2日目、 本日は、『呉』 ざんまいです。
広島から呉で向かう途中
台風19号の影響で、10:00出発の『呉艦船めぐり』の中止の連絡が。
残念。遊覧と解説から、本日呉をスタートするはずだったのに。。。
それでは、気分を取り直して、まずは、高台にある『歴史の見える丘』へ昇り、心を落ち着かせます。
ロードスター、ここまで来たよ。
大和を建造した、『呉海軍工廠』ドッグ
* 現在は使われておりません。
JMU Japan Marine United ? とは、
2013年に、JFE(日本鋼管)の造船部門+日立造船の合弁会社 と IHI(石川島播磨重工業)の造船部門 + 住友重機械工業のの造船部門の合弁会社
が合併してできた、日系造船会社。
合併の背景は、コストで、 韓国、中国で太刀打ちできなくなったから。
日系で合弁していないのは、三菱重工業の造船部門のみで、 三菱重工業は、三菱重工業の長崎造船所(戦艦武蔵の建造)
で有名です。
おっと、おとなの修学旅行のスタートですね。
大和ミュージアム
呉にきたら、まずは、訪問ください。
12年前に会社の出張後、訪問して以来です。
幸い、10:00前に入館できたので、10:00(ガイドツアーは、10:00と14:00のみです。)からのガイドツアー(無料)
に申し込みました。
解説員も方は、60過ぎのまだ若い方で、約90分間、軍港のまち、呉の誕生から、その時代背景まで広く、時にはニッチに
広い年齢層を対象に説明してくれました。
最後に記念写真を撮ってもらいました。
お疲れ様でした。
ツアーのあとは、やはり、館内の呼び物、零戦(63型)でしょう。 私には52型丙と見分けがつきませんが。
機銃・機関砲合計4本なので、 Wですね。
* さきほどのツアーで教えてくれたのですが、 京都の嵐山博物館から朽ちた状態で購入し、レストア金額含めて2億円とのことでした。フライトできないのですが、数の機体から1機を作り出すのでなく、ヒストリーのある機体ということで、高かったそうです。
ちなみに大和ミュージアムは、呉市の市営博物館なのでの、展示品の金額はすべて公開されているとのこと。
幼稚園生以来の満面の笑み
ぼくらの昔々は、こんなポーズでよく写真をとりました。
昭和30年代、男子は、零戦と戦艦大和にあこがれた時代をだったのですね。
そのまま成長しました。
ちなみに、こちらの1/10サイズの大和は、20億円だったように記憶しております。
自分ヒストリー、 この旧海軍略帽、12年前に購入し、車洗車時に使用していたが、ある時、妻にほかの帽子とともに捨てられ、〇〇年ぶりの再会でした。
大和ミュージアムに入館後、即購入がミッションでした。
さすがに、常時被っているのは気後れしましたが。。。
ここは一発、一生の記念にと。
おみやげ
会社へもみじ饅頭と合わせて持っていったところ、
20代天然系の女子から、『すごいですね。宇宙戦艦ヤマトのミージュアムへ行ってきたのですね!』と
。 。 。 返答できませんでした。
鉄のくじら、こちらは、海上自衛隊が管理しています。
潜水艦に入る前に、案内棟で、 機雷除去の開設フロアーが、
いままで見たことない機雷除去艦と専用艇がありました。
* 以前、直木賞を受賞した光岡明著の『機雷』のストーリーを思い出しました。
ペルシャ湾での機雷除去活動が載っており、解説いただい方も活動に参加した元自衛隊でした。
自衛隊の掃海技術の高さを世界に知らしめたそうです。
潜水艦ですが、艦内すべての行けるわけではありませんでした。一般人をそのまま入ってもらうと、おそらく、迷子になってしまうのでしょう。
腹が減ってきました。
昼はもちろん海軍さんカレーと決めていました。
めぼしをつけていたキーマカレーの居酒屋利根本店は、居酒屋なので、17:00からと気が付いたときは遅しでした。
ホテルカレーなら、文句あるまいと、由緒正しい呉森沢ホテルでと。
2時ちかく、レストランは、私一人、
こんな感じでございました。
せっかくですので、ホテル内を散策すると
来年公開の映画『孤独の地』のキャストさんの宿泊ホテルとなっていました。
https://www.youtube.com/watch?v=npwvIYIpbYA
のんびりしていると、ちょうど呉市内亀山神社の秋祭りで、
ヤブ(鬼の面をかぶって神輿をお守りする神の使い)を先頭にお囃子隊を引き連れてホテル内を一楽章してくれました。
本当にいい記念になりました。
https://www.kameyama-jinja.com/rekisimaturi.html
朝の『歴史の見える丘』へ行く途中に、『この世界の片隅に』の絵が外壁に絵が描かれいる建物があったのでなんだろうと尋ねてみました。
海軍下士官集会所(青山クラブ)でした。
宿泊施設もあり、自衛隊が使用していました。耐震性から解体の予定でしたが、
『この世界の片隅に』のヒットから、市が免震工事を
行い、市のPR場所としての使用継続が決まっている。とのことでした。
この角を登っていくと、
美しいと思いましたら、日本の道100選でした。
No.76 呉市美術館通り
"本当は、向かって右側の~芸術を楽しませてくれる道~ のモニュメントが選出の理由なんですが。"
http://japan.mania.cx/road100/076kureshi.html
左側の舗道、マンホールをよく見ていくと
大和の誕生から終焉までの各時期イラストが彫られていました。
坂を昇ったところには、
呉鎮守府司令長官官舎が。 立派です。
年配の解説員の方に1時間弱の講釈をしていただきました。
昇り切った上には、海軍病院が、(現呉医療センター中国ガンセンター)
すずさんがお見舞いに行こうとしていた病院です。その途中、空襲で。。。
サンフィレッチェのオフシャルショップ
なぜ?
江田島の海軍兵学校は、距離と時間の関係で省きましたが、 それではと、広島市内のサンフィレッチェのオフシャルショップへ、
あわよくば、広島の練習用ユニフォームをおもいましたが、ありませんでした。
自称、浦和レッズファンですが、今シーズンのJリーグでの不甲斐ない成績に比べ、広島は、アカデミー(下部組織)からの生え抜き選手が活躍しているいいチームだと常々感じているからです。
『埼玉の田舎者』なので、
ちなみに、geogle mapで探して、場所近くのパーキングに車を止め、
SHOP方向へ歩くと、やや中心部から離れていきます。
所在地ついてみると、ビジネスビルが???。
SHOPへ電話すると、場所は間違いない。
なんとSHOPは、巨大な地下街の一画だった。という落ちがありました。
『広島市街って大きいのですね。』
計画ミス!
SHOPから地上へ出ると、5時半前、宿泊の三次グランドホテル到着は、7時前!!!
これでは、前夜祭前の緩い話ができないじゃないか! と 気を取り直してクールに『真っ暗な』中国自動車道をひた走るのでした。
到着すると落ち着く暇もなく、
三次ロイヤルホテルで前夜祭はじまりました。
水落さんと浜島さんの掛け合いは、前夜祭ということもあり軽井沢ミーティングよりノリはよく。
懐かしい顔、いつもの顔、そして今回お会いする顔、
やっぱりいらしたんですね。と
みんな、このロードスターで結ばれています。
モザイクがうまくできません。
のでホワイトで隠させていただきました。
10周年記念車用の時計。こんなのあったの?
今思うと、『青色』なので、欲しい、欲しい、欲しい。
でも検索してみると、車を購入時に付属としてついていた時計、
この4名は同士ですね。
記念の地酒、 明日の30周年記念ミーティングには、持ち込めません?
大きさがわかりませんでしたので、左が、1小瓶(1.8L瓶)です。
こちは、4.5Lでした。 2.5合ということですね。
前夜祭も気持ちよく終了し、三次グランドホテルで戻ると
私のマリナーの隣には、熊谷ナンバーの若いご夫婦が。
埼玉からお疲れさまでした。
三次グランドホテルへと場所を移した2次会では、マリナーブルーのシーチキンさんと語り合いました。
いつとはなく、まどろんでいき、
充実した2日目は終了していったのです。