阪神淡路大震災から20年。
長いようで短い20年でした。
自分は当時高校2年生。
3日程前に発症したインフルエンザの回復が16日からの修学旅行出発に間に合わず、
17日に単独で修学旅行に合流する予定でいたその日に自宅で被災しました。
勿論被災とは言うものの滋賀県大津市という事もあって
揺れは酷かったのですが大した被害もなくただただ突然の事に驚いた程度でした。
ですが・・・暫くしてからテレビに写された神戸の光景に唖然としました。
一面炎。
今まさにそこで命が消えようとしているかもしれない光景。
言葉は出なかった。
だがしかし。
不謹慎かもしれませんがそれでも修学旅行に行きたかったんです。
自分にとっての修学旅行はやはり特別なものだったんです。
一介のの高校生としては現実逃避したかっただけかもしれませんが・・・。
ただ果たしてそんな中でも修学旅行に行けるのだろうか?
父親に京都駅まで車で送ってもらい旅行先である長野方面に行く手段が無いか調べるものの
やはり鉄道は完全にストップしており、出発する事は出来なかった。

京都駅も今の駅ビルではなく、工事中の迷路のような頃でしたね・・・
成す術もなく、念のために学校に連絡を入れ父親の仕事場に歩いて向かう事に。
学校でも対応に追われていたんでしょうね公衆電話からの電話も繋がりにくかった覚えが有ります。

震災当日の京都タワー。窓ガラスが数枚割れているのが見える。
父親の仕事場で夜まで過ごし車で家路に着いたのですが
その時に車の中で見た月が何とも言えない色で物凄く怖かった・・・。
後で知ったのですが地震などで空気中に塵などが舞うとそんな色になることがあるそうです。
明けて18日。
再び父親に京都駅まで送ってもらい再度出発できないかいろいろ模索。
今日列車が動いたとしても恐らく混雑するであろう。
昨日のようなカメラバッグを背負った大荷物では身動きが取れなくなる可能性が高い。
そう思い泣く泣く一眼レフ他の撮影機材を諦め、唯一持っていたコンパクトカメラを持って再び駅に立つ。

そのカメラこそオリンパスPen D2である。
(
http://www.olympus.co.jp/jp/corc/history/camera/popup/pen_pen-d2.cfm?message=1)
ハーフサイズということもあり、枚数が沢山撮れるのも利点と思って持ち出してきました。
このPen、父親からのおさがりなのですが・・・
実はその昔、父親が修学旅行に持って行き、東京オリンピックを撮影をしたらしいのです。
よもやまさか親子2代で修学旅行に持っていく事になろうとは誰も思わなかったことでしょう。
機材一式を持たずカメラはこれだけとなりかなり身軽になった。
名古屋まで出られれば何とかなると思うものの在来線は未だ運行の見通しが立たず。
そんな中新幹線だけは動くという事なので新幹線で名古屋まで向かう事に。

新幹線の中Penで撮った1枚。
透けた新聞の文字が何ともいえない・・・。
未だにこれを越えるドキュメンタリー要素の強い写真は撮れた例がありません。
フィルムはコダックのT-MAX400というモノクロフィルムでした。

名古屋駅にて。
ハーフサイズカメラなのでそのまま置けば縦位置になります。
外付けぜんまい式のセルフタイマーで撮影。
当たり前ですが非常に若い。
名古屋からは全ての鉄道は通常通り運行しており、
中央線、大糸線を経由して目的の白馬まで向かう事が出来ました。

担任の先生に駅まで迎えに来てもらい、無事修学旅行組と合流できました。

迎えに来てくれた担任の先生。
クラスの皆の宿泊していた民宿ではテレビに神戸の惨状が映し出されておりましたが
その地震の揺れを知らない同級生達はまるで他所の国で起きた事件のように
ただただぼんやりとその画面を見ているように思えました。
翌日行ったスキー場では日常そのものでした・・・。
余談ではありますが当時同級生である新快速氏が同じEOS5を使っていたのですが
寒さのあまり液晶画面が完全に死亡していたという・・・寒冷地おそるべし。
変な話ではありますが、一生に一回しかない修学旅行。
同じようにインフルエンザで寝込んでしまった同級生も居ましたが
わざわざ修学旅行に合流しようと追いかけた物好きな生徒は自分だけでした。
だって、そこに温泉があるならば行かねばならないでしょう?
結果的に同級生の中で地震の揺れと修学旅行、
さらにインフルエンザの全てを経験したのは奇しくも自分只一人となったのでした。
あの揺れはやはり経験した者だけが知ることの出来る恐怖だったのではないかと思います。
ちなみに一番可哀想なのは修学旅行に行ったまでは良かったが
旅行先でインフルエンザが発症してしまい、
予定されていたスキーや温泉を全て実行できなかった人達が先生も含めて数名居たという事でしょうか・・・。
今まで何度か書いたことのある中身ですが
写真を入れたのは今回初めてかも。
というのも今の仕事場にハーフサイズがスキャンできる機材があったからなんですけどね。
あと仕事場で書いたブログとほぼ同じ内容です。
阪神淡路大震災の炎と東日本大震災の水。
恐らくあの時に感じた揺れと、テレビから流れてきた映像は一生忘れられないでしょう。
亡くなられた沢山の方のご冥福をお祈りさせていただきます。