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カクシカおじさん(プレミオおじさん)のブログ一覧

2012年12月29日 イイね!

DP1 Merrillで初撮影した古都京都 夜の特別拝観(永観堂 禅林寺/清水寺)

DP1 Merrillで初撮影した古都京都 夜の特別拝観(永観堂 禅林寺/清水寺)  
    《プロローグ》
古都京都には、
  主に室町期から続く古い風光明媚な建物も多く、
  写真撮影の題材にはうってつけなのかもしれませんが、

いつもの旅行の相棒、コンデジのシグマDP1xが、
  先日三度目の故障をして修理に出したのと引き換えに、

 先ごろフルモデルチェンジしたシグマのコンデジDP1メリルが、我が家へやって来たのを知った職場の同僚が、「ちょうど京都でお寺の夜間拝観をしているから、こて試しに撮影しにいこう」、と誘われて、新型カメラを携えて、2012.11末頃に京都へと小旅行をしてきました。



 まず行ったのは嵐山にある渡月橋でしたが、出発時間が遅かったのと紅葉の季節のためなのか平日にもかかわらずものすごい人出で、出先での駐車場を探すのも一苦労でしたよ。もちろん出庫直前のお車を見つけて即駐車場を確保したのはいうまでもありません。

 この下の写真は、人出が非常に少なかった平日の2012.2.10に撮影したもので代用です。

  (真冬で人出の少ない時期に撮影した渡月橋 : 2012.2.10 DP1xにて撮影)


       


   (嵯峨野観光鉄道 トロッコ嵯峨駅と鉄道ジオラマの外観 : DP1メリルにて撮影)


 結局この日に行けたのは
 嵐山にある渡月橋、
 JR山陰線の嵯峨嵐山駅構内?にある、出来たばかりらしい鉄道のジオラマ、
 そして夜の特別拝観をやっていました「永観堂 禅林寺」と「清水寺」でした。
 
 昨年の秋にも行きましたが、再度紅葉の美しそうな銀閣寺にも行こうとしたけれど、1時間ほど時間が足らず今回は残念ながら見送りとなりました。


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 鉄道のジオラマのほうは後日にご紹介することとしまして、まず永観堂 禅林寺の夜景写真からご紹介です。ここは夕方6時からの夜間拝観なのにもう入場待ちの行列がすごく、入口には仮設トイレまであったりして初めて来た私はビックリです。





       



 なおほとんどの神社仏閣ではカメラの三脚は使用禁止となっているのと、この時はものすごい人出のため、カメラを固定することもほとんど出来なくて、残念ながら夜間撮影には必須に近い露出時間が取れませんで、永観堂 禅林寺内の紅葉写真は純正フラッシュEF-140DGのS-TTL機能を使って、主にフラッシュを焚いて撮影した写真がほとんどです。

         (シグマDPシリーズ用の純正フラッシュ EF-140 DG)
 
 清水寺のほうは金属の欄干とかにカメラを固定できなかったところでは、10分の1秒とかの長めの露出にて手振れを恐れずスナップ写真でも撮影しました。



 そして永観堂 禅林寺の総門をくぐると、寒いのにもかかわらずすでに夜間拝観入場待ちの長~い人の列が。待ち時間の間に周囲を撮影です。そして入場料¥600を支払って中門をくぐり中へと入ります。





    中へ入りますと紅葉でいっぱいです。


       





           お手水も撮影。
       


    さらに奥へ進んで行きますと阿弥陀堂が。
    内部は当然撮影禁止となっているので仏様の写真はございません。




    このお寺の真ん中といえるところには大きな池、放生池があります。
    この写真は上にあたる夢庵から見た放生池を撮影



           こちらは池のふもとから撮影。
       
                    (この上の写真はホワイトバランス オートで現像)

       
                    (この上の写真はホワイトバランス 蛍光灯で現像)


こちらの写真は放生池のふもとから撮影。
当然三脚は使えませんが、とにかく人が多すぎてなかなかカメラを固定できずこれ1枚のみ掲載。




    紅葉とお月様。
    広角カメラなのでトリミングしてもお月様、小さいです。




       




    寒かったせいかお茶屋さん、大繁盛ですね。

 ここの場所でフラッシュを焚くのはさすがにできそうになく、
 長時間露出(ISO400,露出0.3秒)でのスナップ撮影しかできなかったので手プレ満載写真です。
      ガウスをかける手間だけは省けました。


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 それから次に行きましたのはかの有名な清水寺ですが、もちろん周囲はやはり大渋滞。
 よって少し離れたところに我がコンテ号を駐車してから、歩いて清水寺まで行きました。

 その道中、門前町の一角に貼ってありましたポスターをまず撮影。これです。

    こちらのほうが夜間拝観の開始時間も閉門も遅かったため、
    先に永観堂 禅林寺へ行ってから清水寺に行くコースをとりました。


    さて、きつい上り坂を上って清水寺前に到着です。

    この受付のようにすでに大勢の人が入場券を買って、
                   お寺の中へと入っています。
    まず清水寺の入口にあたる仁王門を撮影。


           次に仁王門からライトアップされた西門を撮影。
       
           さすがに三重塔の紫のライトアップは少しやり過ぎのような気が。


    西門の高台から見た、仁王門と京都の夜景です。




           清水の本堂の提灯?です。
              これを何て呼ぶのか調べたけど分かりませんでした。
       
           後日「法灯」と判明しました。パナソニックのLED電球に交換されたようです。
              これは偶然、散髪屋で読んだ、とある雑誌に掲載されていました。



    こちらは清水の舞台から撮影した子安堂付近のトリミング写真。


    こちらのは奥の院?の背後にあたる山のライトアップを撮影。


           夜と人ごみでよく分からなかったけど
              奥の院らしき高台から眼下の茶屋を撮影。
           こちらの写真はかなり明るめの現像にしてみました。
       



    こちらは2007年の9月に撮影された清水の本堂写真です(ウィキペディア)。



    以下3枚の写真は、この日夜間撮影した清水の舞台こと、
       清水寺の本堂写真です。


       



           ちなみにこちらは、鉄道ジオラマ内にあった
                 模型の清水寺本堂も撮影してみました。
       

 
 結局、清水寺に夜9:00近くまで滞在しそれから駐車場へと戻りましたが、もう寒かったので門前町でまだ営業していましたそば屋へと駆け込み、温かいかけそばを食べました。残念なことにこのときの写真は撮り損ねましてここに掲載できなかったです。


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  これで永観堂 禅林寺と清水寺の夜の特別拝観のブログは終了です。
  次のブログを作成する時間が取れないため、今年のブログはここまでとなります。

  ここへご訪問の皆様、
    いつも長い文章と、たくさんの写真貼付ブログを見てくださいましてありがとうございます。
    来年もみなさまにとって良い年でありますよーに!!
    

   次回のブログの予定はこのときに訪れた鉄道ジオラマか、
   この後に行った晴天だった天橋立の写真ブログのどちらかを掲載する予定です。
     (年始頃の体調不良のため延び延びになっていましたが
               現在2013.1.14 天橋立散策ブログを作成中です)
 
Posted at 2012/12/29 21:44:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | デジカメ・写真・カメラ用品 | 旅行/地域
2012年12月16日 イイね!

シグマ 新型コンパクトデジカメ DP1 Merrill(DP1メリル)の購入,2014.8.30 追記

シグマ 新型コンパクトデジカメ DP1 Merrill(DP1メリル)の購入,2014.8.30 追記
 冒頭のタイトル写真は、カメラのレンズメーカーで有名なシグマがこのたび(2012.9.14)発売したDP1 Merrill (DP1メリル)という名のコンパクトデジカメのカタログの表紙です。

 このカタログ表紙写真は手持ちのスキャナーでプリントしたのをここに掲載しました。

 そしてこのカメラ自体はレンズは固定式で、かつズームもできない、風景撮影がメインとなる広い範囲が写る広角単焦点のカメラなので、見た目にはなんの変哲もないカメラです。



 で、なにが違うかといいますと、光を電気信号に変換するところ=撮像素子(さつぞうそし)といいますが、これが普通のデジカメでは光の濃淡だけしか取り込めないので、撮像素子の手前にカラーフィルターというRGB、つまり赤・緑・青色のフィルターを設けて、その色に反応する光の濃淡を取り込むことにより、カラー化しています。
 昔でいう白黒テレビがカラーテレビになったようなものです。

 それに対してこのレンズメーカーが出しているデジカメは、フォビオンという名の独特な撮像素子を使ったデジカメで、昔のカラーフィルムみたいに垂直に光が取り込めるというものです。



 光の波長の短い青→緑→赤の順に、垂直に光を撮像素子が取り込んで電気信号に変換していきます。これはシリコンの性質を利用したものだそうですが、この撮像素子を開発した方のお名前である「ディック・メリル」さんに敬意を表して、DP1メリルと名づけたようです。


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 このフォビオンという独特な撮像素子を使った小型のコンデジカメラDP1が2008年に初めてシグマから出まして、当時は10万円ぐらいしていましたが、2回のマイナーチェンジを経た昨年2011年の9月ごろには実売価格4万円を切っていましたので、思い切って予備電池2個を含めてDP1xを購入しました。

 DP1xを購入した当時のブログは → こちら です。
 DP1xで撮影したお気に入りの写真付きブログです→少し後のブログ DP1xの部屋 にも掲載。

   (コンデジながらフォビオンの大型撮像素子を採用したSIGMA DP1x)


 ところがこのカメラDP1x、光量があればこの小型の図体から考えれば信じられないほどの超高画質で撮影できるのが特徴で、当方の旅行には必ず欠かせないものになっていきました。
 でもいかんせん私は全くのカメラの初心者だったため、本格的なカメラはこの一台しか所持しておらず、出先で沈胴式を採用する内部レンズの筒が2度も外れて泣き目に合いました。

 そしてこの1年の間に同じ故障が立て続けに3度続いた時、もう私は我慢ができなくなりシグマに直接メールしまして、そのカメラは精密に調査するべくシグマへと引き取られていきました。もちろん完全に修理して予備機とするべくです。

 どうやら故障原因はレンズ部分だけではなく、私の固体の内部回路にも問題があったようでした。


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 そこで結局カメラが1台だけではとても不安なので、予定外の大出費となるが急遽もう1台購入することにしました。

 そして今回は一眼レフにするかどうかかなり迷いましたが、
 結局一眼のEOS Kiss X6i のレンズキットのレンズはおまけに近い感じでF3.5からの物が多く、レンズが暗くて苦労しそうなこともあり購入は見送りました。今までのDP1xもF4からだったので、撮影状態によってはかなり苦労しました。

 そして今回、新DPシリーズが画素が3倍密になりトリミングに強くなること、それと広角レンズもやっと明るくなってF2.8になったということもあり、結局扱い慣れた広角DP1 Merrill(DP1メリル)を購入しました。

 特殊なセンサーに最適にセットされたズームの効かない単焦点レンズとあいまって、レンズ交換式の並みの一眼レフより高画質だと旧製品の頃から言われていましたが、どうやらDPメリルシリーズでも同様のようです。


 使用レンズの枚数がDP1xの5群6枚から、DP1メリルは8群9枚になりました。
 このおかげなのか(センサー面から)20cmの接写も可能になり、しかもF2.8になったこともあり ISO400でも室内でのパーツの撮影程度なら十分実用になっています。


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   カメラ屋にDP1メリルの注文を出し、2012.11.17に我が家に到着。
   これがDP1メリルの外箱です。DP1xよりも一回りも大きい外箱です。



 その中身のDP1メリル本体です。ここの掲載写真は以前の使用中の姿です。
 ケンコーのレンズキャップ装着と、すべり防止用のドアストッパーを貼り付けた状態です。

   この写真はレンズキャップを開いた状態をDP1xで撮影。



 今までずっと使ってきたDP1xに比べ縦・横・奥行とも1cm前後大きくなり、重さにいたっては110g重くなって360gになりました。それでも一眼レフよりはかなり小型ですが。

 レンズはリングフォーカス式となって旧来の沈胴式ではなくなり、しかもワンタッチで開閉できるレンズキャップを取り付けたことにより実質図体はかなり大きくなり、図体はもはやコンデジの域を完全に超えていまして、旧来のDP1xでは胸ポケットにもカメラが入っていたけれど、DP1メリルではこれも無理になりました。



 またこの手のカメラはスナップ撮影も多いと思うのだけど、旧来のDP1xも新型のDP1メリルもDP2メリルも手振れ補正などは一切ないので、極力手振れを防ぐため見栄えは悪いが上写真のようにドアストッパーを、カメラ本体にニトムズの1mm厚のブチルゴムの両面テーブを使って貼り付けていました。

 このドアストッパーの黒色を探してみたものの、どうやらごけ茶色しかないようで仕方なくこれを使用。 DP1xは小型で軽かったから今までそのままで使っていましたが、DP1メリルはずっしりとカメラ感はあるものの図体が大きく・重くなって、つるつるなボディから手が滑るのでこれがいりますね。



 前回のブログでもこの点は触れましたが、
 コストの関係なのか相変わらず握り代が無いのは考えものです。

(持ちやすさに配慮されたRICOH デジタルカメラ GR DIGITAL IV : リコーのサイトより)



 この件に関して調べてみるとデジカメWatchに次のような製品が紹介されていました。



 「ユリシーズ」というメーカーが出している、DPメリルの専用皮ケース「DP1&DP2 Merrill BODY SUIT」のようです。これなら握り代もあるし見栄えもよくなりますが、いかんせん価格が13440円で安くはないので私はすぐには購入できなさそうです。



 後でさらに調べてみるとこのような製品が販売されているのも発見。
 フリックバックは調べるとG1~G4まであるようで、どちらもシリコン素材でできているらしく、色も黒色で3Mの両面テープがついているとか。これがフィットすれば、純正風で見栄えもよくなりますね。

  (フリップバック カメラグリップ G4)


  (フリップバック カメラグリップ G2)


   価格も1000円弱だったので人柱的に両方とも注文してみました。
   現物はこれ、ネットで見ると分からないのですが現物を見るとかなり小さいです。



   フリップバック カメラグリップ G4を早速装着してみました。

   この写真は下部に貼り付けましたが、後で5mmほど上へ貼り直しました。
   が、やはり元はコンデジ用。
     もうコンデジとはいえない大きさとなったDPメリル用には、かなり小ぶりです。
   最初に貼ったドアストッパーの方が大きくてしっかりしていて正直握りやすかったですよ。


   G4よりさらに小ぶりだったG2は、予備機となったDP1xに貼り付けました。
   こちらです。





 さらにはこんな凝った製品もあるようです。削り出しのアルミ製のようです。
 デジカメWatchの記事には2012.12.12発売と書いてありました。

   (リチャード・フラニエック SIGMA DP1 Merrill/DP2 Merrill 専用カスタムグリップ)

    オリエンタルホビーが販売元で、6300円だそうです。
    かなり高いですがこれのほうが良さそうです→後日購入し取り付けました。
    詳しくは→こちらで。

    

  結局、後日これを購入しカメラに貼り付けました。最初からこれにしておけば良かったです。
  到着した製品を取説の紙とともにまず撮影しました。これです。



我が相棒のDP1 Merrill の本体に専用カスタムグリップを貼り付けた写真です(DP1xにて撮影)。
  やはり高かっただけはあってアルミ製でしっかりとしており、
  これでカメラも握りやすくなり手持ちの撮影もしやすくなりました。


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 カメラのご紹介はこんな感じですが、実際の使用後記から。

 まずとにかく先発のDP2メリル(DP2 Merrill)から言われていたことですが、本当にリチウムイオン電池が持ちません。普通に歩きながら撮影すると100枚前後で電池マークが空近くを表示します。

 特にこの手のカメラ、手振れ補正なし&ちょっと頼りないAFやホワイトバランスのおかげで、同じ構図の写真を念のため何枚も撮影しておくので、すぐに100枚ぐらい撮影してしまい1本の電池が空になっちゃいます。


 今までのDP1xでは電池1本に対し300~400枚前後は十分に撮影できていましたが、フォビオン自体が元々から電力食いなのか、撮像素子が3倍の1500万画素×3層となり記録容量が馬鹿でかくなったせいなのか、
 圧縮しないRAWデータだと50MBにものぼる画像データ処理やら(最高画質の場合)、液晶も3.0インチの92万画素になったせいもあるのか、とにかく旧製品の3倍ぐらいの勢いで電池が消耗していきます。


 DP1xのときも、今年2012年の夏に行った富士山登山では電池の消耗が激しく、3本用意していた満充電の電池が1200枚以上の撮影のためすべて空になり、当時のブログでも触れましたが電欠で出先でえらい目にあいました。
 下の写真は、その2012.8.22(水)の朝 5:09 30″に当時のDP1xで撮影した一枚です。


    (大量の写真を撮影した2012年 8月の富士登山とその後の赤富士撮影)



 そこでこのたびのDP1メリルの電池対策には物量で対処することにし、
 本体に付属の2本の電池+1個の充電器に対し、
    予備電池を10本+充電器も3個追加で購入しました。

すごく大げさになっている12本ものDPメリル用のリチウムイオン電池です(この写真は11本)


  DP1x用の4.9Whより小型になった!せいなのか容量も少なくなりました。
  電池の大きさは測ると4cm×3.5cm角×厚さ9mmの長方形の形です。
  この各種のメリル用の電池容量は3.6V×1250mAh=4.5Whです。

このシグマ純正電池は通販だとかなり安いです(実売1500円以下で1300円前後か)。



  (こちらはGR DIGITAL 3/4向けらしい、リコー DB-65のリチウムイオン電池 )


  ほぼ同じような他社電池だと3000円前後/個しますが、
     このシグマ製だと、これだけたくさんの電池でも実質15000円以下/10個です。
  他社のカメラでは、電池購入価格で見ると3~4個分相当ぐらいでしょうか。

電池大食らいカメラのために、電池の価格を安く設定してくれているのは良心的だと思えます。

     (旧来のDP1シリーズの電池(左)と、DPメリルシリーズの電池(右)です)



 私の場合、今回は追加で電池を10本も買いましたが、
 それは少し前の富士登山とその旅行のときに電池切れで懲りたため、今度は最悪充電するところが無くて、しかも車から離れての宿泊も伴うような富士山登山とかでも、これだけあれば冷えて電池の性能が落ちても電池は十分に持ちそうです。

 宿泊を伴うような高地登山とかに使わなければ、4~6個ぐらい予備があれば十分ですね。
 1ファイルあたり50MBも要するRAWファイル画質のカメラなのに、
   小型のコンデジ並みのこの電池容量では持たないのは当然といえましょうか。

 また互換品電池でなくわざわざ純正品を選択したのは、万が一のトラブルを恐れたためですが、
   元々純正でも安いし、もし最悪電池が爆発すると虎の子のカメラも壊れちゃいますので。
 

       【2014.8.30 追記】
 丸二年近く使い続けた電池、劣化してきて常温でも50枚程度しか撮れなくなってきました。
 今のところクワトロには乗り換えずにメリルを使い続けるつもりなので、品物があるうちに新品電池に交換する予定です。





(DP1メリルと同じ撮像素子フォビオンを搭載した、シグマの一眼レフ SD1メリル)

 ちなみに同じ撮像素子を載せた同社の一眼レフのSD1メリルのリチウムイオン電池は、
    7.4V×1500mAh=11.1Whの容量ですので、
 回路の駆動電圧そのものが高いですが、DPメリル用より約2.5倍の容量がありますね。
    ただし販売価格はかなり高めで、純正品では実売7000円前後/個 みたいです。



 さらにこれだけの電池を持ち出すとなると、
   どれが使用した電池か全く判別がつかなくなるので、電池に通し番号を貼り付け。
 大昔に買ったテプラで貼付シールは作成しましたが、
   手持ちのテプラでは⑪から後はないので白テープに印字。



 しかもこの大量の電池の保管と持ち出しにも困ったが、
  先ごろ作ったJINSのメガネケース小が、マグネット開閉でしかも四角で程よい大きさなので、
  余分に買って横向きにて保管。SDカードもちょうど入ります。

 このメガネケース、あと2mmほど大きければ電池を縦向きに入れられたのだが、ちと残念。
 ちなみにこのメガネケースは、確か500円ぐらいの価格だったと思います。


 その後、使用して空になった電池を入れるための色違いのメガネケースも購入しました。
 真っ赤がなかったのでピンク色を購入。空電池をこちらに入れています。

 このメガネケースは何色もあり、みずいろとかもありました。
 ただ防水機能はないので、登山などにはビニール袋とかに入れておいたほうが良さそうです。

  空になった要充電の電池、おおよそ100枚前後撮影するたびに1個ずつ増えていくので、
  本当に別ケースに入れておかないと、分けが分からなくなってしまいます。




   次にその電池を充電する充電器です。

   これで一度に4個の電池を充電できます。

   旧製品のDP1x用とは違って電源コードはなく、
   コンセントにじか挿しタイプなのはありがたいです。すっきりします。
     入力容量15VAと背面に表示。最大でも15W以下なのでしょうか。


 大量の充電器を接続するためのコンセントタップも用意しました。これです。
 それこそACアダプター用のタップです。
   このエレコムの製品は耐熱樹脂を使っていると謳われていたのでこちらを購入。
   ACアダフターの充電器は意外と熱くなります。



 このタップに充電器4個を挿した状態です。横向きにDP1x用の充電器のコードも挿しています。

 ちなみに車載用に上写真のタップを持ち出してもいいのですが、
 全長が29cm超と長いので、もっとコンパクトで車のダッシュボードに入るこれも合わせて購入。

 これは四ッ又分岐で完全なタコ足配線ですが、
 このカメラの電池充電だけの場合なら、最大使用電力は100Wにも満たないので大丈夫かと。

 これで移動中の車内や出先での旅館・ホテル内での充電も苦なくできそうです。
 そしてこれはいつもダッシュボードの中に入れているので、積み忘れはありません。



 そして以前触れた車載用のインバーターです。この製品は常用70Wです。



 純正のACアダプターです。




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 次はカメラ付属品を。
    まず純正のレンズキャップとレンズフードです。

    このレンズキャップ。ワンタッチで開け閉めできますが、
        これは失くしそうなので下のものを購入しました。


 カメラ用品を売っているKenko(ケンコー)の「フリップキャップ 49mm」という製品です。

 ボタンを押すとワンタッチでバネ仕掛けのキャップが開くようになっています。
 もちろん本体からは外れません。最初のDP1メリルの紹介写真にはこれを取り付けています。



 幸い新DP1メリルは49mm径でフィルターねじが切られているので、ポン付けできました。
    このキャップ自体の厚みが2cmもあるので、カメラの図体がかなりでかくなりますが、
 レンズフードも兼ねているし(純正より分厚いかもしれません)、
    レンズの保護と機動性には変えられないです。

 ただこのチャップの部分ですが固定できずクルクルと回るようになっているので、
    私はボンドで開くボタンのところがカメラの頂上へ来るように固定しました。
 ちなみにこのフリップキャップを取り付けてもケラレませんでしたよ。



    あとの追加購入品として、お決まりの液晶の保護フィルター

    このフィルターは薄めですが、とても綺麗です。



    それからこのカメラは内臓フラッシュがなぜか無くなったので、
    ガイドナンバー14の小型純正フラッシュも購入。

    手持ちの単四エポルタ充電池2本で十分使えました。
    この次のブログの、永観堂 禅林寺の夜の特別拝観内の紅葉とかの撮影に、
       寺社内は三脚が使用禁止のため、さっそくこのフラッシュを使いました。



  また下に記載したマニュアル本には、ガイドナンバー61の一眼レフ用の大型のフラッシュ、
  シグマ EF-610 DG SUPER もしくは ST の シグマ用、も使えると書かれていました。
    
  これを使えばバウンス撮影もできるそうですが、私はまだ買っていません。
  ただカメラの図体に対して、このフラッシュは大きくてアンバランスになるのは仕方ないかなぁ。



    また、このカメラはもはやポケットに入らなくなったので、
       車載時とかの保護ケースに格安のソフトケースも。




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 最後に、記録媒体となるSDカードとその関連機器について。

 これは絶えず使い続けると思うので信頼性からこの製品を選択。
 価格が半値以下となる輸入品をチョイスしました。国内販売品はあまりにも高くて手が出ません。SDカード自体はサンディスクの製造品で、もちろん写真の通り最新の最高速度95MB/sのUHS-I規格対応です。
 

(サンディスク最新のSDカード:Extreme Pro SDHC UHS-I,36GB)

 シグマのDPメリルシリーズはまだUHS-I規格対応ではないので、書き込み速度は激速ではないですが、このカードを使用することにより、後述のUSB3.0対応のカードリーダーでは爆速での読み書きができるので、編集の時には効果が絶大です。


 すでに幾人かの方のブログでも試されていますが、
 私も試しに手元にある同じサンディスクの汎用品、青色のスタンダード品 SDHC 8GB クラス4、
   と記録時間などを比較してみました(RAWの最高画質の場合)。

 ExtremePro SDHC 95MB秒  シャッターから記録完了まで約11秒、記録時間のみ約3秒
 スタンダード品 最高速度未記載  シャッターから記録完了まで約19秒、記録時間のみ約10秒
            
 連写でない1枚撮影時でも、赤ランプ点滅の記録時間だけなら3倍!の速度差があるようです。
   高速なSDカードを使うと、50MBのRAWデータの記録時間だけなら3秒で終了します。  
   カメラ内のデータ処理に10秒ほどかかっているのが、記録時間が長くなる主原因みたいです。  



 それでも2000枚以上撮影してみた感じから、連写でなく1枚撮影でこのSDカード使用だと撮影から記録終了まで10秒ぐらい(もちろんRAWの最高画質)なので、今まで使ってきたDP1xとさほど変わらず、普通に風景を撮るなら私はそんなにストレスは感じなかったですね。

 まあこの手のカメラは、手ぶれ補正なし+ちょっと頼りないAFのせいで、私の場合はDP1xの時代から撮り損ねを恐れて同じ写真を3~4枚ぐらいは常に写しておくのだけど、そのときにはバッファにいったん撮影データを保存することもあり、すべて記録し終わるのに20秒ぐらいはかかっています。

 その撮影データの記録中は背面の赤ランプがずっと点滅しぱなっしですね。またその何枚も同じ写真を撮影するせいで撮影枚数も必然と多くなりバッテリーも全然持たないです。

 まだこの高価なSDカード、価格も高かったので最初は1つだけ買ったものの、
 RAWの最高画質選択では32GBでも500枚弱しか撮影できないことが分かり、
   渋々追加でもう2個も購入。  
 輸入品なので6000円前後ですが、それでも3つも買ったらずいぶん高くつきました。



 そしてそのSDを無くすと困るので、撮影済みとかのSDを入れる頑丈な保管ケースも購入。
 ただこのケースはSDカードの保持力が弱すぎるのが欠点でした。

 こちらもテプラで①②③と番号を振りました。
 ちなみに一緒に写っているのは、DP1x用に使っているSDカードです。
   こちらの容量は16GBですが、これは先日の花園プチオフの直前に急遽買ったけど、
   これでもDP1xならRAWの最高画質でも1000枚弱は撮影できます。



 これでDP1メリルを使うのに必要な物はすべてそろったのですが
    (もちろん高性能パソコンとインターネットの接続環境も必要です)、
 ここにきて最後の問題が発覚。

 この32GBのSDカードに満杯近く写真を撮ると、
 これをパソコンに取り込むときに非常に時間がかかるという問題が。
    とにかく何十分もかかってしまうのです。


 下写真は、今までSDカードとかの取り込みに使っていた
   USB2.0のカードリーダー ブッファローのBSCRA47U2という名の製品です。
   いつ買ったか記憶にないぐらいに古く、もう何年も前?の製品です。



うちの自作パソコンは、3年前に当時最新の組み合わせで作った4GBのメモリーも搭載したクワッドコアーのPC(Q9650)なのですが、当時はまだUSB3.0が実用化されていなかったので、取り込み速度を大幅に上げるためPCI Experssのカードを取り付けることにしました。

 電器店では全く見かけないため、アマゾンとかのレビューを見てこの製品に決定。
 早速我がパソコンに初めてPCI Experss 2.0×1のカードを取り付けてみました。



 合わせてカードリーダーもUSB3.0対応の数少ないこの製品をチョイス。
 これも近所の大型の電器店には在庫が置いていなくて、やはりアマゾンから購入。
    最新のSDXCとUHS-I に両対応したカードリーダーです。
    使ってみると、USB3.0規格の転送速度と相まって爆速でしたよ。



 ただ上のカードリーダー、ケーブル長が50cmしかないため、パソコンの背面にケーブルを挿すと
 もちろんフロントまで届かないので、数少ないUSB3.0専用の延長ケーブルも調達。
 これも売れないのか電器店に在庫がなくて、上のカードリーダーと合わせてアマゾンより購入。



 USB3.0仕様のカードリーダーを使うことにより、
   最高速度95MB/sのUHS-I規格のSDカードの性能がフルに発揮され、
 計測していないものの、従来のUSB2.0経由の取り込みより5倍以上は早くなったようです。
   取り込み時のイライラは完全になくなりました。



 残る唯一といえる問題が、7年前に初パソコン購入時に買ったままとなっているモニターの問題で、
 現在も最大解像度1280×1024の19インチをそのまま使い続けていまして、このモニターではDP1メリルの撮影画像のこまかな像がつぶれがちになってしまうので、
 どうやら現在主流の23.1インチか24インチのモニターの買い替えが必要になってきそうです。

 今回のカメラ購入に正直費用がかかりすぎて、
 パソコンのモニターの新調と車のスピーカー交換はちとまお預けとなっちゃいました。


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 そしてこちらはカメラ本体の話題ではないのですが、
 昨年夏(2012年 8月)に初富士山登山したときに、荷物になるからと三脚を買って持っていかなかったせいでDP1xによる手持ち写真となり、ご来光写真の位置がバラバラだったことの反省から、とりあえず店頭で格安で売られていた軽量三脚を買いました。


  こちらはSLIK(スリック)の COMPACT Ⅱという三脚ですが、
    三脚部の高さは800mm、最大高さは990mmという小型ながら、
    重量が570gと非常に軽く、折りたたみ長360mmとコンパクトにできるので、
  これならなんとか登山時にはもっていけそうです。

ただし積載機材の重量1000gとのことなので、一眼レフに重いレンズ付きでは使えないですが、
DPシリーズの一番重いDP3メリルでも400g前後なので、持ち歩くにはこれでも十分かと。

    ただし車に積載してのお出かけ用には、コンデジには過剰性能ですが、
    ベルボンのシェルパ535あたりのしっかりした三脚を1つ買おうかと思っています。


  こちらの三脚も同じところで買ったもので、 SLIK MINI Ⅱです。
  光量の不足する室内などで、長時間露光にてパーツを撮影するときに使っています。
 



また後日、2014.1.9にベルボンの三脚 シェルパ635Ⅱを買いました。
  詳しくは こちら です。
     → https://minkara.carview.co.jp/userid/1144014/blog/32249237/
リンクを貼った三脚購入ブログには、
  メリルの電池フタが開かない件の解決法も記載しました。

  (大き目の三脚、ベルボン シェルパ635Ⅱと小さく超軽量なスリック コンパクトⅡ)




 またカメラ自体の発売も間もないのに、すでに市販マニュアル本が先日出ました。
 これです。私も早速買ってみました。




       【2013.1.22追記】
 この本によると、
   ISO100はノイズは少なくなるがダイナミックレンジは狭くなり、
   ISO200はノイズは増えるがダイナミックレンジは広くなる、
って書かれていまして、そのセオリー通り今まで撮影していましたが、

 昼間の野外の曇り空とかで、同じ場所と同じ200分の1秒とかの露出時間で、ISO100とISO200で撮影しRAW現像すると、ISO200では色彩感がかなり乏しくなり、しかも原因は不明ですが多少グリーンかぶれの傾向もみられるようです。

 これは私の撮影の仕方が悪いのか、オートホワイトバランスの問題なのか、あるいは最適な露出時間の設定を間違えているのかもしれませんが、ISO100とISO200の差は感度以外にもけっこうあるのかもしれません。もちろん現像でかなりカバーできるもののちょっと驚きです。

 露出時間が取れるならISO100のほうが色彩がよく出ているようで、基本はISO100で撮影するほうが良さそうに思えます。ちなみに前のDP1xのカメラでは、ISO100とISO200ではかなり画質の違いがあったので、私は可能な限りISO100で撮影していました。



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       【2013.1.8追記】
 今日シグマから届いたメールによりますと、
 どうやら来月に DP3 Merrill なるものが発売されるようです。

 (追記) 2013.7.8にとうとう購入しました。

        (2013.2に発売予定のDP3 Merrill : デジカメウォッチより)



 このたび登場するDP3 Merrill は75mm相当ということで望遠とマクロ撮影用とのことですが、望遠レンズなのでカメラ筐体からレンズがかなり飛び出しているのが特徴でしょうか。
 レンズもこんなに大きくなれば、もはやコンデジとはいえずにミラーレス一眼のような大きさになってそうですね。


      (最初に発売された標準画角のDP2 Merrill : デジカメウォッチより)



 これでDP1 Merrill,DP2 Merrill,DP3 Merrill と3種類、広角・標準・望遠と3つの画角の単焦点の同一シリーズのカメラがそろったわけですが、まだ1台あたり実売価格で8万円ほどしているので、さすがに3台ともそろえる人はほとんどいなさそうですね。

 → シグマのキャッシュバックキャンペーンに釣られて、
   2013.7.8にとうとうDP3 Merrill を購入しちゃいました。




        【2014.2.11 さらに追記】

 この写真、昨日だかシグマから発表された、DPメリルの後継機種だそうです。
 dp Quattro(クワトロ)と言うそうですが、とにかく形状がすごく細長くてインパクトが強いです。

 そして今まで何度も指摘してきたことですが、これでやっとグリップ部分は改善されました。


 またここに搭載される新型フォビオンセンサー、表層の輝度情報と青の色情報は2000万画素、下層の緑と赤の色情報はそれぞれ490万画素になる、つまり補間をする??方式、これには早くも賛否両論が渦巻いていますね。

 今までは単純にBGR各色の1500万画素×3層だったので、どうなるのでしょうね。


       【2014.8.30 追記】
  今のところ致命的な故障をしない限り、
  クワトロには乗り換えずにDP1メリルとDP3メリルをそのまま使い続けるつもりです。



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       【2013.6.2 追記】
 DPメリルシリーズのブログ等を拝見していますと、シグマのRAW現像ソフトSPP(SIGMA Photo Pro)がよくフリーズするというのがありました。特にSDカード32GBに満杯になるほど(500枚超)撮影データを詰め込むと、クラス10&USB3.0接続であってもよくフリーズします。


 このSPPのフリーズ現象、ほとほと困り果てたので私の場合、SDカード内の撮影データが多量の場合は直接SPPで開こうとせず、X3Fの撮影データそのものをいったんPC内のHDDにカードごとに仮フォルダーを作ってまずコピーします。

 それでもHDD内でも、1フォルダー当たり500何十枚ものX3FデータをSPPで開こうとするとフリーズすることが多いので、1つ1つのX3Fファイルの更新日時を見て撮影した場所を判断し、撮影場所ごとにさらに細かくフォルダーを作成し分類、とにかくX3F撮影データを直接細かく分類していきます。


 例えば次の当ブログ「DP1 Merrillで撮影した古都京都 夜の特別拝観(永観堂 禅林寺/清水寺)」の場合では、まず永観堂 禅林寺と清水寺という別々のフォルダーを作成します。

 この時の永観堂の夜間拝観ではそんなに多くない合計162枚の撮影でしたが、その作成した永観堂 禅林寺フォルダーの中には撮影順に、

       01.総門 (16枚)
       02.総門から中門付近 (23枚)
       03.庭園・お手水 (52枚)
       04.夢庵から見た放生池 (13枚)
       05.夜の放生池 (33枚)
       06.阿弥陀堂 (19枚)
       07.茶屋付近 (6枚)

という名前のフォルダーを撮影場所で細かく分類して作成し、撮影データを細かく分類しました。


 このように細かく撮影データを分けて整理して、1フォルダー当たりのX3Fファイルの数を抑えるとSPPが速く開くし、まずフリーズすることがなくなりました。まあこれでもJepgへ焼くのに時間がかかるのはどうしょうもないですけど。


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 これでDP1メリル(姉妹機のDP2メリルも同様ですが)の
   撮影や編集に必要な物はこれで大まかにそろいましたが、

 私の場合、買ってそのまま使えた旧来のDP1xに比べ、
   今回のDP1メリルは大容量のSDカードや、
   とにかく全く持たない電池を含む数々の付属品も必要で、
   コンデジなのにとにかくお金もかかるカメラであることは間違いないようです。


 そしてこのブログの終わりに、先日DP1メリルで撮影した
 みなと神戸のモザイクガーデンほかの夜景写真をここにも再掲載して終了です。

   この橋は本州側からポートアイランドへと行く神戸大橋を撮影。
     露出時間1秒、ISO100にて撮影。
   以前のDP1xと違ってF2.8になったこともあり、かなり夜景にも強くなりました。

   なおこの日は風がとても強く、飾り岩にカメラを押し付けて撮影したので
     岩が写ってしまった下部はトリミングでカットしました。





   この写真はポートアイランド側から見た、
     対岸のモザイクガーデンや神戸タワーの写真です。
     撮影条件は同上です。こちらは欄干にカメラを押し付けて撮影。

 1枚目は、広角単焦点カメラのため、対岸のモサイクガーデンなど小さく写っています。
 2枚目は、観覧車やタワーを大きく見せるため周囲を大幅にカット(トリミング)した写真です。



   こちらは撮影場所にあった洋館をライトアップしていたのを撮影しました。
   こちらも露出時間1秒、ISO100にて撮影。

 こちらはRAW現像時に明るめにして、ちょっとロマンチックぽくしてみました。
 コンデジでこれだけの画質で撮影と、場合によっては大トリミングもできて十分すぎます。



  なおもっと素晴らしい撮影例、実写インプレッションの “シグマ デジタルの世界” が、
    フォトヨドバシ(PHOTO YODOBASHI)に
    ご紹介されていますのでリンクを貼っておきます→こちらです



  そしてこの次の当ブログは、このDP1 Merrill(DP1メリル)で撮影した、
  古都京都の夜の特別拝観(永観堂 禅林寺/清水寺)で撮影した写真を満載しています。


  また 「DP1メリルの部屋」 に撮影写真を掲載しました。 こちら です。



【関連情報URL】 には、シグマのDP1 Merrill のサイトをご案内しています。
2012年12月08日 イイね!

我がコンテ号、急遽冬支度です(2013.1.27 追記)

我がコンテ号、急遽冬支度です(2013.1.27 追記)急に寒くなった今日このごろですが、カクシカおじさんのページへご訪問の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 急遽ブログの順番を変更しまして冬タイヤのお話です。

 昨日の朝、我がコンテ号に取り付けてあるカシムラの外気温計、普段は温暖な我が居住地ですが、まだ12月の初めだというのになんと外気温-4℃でした。
 (このときの写真は撮り損ねたため、後日のものを掲載)
 
 
ということで不安になり急遽夏タイヤから冬用タイヤへ履き替えました。



 今回は前タイヤが2シーズン=おおよそ8ヶ月装着してちょうど20000km走って、プラットホームまで磨耗したためタイヤごと新品交換です。

以前の当ブログ
「2011年3月16日の鳥取自動車道の急な大雪遭遇と、スタッドレスタイヤの寿命ほか」
    で→当時のブログはこちら、詳しく掲載しましたが再度取り上げたいと思います。


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 この下写真は我がコンテ号に履いていました前のスタットレスタイヤを撮影したものですが、赤矢印で示した突起が、冬タイヤとしても使用限界を示す独特な「プラットホーム」と呼ばれるものです。
 鉄道の駅のホームみたいに線路から浮き上がっていて平になっているからなのか、そんな名前で呼ばれています。


 で、下の写真は前シーズンの2012年の2月に撮影したものですが、だいぶんプラットホーム近くまでタイヤが磨耗していますね。その後所用により仙台まで行ったりしたので完全に磨耗してしまってプラットホームとトレッド面が同一になってしまったので、先日タイヤ交換をしました。


          (赤矢印のところが、スタッドレスタイヤ専用のプラットホーム)


           (こちらは、新品のスタッドレスタイヤ専用のプラットホーム)


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チョイスしたタイヤは、前回と同様今回もブリジストンのブリザック レボGZです。
サイズは1インチダウンの155/65R14のサイズ、
  NAのコンテが履いている標準サイズでございます。
 


 価格が高いタイヤですが、今年2012年の1月に長野県や山梨県へ行ったとき、冬タイヤの性能を十分確認しましたが私としては申し分なかったのと、どこへ行くか分からないこともあり寒冷地仕様車とともに、あえてタイヤ銘柄を変更せずにそのまま同じタイヤにしました。


     【追記】
 今日午後から外出したのですが、スピードメーターが異常に高い値を示しているのでビックリ。
    慌ててタイヤを見るとなんと 165/55R14 のスタッドレスタイヤが。
 155/65R14のサイズを注文していたのに、
    どうやら交換をお願いしていたお店がタイヤサイズを間違えたようです。

 扁平率が低いので乾燥路のカーブ走行時とかの安定性は良くなったんだけど、見た目は最悪に!
 まあ、私はあまり見た目は気にしないほうなのでいいけれど、純正仕様で15mmローダウンしているRSなのに、タイヤハウスのスキマがいっぱい空いているという矛盾した仕様に。


     【さらに追記です】
 やはり予測していた通りですが、雪道を走ってみると雪への食いつきは65扁平タイヤより幾分か悪いようです。別に走れないほどひどくはありませんが、タイヤの値段も高くなるのでもったいないだけです。
 ここのページを見られたみなさま、冬タイヤは絶対に扁平率の高いタイヤを選びましょうね!

 サイズ間違えで取り付けられた我がコンテRSの冬タイヤは、激安にしてもらったこともあってもう仕方ないのでこのまま使うつもりですが、よりいっそう慎重に運転することにいたしましょう。


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  また、大雪の長野県へ行った当時の写真をこちらにも再度掲載しました。

      (大雪に覆われた長野県道76号線の様子 : 2012.1.28筆者撮影)


        (皆神山山頂からの大雪の下り道 : 2012.1.28筆者撮影)


 こんな大雪の中でも運転に不安を覚えるようなことはなかったですが、
 当然“急”の付く動作=急加速・急ハンドル・急ブレーキ、はもちろん厳禁なのはいうまでもありません。
2012年12月05日 イイね!

第19回 JR貨物フェスティバル 広島車両所公開 in 2012.10.28 & 鉄道雑学

第19回 JR貨物フェスティバル 広島車両所公開 in 2012.10.28 & 鉄道雑学今回のブログは鉄の部屋になりますが、

 通称 国鉄、
正式には「日本国有鉄道」という名の国の公社であった国鉄が1987年に分割民営化してから、今年2012年ではや25年にもなりました。

旅客会社は地域分割の形で民営化され、本州は三会社に分割、北海道・四国・九州の三島はそのまま三島会社となり、現在までそのまま引き継がれています。


それに対し貨物列車は物が移動するので長距離輸送も多く、全国規模の運用でないと難しい面もあって全国一律の形で民営化されました。

 国鉄が民営化してからは地域密着ということで車両基地などでのイベントが増えたり、家族が楽しめるような鉄道博物館ができたりしましたが(博物館に来るのに鉄道利用が必要ということもあるでしょう)、JR各社の中でも貨物会社というのは一般の人から見ればあまりなじみがない会社ですが、意外とあちこちでイベントを開催したりしています。



 ところで今回訪れたJR貨物の広島車両所、
 歴史は古く太平洋戦争の最中の、1943年(昭和18年)の3月に鉄道省広島工機部として開所しました。世界初の海底鉄道トンネルであった関門トンネルが開通(当初は単線)し本州と九州が線路で結ばれた8ヵ月後、列車の往来が増えたせいなのかわかりませんがここが発足したようです。

 そして長らく国鉄の車両工場として勤めてきましたが、国鉄の分割民営化によりここはJR貨物会社所属となって今日に至っています。



                 (JR貨物 広島車両所の正面入口)



 さて前置きはここまでとしまして、貨物会社の整備工場ということなのでメインは機関車主体でのご紹介となりますが、もう19回=19年もここで毎年秋口にイベントが開催されてきたせいか、すっかり地元にに知られているようで、とにかく朝から家族連れの来客のすごいこと。

 広島が大都会になるのか、あるいは地方都市の部類にはいるのかは分かりかねますが、東京や大阪のような大都会ではないのに来場者はかなり多かったですよ。


        (今年2012年度の第19回目となる貨物フェスティバルのチラシ)

 ちなみにここのJR西日本の場合は、新幹線を除いて旧国鉄時代の115系や105系電車ばかりで、新車も気動車のごく一部を除いて全く入っていないことから、いろいろな機関車が見学できる貨物会社のイベントのほうが面白味があるかもしれません。


 それではこのイベントで展示されていた車両と、工場内に静態保存されている機関車等をこれからご紹介していきます。
 なおすべての撮影写真はここには載せきれないので、細かくは車種ごとに分類し当ページ内の「その他 その他」のフォトギャラリー内に掲載し、ここからリンクを貼ることにしました。


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 では順に、構内を1周する形でご案内していきたいと思います。
 おおよそ登場年代順に並べてみました。


   まずトップバッターはいわずもがな、蒸気機関車です。

   といいましても、旅客用の代表格であるC62とか、貨物用のD51とかでなしに、
   あまりなじみのないD52形式です。
 

 旧国鉄・JRの機関車の形式表示は、
 動く軸、つまり動軸が2軸の場合は「B」、3軸=C、4軸=D、5軸=E、6軸=F、8軸=H、とアルファベット順に表記されます。
 そして動力源により区別もされていて、蒸気機関車は無表記、電気機関車はエレクトリックの「E」、ディーゼル機関車はディーゼルの「D」となっています。
 そして表記の順番は、「動力源+駆動軸数+形式番号+号数」という形になります。

   C62なら蒸気機関車で動軸数が3つ、D51なら蒸気機関車で動軸数が4つ、
   DD51ならディーゼル機関車で動軸数が4つ、DE10ならディーゼル機関車で動軸数が5つ、
   EF66なら電気機関車で動軸数が6つ、EH500なら電気機関車で動軸数が8つ、

といった具合です。形式番号の付け方も直流用、交直流用、交流用とかに分類されていますが、ここでは説明を割愛したいと思います。ご興味のある方は調べてみてくださいね。


 で、D52形式ですが国鉄最後の蒸気機関車の形式となった貨物用の機関車で出力も最大の1660馬力だったものの、戦時中に造られたため製造品質が悪かったようで、ボイラー爆発事故も3度起こしたようです。

 ここ広島車両所では第1号機であるD52 1を静態保存しています。詳しくは→ こちら


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 次にご紹介するのが旧式電気機関車の代表格といえるEF58形式です。
 当時主流だった客車の暖房用の熱源を供給するために重油ボイラー(SG)が、機関車に積まれた関係で、独特な優美な細長い車体となりました。
 


   上側の写真は広島車両所内にあったカットモデルですが、
      かわいそうに塗装がはがれてボロボロになりかけです。
   下側の写真は大宮工場のイベント時に撮影されたようですが(ウィキペディアより)、
      車体が綺麗なので合わせて掲載です。
      詳しくは→ こちら 。

 電気機関車なのにボイラーをわざわざ積むのは矛盾していますが、当時は電化区間が終わると途中で蒸気機関車に付け替えたりしていたし、蒸気機関車から暖房用の蒸気を分けてもらうのは当たり前であったので、客車の設計上いたしかたのないところです。

 現在は確認していませんが、恐らく今でもシベリア鉄道の客車は蒸気暖房を使っていると思います。
 といいますのは-50℃とかの外気温で、もし電気暖房が故障したり停電したりすればすぐさま死に直結するので、構造が簡単で燃料があればまず大丈夫な蒸気暖房を使っているそうです。


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   次はEF59形式です。
   型番が先ほどのEF58より後なのに車体はデッキ付きの旧来の形状です。

広島地区の山陽本線上り瀬野→八本松間に存在する急勾配の後押し機関車として、
EF56から改造されました。そのためデッキ付きの旧式となっています。

   こちらの写真はフォトギャラに未掲載の写真で、
   別の場所に展示されていた車両を撮影したものです。EF59 21号機です。


       
          きれいに塗装されていますね。動態保存なのかは不明ですが。


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   次は、ようやく先台車がなくなった現代と同じような動軸配置の機関車、
   EF61形式になります。動軸配置が2+2+2の形式=Bo-Bo-Boの台車構造でした。
  
     EF59&EF61の写真と説明は→ こちら


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   そしてこれらの静態保存の車両を見学後、
   正面入口の方へ行くと“EB66”なる子供向けの乗り物が。


       
         外見はEF66風ですが、
         赤色の超小型ディーゼル機関車がけん引して短い線路を往復しています。


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   その隣には昔懐かしの2軸貨車のワム・トラが展示されています。
   標準色のとび色2号でなしに、広島車両所特有の緑色に塗られていました。


       
         詳細は→ こちら にて。


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   このワム・トラ貨車の裏にはミニ鉄道博物館がありまして、
     毎年同じ展示物ですが今年はDP1xを持参したので写真を撮りました。
     中の様子は こちら です。



   先ほどご紹介したEF58形式のマスコン(マスターコントローラーの略語)です。
   マスコンはゲームの“電車でGO”とかでおなじみですが、
     こちらは旧式機関車なので、
     モーター電流計を見ながら人間カンピューターで運転していたようです。
     自動進段装置などはこの頃にはまだ無くて、職人技が生きた時代ですね。


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   次にご紹介するのはごく一般的なDD51形ディーゼル機関車です。
   今回は一番正面入口に近く、メインの位置に停車していました。


   横向きの写真は撮れなかったので、
   十何年か前に買ってしまいこんでいたカトーのプラ製HOゲージの模型を撮影。

   DD51形式の機関車の詳細は→ こちら です。


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   次に小型のディーゼル機関車DE10形式です→詳細は こちら 。

   この機関車は許容軸重の低い軌道が貧弱なローカル線向けです。


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 ここのイベントに展示されている動態機関車には
 いろいろなヘッドマーク(レプリカらしい)が取り付けられていますが、そのヘッドマーク各種です。

  ここのとなりには制帽も置いてあって、
  親子連れのお子さんがそれをかぶって記念撮影を盛んにされていましたよ。


  こちらの反対側にはここ広島車両所へ出入りする線路が。当然電化されています。
  右手にはたくさんの自転車と、交換用らしき車輪が並んでいました。



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   次にご紹介するのは私の最も好きな機関車EF66形です。詳細は こちら にて。

トップバッターの1号機が綺麗に塗装し直されて、ここ広島車両所にて保存されています。


もう老朽化で戦線離脱しているけれど、時たま研修用に動かすこともあるそうなので、
とりあえずは動態保存機というところでしょうか。

    正面から撮影。この2枚の撮影のため人が途切れるまでかなり粘りました。

    ちなみにEF66の初期車は運転席上のひさしは当初ありませんでしたが、
        後日取り付けられました。ひさしがあるほうがかっこよく見えますね。
    なお右奥に見えているのが、今回撮影し損ねたEF210-301号機です。


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   次は広島車両所の公開されていた研修庫内を簡単にご紹介していきます。
   まずは研修庫内の全景です。



   まずはコキ51449の車体、そして下写真はその台車部分を近撮です。



 「コキ」とは、“コ”は「コンテナ車」の略、“キ”は「25トン以上の積載能力」を表します。



   奥へ入っていくと整備中やら交換用車輪がゴロゴロといっぱい。


       
          どうやら電気機関車用の車輪みたいで、電車とかと比べ車輪も大きいです。
          まさに鉄の塊といった感じですが、いったいどれぐらいの重さなのでしょう?


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  次に展示されていたのは試作車として登場したEF200-901号機です。
     900番台はたいてい試作車を表していますが、
  JR貨物になってから初の独自設計の直流用電気機関車です。詳しくは→ こちら 。




   お次は現在の主力機関車EF210形式の桃太郎です。
   岡山機関区に配属されたことからこの名が付きました。詳しくは→ こちら です。

  ここでは検修中の写真1枚のみ掲載です。詳しくは案内先のフォトギャラにて。


  ちなみにこちらの写真1枚は、撮り忘れたEF210-301号機です。
     最初見たときはただのEF210だと思い込んでしまい撮影し損ないました。
  よってここでの掲載写真はすでにアップされていたウィキペディアからの借り物です。
     どうやら同じ日のこのイベントにて撮影された写真のようですよ。


 この新登場のEF210は301号機と300番台を名乗っており、後で調べるとどうやら通常のEF210の機能にプラスして、セノハチ(山陽本線の上り線 瀬野→八本松間)の登り勾配区間の後ろに、後押し機関車として連結する補機の機能を搭載した機関車のようです。


 広島の東側に位置する山陽本線の瀬野~八本松間には、幹線の本線上では異例の22.6‰の登り急勾配(カーブ走行による抵抗分も含めた、等価査定勾配では25.3‰となる)の区間があり、重量のある貨物列車は昔から補機をつないでこの区間を克服していました。


下の写真では、コンテナ車の後ろにつながっている赤い機関車がEF67形の補機機関車です。

(いまだに貨物列車にとっての難所、セノハチ : 2009.3.31撮影 ウィキペディアより)


 JR貨物が作った6000kwの大出力機関車EF200形の単機で、1100トンの貨物列車の引き出しにも試験では成功しているものの、結局従来からの安定性と輸送力をとれる補機連結でいくみたい?ですね。
 
 さらにこの区間ですが、悪いことに勾配だけでなしにR300(半径300m)のカーブも連なっているのでこれにより速度も制限されていて(貨物なら本則の時速65キロか)、旧国鉄時代に線路自体の付け替えも計画されたが、資金がなくて残念なことにこれは実現しませんでした。

 前にご案内したEF59を、これがほどなく老朽化するとEF65等から改造したEF67を補機に使用。このEF67も老朽化してきたため、汎用のEF210に補機としての装備を追加した機関車を登場させたようです。


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 余談ですが、
 ここの文面を作成中に「221系は瀬野八では使えない」などとあまりにも検索で引っかかったのでひとこと、

 221系は過去には勾配区間が続く伯備線経由で米子まで遠征したこともあり、別に115系の2M2T車が普通に走るセノハチ区間を下写真の車両、抑速ブレーキも装備しているJR西日本の221系も普通に走れるはずです。

 ちなみに低性能で有名な103系の2M2T車でも、抑速ブレーキが無いだけで登坂性能的には問題ないはずですが、モーター容量自体が無くて設計上登坂能力はかなり劣っているので、運転時分=所要時間がかなり延びることもありセノハチでは使われないようですね。割合平坦な呉線経由でなら三原・糸崎まで顔を出しています。



 が、しかし221系の動力機構は、
 旧国鉄が設計した211・213系の界磁添加励磁制御(かいじ てんか れいじ せいぎょ)なるものをほぼそのまま採用していまして、これの制御システムに対応したモーター容量は120kwと中央快速線や京阪神緩行線の旧来の201系の150kw/軸よりも残念ながらかなり小さいのです。

      (JR西日本 221系電車 : 2006.11.4撮影 ウィキペディアより)
 

 近郊型の211系(性能的には205系も同様)が作られた頃は、まだ幹線の駅間距離も長い区間が多かったが、現在は幹線といえども多数駅が作られたところもあり、駅間距離がかなり短くなった区間がありますね。特にJR広島駅より西側にあたるJR宮島口駅あたりまでの区間は、駅の数が国鉄時代時の2倍くらいになったような感じです。

 221系はこのモーター容量が小ぶりなのが災いして、本当は瀬野八よりも停車駅が増えて停止からの起動回数が増えた、広島西口近郊での起動加速2.5km/h/sでの各停用の運行に難があるのかもしれません……これはあくまで私の推測ですが。

 自然風冷を採用する在来線電車では、起動時にはモーター軸直結の冷却ファンはほとんど回っていないのに、出発抵抗は大きくてモーターへの負荷は高くなりがちで、モーターに大電流が流れるため発熱も大きくなりがちです。



 また以前1M2Tを採用した681系が富山地方鉄道の宇奈月温泉や直江津から信越線経由で長野まで顔を出していましたが、この2路線ですが勾配がきつくしかもカーブもきつくて速度も出せないため、モーターの冷却が出来ずにモーターが損傷したらしく、この2路線への乗り入れはほどなく中止されたようです。

特に長野までの路線図はサンダーバード車内の点灯式の案内表示板にも表示されていたので、
         モーター損傷は全くの設計外の想定外だったのでしょう。

    (681系はくたか 北陸本線 水橋〜東富山 : 2009.5.18 ウィキペディア)

       
         (JR西日本485系スーパー雷鳥 山崎〜長岡京 : 2000.6.1 ウィキペディア)



古い485系の2M1Tや4M2T車両が普通に問題なく走れていたのに、総出力的には変わらなくても動力集中のやりすぎでM車比率の低い車両は、勾配に弱いということが実証された事例ですね。

特急走行路線の勾配路線を持つJR東のスーパーあずさや、JR東海の383系しなのは逆に中容量のモーターを採用してM車比率を高く取っているのはその表れでしょう。

      (JR東海383系ワイドビューしなの : 2007.5.12 ウィキペディア)

       
           (八ヶ岳をバックに走行するJR東日本E351系 : 2010.5.2 ウィキペディア)



 221系が新快速から完全撤退後、東海道・山陽線筋では現在は主に途中から普通になる快速に使用されていますが、どうやらあくまでうわさによりますと、普通列車として運転すると、起動回数が増えたためモーターの発熱が大きくなって、加速性能は落ちるが限流値(げんりゅうち:モーターに流す電流値)を若干下げたらしいです。


やはり駅間距離が短いところや混雑の激しい路線では、
1067mmの狭軌の線路でもモーター容量が大きく取れるVVVF車が欲しいところですね。

(115系の2倍以上のモーター容量を誇るJR西日本227系電車 : 2015.5.3 ウィキペディア)


 同じような理由なのかは不明ですが、混雑の激しい阪和線の223系-0番台車は、モーター自体を登場時の180kwから、223系-1000番台車以降の容量220kwのモーターに全車交換されました。しかも最もモーターに負荷がかかる2M4T編成はなくなり、すべて2M2T編成に組み直されました。

 運転本数の多い混雑路線でモーター容量をアップしさらにM車比率も高くしますと、ブレーキ時に回生ブレーキの負担割合が多く取れ、また摩擦係数が絡む空気ブレーキよりもブレーキ特性が安定しているし、変電所の弱い阪和線では変電所の負担を少しでも減らすことができるからかもしれません。


   ----------------------------------


   次にはDD51とかに積載する大型のディーゼルエンジンです。
   詳細は→ こちら です。

   とにかくでかいです。
   左側に人影が写っていますが対比すると大きさが分かると思います。
     しかも軽自動車などでお馴染みのターボエンジンでした。
   まあトラックとかのディーゼル車でのターボエンジンは普通にあるのですが、
     保守的な国鉄が作ったエンジンがターボ採用だったとはチョット意外な気がしますね。


   ----------------------------------


   後は、試作機のみで終わってしまったEF500-901とかの珍しい機関車も。

  この機関車の説明と交流電化については、
  こちら当フォトギャラリーにて詳しく説明しています→ こちら です。


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  最後のご紹介となりますが、今回はEF510の運転席が公開されていました。
  その模様は→ こちら です。

  EF510形式は直流1500V専用機のEF210を交直流版にして
  電化区間でかつ軸重が許せば、全国どこへでも行けるようにした電気機関車です。

  こちらの写真は非公開の検修庫の外から撮影した写真です。
  非公開なのでロープの外からしか撮影できなかったですね。5号機です。


  運転室が公開されていたEF510-6号機を真横から撮影。ちょっと遠すぎですが。


    運転室の中です。


       



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


    次回のブログの予定は、
  今まで使っていた我が愛機、シグマのコンデジDP1xが壊れてしまったので、
  このカメラは修理に出して予備機とするべく、
    新たにフルモデルチェンジして発売されて間もないDP1メリルを購入したお話。

    さらにその次のブログは、
  その購入したてのDP1メリルを引っさげて、
  会社の同僚と行った、古都京都のライトアップと夜景写真をアップする予定です。
Posted at 2012/12/05 23:38:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道・船・飛行機 | 趣味
2012年11月07日 イイね!

江戸時代初期から現代までずっと残る、岩国の錦帯橋へ行きました

江戸時代初期から現代までずっと残る、岩国の錦帯橋へ行きました  
 最近なにかとニュースに登場している山口県岩国市。

 これは岩国米軍基地に、日本で初めて悪評高いオスプレイが来たことでニュースに取り上げられたのですが、元々岩国市には 「錦帯橋」 という、オスプレイではなく良い意味で全国的に有名な橋がございます。




        《プロローグ》
 私がこの錦帯橋(きんたいきょう)に興味を持ったのはつい最近のことで、それまでは単に観光名所ぐらいの感覚しかありませんでした。

 その錦帯橋に興味を持つきっかけとなったのが、

    ここより4つ前のブログ 「2012年 夏の旅行/その⑬ 静岡島田の蓬莱橋へ行く」
       → https://minkara.carview.co.jp/userid/1144014/blog/27873846/
の作成中で、

そのブログを作成中に江戸時代の橋梁技術について調べていくうちに、江戸期に架けられた大きな橋のなかで、唯一? この橋のみが現在まで残っている、ということを知ったからです。


 その静岡県蓬莱橋には2012(H24).8.23(木)に実際行き、この足で渡ってきました。 


       


       (静岡県島田市にある蓬莱橋より3枚 : 2012.8.23 筆者撮影)



 江戸時代によく言われた言葉に
    「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」 というのがありました。

 先ほども触れましたように江戸時代の265年もの間、アホの一つ覚えではありませんが戦国時代が終わり泰平の世になっても、保守的な江戸幕府は富士川や大井川や天竜川などの大きな川には一切架橋を認めませんでした。

 よって旅人は江戸の初期には自ら渡るか川越人足に頼っていましたが、そのうち自らでは自由に渡れなくなり、「勝手渡り」という抜け道はあったようですが基本的には自力での渡河は禁止となり、川越制度により川越えにもお金が取られるようになりました。


 しかも川越人足は幕府の下級役人であったようで、江戸末期頃には川越人足はなんと1000人以上の大所帯となったこともあり、人足制度を廃止して渡船にもせずにずっと人足制度を続けていて、東海道の旅人を苦しめていました。川越は命がけの仕事とはいえ今で言う利権と一緒ですね。

 (歌川国久作 東海道川尽 大井川の図 : 国立図書館デジタル化資料より筆者合成)



 このような理由と架橋の技術的問題から、江戸時代にはずっと大井川には橋がかけられず、やっと明治の世になってこの蓬莱橋(ほうらいばし)が架けられました。1879年の明治12年のことです。

 江戸時代にはもちろん重機などはなくて現代のように機械力に頼ることは出来なかったけれど、どうやら「震込」…ゆりこみ、という、橋脚となる丸太の上に重しを載せて、揺すりながら川の中へ橋脚を立てて行ったとか。


    詳しくはこちらの本で記載されていました。

(大井川に橋がなかった理由 : 松村博著・創元社 2001年刊)
                         (錦帯橋物語 : 伊藤正一著・叢文社 2004年刊)

 簡単に言えば江戸期の橋の橋脚の建て方は、ちょうど鉛筆削りで芯の先端を尖らせた鉛筆を粘土の中へ垂直に押し込んでいくような感じでしょうか。素晴らしいお城の石垣の建築技術に対し、こちらは非常に幼稚なやり方ですね。


   -----------------------------------


 そんな江戸時代の一般的な架橋技術に対し、真っ向から果敢に挑戦した人がいました(藩がありました)。毛利元就からの分家にあたる吉川(きっかわ)家の三代目の岩国藩主(毛利方から見れば岩国領主)になる吉川広嘉と大工の児玉九郎右衛門です。

 ごく小さな岩国城が不便な山の頂点にちょこんと建てられたのかはいささか不思議でもありますが、これは関ヶ原での戦いの敗戦よるところが大いにあるのでしょう。

 そして毛利家は豊臣方の石田三成派、それに対して吉川家は徳川家康派に組し毛利家の安泰を図ろうとした複雑な事情?によるのでしょうか、万が一幕府方に攻められた時のことを考え川と山を利用した天然の守りの城にしたのだと思えます。


(1957・昭和32年に復元された岩国城 : ウィキペディアより)

 ともあれ吉川広家がこの岩国領に移封された後、この山城の「岩国城」と麓に平時の居館となる「土居」とが築かれたようです。その7年後に岩国城は一国一城の令により、本家の毛利家から藩として認められていなかったため、幕府からは何も言われなかったのに岩国領の岩国城は廃城となりました。

 だが岩国城や土居と城下町との間には錦川(にしきがわ)という、大井川ほどではないけれど川幅200mの大きな川が横たわっており、当然この川にも橋が架けられたようですが江戸初期の架橋技術、これでは当然大きな水害が来るとその度に流失していたようです。



 そこで吉川家の三代目の岩国領主(毛利本家から見れば、藩主でなく家臣ということで岩国領主と言うらしい)となる吉川広嘉(きっかわ ひろよし)は、歴代藩主の悲願だった洪水で流されない橋を架けることに着手します。
 そしてこのプロジェクトの責任者に選ばれたのが大工の児玉九郎右衛門で、彼は独創的なアイディアと優れた技術でもって領主の期待に十分応えました。

 吉川広嘉や児玉九郎右衛門は洪水に流されない橋の構造をいろいろ調査していましたが、ちょうど明の帰化した禅僧である独立(どくりゅう)から、杭州の西湖の六石橋には島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知りました。

 これにヒントを得て、連続したアーチ橋を架ければ洪水に流されないであろうとの基本構想を得、当然ですが錦川の中洲には島がないので、アーチ間の橋げたには強固な石垣とする設計とし、これで洪水に耐えられるのではないかということで、木橋を設計・建設し始めます。


            (葛飾北斎が描いた錦帯橋 : ウィキペディアより)


 その錦帯橋の見本となった、杭州の西湖にかかる六石橋のアーチ橋の写真は入手できなかったのでここでの掲載は見送りましたが、吉川広嘉と大工の児玉九郎右衛門とその人々が作り上げた錦帯橋は、1673年(延宝元年)9月30日に5連のアーチ橋の形状で完成しました。

 もちろんこの当時にはまだ写真はないので、葛飾北斎の浮世絵を代わりに掲載しました。
 葛飾北斎の浮世絵がどこまで真実の錦帯橋を表現しているのか不明ですが、石の橋脚は円形になっています。しかし初代の錦帯橋の完成から1年もしない翌年の1674年(延宝2年)5月28日、梅雨時の大雨により橋は流失してしまったようです。


 そこでその錦帯橋の流失原因を追究し、すぐさま石の橋脚の周囲をさらに石で敷き詰めて現代でいう洗掘(せんくつ)、つまり橋脚の周囲が濁流で削り取られないような対策をしまして、さらに石の橋脚自体も先端を尖らせた形にして?極力洪水が滑らかに流れるよう工夫しました。


(石の橋脚の根元にさらに石を敷き詰めている錦帯橋 : 2010.7.24撮影 ウィキより)


 この改良が功を奏し、その後は昭和期の1950(昭和25)年まで276年間も流失することなく、木製のアーチ部分は時とともに腐食するので、定期的に架け替え工事が行われて現代までその優美な姿を保つことになります。

 しかもアーチ部分の架け替えの技術が途絶えぬようにと、50年ほどの寿命よりも前にアーチ部分は20年に1回程度、両脇の桁橋は40年程度の割合で架け替えられていたらしく、その資料もきちんと残されているらしくて技術は途絶えることなく後世に伝わっていきました(ウィキペディアやその他資料より)。

 なお一説には、太平洋戦争中は橋の管理が十分でなかったことと、前年の1949年頃に米軍が岩国基地を拡張するために、この錦帯橋のすぐそばの上流側から大量の土砂を採取したため、流れが急になってしまい、276年間も流失しなかった錦帯橋が初めて流されたのだとか。

    これの詳しいサイトは 帯橋流出写真の紹介というサイト
         → http://www32.atpages.jp/sa1702toru/19500913hasiryusyutu.html
    日本文化を全く理解しない米軍の行動はいつの世もはた迷惑な話ですよね。


   -----------------------------------


 先の大井川の蓬莱橋のブログでも触れましたが、庶民の苦しみをよそに贅沢三昧だった大奥をぶっつぶして、その予算を使えば錦帯橋の5倍の規模になるが大井川にもこのような橋は架けられたことでしょう。

 毛利家岩国領(実質岩国藩といえるが)は、藩の規模が小さかったのでまとまりやすくやりやすかったのだろうが、このように藩主の熱き思いと稀に見る優れた大工の児玉九郎右衛門がいたからこそ、江戸初期に架けられ補修しながらも何百年と命脈を保った、世界に誇れる錦帯橋が現代の世でも残っているのでしょう。


     (周防岩国領の第三代目領主 吉川広嘉:ウィキペディアより)


 それに対し巨大な官僚機構の江戸幕府と世情に疎い将軍や老中の連中らは、庶民の苦しみは分からず艱難多い大井川に橋を架けるよりも、大奥の権力を恐れ無事勤め上げて家の名誉を守る…ということが専らの江戸の武士・官僚連中の目標だったのでしょう。

  これは現代の政治家や官僚たちもなんら変わらない
  事なかれ主義の悪弊です。ムラ社会の弊害でしょうか。


 そういう意味では江戸時代は、
 世の中が発展せず停滞していた時代の見本のような歴史ですが、

 こんな世の中は100年ぐらいでとっとと終わって、
   明治維新のような時代に転換していれば、
   日本はどれだけ発展していたか計り知れませんね。



   -----------------------------------


 それでは、世界に誇れる(と私が思っている)錦帯橋の写真をダイジェストで。

 なお今回の撮影写真は、2012.10.28のJR貨物会社のイベントの空き時間を利用しての訪問だったため27日と28日の両日にまたがり、しかも午後やら夕方やら日没後に撮影した写真が混ざり、景色や背景が統一されておらずバラバラなのは、ご愛嬌で。


  まずは錦帯橋を下流側から撮影。
  橋の長さは全長193mもあり広角のカメラでも200mくらい引き下がって撮影です。


       


  右手に見えるこげ茶色の箱の中には、夜間ライトアップ用の投光器が入っています。
  ふたは黄色のプラ板なので黄色の光が夜間発光されます。その写真は最後に掲載。




  今度は200mちょい上流側に回って現代の橋、錦城橋上から撮影です。

  上写真は私が撮影した10/27の夕刻近くのものですが見栄えが良くなかったので、
  再度翌日の午後にも行きましたが、今度は西日が水面に反射して最悪の結果に。

  よって、ウィキペディアに投稿された綺麗な写真も合わせて掲載しました(下写真)。




 次に錦帯橋の要となる橋脚の部分をご紹介していきます。
 江戸時代の橋はかなりの橋で丸太の橋脚が使われたのに対し、ここでは築城技術をふんだんに使用しての?石造りの頑丈な橋脚です。

  しかも錦帯橋の完成後、
  翌年の洪水で橋が流失したので橋脚の周囲をさらに広範囲に石を敷き詰めて補強をし、
  これにより洪水にも耐える橋となりました。





       

       




       



 そして大工の児玉九郎右衛門の能力が大いに発揮されたと思える錦帯橋のアーチ部分を撮影。
 鉄道の電車に使われている架線のカテナリーにそっくりな形状です。

  まずは中央の大きな長さ35.1mもある木製の3連アーチのほうから。


       

  アーチの真下からも撮影





  次に土手と橋とをつなぐ両脇の桁橋構造の反橋の真下部分を撮影。
  この部分は江戸時代の一般的な橋梁の、木材による橋げた構造ですね。



  そして、この木製なら世界に類を見ないほど巨大らしい3連アーチの構造は、
  建築用語?では「カテナリー構造」と言うらしく、
  鉄道の電気の集電用の電線=架線は“カテナリー架線”という形状ですし、
  「カテナリー曲線」で検索すると、ウィキペディアに下写真の構造物が。

  これはセントルイスにあるゲートウェイ・アーチの写真だそうですよ。

 つり橋もカテナリー構造に近いそうで、
   これは構造物が重力に対し安定する構造の一種だそうです。
 これを江戸時代に採用し設計・活用した大工の児玉九郎右衛門さん、すごいの一言につきます。
   もっと評価されるべきでしょう。


   -----------------------------------


  それでは、その錦帯橋を歩いていきます。



  対岸にもありますが、この料金所にて
  錦帯橋往復券大人300円(子供150円)を支払って渡っていきます。

       
         江戸時代にはこの橋用の用材も植林されていたとか。
         50年ぶりに2004年に古図面にならってすべて架け替えられたそうです。




       






   -----------------------------------


 時間が多少あったので錦帯橋の対岸をしばし散策です。
 ロープウェイに乗って山頂まで行く時間は今回はなかったですが。

 対岸には元岩国藩の氏神ともいえる吉香神社がありましたが、現在は移設されたのを機に公園として整備され、桜の名所として吉香公園(きっこうこうえん)の名で知られているようです。


                    (吉香公園の案内図)


  桜の名所で有名らしい吉香公園の様子です。


  公園内にある江戸時代の武家 香川氏の武家屋敷の門。
  当時の雰囲気を今に伝えているそうです。


       


  公園のそばにある茶屋と休憩用の大傘と人力車。





         公園内の大きな杉も
       





 そして錦帯橋の対岸側のすぐのところにアイスクリーム屋が。
 10月末なので暑くはなかったが、おいしそうなので食べてみることに。

 しかしメニューを見てビックリ。これだけあればいったいどれを選んでよいのやら。
   結局、このお店の一番のお勧めらしい1番目の「こだわりバニラ」にしました。
 ちなみに個人的に撮影した写真なので店員さんの顔はガウスで隠しました。


       
         しかし120種類!のアイスクリームとは


  私の食べるソフトクリームにカメラのピントを合わせた写真
  少し溶けて形が崩れています


  こちらはお店の看板にカメラのピントを合わせた写真

  宮本武蔵から名前を取ったのか「むさし」というお店で、珍百景で放送されたとか。
  ちなみに向かい側のお店の名は「小次郎商店」というのだそうな。

  このお店の店頭TVにはこの時の放送が流されていましたが、
  ユーチューブで動画を探してみたけれどなかったので、リンクを貼りました。
    こちらです→ tv asahi 地デジ5ch 珍百景No.176
    → http://www.tv-asahi.co.jp/nanikore/contents_pre/collection/090128.html


 ソフトクリームを食べ終えて錦帯橋を渡って戻るときには日没に近い16:45ぐらいでしたが、
 まだ河原の有料駐車場にはこんなにいっぱいの車やバスが(撮影は10/28日のほう)。 




   -----------------------------------


 2012.10.27(土)にここを訪れたときには宮島散策の後だったのでもう夕暮れに近く、
 河原の有料駐車場でしばらく休んでいました。

 そうするうちに日没となりあたりは真っ暗に。すると錦帯橋がライトアップされていたので
 いつものコンデジDP1xでの、ISO100設定で露出時間1秒にて記念撮影です。

 まずはライトアップ用の投光機を夕方に撮影。暗くなってからの撮影のためノイズが。



 2012.10.27 18:22頃に撮影。黄色にライトアップされた錦帯橋です。
 どうやら山頂の岩国城もライトアップされているようです。


 こちらは私のお遊びで作成した写真で、上の元写真に
 シグマのRAW現像ソフトSPPのカラーパレットで電球色のライトアップのような現像に。



   -----------------------------------


  これで錦帯橋のブログは終了です。

  次回のブログは、この広島へ行った本来の目的である
  第19回 JR貨物フェスティバル 広島車両所公開イベントをアップする予定です。

↓関連情報URLは、岩国観光.comをご案内しています。
Posted at 2012/11/07 23:49:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 建造物・構造物 | 旅行/地域

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当然、新品のストレーナ・マグネット・ガスケットへと交換。」
何シテル?   10/26 21:55
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