
「ほら、AZU先輩、見てください!軽量化してバッキバキな腹筋になっちゃいましたよ!」
と本田美都は松田AZUに自慢気にお腹を見せびらかした。
クルマをチューニングで軽量化する前に「自分自身の軽量化をしろ!」と松田AZUに戒められたので本田美都も鈴木千野も必死にダイエットしてきたからだ。
「もうこれ以上の軽量化は無理ですよ!何か他にローズ・ゴーストのS660に勝つ良い方法ってないですか?」
たった500gのダイエットではダイエットとは言えず、もはやただの虚言に他ならないが、そんな顕在化してない腹筋を見せつけるぐらいビート乗りの本田美都は本気なのだ。
カプチーノ乗りの鈴木千野は「打倒!ローズ・ゴースト」にはあまり本気ではないが、「クルマという楽しみ」に導いてくれたローズ・ゴーストと共に同じ峠道を気持ちよく走りたいと思っている。
思春期の少女達はいつも曲がりくねった「人生」の坂道の上に存在しているのだ。
ヒルクライムだったり、ダウンヒルだったり、ハイスピードコーナーだったり、タイトターンだったりするのだが、彼女たちはいつもフルスロットルで青春を駆け抜けようとしているに違いない。
「今時の軽自動車のS660を20年前のカプチーノやビートでブチ抜くにはそれなりのテクニックが必要よ。アンタらはスジが良いから覚えが早い。あとはいくつかの条件が揃って上手く行けば勝てなくもないかもしれない……」と本田美都の整備工場で働くAZU先輩はぶっきらぼうに教えてくれる。
鈴木千野と本田美都は担任で顧問のピヨ八先生から運転の基礎やクラッチの蹴り方やサイドの引き方は教えて貰ったし、真夏の強化合宿で松田AZU先輩と大特訓してきたし、基本的な事は習得し確実に成長した。
全ては「ローズ・ゴースト」とのバトルの為だ。
あのブルジョアジーでクソ生意気(な筈)なお嬢様を叩きのめすためにはいかなる手段も正当化される。
悪魔との契約だろうが、闇の魔導師から魔術を伝授しようが、マッドサイエンティストからサイボーグに改造され超身体能力を手にいれようが、勝てばそれでいいのだ。
しかし、悪魔も謎の魔導師もハイテクに精通した博士も実際には現れないので、努力と根性とクルマの基本性能上げるしかない。
AZU先輩が「あたしの使っていたアドバン、あげるよ。ドライ路面だったら最高のグリップ力を誇るタイヤだ。どんな奴かよく知らねえけどその気取ったいけすかねえブルジョア女の『ローズ・ゴースト』を倒すならダウンヒルでドライコンディションを狙う。速く走るためには何よりもタイヤよ。タイヤのグリップの限界性能を上げる。そしてタイヤのグリップ力を十全にコーナリング性能に使う。魔力も魔術も超能力も無えよ!」とAZU先輩はたまにまともな事を言う。
「後は必殺技だな……。勝つためにはそれしかない。ぴよ八先生が考案したウォッシャー攻撃は『ローズ・ゴースト』の前に出なきゃ使えない。だったら後ろにいながらにして前の敵にウォッシャー攻撃を出来るようにしたら良いのよ。ウオッシャーポンプを強力にして、前向きにウォッシャー液が出るようにするんだ!ローズ・ゴーストの真後ろに張り付いてウォッシャー液をブッ掛けてひるんだ隙にブチ抜く!タイヤも逆ウォッシャーポンプも一個しかないからどちらかのクルマに付けよう。千野のクルマにするか美都のクルマにするか、アンタら、ジャンケンで決めな!」
運命の女神(ノルン)は気まぐれである。
「うぎゃあ〜っ!」
ジャンケンに負けた美都は悲鳴をあげた。
本気でローズ・ゴーストを倒したい美都よりただ一緒に走りたいだけの千野のカプチーノに「逆ウォッシャーシステム」と「アドバン・ネオバ」の装着が決定したのだった。
早速千野のカプチーノをいつもの大河内峠に持ち込んでテストしてみる。
弛まない努力の成果か、タイヤのせいか解らないが、コーナリングスピードが向上しているような気がする。
こうなると峠道の運転が格段に楽しくなるし、クルマとの対話する感性が研ぎ澄まされてくる。
するとヤツがいた………。
「夕方はやっぱりダメね……。タイムを縮めるのなら深夜や早朝じゃないと、他のクルマに引っかかっちゃう………」とローズ・ゴーストこと恵州むつみはひとりごちた。
マイペースで前に走ってるクルマに追いついてしまう。
それなりに速く走っているクルマだし、ドライバーの腕も良さそうだがちょっとむつみにはもの足らない。
そんな時、バックミラーに赤い車体がみるみる大きく映った。
千野のカプチーノはS660の前にいる遅いクルマのせいか、タイヤのおかげか、下り坂で追いついてきた。
理想的な弱アンダーステアの姿勢でコーナーを駆け抜けている気がする。
「ちょっと曲がりにくくなってる気がするけど速くなってる………」
以前は後ろ姿も全く見えないくらいだったのにローズ・ゴーストについていけている。
「路面のアンジュレーションを手とお尻で触れているみたい……。ちょっとしたデコボコもセンシティブに感じちゃう……」
よもや淫乱女のごとき発言だが、千野は真剣だ。
「でも、このスピードでついていけるのがやっと………。前のクルマがいなくなるとまたアッと言う間に見えなくなっちゃう………。アレを使うのなら今しか…………」
恵州むつみは眼を疑った。
「私にウォッシャー液をブッかけたあのカプチーノ乗りがこんなに短期間で上達するなんて……。基本に忠実な運転、ステアリング操作もしなやかで、修整舵も少ない、エンジンもタイヤのスキール音もコーナーに対して綺麗に音を奏でてる。前にクルマがいなければ後ろのカプチーノの実力がもう少し見れるんだけど……」
あんな晴天の日にウォッシャー液を他人のクルマに無遠慮でブッかけてくる無作法なド素人女とは二度と走りたくないと思っていた恵州むつみだが、今のカプチーノの走りに口もとが弛んでしまう。
「やるじゃない……………、面白くなってきたわ」
ただストイックに綺麗にレコードラインに乗せる走りを追求していくのは至福の時だが、他車とのバトルにはそれとはまた違う全身の血が一瞬にして沸点に達する昂りがある。
「同級生たちのくだらない高級グルメ話も高圧的な義父の物言いも本当に吐き気がする。私は私のことをいつも大事にしてくれていた姉と父親と四畳半で川の字で寝ていた小汚いアパートが大好きだった………。今住んでいるあんなだだっ広い家なんかひたすら居心地は悪いだけだし、虚無なだけ……。そんなこと全部忘れさせるくらい私を夢中にさせなさい、カプチーノ!」
恵州むつみは急成長した「ウォッシャーぶっかけカプチーノ乗り」との走りに悦びを感じていた。
「イケる、イケるわ、アドバンネオバ!タイヤってホントに凄い‼︎ ありがとうございます、AZU先輩‼︎!」
明らかな手ごたえを感じてる千野にとっては千載一遇のチャンスだ。
「小さなスポーツカーを買うきっかけをくれたS660………。あの時、川のほとりで微笑んでくれたピンクの小さなスポーツカー乗り……」
「でも今日はどうしたんだろう、あの時とは何だか別人みたい………。何ていうか、走りが冷たい感じがする。…………でも、今しかない。水浸しにするのは申し訳ないけど、後でちゃんと謝ろう!AZU先輩の力、借ります‼︎ ウォッシャータンク充填率100%、ウォッシャーポンプ稼働良好。逆ウォッシャーシステム、オールグリーン!」
カプチーノはS660を射程距離圏内に捉えた。
「当ったれえええ!必殺、逆ウォッシャー砲‼︎」
ビュ〜ッ!と激しいポンプ音がカプチーノの車内に響く。
「こ、これは…………、まさか…………」
ビシャビシャ!っとクルマのボディに液体がぶつかる音がしたその刹那、峠にけたたましいタイヤのスキール音が響き渡った!
「AZU先輩、水の代わりに墨汁入れたでしょう……。それ全部私にかかったじゃないですか〜!」
つづく!