日曜日はワタクシ主催のお駄弁り会に行って参りました。
前日は18時前就寝(笑)。
ところが途中、どっかで花火がぽんぽん上がり始めて
それで目が覚めてしまって、終わるまで寝られませんでした(苦笑)。
その後もちょこちょこと目が覚めてしまい、本当は0時半起床の予定でしたが
11時ちょい前位にこりゃもう寝られんかな?という感じになって起床。
まぁ、0時半というのはあくまでもmaxでそこまで寝る事にしましょ、、、
って言う積りで設定したもので
そもそもそこまでガッチリ寝ようと思った訳ではなかったんですけどね。
そして、いつもより一寸ばかり早かったのですが、4時に自宅を出発。
車庫に着くと、220君の窓だけ一回り拭いて、
あとは準備が出来ているのでそのまま引っ張り出して、暖気の為にエンジンを掛けてから
コペンさんを車庫内に。
ところが220君、珍しい事にセル1発では掛からず、
2発目ですんなり掛かりはしたものの、これまた珍しく酷いかぶりよう(汗)。
普段は静かにアイドリングしてくれるから、
そんな時間でも周りの住宅に対してあまり気にならないのですけど、
ミスッているお陰で少々うるさくて参ってしまいました(苦笑)。
結局そのかぶりは暖気中に解消せず、そのまま出発して、
これって果たして収まるんだろうかと思いつつ、3〜4キロ走った所でようやく解消しました(苦笑)。
やっぱりイリジウムプラグは一旦かぶると、キツイですね。
最終的に収まってくれたのは良いのですが、何が原因でかぶったのか全く判りません。
前日が雨だったから木からボディに水滴が落ちるのを嫌って県道76号線は選択せず
また雨が上がるのが遅くて路面がセミウエットだったので西富士道路も使用せずに
大月線と富鷹線を使用して国道一号線へ。
国一に乗ると、早くも清水の先から睡魔に襲われ始めました(苦笑)。
睡眠時間も十分ではない上に起きてから既に6時間位は経っていましたからねぇ(笑)。
新大井川橋の気温計は20℃。
路面は所々乾ききっていない感じだったので、外気導入にして窓を閉め切っていましたが、
この位の外気温なら快適でした。
その後、ずっと睡魔に耐えながら走行して居ったのですが、
掛川の先だったか、ボチボチ路面状況も良くなってきたという事で4窓を全開にし
それで一気に頭が冷やされたお陰でようやく眠気におさらばする事が出来ました(笑)。
んで、新天竜川橋。
んで、遠州鉄道だと思うのですが、遠巻きに踏み切りに電車が通り掛かったので撮り鉄タイム。
その後、コンビニに立ち寄りトイレ休憩した後、
マック三方原店で朝マック(笑)。
実はコンビニに立ち寄ったのは、その三方原店が7時開店だったので、
時間調整の為だったのですよね。
今回、気が付くと浜松IC前の通りだったと思うんですけれどもマックがあって、
そこは7時前だったけれども営業していたのですよね。
盲点でした(笑)。
んで、三方原店ではレジに並ばずに席まで商品を持ってきてくれるモバイルオーダーを
初めて試してみましたが、これもまた便利だなと思いました。
朝という事で今回は月見マフィンセットにしました。
サイドメニューを追加料金でナゲットにしております(笑)。
朝食後、浜松いなさICから新東名に乗りました。
普段殆ど高速に乗らないので久々に120キロ出しましたが、
フロントショックが馴染んで来たのか、ショック交換後に大幅に収まっていたその速度域の振動が
さらにほぼ感じられない位のレベルになっていました♪
いつもの下り坂で一枚。
んで、この位の時刻に浜松SA到着。
で、いつもの位置で一枚。
実はひょっとするとOMC中国支部長のOさんが遠路はるばる来られて、
参加して下さるかも?という感じだったので、
朝霧ミーティングの際に富士川河川敷にあれだけ早い時期に来られていた事からすると、
来られるとするならば早いだろうと思ったので、
私もマック三方原店で朝マック出来る範囲で出来るだけ早く到着しておこうと思ったのですよね。
しかし画像の通り、私の到着時には居られなかったので、
この時点では(笑)、来ない事にされたのかと思っていました。
んで、いくらか寒い季節の空気に変わって来ているのか、
一般道を走っている時からアイドリングがメーター読みで
1000回転(幾らか甘いので900~950回転位かと)位になっていたので、
エンジンを止める前に目見当でいつもの実際の830回転位の位置に針が留まるように
二次エアのアイドルアジャストスクリューで調整。
そして、道中のセミウエット路面と最後の120キロ走行のお陰でボディが汚れたので
軽くワックスがけをしました。
それが終わってウエスを一枚捨てて来ようかと思った所で
見慣れない108が接近してくるのに気付きました。
遠巻きにホイールキャップとグリルの目からして、
ありゃ250Sかな?と思って(250SEは結構少ないですからね)見ているとビンゴでした。
早速ご挨拶させて頂くと、その方はこのエリアの方で
Oさんが誘ってくださっていた方だった事が判り、
それでやはりOさんが来られるのだと知りました。
そして少し後で、Oさんが大渋滞に嵌っていて、
そこからようやく抜け出す事が出来たという情報が入ってきました。
後にTTさん、NAOさん、Yさんが到着され、
通行止め箇所を迂回したという時刻からして、
到着はずっと先だろうと思われたOさんも10時半頃には到着。
Oさんによると、3時間位同じ場所に停まっている事になったそうで、
それが無ければ私より早い時間に到着していた筈だったそうです。
通行止めって事は道を完全に塞いでしまうような事故か、死亡事故だなと思っていましたが、
あとから調べてみた所、どうやらバイクの方が亡くなられた事故だったようです。
最終的に縦目は朝霧オフの時にも来られていた280SEL3.5の方も来られて5台となり、
その他MBではYさんとOさんともう御一方の560SEL、
あとは126の500SEL、140のS320、220のS600が集まり、
116が居ればSクラスが5世代集まったのに、、、って具合になりました(笑)。
他にも私の地元の近隣のボルボのUさんとそのお友達のミニの方が今回も来て下さり、
総勢13台の集まりになりました。
全体像はこんな感じでした。
私の220君と先に紹介してしまった250S以外の車両を1枚ずつご紹介致しましょう。
TTさんの200。
NAOさんの280SL。
隣県からお越しの方の280SEL3.5。
Yさんの560SEL。
Oさんの560SEL。
もう御一方の560SEL。
500SEL。
140のS320。
220のS600。
UさんのボルボS90ロイヤル
Uさんのご友人のミニ。
一通り車両のご紹介が終わった所でこんどは色々見せて頂いた事についてゴニョゴニョと(笑)。
先ずは250Sから。
ウエスタンのプレート。
車体番号末尾は消してしまっていますが、20000番弱だったので
恐らく1966年の半ばよりは後に出荷された車だと思われます。
右ハンドルなので、エンジン番号も車体番号も上から7桁目が『2』になっていますね。
220君に最初に付いていたリアの燃料ポンプのインペラーのドナーになった、
実家にあった250SEの解体車も確か右ハンドルだったと思いますが、
この時期の右ハンドルのウエスタン物はまだ結構レアだったと思います。
ペイントのプレートも撮影はしたのですが、見難かったためアップはしませんけれども、
元色は335Hのメルセデスブルーで、
当時はまだ黒塗りが多かったであろうMBのセダンで
右ハンドル+色味のある色を選んでいるわけですから、
余程の好事家の方が乗られていたのだろうなぁと思いました。
色からして一瞬、外国人の方が乗っていたのかもなぁ、、、と思ったのですけど、
英国人や濠太剌利人以外では右ハンドルを選択する事は無さそうな気がするのですよね。
ダッシュボード。
オーナーさんはドア上の後付けウッドパネルと共に、
ダッシュボードのウッドパネルも買ってあるけど、
修理屋さんが嫌がって交換してくれないと仰っていましたが(笑)、
ワタクシ、この絶妙に艶が引け掛かっているこの感じ、好いと思うんですよねぇ。
実家で在庫していた250SEセダンもこれと同じMB-TEX
(正直この呼称が何時から使用され始めた物なのかハッキリ判っていません)
だったのですが、
実家のは赤でそれが陽に焼けすぎていて質感が落ちまくりであまり格好良くなかったのですが、
これはまだ好い質感を保っているなぁと思いました。
ヒルシュマンのアンテナ。
私のなんか、220君を入手した時には東芝製の手動アンテナに交換されてしまっていましたが、
この車には恐らくオリジナルであろう、ヒルシュマンが付いていました。
220君に付けている手動ヒルシュマンと頭の恰好が違うので、
電動かと思いましたが、手動だったようです。
ヒルシュマンのマークの拡大。
こういうのがさりげなく付いていると、おっ、と思ってしまいます(笑)。
しかもこんな風に表面がボツボツになっていると、
いかにも当時モノという感じがしますよね。
お次はTTさんの200。
1968年式なので先だってブログネタにしたバックパネルの縁のステッカーは青だろうな、、、と思って見せて頂きましたが、
見事正解で御座いました(笑)。
他の方のも見せて頂こうと思っていたのですけど、余裕がありませんでした(汗)。
そうそう、宿題があったんでした。
実はTTさん、ペダルゴムを買われたそうなんですが、
まったく違う形の物が来たとの事で、
調べてブログでネタという形で回答しますという事にしていたのでした(笑)。
結果、どうやら115の200のMT用としてはこれで正解らしく、
1102910182という番号から品番変更になっているという事のようでした。
えっ、110品番って事は、、、と思って調べてみると、
なんとうちの220君用のペダルゴムもこの部品に変更されているという事が判りました(汗)。
マジですかぃ。
オマケでTTさんの200の屋根にいつの間にか載っていたカマキリ。
一体、どこから来たんでしょうかねぇ?
続いてOさんの560SEL。
念願かなってドライブコンピューターを見せて貰いました。
ドイツ語なので何が何やら判りませんが(苦笑)。
で、何故か日本語の取説で使い方が書かれているという…。
この画像中赤丸で囲った部分がこれの操作部になるようです。
お次はタンデムインナーミラー。
ワタクシ、存在を全く知らなかったのですが、
これがMBの純正部品だというから驚きで御座いました。
と、知れば当然、調べますよぉ(笑)。
で、見っけました。
SA番号は56058、
スペシャルバージョンコードはEPCによると、246/249/810/931とあったのですが、
コード一覧を見る限りでは931がINSIDE TANDEM REAR VIEW MIRRORなので、
それが該当すると思われる所で、126用の品番は1268100617らしいですね。
Oさんは116に設定がある事はご存じだったものの、
108にもあったのだろうか?との事だったので調べてみましたが、
931のコード自体は1973年の1月1日からとの事だったので、
116の時代にはあったけど、108以前にはなかったのでしょうね。
ってなわけで、116用を探して一応見付けましたが、品番は内緒(笑)。
Oさ~ん、メッチャ高いけど、見付けましたよ~(笑)。
ただ、画像がないから違う物が来そうで一寸怖いんだなァ。
因みにドイツのMB公式パーツ通販では販売終了になっているものの、
一応、801,89ユーロというお値段が表示されています(汗)。
逆に140用も探してみたのですが、
何故か車体番号A236206以降とのフットノート付きで
コード931のアディショナルインテリアミラーという物があり、
これからすると116/126用とは違ってメインミラーとは一体になっていないみたいで、
且つ、GLUED VERSIONと書かれていて、且つシーリングコンパウンドの絵も描かれているので
恐らく窓に貼り付けるタイプなのだろうなと思う所であります。
しかしA236205以前はどうなっているのでしょうかね?
最後に280SEL3.5。
先ずは車体番号プレート。
これを見て、一瞬おや?と思ってしまったのが6千番台の下桁で、
280SEL3.5は生産台数が951台ですから、これ単独の番号ではなかったんですね。
どうやら280SE3.5セダンとの合算になっているようです。
以前にも気付いていた可能性がありますが、
記憶力が無いので反復して学習しないと覚えられないようです(苦笑)。
両者は1970年には3台ずつしか生産されていないようですので、
6千番台という事は1971年の後半の後半に出荷された車だろうと思われる所です。
以前、車体番号プレートのブログを書きましたが、
そこで1971年頃から下に空欄(である事が多い)の枠があると書いていますけれども、
これもその通りになっていますね。
続いてウエスタンのプレート。
番号を消してしまっていますが、
この中で面白いのはエンジン番号と車体番号の下6桁ですね。
先述の通り、車体番号は6千番台だったのですが、エンジン番号は9千番台。
本来大差がない筈なんですけど、
車体番号で合算されていない、280SE3.5の2枚扉も同じ116980エンジンなので、
エンジン番号の方はそれが合算されているのでこれだけの差が出るんですね。
あと、COMM.-NO.というのがMBでいうオーダーナンバーだというのは
以前書いた事があるのですが、
先の250Sのプレートでは日本を示す839の下にある桁が
4桁だったのがこの車では5桁になっているんですよね。
これが一寸謎なのですよね。
839の前が注文年の西暦末尾でこの場合『1』なので1971年のオーダーという事になるのですけど、
その下桁をその年の累積注文番号だと思っていたのですよね。
ところが5桁という事になると1万以上のオーダーがあった事になってしまうので、
んなわきゃないな、、、と思って、その近年にヤナセから販売されたMBの台数を調べてみると、、、
1970年 1457台
1971年 1511台
1972年 1608台
ってな具合にやっぱり4桁の世界なのですよね。
5桁の頭の数字がサバを読んでいるとすれば丁度良い感じなんだけどなァ。
ワタクシ、71年オーダーのウエスタンのプレート画像を他に2枚在庫しているのですが、
この車の分も含めて3つ共、その5桁の頭の数は『1』だったんですよねぇ。
因みに1970年オーダー車の画像データが無いのですけど、
1969年オーダー車の場合は桁は4桁で頭の数は『0』なので、
その年のヤナセのMB販売台数が1041台だった事を考えると、
この頃までは累積注文番号であると考えても良さそうに思うんですよね。
あと、面白いのがOURCAR-NO.でCOMM.-NO.のその末尾の5桁が
その番号の一部にそのまま使われているんですよね。
同じ番号を反復して表記してもあまり意味が無い気がするのですけどねぇ(笑)。
残念な事にあまりこのプレートの画像データを収集出来る環境にはありませんが、
数が揃えばなるほどこういう感じなのかという事がまた出て来るかもしれませんね。
んでね~、この車の内装がファブリックとMB-TEXのコンビ内装なんですけれども、
色が白系であるにも拘らず、シミらしいものも見受けられず、メッチャ綺麗だったんですよね。
こんなに綺麗なオリジナル内装でPWとクーラーが付いていて
V8の余裕のある走りが楽しめるなんて、ホント言う事なしでしょうね~。
さて、ここいらでいつものお駄弁り画像に行ってみましょう。
ついでに?殆ど恒例となっている自衛隊車両も載っけておきましょう(笑)。
気候的には朝方は涼しい位で、もう少し気温が高くてもイイかなぁと思うくらいでしたが、
10時過ぎた頃からだったか、急に日差しが強くなって
こりゃ、暑いなという感じにまでなって、傘を日傘代わりに使う人も出る位でした。
それがお昼前になると小雨がパラつくというホントに変なお天気でした(苦笑)。
んで、12時半頃だったか、皆さんでフードコートに移動。
私は例によってしらす丼を頂きました。
食事が済んだ後位からポチポチと帰る方が出始めましたが、
残留組の話は続き、今回は結構長めにフードコートに居たような気がします。
で、再び外に出てまたお駄弁りを始めましたが、変なお天気は相変わらず(苦笑)。
そして少しずつ帰る方が出てくる中、Oさんはなんと16時頃まで居てくださいました。
で、これは帰宅後のOさん情報なのですが、下りの浜松SAから新東名に乗った時に
海外ナンバーが付いた250Cが走っていたとのこと。
Oさんのグループライン情報で
海外の人たちがやっている日本国内ラリーの出場者だと判ったそうです。
因みに
これですね。
このサイトによると、MBでは他に113が2台、
107のSLCが出場している模様です(10月16日までやっているようです)。
で、17時頃完全解散。
午後は時々ぽつりぽつりときていた雨は、
帰る時にはとうとうほぼ本降りになってしまいました。
って訳でいつものルートで家路に就きました。
鹿島橋。
県道81号で最後に曲がろうと思っていた交差点の手前で山車と遭遇。
その交差点を曲がった先も山車の行列の影響ですぐには通れないらしく、
仕方がないので、山車の通過後にそのまた一つ先の信号無し交差点を右折。
いつもの県道に戻れるか心配だったけれども、なんとか無事に復帰出来ました。
大井川橋。
いつものように宇津ノ谷峠から国一に合流し、今度は無難に県道76号線を通って
20時チョイ過ぎに車庫に帰還。
降っていた雨は降ったりやんだりしながらも、地元に近づいた時には暫く上がっていて、
とりあえず220君のボディが濡れていない状態で車庫に収めることが出来ました。
んで、夜マックへ。
しかし、モバイルオーダーを使おうとした所、何故か使えず。
カウンターのおねえさんに訊いたら使えますよ~との事だったんですけど
スマホの画面で使えない表示を見せると、
他の人に訊いて、よく判りませんでしたが、時間外なるものがあるらしいです(汗)。
なんかそういう制限があるのは使い辛いなぁ。
開店時間はフルに使えるようにしてもらいたいものですけどねぇ。
で、とろ旨すきやき月見のセットを注文。
オバちゃんが席まで運んでくれましたが、、、
ワタクシ、疲れで判断力が鈍っていたというのもあるのですが、
こないだとは店が違うので、まさかまたそんな事が、、、と思うので
このポテトがおかしい気がしたものの、Mだと断定しきれずそのまま食しました。
しかし、食べ終わった後で、どうもおかしい気が。
先述の通り、判断力が鈍っていたので、何か判断出来る材料は無いかと考えて、
みんカラに毎回画像をアップしていたのを思い出して、それを見てみる事にしました。
すると、、、やっぱしLじゃないじゃん(苦笑)。
Lは容器の開口部近くに黄色のラインが入っているんですね。
食べきっちゃったけど、余分なお金は払っているし、どうしよっかな?と思ったのですが、
カウンターに行って、間違ってMを渡されたけど、食べちゃったんで今回は良いけど、
次からは気を付けてねと指摘だけして帰る事に。
で、お店の外に出たのですが、さっき席まで運んでくれたオバちゃんが追っかけて来て
改めてLを寄越されました。
一言言ったから、別にもう良かったのに(笑)。
揚げたてだというので勿体ないから車中で食べながら帰る事にしました。
(因みにMは揚げたてっぽく無かった)
で21時前に無事帰還。
因みにOさんはその頃には地元に戻っていたそうです(汗)。
今回、思ったのは、人からどう見えているか判らないけれども、
昔からすると良くはなっていると思うものの、
私はやっぱり人見知りがキツイなぁと言う事を感じましたねぇ。
人見知りがキツイゆえ、相手の方に慣れていないと上手い事話に入っていけないんで
(ただ、何か聞かれれば必要ないことまで答えますが…苦笑)、
それが変にとらえられていて悪印象に取られていなければ良いけどなぁと思っています。
主催者がこんなんでいいのか?っていつも思っておりまして、
誰か代わってくれる人が居れば参加者ももっと増えるんじゃないかとすら思っているんですよねぇ。
まぁ、そんなネガティブな事はともかくとして、
今回も楽しい会になって良かったです。
ひとえに仲間に声掛けをして人数を集めてくださった方々のお陰です。
参加者の皆様、本当にありがとうございました。