▼#23 黄金の大勝負!(最終回)
地下鉄の工事現場で時価数百億円の大判小判の金貨が発見され大日本銀行に保管された。 そのころ銭形はルパンのアジト壊滅作戦をすすめており、その一つを急襲。 巧みに逃げ出したルパンたちは埋め立て地の地下にある古いアジトへ移動した。
犯行の日。 次元と不二子は金貨の警備にあたる銭形らに睡眠薬を混入した弁当を配り、五ヱ門とルパンは金庫の下にトンネルを掘って金貨を盗み出す。 しかし金貨には発信機を埋め込んだニセモノが大量に混ぜられており、目が覚めた銭形は信号を追いはじめた。 だがルパンは発信機に気がつき、それらを清掃局の清掃車に次々と投げ込んで警察を混乱させた。
勝ち誇った気分で埋め立て地のアジトに入ろうとしていたルパンたち。 そこに清掃車と、それを追うパトカーが次々と走ってきた。 アジトの場所はごみの処分場がある「夢の島」だったのだ。 銭形ら警官隊に追い詰められたルパンは大失敗を恥じ、自爆を宣言する。
▽オースチン ミニ (Austin Mini) / モーリス ミニ (Morris Mini) Mk.1 ?
不二子が運転。 尾行を撒くため過激なドライビングを披露する。

ミニは1959年に登場し2000年まで生産された、イギリスの象徴的な小型車。 横置き4気筒のFFレイアウトは当時としては珍しく先進的であった。
初期のモデルであるマーク1(1959-1967)とマーク2(1967-1970)はドアのヒンジが外部にある。 劇中車はグリルの上辺が円弧状に描かれているのでマーク1と思われる。

ミニの登場時の企業名はBMC (British Motor Corporation)で、オースチンとモーリスのブランドで発売された。 合併などによりBL (British Leyland Motor Corporation Ltd )、ローバー (Rover Group)と変化したが経営不振となり、BMWがMINIブランドを手中に収めて今日に至る。
▽ジープ (Jeep) CJ-3B
不二子と次元のミニを追い越すジープ。 ドライバーは作画監督の大塚康生。

ジープは第2次世界大戦中にアメリカの軍用車として登場。 CJは民間向けジープ (Civilian Jeep) の意で、戦後の民間需要向けに1944年に登場し1986年まで生産された。
第3話と同様にCJ-3B (1953-1968)としておく。
▽追手のクルマ1,2(車種不明)
不二子と次元のミニを尾行していたクルマ。
▽シトロエン 2CV (Citroën 2CV)
先ほどのジープとともに広場に停車。

宮崎駿(演出・原画)の当時の愛車。
▽追手のクルマ3(車種不明)
尾行を撒いたと思って一安心したミニを、また別のクルマが後をつける。
▽現金輸送車
大日本銀行の現金輸送車。
▽シトロエン 2CV (Citroën 2CV)
ルパンたちのアジトは都心部の平凡なマンション。 外を見るとクルマの通行量がやけに少ないことから警察の急襲を予想。 2CVだけが走っていった。
▽日産 ブルーバード (Nissan Bluebird) 2代目 (1963-1967)
アジト発見の連絡を受けて急行する銭形と長官。

2代目ブルーバードはピニンファリーナ社のデザインで1963年9月に発表され、1967年に3代目にフルチェンジした。

かつてはトヨタ コロナと共に「BC戦争」と呼ばれるほどの主力車種だった。
▽埋め立て地の地下アジトのクルマ
急襲されたアジトを捨てて、数年ぶりに地下アジトにやってきたルパンら4人。
▽フィアット 500 (Fiat 500)
警視庁御用・だるま弁当の前で停車、不二子と次元が降りる。

ルパンは地下鉄の線路から秘密の側坑へ。 そこでは五ヱ門がノミと槌でトンネルを手掘りしていた。

のちに「ルパンのクルマ」として有名になったフィアット 500は1957~1975年に生産された小型のRR車。

大塚康生(作画監督)の当時の愛車で「
大塚康生の【web】峠の茶屋」によると1962年に購入。
▽シトロエン 2CV フルゴネット (Citroën 2CV Fourgonnette)
だるま弁当のクルマ。 次元と不二子が乗っている。

フルゴネットとはフランス語で小型の屋根付き貨物車の意。 後ドアを廃して荷室にするモデルが多い。 警視庁御用のお弁当屋さんにしては思い切ったチョイスだ。
▽フォルクスワーゲン タイプ1 「ビートル」 (Volkswagen Type 1 "Beetle")
大日本銀行から盗み出した金貨を積んだルパンと五ヱ門のフィアット 500が都心を走る。 ビートルのドライバーは警察官に駐禁を切られているところか。

フォルクスワーゲン(VW)タイプ1は第2次世界大戦後のVWの最初の乗用車だが、ビートルという愛称の方が遥かに有名であろう。

ヒトラーにより国民車として推進され「KdF」と名付けられたRR方式の新型車は1938年に最終試作車が作られたが、翌年にドイツ自らが第2次世界大戦を勃発させたことで国民車どころではなくなってしまった。 戦後「KdF」は「VW タイプ1」に改められて発売。 ドイツ国外でも人気を博し、ドイツでは1978年まで、メキシコでは2003年まで生産された。

1998年にはニュー・ビートルが、2011年にザ・ビートルが登場。 どちらもタイプ1のRR方式ではなくFF方式である。
▽日産 プリンス クリッパー (Nissan Prince Clipper) 2代目
清掃局の清掃車。 発信機が入ったニセの金貨をルパンが次々と投げ込む。

プリンス自動車から登場した2代目クリッパーは1966~1976年の10年間に渡って生産された。 デビュー同年の日産との合併により日産 プリンス クリッパーとなる。

クリッパーは3代目の1981年で終了したが、2003年にOEMの軽自動車として復活した。
▽ローバー P6 (Rover P6) [Rover 3500]
発信機の信号を探して走るパトカー。

1963~1977年に生産されたローバー P6は、直4の2リッター(後に2.2リッター)とV8の3.5リッターのエンジンがあり、それぞれローバー 2000(2200)とローバー 3500という車名であった。

1968年に追加された3500はラジエーターの増強に伴いバンパー下のグリルが拡大されている。 劇中車のフロントグリルは3500の前期型のようだ。
▽トヨタ クラウン (Toyota Crown) 2代目 S40系
発信機の信号を探して走るパトカー。

2代目クラウンは1962~1967年に生産された。 劇中車はヘッドライトとバンパーの間にウインカーがある前期型。

エンジンは1.9Lの直4だったが、1965年に2.0L 直6のM型エンジンを追加。 これをDOHC化した3M型エンジンがトヨタ2000GTに搭載された。
▽交差点
ルパンたち4人は屋上ビアガーデンから走り回るパトカーを見下ろしてビールで乾杯。
▽夢の島・地下アジトの出入口
フィアット 500で埋め立て地にやってきたルパンたち4人。 地下アジトの出入口は冷蔵庫。 「ホントに夢の島、宝の島ね。アハハハ」と不二子が笑ったところに清掃車と、それを追う銭形らのパトカーがやってきた。

ごみの埋立処理場だった夢の島は1978年に
夢の島公園(東京都江東区夢の島)としてオープンした。 1957~1967年にかけては未処理のごみを埋め立てていたため
1965年にハエが大発生、「東京ごみ戦争」の契機となった。
▽大塚康生と宮崎駿と2CV
最終回には宮崎駿(演出・原画)と大塚康生(作画監督)が登場している。
ジープを運転する大塚康生。 ハンチング帽がトレードマーク。

「
大塚康生の【web】峠の茶屋」によると1969年に三菱改MBジープを入手、翌年よりジープなど軍用車に関する連載を行っている。 1973年には模型の製造企画に参加、ラインナップには
19話と
21話に登場しているCMPがある。
ジープのエンジンルームを眺める宮崎駿と大塚康生。 女性は宮崎夫人だろうか?

2CVのナンバーは「4494」。 不二子のミニがぶつかると・・・

宮崎駿がもう一人?!
宮崎駿はもともとはクルマが好きではなかったようだが、子供の保育園の送迎のため1967年にシトロエン2CVを購入。 映画の中のクルマがシトロエンだと教える「先輩エンスーO氏」は大塚康生。

13年落ちの個体は保育園の送迎には支障があり某国産車に乗り換えるが、1970年に2台目の2CVを購入。

ナンバーは「4494」。 ミニがぶつかった2CVの他に、だるま弁当の2CVフルゴネットにも書かれている。
不二子が運転するミニが飛び降りた先は・・・

宮崎一家。 子供は幼い頃の宮崎吾朗(1967年生まれ)だろうか。
おしまい。

私がアルピーヌ・ルノー A110を見たのは、このアニメが最初だった(後に自動車雑誌で写真を見て、不二子が乗っていたクルマだと気がついた)。 この「ルパン三世」というアニメで(ほとんど記憶に残っていないが)色々なクルマを見ていたんだなぁ、と感心すると共に、これを書くために色々と調べてみては自分の浅学さを痛感したのであった。
・本放送日:1972/3/26 再放送日:2016/10/24
▼ルパン三世(Part 1)のクルマ
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