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2024年01月13日

トヨタ博物館企画展「トランスポーターズ 日本の輸送を支え続けているモビリティ」

トヨタ博物館企画展「トランスポーターズ 日本の輸送を支え続けているモビリティ」









もう開催は終わっていますが、見学してきたので記録として残したいと思います。
結論から書くと相当濃い展示だと思いました。早くもPart2にも期待したいです。


公式紹介文です。
日本の自動車業界には549万人の人たちが従事し、利用部門の方々は約半分の271万人になります。

物流という概念が登場した戦後から、マイカーブーム前のモビリティとして日本を支えたのはトラックやバンであり、

以来現在にいたるまで自動車メーカーは耐久性や乗り心地などの改善を車両に施し続け、運び手が安心・安全に荷物を送り届け、

お客様の笑顔につなげたいという想いに応えようとしてきました。

そして輸送業界では今、環境対応や雇用対策など様々な課題を抱えながらも私たちの生活に欠かすことのできない

「お客様に確実に荷物を届ける」というサービスに日々尽力してくださっています。

本企画展では輸送車両にかけた自動車メーカーの想いと、いつも私たちの生活を支えてくださる輸送に関わる皆さまに”感謝”をお伝えします。



…というわけで生活の中では自家用車以上にお世話になってきた存在が物流のための車、貨物車にスポットを当てている。世界初の自動車には諸説あるのですが、私は重い大砲を引くために作られたフロントヘビーなあいつ…キュニョーの砲車(蒸気機関)が思い浮かびました。

動力を積んで自ら動き、運転手の意のままの方向に向かう自動車は貨物用途が先行していたという事ですね。しかし、私自身は物心ついたころから乗用車に興味があったので、貨物車に対しては同じ車でありながら電車や昆虫と同じくらい興味が無かったのです。

そんな私の人生で思い出のトラックと言えば祖母が農作物を運ぶのに使っていた初代ライトエース、伯父が乗っていたハイラックスSSR、同級生の白変が乗ってたハイゼットトラック(まゆげ)です。特にハイラックスはRVブームの中、都庁勤務の伯父は私を連れて利根川河川敷の道なき道を走破したり、ボートを引っ張ってアウトドア的な楽しみを私に教えてくれました。現在私がフルタイム4WD+モノコックながらクロカンスタイルのRAV4に乗っているのも恐らく伯父の影響が大きいのだと思います。

前置きが長くなりましたが、企画展会場に入ります。



まず目に入るのは貨物車達の雄姿と耳なし芳一のような当時の宣伝コピー達です。
一般的に貨物車は経費で購入される設備みたいなものなので酷使されて企業の利益に貢献し、減価償却が済んで壊れれば廃却されて代替される為、販売台数のわりに残存数が少ないのが普通です。だからこそ限定生産の希少なクラシックカーと比べて生産台数に対する生存率は低くなり、今となっては貴重な存在になっていると私は感じます。

そんなカタログを彩る宣伝コピーはイメージ先行だったり、来るべき訴訟を視野に入れたワードマネジメントで棘が抜かれたソフトな文言では無く、当時の右肩上がりの期待感・わくわく感をもダイレクトに感じさせてくれます。

私は商用車に何かを語れるほど詳しいわけでもないので、撮ってきた写真を並べてみます。トラックは荷台の鳥居根元、ロープフックは定点観察してみました。観察したものの、専門家じゃいないので何も語れないので是非コメントで私に色々教えてください。個人的な趣味ですがこの手の展示はどこか一カ所に着目してその変遷を楽しむのが好きです。

*何車種かは常設展示場・スズキ歴史館で撮影した車種も含みます。
*特別展と関係の無い車種が含まれることをご容赦ください。


①水野式自動三輪車(1937年)
農機具メーカー水野鉄工所が作った内燃機を前輪に搭載したFFの自動三輪車。展示車は昭和12年頃のピーク時に生産されたモデルとのこと。

荷台が広く確保できて機構部分が前輪にコンパクトにまとめられているが、自動車として見た場合、操舵が非常に重くなる点や後部に荷物を積んだ際のトラクションのかかり方には課題がありそうだ。

鳥居はZ軸方向にボルト平面締め。栓抜き方向の荷重の入り方を緩和するために後方に締結追加し、まるで入の字の如く。ロープフックは錆に強く豪華なクロームメッキ処理。側面方向からボルト締め。






番外編 ダイハツオート三輪 SA-6(1937年)
ダイハツ号はオート三輪という点で上記の水野式自動三輪車と同じだが、後輪駆動を採用して自動車らしい機構を取り入れた。前輪が軽くなることでオート3輪の魅力である機動性に磨きがかかっている。鳥居は正面4点締め。根元で折れそうな嫌な感じだなぁという感覚だ。ロープフックは水野式同様にクロームメッキされたフックをボルトで締結している。







番外編トヨタ トラック KC型 (1950年)
戦時中の極度の資材不足の中で作られたトラック。末期にはヘッドライトが一つになりボディが木製になるなど極限状態の節約意識が窺える。トヨタが初めて作ったG1型トラックは般若のお面をモチーフに日本的な意匠開発が実施されていたのだがKC型は、戦時モデルとあって意匠よりも節約に主眼が置かれている。それでもドア後ろや室内に日本的な要素が織り込まれている点は面白い。アオリのヒンジも何となく日本風。2枚の階段状のベタ合わせは「担ぐ」ので御法度だと思うが現物合わせと熟練の手作りで対応しているのだろう。まだまだ量産とは相反するクラフトマンシップがあるようだ。ロープフックはアーク溶接で止められているが、オリジナル溶接かどうかは不明。失礼ながら、かなり雑というか拙いビード跡なので強度的に弱いかもしれない。







②トヨタ トラック BM型 (代用燃料改造車) (1950年)
戦中戦後の燃料事情の悪さから木炭ガスをつかった乗用車が創られた時代があった。薪や木炭を不完全燃焼させて水素や一酸化炭素を燃焼させるメカニズムで
バスやトラック、大型乗用車で改造例が多い。戦後、特に労働争議でストライキがあったトヨタ自動車も創業者の喜一郎氏が退任するなど新型車開発に充分な余力が無く、基本的には前述のKC型を改良した戦後型となっている。KC型の名残が残る和風モチーフも残された。ロープフックはリベット接合でアオリも量産を意識した形状にリファイン。






番外編 マツダ三輪トラック CTA型(1953年)
戦後、オート三輪には車両寸法規定がない事を逆手にとって大型化。展示車は2t積みというクラスを超えた積載量を半球型燃焼室を持ったV型2気筒エンジンで引っ張った。カラーリングを3輪トラック同士で統一しているのはまるで現在のファミリーフェイスのマツダのようである。スターターモーターや安全合わせガラスの採用など技術的チャレンジも多い。シフトゲートは一瞬70年代のフェラーリを連想してしまった(笑)ロープフックはボルト一本締め(ボルト上部に回り止め付き)






③トヨペット トラック SG型 (1953年)
トヨペットSAで開発されたコンパクトな1.0Lエンジンを利用した小型トラック。岐阜車体製造の銘板が取付けられている。この会社は現在もコースターの製造を行っている。鳥居は厚板鋼板を折曲げて側面締め+平面視リベット留め。ロープフック前後2点リベット留め。ボルトよりも緩みに対するリスクが減るので信頼性向上のために有利。






④トヨペット マスターライン ライトバン RR17型 (1956年)
トヨタが本格的乗用車を志して開発したクラウンの危機管理的モデルがマスターである。クラウンはタクシー用途にも耐えうる乗用車として開発され、特徴的な前輪ニーアクションサスペンション、摩擦を減らして乗り心地をよくした3枚リーフ式サスペンションなど挑戦的要素が多く、クラウンに拒否反応を示す顧客向けに作られたのが、ヨーロピアンスタイルと保守的なリーフサス(前後5枚リーフ)を採用したトヨペットマスターであった。マスターは役割を終えて1年10ヶ月で生産中止になり、ボディ部品の金型の減価償却のために仕立てられたのがマスターラインである。ピックアップトラックもあるが展示車はライトバン。関東自動車工業で製造され、後にトヨペットコロナにもマスターの部品が使い回されていた。




⑤スズキ スズライト SL型 (1957年)
スズキ初の軽自動車であるスズライトSSと共に発売されたファストバックスタイルの貨客兼用を意識した軽自動車であった。15%の物品税を免除させるために折りたたみ式の補助席を引き起こせば3人乗りとなりながらも200kg積みの荷台を持つ。アルト発売の22年前に既にこの様なコンセプトの車を出しているという点は驚異的である。2年後には大ヒットするスバル360が発売されるが、スズライトはバックボーンフレーム構造を採用し、FFを採用などキャビンを最大化するために攻めた技術を使用した。






番外編ダイハツ ミゼット DKA型 (1959年)
トヨタ博物館開館当時から常設展に置いてあるミゼットである。戦後の間に合わせ的なオート3輪ではなく、機動力のある小口輸送の担い手として街のヘリコプターというコピーがついた。当時のスターを使ったTVコマーシャルもウケてヒット。

全くの余談だが、2005年ごろ働いていたアルバイト先ではもうすぐ定年というおばちゃんと話してて「ミゼット」といって両手をくるりと回したあのCMのモノマネをされていたのを思い出す。車に全く興味の無かったであろう大阪のおばちゃんが、当時で45年以上も昔のCMをサラッとやってのけるのはそれだけCMの効果が絶大だったと言うことなのだろう。

荷台はボディと一体構造でE/Gは前にあるので、生鮮食品を積んでも荷傷みリスクが小さいことがアピールポイントだった。鳥居は丸パイプにアーク溶接されたBRKTにボルト平面締め。BRKTは角を丸く落としたり、駄肉をカットしながらもフランジを丸く成型し強度と安全性に配慮。ロープフックはフック部を丸棒を平板に丁寧に溶接したフックASSYを2打点でスポット溶接。






⑥トヨペット スタウト RK35型 (1959年)
スタウトはマスターラインピックアップよりも積載量をアップし、強い、頑丈なという意味のスタウトに名称変更された。荷台は独立して各種架装が可能でキャブはマスターラインと変わらず、マスターセダン用金型の減価償却に貢献している。荷台には補助席がある。法律的には荷物の監視目的で荷台に人を乗せて走ることが出来るがこんなに見張りが必要なのだろか(笑)荷台は幌がかけられるようにU字型フレームが複数セットされ、アオリにも穴が開けられている。

ロープフックはスポット溶接でアオリに取付けられているが写真を見る限り平面視方向には打点がハッキリ確認できるが、側面視方向の接合はどうしているのだろうか。板厚も平面視方向と側面視方向では異なるような写真映りになっており謎が残る。展示車は岐阜県の車だったようだ










番外編 トヨエースSKB(1959年)
トラックの国民車トヨエースはオート3輪からの代替需要を意識した廉価な1tクラスのトラックを目指して開発された。3輪トラックは走行安定性が低かったものの、荷台が長い点でボンネットトラックよりも秀でていた。トヨエースは(セミ)キャブオーバレイアウトにより荷台を拡大。簡素な内外装でデビュー。当初62.5万円だった価格では目的を達成できなかったが、トヨエース拡販のためにトヨペット店を開業し、政策的な値下げを行い、最後は46万円で販売。悲願の3輪トラックから4輪トラックへ誘導することに成功した。ハンモックのようなシートはシトロエン2CVに影響を受けているようにも見える。鳥居の部分だけ別体で荷台から出ているL字チャンネルと正面+側面締め。ロープフックはレストアによって打痕が隠されている。構造がよく分からなかった。







⑦ダットサン 1000トラック G222型 (1960年)
乗用車とフレームや基本構造を共有する1t積みピックアップトラックである。日産初のOHVエンジンであるC型E/Gを搭載。ストーンE/Gという別名もあるが、ストーンとは日産が招聘していたドナルド・ストーン氏を指す。当時生産していた1.5L E/Gのストロークを減らして1000ccとしたもので小型タクシー企画上限を意識したショートストロークE/Gとなった。乗用車のメッキ装飾部は廉価なカラーペイントとなるも、油圧クラッチや吊り下げペダルを採用し機能面は乗用車同様に進化していた。このモデルから日産は本格的に(苦労はしたが)対米輸出に打って出ることとなった。フェンダーの1tonnerのエンブレムが誇らしい。レストアで交換されたとみられる新し過ぎるタイヤが少し残念。アオリはミゼットのように丸パイプとBRKTをアーク溶接し、BRKTを側面締めしているが、アオリの見えない面から締結しているのでスッキリしている。作業性が悪いが、アオリ形状と干渉するので締められなかったのだろう。ロープフックはアオリにアーク溶接。フックはカール形状部と厚板部をアーク溶接し、フックASSYをちょん付アークしている。結構手間がかかっていそう。その分、カール形状のフックが丸棒よりも量産性が良さそうではある。








番外編スズライトキャリィ FB型 (1961年)
現在も販売されているキャリィの初代モデル。スズキは比較的後発で3輪トラックを販売していなかったので軽トラックも4輪からスタートしている。この車を生産するために豊川市に車両組み立て工場を建設した。鳥居は無くキャビンを守るガードが直接キャビンに取付けられている。ロープフックは荷台の穴からちょこんと出ているだけ。裏から覗くと、鍛造製と思われるフックは、パイプ形状のカラーと
アオリにちょん付けアーク溶接を駆使して取付けられている。






番外編スズライトキャリィ L20型 (1965年)
4年でフルモデルチェンジされたキャリィは吊り下げ式ペダルによって荷台を拡大するなど地道な改良を実施した。ロープフックもあの複雑な構造をやめてプレス板金製のフックをスポット溶接で留めている。




⑧ホンダ T360H AK250型 (1965年)
ホンダが初めて生産した軽トラック。冬にバイクの代わりに売れるものと言うことで作られたのだが、軽トラックなのに水冷直列4気筒DOHC(2バルブ)を積むという暴挙は「エーじゃないか、ヨタヨタしないトラックができるぞ!!」社長の一言で決まったという。

ただ、個人的にはこのトラックが大好きで、可愛らしい見た目と精密な機構をコンパクトに詰め込んだ感じがたまらないく惹かれるものがある。白いH字型の部分は剛性ビードを兼ねているらしいがデザイン上のアイコンにもなっているし、昔から、漫画に出てきそうないたずらっ子の鼻の絆創膏にも見えていた。

あまりに可愛らしいので荷台チェックを忘れた訳では無く、この荷台にはロープフックも鳥居も無かった。

旧車イベントで見かけると必ずじっくり見てしまうモデル。(子供の頃本気で欲しいと思ったことがあるが、いまは同系統のドリーム50に憧れている)



⑨マツダ T1500 TUB81型 (1965年)
オート3輪はトラックの実用性とオートバイの手軽さ・機動性を併せ持つ存在だが、1960年代になると4輪トラックに置き換わりつつあった。3輪陣営は林業など小回りが利く業種で選ばれてきたが軽自動車と大型化で乗り切ろうとした。wikipediaに拠れば、4輪トラックと較べて3輪は車体幅や車体長、排気量に関する制約が無く、更に戦後、4輪トラックの1t~2tクラスが4t~5t積みなど大型化したことで、最大積載量750kg以下のオート三輪から2tクラスまでのトラック市場が空白化したところに食い込もうとしたのである。4輪とは異なる特徴で活路を見いだしたものの、展示車と同じ1965年に3輪免許が廃止され、道路網の発達に伴ってトラックと言えども操縦安定性への要求が高まり、内外装のデラックス化によって4輪トラックとの価格差も縮んだことから3輪トラックの衰退期を迎えることになる。ロープフックは鍛造製フックをアーク溶接。フックのモーメントが最大になる点に
アークが設定してあり応力を圧縮で受けている。1974年まで受注生産で対応されていたというのは驚きである。3輪免許しか保有していないドライバーや3輪のメリットが生きる特殊な用途に向けて残されたのだろう。






⑩トヨタ ダイナ RK170型 (1967年)
ダイナはスタウトのフレームをベースにキャブオーバー化した2トンクラスのモデルだったが、展示車は専用フレームに1900ccエンジンを積んだ2代目。乗用車的な4灯式ヘッドランプも特徴。先代の2.88m(9.5尺)から3.1m(10.2尺)に拡大した。ラジオやホーンリングなどちょっとデラックスなイメージが感じられる。4灯式ヘッドランプで質実剛健と言うより、ちょっと乗用車的なムードも大切にしている。キャブと一体イメージの荷台。スッキリしている。トヨタ車体のマッドガードダイナのマッドガードと言えば私が子供の頃は劇画調のおっさんの絵が描いてあって怖かった記憶があるのだが、最近見かけない・・・・何処へ行ったのか。鳥居根元は鳥居とアオリにボルトにて側面締め三角BRKTがプレス成形品で生産性が良さそう。平面に座面をつけたり、切れやすい斜辺のフランジを曲げるなど板金加工のノウハウがこのBRKTに惜しみなく発揮されている。ロープフックはプレス加工品をスポット溶接(4点)でアオリに接合。フックは一枚の鉄板のプレス成型だけで形状が出来ているので従来の鍛造品やプレス品のアーク溶接、リベット接合より生産性が良い。








⑪トヨタ ブリスカ GY10型 (1968年)
ブリスカは日野自動車と業務提携し、トヨタが販売権を取得した1tクラスの小型トラックだ。トヨタで販売するにあたり過剰品質を改め、54項目370カ所の変更が加えられたとされる。E/Gはコンテッサと同じ1300ccE/Gを搭載、5ベアリング・ハイカムシャフト・クロスフロー吸排気など小型トラックとしては進んだ高級メカニズムが採用されていた。このブリスカは1967年にトヨタブランドとなり、1968年にはフルモデルチェンジに際してハイラックスに改称されたが、現在も続くハイラックスの基礎となる。トヨタブリスカはたった2年しか売られていなかったので非常にレアなモデルでよく見つけたな、と言うのヤレ感も「レストア済車両派」の私も感心する。鳥居根元は三角パッチの設定あり。パイプとはアーク溶接、アオリとは側面ボルト締め。斜辺は他社と同じようにヘミングしてある。同じ斜辺でも下部は完全にフランジを潰し、上部のパイプとの合わせはフランジを折曲げずにアーク溶接している。これを見ただけで高コストがうかがい知れる。







⑫トヨタ BUV タマラオ KF10型 (1977年)
1960年代から新興国向で現地生産を行うため、国情に即した簡便な実用車(BUV:Basic Utility Vehicle)がシトロエンやVWなどから平面で出来た多目的車として生み出されていた。展示車はトヨタがフィリピンとインドネシアの現地合弁先のエンジニアと共に開発し、作りやすい単純な造形かつ、強靱なフレーム構造、タフで信頼性の高いトヨタの流用コンポーネントを駆使したのがフィリピン名「タマラオ」である。インドネシアでは「キジャン」と呼ばれている。展示車は乗り合いバス仕様になっているが、フレーム構造ゆえにトラックにも変幻自在で後にはワゴンボディ、ミニバンにも進化した。今もインドネシアやフィリピンではトヨタの自動車工場があり、タイも重要な拠点になっている。これら車種は後にハイラックスファミリーに加わり「IMV」と呼ばれている。昨年11月末にはこのタマラオの精神を復活させた「ハイラックス・チャンプ」がデビューした。シンプルな構造、架装しやすく拡張性の高いフレーム構造を採用している。平板や単純曲げ成型だけで構成されているが、クラムシェル形状のフードやVWゴルフやアルファロメオジュリアの様に四角いグリルからはみ出した丸形2灯式ヘッドライトは可愛らしい表情を生みだしている。ピープルキャリアー仕様だが、マッドガードの旧ロゴがトヨタ車であることを示している以外は見るからに堅牢な作り。インパネは板金製。内装らしい無い層が無い質実剛健な空間だ。ボディの当て板も全て歩留まりの良い矩形の鉄板をスポット溶接している。(ちょっと散っているのがご愛敬)各部の継ぎ目はこの通り。シーラーも塗られていない。恐らく錆びると思われるが、板厚で勝負している可能性もある。ドアは無く、アームレスト代わりのパイプがあるだけ。その背後にはフィラーキャップとインレットホースが見える。燃料タンクは座席の下である。当然シートベルトなんて無い。









⑬トヨタ デリボーイ KXC10V型 (1991年)
1989年に発売したデリボーイは多様化する小口輸送ニーズに対応したボンネットを持ったウォークスルーバンである。このタイプは既にヤマト運輸からの要望で商品化された集配用のクイックデリバリーがあった。キャビンと荷室を立ったまま行き来でき、荷物を持ったまま乗り降りしやすいスライドドアを備えているという特徴を下方展開したのがデリボーイである。クイックデリバリーが1.25t~2tクラスだったところ、デリボーイは500~750kgというライトエースバン級の積載量に留まる代わりに4ナンバー枠に入る様なコンパクトなサイズであるところがデリボーイの新しさであった。ヤマト運輸が開発費の一部を負担し、完成させたウォークスルーバンの精神を更なる小口輸送ニーズに向けて提案した点では挑戦的な商用車であるとも言えたし、バブルらしい攻めた企画とも言えた。明確なニーズが存在したクイックデリバリーはヤマト運輸が運用を辞めるまで長きに亘り存在したが、デリボーイは1代限りでモデルライフを終えた。商用車としては指示されなかったが、ファッション性のある車、或いは遊び車として魅力に感じる人は一定数居た様で商用では無く自家用車としてデリボーイを所有していた人はたまに見かけた。免許取ったらデリボーイが欲しいと言っていた同級生(非カーマニア)がいたなと展示車を見て思い出した。個人的にはカタログに出てくる夢に出てきそうな「強烈なイラストの人物」が何者なのかが気になっている。





番外編 日産バネット(2005年)
日産名義ながらマツダから供給されるOEMモデルであり、実質的にはボンゴである。長らく、小型キャブオーバートラック/バンの名門として君臨してきたが1999年にデビューした本モデルは衝突安全規制に適合するため、フレームを新設計しつつ、既存コンポーネントを可能な限り1983年発売の先代モデルのものを流用し、対応している。噂によるとスカイアクティブE/Gの搭載計画があったらしいが、実現していたらホンダT360のようなオーバースペックなトラックになっていたかも知れない。面白いのは、競合としてしのぎを削ったバネットやデリカに対してもOEM供給を実施して絶大なシェアを誇っていた点である。この勢いに対抗していたのはトヨタのライトエース/タウンエース位であった。ロープフックはプレス成型のフックをスポット溶接していながら、アオリの下端部でアーク溶接も施されている。形状的にフックと近接しているので溶接を打たずにいるとバラツキで干渉したり栓抜き荷重がスポット部に入ることが考えられる。





番外編 トヨタライトエース(2015年)
ボンゴと共に1tクラスの小型トラックとして長らく市場に残ったライトエース/タウンエースだったが、2008年にフルモデルチェンジを受けてダイハツのインドネシア生産車「グランマックス」のOEMとなった。1966年の初代カローラ以来、長きに亘り存在したK型エンジンの末裔である7K-E型E/Gに代わり可変バルブタイミング、DOHC16バルブなど現代的なメカニズムを持つ1500ccE/Gが搭載された。積載量は800kgであり、1tが積めなくなってしまった。鳥居はキャビンにインテグレートされて荷台との接続はされていない。ロープフックはミゼットから続く鍛造製フックをプレス成型されたベース部と部分組立してアオリと2カ所でスポット溶接している。60年を超える実績のある構造となっている。





●あとがき
本特別展は既に会期が終わっているのですが、非常に興味深い展示だったので会期中は複数回足を運びました。それどころか、他の博物館や日常生活で見かけたトラックが気になる事この上なかったです。結局、ブログにする際には企画展以のトラックも載せてしまいました。

こうやってたくさんトラックを見て改めて私の子供時代を思い出すと、酒屋さんのポーターキャブやサニートラック(角目)、お米屋さんのライトエース、マンションによくやってきた移動青果店のチェリーバネットや、農協の黒煙だらけのエルフなどなど。あるいは母の友人の家具職人さんはボロボロの30系ハイラックス使ってたな・・・。など、伯父の赤いハイラックス以外にもたくさん居たんだよなと後から気づかされました。高専時代の同級生の祖父が7K-Eのライトエーストラックに乗ってて何回か運転さて貰ったっけ。(1→5シフトが出来ました)

最近だと、主治医が遊び様にキャリィを購入されたり、私も案外トラックに囲まれて生きてきてるんだなと。

先日、子供らと録画してたトトロ見てたら、「まつごう!?」もトラックでしたね。



次の企画展も楽しみです。
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Posted at 2024/01/13 22:59:12

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この記事へのコメント

2024年1月14日 13:45
こんにちは。
私もこの企画展は見に行きました。

私が産まれた時には父は小さいながらも会社を経営していたので、家には商用車が有りました。

私の記憶にあるのは2代目の初めてヘッドライトが4灯式になった型のスタウトのダブルキャブと初代エルフの後期型(4灯式ライト)と3代目のバリカンコロナのバンが有りました。

父に聞いた話ですが、初めて買った新車がSKB型トヨエースのダブルキャブだったそうです。
その当時父は実家(愛知県北設楽郡)で商売を始めていて、家族が多かったので貨客兼用でダブルキャブを選択したそうです。

昭和34年の伊勢湾台風の後には救援物資を積んでそのトヨエースで名古屋市まで行ったそうです。
コメントへの返答
2024年1月16日 23:32
コメント有り難うございます。

行かれたんですね!

当時のお話を聞かせていただいてありがとうございます。ご実家で事業をされていると貨客兼用で商用車が本格マイカー時代到来前の先駆け的存在だったと大昔の企画展で学んでました。

実際にそうだったんですね。

今の商用車だと完全にビジネスユース専門ですが、昔は乗用車さながらの機能や意匠を持っていましたね。(エルフのカスタムとかハイエースのスーパーGLとはちょっと違いますね)

災害後の支援の件、トラックがあるから救援物資を運ばれたんですね。ボランディアなんて言葉は動じなかったと思いますが当時から、天災後の助け合いが続いてきたんですね。良いお話を聞かせていただきました。
2024年1月14日 21:11
私も見てきました。

まさかのロープフック検証とは…完全に見過ごしておりました(汗)
こういった部分は設計者がいかにお客様の使い方を把握出来ているかによるのでしょうねぇ。大昔は尋常じゃない過積載が当たり前だったことから、荷重要件をどうするか悩んでたかもw
ホンダのロープフック無、やはりトラックの形をしたS360ということなのかww

今回はトラック中心だったので、次回はバン主体でカローラバンとその競合車達を見たいです。
コメントへの返答
2024年1月16日 23:29
コメント有り難うございます。

ははは、たまたま定点観察したくて見つけた部品がロープフックだったんです。

設計したことはありませんが、基本的には入力が分かればそれに耐えられる構造物を描くことは出来ると思います。後はその入力条件の見極め方というか、過積載も見ながら、何処まで面倒を見るかが難しそうですね。今のトラックを見ても結局アーク溶接とスポット溶接が残っていますし、フックも鍛造品とプレス品が残っています。奥が深そうです。

T360は画像検索するとロープフックがあるクルマもありますね。展示車の三方開きだと無いのかも・・・。

次回?はライトバンが見たいですね。トヨタ車体のハイエースとカローラバンからプロボックスハイブリッドに至るまでが見たいですね。(妄想企画展ブログとか面白そうだなぁ)
2024年1月15日 21:50
ダイナでよく見た「おっさん」の絵のマッドガード、ひょっとしたら「大阪トヨタ」のものでしょうか?葉巻をくわえた劇画調のおっさんを久しぶりに思い浮かべました。
コメントへの返答
2024年1月16日 23:30
コメント有り難うございます。
大阪トヨタで画像検索したら出てきました。これですよこれ。怖すぎ。

ttps://chie-pctr.c.yimg.jp/dk/iwiz-chie/ans-204960004?w=200&h=200&up=0

プロフィール

「暑すぎ。この外気温、しばらく走っての値なのでほんとに暑い。これからは冷房で冷やすのもさることながら断熱性能も上げないと快適に過ごせなくなるかもですね。」
何シテル?   08/03 17:30
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