今週は自宅に戻り。
ここの所、戦闘機ネタ使ってたんで。
久々に読みたくなった昔集めた本。。。
コレ、持ってた本の3分の1位。
取引先の従業員が戦闘機好きだったんで本貸したら返ってきませんでした。。。
で、本人いなくなって⤵・・・
そー言えば別の人に貸したCD50枚位も返って来なかったなぁ~~。
残念。
幼少の頃は戦争の悲惨さなんて知りもしないので撃墜王とかの話はワクワクしたもんです。
体験した訳でもないので知らないのは今も同じなんですけどね(汗)
よくバルサみたいな樹脂素材の戦闘機のおもちゃ飛ばしてたっけ。
あ!そうだ!
昔、ヒマな時に集中して作ったプラモ、あったな~。
どれどれ。。。タンスの中の段ボールにしまってあったハズ。
・・・あった!けど、あちこち
壊れてますわ。
メッサーシュミットBf109F ヴェルナー・メルダース大佐機。
機体としては好敵手のスピットファイアーのほうが美しいけど、武骨なメッサーシュミットのほうが好き。カラーリングもイギリス機みたいに地味じゃなく、かといってアメリカ機のように派手過ぎず丁度いい塩梅。
メルダースは第53戦闘飛行団の中隊長から第51戦闘飛行団司令となり戦闘機隊総監に登りつめた。人格者として知られており数々の戦闘機運用法を考案し立場的に戦闘飛行を禁じられたがこっそり出撃し最終的に115機を撃墜した。
空軍技術局長、ウーッデット大将(第1次大戦の撃墜王)の葬儀に参列する為、本国帰還中の輸送機の故障による墜落事故で死亡。
第51戦闘飛行団(JG51)には後、”メルダース”の名が冠せられた。
メッサーシュミットBf109E。アドルフ・ガーランド中将機。
メルダースの戦友でありライバルの彼の逸話は枚挙にいとまがない。
拳銃と斧を持ち葉巻をくわえるミッキーマウスがトレードマークで大の葉巻好きの彼は戦闘機にさえ灰皿を付けさせた。JG26司令。
軽量だが武装が貧弱なF型を好んだメルダースに対し、より武装が強力な機を好んだという。メルダースの死後、戦闘機隊総監をまかされ前線に出る機会は減ったが彼もちょくちょく命令違反してこっそり出撃している。
戦闘機運用法や政治的な部分で空軍トップのゲーリング元帥(第1次大戦の撃墜王)としばし対立し・・・戦闘機隊トップの座を辞し、有名なJV44、メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機隊を率い終戦まで戦った。この戦闘機隊は各地から名だたるエースパイロットが集められたトップガン集団である。
最終的に104機撃墜したガーランドは戦後どこかの国(忘れました)の空軍顧問になっている。
メッサーシュミットBf109E、ヘルムート・ヴィック大尉機。
西部戦線、バトル・オブ・ブリテンでメルダース、ガーランドとスコア争いをしていたヴィックは第1次大戦のトップエースである有名な「レッド・バロン」ことリヒトホーフェン
の名を冠した第2戦闘航空団の司令として戦った。
スピットファイアと交戦中、英空軍のエース、ジョン・ダンダス大尉(16機撃墜)に被撃墜され機から脱出したものの行方不明となった。
また、ダンダス大尉も同じ空戦で別のメッサーに撃墜されている。
最終56機撃墜。
メッサーシュミットBf109F・trop、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉機。
「アフリカの星」の異名を持ち、映画化もされた。
天才的な操縦&射撃技術を持った彼はバトル・オブ・ブリテンから地中海、アフリカ戦線で実に158機の戦果を強敵の英米機で挙げた。
曲芸のような失速寸前の急旋回、敵機の動きを予測した見越し射撃の名手でエースの中のエースと呼ぶに相応しい。
またイケメンでもあった彼は当時の女性の憧れの的でもあり任務中に女の所行って戻らなかったりかなりの問題児だったようだ。
トラブルの出やすい新型機は好みではなかった彼だが、その新型機(メッサーG型)の搭乗中、エンジントラブルが発生、自軍地内に戻った時はコクピット内が煙で充満しており機から脱出したものの自機の尾翼に接触、パラシュートが開かないまま転落して死亡。
第27戦闘航空団の彼の隊は彼に頼りっぱなしだった為、彼の死後、ガーランド中将が使い物にならないと判断、休暇を言い渡している。この頃、英米機と独機の割合は10対1にまで拡がっていた。
メッサーシュミットBf109G、ヘルマン・グラーフ機。
大戦中、初めての200機撃墜を達成し最終的には第52戦闘航空機団司令となったグラーフ機は赤いチューリップ(機首の模様)が非常に派手だ。フォッケウルフFw190でもも同じようなカラーリングの機に搭乗した。
主に東部(ロシア)戦線でスコアを重ねていった彼はナチスのプロパガンダもあり有名であった為戦後ロシアの捕虜となったが、この際早く解放される為、積極的にロシアに協力したとされ戦友会からハブにされてしまった。
最終212機撃墜。尚、ドイツ空軍の撃墜数が他国に比べ圧倒的に高い事から戦後様々な調査が行われたがむしろ他国より撃墜判定は厳格で正確な事が分かっている。自軍に対して連合国の機が遥かに多かった事、出撃回数が多かった事、陸続きで被撃墜されても比較的生還率が高かった事が要因と言われている。著名なエースパイロットも何度か撃墜されてる事が多く日米の戦闘では太平洋上がメインなのでこうはいかなかっただろう。

メッサーシュミットBf109G-14、エーリッヒ・ハルトマン大尉機。 G型の最後のほうの機種で冬季迷彩。
前人未到の352機の撃墜数は今後も破られることはないだろう。
機首に黒いチューリップ、コクピット脇にハートを射る矢を描いた機で東部戦線を戦ったハルトマンは敵軍から「南部の(またはウクライナの)黒い悪魔」と恐れられた。
メッサーの特質を活かした一撃離脱戦法に徹し、高速で敵の見えない位置から接近して非常に少ない弾薬で撃墜を重ねていったが、やがてハルトマン機を見ると敵機が逃げ戦果が落ちたので黒いチューリップは描かなくなった。
東部戦線での撃墜評価は低くなる傾向だが彼が戦地に赴いたのはマルセイユの死後の大戦末期でロシア機との性能差は僅かでしかなく、この短期間に驚異的な撃墜数を上げた。クレバーな戦闘だけをして僚機を一度も失わない事を身上としていた。
敵国から恐れられたエースも実はあどけなさの残る若干20歳で自軍からは「坊や」
「金髪の騎士」と呼ばれてた。
大戦末期、ガーランドからJV44ジェット戦闘機隊に召集されるもこれを断り、最後まで東部戦線を戦った。敗戦間近に首脳陣から戦地を脱出して西側国に投降するよう言われたが部下や戦友を見捨てる事は出来ないとして上官のグラーフと残り米国に部下とともに投降したが勝戦国間の取り決めで結局ロシアに引き渡され長年、戦犯として抑留された。
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キラ星のごとくエースが大量にいるドイツ空軍・・・
他にもハルトマンの兄貴分であり301機を撃墜したゲルハルト・バルクホルン(史上2位)、上官だったギュンター・ラル(275機で3位)、無敵の4機編隊を率いたヴァルター・ノボトニー、ジェット戦闘機のトップのハインツ・ベーア、ノルマンディー上陸作戦時に僚機とのたった2機だけで機銃掃射に向かったヨーゼフ・プリラー、強大な重爆撃機への正面アタックで恐れられた「白いスカーフの男」エゴン・マイヤー、夜間戦闘のみで121機もの連合機を落した「サントロンの亡霊」ハインツ・ヴォルフガング・シュナウファー・・・
非人道的なナチスドイツにあって空で祖国の為に戦った多くのパイロットたちは実は純粋にただ空に憧れた青年たちでした。
戦地に散った者。葛藤の中で屍を築いていった者。。。
そんな当時に思いを馳せて・・・
まだ作ってないフォッケウルフ黒の13、プリラー機でも作ろうか。。。
あ、いや、そんな時間無いわ。。。