2011年01月07日
もう、かなり経つのですが
アーチェリーから完全に撤退しました。
静岡国体のアーチェリー競技が榛原で行われる事となり
地元に施設や競技者、役員育成の為にアーチェリー協会が立ち上がり
それをたまたまテレビで見て、友人と始めて見たいとの話しになり
アーチェリーを始めました。
自分が競技としてアーチェリーをやっていたのは1年半位かな?
協会の練習に人も集まらなくなって来た頃に
中学生の育成の手伝いを頼まれました。
その世代が静岡国体の時に高校生で参加出来る年代になる子達です。
地元の選手を出す事は難しく
もともとその地域にアーチェリーは無かったので全くの新規で初めて
数年後に地元で国体選手を出すと言う何ともアホなプランです。
行政は器を作るだけで選手育成の為の指導者の用意もしていません。(笑)
当時、設計の仕事をしていた自分は比較的時間を自由に使えたので
中学生の指導をする事に・・・
勿論、無償です。
数年で土台の無い所から地元の国体選手を育て上げると言う事が
どんなに馬鹿げた事かを知らない連中が殆どの状況・・・
国体に対しての目標は
無事に開催する
地元選手を1人でもだす。
地元選手が出せたら大成功と言われています。
実際には国体が終わったら終わりでは無いので
地元にアーチェリーを根付かせるのが最大の目標になる分けです。
地元に根付かせる為には
そこで育った選手が最低1周回って指導者になる事が大切で
戻ってきてアーチェリーをしてもらう為には
アーチェリーが楽しくて好きで居て貰う必要も有り
仕事をしながらアーチェリーの出来る環境も必要です。
と、実際に根付かせる為には非常に高いハードルがいくつも有る訳です。
行政は器を作れば勝手に根付くと思ってる様ですが・・・
ま、そんな事を前提に中2メインで中3が2名の10人位を見始めましたが
ま~
楽しいの何の!!(笑)
遊んでるのか練習してるのか分からないけど
一番練習していた夏休みは
毎日
6時~10時部活
10時~12時自由練習
13時~18時自由練習
週二回は21時まで練習
何て殆ど射場に居る状況で
仕事は帰って夜中にやると言う毎日
若かったな~(笑)
でも、体調崩したな~(笑)
中学生の指導のみでしたが
見ていた子達が高校に上がったのと一緒に高校も見る様になりS良高校担当に
H原高校の鈴木先生と言う顧問の先生がとても素晴らしく
練習環境の構築、練習時間の捻出、射形のを見る能力、等等とても能力の高い方で
部活内の雰囲気も
妻曰く
『節度有る自由』
と言う感じで高校でも長時間素晴らしい環境で練習が出来て居ました。
楽しく伸び伸びとです。
同じ場所で3つの高校が練習する状況も鈴木先生は受け入れてくれ
自分の高校が借りて居るにもかかわらず他校生徒も分け隔てなく扱い
教員とは思えない高い人間性でとても尊敬出来る人物でした。
ノンビリ楽しく練習をしながらも選手達はメキメキ力を付け
気が付いたら男女共に県内で1番の地域に・・・
インハイ常連高の先生に
「中学生から育てるのはズルイから止めてください(笑)」
と、よく言われました。(笑)
肝心の地元国体は地元のH原高校がもたついて居たので
私が担当していたS良高校が男女1名づつ頂き
国体事態も全くトラブルも無く
得点集計の役員をしていた自分も改心の出来で終わりました。
地元国体の翌年も
男女4名づつの国体選手の枠に榛原勢が
男子2名、女子4名と言う状況も・・・
男子はブロック大会で落ちましたが(笑)
その後、鈴木先生は家庭の事情でアーチェリーから撤退
変わって入った先生も普通の先生でしたが未だ良かった方だった・・・
自分もこの辺りから家庭の事情も有り中高生をなかなか見て上げられなくなり
別のアーチェリー経験者の方に高校の指導は交代
中学の指導も細々とと言う感じに
小学生の指導は少ししていて
過去の日記にも有る様な子達が後に中学のアーチェリー部に入ってくれましたが・・・
そして・・・
(ここから先は気分が悪くなるので読まなくても良いです。)
高校の先生が再度変わります。
新しくO村先生が来ました。
この先生は前年にたまたま静岡のアーチェリー教室に通った方
が、このO村先生が曲者で
この時、今まで2つの高校が合同で練習して来ましたが
他校の排除を始め
(当然と言えば当然だが)
練習時間を減らし
来た当事から点数点数の人
実質の練習時間が2時間も取れない中でまとめて数をこなし
故障者続出
練習時間が短い事を私がO村先生に伝えると
「今でも多い位、故障者が出てるし」
そんな矢先
この地域に納入をしていた【アーチェリーショップ某マン】が淫行で逮捕される
そして、かねてよりこの地域の用品の扱い欲していた
某マンと仲の悪かったAアーチェリーがこの地域を見る事に
O村先生はアーチェリー教室時にAアーチェリーにお世話になってる関係も
やがて、O村先生は淫行事件を利用し邪魔者を排除し始める
以前は高校の練習に一般の人が練習や指導に来ていたが
出入り禁止に
この頃、最初に育てた世代が地元に戻って指導の手伝いを始めてくれて居た矢先
やっと1周回って根付くかと思った矢先
返り咲きで国体に出て地元でアーチェリーをと戻って来てくれた矢先
高校で認めたAアーチェリーに指導をお願いすると・・・
練習場も今までは国体で使った会場で90m~30mまで作り放題で
風邪も強くナイターで21時まで使え、ここに上がる為の坂道も
役に立っていた環境を止めて
生徒の家の会社の平地に有る高校から近い倉庫が50m有るとの事で
そこで風の無い近距離の練習を短時間にシフト(爆笑)
結果として現在では県内最弱高校?
一人だけ中学から見ていた女の子がO村先生やAアーチェリーに痛い目を合わされ
無視して独自に練習する事で去年の国体は3位になれた様だが
他の高校生は全くやる気が無い状況らしい・・・
これは聞いた話だが余りにも許せないのは
卒業生が寄書きした的が有ったらしいのだが
名前もメッセージも書かれているその的をO村先生は
事も有ろうか練習用に使って居たと言う
選手達に射たせて居たと言う・・・
子供達に指導する者として人としてそれは許される行為では無いと思うのだが?
そのアーチェリー部は其処に名前を書いた人達があってこそのアーチェリー部であり
自分が思い入れが無くてもしてはいけない行為という物が有る
他校の生徒が倉庫に置いたままの道具をO村先生は無断で
自分の生徒に使わせて居たと言うのも有ったな・・・
生徒からはセクハラと言われたり・・・
酷い話は幾らでも出てくるみたいだな
地元のアーチェリーは風前の灯火に
以前は夏休みや冬休みに帰ってきた子達が射場に顔を出す事が多かったが
皆が帰ってくる場所も無くなってしまったな・・・
小学校3年から毎年アーチェリー教室に来てた子達も
やっと中学1年になり自分の所に来てくれたが
この辺の事情を説明出来るはずも無く自分は突然居なくなり
その後は皆やる気を無くしてボロボロだったとか・・・
その子達ももう中学卒業か~
ここのアーチェリーは完全に消えるのかも知れないな
地元に良い形でアーチェリーも残して上げられなくて皆に申し訳無いな・・・
Posted at 2011/01/07 15:27:05 | |
トラックバック(0) | 日記