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テラスターのブログ一覧

2017年09月28日 イイね!

紫電改を見に行ってきました。 四国を巡る旅 2日目。

紫電改を見に行ってきました。 四国を巡る旅 2日目。 2日目、台風18号が迫ってきており、風・雨が、朝から厳しくなってきました。
でも朝は、散歩と決めています。 JR宇和島駅へ。


ホテルのような建物?


ステーションホテルがあり、そのほうが目立ちました。


駅の中には、プラレールの宣伝が。 


鉄道案内にも、アンパンマンが一役かっています。
もう、10年以上、JR四国は、アンパンマンを観光用として利用しているそうです。 『なんで?』


一般の車両もご当地のゆるキャラがラッピングされています。
実は、車両内の床にも、ご当地のゆるキャラが絵ががれていました。


いざ、台風の中、出発しました。 市内のお店を連ねるメインストリートには、台風の影響で人がいません。


雨がすごい。


宇和島城に着きました。
が門が閉じられています。


本日、閉門で中に入れませんでした。 仕方ありませんね。

気を取り直して、


宇和島市立伊達記念館へ。
現在、展示中の日本刀を、宇和島刀剣会の会長様直々に解説いただきました。

日本刀には、戦国時代まで、有名な5大産地がありました。
その後、江戸時代には、金持ちの各藩主が有名な産地から職人をよびよせたので、土地ならではの特長は少なくなったそうです。


宇和島市内の日本家屋のたたずまいの前で。。。


だれの史跡?

村田蔵六 => 大村益次郎が、宇和島藩で雇われていた時期(1954年前後の1年間くらい)の住まい跡です。
そばに親しかったオランダ医師シーボルトの娘:イネ(医師)の住居跡がありました。

さて、宇和島に着てから、もう一ついってみたいところがでてきました。


海岸線に広がる段々畑です。


海岸線道路を進みます。
この付近では、カキの生産が盛んなんだな~とおもっておりました。
 後でわかりましたが、 宇和島は、真珠の産地でもありました。
おいしいか。 美しいかで似ていますよね。 少し高いということでは。


突然、不釣合いな看板


まもなく、着きます。


海は、まだ穏やか。


到着です。 なんという高さ。 !


城壁のような角度。 よくここまで、石を使って畑をつくりました。 


観光地になっていますので、本来であれば、ここで休憩、お昼をいただけるのですが、
台風のため。。。


こんなおいしいランチがいただけたのですが。。。


さて本題の紫電改展示館へ、風雨がきつくなって来ました。


紫電改展示館下の駐車場にて、
本日、開館しているか? 不安のため、電話をしてみると、 『あと少しやっていますよ。』
また、『上の紫電改展示館まで車できていいですよ。』 と

到着しました。 といっても風雨が厳しく写真が取れない。



展示物には、 1/24スケールの松山基地のジオラマがありました。


ありました、4枚プロペラの力強い風貌が。と言いたいが、曲がっているのが痛々しい。


翼には、20mm機関砲 x 4門と強力な火力が。
エンジン、2,000馬力と 零戦の1,000馬力とくらべ、ボリユームが違います。
車でいえば、 1,000ccのパッソ車と 2,000ccのマークIIの違いでしょうか? すいません、トヨタ車を比較にしました。


後ろからのスタイルも力強い(太い)。


乗り込みたいです。


誉エンジン(中島飛行機製造)、2,000馬力を見よ。

大戦末期のため、 不具合のエンジンと『松やにいりのオクタン価の低いガソリン』で、整備しても途中でエンジン不良で戻ってくる機体も多くありました。


ここへくるきっかけとなった『源田の剣』です。紫電改を唯一運用した343航空隊の記録が、日本側からと米国側からの双方から
正確に描かれています。  
自分の隊の撃墜・撃破記録は、空戦ということもあり、未確認でも勢い、『1機撃墜』と報告してしまうことが、双方にあります。 しかし、本書は、双方の未帰還機(うち死亡や不時着・落下降下後帰還など原隊復帰)、帰還したが機体を再使用できないなどの損失側からの記録を比較することで、そのときの空戦の勝敗を正しく評価しています。

また、日本軍および米軍の公式記録および生存者からの聞き取り調査をもとに、だれが、いつどの空戦でどのように戦死したかが、推測含めてほぼ正確に記録されている。
すごいことです。


さて、この展示館にある紫電改は、1945年7月24日、
"大村基地を飛び立ち豊後水道上空で米軍機と交戦し未帰還となった六機のうちの一機です。 その日、343航空隊の指揮官であった701飛行隊隊長の鴛淵  孝(25歳)中尉も未帰還となっています。
"
引き上げ後の調査では、パイロットに遺品は見つからず、誰の飛行機かは、特定できませんでしたが、
『源田の剣』では、当時、現場で着水の瞬間をみていた人からの聞き取り調査で、名パイロットの一人である武藤金義飛行兵曹長(29歳)であろうということになっています。

当方は、
この紫電改および展示館は、敗色の濃い大戦末期の4ヶ月間、唯一米軍戦闘機と対等に戦える組織であった343航空隊の墓標であると。 
『 英霊へ敬礼。 』


ここからは、 航空ファンじゃないけど、ディテールです。


20mm機銃、 4門ついているから、強い。
でも発射速度の速いグラマンの12.7mm機銃 x 6門は、『シャワーのよう』に弾幕が追っかけきて、威力がある。 


ゴム被覆でカバーされた燃料タンク、これなら、大丈夫なはずでしょ。 
米国製の12.7mm機銃に対しては、貫通しないようにテストしていると思うが。。。


さらに炭酸ガス(自動)消火器が。 こちらは、ゴム被覆のついていない零戦の燃料タンクにも採用されていた。
消火器は、1回だけ使える。  左右の主翼内燃料タンクと機体燃料タンクについていた? のでしょう。

零戦なら、 自動消火器で消して、その燃料タンクのコックを切lって、他の燃料タンクからの供給へとコックを切り替えるのしょうか?


紫電、紫電改の独自の空戦フラップ、 失速しない最小限度で旋回できる装置で、 小回りがきいた。
水銀の比重でどうのこうのと聞き覚えがあるが、具体的にどのようにセンサーが働いて、どのようにフラップを動かすのだろうか?


三式空1号無線機
今まで、日本機軍の無線機は、聞こえづらく、編隊内での無線がほとんど使用できなかった。
理由は、エンジンからのスパークで雑音が多かったため。それをエンジンのスパークプラグコードのシールド方法を変えることで雑音が消え
初めて、編隊内の交信が可能となり、米軍と同じ編隊同士の空戦ができるようになった。

戦術面でも、 2機編隊の行動を厳守し、2番機は、1番機を最後まで守ることが徹底されていました。

バッテリーは、 自家用車の 60くらいのサイズです。
とういうことは、セルモーターがついている? いや、このバッテリーでは、2,000馬力のエンジンを
スタートさせるのは、無理でしょう。 
ではどうやって始動させたのでしょう。


紫色のマフラー、343航空隊の一つである301飛行隊へ、練成をしていた松山基地にて、隊員らと親しかった今井琴子夫人が、自らの正絹を紫に染めて、済美高女生徒ら刺繍をしてもらい、
パイロットへプレゼントした。という由緒正しい品物です。  こちらの所有者であった笠井 智一 氏は、2017年9月25日時点、ご存命です。


『ニッコリ笑えば必ず撃墜とす。』 とは、301飛行隊の名パイロットの杉田 庄一 一等飛行兵曹のことば。
名パイロットは、後輩も育てました。彼の飛行指導があったから、生きることができた。 と上記の笠井 智一氏は、述べています。

とはいうものの、杉田 庄一 一等飛行兵曹は、 4月15日の戦闘で、離陸後の不利な空戦で戦死しています。  


最後に、記念撮影をしていただきました。
台風接近のこのよう暴風雨に訪問したのは、私一人だったのでしょうか? 
当方の退館ともに閉館となりました。

風雨が強く、写真を撮るのも諦めました。

このあと、高知市までの150kmあまり、 途中の太平洋を望む海岸線の波が怖かったこと。怖かったこと。
高知市のホテルについてTVをつけると、台風18号は現在、高知市を通過中です。 と。
なんというドライブか。

この旅の目的を達成することができたのですが、私の心は、今日の天候のように晴れません。
おそらく、美しい太平洋を望むめるようまた来るでしょう。


* 本日の歴史探索の旅にお付き合いいただきありがとうございました。

尚、階級については、戦死した時点の階級を記載したつもりですが、誤りがありましたら、申し訳ござません。
Posted at 2017/09/28 19:15:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年09月21日 イイね!

紫電改を見に行ってきました。 四国を巡る旅 1日目。

紫電改を見に行ってきました。 四国を巡る旅 1日目。すいません。 今回の主人公は、ロードスターではありません。
紫電改および、四国の城を巡る旅です。


9月16日(土) 全日空、羽田発9:30発に乗り込みました。


飛行機オタクなので、エンジンナセルの ロースルロイスのマークに目がいってしまいました。


松山空港からシャトルバスでまずは、JR松山駅へ、 思ったよりこじんまりした駅です。


市内を路面電車で移動、 今年は愛媛国体だったのですね。


まずは、坂の上の雲ミュージアムへ、 
あれ、メインストリートに面していないの?
横に入ります。


見つけました。


設計は、安藤忠雄、館内の写真は、取りませんでしたが、スロープ伝わっていき、展示物をみていく方法になっています。


途中に、萬翠荘(ばんすいそう) ?


松山藩主の末裔が、大正期 1922年に建設した、別邸です。(社交場)
確かに優雅です。
ミュージアムから見えます。


萬翠荘(ばんすいそう)


萬翠荘(ばんすいそう)、中の晩餐室、 シャンデリアが優雅です。


このシャンデリア、ガラスでなく、水晶でできているので、最近は、パワースポットとして人気があるそうです。


お腹がすいた。GU~。 時間がもったいないので、 大街道のスタバにて。
窓越しのテーブルから、坊ちゃん号や町並みが丸見え。 ということは、食べている私も丸見え。


腹ごしらえも終え、 いざ、松山城へ、 平山城のため、三の丸までゴンドラを使います。


まずは、最初の門、 20万石の門、思ったより大きい。


二の丸にて、 天守閣がまだ先です。 ここでも20万石のすごさを感じました。


二の丸から、 市内を。


二の丸の城郭の高さ。 すごい、ここは、上れないよう。


二の丸から、本丸へ、


地下(米蔵)から、天主閣内へ、


城内へ、 階段は、いくさの時に使うので、階段が急。


マークが2つ、左がオリジナル久松家の家紋、 右が、徳川(=松平)からもらった家紋 =>譜代大名扱いでした。
でもって、幕末は、佐幕派にならざるえなくなり、 反政府側のため、明治時期には、愛媛県出身者は政府内で重用されない状況へ?


天主閣からの眺め、流石、20万石。 立派です。


ディテール1
鉄砲狭間の数が尋常でない、 狭間と狭間の距離が、通常の城の2/3くらいの間隔。 


ディテール2
鉄砲狭間、この隙間にもあった。 始めて見ました。 まったく隙のない城構え。


帰りは、搦め手口から出てみました。


搦め手口からの天主閣、 裏側からも威風堂々。


今回、ガイドをしていただいた、岩崎さん(68歳)、お若いですね。
と話をしたら、ガイドをはじめて1年半、勉強中です。 とのこと。
楽しい解説ありがとうございました。 1時間半もお付き合いしていただきました。


三の丸を搦め手口から大手口へ移動します。


搦め手口から、大手口へ裏側を移動します。


最後は、ゆるキャラ、『よしあき』くんと、
松山城は、加藤嘉明によって1603年から建築が始まり、完成真近の 1627年、幕府の命で、会津へ転封(異動)
させられ、自分で作った城を見ることなく1631年に死去。

あと面白いのは、 この城は、1784年、元旦に落雷で焼失しましたが、
1820年から再建工事に着手し、35年の歳月を経て1854年に天主閣を再建しています。
よくも、幕末時期にさしかかるのに、いくさの時にしか使わない、天主閣を再建したものだな~と、よくその時期に藩にそのお金があったなと関心しました。 
だって黒船以降の1854年に出来上がっているのですから。
まあ、1820年には黒船はきていませんが。。。 もしかしたら、1800年くらい以降黒船などがちらつき始めたので、がんばって城をつくったのかもしれません。


今日のフィナーレは、瀬戸内の景色が美しい、予讃線下灘駅です。
この場所へ来るまでの海岸線をドライブすることのなんと愉快なこと。 


着きました。 駅付近には、正式な駐車場がなく、駅付近のじゃまにならないところへ。


さすが人気の場所、

ホームから見えるのは、 瀬戸内海 !


う~ん、いい感じ。
今日は、雨模様で残念。 !!
こんな感じが黄昏時を感じさせていい。


当人は喜んで見ましたが、この時間と景色には似合わない。 没。。。


陽も暮れましたので、帰りましょう。
ここから、本日の宿泊地の宇和島まで、90分


19:00すぎにホテルに到着、本日は、無事にタスクをおえることができました。
一息してから、コンビニへ買出し、本日の飲み物を手に入れました。

* 本日の歴史探索の旅にお付き合いいただきありがとうございました。
Posted at 2017/09/21 20:29:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年09月14日 イイね!

おは玉9月にいってきました。

おは玉9月にいってきました。今日は、朝から晴れ。 カントリーロード(=田んぼ道)を突き抜けていきたいので、
8:45発 さいたま市からR17、川越からR246へ合流し、川島町・東松山市を通って北上しました。
東松山ICから、こそっと高速に乗り、嵐山小川ICまでの1区間だけ高速を利用しました。
嵐山小川ICから農林公園ヘ向かう5~6kmの道は、正に埼玉の田舎道。 イイです。
。。。 すいません。車中からの写真がありませんで。


今日の1台、
大人の雰囲気の水色、 エドナブルーというそうです。
オリジナルは、大昔のボルシェ356、現在の911でも選択できるそうです。
私は、オトナブルーと覚えました。

ボンネット、フェンダーなどはずして塗装をしています。 
ボンネットの裏側も綺麗でした。!


赤のNA、オーナーは女性でした。 ディテールに目がいきました。
NA純正ヘッドランプ。 ランプが、コンタクトレンズのようカーブを描いています。 
小糸製
当方のランプは、平面(スタンレー製)で、 純正ではないこと。がわかりました。 涙。。。


ケンダ(台湾)製タイヤ
自転車のGiantでは、純正タイヤとして知っていたが、自動車のタイヤもつくっていたの??


おは玉は、12:00で解散、その後行ってみたいところが。


田んぼの中のロードスター。。 いえいえこの先のタワーからの眺めが目的です。


行田市の田んぼアートです。 10周年目は、 「イナダヒメノミコトとスサノオノミコト」。
2015年、ギネス世界記録TM(公式認定記録:27,195平方メートル)に認定されていました。 埼玉すごい。


今年(2017年)は、TBSドラマ日曜劇場『陸王』が放映されます、物語の背景は行田市のたびの製造工場です。
下町ロケットの雰囲気でしょうか? 現在、愛読中です。


この季節のドライブは、夏の湿度がなくなって気持ちいいですね。
もっとロードスターで秋を満喫しないと。。。
Posted at 2017/09/14 19:58:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2017年09月06日 イイね!

メディア対応ロードスター4時間耐久レースへ行ってきました。

メディア対応ロードスター4時間耐久レースへ行ってきました。当日は、深夜からの雨で、いつ出発しようか悩んでいましたが、
10:00すぎには雨がやんだので、自宅を出発し、12:15には、筑波サーキット受付に到着しました。




早速、ロードスター仲間の愛車自慢に加わりました。
きれいな色です。
斑点もあります。

雨宮 ???


ドハデなオーバーフェンダー、走るの??


フロントフェイスは可愛い顔


オーナーさんからの愛車自慢を。
エンジンが、ロータリーで。!
雨宮だもんね。




オルタネーターしか見えない。エンジンは?


可愛い瞳、 アルファMITOのライトを利用している。とのこと。
道理で。


大変名誉なことに、M1028の横に止めさせてもらいました。


オーナーさんは、年齢70歳に近い?紳士の方、13-4年前に手に入れたそうです。
私はそのころ、今のロードスターを持っていられないだろうな。 


シートが美しすぎる。 前のオーナーさん、シートにもカバーをして日焼けを防いでいたそうです。いずれにしてもガレージコンディションです。


メーターフードのビロード、新品そのもの。触らせていただきました。
こんなきれいじゃ、オープンにしていられないよ。 もったいなくて。


オプションのスポークホイールです。
ああ、確か、通常のNAロードスターのオプションカタログにもありましたね。


さて、サーキットのバレードランです。 天気がよく最高。


先頭には、地方区のゆるキャラが。。
『ブンカッキー』というそうです。 


さて、パレードしましょう。


4時間耐久のチーム紹介です。
オートモーティブカウンシルでお世話になったCGチーム。
成績は?


チーム紹介も長いの、ひとまず、BSさん提供の。。。


カフェコーナーで、キャラメルマキアートをいただき、ゆったりと
した気分を味わいます。


メディアチームコースイン後の一幕、
自動車評論家の竹岡圭さんの女性ドライバーで構成されているピンクパンサーチーム。


スタート前では、関係者の旦那と息子がキャッチボールをするというのどかさ。


キャンペーンガールでなく、浴衣ガールに『和傘』を使い、粋で洒落てます。


スタート、レースは白熱していますが、季節はすっかり秋、筑波山がよく見えます。


レストアロードスター2号車へ、軽井沢依頼のご対面。
今回は、乗ることもできました。 満足、満足。


他では見れない、アテンザのパレードカー、紅白2台。


可愛らしい形のキッチンカー


後ろは、いいデザインです。


午後5時30分、空もすっかり秋めいてきました。
レースの結果はさておき、オープンにて気持ちよくにて帰路についたのでした。

この季節の(レース)観戦、ドライブ、いいですね。 夏の湿気はどこでいったのやら。
また、来年も来てしまうのでしょうか?
Posted at 2017/09/06 18:53:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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テラスターです。よろしくお願いします。 さいたま市に住んでいます。 ロードスターが発売されること知り、これこそ、私が乗る車と決め、発売とともに購入。当時結婚...
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