーツシック・エディションノアールII。 ラテン系ホットハッチ(プレミア ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation