普段何気なく使っている携帯電話だが,それが無い時代を過ごしてきた私は有意性をとてもありがたく思う。
以前ブログにも上げたが,出張先で電車が降雨のため運行停止という事態に陥った。
このとき,同行する営業とも,現地で落ち合うメーカーの技術者とも一緒ではなく,単独行だった。
しかし全員が携帯を持っていたため,連絡を取り合うことが出来た。
会社にも直ぐ連絡出来,タクシー利用の許可を貰うことが出来た。
一つ先の駅で営業を拾い,現地でメーカーの人達と落ち合うことも簡単だった。
何年前だろうか,関東をかなり大きな地震があった。
昼近い時間帯であったが,私は午後からの出勤のため電車に乗っていた。
地震のため,駅で停車した電車はなかなか走り出そうとはしなかった。
会社に遅れる旨を伝えるために公衆電話の待ち行列に並んだ。
まだ停滞電話が普及する前の話だ。
地震のため,電話線が一部切断されたということを後で聞いたが,その時点では分からない。
私の前で,公衆電話の受話器を握る人は,出ない相手に随分イライラしていた。
結局繋がらず,受話器を置いてその人は去った。
幸い,私の会社は直ぐ出たが。
今では携帯が普及しているため,公衆電話の数が激減しているが,あれはどうだろう。
もしも,のために公衆電話は設置されていた方が良いと思うんだが。
携帯電話の出現はドラマの作り方も変えた。
キムタクと松たか子のドラマで脚本家の言葉を雑誌で読んだことがある。
こんなことを言っていた。
恋愛ドラマには「すれ違い」が重要な役割を果たすが,携帯があるため,「すれ違い」を描きにくくなった。
事実そのドラマでは,わざわざ「すれ違い」を起こすために,待ち合わせ場所を山の上!,というようにしていた。
「流れ星を観るため」という布石の下に。
しかし。
待ち合わせに遅れる人間が,携帯を持っているのに連絡してこない場合がある。
神経をちょっと疑うね。
相手にもよるが,「遅れます」と言ってこない奴を,私は5分以上待たない。
Posted at 2006/09/14 20:17:58 | |
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